IS-Junk Collection-【再起動】   作:素品

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明けてしまいました

お久しぶりです。私です。気づけば四か月、仕事とか洪水でてんやわんやでした。

折角の復帰戦もこんな感じ、しかも九千文字の大盛り

ということで、閲覧要注意、これでもマイルドになったフランスディスリ回

シャルロッ党の皆様、どうか私をぶん殴ってください


第三十五幕 女優と脚本家と代役

静かな一室で、二人の"男女"がいた。

 

一人は、織斑 一夏。

 

もう一人に背を向けるようにベッドの上で寝転びながら、自前の漫画を頭の上に数冊敷きながら頁を捲っていく。

 

そして、もう一人の少女。

 

湯気の立つ輝くブロンドのロングに、仄かに色づいた頬は未熟な色香を魅せる。淡いアメジストの瞳を逃げ場を探すように揺らしながら、ベッドの端に座る少女、シャルル・デュノアがいた。

 

「・・・・・・ねぇ、いつから気づいてたの?」

 

沈黙、いや、一夏のあまりにも無関心で冷めた態度に彼女は自分から問い掛けた。

 

何が、それは彼女が性別を偽っていたということ。

 

先程の自分の不注意から正体がバレることになったのだが、彼にとってそれは既知のことであった。

 

何故、知っていたか。

 

そして何故知りながら、何も言わなかったのか。

 

胸の内から這いずり出てくるナニかに急き立てられるように喉を震わせ、ある種の期待を混ぜながら一心に一夏の背中を見詰める。

 

「お前が転校してきた日」

 

「っ!?」

 

「だから、お前が転校してきた朝に肩をガッてやったじゃん。あん時。男と女じゃあ、骨の形って意外に違うんだすよ」

 

一夏は振り向かず淡泊に答える。

 

小物を片手間に押し除けるかのように、溜め息さえ聴こえてきそうな気だるい声音。

 

「じゃあ、どうして何も言わなかったの? 僕みたいな、その・・・・・・怪しい人のこと」

 

「わざわざ下手な猿芝居に胸まで潰して来てるヤツだし、何か理由があんだろ。て言うか、マジで胸デカくね? Cはあるよな、どうやって隠してたのそれ」

 

漸く視線がシャルルの方に向いたかと思えば、ジャージの上からでもハッキリ判る彼女の胸部を興味深げに視姦し始める一夏。生理的危機感から彼女も必死に腕で隠そうとしているが、その恥じらいが彼の嗜好そのものであることを彼女はまだ知らない。

 

「まぁ、要は同情みたいなもんだよ。テレビで戦地の子供を見て『可哀想だな~』って思う程度の、人間として当たり前な感情? そんな感じ」

 

そう言って、彼を知る者ならばどの口が語るのかとツッコむようなことを吐きながら、手探りに手繰り寄せた漫画を一夏は再び読み始める。

 

それをシャルルは、溜飲の下りない表情で見ていた。

 

彼の言葉、"当たり前"なんてものを使った薄っぺらな性善説。

 

彼女は迷っていた。

 

"もしかしたら"と、"ありえない"。

 

もしも。

 

もしも、という妄想。

 

"もしも"と考えるということは、それが叶わぬ夢想であるという自覚症状に他ならない。そう思う度に彼女は、自分が諦めているのだと分かり、どうしようもなく惨めな気分へと追い込まれる。

 

だとしても、そうだとしても、"もしも"と思う希望は、いっそ健気な程にその光の中へと人を誘い寄せるようだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・ねぇ」

 

下唇を噛み締めるように、シャルルが声を洩らす。

 

―――もしも、もしも

 

―――もしも、"これ"がそうならば

 

―――そう思わせてくれるだけのものを彼が持っているなら

 

 

 

「ねぇ、聞いてくれる?」

 

 

 

「聞くだけなら」

 

 

 

万感の思いを込めた告白、一夏はそれを横目に見ながら聞き入れた。

 

