麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第八十五話 千草

 

 

 手から離れた七支刀は、切っ先を下にただ落ちていく。

 

 鋼よりも遙かに強靱なはずの鬼神の外皮を何の抵抗もなく、水面のようにするりと潜り込み、内へ内へと落ちていく。

 

 そして、変化が現れた。ただしリョウメンスクナそのものではなく、スクナを取り囲む周囲全てに。

 

 まず初めに、リョウメンスクナの復活から大気中に満ちあふれていた霊力が消失した。さらには感情を持たないはずの精霊が怯えるようにしてこの場から一斉に逃げだし、霊力も精霊を失った湖の周囲一帯の風が止み、森からは音が消える。

 

 次に、湖の水が不自然な形でスクナを避けるように離れていった。

 見えない球でもが落ちてきたかのように、スクナの祭壇を中心にして半球状に水が退けられたのだ。

 一滴の水も残っていない湖底からは千草によって沈められていた十八枚の石板が露出し、刻まれた式を発光させながら祭壇を囲んでいた。

 

 そしてスクナそのものにも、異変が起き始めていた。

 

 七支刀が初めに抜けた頭頂部、そこから脈打つかのように明滅する赤い紋様がスクナの巨覆い尽くそうとしていた。同期して、千草にも七支刀の柄を握る両手から同じ紋様が全身にゆっくりと伸びる。

 

 紋様は陰陽術や魔法で使われるような規則性をもった図形ではなく、一つ一つが何かを具象化したような……人の見方によっていくらでも答えがでるような、そんな不可思議な紋様だった。

 

 徐々に強くなっていく赤い光に照らされた森もまた赤に染まる。いつの間にか、現実とも思えない光景に近隣で戦闘をしていた者達は誰もが動きを止めていた。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「どういうことだ! あれは!」

 

「……どういうこと、と訊かれますか」

 

 

 上空。傍観者達の間にはこの場がそれなりの高度に位置していることを考慮しても信じられない程冷たく張り詰めた空気が流れていた。

 

 端的に言うと、一触即発。座っていた三人の一人であるエヴァが地表の異常を確認した瞬間杯を落としたかと思うと、机の上に飛び上がり、セイの胸ぐらを掴みあげたのだ。

 

 

「――あれは、陰陽術と古代インカ・マヤ・アステカ系列の天文を軸にした……もはや新しい術式体系と言っても良い術式です。黒に輝く黒曜石を素材の一つとして混ぜ込んで“吸収”という意味を七支刀に付加していまし、七支の名の由来でもある七つの刃で七曜を表すことで強固な循環も象徴している。他にも……」

 

「そんな細々(こまごま)したことを訊いているのではない、私の言いたいことはわかっているだろう! あれはまるで――」

 

「――“闇の魔法”のようではないか。そう言いたいのですか? ええ、そういう意味では全く持ってその通りです。千草ちゃんの場合、間に七支刀というワンクッションを入れることである種の安全措置もとっていますがね」

 

 

 千草がセイも含めた関西呪術協会の反対派最高幹部の全員を説き伏せて承認を得た計画の大綱。それが、スクナの封印解除と、その強大すぎる力の抑止力としての利用。

 

 その利用方として千草が出したのが、スクナの、神の神格と力の一部をその身に取り込むというもの。

“ヒト”という器に“スクナ”という中身を入れるということが可能であるのは、スクナを京都に移す際の描写から確証が得られていたから。

 

 それはセイから見ても、“究極技法”や“闇の魔法”などと比べても遜色のない大禁呪だった。言うなれば、違う方程式を用いて闇の魔法と同じ解にたどり着く。そんな呪法だった。

 

 発想の元は、スクナは、過去二回倒された後元の巨石に再び封印された。だが、もし仮にスクナが倒れたとき封印するための巨石がなければスクナはどこへ行くのか?という疑問。

 

 科学によって、夜闇のように神秘が希薄になった世界へ解けるように消えて行く? どこに帰ることもなく、塵も残さず霞と消える? ――違う。そんなはずはない。

 

 千草はその疑問に、リョウメンスクナが霊脈と密接な関係を持つことから、実体の維持が困難になった場合は霊脈へと返ろうとする、という答えを出した。それは、昔セイも至った結論。

 

 ここまでわかれば、あとは一つ一つ問題を解決していけばいいだけだ。

 

 実体を維持できないまでにする必要があるのなら、初めから自壊させることを念頭に入れて復活の術式を組めばいい。

 

