麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第七十八話 立つべき場所は?

 

 

 

「んむ……? っんんむむ!?」

 

 

 本山の敷地内、山の中腹にある湖上に設けられた祭壇。リョウメンスクナを封じた巨岩の前に寝かされた木乃香が夜の湖からはい上がってくる冷気に目を覚まして最初に見たのは、星の輝く夜空だった。

 

 そして次に気づいたのは、口がふさがれ声が出せず、身体もまた金縛りにあったかのように動かせないこと。

 なぜそうなっているのか考えるが、まったくもって覚えがない。それでもゆっくりと自分の記憶をたどっていくと、徐々に思い出してきた。

 

 たしか、服を着替えにいった後で、千草さんに誘われて母様の庵に……

 

 千草の顔。それが浮かんで瞬間にはっとしたとき、木乃香の頭の方に人がった。

 

 

「お目覚めのようやね、お嬢様」

 

 

 そこにいたのは自分が姉のように慕う天ヶ崎千草その人。しかし木乃香が知るいつものようなあでやかな着物姿ではなく、まるで喪服のような白の襦袢に黒単色の着物。さらにその上から黒の羽織を身につけていて、どこか顔つきさえも異なって見えた。

 

 

「ん~~~!」

 

「ああ、そのままやと話せませんわな。ほい」

 

 

 千草が指を木乃香の口をふさぐ符に向けると、符は木の葉のようにはらりと落ちた。

 

 口が解放された木乃香は、千草に問いかける。その目にあるのはおそらく自分を拘束したであろう千草に対する怒りではなく、なぜこんなことをしたのかという戸惑いだ。

 

 

「千草さん!」

 

 

 息を吸って、名を呼ぶ木乃香。それに、千草は一つ頷く。

 

 

「ん、お嬢様。いろいろ言いたいこともあるやろけど、まずはウチの話聞いてもろてええやろか。大切な話なんやけど」

 

「話?」

 

「そや。ちょいと長くなるけど、お嬢様が生まれる前から続く大切な話や。……心して聞いてぇな?」

 

 

 そして千草は、要所要所だけをかいつまんでだが、しっかりと言い聞かせるような口調で話し始めた。自分が幼いころから見続けてきた、西と東の、世界の裏側の一端を。そして、今現在進行し続けている争乱と、その訳を。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「――んで、今にいたる訳や。ガ……ネギ少年は魔法使いやから近右衛門がお嬢様と一緒の部屋にした時はヘタ…詠春が特攻しかけたし、図書館島でふぉふぉふぉーうるさい石像に深い穴に落とされたんも近右衛門のせいや」

 

「そんな……」

 

 

 木乃香は千草の語る話のあまりの内容に、呆然としていた。最初は何を話しているのかといったような表情だったが、途中からは真剣な表情で、終盤では泣きそうな顔でじっと聞いていた。

 

 もっとも、あくまで木乃香から外されたのは口元の符だけで、身体の自由はとりもどしていないのだから動くことなどできないのだが。

 

 

「……なぁ、千草さん。その、全部ほんまのことなん?」

 

 

 木乃香の目は揺れている。今まで自分を支えてきた全ての日常が壊れたように感じたのだろう。だが、事実もう既に日常など壊れてしまっているのだ。

 

 木乃香の日常は、関係者達の多大な努力の上に築かれた砂上の楼閣。所詮は形だけの硝子の城。

 

 そもそも、血筋や政治的思惑など理由は多すぎる程あるのに、本人に何も知らせないなど無理があった。そのツケをまとめて受け止めることなど、まだ中学生の少女にできるわけがないのに。

 

 そして、過酷な現実を背負わせたということから逃避せず、すがるような木乃香の目を見て告げる。

 

 

「……そら信じられへんやろし、辛いかもしれへんけど、全部ほんまのことなんよ。お嬢様」

 

「…………」

 

 

 木乃香は黙りこくってしまう。瞳は惑う木乃香の心の内を表すかのように揺れていて、千草からしても見ているの正直つらいものがある。それでも、さらに千草はたたみかける。

 

 

「お嬢様」

 

「え、何しとるん!?」

 

 

 千草は羽織を脱ぎ、しゅるりと帯をほどいて着物の前をはだける。突然の行動に木乃香は顔を赤くするが、すぐにまたもとの白い顔色に戻る。

 

 木乃香の目がとらえたのは、千草の腹部、ちょうどへその上辺りに残る細い筋。

 

 

「それ……」

 

「刀傷ですわ。背中から前まで貫通して、ちょいとばかし死にかけました。やったんはお嬢様のお父上、詠春です」

 

 

 木乃香は、もはや言葉を紡ぐことも出来ない。きっと、頭の中は混沌としているか真っ白かのどちらかだろう。人間、あまりに受け入れがたいことが起きると大体はそうなる。

 

 

「お嬢様、こんな状況で申し訳ないけど、この場で選んでもらいたいんよ」

 

 

 千草が着物を着なおし、羽織も身につけ居住まいを正してから木乃香に声をかける。

 

 声はどこまでも平淡に。決して感情を挟むことのないように意識して言葉を紡いでいく。

 

 

「お嬢様は逃げることはもうできません。血からも、立場からも、力からも、何もかもから。その上で、お嬢様には選んでもらわなあかん。選択肢はそう多ないよ?