「・・・・・・・・・・・・ッ」

 

生唾を飲み込み、彼女は語り始めた。

 

それは"彼女"が"彼"になる以前、『シャルル・デュノア』となる前の話。

 

ここでの物語が始まる以前の前日譚。

 

「僕はIS開発企業デュノアの社長、ローレンス・デュノアの妾の子供なんだ」

 

妾。つまりは本妻とは別の者との子供。

 

イキすぎた女尊男卑の風潮の中で育まれた認められぬ愛。所詮は一夜の間違いで済まされるべき出逢いだったが、その結末はシャルルという存在で答えは出ている。

 

本来なら切られていたかもしれない命。

 

疎まれ、認められず、否定され、この世で最も無力な存在は母なる胎内を最初で最期の寝床として、無垢な命は完成されないまま終わりを迎える筈だった。

 

だが、そうはならなかった。

 

女は男から離れ、自身の胎の内に宿った赤子を抱え街を去り、そして一人その子を護り続けた。

 

裕福なわけではない。訳ありの母子二人が生きていくのに、この世界はいっそ過酷と言っていい。

 

だが人の幸福が、必ずしも裕福のみから生まれるものではない。

 

シャルルは断言する。

 

母との二人の生活は、幸せであったと。

 

だが―――

 

「二年前、お母さんが・・・・・・」

 

何でもない風邪だった。

 

故の無理か油断であったか、母となった女は娘を護るための労働の果てに、肺を犯し尽くした病魔によって命の炎は吹き消される。

 

そして巡り合う父との初めての再会。

 

本当なら祝福に包まれ、愛する者の死という悲しみを分かち合う感動の一幕となる筈だった悲劇の一人と一人。

 

―――現実は違った。

 

その存在価値は"女の忘れ形見"としてでなく、会社の"備品"として。一切の希望を捨てる間もなく、彼女は地獄の門を潜ったのだ。

 

最初は、デュノア社のテストパイロットとして。

 

そして今は、世界で二人目の(シャルル)と偽り、世界で一人目の(一夏)の情報を盗み出す犯罪者。

 

自らが踏み外した階段は存外に高く、転がり落ちる先さえ見据えることのできぬ闇。要は自分がどうなるか、シャルルは疾うに予想出来ていた。

 

経営の傾いた会社を立て直すための消耗品。

 

役目を果たせない不良品と分かれば、人はそれをどうするだろうか。

 

「でも仕事はとっくに失敗してた。一夏は、"社長夫人"が思うよりもずっと、強かった」

 

声だけで笑う、中身の無い乾いた愛想笑い。

 

何かを誤魔化すように。

 

何かを隠すように。

 

そんなシャルルの在り方を影のような昏い瞳は、どこまでも静かに眺めていた。

 

「・・・・・・うん、こんな感じ。勝手な話だけど、話せたら楽になれた気がするよ。あと、迷惑かけてゴメンね、一夏」

 

これが最後なのだと言外に含ませたような柔らかくも痛々しい、小さく強がりな微笑。見る者の心を打つような酷薄の笑み。

 

今にも潰されそうで華奢な体を向けながら、シャルルは尚も笑っていた。

 

「一夏?」

 

不意に一夏が立ち上がった。

 

不思議そうに眺めるシャルルを見ずに、一夏は部屋に備え付けられたパソコンの下へと進み、(おもむろ)に右腕の鈍い白色の籠手に手を乗せ"スライド"させた。

 

中から現れる小さな端子を見つけると、既に起動しているパソコンからコードを伸ばし、突き刺す。そのまま一夏が操作していくと、液晶にインジケーターが表示され、大容量のデータが移されていくのが確認できる。

 

一夏が何をしようとしているか理解し、同時にその行動を信じられずに目を見開く。

そして件の男は振り向き、インストールの終わったパソコンを見せながら、花さえ霞むような輝く"笑顔"でこう言った。

 

