「・・・ここは」
残念。
知っている天井でした。
「眼を覚ましたのね」
「えぇっと、お久しぶりです」
「ええ。久しぶりね。といってもあれから一週間も経っていませんが」
気付けば、医務室。
また記憶がこんがらがっている。
どうしてここにいるのだろうか?
「覚えてない?」
「えぇっと・・・」
「紹介が遅れたわね。私はイネス・フレサンジュ。貴方は?」
「あ、はい。マエヤマ・コウキです」
ボーっとしているとイネス女史がやってくる。
あ。いつの間にか怪しい女医さんの姿がない。
・・・可哀想に。これから医務室はイネス女史の魔窟ですよ。
貴方の出番は最早ありません。お労しや。
「随分と余裕ね」
「えぇっと、何がですか?」
「ここに貴方がいるのは何故?」
「すいませんが、覚えてないんですよ」
「ちょっとした記憶の混乱かしら。それとも自我が喪失を恐れて記憶を失くさせたか・・・」
「あ、あの・・・」
自分の世界に入っちまったよ。
イネス女史、戻ってきてぇ。
「コホン。貴方の事は色々と聞いているわ。なんでも、ナデシコの降下の危険性を訴えたとか」
「相転移エンジンの特性を知っていれば、誰もが疑問に思う事ですよ。敵の占拠下にある火星に出力低下状態でいて大丈夫なのかと」
「艦長は知らなかったようだけど?」
「それをフォローするのが周りの役目です。艦長はどちらかというと情報を集めるタイプではなく、与えられて動くタイプですから」
「なるほど。艦長の事、よく分かっているのね」
「足りない所を補う。そんな役目がブリッジに一人ぐらいいても良いと思いませんか?」
「それが貴方という事?」
「まだまだですけどね。艦長に降下の危険性を訴えなかったのは俺のミスです。ところで、ナデシコはどうなりました?」
「貴方の活躍でどうにか危機は脱したど、損傷がない訳ではないわ。単体での脱出は無理そうね」
「え? 俺が何かしたんですか?」
駄目だ。何も覚えてない。
「本当に覚えてないようね。貴方、半狂乱になりながら、レールカノンを撃ちまくったのよ」
「・・・え?」
俺がまたレールカノンを?
俺はまた記憶がない。
それって・・・俺がまた暴走したって事か!?
「あ、あの! 俺はまた暴走してしまったんですか!? 味方を撃ってしまったんですか!?」
「そう。貴方は過去にそんな経験があるのね。それでトラウマになっているのか」
「答えてください! イネスさん! 俺はまた・・・」
想像したら身体が震えてきた。
俺は反省もせずに、同じ過ちを繰り返して・・・。
「大丈夫よ。暴走はしてないわ。きちんと敵だけを狙って撃っていて、味方に損傷はない」
「・・・はぁ。良かった」
身体の震えが止まる。
・・・本当に良かった。
誰だって同じ過ちを二度も繰り返せば許容できなくなる。
また味方を撃ったなんて事になったら、俺にはもうここにいる資格はない。
・・・怖いよ、自分の身体が、本当に。
「貴方はトラウマを抱えているのよ」
「・・・トラウマ?」
トラウマ。
確か心的外傷だったっけか?
幼い時とかの虐待がフラッシュバックしたりする奴。
身近なので言えば、夜にホラー映画を見た時に、トイレに行くのが怖くなったり、夢に出てきたりとかそんな感じの。
でも、トラウマっていきなり言われてもよく分かんないんだけど。
「そうよ。そうね。これを持ってみて。もちろん、弾は入ってないわ」
そう言って渡されたのは銃。
俺がよくゴートさんと練習する時に使う奴だ。
「これがどうかしましたか?」
「構えてみて」
「はぁ・・・。構いませんが」
言われた通りに構えてみる。
自分で言うのも変だけど、なかなか様になったよな、俺。
「・・・なるほど。やっぱりIFSでの攻撃に意味があるのね。すると・・・」
「あの・・・もういいですか?」
また自分の世界に入ってしまった。
難儀なお方だ。
「あ。・・・コホン。ありがと。もういいわ」
「あ、はい」
銃を手渡す。
一体、何だって言うんだろう。
「ちょっと待っていて」
「分かりました」
イネス女史ってマイペースなんだな。
振り回されっぱなしだ。
「・・・コウキ君」
「あ、ミナトさん」
イネス女史に連れられて来たのはミナトさん。
物凄く暗い表情をしているけど、何かあったのかな?
