魔法世界、廃都・オスティア。かつてウェスペルタティア王国の王都であった島々が大空に浮かんでいたのも今は昔の話。
魔法世界最古の歴史を誇り、幾百幾千の塔を築いた王都は一日のウチに雲海に没した。
今となってはそこに人影などあるはずもなく、ただ風の抜ける音でけが響く、朽ちるのを待つだけの城であるはずなのだが……
「……暦、いい加減その服を脱いでいつものローブに着替えろ!」
「嫌です」
その日、廃都オスティアの塔の広い一室では姦しい声が響いていた。
理由は、フェイトの従者の一人である暦が旧世界は京都から帰ってきてからというもの、他の四人と同じローブではなく京都で仕立てたと思われる民族衣装を好んで着るようになったからだ。
えび茶の袴と紅白の矢絣模様の着物。千草が京都争乱の直前に用立てた、暦の猫耳をごまかすための物だ。
それを、同じくフェイトの従者の一人である焔に見咎められたのだ。
フェイトの従者を務めるのは暦と焔の他にあと三人いて、環、調、栞の計五人。
全員が魔法世界を真っ二つにした、俗に言う大分裂戦争の影響で家族を失い、フェイトに拾われて今に命を繋いだ者達。
当然忠誠心は高く、裏切ることなどありえない。公も私も全てをフェイトに捧げていると言っても過言ではないほどだ。
そんな焔から見て、同じ境遇の暦がフェイトから与えられたそろいのローブでは無く、鮮やかな色彩の異国の服を着ているのはたるんでいるように見えたのだ。もっとも、残りの三人は我関せずといった様子であるのだが。
「なぜその服ばかり着ようとする、目立つだろう! 活動に支障をきたすから速く着替えろ!」
「日本では私の耳と合わせるとかえって目立ちません。今は着慣れておくために着ているんです! それにこの上からでもローブを羽織ればわかりません!」
それに、と暦は続けてしまう。
「この服、フェイト様も褒めてくださいましたし。えへへ……」
「「「「っ!?」」」」
一瞬にして部屋の空気が変わるが、フェイトに頭をなでられた時のことを思い出していた暦はそれに気づかない。そして、気づいた時には既に手遅れだった。
「暦……」
「……にゃっ!?」
正面に立ち、片目に煌々たる炎をたたえた焔。
「その話……」
半竜形態となり、出入り口を塞ぐ環。
「詳しく……」
アーティファクトを出し、臨戦態勢の調。
「話してもらいましょうか♪」
おしとやかに、されど黒い笑みを浮かべた栞。逃げ場など、どこにも存在しなかった。
「ちょ、まっ……にゃあああああああ!?」
哀れな一匹の黒猫の悲鳴が、廃都に木霊した。
◆
「む……小娘どもめ、騒がしいな。フェイト、お前からも少し言い聞かせておいてくれ」
暦が悲鳴を上げている頃、五人がいるよりも少し上の階層ではデュナミスとフェイトが同じテーブルに着き、今後の活動についてどうするかを検討していた。
かつては勢力十万を誇った悪の秘密組織も、今となっては五人の少女と幹部二人を残すのみ。盛者必衰とはよく言った物だ。
「やはり、クロト・セイの協力は得るのは難しいか?」
「彼は譲歩も妥協もしてくれるけど、一度決めた一線は決して譲らないよ。そのことはデュナミスの方がよく知っているんじゃないのか?」
「むぅ……」
デュナミスが思い出すのは、かつて一度は自分と死闘を繰り広げたこの場にいない“元”大幹部。
あの後和解すると常識もあるとわかり、よく話したものだった。デュナミスの経験的に、実力と反比例して常識が失われていくのだが、セイはそう言ったことがなかったのだ。
そんな彼からデュナミスは協力を得たかった。
しかし、最盛期とは比べるのも馬鹿らしいくらいの規模にまでなってしまった現状では協力を仰ぐにも代わりに差し出せるものが無いのが悩みどころだった。
魔法具は多くがこの二十年で散逸してしまい行方不明。元老院議員も弱みを握っていたような奴らはほぼ全員が大戦終了直後にセイに粛正されたので使えない。
多くの面において、今の完全なる世界は関東呪術協会に劣っている。勝てるとするなら、
その歴史とネームバリューくらいか。
「そうは言うがな、フェイト。現状のままでは動きようがないのは事実であるし、姫巫女のいる日本の大部分は奴の影響下にある。そうでない地域は魔法使いか政府の影響下だ。今となってはMMに内通者もいないし、日本政府にはまったくパイプが無い」