「ほら、持ってけよ。白式のパーソナルデータだ!」

 

両手を広げ、爽やかな笑顔を顔に刻み、シャルルの全てを受け入れるかのような優しげな温かさを放つ抱擁の誘い。

 

シャルルの罪も独白も懇願も非業も不幸も悲愛も何もかも、彼女に関するそのどれもが"どうでもいい"と吐き捨てるように、彼は腕を左右に広げながらニコニコと、いっそ不気味なほどに明るく笑う。

 

「なぁに気にするこたぁねぇよ! むしろ、今までに二回しか動かしてねぇようなデータやる俺の方が申し訳ねぇくらいだしな」

 

「・・・・・・・・なん、で?」

 

「お前のお仕事のお手伝いさ。これ持ってけば、会社なんとかなるんだろ?」

 

「違う、違うよ! そういうことじゃない!」

 

ワザとらしい、彼のISのくすんだ白より白々しい、小首を傾げて戯ける存在に、シャルルの心は深く深く刻まれ瓦解していく。

 

彼女が求めてるのはそんなことじゃない。

 

暗い底で漸く見つけた蜘蛛の糸。

 

手を伸ばし、這いずり、欲して欲して欲して止まない最期の光明を掴もうと、シャルルは必死に混乱する頭から言葉を探り当てるために思考を巡らすが、どれだけ深くを覗こうと揺れる視界にいる一夏の姿しか見えなかった。

 

「んー、つまりはアレなのかな? 助けて欲しいのか? 囚われのお姫様みたいに」

 

ふと、そんな言葉が響いた。

 

その一言でシャルルの頭が一気にシャープな方向に変わる。

 

この感情を何と名称すればいいだろう。

 

安心?

 

安堵?

 

いいや、違う。これは―――

 

 

 

 

 

 

「まぁ、嫌だけどね」

 

 

 

 

 

 

一夏はニッカリ笑う。

 

笑顔の中に■■を忍ばせて。

 

呆然と自分を見る哀れな"人形"に、そっと歩み寄りながら彼は笑う。

 

「おいおい、何だよその面? まるで餌を取り上げられた猫みてぇな顔してるぜ? もしかして俺がお前の在り来たりな面白味皆無の身内話聞いて咽び泣くの期待してたのか? 残念ながら、俺ってば貰い泣きもしなけりゃ、空気を読んで黙るようなこともしない、CLANNAD糞つまんねぇとか言っちゃうような精神中学二年生なんだよねぇ」

 

ケタケタと一頻り笑いながら、一夏は再びシャルルの正面に座り、頬杖を就く。

 

「ハハッ、いいねぇその顔。理解できねぇってヤツだ。言ったよなぁ、お前には同情してる。画面の向こうの不幸人見てるくらいの哀れみはあるって」

 

シャルルは声を出さない。いや、乾ききった舌の根では、もはや僅かな音さえ鳴らさない。

 

だが、目は口ほどに物を語るという。

 

シャルルは訴えかけた。

 

―――なら、どうして、と

 

一夏を見る。

 

一夏は見る。

 

目の前の彼女の悲貌を見つめ、ギチリと顔を歪めて彼は言った。

 

「画面の前の俺にとって、向こうのお前は只の見世物だってことさ」

 

鼻先が触れ合えるような距離で、一夏はシャルルの思いを踏み潰す。

 

「川向こうの火事を見て、誰がそこに行きたがる。誰かの為に全てを投げ出すような聖人は、助けてもらう筈だった奴らが十字架に貼り付けてとっくに殺したよ。人が誰かに同情するのは、同情してる俺マジカッケ~って自己満足に浸る為さ。お前の為じゃない」

 

意気揚々と語る一夏の言葉に、シャルルは何も言えないでいた。語るべきものも、言い返すべきことも、僅かに開く口からは意味もない息だけが吐き出されるばかり。

 

