IS Inside/Saddo   作:真下屋

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しとど晴天大迷惑 / 米津玄師


OutLine-SSBS:しとど晴天大迷惑

 

 

 学校の課題、と言われて想起するものなど各々さまざまだろうが。

 最たるものとして明示するならば、やはり作文というやつではないだろうか。

 

 高校生なり大学生なりなら少なからず専攻する分野ゆえに、それこそ一般的に認知されていないもののほうにこそ、いわゆる『あるある』的な茶化し具合で共感できるものがあるのかもしれないが。けれど義務教育という、ごく特殊な境遇を除外すればすべての人間が経験したことがある──経験中の──括りを用いると、ひどく納得は型に嵌る。

 

 作文。

 書いたことがないやつはいないだろう。

 

 小学校・中学校の定番の、面倒な宿題といえばこれだ。

 テーマはさまざまだが、時期としては年度の開始であったり、または学期末であったり、なにかしらの学内行事が催されるたびに、要求される、一種の感想文。修学旅行の感想文すら求められたことがあるやつもいるんじゃないだろうか? おおよそ、行事のたびに課せられることなんだろう。十中八九、きらいなやつが、面倒に思うやつのほうが大多数だ。だってそうだろう? 普遍的な話として、活字が苦手な子どもが一〇〇のパーセンテージに隣接している。誰だって得意じゃない。

 作文がすきかきらいかはまあ置いといて。

 俺はそうでもなかったな、なんておまえの思い出は置いといて。

 

 そうした作文のもろもろは、真面目なところ、日本風の自分探しの初歩であると思う。

 

 若干の誤解を孕む言い回しかもしれないが、なんて頭につければそれこそ誤解せずにこの言葉の意味を理解してくれるだろう。つっても努めて言いたい、気取ってるわけじゃないと。

 自分探し──自分を知る、考える。あるいは求め、または欲求を知る。

 学校によって教師が違うし方針も違う、ともなれば毎度与えられるテーマも全国共通のものとはいえないだろうけど。

 しかしおそらく、どの世代どの地域あるいは大きく出てどの国の教育機関ですら採用されているだろうと思しき議題も、無論ある。

 

 曰く『自分の名前の由来』。

 

 曰く『将来なりたいもの』。

 

 曰く『自分の家族のこと』。

 

 曰く、曰く、きっとまだまだ共通的なお題目があるんだろうが、なにもそんなところを掘り下げてどうだと議論したいわけじゃない。そんな七面倒臭い不思議発見は夏休みの自由研究に預けるとして、これらに確とした否定の投げつける人間はいないはずだ。本当にやったことがない小数は特殊例として尊重するにしたって、斜めな意見を吠える発達障害たちは行燈で自分の影と遊んでいればいい。

 と、つまりはそうした、人の成長に欠かせない必須の項目というものが存在する。平均して、小学校の低学年、あるいは中学校の半分を過ごしたあたりに今一度投げかけられる、己への問いかけ。そうした話に取り組むともなれば、そら。否が応にも自分ってやつを考えざる得ないだろ?

 ある種の強制だから自発性に乏しい点ををウィークポイントとして確立してるが、それがきっかけになることもまた、間違いない。いずれにしろ、捻りがなくて普遍的な議題だからこそ、万人納得の大問題だ。

 

 自分の名前という、己から問う基幹への命題。

 確か、小学校の二年生のときだったろう。

 母に、己の名前の由来を訊いたのは。

 

『あなたの名前は、力強く根付く人であって欲しいという願いから』

『自由奔放、我が道を往く。何かしらの野望に従って進む人もすごいけど。私は、出来れば、貴方に。

 強く、強く、誰より強く地に立って揺るがない、そんなたくましい人間に育って欲しい』

 

 強い人間、たくましい男。ふらふらとしないで真っ直ぐ伸びる大木のような。不動に一本気で誠実な人。いろいろ二次解釈もできそうだが、つまるところ、根無し草みたいなちゃらんぽらんは止めてほしいとか、そういう理由だったようだ。身も蓋もない言いざまなんだが、だってそうだろ? でなけりゃ人の名前で『根付く』なんていわないだろ。

 まぁでも? それでもこの名前はきらいじゃない。そうした母の願いが込められて、そういう思いが込められて、──すきにならない理由がないとも。でも、だから。

 だからその由来にチラつく母の顔……対比するようなその錯覚がいやな感じで。

 

 将来という、自ら裡に問う、己が思う己への命題。

 確か、小学校三年生のときだったろう。

 母に、将来なりたいものを話したのは。

 『将来の夢はシュレッダー機』。

 いま思うも謎めいているが、そんなことを大真面目に考えていて。

 

『あっはははははははは! あんた……、そ、それっ、く、くく……しゅれだーに、なりたい! ぶ、ははははははははっ!!』

 

