第1話 気が付けば別の誰か
──黒田ミナトは悩んでいた。
何故なら目が覚めたら身体が縮んでいた、という摩訶不思議な経験をしているからである。
別に、怪しげな黒の組織を追っていたところに油断して変な薬を飲まされた訳でも、時間がまき戻る風呂敷をかけられた訳でもない。しかし鏡に映る自分の姿はありえないほど小さくなっている。
それに真っ黒なはずの髪の毛はどこか茶色がかっており、髪質も硬かったはずなのにまるで世界が嫉妬する髪のようにさらさらだ。肌はもっちりしていて、キメも細かい。バイトで鍛えた筋肉など見る影もなかった。それになんだか顔も昔の顔とは違っている。
妙に面倒な事になったなぁ、とミナトは現実逃避気味にため息をつくのだった。
※※※
昨日はバイトを終えて家へ帰った後、疲れていたので風呂にも入らずそのまま眠りについたはずだった。肉体労働系のバイトはどうにも腰を痛めてならない、と独りごちながらさっさと布団に入った事は覚えている。
そして今日の朝。
目を擦りながら起き上がると、どうにも部屋に置かれた家具の配置が変わっている事に気づいた。本棚の中身もミナトが知っているものと違う。それになんだか壁の色もなんだか真新しくなっている気がする。寝ぼけてんのかなぁ、とミナトは不思議に思いながら移動した瞬間、急に足の踏みしめる感覚が無くなり、フローリングの床に転げ落ちてしまった。
痛む鼻の頭をさすりながら振り返ると、そこには自分が寝ていた布団ではなく、ちょうど腰ほどまでの高さのベッドがあった。
おかしい。何かが、おかしい。
完全に覚めた頭で改めて周りを見ると、全ての家具が大きくなっている。
ものが大きくなっている事といい、布団がベッドに変わっている事といい、一体なんなんだと軽く混乱しながら、ミナトは部屋から出た。
見慣れた廊下も何故か妙に綺麗になっているし、天井が高く感じる。それに一番おかしいのはミナト以外誰もいないはずのリビングの方から話し声が聞こえる事だ。
両親と祖母は物心つくかつかないかの頃に亡くなっているし、祖父はほとんど家に帰ってこない。しかも祖父が人を家に呼んだ事は一度もないため、この時間帯にこの家に来る人の候補は全て消えた。
“と、言う事は……泥棒か?”
思いつくのはそれしかない。しかし──と、ミナトは首をかしげた。
泥棒ならば何故すぐ逃げず、それどころか楽しげに談笑しているのだろうか? 普通は物を盗ったらすぐに逃げるものだろう。思わず頭を抱えて考えるが一向に理由は浮かんでこない。ならば、とミナトは決意する。
幸い、自分の近くには物置があり、その中には昔買った野球のバットがある。それを持って突撃すれば、いくら二人がかりで襲いかかれてもなんとか乗り切れるだろう。
そう考えたミナトは早速物置へ移動し、バットを見つけ出した。武器を手に持ったことで、少しばかり心に余裕が生まれる。そして前に持った時より大きく感じるバットを構えながら、音を立てないようにリビングに入る為のドアを少しだけ開けた。
「────。──?」
「──!? ────!」
「……これまた、美形な方々だな」
そこから中の様子を覗いてみると、そこには腰まである長い金髪で眼鏡をかけた爽やかそうな青年と、尻尾のように長い茶髪を後ろに纏めた活発そうな女が料理を囲って楽しげに談笑していた。
男はTシャツにジーパンとラフな格好をしていて、袖から見える腕の筋肉は引き締まっている。それだけで何かのスポーツをしているのだろうと予測できた。
女は蒼いジャケットに白い短パンと動きやすそうな格好で、見える太ももが男子高校生にとってはかなり眩しい。
顔立ちや顔のしわなどからしてミナトとはそれほど歳は離れていないようだった。笑顔で話している二人は、誰から見てもとてもお似合いだと感じるはずだ。