ただただ無為に迷走する思考と、形にならない感覚とが、一夏の黒い眼球の中で渦を巻いていくような錯覚。

 

何故 どうして 何で こんなの違う

 

どれだけの現実逃避を積み重ねようと、眼前の虚に満ちた光は、彼女の眼球を絡めとり離そうとしない。

 

「助かりたいなら、それ相応の態度でいろよ。行動をしろよ。今時泣き落としなんて、白馬の王子様だって見飽きちまってるだろうさ」

 

シャルルの首を指先で撫で上げながら、どこまでも挑発的に彼女を突き放す。

 

彼女の耳に聞こえてくるのは、一夏の嗤い声。

 

ケタケタと、カラカラと。

 

中身の欠けた軽い声。

 

ケラケラと嗤う。ゲラゲラと嘲嗤う。

 

何時までも、何時になったら終わる?

 

「・・・・・・・・・・・・・・・僕は」

 

小さな反抗。

 

彼女の小さな、小さな、最後の些細な抵抗だった。

 

視線を切り、俯き加減に涙さえ滲ませて放たれた言葉、それこそが最後の引き金となるのも知らずに。

 

 

 

「僕には、選択肢なんて無かったんだ」

 

 

 

何が、そんなものは決まっている。

 

今に至る今までのこと全て、こんな様になるまでの何もかもは、自分の所為なんかじゃない。耳を塞ぎ、頭を抱えながら蹲る現実逃避。そんな些細で、人間なら誰でもするような責任転嫁。

 

自分は悪くない。

 

全部他のヤツの命令に従っただけ。

 

その程度のことだった。

 

その程度で済む筈の、そんなこと。

 

 

 

 

 

「巫山戯てんのか?」

 

 

 

 

 

一瞬のことだった。

 

喉元にあった指はその細い首を鷲掴み、勢いのままに自身の眼前へとシャルルを寄せる。

 

気管の総体でもある喉を掴まれる不快な圧力、サラサラと互いの前髪が触れ合う感触、両者の感情を乗せた息がぶつかり混ざり合いながら交わらぬ心の交錯、そして始まった、一方的な暴論。

 

「選択肢が無かった? 選ばなかったの間違いだろ。ただ場に流されて、自分を憐れんでくれる優しい馬鹿を待ち望むフリして道ずれ探してる、一緒の地獄に引き摺り降ろすのを待ってる心中願望のマゾヒストが。テメェはそういう人間なんだよ、"どこかの誰かさん"」

 

絞められることによる窒息の苦しみとは違う、相手を貶め、その心の一切を考慮せずに只ひたすら屈伏させる上から目線の、喉奥を直接靴の裏で踏み抉るような憐憫混じりの耳障りな失笑。

 

あぁ、とシャルルは確信した。することが出来た。

 

この全身の産毛が雁首揃えて焼けていくような異物感。自分の中身を別の何かで塗り替えて滅茶苦茶にしてしまいたくなるような気分を刷り込んだのは、これ迄に唯一人だけいた。

 

それは地元の学校の矢鱈に鼻の突く赤髪の餓鬼でも、下心の滲んだ少女嗜好の教師でも、近所にいた高慢な三足歩行の老害とは別物の、もっと彼女の腹の底に黒い感情を落としこんだ、自分というモノを否定するアレ。

 

「自分で股開いて男啣えんの待ってる売女が、被害者気取ったって萎えるだけだろーがよ。どうせなら吠えてみてくれよ。艶声の泣き言じゃなくて―――っと?」

 

力の限り突き飛ばし、背中から倒れこむ男の首に手をかける。

 

血走る瞳に写りこむ馬鹿にしたような男の笑い顔。

 

わらうな、笑うな、嗤うな、と。

 

他人を徹底して笑い物にする、画面の向こうを指差しながらに手放しで嗤うような糞ったれな視線。

 

見るな、見るな、そんな目で見るな。

 