 感情が豊かな母であるが、こうも大爆笑されるとは思っていなかった。以降はもうエンドレス、笑っては堪えて吹き出して、また哄笑。貯蔵された酸素を全力で燃焼させる大笑いの怒涛は、正直息子からみてもドン引きというか。笑われる恥ずかしさ通り越した新たな境地が見えたというか。いいやそれより、それを未だにこの歳になってもネタにされる。まったく、これだから女は変に記憶力がよくて困る。とうの自分自身、当時なにがどうなってそんなことを口走ったのか皆目検討、心当たりがない。けれどきっと、母に言って主張しようと思ったことだ。幼心に本気の本気で、考えていたんだろう。愉快な黒歴史だと、いまさらながら。でも、だから。

 だからその夢にチラつく母の目……懐かしむような錯覚がいやな感じで。

 

 そして、自分の家族という、己に問う環境への命題。

 それは間違いなく、小学校四年生のとき。

 宿題として与えられて、いつものように真面目に取り組んで、ちょいちょいと母に小馬鹿にされながら書き上げて、学校で発表した。よくやらなかったか? みんなの前で作文読み上げるやる。大概に、それは授業参観のときが多く、そしてご他聞にもれず、その日ももちろんそうだった。

 みなの親が、家族が、うしろで己らを見守っているという、なんとも忌々しくて気恥ずかしい、あの照れ臭い時間。こんななかで自分が作った作文を、それも見学にきている当人らを綴った赤裸々な想いを語るのは、ああ。幼少期のもはや通過儀礼なのかもしれない。

 そして始まる。

 出だしは、うん。みんな対して変わり映えはしないけど。

 

 『ぼくのお母さんは──』

 

 『あたしのお爺ちゃんは──』

 

 『おれの兄ちゃんは──』

 

 『ばーちゃんは──』

 

 『いもうとは──』

 

 『弟は──』

 

 『兄さんは──』

 

 『おねえちゃんは──』

 

 

 

「ぼくの母さんは」

 

 

 

 

 

 ────わたしのお父さんは。

 

 

 

 

 

 そしてオレは、自分に父がいないことに気がついた。

 

 

 

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 ──それは一〇〇万の切先の錯覚。

 

 山中深くに立ち込める濃霧はまるで灼熱に踊る戦場のように、煙る血風の饐える熱波。

 

 山中は早朝。

 朝露の残る草木のさまが瑞々しい。

 いくら四月といえど早朝は冬の残滓がごとく冷たくて、さらには人里離れた山奥ときた。人の光が、存在が遠い場所ということも相まって、思わず初春ということを忘れさせる。

 だが朝霧を深々と吸い込む肺腑は清々しくて、木の葉に紛れて入射する朝日のか細さは、まるで尊い宝物に似て心地よい。早起きは三文の徳、なんて言葉に代表される通り、早起きというものになにかしらの清爽さを感じるのは、勤勉な日本人の精一杯の洒落かもしれない。肌を撫でる低温、染み込む霞、けれども昇り行く太陽は始まりの温度だ。今日はいい天気になる。

 そういう至福の合切を一切と別にして。

 そういう奇跡の全体を死体(しにたい)(よし)にして。

 それは、感情すら載せない鋭利の大軍団。

 

 

 端的に言おう──ここは死地だ。

 

 

 刃を向けられている感覚だった。

 切先に囲まれている感覚だった。

 静寂の森林が、燃えている錯覚がした。

 気温に頓着しない。濃霧に混在しない。朝日に感謝しない。外的要因のすべてを掛け替えのない一期一会の絵画としながら、画布に筆を突き立てることに違和を覚えない正統とする。森羅のあらゆる重要な中心の柔らかいところを知りながら、外側から打ち砕く無粋さを選り好む。滅茶苦茶で破茶滅茶、破天荒。ひたすらに鉄火、鉄火、鉄火! 柄も鞘も両刃の刀で吶喊するチャンバラヤンキー、人間大の戦場だ。

 闘争のすべてをかき集めてできているような。

 死闘の『おいしいところだけ』で構成されているような。

 修羅場と崖っぷちを背水の陣で鍛え上げた一騎駆け、そんな存在。

 そんな一〇〇万回の一撃。

 必殺を一〇〇万回で編んだ、全方位死角なしの赫灼剣軍。

 紛れもなく人間。

 

 たった一人の人間の戦意が取り囲んでいる。

 

 立ち込める濃霧にも減退せずに、圧倒的な重圧だけはありありと。それでいてその姿は露とも視界に映らず、掠めず、捕らえられない。誇張ではなく、透明人間のほうが実に目に優しい間違い探しだ。大気に同化するとかそんな陳腐な表現じゃない。確固と存在を確立させて、堂々と隠れ潜んでオレを威圧している。

 重圧、威圧、剣圧、死地の風。

 大殺界スーパー殺気そうハチャメチャやって逢瀬の隙間っとくれば、どんな顔すりゃいいんだ。

 

「臆することはない。心が死んでも体は動くが、そんな超人の教えなぞはきみの望むところじゃないだろう?