しかしそれにしても、人の家で堂々と朝食を楽しむとは。いくら絵になるほどの男女でも、無断で人の家に上り込めば犯罪である。ミナトは意を決してその二人に何しにここに来たのか問いただそうと、リビングに乗り込んだ。
「おい、あんた達いったい何を──」
「お、やっと起きたかヴァン。遅いぞ?」
「あと少しで起こそうかと思ったわよ」
張り切って出て行ったミナトの出鼻を挫くように、二人は笑顔をこちらに向けつつそう言ってくる。ミナトは一瞬、彼らがなんて言ったのか理解出来なかった。思わず手に持ったバットを落としてしまう。そのせいでリビングに金属音が響き渡り、男女はその音に驚いた表情をする。が、すぐに納得した顔になって二人は苦笑した。そして顔を見合わせた後、男の方がミナトに近づいてきた。
ここでようやく気づいたのだが、男はミナトの倍ほどの身長がある。目を白黒させているミナトをよそに、男は軽く抱き上げるとそのまま移動して洗面所まで連れてきた。
「ほら、ヴァン。ここで顔を洗え。六歳なんだ、顔ぐらい洗えるよな?」
「…………」
ここでようやく冒頭に戻るのである。
「これはどういう事だー!?」
「うわ!? どうしたヴァン?」
ミナトの声に男は驚くが、そんな男に構う事なくミナトはガクッと項垂れる。そしてブランと垂れた小さな両腕が目に入り、更に気分が滅入ってくる。本当は体が小さくなっている事には薄々気づいていた。ただありえないと認めなかっただけ。
どうしてこうなった。ミナトの心はその言葉で覆い尽くされる。つい昨日まで普通の生活をしていたはずなのに。
俯いて落ち込むミナトをよそに、男は呆れながら下ろすと近くの棚から小さいタオルを取り出してそれを水で濡らして強く絞った。そしてそれを整えて四角になるように折った後、ミナトの顔を思いっきり拭った。いきなりの事に少々思考が止まるが、男は気にせずにミナトの顔を拭う。
「これでよしっと。すっきりしたか、ヴァン?」
「あ、えっと……」
「ほら、早くしないと朝ご飯が冷めちゃうぞ?」
「う、うん!」
そう言われ、慌ててタオルを受け取り顔を拭い直す。
男はその様子をおかしそうに笑いながら洗面所から出て行った。
(──あれ? なんで俺……?)
拭い終わりほっと息をつくと、ミナトは先程までの自分自身の行動に違和感を感じた。
(なんで男の言葉になんの迷いもなく頷いたんだ? 俺にとって、この男は謎の不法侵入者のはずなのに……)
ミナトはまるで信頼しきっている子供のような声で返事をしてしまった事に思わず首を傾げる。そしてふと、少し前の自分もおかしい事に気づいた。
普通、自分の倍ほどの身長を持った見知らぬ男──それも強盗と認識している──が近づいてきたら、誰だって背を向けて逃げるはずだ。それにもかかわらず、その時の自分は特に恐怖も感じずただ呆然と男を見上げていただけだった。
疑問符が頭の上に浮かぶ中、ミナトは頭を振って一旦その事については置いておくことにした。少なくとも、自分を口封じのために殺すといった事はないだろう。
するはずなら既に自分はここにいないはずだ、とミナトは少々楽観的に考える。それはそうであって欲しいという願いもあったかもしれない。
そして女に朝食を食べろと言われたのでミナトは空いていた椅子に座り、出されていた朝食におずおずと手をつける。最初に口に含んだのはホカホカと湯気を立てていたミルクティー。それは自分の好きな甘さ加減だった。その事に驚きつつ、ミナトはフォークを手に取り、一緒に出されていたスクランブルエッグにも手を付ける。これもまた美味しかった。
そんな時、男が思い出したように手を叩き、ミナトに声をかけた。
「そういやヴァン。今日はどうする? 父さんは休みだからお前の行きたいところへ連れて行ってやるぞ?」
「いや、あの──ッ!?」
あなた達はいったい誰ですか?