「大丈夫ですか? ミナトさん。顔色悪いですよ」
「え? コウキ君こそ、大丈夫なの?」
「俺って何か心配されるような事しました?」
「・・・イネスさん。これは?」
「恐らく防衛本能が働いたのね。さっきの事が完全に記憶から消えているわ。結構、根が深そうよ、このトラウマ」
「・・・そうですか」
深刻そうな表情の二人。
まるで意味が分からないんだけど。
「とりあえず、何があったのか知りたいんですけど」
気になって仕方がない。
「そうね。話しておきましょう」
「イネスさん。話して大丈夫なんですか?」
「私は一応カウンセラーの資格を持っているわ。だから、安心なさい」
「・・・ですが」
「こういうのはきちんと自分と向き合わないといけないの。まずは自覚する事からスタートよ」
「・・・分かりました。それなら、私が話します」
「そうね。詳しい事情を知らない私より貴方の方がいいかもしれないわ」
・・・凄く酷な現実を突きつけられそうだ。
あんなにも真面目というか、深刻な顔は初めて見た。
俺はまた、何かしてしまったのだろうか?
「コウキ君。よく聞いて」
「・・・はい」
「前回、貴方は無意識の内に暴走して、味方を狙撃してしまった。そこまではいい?」
「もちろんです。反省しています」
「そう。貴方はもう二度と味方は撃たない。意識は失わない。そうやって反省したのね?」
「え、ええ。大まかにはそんな感じです」
自分の身体が怖い。
でも、きちんと制御しなければと思って・・・。
だから、もっと練習しなければ、慣れなくては、そう思った。
「コウキ君。貴方は無意識下でまた味方を撃ってしまうのではないかと怖がっているのよ」
「・・・無意識下・・・ですか?」
「自分の事を信じていないんじゃない? また暴走してしまうかもしれないって」
「・・・それはあります」
知らない間に味方を狙撃していたんだ。
今度もそんな事があるかもしれないと思うと怖くて仕方ない。
「コウキ君。貴方はその恐怖に縛られているの。また味方を撃つかもしれないという考えに貴方は苛まれている」
「・・・俺はどうなったんですか?」
「レールカノンを撃とうという時、貴方は恐怖で全身を震わせた。意識を失う程に錯乱して、漸く貴方はレールカノンを撃てたのよ」
「・・・それでは、俺はまた暴走を?」
「今回はフィードバックの値を弄くってないから、システムに乗っ取られるような事はなかったわ。きちんと敵だけを狙って撃っていたもの」
「・・・なら、その時の記憶がないというのは?」
「トラウマを抱えながら無理をしたから本能が護ろうとしてくれたんだって」
「本来ならトラウマをきちんと克服してから行うべきだったんだろうけど、緊急事態だったから仕方なかったのよ」
ミナトさんの言葉をイネス女史が引き継ぐ。
要するに、俺はトラウマを抱えちまったって事か。
すぐには解放されないあくどいトラウマを。
はぁ・・・。何だかな・・・。
「その、緊急事態というのは?」
「ユートピアコロニーの民をナデシコへ移動させている時よ」
「その事に関しては私もお礼を言わないとね。ありがとう」
「あ、いえ。お礼なんか言わないで下さい。下手すると被害を与えていたのは俺ですし」
「それでもよ。素直に礼は受け取っておきなさい」
「え、あ、はい。どういたしまして」
イネス女史に礼を言われるとはなぁ。
この人って原作では全然気にしてないみたいな感じだったから、結構冷めた所があると思っていたけど・・・。
そうでもなかったって事か。
そうだよな。誰が一緒にいた人達が押し潰されて喜ぶんだって話だ。
「コウキ君。体調は?」
「あ、いえ。特に問題はありません」
「それなら、ブリッジに行きましょう。色々と意見を訊きたいって艦長が」
俺も状況を把握したいしな。
「分かりました。でも、俺ってここにいなくても大丈夫なんですか?」
「いいですよ。特に問題ありませんから。あ、それともぉ、ここで私と休んでいく? 心身ともに癒してあげるわよ」
わ。怪しい女医さん再登場。
粘り強いね、魔窟の中でも生き残れるかもしれん。
「ちょっと、どういう意味ですか?」
「あら? 若者を導くのが女医の仕事よ」
「違うでしょ! 人の恋人に何を言っているんですか!?」
「もぉ。冗談よ、冗談。本気にしないで。彼氏だっていつもスルーなんだから」
「え? あ、すいません」
シュンとなるミナトさん。
あ。何だか可愛らしい。
「そういう訳で、マエヤマさんの退室を許可します。また来てくださいというのは縁起が悪いですが、お休みになられたい時はいつでもどうぞ」