 心で聞け。心で見ろ。心で戦え。外と内に確と線を引きたまえ」

 

 声が聞こえる。どこからかは判らない。

 それはこの重圧の主。一〇〇万剣の造物主。

 実際剣なぞ使わぬ。この人の武器は拳だ。空飛ぶ兵器すら一撫での拳。戦意が尖り過ぎて、剣の筵に立たされている気分でしかないが。

 耳に届くのはまるで念話だ。脳裏に響いてくるように、一方的に語りかけられる。それに答える余裕はない。せいぜい聞き流すにいっぱいいっぱいで、理解に一ミクロンでも意識を裂いたらそこから自我が崩壊する、そうとも。こんな語り掛けすら暴力的に脳症を殴打している。

 一層、毛穴が開く。

 雑巾絞りの最後の一滴で、珠の汗がまた増える。

 産毛が直立し、うなじの辺りで逆立っているのは髪の毛か。

 ──この生まれながらの浮遊感をもってして、極彩紅の犀利は鮮明で。

 

 知覚する──この切先、対抗する術はない。

 

 隔絶していた。格別だった。

 今日の夕食の話をしているなかでひたすら性善説について議論しているような、どうしようもない隔たりの滑稽さだった。だが。

 だが。

 だが、対抗できないだけである。

 この殺意に抗することなどできるわけがない。これはそうした論をする前段階から破滅している暴力の疾走だ。もしもなにかを持ち得て打倒するなら、国家戦力級の戦意を一個人大に束ねて用意せねば議論の域に立てもしまい。

 だが、それだけなのだ。

 方法はある。

 打破する活路が存在する。

 

 ────『(セン)』を取ればいい。

 

 攻撃に攻撃を、威力に威力を、武威に武威をぶつけて鍔迫るのではない。

 攻撃を、威力を、武威を発揮するその直前、その意志の発生を先んじて潰す。

 

 無想。

 絵空事である。

 

 耳で聞き、脳で処理し、そして心で識別する。

 目で見て、脳で処理し、そして心で記憶する。

 脳で考え、脳で処理し、そして心で熱血する。

 ならば肉体が確と感知している五感を統合する直感をいくら精緻精密の領域に昇華しようとも、活動を活躍する拳弾にしかなり得ない。どのような優れた感覚を持ち得ども、心/主観を絶対視する以上、客観などいう感性はまやかしである。人間外の存在が知覚した事実こそ、真に客観と呼べる事実である。

 人は知性と意思で駆動する生命体である。ならばそれを放棄して活動できる道理など存在しない。無想(オモワズ)など、そも理などとも称せぬ理不尽だ。石や霞、はては植物にでもならなければ実現し得ない。

 では、『(セン)』を取ることは不可能であるか?

 否。

 不可能ではない。決して夢物語ではない。

 たとえどれほど至難苦難大困難だろうと、決して枕物語の話ではない。

 攻撃するという意思の発生に先んじて起動する──それを成し遂げる術がある。

 

 無我。

 そう呼ばれる理念がある。

 

 字面のごとく、我を無くす。我無(ココロアラズ)。自身の宇宙を虚無として駆動する極地。

 無想とは似て非なる。

 無想とは自身の外を無とする理合いだ。己が執着し得る周囲の外来、それら一切の価値を不問とし、無用にし、我関せずと存在の埒外とする。宿敵、復讐、忠義、友愛、義理、人情、羨望、親愛、なににも想わず。惹かれず。頓着しない。勝敗ですらどうでもよい。

 ただ、身体の真実に駆動する。ただ、存在の意味に立脚する。

 ゆえに無想。外部に依存しない深遠の武威。

 それをして、無我とは。

 己を必須としない。己に頓着しない。自身の価値も意味も己に起因として発しない。

 内を無とする、理合い。肉のみとなる絶技。──では、そうしたらなにが残る? なにができる?

 ゼロになった己と身体を残して、確と存在する外部(セカイ)を残して、なにが成立する?

 簡単である。

 外部に依存する装置。それだけの機構(システム)が完成する。

 外来の求める命令通りに駆動し、忠実に実行する、鋼鉄製のアンチ・ツァラトゥストラが完成する。ゆえにそれは人間では到達できない領域の武威を出力するに至るのか。

 ゆえに無我。内部に起因しない冷徹の装置。

 

 つまるところ、入力系統の最適化である。

 師、曰く。オレの師匠様曰くそういうことらしい。

 

 正直、なんて改まる必要がないくらいには意味が不明だし、よしんば理解に努力を裂いたとして、生涯一片でも解読できると思わない。どこの言語だよ。宗教勧誘なら郊外でやってくれ。しかし、けれど。

 純然たるものもある。わからないという事実ゆえに浮き彫りとなる明白の事実がある。

 その意味はなんにしろ。真意はいずれにしろ。

 天賦を必須とする無想。捨身を必要とする無我。

 誰にでも至れない無明を目指すのなら無想であり、誰もが憧憬を抱くものが無想である。

 誰でも到達しうるおそれを説くならば無我であり、誰もが嫌悪を示すものが無我である。

 そしてそうでもしなければ、『(セン)』の理は成しえない。魔技理論(ラディカル・アーツ)は完成しない。

 

 

「否」

 

 

 ──()()()()()

 それでも成る。魔技理論(ラディカル・アーツ)は成る。

 人間理論は実現する。

 では。

 では。では。では。

 その理合いはなんとする。その理合いをなんとする。

 師は語る。死地の魔人は語る。死地に生きる捨て身が語る。

 鉄火は未だ、修羅が今だ。清爽の朝焼けを鉄風に変えて、朝露をガンオイルと加熱して。動く戦乱の錯覚を周囲に感染させる悪性腫瘍、一人の戦場。はた迷惑を塗り固めた戦火の鬼が、人の理を信じている。人間の理合いを口伝する。

