「いよいよやな、せっちゃん」
「……はい」
麻帆良へと向かう電車の中、向かい合わせに二人の少女が座っていた。
一人は桜咲刹那。一人は近衛木乃香。どちらも麻帆良女子中学校の生徒である。
彼女らにも多大な影響をもたらした修学旅行から、友人達や先生から数日遅れでこの麻帆良に帰ってきたのだ。
理由は、建前上はただ“家庭の事情”。実際は裏の事情で説明やら挨拶回りやらであるが。
「ごめんな、せっちゃん。迷惑かけてもうて」
「それはっ……!」
「しっ。ここ、電車の中やで?」
ぽつりと木乃香が言った一言に刹那が過剰に反応し、それを木乃香がなだめる。同じ車両の乗客は何事かとこちらの様子を見ていたからだ。
「謝らなくてはいけないのは、私の方なのに……!」
「もう言わんといて。最後に決めたんはうちやから」
刹那は悔しそうに顔を歪める。それに木乃香は諭すように話しかけるが、刹那の表情は優れないままだ。
麻帆良では、雨が降っていた。
◆
周りに、暗色のローブを着た大人が数人立っている。
私に向けられた視線は、まるで物でも見ているよう。そこに暖かみなどカケラも無い。
視線と同じくらい、氷のように冷え切った石の床と鉄の鎖。
眼前に広がるのは暗い夜空。赤や黄色の光が走り彩りを与えた。
時折、耐え難い激痛が胸に走る。
それを確認すると、大人達は周りから居なくなった。
わからない。
こんな景色は知らない。
こんな冷たさは知らない。
こんな痛みは知らない。
こんな世界を、私は、知らない……!
「イヤァアアアアアアアッ!! あっ、え……?」
布団を翻し、飛び起きた。けど、この部屋には今は私一人しかいない。
ルームメイトの木乃香が、まだ帰ってこないから。今日は土曜日。今日の昼には帰ってくるらしい。
……今の私を知られたら、心配させてしまうだろうか。
あの日から、夢を見るようになった。
修学旅行三日目の夜、木乃香の実家にいったあの日から。最後に、蒼い炎を見たことだけは覚えている。
気がついたら布団に寝かされていて、何もかも終わっていた。説明された話の内容はよくわからなかったけど、私が木乃香を助けられなかったって事だけはわかっている。
私も、ネギも、届かなかった。どうしようもなく弱かったからだ。
助けると意気込んで、助けられなくて。
戦うと息巻いて、戦うことすら出来なくて。
だからだろうか。掛け布団ををたぐり寄せるが、酷く寒い。今の今まで見ていた夢の中の、石の床の冷たさが残っているかのように。
これも、私が弱いからなのだろうか? 力を手に入れれば、この寒さも消えるのだろうか?
「ネギ、いいんちょ……木乃香ぁ……」
頭が、ひどく痛い。
◆
「……」
森の中。
野営のためのテントから這い出て滝の側の岩の上に腰を下ろし、あぐらをかいてただじっと流れ落ちる滝を見続ける。
天気は雨であるが、服が濡れ肌に張り付くのも気にせず、ただただじっと滝を見る。
自分の中の迷いを沈めるための精神統一。
「……むぅ、駄目でござるな。」
いつもなら容易い瞑想が上手くいかない。心の内がざわつき、鎮まることがない。理由ならわかっている。京都での一件だ。
この世に人成らざる物がいることは既に知っていた。
世界に棲み分けがあることも、幼き日より教えられてきた。
それを踏まえても、修学旅行で自分は何ができたのか。学友より救援を求める電話を受け飛び出した物の、犬耳の少年一人を抑えている内に大勢は決していた。
いかに情報が少なかったとは言え、大局を見誤ったのだ。
それと、もう一つ。
修学旅行が終わり麻帆良に帰ってきてから一度、甲賀の頭領である父から電話があったのだ。中身はなんら差し障りのない世間話。最近体調はどうだとか、ちゃんと食事はしているかなど。特に暗号というわけでもない。
だが、それこそが異常。
甲賀の頭領である父親が、“何の用もないのにわざわざ電話をかけてきた”。
京都での事件もそう。棲み分けが出来ていた表と裏が、その境界を朧気にしつつあるのだ。ことの始まりは、ネギが来てから。そして京都でそれが一気に顕在化した。だが、己の勘がまだ終わりでないと告げている。それどころか、むしろそれはより一層強くなってきている。
「……何か。起きるでござるか?」
雨は風をともない始めていた。
◆
麻帆良、学園長室。その扉を開けて、室内に二人の少女が足を踏み入れた。
待ち受けるのは、学園長近衛近右衛門。
「ただいま、じいちゃん」
「おお、木乃香よ。よく無事に帰ってきたのう! 刹那君も無事で何よりじゃ」
近右衛門は、木乃香を笑顔で迎えた。何を思っての笑顔かは、本人以外には決してわからない。
「は……」
「ところでな、じいちゃん。一つ言うとかなあかんことあんねん」
「ほ、なにかの?」
「うち、一昨日付で西の長になったさかいに。よろしゅうな」
短い!