麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第八十一話 夜を翔る・③

 

 

 

「うわあああああ……あ?」

 

「きゃあああああっ…………ってあれ?」

 

 

 どぷん。

 

 

“下”に落ちたはずのネギと明日菜は、“上”向きに飛び出ていた。

 

 ネギと明日菜、二人が水面を突き抜けた先は、異界だった。

 

 石の配置、木々の形、葉の一枚一枚にいたるまで全てが変わらずそこにあった。しかし、それら全ては一つの例外もなく左右が反転していた。

 

 そこは蒼と白で彩られた鏡の中の虚構の世界だった。雷に照らし出されたかのような、明るい夜空を背景にして浮かぶ赤黒い月。

 枝先から根元まで全てが骨のような白で、更には付けた葉の色が群青という木々に囲まれた銀色の水面。そして、宙空に整列した世界を照らす蒼い灯りの群れ。

 

 そんな狂った世界の中で、磨きこまれた鏡のような水面を足場に明日菜達から離れた場所で刹那は駆けていた。

 

 夕凪を手に、翼を広げ、踊るように駆けていた。

 

 皮肉なことに、つい先ほどまでは新しい力と可能性の象徴だった純白の翼は、まるで初めからこの世界の一部だったかのように調和し、刹那をより人間離れして見せていた。

 

 

 

  ◆

 

 

 

 瞬動で距離を詰めながら、夕凪を横薙ぎに振るう。

 

 一閃で“三人”を切り払い、そのまま動きを止めることなくさらに瞬動を重ねて加速し、今度は下段から切り上げて股下から頭までを両断する。

 

 今度は上昇。翼で空気を叩き、瞬動以上に加速する。翼での加速は瞬動と違い曲がることも可能なため、勢いを殺すことなく右旋回。そこから一気に下降してそこにいた者を肩口から切り捨てた。

 

 今だけで、刹那は“五人”の月詠を切り捨てた。

 

 しかし、それら全ては傷口から蒼い炎を吹き出して、溶けるように形を失い消えて行く。

 

 今までで、既に刹那は三十以上の月詠を斬っていた。しかし、そのいずれもが偽物。蒼い炎で造られた月詠の形をした炎の塊。

 

 

「諦めましょうよー、先輩」

 

「誰がっ……!」

 

 

 さきほどまでとは違い、表情に幾らかの余裕を、しかし油断はかけらも見せずに月詠が刹那に言う。その声の出所は一つではない。彼女“達”が指さすのは、空に浮かぶ三百近い蒼の灯り。

 

 

「だから、諦めましょうて」

 

「陣を崩すに灯りを消す必要がありますけど、この子らは皆虚像」

 

「本物は皆向こうにあります。せやから先輩には壊せません」

 

「壊せんさかい、灯りも消えへん」

 

「それに、向こうの灯りは傍目からは見えへんようになってますし……」

 

「無理でしょう? なぁ、先輩?」

 

 

 

「やかましいっ!!」

 

 

 

 刹那が夕凪を構え、周囲を囲みつつあった本物となんら変わらぬ精密な月詠の虚像、六体。それらの上半身を一薙ぎで吹き飛ばす。それでも、飛ばされた上半身達はさして表情を歪めるでもなくそのまま消える。

 

 そのことに寒気を感じつつも、刹那は冷静に思考をまとめていく。

 

 現状、敵は月詠と一葉の二人であり、今の所攻めてくることはない。逆に、自分は攻めることが出来ても相手は全て偽物であり、意味を為さずただ消耗していくだけ。

 

 異空間を形成している陣の解除条件は月詠が言っていたことの他に、術者である一葉を倒すことであると推測できるが、そちらは月詠と違って偽物さえも現れない。

 

 つまり、今の状況を一言でまとめるとーー手詰まりなのだ。

 

 

「くっ……!」

 

「諦める気になりましたー?」

 

「誰が諦めるものかっ!」

 

 

 また一人増えた月詠の虚像に怒鳴り返した。手詰まりに見えても、きっと打開策はある。そう考え、できることがないかと模索し、考える。

 

 異空間を構成している術は、自分の知らない系統の物だ。

 

 普通、陣は円、もしくは環が基本だ。それらは力の循環を示す。しかし、刹那の見たところこの術式の核とも言えるのは足下の大きな水場、水鏡。

 これで宙に漂う灯りを映して陣を複写して立体的な球を形成し、鏡面の表と裏を入れ替えて閉じ込めた。おそらくはそういう術なのだろう。

 

 だとするなら、試すべきはーー

 

 

「神鳴流奥義……」

 