 白熱した脳漿では物理法則なんか突き抜けた到達点に三周を突破したことわりを掴む事も叶わずファジーな感覚だけがどうしなければならないかと有機細胞を活動させ沸騰した血液だけが爆発の瞬間へと疾やてが如く置いてきぼり。

 その理を────

 

 

「    、ィ」

 

 

 そうして放たれた風船から閃く拳弾が、一〇〇万の拳撃を打ち抜いた。

 

 

 

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「きみは見ていて厭きるな」

 

 オレが知り得る最強の人類との手合わせのあと。

 笹目大地が師事する仙人もどきは、揮発する汗の清涼感よりも冷たくそう言った。

 鍛錬のあとはいつもそう言っていた。

 

「きみは酷く整然としている。正確といってもよい。

 才能は見た通り凡人と一線を画すし、情熱的に震えるほどに熱血的だ。なのに真に迫るものがない。世界中の凡百が君を『普通じゃない』と断言したとして、それでも私はこう答えよう。君の精緻さはマネキンとの類似性が窺える。はて、瑠璃人形は好みではないのだがね」

 

「師匠、いつもそればっかっすね」

 

「人間はちぐはぐだ。宇宙を煮詰めたよりも煩雑だ。雑多だ。自分ほど複雑に物事を捉えている面倒な人間はいない、そう思ってて大体その通りだ。そういうものだ。

 しかし、すごいな。きみは驚くほどに単調だ。これほど精緻な構築をした人肉を見たことがない。君は正常だ、不気味なほどに」

 

「師匠、師匠。目を見てくれ。それは太陽だ」

 

「はは、誰も気づけないだろうね、きみのその単調さは。完成されつくした地獄の歯車は。

 なにせ見た目、バラバラに鏤められた魔方のようだから」

 

 魔方。

 ルービックキューブ。

 三×三の九面×六面の五四篇の立体パズル。誰でも一度は熱中して、すぐに放り出す、日本人に馴染み深い遊戯。過去さまざまな攻略法が議論され、達人が現れ、今や一つの競技種目として定着している。知らないやつはいない。オレだってやったことがあるし、ある程度のセオリーもわかっている。

 揃えたい色の中心に同色の一片を集めるとか。

 移動させたいところの裏側に色を持ってくるのだとか。

 そしてオレをそういうものだと、いつも師匠は口にする。

 つまり、それは煩雑としているようで。混沌としているようで。絡まり縺れ統一性のないランダムなものに見えて、その実。

 人間味のある人間のように見えて、実際。

 

「ただ一つの想いに完成しているきみは、不変の輝きを持っているとも。見ていて厭きるな、まったく。

 稀有なことには違いないが、流れ星と大差あるまい。

 ──その点、きみの兄弟子は勝手が悪かったぞ」

 

「話だけ聞くとロクな奴じゃなさそうですけどね」

 

 曰く人。

 曰く混沌。

 曰く不適合。

 曰く不真面目。

 曰く三位一体。

 曰く四番目の真理。

 

 曰く、人間。

 

 天邪鬼な人間らしい。人の悲しみで涙できる心があり、昨日と今日に別の真実を持てる気分屋。燃えるように枯山水で、桃源郷の印象派。正直で、不恰好で、滾っていて、枯れている、憎みながら愛する輩だったらしい。なるほど、そいつは愉快な輩じゃないか。修行一辺倒の魔人様がそらあ、手放しで褒めたがるタイプの人種だ。見ていて飽きない? 聴いている時点でお察しだな。狂喜の坩堝だ。

 とはいってもまあ、軸がぶれている風の子の印象しかないが。

 結局ただのイメージだけど。

 その天啓に握り拳がただ硬く。心臓の真実に真金を成すのは、なぜなのか。

 だから、この人間に不相応な金剛を。

 

「誰がどのように見ても人間らしい人間──に、君は見える。

 悩み、喜び、学び、泣き。恋し、愛され、憎み、欲し、殺す。そんな大層立派な六〇億人の一員に見える。君ほど生命に真摯な人間はいないとの論を俟たないほどだ、憧れる若干名が少なくない数で散見可能だろうさなあ」

 

「んな七面倒なことオレが考えるわけないっすわ」

 

「そう言っている。相も変わらず聡い。

 端的に、君は完成された機構だよ。一本気な漢というやつだ」

 

 言い当ててしまうのは、この人達だけだ。

 『仙人』。

 誰かがいった。この人をそう倣わした。

 なら、それに師事するオレはなんだ?

