僕と兄貴と銀河天使と   作:HIGU.V

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第二十一話 みんなの恋路事情

 

 

 

 

私がアイツのことを意識したのは何時からだったか、そんなことはあまりよく覚えていない。しいて言うなら、あの偵察型プローブの事件があったときかしら?

あの時の私は、この何よりも美しい乙女の柔肌を見せてしまったのだ!! 悲鳴を聞きつけてやってきた二人に向かって色々物を投げてたら、ラクレットのほうに当たって気絶しちゃって、服も着てないのにアイツと二人でさらに慌てちゃった。

今振り返って思ってみても、顔から火が出るほど恥ずかしい。だって私ったら服も着ないでアイツの目の前まで行って、顔を真っ赤にして眼をそらしながらアイツに指摘されるまでそのままだったのだから。あ! もちろんバスタオルは巻いてたわよ、申し訳程度には隠していたわ!!  大きな声で言うことじゃないけどね。

それから、ミルフィーのせいでその……キ……キス……しちゃった時!! あの娘が私とアイツがいるのに気付かずに重力発生装置を解除しちゃったから!! あーもう!! この私のファーストキスだったのに!!

まあ、別にアイツだったら悪くない……って思っちゃう自分がいるのに気付いたのもこの時。ああ、私は恋をしてるんだなぁ……って納得しちゃったのよ。思えば此処まで本気で誰かを好きになったことはなかったかもしれない。そういう意味ではコレって初恋なのかしら?

でも結局アイツがダンスパーティーに選んだのはミルフィー。結構勇気出してアピールしたんだけどな……でもまあ、私のほうが年上だし……ミルフィーが嬉しそうなのはやっぱり私も嬉しいし……でもやっぱり……つらい物はつらいのよ。

私じゃなくてミルフィーを選んだんだから、絶対に幸せにならんきゃだめなんだからね!! そして、その幸せになった二人が羨む位の幸せを私が掴むんだから!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在エルシオールは、惑星フリードの軌道ステーションでの補給を終えて白き月に向かっている。クロノドライブ中であるため、クルーたちは最低限の人員を除き英気を養っていた。後数度のクロノドライブを終えれば、エオニアと直接ぶつかりあうことは明白だからだ。そんな中ラクレットは、クレータ、レスターと共に格納庫の一角に居た。

 

 

「それで、『エタニティ-ソード』について報告があるって言ってけど何かしら?」

 

「あ、もう少し待ってください。いまリミッターを外しますから」

 

 

先の戦闘の後、紋章機の背に発生していた翼は消えてしまったが、それぞれの紋章機がパイロットの癖などに最適化した。同じく『エタニティーソード』もその現象が起きており、より操作性が上がった。『エタニティーソード』が展開していた翼も、エンジェル隊の紋章機と同じタイミングで消失し、クレータは今日まで原因を探っていたが、結局白き月に着くまで何も出来ないという結論に落ち着いたところだったのである。そんな中報告があるから来て欲しいとラクレットに言われたのだ。

一方、レスターがここにいる理由はつい先程タクトの代わりにブリッジに詰めていた彼の所にラクレットが来てこういったのだ。

 

 

「もしかしたら、『エタニティーソード』の翼を展開させることが出来るかもしれません」

 

 

それを聞いたレスターは、一先ず格納庫に駆け足で駆けつけたのである。

 

 

「よし、リミッター解除。『H.A.L.Oシステム』起動、出力を最大に設定、フェザー展開!!」

 

 

ラクレットがコンソールでの操作を終え、そう宣言した途端、『エタニティーソード』の背部からわずかに黒い翼が生えた。あまりに想定外の事態に、言葉を失うクレータ。一応聞いてはいたものの、それなりに驚いているレスター。

 

「…………ッ!! エネルギーカット!! リミッターを掛け、セーフモードに」

 

数秒膠着が続いたものの、この事態を破ったのはラクレット本人だった。彼の額には珠のような汗が浮かんでおり、激しい苦痛に耐えている世にも見える。突然声を上げた為か他二人の視線は彼に注がれている。彼もそれに答えるかのように口を開いた。

 

 

「やはり、僕のこの機体は、単純に膨大なエネルギーを与えれば良いだけのようです」

 

「他の紋章機では無理だったのに……というか、リミッターって言ってたわよね、ソレは何?」

 

 

「まだ僕が幼い頃に、機体の負荷が急速に増す、駆動部操作装置停止操作(Engine Control Unit Disabled Maneuver)状態に成らないようにつけました」

 

 

