麻帆良で生きた人   作:ARUM

90 / 146
第八十三話 三度

 

 

「――そろそろやな……」

 

 

 天ヶ崎千草は、そう呟いた。彼女が見ているのは、これからリョウメンスクナ復活の儀式に必要な莫大な霊力をその身に宿す近衛木乃香ではなく、件のリョウメンスクナが封じられ、少しずつ淡い光を帯び始めた巨石でもない。

 

 見上げるのは、夜空。そして、月と星。

 

 

 ――リョウメンスクナとは、各地の様々な形の伝承に残る存在だ。鬼神という、人には御し得ぬ余りにも大きな力。古いが故に失われた伝承も多く、今に残る物も差違が大きい。

 

 そもそもなぜ飛騨の大鬼神が遠く離れた京都に封じられているのか? それすらわかっていないのだ。

 

 近代の術者はただそこにあるという認識だけで余りそのことに興味を示す者はいなかった。

 余りにも大きな不自然であるにもかかわらず。しかし、千草は違った。リョウメンスクナをこの京都争乱で利用すると決めたときから、なぜこの地にあるのかということ初め、小さなことも事細かに調べ上げた。

 

 関西呪術協会の本山、その書庫の最奥にある歴史書。この国の裏側、“本当の歴史”を記した、日本史を覆すことすら容易な禁書中の禁書までもちだして調べたが、わかったことは多くない。

 第一に、京都に封じられていることについては、封じるのに使われた術や京都までその封を移す途中の推移はわかったが、なぜ京都か、という理由はわからなかった。

 

 次に、京都に封が移されてからのこと。これについては途切れ途切れで、南北朝の時代など一部が千草でも解けないような複雑な封が為されており読み解くことはできなかった。

 それでも拾い上げることのできた情報を西暦千年以降でまとめると、わかる範囲で復活は二回。それも、ここ数十年のことらしい。

 

 一度目は養母、さよがなんらかのアクシデントで封を解いてしまったことに端を発するらしい。その時は自分の養父であるセイとその式神である志津真や白露などが奮戦し、倒されたところを当時の木乃芽が旗頭に立って再度封印を施したらしい。

 

 二度目については余り記述が少ない上、それ自体良いことは余り書かれていない。

 紅き翼がやってきて宴会を開き、そのごたごたの隙を突かれて外部の者に封を解かれたらしく、詳細は不明。リョウメンスクナの討伐も、紅き翼が行ったらしく、描写が少ない。

 

 一度目の時は千草自身も居たはずだが、あいにくと記憶にない。それでも、文面から気になる記述などを少しずつまとめていく。

 

 一度目の時は、リョウメンスクナの巨体が陽炎のように揺らいでいたり、いろいろと不可解な現象が確認できたそうだが、二度目の時は数年という短いスパンのためかそういったことはなかったようだ。

 

 そうこうしつつ、ふと脇に書き添えられた一文に気づいた。一度目の辺りの隅に注釈のように書かれた、小さなメモ書きのようなもの。(なお、詠春はこの歴史書の存在自体知らない)

 

 

『超長期間の高密度霊力下における変質と、霊脈と存在の直接の関係性。またそれらとの神性と不死性の関わり』

 

 

 その、千草からすれば見慣れた養父の字。答えの手がかりがあるとすれば、これだと思い思考を加速させた。そして、一つの答えとも言うべき推測を導き出した。

 

 おそらく、リョウメンスクナは地脈と直接繋がることができるのではないか。そして、そのことは封印されている状況下においても継続される。

 だから、リョウメンスクナの影響下にあり、力がフルに発揮される飛騨ではなく、無理をしてまで京都に移したのではないか。それも、少しでも力を弱めるために“沈静”や“静穏”を象徴する“水”をたたえた湖の中心に。

 

 一度目の時は最低でも数百年分の霊力の貯蓄があり、そのためかなり太古に近いレベルの力が発揮されたのではないか。

 そして、二度目はたった数年しか封印されていなかったため一度目に比べて相当弱体化していたのではないか。

 

 そうだとすれば、十数年という二度目に比べれば長く、しかし一度目に比べれば遙かにに短いスパン。今ならば、制御も可能なのではないのか。

 

 

「――とまぁ、ここまでがウチの推論なんやが、お前さんはどない思う? なぁ、桜咲刹那?」

 

「どうも思わない……お嬢様を返してもらうぞ、天ヶ崎千草!」

 

 

 空に浮かぶ白。刹那に千草が言葉を投げかけるが、刹那はそれにぞんざいに返す。

 

 刹那の表情は恐ろしいまでに険しい。その視線の先にある木乃香が、符によって拘束され、さらには今もなんらかの術式が木乃香に対して発動しているからだ。

 

 逆に、千草の表情には余裕があり、下から刹那を見返すその表情には笑みが見て取れた。

 

 

「返してもらう、なぁ……。なぁ刹那。仮にウチから木乃香お嬢様を取り返せたとして、どないする?」

 