 ……簡単なこと。シューベルトの魔王に出てくる坊ややらファウストみたいなもんだろう。

 だったらこの先、待っているのはそういう結果か? はっ、それこそ馬鹿を言えよ。

 オレはそうしたものじゃない。そうした真っ当のものじゃない。

 一本気な漢。真っ直ぐな男。

 大地。

 根を張って居つく、不動なる名前。

 ──つまり、オレの許せないものとは、そんなもの。

 

「師匠、それがオレです」

 

 その浮遊感が原初。

 この朦朧体が根源。

 大地と名付けられたオレの構成輪郭と。

 大地と反するオレの原始体験。

 

「それがどうしようもなくオレと呼ばれるやつの実態です。

 生まれそこなったオレの、成りそこないの構造です。

 オレの感動はオレが愛する人からの借り物でしかない」

 

「その借りることができる君の構造を、全人類はずっと欲しているのだろうにね」

 

「関係ない」

 

 オレはそれが許せない。

 そうでしかないことが許せないし、納得できない。

 ほかの誰かが認めてくれても。

 ほかの誰かが受け入れてくれても。

 ほかの誰かが受け止めてくれても。

 ほかの誰かが許してくれても。

 このオレが許さない。

 笹目大地と呼ばれる人間の生まれそこないが、この世界の愛すべき全てのために許せない。

 

「君は、見ていて飽きるな」

 

「なにせ、繰り返す以前に始まっていないもので」

 

「加えて、聡いときた。実に稀有な子だきみは。

 よろしい。私はかように滑稽なきみを笑顔で送り出そう。

 ならば選別だ、祝いの印だ。きみが望むのであれば──きみの代わりに私が立ち合い、打倒しようじゃないか」

 

「ふざけろ」

 

 望みの瞬間をくれるって? メフィストフェレスらないでくれよ。時が止まってんのは相対的な退化と変わらない。ゲーテを引用するやつにはヘッセでも投げつけて自己啓発でもしてろとしか。趣味じゃねーけど。

 過保護すぎるにもほどがある。そんなにオレが好きなのかよ。劇場とでも勘違いしてるのか?

 だが、困ったことに。そんな戯れの類いだが、真面目に結果を考えたところ、言う通りになるだろう。この死地の魔人師匠は軽口を成す。有言実行かくのごとくとの装いで、吐息よりも柔らかにそうしてくれるだろう。

 まったく。

 

「お断りだ。これが『オレの許してはいけないこと』だっつーなら適当決めてくれってとこだけど。

 これは『オレが許せないこと』なんだ。だから、譲れない」

 

 気紛れでオレの葛藤をオジャンにされてたまるか。

 戦いたいならとっとと強敵溢れる戦場におっとり刀で遊びに行ってくれ。

 飢えて厭いてろよ、人間に。

 

 

 

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「…………」

 

 禅を組む。座禅をする。

 禅那。

 寺の一角。一般的に大和七福八宝だかは知らないが、一般的に荘厳だとか言われる寺院のなか。静寂すら仄聞こえる畳の上で、目蓋を閉じて不動となる。

 埋没する。自己にの深奥に墜落する。かぎりなく一番大事な中央をひた目指し、ともすれば五感を振り切って、煩悩・未練・欲望そのほかもろもろのあらゆる思考を閉鎖してゼロになる。

 というのは誤解である。

 

 禅は、簡潔になにも考えないということ。

 そも、目的がない行いだ。

 

 宗派によって違いはあるが、まあこの場では、禅はそういう行いのものだと思ってくれ。

 修行僧が得を高める為、悟りへ至る為ってのは置いといて、だ。

 そしてその解釈の上でいう。

 そんなものとは無縁に、無思慮に、無関係に、座禅している。

 この部屋にはオレしかおらず、坊さんはおろか、誰もいない。妙に広い畳の間で、ぽつんと一人座っている。ともすれば邪念が一度入れば見守る者もいない都合上、警策に殴打されることもなく、自分勝手に思考が深く繰り返されてしまうだろう……なんて言い回しのこと。オレは別段そんな事態になっていない、という言い方をなおのこと邪念というのかもしれないが。

 生憎仏教徒じゃないんで、どうでもいい。

 無限後退もどきは終わり。

 けれど、禅はブレない。

 

 予感があった。

 

 天啓のようなものだった。

 神やら仏やらについてどうだなどと別段考えたことはないから割愛するにしても、虫の知らせか。内側に疑問なく確信できるものがあった。

 来る。

 来る、来るのだ。

 やつが来る。

 今日、このあと、ここに。

 考えごとしながらでも通学路を間違えない程度の確信だった。

 朝起きて顔を洗う程度の常識だった。体を洗うときに左足から始める程度の感覚だった。

 息をする速さで、歩くような基礎能力。たったそれだけの羽毛の重量で、わかっていた。

 

 なら、オレの許せないことは決まっていた。

 

 しからばこの座禅はとても簡単な精神の集中作業。

 現世・今世のどうたらを忘れて真理を閃く神聖なものたちの聖なる苦行のそれじゃない。

 許せないものを許せないままに許さないとする、そんな鉄意を打ち上げるだけの作業。

 邪念の魔窟。高ぶるものなぞ、なにもない。

 

 とんとん。

 

(…………?)

 

 そのとき、オレの肩を叩く確かな感覚。

 寺を利用することができるような立場な手前──理由は省略──この合図がなにを示しているのかを誤解することなんてあり得ない。軽く触れるのは間違いなく、警策。

 など思う間に脊椎の反射で首を傾げ、バシン!