一応最初に『エタニティーソード』について報告した時、リミッターがかかっているとは報告している。しかし詳細には言ってなかったのである。戦闘機に出力リミッターをかけるのは、消耗を抑える、安全性を考える上では一般的なので、あまり特別視されていなかったのだが。

 

 

 

「……そうだったの、にしても本当に規格外ねこの機体」

 

 

驚きつつも、普通に納得するあたり、彼女もずいぶんとなれてきたようだ。その会話が途切れつと、次はレスターが口を開く。

 

 

「それで戦闘中は使えるのか? 随分と体力を消耗するようだが」

 

「はい、前回出した時のように機体を動かしていればおそらく。やはり、戦闘中のテンションが必要なのでしょう。それでも短時間にせざるを得ませんが」

 

「……そうか。手札にするには重い。切り札だな」

 

「でもこれで、希望は見えてきましたね。エンジェル隊の紋章機の翼、エタニティーソードのECUDMD、そして、詳細は不明ですがエルシオールの追加兵装、この三つの戦力上昇があれば、あの黒き月にも」

 

「ああ、絶対ではないが、運用次第では大きな力になるだろう」

 

 

実を言うと、ラクレットはこの時半分程度しか本当のことを言っていない、まずリミッターについてだが、コレはエルシオール着任時点でその気になれば翼が生えるという事実を整備班から隠すためにつけたものだ。実際に性能は落ちており、パーツへの損耗が減っているのも事実だが。厳密な目的は性能の隠ぺいである。

そして翼を出すこと自体は簡単であるが、これは他の紋章機と同じものでは無い。詳しい事は省くが、エンジェル隊の紋章機は『A.R.K』というシステムを起動させると出るもので、これにより『ARCH』というエネルギーが使えるようになるのだ。故に先の『ネガティブクロノフィールド』下において戦闘可能だったのだ。

だが『エタニティーソード』の場合は単純に出力を上げるためのモノでしかない。というより、実質的に現在は単純な視覚効果しかないといっても良いのだが、コレは侮れないもので、「翼が生えるとなんか強くなる気がする」とパイロットが思う事により、実際に『H.A.L.Oシステム』から導き出されるエネルギーの量が増えるのだ。ちなみに『エタニティーソード』が先の戦闘で動けた理由は紋章機や、エルシオールの発生させた『ARCH』により、周辺宙域の『クロノストリングエンジン』が活性化したからだ。彼がしたのはあくまで便乗である。

ラクレットが理解しているのは、紋章機とは微妙に別のシステム動いてる。自分のは元のエンジンを強化するためのもの。やっぱり、それなりに疲れる。程度である。翼を出すこと自体には全く制限が無い、だが、翼を出している間は全力以上のエネルギーが出る。難易度は低いが効果もそれなりの技といった所が。

例えるのなら通常の状態を全力疾走として、紋章機は強烈な突風が後ろから吹き付けている状況。『エタニティーソード』は猛獣に追いかけられ命の危機が迫っている状況だ。パワーアシストはない物の、早くなることはあるであろう。

今回彼が行った、翼を少しだけ出して苦しむふりをする。それは、自分が戦闘で短時間に限り、先の戦闘と同等の力が出せることを伝えたかった。だが、そう乱発できるものではなく、加えてあまりにも精通していると不自然に思われる。と考えた彼なりの苦肉の策だ。今まで出していなかったのに、なぜエンジェル隊にあわせて出したのだ?と聞かれても困るからでもある。

実際は翼を出してもそこまで苦しくなるほどではなく、疲労感が増す程度なのだが、彼は今遅効性の下剤を飲んでいる。準備痩セッティングに時間を掛けていたのは、効果が発動するまでの時間稼ぎだったのだ。額に汗を書いている理由はソレだ。ちなみにこの薬、元々は便秘解消薬である。

 

 

「それでは、これで僕は少し部屋で休んでいます」

 

「ああ、クロノドライブが空けるまで、英気を養っておけ」

 

 

その後ラクレットは二人の目が届かなくなった途端に早歩きで去っていったのは完全な余談である。

 

 

 

 

 

 

 

「私タクトさんと一緒にいられません……だってタクトさんが不幸になっちゃう」

 

「待ってくれ!! ミルフィー!! 」

 

一方その頃タクトは修羅場(ラブコメ)っていた。

時計の針を少し戻そう。

レスターにブリッジを任せたタクトは、ミルフィーと二人で銀河展望公園にいた。二人とも仲良く、それはもう楽しげに仲睦まじい様子で、散歩などとしゃれ込んでいたのだ。しかし突然の空調システムの不調が原因で公園が閉鎖されていたというのに、様々なマシントラブル、ヒューマンエラーなどの偶然が重なり、入ってしまっていたのだ。その二人が『偶然』入った結果、『偶然』壊れていた空調からエアーが漏れ始めてしまい、後一歩で死ぬような目にあってしまったのである。