舌を出して嘲る二つの眼球が、毛色は違えど向けられる不快感の質が"あの女"、『義母』のそれによく似てる。

 

「お前に、お前なんかに・・・・・・ッ!!」

 

 

 

 

―――お前に何が分かる

 

 

 

 

吐き出せない絶叫が目頭の裏で膿んでいく感触。もう幾度も味わった惨めな溝の泥の風味で脳が汚染されていく。

 

好きでこんなことをしているわけがない。上手くいかなければ貞操さえ差し出せと言われた女の絶望など、"破る"だけの側の人間に理解などされるわけないし、されたくもない。

 

これだけ蔑まれ、堕とされて、救われたいと思うことに罪がある筈がない。

 

「僕は、僕はぁ・・・・・・!」

 

媚びて縋ろうと、同情誘って善意に突け入ろうと、今さら悠長に方法など選んでいることなど出来るわけがないと、どうして判ってくれないのか。

 

どうして、どうして、自分がこんな目に遭わなくてはいけない。

 

助かりたい、報われたい、光が見たい。

 

優しい陽の下で、温かく柔らかな白いシーツにくるまり明日の希望を夢見る、そんな寝惚けた馬鹿みたいな願いを懐いて、そうなりたいと狂おしく渇望している心にどう抗えというのか。

 

そう、彼女は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「救われて当然の人間か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

臓物に指が割り込むような冷気が、シャルルの頬を撫で上げた。

 

三日月が裂けていく。

 

悪意が花を咲かせた。

 

「それで? それで、どうするんだよ? お前は、どうするつもりなんだよお嬢さん」

 

花弁が降り落ちるような、緩慢で振り払うことさえ忘れさせる手のひらが、優しく、つまりは情け容赦も同情もない雑な手付きが彼女の顔を鷲掴み固定する。

 

逃がさぬように、逃げられぬように。

 

「そこまではいい。問題は次なんだよ。そう思って、お前は"何かしたのか"? 俺に対して、何か出来たのか?」

 

剥き出しになった白い歯の奥で、溢れた毒をまぶす舌が妖しく蠢きながら、ソレを音に乗せて口移しに注いでいく。

 

どうやら即効性らしく、答えるべき言葉を探す思考は奪われ、脳の命令さえ狂わせ無為に体は震えだす。そのくせ、頭は冬の空気のように澄んだ透明さを保っているらしく、男の言葉だけが防波堤をかち割る勢いで心に押し寄せた。

 

「"そんなもん"なんだよ、お前は。半端だ、どこまでも半端だ。何もかもが半端で、何者にもなれない、半端な被虐趣味の名無し野郎。お前なんて、所詮は"そんな程度"だ」

 

自身を包む冷たい手。

 

無様な現実を、振り翳したナイフと共に突き立てられた感触。

 

自分の内で決定的なナニカに指を掛けられ、銃口から薬室に込められた弾丸を覗かされるような目に見えた終幕の光景。

 

「・・・・・・違う、よ。そんなの、違う・・・・・・」

 

掠れた声は、風に吹き飛ぶ砂塵のよう。

 

必死の弁明も言い訳も、曖昧で不定形なまま凪の狭間へと流されていく。

 

自制することを忘れた機械のように繰り返す現実逃避の自己肯定が延々と鳴り哭いた。

 

「ちが・・・・・・・う、よ」

 

違う。

 

そう、こんなのは違う。

 

自分というモノが否定されるわけがない。

 

自分には、ちゃんと名前がある。

 

名前が、ちゃんとあるんだ。

 

「僕の、名前は・・・・・・・・・」

 

 

 

 

そ れ で も 人 形 劇 か ら は 逃 げ ら れ な い

 

 

 

 

「じゃあ、こうしようか」

 

不意に響いた明るい声を出だしに、シャルルの体は"横合いに投げ出された"。

 

「ッッッづ、がぁ!??」

 