 

「──っ」

 

 見た通りの聞いた通り、鈍い衝撃が肩部を叩いた。

 体験したことがあるやつならわかると思うが、痛い。

 テレビなんかでやってて痛そう、とか思うやつもいるだろうがご名答。普通に痛い。

 しかしなんだかんだオレにとってはなれたものであるので、もはやある種の様式美だ……って、いや。おい、真面目に痛いぞ。

 

「邪念はよろしくありませんわね」

 

 ──オレはこの人の声を聴いたとき、初めて麗しいという言葉を口に出して言ったものだ。

 

「……相変わらず、女性の力とは思えませんね」

 

 痛烈な痛みに警策を振り下ろした人物を誤解なく理解し。

 振り向く。

 掠めるのは黒髪の照り返し。

 緑の黒髪──日本語には髪を敬称する呼び方がある。そしてそれが似合う人間がいる。

 四十院神楽。

 日本最大規模の財団を統括する日本最後の大和撫子がそこにいた。

 ──警策を大上段に構えた状態で。

 

「ってなんで振りかぶってらっしゃる?!」

 

「天草直心影流──」

 

「仏教徒──ッ!」

 

 振り下ろされる兜割りの児戯を前に繰り出すは逃走跳躍。

 水平に5メートル近い跳躍を果たし警策(ケン)に相対するが、ともすれば運剣距離がたかが二メートルにも満たない剣撃、振りに入って足も使えぬ状況で当てられる道理など──!

 

「──真空斬り」

 

「物理法則は守れよ?! ──ごはッ」

 

 そして大気を引き裂いた衝撃に頭を打たれて、オレの脳細胞は死滅した。

 どんな奇術だ。何かが確かに当たったが、何が当たったかは俺にはよく分からなかった。

 

「洒落です、笹目さん」

 

「……いや、あの、ちょっと。せめて、会話の順番は守ってください……?」

 

 色んな疑問を投げる前に理由だけは明瞭に教えてくれた。オレの脳細胞の代償はそれだった。いやさ、警策で叩かれてたら真面目にスイカ割りになってた。柘榴より酷い。

 会話のキャッチボールに必要な諸工程を片っ端から切り捨てて、茶目っ気を返す妙齢。なにかしらを『持っている』人間てやつは、こんな風におかしいものなんだろうか。迷惑極まりない。

 改めて四十院神楽。その人を見上げる。

 畳にはいつくばって上目になる。

 いくら精神の集中を行っていたとはいえ遠くの獣とかの気配を読み取れる程度に山に篭っていたりするオレの背後をまったく微塵の察知されることなく取った挙句に警策を振り下ろして5メートル離れた相手にどうやってか攻撃を加えてきた日本最大の財団最高責任者的な上に神道にも仏道にも顔が広いここの寺の権利上の管理人でオレ個人の戸籍やら法律上の立場やら身柄やら権利やらを一手に保護してくれているこの佳人を、見る。息も絶え絶えに確認する。頬に畳の跡ができてるよまったく。

 

「というか頭ぶっ叩いておいて洒落って……いや、この際なんでもいいですしどうでもいいです。

 率直に、オレになにか用ですか? 久闊を叙するって間柄でもないでしょう?」

 

「寂しいことを仰るのね」

 

 くすくすとしたなんとも浮世離れしたその様相。

 小馬鹿にするでも、妖艶を気取るでもなく。

 ただ、きっと。

 格なる部分が、オレとは違うところにある。

 そんな笑い方。

 本当にこの人、三〇越えてるのかよ。

 

「けれど、ご明察です。今日は何かあるでしょうから、一声だけ掛けておこうと思って」

 

 そしてその雰囲気のまま、どうとでもないように。

 オレの天啓を、確信に変えてくれた。

 呼吸のリズムでインパクトしていた。さっき横切った黒猫がかわいかったと宣うくらいの気軽さで、俺にとっては空前絶後級のイベントとなるだろう未来を口にしていた。これがそこらへんのどこにでもいる今世紀最大級の英雄だったら己の正義が実は誰かの邪悪だった程度には破壊力の高い真実の言葉だった。アガサ・クリスティ似の横っ面を殴られる感覚であった。

 あったろう。

 そういう存在達はそうなんだろう。

 立ち上がる。足の震えなんてないし、頭部の痛みだってかわいいもの。内心強がって気にしていないふりを装うでもなければ、志新たに隆起することもなく。ただ、這い蹲ったまま人と話すのは失礼だから立っただけ。それだけ。

 そんなもの。

 だって、さっきも言った通り。

 

「それは、わざわざどうも。ありがとうございます」

 

 もう知っている。

 知っていることに驚けるほど、おもしろおかしくできていない。

 というか第一、自尊も卑下もないが。オレが、それを、ゼロの状態から聞いて、驚くはずが、ない。

 なにせ一本気らしい。あの恐らく仙人に一番近い方曰く。

 

「周章狼狽、心慌意乱……そうしたものとは無縁ですか。

 まるで悉知のご様子、あなたは聡い。お母様もさぞお喜びだったことでしょう」

 

「過去形に釣られたりしませんよ」

 

「心外ですわね、くすくす。だから、今朝方もあの人に師事を?」

 

 話題の急転換はいつものことで、ふっとした瞬間には聞き逃してしまいそうになる。

 もっとも、そうした進言すら申し上げられない程度にこの佳人がアレなんだが。なんとも、ついてこれないこちらのほうが間違っていると意識改革させられる気分。この、なんともぽーっとした、浮世離れした雰囲気が原因なんだろうか?