「ありがとうございます。じゃあ、行きましょうか」
女医さんに向かって一礼してから、医務室を去る。
向かう場所はブリッジ。後ろにはイネス女史とミナトさんが続いている。
「変な女医さんね」
「ハハハ。そうですね」
「私、初めて医務室に来たから驚いたわ」
うん。最初は俺も驚いた。
何もしてない時は普通に癒し系の美人女医なのに。
どうしてあんな妖艶な危ない人になっちゃうんだろう。
「これから私も医務室にいると思うから、いつでもいらっしゃい。貴方はお話相手として楽しそうだもの」
「俺はイネスさんみたいに博識じゃないですから。きっとご期待に沿えないと思いますよ」
「大丈夫よ。何だかんだ言って付いてきそうだもの」
「そうならいいんですけどね」
イネス女史は話のレベルが高そうだ。
お茶目な所もあるから、楽しくはなると思うけど。
「コウキ君。私の事を放っておき過ぎじゃないかしら?」
ジト眼で見詰めてくるミナトさん。
・・・そういえば、ずっと独房にいたし、出たら気絶だしで、ミナトさんと触れ合ってない。
「・・・すいません」
「謝られても困っちゃうんだけどなぁ」
こ、困るといわれても困る!
「じ、時間が出来たら必ず行きますから」
「・・・・・・」
「御願いですから、そう白い眼で見ないで下さい。俺にも色々と事情が」
「ふふふ。分かっているわよ。冗談、冗談」
冗談には見えないんだけど。
まだ眼が笑ってないし。
「私の前で見せ付けてくれるわね」
「・・・あ」
そうだよ。イネス女史もいたんだよ。
あぁ・・・。恥ずかしい。
「あら。初心なのね。これは弄くれって事かしら?」
「コウキ君を弄くれるのは私だけですよ」
「ウフフ。弄られっ子は誰もが弄っていいのよ。そういう星の下に生まれてきたの」
「いえ。私だけです。私こそがコウキ君をもっとも弄れる存在なんです」
あの、俺の前でそんな話はするもんじゃないと思います。
互いに意地を張っているようですが・・・俺の意思は無視ですか?
「と、とりあえずですね。弄らないという方向で話を進めれば―――」
「あ、それはなしね」
「ええ。駄目よ」
な、何故ですかぁ!?
「イネスさんの言葉を借りるみたいだけど、貴方は弄られる為に生まれてきたのよ」
「ええ。貴方程に弄って面白い人はいないと思うわ」
「お、俺としては弄りこそが我が生き甲斐と思っているのですが・・・」
「あら。どっちも対応なんて凄いわね」
「ニュートラル? ハイブリット? どちらにしろ、それもコウキ君の個性よ」
あぁ。駄目だ。
久しぶりに思ったよ。
年上の女性は敵に回しても絶対に勝てない。
というか、この二人が組んだら誰も勝てない気がする。
彼女達に弄られる人を不幸に思いますってか俺じゃん!?
俺って不幸・・・。
「何だかんだいって楽しんでいるんでしょ?」
「え、まぁ。楽しいですから」
実際はそう。弄られるのも悪くない。
楽しいし。むろん、弄るのも好きだけど。
「じゃあいいじゃない」
「自覚はあっても認めちゃいけないんです。認めたら負けですから」
「変な所で男の子なのよね、相変わらず」
「ま、意地っ張りという事でいいじゃない。余計弄りたくなってきたわ」
藪蛇? ミス? 余計な事を言った?
標的にされちまうの? 俺。
「元気出てきたわね」
「・・・え? もしかして、元気付けてくれたんですか?」
そうだよな。
ここ最近色々な事があり過ぎて落ち込んでいたからな。
久しぶりに楽しい気分を味わっている気がする。
「え? 違うわよ」
「え? 違うんですか?」
「ええ。私が楽しんでいただけ」
ええ。ええ。分かっていますよ。
まずは自分が楽しもうという事ですね、ミナトさん。
でも、それも違うって分かっています。
ミナトさんは優しいですから、なんだかんだで結局、俺の為を想ってくれたんですよね。
・・・そうであってください。
「お似合いじゃない。二人とも」
「え? 本当ですか?」
ミナトさんなら俺なんかよりもっと良い男をゲット出来そうだけど。
それでも、お似合いって言われるのは嬉しいな。
ミナトさんは本当に良い女ですから。
「ええ。弄り役と弄られ役。丁度いい配役よ」
・・・あ。そういう意味でしたか。
若干、落ち込む。
「ウフフ。本当に楽しい」
楽しまないで下さい、イネス女史。
そして、ミナトさん、貴方まで何をニヤニヤしているんですか。
「そうそう。コウキ君」
「あ、はい。何ですか?」
「無精ヒゲも中々似合うわよ」
無精ヒゲ?