一つ、うちらに協力して関西の組織の上に立つこと。これには年齢は関係あらへん。もしなってくれる言うんなら今すぐに拘束はとくし、お嬢様の考えにそって最大限とりはからうことを約束する。

一つ、反対派に協力せず、あくまで皆で仲ようすることを目指す。これを選ぶんなら、悪いけどそのままや。この戦が終わるまで、お嬢様の身柄はウチらで確保させてもらうし、麻帆良に帰れるかどうかも正直わからん。

他に何か代案があるなら聞いてもええけど、正直無いと思うとる。今のこの状況は二十年分の歪の反動や。今まで何も知らんかったお嬢様が、なんやええ案が出せるとは思えん。

せやから、どっちかや」

 

「……せっちゃんは?」

 

「ん? せっちゃん……刹那のことか?」

 

 

 木乃香はこくこくとうなずく。

 

 

「せっちゃんは、どないしとるん?」

 

「刹那なぁ……」

 

 

 てっきり黙りこくるか、とりみだすと思っていた千草は気が抜けてしまった。

 

 

「まぁ……こっちに向かって来とるんとちゃうか?」

 

「ほな、せっちゃんが来るまで待ってくれへんやろか。答えそれからやったらあかんやろか?

 

 

 それに、千草は。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「千草さん、結局あなたは何をしたかったんだい?」

 

 

 フェイトの前には、再び符で強制的に寝かしつけられた木乃香がいた。当然、それをやったのは千草である。

 

 千草は木乃香の提案に、言葉ではなく符でもって答えた。その理由がフェイトには理解できない。まったくもって不合理。結局返事を聞くことなくまた寝かしつけるならそもそもおこす必要がなかったのに、なぜ千草はそれをやったのか。

 

 単に答えを先に持ちこそうとしたことに千草が失望したのかとも考えたが、表情から察するにそうでもないらしい。だから、直接訊ねたのだ。

 

 

「ん……まぁ万が一の保険やな」

 

「保険?」

 

 

 そや、と千草は空の月を見上げながら答える。そこに浮かぶのはかなりわかりづらいが薄い笑み。

 

 

「ウチはお嬢様が答えをだす前に“無理やり”眠らせた。んで、ウチは正直このまま儀式の始まりまでお嬢様を起こす気はない」

 

「それは……ならそれこそどうしてあんな問いを? まったくもって無意味じゃないか」

 

「そやな。質問自体に意味は“まったくあらへん”」

 

 

 ぴしりとフェイトに向けて指を指す。

 

 

「ここで重要なんは質問自体やないねん。ええか、今この瞬間も各地で反対派と融和派が戦うとる。まぁ九割九分うちらが勝つけど、問題はその後や。融和派言うても皆殺しにするわけやあらへん。むしろ後々に遺恨を残さんためにできれば一人の血も流さんことが望ましいが……まぁどうなるかはわからん。

仮にそうなったとしてもやっぱどないしても融和派の連中から恨みは出る。そんな時、お嬢様の立場はどうなる? 反対派に協力したと見なされて恨みの矛先が向けられるかもしれん。あるいは融和派の筆頭やった詠春の娘いうんで担ぎ出されて新しい火種になるかもしれん」

 

「……ああ、そういうことか。つまりあなたは、あなたが彼女の意志を無視して無理やり巻き込んだというような状況をつくりたいわけだ」

 

 

 そう、それが千草の狙い。速い話が狂言だ。そうしておけば、融和派からすれば親の詠春も融和派なのだから恨みの矛先が向くことは考えづらいし、反対派はもとから事情を知っているのだからなおさらだ。融和派の神輿に担がれる可能性は逆にある程度高まるが、そこは一度権勢をとってしまえばどうとでもできる。なにより、そこまでの気概のあるやつが融和派にいるとは思えない。

 

 だが、そのことにフェイトはさらに疑問を抱く。

 

 

「……でもそれって、すごく君たちにすればマイナスだけど?」

 

 

 その通りなのだ。この方法は確かに木乃香の将来にある程度の安全をもたらすが、逆に反対派からすれば敵を多く作るため長期的に大きなマイナスになるのだ。それでも、千草は承知の上でそれをやった。

 

 前もって話をつけておいた反対派の最高幹部達も納得した上でことを進めているのだ。

 

 

「まぁどデカイマイナスになるやろなぁ。融和派の矛先はこっちむくし、外のやつらにもわざわざ口実あたえるようなもんやからな」

 

「なら、なぜ?」

 

「決まっとるやろ?」

 

 

 再び千草は月を見上げる。セイもそうだったからか、千草も昔を思い出すときには空を見上げることが多い。

 

 

「そら、確かにいずれは巻き込まれることになっとったやろけどな? それでも、お嬢様を直接的に巻き込んだ……舞台袖におったお嬢様を、スポットライトの下まで引き上げたんは間違いなくうちらなんよ。

木乃芽様から協会頼まれとったのに、結局こないなことになってしもたし……ほんなら、多少無茶してでもその分お嬢様の負担はできる限り減らさなあかん。代わりにうちら大人がエライ目見ても、な」

 

 

 そやろ? と千草は言う。それに対してフェイトは首をかしげたままだ。

 

 言うなれば情の為に長期的な負荷を背負うということ。それがフェイトには理解できない。

 

 

「……そんなものなのかい?」

 

「そんなもんや。世の中すべておしなべて、な」

 

 

 

 


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