それを自分のせいだと感じたミルフィーは、先程体をぶつけてうまく動けないタクトを置き去りにして、走り去ってしまい、彼はその場に今一人で佇んでいる。説明するならば数行で終わるが、タクトたち当人にとっては笑えないほどに深刻な話である。

 

 

「このままじゃだめだ、急いでミルフィーを追いかけなきゃ!! 」

 

 

我に返ったタクトは痛む体に鞭を入れて走り出す。ミルフィーの姿が見えなくなってから、まだそんなに時間がたっていないから近くにいるはずだ。と自分に言い聞かせることで、だんだん何時もの余裕が出てくればいいなと考えながら。

 

 

「まずは……ティーラウンジだ」

 

 

タクトは近くのエレベータに入りボタンを押すとそう呟いた。閉じてゆく扉の隙間から覗く、彼の表情はいつにもまして真剣で、何時ものとのギャップで違和感があったと。そこを通りがかったスタッフは残している。

 

 

一方、なんとか腹痛が治まったラクレットはクロミエと二人でティーラウンジの奥の方に居座っていた。現在ティーラウンジには、彼ら以外の人入りは疎らだ。入り口近くではランファが雑誌を読んでおり、そこから少し離れたところで、二人の女性クルーがケーキに舌鼓を打っているがそれだけだ。がらんどうとしたティーラウンジの中で、あえて奥の方に座っている彼らだが、不思議と目立つような雰囲気はなかった。

彼ら二人の間にはコーヒーカップが二つと芋羊羹の乗った皿一枚しかなく、二人は向き合って何かを話すような姿勢で座っていた。コーヒーは普通に注文したものだが、芋羊羹は前回の補給の時に購入したものだ。『Imo-chou』という和菓子屋で、なんでも芋羊羹を作らせたら皇国一の主人が作ってるものだそうで、ラクレットは迷わず購入してしまったのである。

 

 

「……コレ食ったら、大きくなれたりするのか?」

 

「どうしましたか?」

 

「いや、なんでもない」

 

 

自分の独り言がクロミエに聞こえていて、どこと無く恥ずかしい気分になった彼はすぐに誤魔化した。その様子にクロミエは一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、気にしないことに決めたらしくコーヒーに手を伸ばし口を開いた。

 

 

「……それで、うまく言えたんですか?」

 

 

急にそう切り出したその眼は真剣で、ラクレットは思わず一瞬息を止めてしまった。あの夜のことを思い出してしまうのだ、クロミエのその真剣な目は

 

 

「……ああ、お前のおかげでな」

 

「それはよかった」

 

 

一瞬の間をおいてそう答えたラクレットに、クロミエは何時もの柔らかな笑顔で答えた。

 

 

「それで、これからはどうするんですか?」

 

「もちろん皆のために出来ることをやるよ。僕のできる限り」

 

「それじゃあ、あれはどうします?」

 

クロミエはそう言って入り口の方を指差した。

 

ランファの座っているテーブルに大きな振動が伝わり、何かと思い彼女が顔を上げるとそこにいたのはタクトだった。個人的にここ数日、微妙に避けているというか、あまり進んで会いたくない感じであったのだ。しかし、彼のあまりの真剣な表情を見て、それらのことが一瞬で抜け落ちてしまった。

 

 

「タクト? どうしたのよ。そんなに慌てて」

 

「ランファ! ミルフィー見てないか!?」

 

 

タクトの並々ならぬ気迫に押されつつも、とりあえず、質問の意図を考える。ミルフィーとは今朝朝食を一緒に食べたきりで、それ以来見ていない。そう確認したランファは口を開く。

 

 

「見てないけど、それが────「わかった、ありがとうランファ!!」────どうしたのよ、って……もう居ないし」

 

 

ランファの言葉に割り込みながら、礼だけを言って走り去るタクト。今の彼を止められるのは、それこそミルフィーのみであろう。

 

 

「はぁ、本当どうしよう」

 

 

その後姿を見つめながら、ランファは溜息をつく。

 

 

「やっぱりまだ、諦められないよ……タクト」

 

 

 

 

クロミエが指差した方向ではランファとタクトの一連のやり取りが行われている。それを眺めていたラクレットは、微妙にランファのリアクションが違うことに気がついた。別に彼は男女関係に極端に鈍かったりするわけでもないのだ、自分に関してはことさら鈍くなったりもしないのだ。逆に微妙に鋭かったりするので、気になった女の子を好きになる前に諦めたりもしている。空気は読めないが、なぜかわかってしまうのだから仕方がない。その姿勢がいずれ彼に大きな影響を与えるが、それはまた別の時に。