 

 飛翔。灯りに遮られた空との境界線ぎりぎりの、高度十五メートル付近で一度対空し、夕凪の切っ先を水面に向ける。

 

 

「はらー? 先輩何を……」

 

 

 月詠が怪訝そうな声を上げるが、こちらに手を出してこないならと意識の外に追いやった。

 

 自分の内から湧き出るような霊力、それを、可能な限り夕凪に乗せていく。霊力があらかじめ夕凪の強化に使用していた気と混じり、白い光を帯びてパリパリと放電現象にも似た音を発し出す。

 

 

「……斬魔剣!!」

 

 

 現実と虚構の境界、鏡のような銀色の水面を斬り裂くために翼を鋭角に折りたたみ降下を開始する。

 

 妖物を討つことを目的とした神鳴流の中で、特に実体無き魔を斬ることに特化した剣。それを、境界にたたき込めばどうなるか。

 

 

 ――試す価値は、あると見た!

 

 

 衝撃と共に、手に伝わる手応え。

 

 現状に変化があるかと期待したが……無情にも、水面はヒビ一つ入ることなくそこにあった。

 

 

「クソッ!!」

 

「せやから、無駄ですって、先輩。……それに、ええんどすかー? 先輩のお仲間が来とるようですけどー?」

 

「えっ……」

 

 

 その言葉に、刹那の動きが止まる。

 

 月詠の視線をたどり、ゆっくりと振り向けば、そこには刹那の方を見て目を丸くするネギと明日菜の二人が居た。

 

 

「……あ」

 

 

 見られた。

 

 見られてしまった。

 

 彼女らの知る自分とはかけ離れた今の自分。

 

 白い髪と、白い翼。

 

 自分を禁忌の存在に落とした白。それを見られた。

 

 無言のまま過ぎていく時間が、刹那を追い詰める。

 

 

「すきありー♪」

 

 

 そして、その心の空白は、余りにも大きな隙となった。

 

 気配も何も無く、突然背後に現れた本物の月詠。その刀が振るわれる。回避は、間に合わなかった。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「くぅ……!」

 

「刹那さん!」

 

 

 白い翼を解放してからの強化っぷりは反則や思える程でしたわ。千草さんには及ばんものの、並外れた霊力に、格の高さを表す白い翼。どないな理屈か知りませんけど、速さも二倍と来ました。五体満足なんが不思議でしゃあないですわー。

 

 せやけど、結界の内に取り込んでからはこっちが有利です。なんせ、内側からは絶対に解除不可能な結界ですから。

 逆に外側からやと、灯りを壊されれば簡単に解除されてまいますけど、まぁ見えへんようになってますから大丈夫でしょう。見つかったならそれまでですー。

 

 それに、この結界の中でなら少なくとも負けはあらしません。今一葉さんは結界と幻惑の維持に集中しとるんで、うごけません。一葉さんの蒼い火は惑わすことを得意とします。

 陰火なもんで攻撃はできませんけどー……その分、ウチらの姿はまったく見えとらんはずですしー、幻覚やら炎の虚像やらで楽できますしー、今の内に言葉責めで先輩を追い詰めつつ、こっちは体力回復といきたかったんですけど……

 

 先輩の今日一番の、これ以上ないて言うような、あからさまなまでの隙。

 

 お嬢様と近いんで“殺すんはなし”て言われとったんで、刀の峰でおもいっさま叩き伏せます。

 

 うまくいきましたんですえ? 背後から、姿を消して近づいて、振り抜く油断もありません。先輩は回避も反撃もできんタイミングでした。

 

 

「かっ、は…ぁっ!!」

 

 

 それやのに、相打ちみたいな形でウチもまた吹っ飛ばされてまいました。

 

 

「やって……くれましたなぁ、先輩……!」

 

「こっちの、セリフ、だ……!」

 

 

 やられましたわ。肋骨の二三本は折った手応えありましたけど、その分、こっちの左肩外されました。

 

 そら、神鳴流は素手でも扱える流派です。武器がのうなったとき、妖怪相手に待ってくれ言うわけにもいきませんし。せやかて……

 

 

「いくら何でも、“翼”で神鳴流いうんは反則とちゃいます?」

 

「神鳴流奥義、斬岩翼とでも名付けるか?」

 

「……翼ら前例があらしません」

 

「なら、私が最初だな」

 

 

 先輩も口が上手くなりましたわ。あないにお堅い感じやったのに。こらちょっとまずいかもしれません。

 

 相手が三人に増えるんは別にかまいませんけど、そっちを囮にして先輩が何かやりそうな気がして怖いですわ。

 