反射的に庇った手から伝わる衝撃が後頭部に拾われ、伝播する痛みが眼孔の球を弾き揺らした。

 

眼球を保護する為に分泌された液体が流れ出すが、それによって開かれた視界に写ったのは、悪夢だった。

 

「シチュエーションはこうだ」

 

壁により架かる肩を乱暴に踏みつけられる。

 

その犯人の目には、カッターの刃を合わせたような鋭角的デザインのバイザーが在った。

 

「『友達と思っていた女の子が自分を利用しようとしていたことを知って怒った悪者は、このことを皆にバラしてやると、女の子に向かって言いました。どうやら悪者は余程にご立腹らしく、貴女の説得も通じません。』」

 

グリグリと関節を爪先で弄りまわしながら、大仰に腕を広げて芝居の入った素振りで嘆いた。そして畏怖の瞳に揺れる少女を愉しげに見据えると、その手元に落ちるよう狙って何かを投げた。

 

「『ですが何と運の良いことでしょう、女の子の近くには、彼女にとって"大切なもの"を守る為の武器が転がっていたのです!!』」

 

それは小さなペティナイフ。

 

部屋に置かれた、刃物の内の一本だ。

 

果物の皮を剥くのに使われるような小振りの刃物に視線を落とす少女を尻目に、佳境へと上り詰める三文芝居は、どこまでも白々しい語り部によって紡がれていく。

 

「『あぁ、なんて可哀想な女の子・・・・・・! それに気づけさえすれば、きっとそんな男なんてやっつけてしまえるのに~』って感じなんだけどよ、どうする?」

 

バイザーの先端を叩きつけるように屈められた体は、二人の距離を馬乗りに近い形で縮めてみせる。

 

見られている。

 

硬質な鉄版に等間隔で斜めに引かれた溝は、まるで脈動するかのように赤く発光し、その残光は眼そのものに垂らされた血潮の如く彼女の視界を焼いていた。

 

「・・・・・・・・・・・・どう、いうこと?」

 

判らない、わけではない。これ迄の会話からの大詰めだと言うなら、容易とは言わないながらも想像できる。

 

だから、それは最悪の想像だった。

 

止めてくれ、言わないでくれ。

 

彼女の願いは届かない。

 

何故ならこの場において、彼女の救いは脚本に描かれてはいないから。

 

もとより、この男は誰かを救おうなどと考えているわけもない。

 

何よりも、元来、人が誰かを救うことなどできやしないのだから。

 

「親を見棄てて自由に成るか、義理を立てて腐るかを、"選ばせてやる"」

 

男は突き出した。

 

二つの結末。

 

まずは一つ。

 

彼女が自由になるための犠牲の道。

 

「その包丁を取るな。そうすればお前は名実共に悲劇のヒロインになれる。俺が、"そうしてやる"」

 

彼は断言した。明確で自信に満ちた口調で。

 

半端と言い切った少女に、男はある種のシンデレラストーリーを歩ませようと言うのだ。

 

男は言う。

 

ありのままをそのままで、下劣を斯くも高尚事であるかのように。

 

親を、強いては一企業の人間を『悪役』に仕立て上げ、それら総てを皆殺しにして、自分唯一人を幸福にする未来(バッドエンド)

 

男は言った。

 

震える少女の心を拐かす男娼のような甘言で言う。

 

これは人間一人が自由になるための、その人生を勝ち取るための正当な代償なのだと。

 

何故なら―――

 

「お前が幸せになって、誰かが不幸せになるのは当たり前だろ?」

 

―――世界は、そうやって廻っているのだから

 

彼は続けて、次の結末を提示する。

 

それは悲しいものではあるが、見知らぬ誰かが変わらぬ笑顔で居られる、そんな救世主(捨て石)の末路。

 

「一言、俺を脅して魅せろ。そうすれば、ビビった俺はお前の"親"を守る為に死んでやるよ。おっと、刃の向きは間違えるなよ?」

 