あ。そうか。俺ってずっと独房だったから・・・。
「あぁ!」
「ど、どうしたのよ? 突然!」
よ、良く考えろよ。
ずっと独房にいたって事は風呂に入ってない。
という事は・・・。
「は、離れて下さい! ミナトさんも! イネスさんも!」
「ど、どういう事よ?」
「あぁ。お年頃だものね」
「え? イネスさん。それって・・・」
・・・はぁ。最悪。
「体臭を気にしているのよ。男の子だって気にするわ」
「あら。そうなの? コウキ君」
「あ、当たり前じゃないですか! ずっと風呂入ってないんですよ」
汗臭いのとか嫌われるじゃん。
誰だって好きな人に臭いなんて思われたくない。
「私は大丈夫よ」
ちょ、ちょっと!
言った傍から近付こうとしないでいただきたい!
「ミナトさん。自分がもし汗臭かったら誰にも近付かないでしょ?」
「ええ。でも、コウキ君は迎え入れてくれるでしょ?」
「え? そりゃあミナトさんですから、拒みませんよ。汗臭いぐらいじゃ」
「じゃあ、私もそういう事よ。気にしないわ」
「俺が気にします!」
受け入れてくれるっていうのは嬉しいけど。
それでも、やっぱりわざわざ臭いと思われるのはヤダ。
「初心ねぇ。人によっては汗臭いのが好きって人もいるのに」
「それは特殊な人です!」
「あら? いいじゃない。男の汗ってそそられるものよ」
「え? ミナトさんも特殊な人ですか?」
「あ。私は違うけど」
「じゃあ、駄目です!」
あぁ。風呂に入りたい。
でも、状況が許さないだろうな。
ま、駄目もとで。
「あの・・・風呂入ってもいいですか?」
「駄目よ。そんな余裕はないわ。今でも緊急事態は脱してないもの」
「コウキ君。一人だけお風呂に入っていたら怒られるわよ」
ですよねぇ~。
「じゃあ、これ使う?」
そう言って渡されるのは香水。
ないよりはあった方がいい。
「えぇっと」
腕にちょっとだけ吹きかけて、匂いを嗅ぐ。
「へぇ。甘い匂いですね」
「この匂いが好きなのよね。コウキ君は爽やか路線だから丁度いいんじゃない?」
「じゃあ、お借りしますね」
目立たない程度に吹きかける。
腕やって、耳の後ろやって、最後にちょっと服にかけて、おし、完璧。
「こうやって貴方色に染めるのね」
「香水を恋人にプレゼントする気持ちが分かりました」
「あら。惚気てくれちゃって」
へぇ。香水をプレゼントか。
今度考えてみようかな。
「でも、あれね、臭いのを香水で誤魔化すっていうのは歴史を感じるわね」
「え? どういう意味ですか?」
「あぁ。あれですよね。平安時代とか、某革命の国とか」
「あら。知っているの?」
「ええ。それなりに」
服装の手間からお風呂に入らないで、匂いを香水で誤魔化していたりとか。
肉食で体臭が気になるから香水産業が発達していたりとか。
確かにそう言われてみれば、歴史を感じるかもしれない。
「私だけ置いてけぼりじゃない」
「ほら。やっぱり何だかんだいって付いて来る」
「偶然ですよ。偶然知っていただけです」
うん。偶然だよ。
イネス女史には通常状態では絶対に敵わない。
遺跡にアクセスすれば別だけど。
「ウフフ。興味が湧いてきたわ、貴方に」
やばい。チェックされた。
「イネスさん、駄目ですよ」
「大丈夫よ。そういう意味じゃないから」
そ、それはそれで悲しいような・・・。
イネスさんも美人だしな。変わっている、うん、凄く変わっているけど。
「コウキ君もデレッとしないの」
「し、していません」
「あら? 私って魅力ないかしら?」
「あ、いえ、そんな事ないですよ。魅力的です」
「ウフッ。ありがと」
「コウキ君! 恋人の前で口説くなんて何を考えているの!?」
「す、すいません!」
ぐわぁ!