 

「ちょ、大丈夫なの、刹那さん!?」

 

「明日菜さん……すいませんが、できれば余り見ないでください。ネギ先生も」

 

「え?」

 

「ど、どうしてですか!?」

 

「この姿は、関西では禁忌とされているんです。見ればわかるでしょう? 私は人ではないんです」

 

「……」

 

「大丈夫です。ここからは、私が責任を持って出して見せます。だから、明日菜さん達は向こうで……ひゃうっ!?」

 

 

刹那の背中の白い翼。それを、背後から忍び寄った明日菜がむんずとつかみ、わしゃわしゃと握ったりする。

 

 

「う~ん、思った通りもふもふね、これ」

 

「ひっ、ちょっ、ひあっ、な、何を!?」

 

「大丈夫よ! 刹那さんは刹那さんでしょ!」

 

「あ……」

 

「……いちゃいちゃしとるんやないですえー」

 

 

 何考えとるんやろか。曲がりなりにも敵のウチがいてるんやけど。

 

 なんとなくやけど胸がむかむかしますわー。けったくそ悪い言うか、胸くそ悪い言うか……何や少年漫画のワンシーンでも見とるような気分ですー。

 ああいうわかってますよー的なセリフはうちら裏の人間からすると結構腹立つんですえー? よそでやれよそで。

 

まぁ、それだけ時間は稼げますからええんですけど……雷鳴剣でもぶちこんだったらよかったやろか?

 

 

 

 

 ―――ピシリ

 

 

 

 

「……はら、ピシリ?」

 

 

 えらい嫌な音が足下から。見れば、鏡面にヒビが……ヒビ!?

 

 

「一葉さん! どないなってますん!!」

 

 

 向こう側の様子は、こちらからはわかりません。せやから、外の様子知るには一葉さんに訊くしかありません。せやけど、答え待たんでもここからでも推測できる理由が一つだけ。

 

 空の灯りが、一つ、また一つと消えて行く。

 

 結界内の灯りは外の灯りとリンクしとりますから、壊すには外の灯りを壊す必要があります。つまり、外で不可視のはずの灯りが壊されていっているということ、です。

 

 

このままやと――!

 

 

「そんな、あかん!」

 

 

 ―――パリン。

 

 

 軽い音と共に、世界が砕けた。

 

 

 

  ◆

 

 

 

 空を覆い尽くしていた、不可視のはずの蒼い灯り。それらが次々に壊されて残骸と成って落ちていき、水に落ちる前に光の粒子と成って消えて行く。

 

 

「これは……結界が解けた!?」

 

 

 それに合わせて虚構の世界も消え、全てがもとの色へと戻っていく。白い木も、赤黒い月も、銀色の水面も。全てが色あせるように消えて行く。

 

 

「行け、刹那っ! ネギ先生達も!!」

 

 

 その光景に見とれていた刹那に、森の奥から声がかかり、はっとした刹那がそちらを見ると、そこには薄く硝煙をたなびかせた銃を持つマナがいた。そして、その側にはクーフェイも。

 

 龍宮マナ。麻帆良学園で傭兵として活動する彼女だが、その本質は半魔族であり、魔眼を有している。それ故に、彼女は静かな水場の違和感に気づき、不可視である灯りの群に気づけたのだ。

 

 

「マナ!? それにクーフェもどうしてここに!?」

 

「綾瀬から連絡があってな。それよりここは私達が抑える!」

 

「……恩に着る!」

 

 

 刹那は、空に向けて飛翔する。翼を拡げ、地に空気を叩きつけて、飛ぶ。

 

 数を減らした灯りにそれを遮る力は無く、肩を外されていた月詠も対応できず、一瞬の間に刹那は夜空へと舞い上がる。

 翼での加速に加え、虚空瞬動で加速に加速を重ねて白い霊力の尾を引いて、まるで翔るように湖の方へと飛び去って行った。

 

 それを見送った真名は、今だ残っている一葉と月詠の相手をしようと視線を地上に戻して、初めて気づいた。刹那は行ったが、まだネギと明日菜が残っているのだ。それどころか、微動だにせず、棒立ちのまま。

 

 そして、二人の前には蒼い灯りを灯した角燈が。

 

 

「チィ、まだ撃ち漏らしあったか……!?」

 

 

 二人の前の蒼い灯り。それを撃ち抜こうとマナは銃を構える。だが、

 

 

「!?」

 

 

 直後、足下から蒼い炎が吹き上がる。熱くはないが、突然の事で視界が完全に塞がれて――

 

 