そう言おうとしたが、それは突然の頭痛によって遮られることになった。
思わず左手で頭を抑え持っていたフォークもテーブルの上に落としてしまう。
突然苦しみだしたミナトに、二人はあたふたした様子で近づいてくる。
「おい、ヴァン!? どうした!?」
「ヴァン? ちょっと大丈夫!?」
二人は心配そうな声をかけてくるが、今の俺にそれを気にしている余裕はなかった。
急に流れ込んでくる様々な情報。
彼はなんとか頭の中で津波のように押し寄せて暴れまわる知識の波に耐えながら、必死にそれらを頭からこぼれないように覚えていく。何故か覚えなければいけないと感じたからだ。
そしてその中で、この持ち主の願いを感じ取る事が出来た。
ボクノ、カワリニ──イキテクダサイ──。
「────ッふぅ……」
痛みに耐え続けてどれくらい経っただろうか?
ようやく引いてきた痛みにほっと安堵のため息をついて周りを見る。
ミナト自身としては何時間も過ぎたと感じていたが、さっきと変わらず心配そうにこちらを見ている
「ヴァン?」
「ああ、うん。平気だよ、父さん、母さん」
心配そうな目で見てくる両親に大丈夫と声をかけて朝食を再開する。二人は顔を見合わせもう一度聞いてくるが、同じように大丈夫だと返すとまだ少し安心しきれていない様子で椅子に座り直していた。
……さて、これからどうするか。
ミナトは朝食に手をつけながら考える。
ある程度は理解できたが、ところどころに穴があるのはこの身体の知識があやふやだったからだろう。とりあえず分かっている事だけでも確認しておこうと頭の中を整理し始めた。
この身体の持ち主の名前は“ヴァン・ロックサイト”。
時空管理局古代遺物管理部隊機動二課という妙に長ったらしい部隊の中の、研究部隊長である“ジルウェ・ロックサイト”とその副隊長である“エール・ロックサイト”を両親に持つ、現在6歳の少年だ。
魔力量はこの年にしてはかなり多いほうらしい。
性格は活発で好奇心旺盛。私立聖祥大学付属小学校に通っている。
地球に住んでいるのはエールの祖母の故郷だから。
その性格から友人も多く、近所の子供と一緒になってよく遊んでいる──との事だった。
(とまぁ、情報を整理してみたはいいが……)
ミルクティーを飲みながらミナトはこれからどうしたものかと考え、思わず苦笑した。
いつも通り高校に行き、いつも通りバイトをして、いつも通り部屋で寝る。
そんな“いつも通り”の生活が一変、何処かの誰かに“憑依”してしまうという摩訶不思議体験をするハメになったのだから、もはや笑うしかないだろう。その笑いもどこか引き攣ったものだったが。
「どうしたの? やっぱりどこか調子が悪い?」
「え? あ、ううん! 大丈夫!」
エール──もとい母親に声をかけられ我に返る。既に二人は食べ終わり、ミナト一人だけまだ残っていた。
ミナトは一気に自分の分のパンや残ったスクランブルエッグを口に入れて、ミルクティーで流し込む。そして一息ついていると、ジルウェがミナトにすぐ準備をするように促した。
「何の準備?」
「出かける準備だ。さっき言った通り、父さんは今日休みだからな。遊園地にでも行こうか!」
「もしさっきみたいに頭痛くなってもアタシが治してあげるから思う存分遊べるわよ?」
そう言ってジルウェは近くにかけてあった赤いジャケットを着る。
エールも鞄を両手で前に持ち、すぐに出かけられる準備ができているようだった。
「……遊園地か」
ミナトは思わず唸る。実を言うと、ミナトは十八を過ぎた今でさえ一度も行ったことがない。
両親はいないし、祖父も厳格な人でいつもミナトに厳しかったことから、そういうところに行く機会もなかった。友達と行くという選択肢も、
「で、どうする?」
「うん、今着替えてくるからちょっと待ってて!」
ミナトはそんなことを考えながらそう返事をして、すぐに自分の部屋に戻って外着に着替える。
どうせ何かしたところで元の世界には戻れないのだろうし、楽しんだって損はないだろう。幸いなことに身体は6歳なので変に見られることもない。 自分でも納得がはやいと思うが、さっきの不思議体験と食べた朝食の感覚はどう考えても夢とは思えない。
ミナトはある意味で現実逃避をしながら難しい事すべてを頭の中から追い出し、童心に返って楽しむことに決めたのだった。
初めまして、bmark2と申します。
一話にだいぶ時間がかかると思いますがよろしくお願いします。
※11月23日、少し修正