 

 

「あなたは、前にタクトさんが誰かを選んだらあとの女性たちはあっさり身を引くと考えていましたよね。あれは、イレギュラーじゃないんですか?」

 

「……むしろさ、そっちの方にこそ、疑問があったと今は思ってるわけよ。いやだってさ、そんなあっさり身を引くか? むしろこのくらいのことが普通なんじゃないの?」

 

「以前の貴方ならまた大騒ぎしてややこしくしていたでしょうね」

 

「そうかもな」

 

 

ラクレットは今さら、タクトの女性関連の事柄がどうなるかなど心配していなかった。成るようになるだろう。そのくらいしか考えていない。なぜならば、彼はこの艦のクルー全員に最大の信頼を置いているからだ。今までの自分でも、少なくともエルシオールクルーが致命的なミスや、取り返しのつかないヘマをするわけが無いという風に考えていたからだ。今になって、実は着任当初、自分は疑われていたという話を聞いても、それは仕方ないよねと納得が出来るのもそういう理由だ。

要するに、タクトならどうにかするでしょうという考えだ。責任転嫁ともいう。もちろん、途中で色々トラブルは起きるだろうが、最終的には成る様になる。主人公とか、オリ主とか、そういうものに囚われなくなった彼の新境地である。人それを、開き直りという。

 

 

「とにかく、しばらく静観しようぜ」

 

「そうですね」

 

 

そのように決めたが、現実はそうはうまく運ばないもので、数日後。

 

 

 

「本当に、どうにか成りませんの?」

 

 

ティーラウンジに入った途端に聞こえてきた声に思わずラクレットはその方向を見る。そこにいたのはミント、フォルテ、ヴァニラの三人で、どうやら今の発言はミントのもののようであった。その大きな声にラクレットは思わず声をかける。

 

 

「どうしたんですか? ミントさん」

 

 

今までならそのような行動をしなかったはずだが、案外あっさり出来るものだなと思いつつ、自然に彼女たちのテーブルに近づく。席の一つを指差して座って良いか許可を取ってからミントの向かい側に腰掛ける。

 

 

「あらラクレットさん。それがですね、最近ミルフィーさんがタクトさんを避けているのはご存知で?」

 

「はい、この前実際に追いかけっこをしているのを見ました、クロミエと二人で」

 

「それでですね、二人がうまく行っていないのはもちろん、それにつられるようにランファさんまで不機嫌に……」

 

 

ここ数日のタクトとミルフィーの追いかけっこは、エルシオールクルーに頻繁に目撃されている。そして、それに伴ってランファの機嫌が悪くなって行くのだ。傍から見ればどう見てもお似合いの両思いであるのに、ラブコメよろしく「私の近くに来ると不幸になる!!」「待ってくれ、話を聞いてくれ!!」とやっているのだ。その片方が親友で、もう片方が(元)思い人である、ランファからすれば果てしなく微妙な心境であろう。

 

 

「はあ、それで?」

 

「私たちにとっては、みんな大切な仲間と上官でありますから、どうにかできないかと、今話し合っているのですわ」

 

 

横に座っている二人を見ると、二人ともこちらを見て頷いた。ああ、本当にこの人達は仲間思いなんだなと改めて実感しつつ、ラクレットは尋ねる。

 

 

「それで、何か良いアイディアは出たんですか?」

 

「それが……」

 

「さっぱりでねぇ……」

 

「どうにかしてタクトさんたちが話し合える場所を作れれば良いとは思うのですが、その方法が……」

 

 

結果、三人とも沈んでしまった。苦笑しつつ、ラクレットはゲームだとどうなったかを思い出そうとするが、そのタイミングで大声が彼の思考を遮った。

 

 

「なによ!!ミルフィーミルフィーって!! 人の気持ちも知らないで!!」

 

「そんな……ランファ、オレはそんなつもりじゃ……」

 

 

瞬間、四人は立ち上がりティーラウンジを後にする。会計とかそういうのは後回しだ、この面子なら少々融通も利くからだ。急いで廊下に出ると、ティーラウンジの入り口近くの廊下で、タクトとランファが口論していた。

 

「私が、どういう思いでアンタ達を見ていたかわかる!?そんな私に毎回毎回会う度にミルフィーの事を聞くなんて、しかもうまく行かないからどうにかしてくれですって!!」

 

「ちが、違う。オレはそんな事……」

 

「違わないじゃない!!どうして……」

 

────わかってくれないの?