 目を開ければ、そこは荒野だった。緑の少ない、荒れた大地だった。

 

 目の前では、一人の少女が泣いていた。

 

 声を上げることなく、ただただ顔を歪めて涙を流してこちらを睨んでいた。

 

 へたり込んでいる少女の両手には銃が。少女の膝には、血まみれでもとの服の色が何色なのかもわからないような青年の頭が乗っていた。

 

 少女の黒い髪。感情の消えた眼。そして、黒光りする銃。

 

 マナは、これが誰だか知っていた。

 

 少女は、自分自身だ。

 

 

「精神攻撃、か」

 

 

 パートナーの死。そのことに、マナは随分昔に決別した。だから、一度目を軽く瞑った。

 

 彼は死んだ。自分は生きている。現実はただそれだけ。

 

 だから――と、魔眼を再び発動し、幻影の核を撃ち抜こうとして眼を開けて――

 

 

 

 自分の前に立ち、至近距離でこちらをのぞきこむ“コウキ”と眼があった。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「マナ、どうしたアルか!?」

 

「はっ!?」

 

 

目の前にあるのは、クーフェの顔。しかし、マナが見たのは確かにかつてのパートナー、コウキの顔だった。それも、マナの記憶に残る最後の……

 

 

「――何か見えましたか?」

 

 

 声のした方を見ると、そこに居たのは一葉一人。最初居たはずの月詠は居なくなっていた。

 

 

「っ、クー! もう一人はどこへ行った!」

 

「白いフリフリなら、肩を無理矢理はめて向こうへ走っていったネ! イヤ~、あれは痛いアルヨ……」

 

「くそっ……すまんクーフェ、あの女を一人で相手してくれ! 私は逃げた奴を追う!」

 

「行かせると思いますか?」

 

 

 灯りを従えた一葉が、マナの行く手を塞ぐ。一葉の周りには数を減らされたとはいえまだ二桁を優に超える。しかし、マナは焦ることなく銃で撃ち抜いていく。

 

 しかし、灯りは消えない。

 

 それどころか、マナの足下。水面から再び炎が吹き上がり、またマナの視界を覆い尽くす。

 

 炎が消えれば、そこにあるのは先ほどと寸分違わぬ荒野。だが、今度は前と違いその幻惑は痛みと熱を伴った。

 

 

「な……?」

 

 

 腹部に開いた、小さな穴。そこから流れ出るものが服を赤く染め、じくじくと痛みを持ってその存在を主張していた。

 

 

『どうして……?』

 

『ねぇ、どうして? どうして貴女は生きているの?』

 

『コウキは、死んだんだよ? 貴女(わたし)一人生きていたって……』

 

 

 タァン!

 

 

 背後に立ち、自分の背中に銃口を押し当てていた昔の自分の頭を撃ち抜く。すると、また荒野は消えて元の水場に残る。

 傷も消えてはいるが、痛みだけが残り香のように腹部に違和感を与えていた。

 

 それを離れた所から一葉が薄い笑みを浮かべて見ていた。撃ち抜いたはずの灯りも消えることなく、数は減っていない。

 

 

「……良い趣味をしているな」

 

「そうですか? それはどうも。他人のトラウマを無理矢理映す(えぐる)のは私個人では悪趣味だと思い、普段は使わないようにしていたのですが、そう言ってもらえると安心ですね」

 

「ムー、さっきから何の話アル?」

 

「……いやなに。久しぶりに忘れていたものを思い出したというだけだ」

 

 

 狙撃銃を地に落とし、代わりにギターケースを蹴り、飛び出した二挺の拳銃を握る。

 

 

「銃を手にしたのは、なぜだったか。それを思い出したよ」

 

 

 マナの眼に、魔力が集まり魔眼としての能力が再び解放される。

 

 

「四対一だ。降伏するなら今の内だぞ?」

 

「いいえ、二対一です」

 

「何?」

 

「どういうわけかそちらの方には効きませんが……あちらは効果覿面のようですよ」

 

 

 虚空を見つめてがたがたと震えるネギに、表情の抜け落ちた明日菜。

 

 マナの眼がすっと細まり、クーフェイも怒りを露わにする。

 

 

「覚悟は良いな?」

 

「……覚悟、ですか。あなた方の方こそ、覚悟がたりないんじゃないですか?」

 

 

 マナが銃を構え、クーフェイが拳を堅く握りしめる。

 

 蒼い灯りが陽炎のように揺らめいたのを合図に、二人は前へと踏み出した。

 

 

 

 





 とらうまとらうま。だれでもひとつはもってるはず。

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