 霊脈に帰ろうとするなら、前もって小規模な力の循環を内包した術具を用意すればいいし、最悪直接自らの肉体を一つの流れに見立てればそれで済む。

 

 自壊させた後は、巨石を蓋として、沈めた石板を弁として少しずつ霊脈に戻す量を調節すればいい。

 

 残る問題は、どこまで取り込むのかという綱渡りのようなバランス調整と、自己の変質に伴うであろう苦痛に耐えられるかという二点。これだけは本番でしかできない、一回きりの賭。それを、千草は今やっているのだ。

 

 

「っ、そこまでわかっているなら、なぜ止めない! あれは義理とはいえ、貴様の娘だろうが! 貴様は闇の魔法がどういった物かわかっているはずだろう! 魔法ですら人でなくなるというのに、あんな物取り込めばどうなるかわかったものではない。少なくとも、確実に人ではなくなる。貴様でもそれくらいわかるだろうが!!」

 

「ですが、それがあの子の望みなら?」

 

「――!!!!」

 

 

 望んで、人を捨てる。

 

 それは、千草がある理由から思い、考え、悩み、その末に出した答え。

 

 セイは家族としてではなく一人の人として一対一で千草と向き合った。長く抑え込んでいた本気の殺意を放ってもみた。

 それでも、千草は己の考えと意志を述べた上で、そうありたいと答えた。だから、それ以上止めようとしなかった。代わりに、一切の手助けはしないと告げて。

 

 しかし、エヴァはその答えがどうしようもなく気に入らなかった。

 

 エヴァの右手が唸り、セイの右頬をとらえる。魔法などで強化こそされていないが、手加減ぬきの本気の一撃。

 

 エヴァがセイを見る目は、どこまでも冷ややかだった。憎しみ、怒り、侮蔑、失望……負の感情を煮詰めたような真っ黒な物がその目の奥にあった。

 

 それでも、セイは微動だにせずエヴァを見下していた。種としての最強の一角にその名を連ねる吸血鬼の真祖の一撃を結界無しで顔面で受け、耐えた。

 

 

「……見損なった。所詮貴様も下衆だったか。力を求めて自分から人を捨てるのも救いようがないが、わかっていてそれを止めない貴様はそれ以下だ。人であるということが、人でいられるということが、どれだけ救いのあることかわかっていない貴様ではないだろうに。まして、娘を」

 

「エヴァ」

 

「気易く私の名を呼ぶな!」

 

「本当の目的は……願いは、力ではありませんよ」

 

 

 ただ力だけを求めたなら、セイは止めた。力がほしいのなら、他にいくらでも方法があるのだから。そんなもののために、人を捨てる必要はない。

 

 

「確かに立場を持った最高幹部としてのあの子の目的は力ですが、一人の天ヶ崎千草という人間の目的は別にあります」

 

「目的が別にある? ハ、ハハハハハハハ! なら永遠の命が欲しいとでも言うつもりか!? 馬鹿馬鹿しい。ああ馬鹿馬鹿しい! ますます下らん!! 死を失うというのは呪いでしかないというのがわからんか? どうせ後になって後悔するんだ、いっそ今から私が殺して来てやろうか。貴様はどうする、私を止めるか? クロト・セイ!」

 

 

 

 

 

 

「――――黙りなさい、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。あの子がいつか死を望んだなら、それをするのは私の役目だ」

 

 

 

 

 

 

 セイの表情が、見る者全てを凍り付かせるような冷たい物へと変化した。口調はほとんど変化していないがやや硬い物へ。

 身に纏う気配はただただ暗く不気味さを持った物になり、言葉の一つ一つが力を持って聞く者を威圧する。関東諸組織百余を束ねる裏の長としての姿がそこにあった。

 

 だが、すぐにその気配を霧散させて、疲れたようにため息を吐いた。

 

 視線をエヴァから眼下の千草へと移す。自ら好きこのんで人であるということを辞めようという娘へと。

 

 

「私は見た目の上ではもはや年を取ることがない。それは人と精霊の混じり物、人外であるから。私の妻、さよさんも同様にずっと同じ姿のままです。おそらく煌もそう遠く無い内に見た目が固定され、変わらなくなるでしょう」

 

「……」

 

「私の娘になってから、近くにいた者はみんなそう。幼いあの子の護衛を兼ねていた志津真も人外。あの子の兄にあたる時雨も人外。私の家族に、あの子以外にまともな人間なんていやしない」

 

 

 エヴァはセイが何を言いたいのか、理解した。

 