軽やかな笑い声と一緒に、男は賭けの天秤にその命を放り込んだ。

 

それだけの価値がある。

 

丘へ、自身の処刑道具を担ぎながら登り上げた男のように、お前もまた自身の苦しみを知らずに生きる有象無象のための積み石となる気概があるなら、この命程度は軽いものだと。

 

それだけの価値を、見せて、魅せてくれ。

 

恋の熱に浮かれ、蜃気楼に映る反転された景色に見果てぬ情景を夢見るような、あどけない狂気とその首を差し出した。

 

「さぁ、どうするよ?」

 

求める側と、求められる側。

 

立場は変わらず、被害者は一人で加害者も一人。

 

選べ。

 

選べ。

 

背中には壁、前には絶望。

 

振り向く先には少しの温もりが在ったが、もはや手は届かない。

 

「ッ!」

 

不意に、手元の刃に触れた指からつんざくような痛みが走り、生暖かい血液が溢れていた。

 

それには眼もくれず、少女の瞳は包丁を捉えて離さなかった。

 

選ぶ。

 

自分の為に誰かを殺すか。

 

誰かの為に自分を殺すか。

 

選ばなければ。

 

どちらが正しい。

 

どっちが間違い?

 

どちらも正しい?

 

二つの一つを選ぼうと、誰かが死ぬ。

 

「さぁ」

 

声が急かす。

 

選べ。

 

選べよ、と。

 

「さぁ、さぁ、さぁ!」

 

頭の中で蜂が飛び交うような、雑音混じりに掻き回されていく。

 

「あぅ、ぃ、あぐぅあ・・・・・・」

 

どうすればいい、包丁と男を見比べても、答えは降ってこない。

 

選んで、選び抜いて。

 

選べずに頭を抱えても、差し迫る悪意は彼女に時間の猶予は与えない。

 

腹を空かせた獣が肉に食らいつく様に、人工物のような白い顎に丸ごと呑み込まれていく閉塞感によく似た絶望の壁。

 

試しに握ったプラスチック製の感触さえも、彼女を責め立てる拷問具に錯覚してしまう。

 

潰れていく。

 

それでも選ばねばならない。

 

「さぁ、選んで堕ちろ」

 

選んで、選んで。

 

選んで、選んで、選んで、選んで。

 

選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、選んで、そして―――

 

 

 

 

 

 

「あっ、あ”あ”あ”ぁああ・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

脆く崩れた下から流れたのは、頬を伝う雫と嗚咽だけだった。

 

「・・・・・・・・・あっ、そう。あぁ、そう。お前は、それを選ぶのね」

 

提示されていない三つ目。

 

天を仰いで泣き喚く、選択の苦渋に堪えきれず、怖くて蹲る、そんな横路に逸れた逃避というオチ。

 

「まっ、それも有りっちゃあ、有りか」

 

止めどなく流れるものを必死に拭いながら、声をあげて喉を枯らしていく少女を無機質な金属越しに流し見て、一夏は適当に足を退けながら部屋の出口へ向かう。

 

彼女が何を思ってソレを流すのか、そんなことを欠伸一つに吐き出して。

 

「・・・・・・・・気が変わったら、いつでも来いや。助けてくれ、って言うなら助けてやるよ」

 

ドアノブに手を掛け、思い出したように振り向きながら飄々と言った。

 

扉が閉じる。

 

密閉された空間で一人、少女の声が木霊する。

 

その姿はどこか、童話にいる囚われの姫の在り様に似ていた。

 

王子様は、現れない。

 

いつでも出て行ける筈の牢獄の中で、彼女は唯一人で人を待つ。

 

今までのように。




新年一発目でこれだよ。エンドルフィンが変なとこに入ってるよこれ

気分的には喰種のヤモリ様が金木君でハッスルしてるアレです

残るドイツは、まぁ、うん!!!(白目)

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