どうすればいいんだぁ!?
「っと。着いたわね」
あ。いつの間に。
「時間が忘れられたでしょう?」
「え、あ、まぁ。楽しめました」
「そう。それが弄られ役の利点よ。何もしなくても楽しめられる」
「・・・さいですか」
・・・嬉しくないですよ、その利点。
俺は弄って笑いを取るタイプなのに。
「いるのよね。弄られキャラなのに弄りキャラだって勘違いしている子って」
あ。俺の事ですか。
「い、行きましょう!」
「誤魔化しちゃって」
「さぁ、私の説明の時間ね」
説明大好きですよね、イネス女史。
「あ。マエヤマさん」
ブリッジに入った途端向けられる視線。
・・・皆して俺の方を見なくてもいいのに。
「あの・・・大丈夫なんですか?」
心配そうに訊いてくるユリカ嬢。
何か、落ち込んでいる?
「大丈夫ですけど、どうかしました?」
「えぇっと、私のせいでマエヤマさんに辛い思いを」
あ。艦長命令だったんだ。
「えぇっとですね、謝ってもらっても、覚えてないので」
「え? 覚えてない?」
「心的外傷を抱える人にとっては珍しい事じゃないわよ。トラウマから心を護る為にね」
「そ、そうですか」
えぇっと、とりあえず、俺の席に戻るか。
「あ。マエヤマさんはあちらの席に座ってください」
「あちら?」
あれって、今は亡きキノコ副提督の席じゃないですか?
フクベ提督の隣の。
「えぇっと、何でですか?」
「え、あ、いやぁ。ここならすぐに相談できるかなって」
「え~と、なら、いいですけど」
何かしらの理由があるんだろう。
艦長命令みたいなもんだし、素直に座るか。
「じゃあ、ミナトさん、俺はあっちみたいなので」
「ええ。分かったわ」
「それなら、私はコウキ君に付いていこうかしら。情報交換したいし」
「イネスさん。くれぐれも」
「ウフフ。貴方こそ可愛らしいわね。嫉妬だなんて」
「そ、そんな事ありません」
「ま、いいわ。心配しないで。ただのお話相手よ、お話相手」
えっと、嫉妬してもらっているんだ。
何だか嬉しいな。
「貴方も単純ね」
「・・・えぇっと、顔に出ています」
「頬を緩めてれば分かるわ」
そんな呆れた眼で見ないで下さい。
嬉しいんだから仕方ないです。
「それじゃあ、マエヤマさんは元気という訳ですか?」
「そうですね。トラウマって突然言われてもよく分からないですし」
「そ、そうですか。安心しました」
「ご心配をおかけしました。皆さんも本当にすいません」
ユリカ嬢だけではあく、全ブリッジクルー、パイロット組にも頭を下げる。
何だか、最近は迷惑をかけてばかりだ。それに、謝ってばかりだと思う。
「おうおう。今回は素直に助かったからな。褒める事はあっても責める事はねぇよ」
「助かったよぉ。コウキ。結構あの状況は辛かったからね」
「そう? でも、俺何も覚えてないから」
「ま、それでもさ。ありがとうはありがとうだよ」
「蟻が十・・・なんでもないわ」
「あ、はぁ・・・」
「おう。コウキ。元気そうで何よりだ」
「ああ。ガイ。相変わらず熱いな」
「ハッハッハ。まぁな」
「別に褒めてないけど」
「マエヤマ。平気か?」
「今の所は大丈夫です。トラウマと言われても何があったか覚えてないので」
「そうか。しばらくはコンソールに触れずに艦長の相談役になってやれ」
「はぁ・・・。テンカワさんがそう言うのなら」
「頼むぞ」
パイロット組は相変わらず元気だなと何故か感心してしまう。
結構、今の状況って厳しいんじゃないの?
「体調はどうだ? マエヤマ」
「元気そのものですよ。異常は感じません」
「そうか。それは良かった」
「ところで、俺の謹慎期間はどうなりました? しばらくしたらまた独房ですか?」
「いやはや。マエヤマさんにはご迷惑をおかけしましたからな。先程の件で放免と致します」
「そうですか。助かりました。独房は辛いので」
「そうですな。私も二度と入りたくありません」
あ、貴方は何をしたんですか?