 千草は、既にセイが不老となった時の肉体的な年齢を超えている。周りが皆変わらぬ中で、自分一人が置いていかれ、消えて行く。

 

 人間である以上、いつか必ず訪れる死という運命。それが、千草にだけは余りに速く訪れる。

 

 永遠に生きたい訳ではない。

 

 決して老いることなく、今の若く美しい姿を保ちたい訳でもない。

 

 ただ、できる限り長く共にありたいのだ。

 

 

「……わかった、もういい」

 

「そうですか」

 

「ああ」

 

 

 椅子に座り直し、落ちた杯を拾って酒を注ぎ直す。しかしそれに口は付けずに、杯を揺らして月が映る酒をくるりと回す。

 

 

「許されることではないし、長く生きた所でろくなことなど無いというのに。たとえ憎まれても止めてやるのが親のつとめだろうが」

 

「私からやれとは死んでも言いませんよ。ですが……やりたいと言うのを、止めることもできませんよ。それをすれば、私自身を否定することになる」

 

「ふん、見逃してはやるが、納得はせんぞ。今がどうであれ、いつか必ず死を望む日が来る。それがせいぜい先の日であることを祈るが良いさ。帰るぞ茶々丸」

 

「イエス、マスター」

 

「……僕らも帰らせてもらおうかな。暦がたったまま気絶しているようだし、ネギ君も思いの外たいしたことはなさそうだ」

 

 

 フェイトも棒立ちの暦を抱えて転移した。転移に際し周囲から凝縮された水は、重力に従いそうあるべく地へと落ちていく。

 

 

「……もう一つだけ、いいか」

 

「一つと言わず、幾らでも」

 

「今日、やっとわかった。貴様は狂っている。狂気が向けられるべき矛先を失って、まともに見えているだけ……ただそれだけだ」

 

 

 今度こそ、エヴァは茶々丸を伴い旅館の方へと去って行った。

 

 誰もいなくなった空で、セイは一人千草の様子を見守り続けていた。

 

 

 

  ◆

 

 

 

 スクナの頭頂部で、千草は腕から全身へと広がる痛みに消えて行きそうな意識を必死につなぎ止めていた。

 

 既に赤い紋様に覆われた部分は全身の八割にまで届き、あと少しで全てが完了する。だが、その残りわずかな時間が永遠に感じられた。

 

 セイからは、霊脈と間接的にとはいえ繋がるのは相当の負担があるとは聞いていたし、七支刀を用意する段階で身を以て体験もしていた。

 

 そのため、前もって木乃香から霊力をある程度符に集めておき、バッテリーのような形で治癒の術を自動でかかるようにしていたのだが、気休めにもならない。今も身体の隅々まで血の代わりに炎が巡っているようだ。

 

 ここまでくると、もはやスクナも中身のないハリボテのような物だ。中身とも言える莫大な霊力と神格、あるいはスクナの意志そのものと言って良い物は、千草が取り込んだわずかな量以外は全て霊脈を通り本来祀られるべき飛騨、美濃方面へ流れていったはず。

 

 ここで、紋様が四肢を完全に覆った。これで九割。残るは首から先。更に痛みが増していく。

 

 それでも、千草は耐える。ここまでは木乃香を奪われた以外、驚く程上手くいっている。魔法使いへの牽制、長である詠春への対応、各地の融和派最高幹部の拘束。それら全てが計画通り。

 

 ここまで来て、自分一人が失敗する訳にはいかなかった。

 

 そして、紋様が千草の全身に達したとき赤い光がふっと消え、森は元の薄暗い森に戻った。

 

 中身が完全になくなったスクナの巨体は硝子細工のように崩れ落ち……それと共に、湖の底の岩盤が崩落した。

 当然祭壇も崩落し、スクナの頭頂部にいた千草も重力に引かれて落ちていく。

 

 予想外の、ハプニング。

 

 いつもならなんとでもなるのだが、今は取り込んだスクナの力も馴染んでいないため霊力が不安定で飛ぶどころか浮くこともできない。

 

 

「く、ぅ……」

 

 

 悔しさから、声が漏れる。

 

 下にあるのは、月でも照らし尽くせない深い闇。

 

 ここまで来て、と後悔が残る。

 

 落ちて行くにつれ、つなぎ止めていた意識が遠のき、視界も暗くなっていくなかで、最後に見た物は――

 

 

 

「よく頑張りました」

 

 

 

 自分を抱き上げ微笑む、父の顔だった。

 

 

 

 


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