「どうする、だと?」

 

「そう、どないするかや。言うとくけどな、もうこの京都以外は既に制圧が済んどる。ついさっき、最後まで抵抗しとった北九州統括支部・裏太宰府が落ちた。お嬢様を助けたところで逃げ込むところらあらしやせん」

 

「……」

 

「かといって、麻帆良に逃げ込むんは最悪の悪手になるなぁ? 帰るところを無くした状況下で麻帆良に帰れば、後はええようにじじいに利用されるだけ。じじいも今回のことで追い詰められるやろからなぁ、それこそどうなるかわからんで?」

 

「……そういう貴女は、お嬢様をどうするつもりだ。檻に閉じ込め、飼い殺しにするとでも言う気か!」

 

「答えず、問に問で返すんか? ……ま、そやな。どないしょうか」

 

 

 千草は刹那の叫びに、さして熱のこもらぬ瞳でからかうように告げる。

 

 

「たとえば、お嬢様をリョウメンスクナに“入れ”て、“核”にするて言うたら……どないする?」

 

 

 その言葉に、刹那は。

 

 

「…………」

 

「……ふぅん」

 

 

 ぎり、と唇をかみしめるだけで、何もしなかった。もしこれが一昔前の刹那だったなら、夕凪を構えて突貫しただろう。だが、それをしなかった。

 

 

「――確かに」

 

「確かに、なんや?」

 

「確かに、もうどうにもならないのかもしれません」

 

 

 ですが、と語気を強くし、刹那は続ける。

 

 

「それでも、私はお嬢様を助け出します!」

 

「なぜ? 無駄やとわかっとるのに?」

 

「こんなことは、お嬢様が望んだことではないからです! 教えてください、天ヶ崎千草! 貴女はお嬢様の信頼も厚かったはず! 幼い頃から妹のように大事にしていたはず!! ならどうして何も告げず、道具のような扱いをするんです!」

 

「道具、か。……ふふ、道具なぁ? 無知っちゅうのは怖いなぁ刹那。お前はお嬢様を道具と言える立場と思うてるんか?」

 

「どういう意味だ!」

 

「ふん。お前は敵として来たんやろ? そんな人間が何でもかんでも教えてもらおとするな、小娘」

 

 

 直後、刹那はバランスを崩した。下から突き上げるような突風を受けたからだ。

 

 風の出所は祭壇の前にいる千草。千草から出た霊力に、周囲にいる精霊が過敏に反応し、千草の敵意の向かう先、刹那を排除しようと動いたからだ。

 

 そして、突風の向こうから風に乗って千草の言葉が響いてくる。まるで耳元で囁くように、風の精霊が伝えてくるのだ。

 

 

「敵に見えるやろけどな、ウチも誰も彼もな、お嬢様の幸せを望んではおるんや。それでもどないしょうもないからこないなことしとる。ウチら大人は刹那の知らんこともよう知っとる。知識も力も、相応にある。それでもできんことはあったし、過去は変えられん。我慢して耐えて諦めて、お前の言うような妥協を重ねに重ねた結果、後手に回って今があるんや。

ウチらが今やらんでも、お嬢様は否応なしに裏に巻き込まれる。今までのウチら大人がふがいなかったせいでな。

……それやったら、ウチらはいっそ悪役のままでええ。お嬢様は選択肢を与えられないままに“巻き込まれただけ”の悲劇のヒロインのまま、ウチらは悪役のまま今回は事を終える。代わりに描いた構図は実現させてもらう。それがウチらなりの答え、結論や。

それを……自分の立場の重大さも考えんと、今の今まで己の役目ひとつ満足に果たせず、ぬるま湯につかっとったガキがようもまぁいけしゃあしゃあと……」

 

 

 離れた所にいる千草の表情は、刹那からはよく見ることができなかった。だが、刹那はぞっとした。人間であるはずの千草の目が、自分を見上げる憎悪に満ちた目が、禍々しい赤い光をたたえているように見えたから。

 

 

「まぁ……何するにしろ、もう手遅れやけどな」

 

「手遅れ……?」

 

「そうや、見てみい。術者とちゃうお前でもわかるやろう?」

 

 

 千草の視線の先では、木乃香が巨石と同期して光を放ち始めていた。

 

 

「このちゃん!」

 

「今回、リョウメンスクナの復活にはかなり特殊な術式を使うた。巨石本体の周りに“式”を刻んだ石版何枚も沈めて、月と星の動きで時が満ちれば自然と発動する仕組みや。万が一ウチが戦うことになっても、術式が発動するようにな。で、後は術式に間違いが無ければ……」

 

 

 そして、ついには光の柱が巨石から立ち上り、それが消えたときには――

 

 

「――こうなるっちゅうわけや」

 

 

 湖上。そこに、自らの異容を見せつかるかのように圧倒的な威を纏った、飛騨の大鬼神がそこにいた。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。