 

 

言葉にしていないがそう訴えているように感じた。そして、そこまで言うとランファは泣き崩れてしまい、すぐにフォルテとミントが駆け寄り助け起こす。そのままフォルテは、ランファを立ち上がらせ、肩を抱きながら前方の廊下へと歩き出す。最後に一度だけタクトを振り向き見たが、立ち止まらずにそのまま立ち去った。ヴァニラは、少し逡巡したが、二人についていった。

ミントは二人とは逆にタクトに向かって歩を進める。タクトは急転直下な現実と、自分が無意識に女の子を傷つけていたことに気づき呆然としていたが、ミントが近づいてきたことに気付いて体を強張らせる。本能的に彼女からの糾弾を予期していたからだ。

しかしその刹那、彼の体は予想外にも、真横からの衝撃により吹き飛び廊下に打ち付けられた。まず壁にぶつけた肩が痛み、つぎに張られた頬が熱く感じ、最後に頬の痛みが来たと、冷静に分析しているが、状況に追いついていなかった。

ラクレットが思わずタクトを一発ぶん殴っていたのである。横から、頬を全力で。レスター仕込みの腰の入った一発を。2人生で私的に暴力をふるったのは初めてであるが、躊躇と迷いが感じられない合理的に刈り取る一撃であった。

 

 

「……上官を殴ったので、営倉に入ってます」

 

 

無表情にそう言って、そのまま廊下を歩いて立ち去ってゆく。彼に合わせて野次馬が二つに割れ道ができた。そこを歩き立ち去ってゆく彼はどこか印象的だった。と野次馬の一人が残している。ちなみに、通常の軍隊だったら、即座に射殺ないし、拘束後事情聴取(意味深)コースであろうが、此処はトランスバール皇国軍エルシオールの中(治外法権)である上に、のちにこの騒動が収束してから事情を聴いたシヴァ女皇陛下からの下知により、ラクレットの経歴に傷がつくことも、タクトが殴られたこともなくなった。

 

 

「はいはい、皆さん解散してくださいまし」

 

 

ミントがそう言うと、野次馬は三々五々と散ってゆき、最終的にタクトとミントだけ残った。彼女は優しく微笑み、ハンカチを取り出すとタクトが殴られた場所に当てる。

 

 

「それで、頭は冷えましたか?」

 

「……ああ、ばっちり。自分がいかに情けないことをしてきたかわかったよ」

 

 

あとで、ラクレットにもお礼を言って、営倉から出さないとな。と呟きつつ、自嘲気味に笑うタクト。

 

 

「痛かったですか?」

 

「ああ、ランファのも、ラクレットのもね」

 

「……それはよかった。実は私も一発お見舞いしたかったのですが、ラクレットさんがアレだけやった手前、気が晴れてしまいました」

 

「はは、やっぱり?」

 

「ええ。まあどうやらあの方は、純粋に私と同じ動機ではないみたいですけれど」

 

 

急に和やかな雰囲気になる二人ミントは、ようやくどうにか成りそうですわねと考え穏やかに微笑む。

 

 

「こんな所にいてはだめでしょう?」

 

「そうだね。すぐにミルフィーの所に行きたい……でもそれじゃだめだ。俺が本気であることを見せなきゃ」

 

「それで、どうするのですか?」

 

「まずは、ここ数日レスターに押し付けていた仕事を片付けて、纏まった時間を作る。話はそれからだ」

 

「百点満点ですわ、ただ『逃げるから追いかける』のような男でしたら、駄目です。今は決定的な仲違いでは無いのですから、きちんと仕事をしてくださいな」

 

「了解」

 

 

タクトは、そう言って何時もの不敵な笑みを取り戻し、その場を後にした。今夜はよく眠れそうですわ、と彼女は思い同じくその場を後にした。

 

 

直、この日のエンジェル隊の会計は後にタクトに請求書が届いた。この日から、何かにつけて食事やお茶代をタクトが負担するという、彼にとって悪しき習慣が生まれたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん忘れているみたいですよ。まあ明日くらいにタクトさんに言って出してもらえるようにしますね」

 

「クロミエ……ありがとう」

 

「クロノドライブも一度終わるみたいですから、ちょうど良いと思いますし」

 

「そうだな」

 

「それで、どうして殴ったんですか?」

 

「いや、だって……」

 

「…………」

 

「なんか妬ましくて」

 

「予想はしてましたが、白き月まで入ってます?」

 

「ごめんなさい」

 




貴重な女性絡みの修羅場。

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