「マエヤマ。元気そうで良かったよ」
「えぇっと・・・」
「ジュンだよ! アオイ・ジュン! 副長の! 一緒にブリッジ当番した仲だろ!?」
「えっと、知っていますよ」
「・・・え?」
「何て答えようか迷っていただけです」
「そ、そんな、僕の勘違いというのか!?」
「副長。影が薄いって自覚あったんですね」
「クソォーーー!」
クックック。オモシロ。
「なるほど。貴方の弄りスキルも中々ね」
「ナデシコは面白い人ばかりですね。俺の弄り心をくすぐるんです」
「私もコウキ君を見ていると弄り心がくすぐられるわ」
「イネスさん。勘弁してください」
「ウフフ。冗談よ」
絶対に冗談じゃねぇ。
「マエヤマさん。大丈夫ですか?」
「あ。メグミさん。心配かけてごめんね」
「いえ。大丈夫ですよ。あの・・・」
「ん? 何?」
「ミナトさんに気を付けてください。では」
一方的に言って去っていくメグミさん。
気を付けろって何をさ?
「・・・コウキ」
「・・・コウキさん」
「あ。ルリちゃんにラピスちゃん。ごめんね。大事な時に」
「いえ。私が情けないからコウキさんに辛い思いを」
「・・・ごめん、コウキ」
「えっと、何があったかは覚えてないけど、これだけは言える。二人は全然悪くない。悪いのは俺」
「・・・でも・・・」
「二人は頑張っているよ。俺がいなくてもいいぐらい」
「コウキさんは必要な方です。ブリッジクルーの中でも欠かす事のできない重要な方です」
「・・・コウキ。いなくてもいいなんて言っちゃ駄目。悲しくなる」
「うん。そうだね。ありがとう。ルリちゃん、ラピスちゃん」
「はい」
「・・・うん」
本当に和解できて良かったと思う。
こうやって可愛らしい笑顔を見られただけで満足してしまう自分がいるのは何故だろう?
・・・うん。やっぱり女の子には勝てないね。
「・・・コウキさん」
「・・・セレスちゃん。心配かけ―――」
「・・・コウキさん!」
・・・抱き付かれた。
席に座っている俺を脇から。
「・・・ずっと、ずっと心配でした。コウキさんがいなくなっちゃうんじゃないかって」
「・・・セレスちゃん」
「・・・やっとコウキさんの姿を見られたと思ったら今度はあんな事になっちゃって。どうしたらいいか分からなくて」
必死に言葉を紡いでくれるセレス嬢。
頬を涙で濡らして、身体を震わせながら必死に・・・。
俺はこんなに小さな子にも心配かけていたんだな。
俺って、馬鹿野郎だよ、本当に。
「ありがとう、セレスちゃん」
「・・・え?」
抱きついてくるセレス嬢を抱き上げて、膝に座らせる。
正面に見えるセレス嬢の顔は涙で濡れながらも驚いた顔で、場違いながらも微笑ましさを誘った。
「心配してくれてありがとう。ごめんね、心配かけて」
「・・・いえ。無事に帰ってきてくれました。それだけで充分です」
「そっか。本当にありがとう」
涙を拭こうと目元を手でこするセレス嬢。
俺は頭に手を置いて、ゆっくり頭を撫でつつ、目元から涙を払う。
「・・・あの」
「嫌かな?」
「・・・いえ。気持ち良いです」
そう言って恥ずかしそうに笑うセレス嬢。
それが本当に可愛らしくてゴシゴシと強めに頭を撫でてしまう。
「・・・痛いです」
上目遣いで睨んでくるセレス嬢。
怒っても可愛らしさしか感じられないから不思議だ。
「ごめん。ごめん」
ちょっと失敗したな。
優しく。優しくっと。
「・・・あ。気持ちいいです」
「それは良かった」
「・・・え?」
セレスちゃんをもう一度抱きかかえて、セレスちゃんの向きを変える。
小さな背中を胸で支えるような形だ。
「・・・安心します。それに、とっても暖かいです」
「そっか。じゃあ、いつでもおいで。またしてあげるから」
「・・・はい。じゃあ、あの、その・・・今から御願いできますか?」
「うん。いいよ」
可愛らしくて、微笑ましくて。
俺の気持ちも癒された。
「・・・女誑しね」
「イネスさん、失礼ですね。誰だってこの可愛らしさには勝てません」
「その言葉は否定しないけど、貴方は女誑し決定よ」
何故女誑しなんだか。
あぁ。昔を思い出すなぁ。
こうやって従妹を膝に乗せていた気がする。
「凄く癒されているね、コウキ」
「でも、微笑ましいじゃない」
「そうだね。うん。良い絵だよ」
「いい事じゃねぇか。どっちも嬉しそうなんだしよ」
「セレス、良かったな。お前の恩人は優しい奴だぞ」
「良かったですね、セレス」
「・・・セレス、嬉しそう」
「羨ましいぃ~。私もアキトにああされたい」
「サ、サイズ的に無理だよ。ユリカ」
「あぁ! ジュン君! それは太ったって言いたいの?」
「ち、違うよ。そうじゃなくて」
「えぇ~ん。そんな事ないのにぃ~。ジュン君なんて大っ嫌い!」
「ユ、ユリカァ~。ごめんよぉ」
「なるほど。あれがマエヤマさんの言う温もりという奴ですか。確かに癒されますな。いやはや。勉強になります」
「・・・む」
「・・・良かったわね。コウキ君、セレスちゃん」
「ガイさん! 私達も!」
「おう! メグミ!」
ガツンッ!