 くすくすと。ひらがなでおどける。

 きっと、オレ達が『なんでも考えている』という思考は、この人にとって『特に考えていない』ってのと同義なんだろう。常に深淵を歩いているから、勇気と気力で覗き込んでいる人類なんぞじゃ除き返されるだけ色めくが精々。そういうものを、ちりちりとうなじが教えてくれた。直感。

 その感覚だけはオレのものだったから。

 飽きもせずに、あの仙人に師事を乞うている。

 

「こんな日ですから。師匠とのあとだったら、なんだって土塊ですよ」

 

「言い当てられることがお好き?」

 

「……それは、まあ。オレはそういうものですから」

 

 本当に、この人達は。

 変な人だ。

 

「身の程を弁える、という言葉をあなたほど過剰に、忠実に体言する大和人にお上様もご満悦のことでしょう。卑下も自嘲も、自らの価値を別にして口にできる者はとても希少です。それはあなたの誇れる美点でしょう。斟酌する外部が同様に極小ということを除けるなら」

 

「得意げに悟った気になれるのは、今だけの特権だと思ってますんで」

 

「自己侮蔑という男子の病気には、 賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である」

 

「ニーチェは好みじゃないんですけどね」

 

 あの、その、オレ、思いのほか嫌われていないだろうか……? もう素直に鼻につくって言ってくれてもいい。自分より頭がいい人間に迂遠にかまけられるくらいなら、素直に嘲弄されたほうがまだ切れがいい。なんだ、思いのほか傷つくな。

 ……こんなこと言っていると歳相応がどうだと、面倒な輩を招く種になるから余計に嫌なんだけどさ。

 

「笹目さん。あなたは聡い」

 

「オレは、そういうものだ」

 

「笹目さん。あなたは軽い」

 

「オレは、そういうものだ」

 

 

「笹目さん。あなたは見ていて厭きますね」

 

 

「残念ながら、オレは」

 

 そういうものだ。

 その言葉が確かな指標。この身を証明する旅路の座標。

 繰り返し型に押し嵌める忠言が、この浮遊感をせめてもと風船にしてくれている。

 

 判然としない返答。

 けれどオレとは結局その程度。

 生まれ方を自覚して以来、そういうものが至当だし。

 ああなるほどと、当然の理屈だとも理解している。

 その、人にあるまじき正道外の在り方に。

 

 

「────終わったら、また会いましょう」

 

 

 別れ際にみせた羨望は、わざとだったのだろうか。

 言うが早く、艶やかな黒髪で日射を切り、翻して消えてゆく。

 無音に典雅。優雅さだけをこの部屋に振りまいて、音もなくこの場をあとにした。

 ホント、よくわからねー人だ。

 だが、まあ。

 

「……終わったら」

 

 別れ際。この時点での今際の際。

 意味深も深々、超深奥の秘宝がごとく秘められていたなにかだったのかもしれないけど。

 それが。

 その最後の台詞がどうしても、どうしてもおかしく思えてしまったから。

 

「始まりを終わらせてやるよ」

 

 あまり好きな言葉選びじゃないんだが。

 生まれそこないの数式。

 それは、至極当然の理屈だろう?

 

 

 

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「それで、私に如何用でしょうか、少年」

 

 そして。

 そして。

 そしてオレはそいつに会う。

 落花の乱舞、桜に黒々。

 真っ黒いスーツと真っ黒い髪。

 左右で妙に歪んだ優男。

 石畳の上を革靴で叩き、見上げる瞳は不愉快そうだ。なんだおまえ? との色味が鮮明につき、寛大さなんて微塵もない。石の階段に仁王立つオレの視線を受けて、物理的に見下されて、内心に若干イラつかせていたのが手にとるようにわかった。ああ、そうかい。そらあ、子どもに上から見下されたらいい気分はしねえかもな。大の大人がみっともないなあ、おい。

 などいう普段なら軽くいきりそうな内面は、水平に凪いでいた。

 ただ、静かに。

 広大無辺の水面(みなも)が、煮えている。

 衝撃も。灼熱も。雷雨も、清爽も。なにも、どうというほどもなく普段通りのいつも通りで。だからこそそんなこの定められた面持ちが心底まったく許容できなくて。なにも思わない機能不全の身体(しんたい)こそが正当なのだとでも事後報告されているようで。

 それにこそ認められないものを思い、顔を歪める。

 不満げな表情を、晒してしまう。

 ちょいと、睨んでやってしまう。

 

「我が方、本日は少々予定がございまして──」

 

 しかし、言葉が。

 

「『おっさん』……、いやおっさんだわ俺──」

 

 しかし、仕草が。

 

「そう仰られても当方、──」

 

 しかし、その心意気が。

 

「百万までならキャッシュで出してやるから──」

 