「じゃあどうする? 麻帆良に強襲でもかける?」
「むむぅ……」
それが実行できないのはフェイトもデュナミスもわかっている。実行するには様々な難題が幾重にも立ちふさがる。
それを現有戦力で打開するには、やはりどこかからの助力がいる。そうなれば最有力候補は結局元完全なる世界大幹部クロト・セイとなるからだ。
「……やむをえんか」
「デュナミス?」
「フェイト。もう一度旧世界へと赴いてくれるか。やはりどういった形であれ何らかの協力は必要だ」
「交渉に行けと言うのだろうけど、何を代価に?」
「戦力を」
その言葉に、感情が無いはずのフェイトの瞳がすっと細くなった。
「……彼女達もかい?」
「そうだ。聞けば奴は旧世界で何か事を起こそうとしていると聞いた。なればこそ、少しでも戦力は欲しいはずだ。故にチップは私も含めた完全なる世界の“現状保有全戦力”。オールベットだ」
それを聞いたフェイトの瞳が、今度は大きく見開かれた。話したデュナミスの方がかえって驚く程に。
「君やポヨもか?」
「ああ。魔族たるこの身は旧世界であろうと活動に何ら支障は無いからな。それはやつも同様だ。無論、彼女については協力を頼む形になるが」
「本気かい?」
「本気だ。他に手がない。それに奴ならこちらが誠意を見せれば無茶な対価は要求せんだろう」
その言葉にフェイトは何を言うでなく、視線を霧に包まれ薄暗い窓の外に向けた。
「どうした?」
「いや、ね。悪の組織の大幹部が、元同僚の善意に頼るというのもどうかと思ってね」
「ふん。何だって利用してやるとも。我らが宿願を果たすためなら、な」
「……そう。まあいいさ。僕は僕の役目を果たすだけだ」
階下からは、まだ少女達の叫び声だけが響いていた。
~しばらく後。京都市内のとある喫茶店。~
「――つまり、はやい話が傭兵契約みたいなもんか?」
「そういう解釈でかまわないよ」
いつかと同じ店。いつかと同じ格好で、フェイトと千草は相対していた。
注文するメニューも同じ。ブレンドコーヒーと、紅茶とチーズケーキのセット。
違うのは、千草の横に一葉に加えて月詠も控えていることくらいか。
「これは僕ら完全なる世界から君の義父であるクロト・セイへ持ちかけたい話だから、正確には千草さんにそこまでつないで欲しい、というのが正しいのかな?」
「父様へのつなぎ、なぁ……」
千草は、こつり、こつりとテーブルを指で叩く。
最初、本山に再びフェイトが訊ねてきた時は何をしにきたのかと訝しんだが、フェイトの話を聞く内に大体の内情は理解できた。
一応一葉と月詠の両方を護衛に連れてきているが、それが必要無い程度には信用のおける相手だというのも理解できている。
しかし、なかなかに難しい問題だった。
確かに純粋な戦力としては魅力的かもしれないが、完全なる世界の大幹部というのが逆に使いづらい。悪目立ちがすぎるのだ。
それにそれだけの戦力となれば使いどころも限られてくるが、そんな重要な所を部外者に任せていいものか?
「……わかった。つなぐ分にはつないだる。それについては確約してええ。用件はそれだけか?」
千草は、考えた末に結論を出した。どんなに自分が悩んでも、最終的に決めるのは父であるセイであって、自分ではない。
ゆえに、自分のすることはそれをつなげることだけだ。私心を交えることはない。
「ありがとう。けど、用件はもう一つあるんだ」
「うん?」
もう一つの用件。その言葉にまだ何かあるのかと思考を加速させる。本来、組織間で一つ頼みごとをするだけでも大きな貸しになる。
そこに更にもう一つ頼みごとがあるとなると……一体どういった案件なのか。
何かあったか。自分の記憶の中にある情報を探し始めた千草に、フェイトは先ほどと何ら変わらぬ様子で“もう一つの用件”の内容を告げた。
「これは、千草さん個人への頼みになるのかな?」
「へぇ? 父様でなく、ウチにか?」
「この間の暦の服についてなんだけど、もう四人分頼めないかな。一応、この京都にも連れてきているんだけど」
「……はぁ?」
一瞬思考が停止する千草。その隣で、双刀の剣士の目が輝いた。