「イテッ!」
「てめぇはこんな状況で何しようとしてんだよ!?」
「な、何故だ!? 何故、コウキが許されて俺達は許されない」
「当たり前だろうが!」
ガツンッ!
「グハッ!」
「てめぇらとあいつらじゃ全然違ぇんだよ!」
「り、理不尽だぁ!」
「うっせぇ!」
ガツンッ!
「さ、三連続は辛いっすぅ」
ご愁傷様、ガイ。
「マエヤマと言ったな」
ブリッジの至る所で起こるドタバタな雰囲気を楽しんでいると、横から提督に話しかけられた。
そういえば、提督ときちんと話すのは初めてかな。
「はい。提督」
膝の上にセレスちゃんがいるけど、このままでいいのかな。
ま、まぁ、大丈夫だろう。
「君は火星育ちだと聞いた」
「ええ。地球で生まれましたが、親の都合で火星へやってきました」
経歴の設定ではだけど。
「それならば、さぞワシを恨んでいるじゃろうな」
「フクベ提督を?」
「ワシはユートピアコロニーを滅ぼし、火星を見捨てて逃げた」
フクベ提督の自責の念。
きっとフクベ提督もテンカワさんと同じように何度も悪夢を見たんだろうな。
罪を背負いたいと思って地球に帰れば、初めてチューリップを落とした英雄として祀り上げられて。
罪人であるのに英雄扱いされる。それが、どれだけ心を傷つけたから分からない。
もしかしたら、フクベ提督は断罪されに火星にやってきたのかもな。
「護るべき火星の民を見捨てて逃げたんじゃ。軽蔑するじゃろ?」
俺は何て答えればいいんだろう。
火星にいた訳でもない。火星に思い入れがある訳でもない。
何て答えるべきなのか、俺には分かる訳がなかった。
「フクベ提督」
「・・・何じゃ?」
「俺は火星大戦の時には地球にいました。実際に被害にあった訳ではない俺には何も言えません」
「・・・そうか。じゃが、火星には友人もいたのじゃろ? それに、両親の墓や思い入れがある場所もあった筈じゃ」
友達もいなければ、両親の墓もありませんよ。
「え? マエヤマさんって両親いないんですか?」
「ユ、ユリカ! 話の邪魔をしちゃ駄目だよ」
「で、でも・・・」
ユリカ嬢、相変わらず気楽ですね。
でも、今回は助かりました。
「俺は貴方の事をどうも思っていません。ナデシコを見てれば大戦当時では対処のしようがなかった事は分かりますから」
「・・・そうか」
「それと、謝りたいのなら、俺なんかではなく、実際に火星で苦しんだ方々に謝ってください」
原作では救出に失敗した火星の民が実際にいるんだ。
自分の思いを伝えたいのなら、彼らにすべきだと思う。
「フレサンジュ博士はワシを恨んでいるか?」
「もちろんよ。断じて許せない」
「・・・そうか」
・・・容赦ないですね、イネス女史。
「私はナデシコを設計した。だから、DFやGBの事については熟知している。でも、それとこれは関係ない」
戦力差と見捨てて逃げた事に関係はないという事だろう。
「軍が火星を見捨ててからの一年間。多くの者が死んでいったわ。それを私は間近で見ているの」
死を眼の前で実感する。
なんて辛い事だろう。なんて悲しい事だろう。
「そのファクターである貴方を私は絶対に許さない」
「・・・そうか」
全ての要因が軍にある訳ではない。
無論、一番悪いのは木連なのだ。
だが、その存在が知られない以上、全ての矛先が軍に向かうのも仕方がない事だと思う。
その中でも司令だったフクベ提督は尚更。
「と、言えば、満足してもらえるのかしら?」
「・・・え?」
先程までの睨んだような視線は緩まり、いつものイネス女史に戻った。
え? 何だったんだ? 今の。
「私は人とはここが違うの」
そう言って自分の胸を指差すイネス女史。