 オレを、普通にしない。オレを、少年にしない。

 曰くルービックキューブ。

 曰く縫い付けた風船。

 いつからか洒落た洋服程度に嗜んでいたものを、詳らかにしていく。非常に耳障りに頭んなかをバイブする。厳しく糾されているとでもいうように。戦々と恐々に狂して興する。

 非常に耳障りに頭んなかをバイブする。うざったい。

 聡い聡いと皆うるさい。そんなにオレが好きなのかよ。

 オレはまだそういうものじゃないだろうに。

 もっと複雑な単調だと見抜いているだろうに。なら、なんだ。

 簡単じゃないか。

 これがオレにとっての星の開拓。

 

 オレの世界の無上士になるための悪漢羅刹の塵芥。

 頭痛がするんだ、鬱陶しいんだ。

 人間の理屈で悲鳴を上げるように苦虫を潰して。

 

 

「分かった。分かったよ。おいクソガキ、―――無理やり通るぜ?」

 

 

 転ずる語調は見た目通りに若々しく、瑞風の水分量で石畳を蹴る。

 それは鍛錬の先に至るもの。幾多の鉄火で鍛え上げた無骨なるもの。ただただ実戦で磨いた体動と精神。口にしてから1秒後には戦争に入る撃鉄染みたブレーカーの思考回路。

 これは並大抵の技術理論情熱気合根性などでは打倒し得ない拮抗できない、そうした地続きの先で息をする理合いだ。馬鹿になんてできないし、見縊るなんてもってのほか。それをデフォルトで実装しているキャラクターがいるなら、それはどれほど見麗しい原石であろう。

 頭痛がするんだ。

 

 ―――既に最高潮に達していた発条駆動は、意図せず迎撃へと移る。

 

 気を吹いて体を射出した『おっさん』を前に、拳を叩きつける男を前に。

 あえて顔ではなく腹を狙った根性なしのヘタレを前に。

 ただ腹筋を固めるだけでやり過ごす。

 筋肉で受ける、足へ力を逃がす。特別なことはない。

 おい、おい。

 なんだよ、おい。

 

 これで? この程度で? ここを通る?

 正気か。

 

 軽く握った左手とともに凪いだ内側の水面に桜の花弁が落ちて、わずかに初春の香りを除かせた。そんな感覚と心持で、打つ。

 顎を裂いた。

 顎先の薄皮ギリギリ一枚を打ち抜き、高速で脳みそをシェイクさせた。

 ともなれば文字通り脳内で味噌がゆれ、揺さぶられた広義的内臓が意識をシャットダウンし始める。

 それで終い。もうお終い。『おっさん』は倒れて地面に倒れこむ。いったいどんな結末を描いていたのかは知らないが、やけにギラついたやに下がりとともに吶喊してきた特攻隊長。そんな客観的事実がなんともいたたまれなくて、数秒もかからない脳震盪に視線が落ちる。

 悪態、負け惜しみ。それを吐かせる暇もなく、落つる。

 終わってみれば呆気ない。

 さほど期待はしていなかったとはいえ。

 なにかもっと胸に去来するものがあるんじゃないかと、思っていたのだが。

 達成感や幸福感。そうしたものとは無縁の水平線。

 つまり、なるほど。

 損ねるとか無いとか関係なく。

 そもそもオレは、そういう────

 

 

「テメエ、なにもんだよ?」

 

 

 ────────は?

 

 聞こえたのは言葉。聞こえるのが問いかけ。

 脈絡も聞こえる赤い炎の熱。

 

 この、瞬間を、人に伝えるのは、難しい。

 

 この衝撃を、言葉にするのは、難しい。

 

 終わりゆく数秒。どうしようもなき石火で降下するゼロコンマ。

 それは理外、人間理論の時間。

 それは大げさな言い方でなにかしらのなぜかしらを持たないやつらなどでは知覚すらできない影の世界。正直別段、そこまで奇跡的なものだとは、大したものじゃないとは思っているが、希少性の点で見れば言い逃れもなく比肩するものが極小になる。それはそうだろ。曰く完成し尽くされた機構というなら、これこそ真骨頂さ。だから。

 そこに。

 そのなかで。

 どうして、声が。

 殴ったんだぞ? 揺らしたんだぞ? お前よりも速く動けるんだぞ?

 なのに、どうしてまだ喋れる。おかしいだろ。頭沸いてるんじゃねえか?

 須臾の間。なのにそれよりもか細い瞬息で痛みが刺し。

 

 

「笹目、大地──」

 

 

 鬱陶しい頭痛に唆されるように、オレは。

 灼然の眼光が理解できなくて、オレは。

 

 

 ────あんたが殺した女の、息子だよ。

 

 

 灼然(いやちこ)の座標を、口にしていた。

 

 

 

 





OutLine-SSBSに関しては寄贈いただいたお話しになります。
詳細は前話に後書きを書いておきました。
まず最初にすべき事が抜けておりました。

だいぶ感覚が開いてしまいました。
お待ちだった皆様には申し訳なさを感じております。

もし感じ入る何かがありましたら一言感想でも書いてやってください。
私は勿論、寄贈頂いた方も喜びますので。

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