「あ。胸って意味じゃないわよ。心って意味」
「何で俺に向かって言うんですか?」
「面白そうだから」
いちいち俺で遊ばないで下さい。
「・・・私の胸は違いませんか?」
「セ、セレスちゃん。気にしないでいいから」
「・・・あ、はい」
ほら。セレスちゃんまで反応しちゃう。
イネス女史、自重してください。
「イネスさん。教育に悪いですから」
「あら? 別に私は悪くないじゃない」
「・・・分かりましたから、続きをどうぞ」
「じゃあ、そうさせてもらうわね」
勘弁してください。疲れますから。
あぁ。セレス嬢に癒される。
「自分の周りで誰が死のうと何とも思わないわ。何か分からないけど、いつも心がすっぽりと空いているのよ。何があっても埋まらない」
幼少時の記憶を失った事による弊害。
イネス女史は過去を探している。
見つけるまで心が満たされる事はない。
「だから、何があっても何とも思わない。おかしいでしょう? でも、それが私の平常」
そう告げるイネス女史はどこか寂しそうに見える。
原作ではアキト青年がイネス女史の心を満たしてあげていた。
それなら、今回はどうなんだろう?
また、テンカワさんがイネス女史の心を満たしてあげるのだろうか?
「・・・・・・」
「・・・・・・」
テンカワさんに視線を向ける。
テンカワさんは苦々しい顔をしてイネス女史を見ていた。
今、テンカワさんは何を考え、何を思いあのような顔をしているんだろうか。
「それならば、何故、先程のような事を?」
「そう言って欲しかったのではないですか? 貴方は」
「ッ!?」
イネス女史の鋭い一言にフクベ提督が息を呑む。
「そうやって、火星の人間から罵声を浴びる事で自己満足しているのでしょう? 勝手に断罪された気になっているのでしょう?」
「・・・・・・」
「私は貴方に恨み言を言う為に生きているんじゃないの。正直言って、貴方なんてどうでもいいわ。ましてや、貴方の自己満足に付き合うなんて論外ね」
「・・・ああ。そうじゃ。ワシは断罪されたい。罵声を浴び、罪の意識を和らげたいだけじゃ」
疲れた老人。
今のフクベ提督を見て、誰もがそう思うだろう。
それ程に彼の顔は苦悩に満ちていた。
「それを私に言ってどうして欲しいの? 今度は慰めて欲しいの? 貴方は悪くないですよって」
「フレサンジュ博士。言い過ぎですぞ!」
「プロスさん。私には彼にそう言えるだけの権利があるの。黙っていて頂けるかしら」
「・・・そ、それは・・・分かりました」
「勝手にやっていて欲しいわ。私達は今を生きるだけで精一杯だった。今更、貴方が何と言おうと貴方に対する憎しみが失われる訳じゃない」
「・・・・・・」
「言いたかった事はそれだけよ。後は助けられた火星の人達に訊いてきなさい。彼らなら貴方の自己満足に付き合ってくれるかもしれないわよ」
それだけ言って興味なさそうに視線を逸らすイネス女史。
どうでもいいと言いつつ、イネス女史にフクベ提督を恨む気持ちがない訳ではない。
事実、イネス女史も苦しい一年間を味あわされたのだから。
「イネスさん」
「あら? 弄くって欲しいの?」
「違います」
この人は・・・。
心配しているってのに。
「大丈夫よ。心配しなくて」
「え?」
「顔に出ているわよ。だから、弄くられるの」
ハァ・・・と呆れた眼で見てくるイネス女史。
えぇっと、俺にどうしろと?
「機影反応。・・・これは、地球連合軍所属クロッカスです」
何ともいえない空気の中、突然のルリ嬢からの報告。
その声に気付いて、誰もが迅速な対応を取る。
・・・ようやく火星脱出の時がやってくるんだな。
地球人にとって初めての戦艦でのボソンジャンプでの。