麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第七十五話 夜の始まり

 

 関西の最高幹部、天ヶ崎千草を中心とした事実上の反乱。

 

 それを前にした人々の反応は、それぞれが属する立場によって様々であったが、もっとも多かったのは混乱だった。

 

 なぜ。どうして。大半の者はそう思っただろう。

 

 だが、ある程度実情を知る者は皆“やはり”や“ついにきたか”といった感想を持つのではないだろうか。

 

 もともと、火種はずっとくすぶっていたのだ。

 

 それを、大戦の影響を直接受けなかった者達が所詮対岸の火事と油断していただけのこと。本当は、彼らの上に立つ融和派の最高幹部達が必死に動いていたのだが。

 

 だが、それももう過去の事。

 

 今彼らは渦中にいる。それも、同じ関西の中から宣戦布告を受けるという形で。

 

 

 

 最高幹部会十九席の内、今京都にいるのは全部で五名。

 

 融和派は長である近衛詠春。

 

 反対派は天ヶ崎千草、刀久里鉄典、玄凪セイ、青山鶴子の四名だが、このうち鶴子は入院中なので実質三人となる。

 

 残るは融和派六席、反対派八席。

 

 この内更に反対派の水無原冬雅が別に動いているため、京都以外の支部の制圧に動いたのは反対派七名ということになる。

 

 五分に見えるが、そうでもない。

 

 前もって準備していた反対派に対して、融和派は何の準備も、所属する人員の集結も何もできていない。

 

 しかも、完全な奇襲。

 

 千草の宣戦布告と同時に、格が低ければ堕神も殺せるかもしれないというような完全武装の反対派の各支部の人員が一斉に襲撃をかける手はずとなっている

 

 無論融和派にも最高幹部を筆頭に実力者は多くいる。だが、最高幹部に最高幹部を、実力者に実力者を当てれば、結局最後に物を言うのは“数”の力。

 

 この日の為に、反対派は動員可能なほぼ全ての人員を動かした。今までであれば東に対する警戒の為に動かせなかった滋賀、京都、奈良、和歌山などの人員もほとんどが何らかの形で動いている。

 

 融和派の最高幹部もただではやられないだろうが、奇襲という点でも反対派に分がある。

 

 朱から紫へ。紫からへ紺へ。紺から黒へと徐々に夜の色に移り変わる空の下で、決して表には出ない者達の戦いは始まった。

 

 

 

 そして、京都でも――

 

 

 

「ちょ、ちょっとネギ! どうなってるのよ!」

 

「わ、わかりません! 僕にも何がなんだか・・・」

 

 

 本山の廊下で、一人の少年と少女が混乱の極みに達していた。

 

 少年……ネギが前もって麻帆良学園、近衛近右衛門から聞かされていたのは、仲の悪い西と東の融和の為に、自分が親書を運ぶということ。途中で妨害もあったが、無事西の長である詠春に親書を渡し、役目を終えたはずだった。

 

 これでまた一つ平和と、立派な魔法使いに近づいた。そう思っていたのに。

 

 なのに、あれは何なのか。

 

 ネギの知らない女性が告げたのは、戦いの始まり。

 

 何故そうなったのか。

 

 大人達の打算も、己の父の世代から続く確執も。何も知らないネギには理解できなかった。

 

 だが、この状況が普通ではなく、このまま立ち止まっているのが一番まずい。それを誰よりも速く気づいたのは、誰よりも生存本能に忠実な獣、アルベール・カモミール、通称カモだった。

 

 

「兄貴、このままここにいるのはまずいですよ!」

 

「まずいって……じゃあどうすれば良いのよ!」

 

「とりあえず他の嬢ちゃん達と合流した後で、あの詠春ってえ長か刹那の姉さんと合流するのが一番でさぁ!」

 

 

 処世術と生き残ることに関しては世界トップクラスと思われるカモ。混乱の最中で選択肢を示されたネギは素直に従うことを選んだ。

 

 

「まずはのどかさんや夕映さん達と合流しましょう! 皆を安全なところに誘導してから、詠春さんや刹那さんを探して合流します!」

 

 

 そして、二人と一匹が駆け出そうとしたとき――

 

 

 

「おーうおうおう、坊ちゃん嬢ちゃんらにしてはええ判断やと思うが……そういうんは儂みたいなんに見つかる前にするべきやったなぁ」

 

 

 背後から、声がかかった。

 

 その声にネギと明日菜が振り返れば、夜桜に彩られた日本庭園の奥、桜吹雪の向こうからこちらに歩いてくる人影が。

 

 

「誰ですか!?」

 

「あ、あにき……!」

 

 

 ネギ達は気づかないが、カモの勘は全力で警報を鳴らしていた。

 

 

 背中に棺桶のような巨大な木箱を背負った、黒の紋付き羽織の禿頭の老人は何かいけないものだと。好々爺みたく人の良い笑みを浮かべた老人が、先日の闇の福音と、それ以上に、常日頃何時いかなる時も笑みを絶やさぬ“学園長”にどこか重なるのだ。

 

 経験の浅いネギにはけしてわからない、笑顔の奥にある得体の知れない何かが、カモの獣としての本能は危険だと訴えかけていたのだ。

 

 

「誰て言われても困るんやが……まあええわ。さっき上で千草の嬢ちゃんが言うとったやろ。関西呪術協会反対派最高幹部、和歌山管轄刀久里鉄典。わかりやすう言うたら、坊ちゃんらの敵で、めっちゃえらい人や思うてくれたらええわ」

 

 

 刀久里は、話ながらも歩みを止めない。

 

 この刀久里、年齢的には麻帆良の近右衛門と同世代であるが、背筋はシャンとしていて、頭も当然後ろに伸びてなどいない。

ぬらりひょんと同世代の老人とは思えない堂々とした歩きで、ネギ達に近づいてくる。

 

 

「もうわかっとると思うが……子供相手に手ぇだすんも気ぃひけるんでなぁ。素直に捕まってくれへんかい? そうすりゃあ儂の名において身の安全は保証するさかい」

 

「……どうしてです?」

 

「うん?」

 

「どうして、こんなことをするんですか?」

 

「どうしてってなぁ……」

 

「西と東で、仲良くすればいいじゃないですか! 学園長だって仲良くしたいと言っていました! なのに、どうしてなんですか。こうまでする理由があるんですか!?」

 

 

 命知らず。もし誰かがこの状況を見れば、ネギのことをきっとそう評するだろう。

 

 

「……ふぅ。特別顧問から話は聞いとったが、この坊は親父の方とは違う方面で馬鹿か。見た目もよう似とるしなぁ。……いや、案外単に物をしらんだけか?」

 

「父さんを知ってるんですか!?」

 

 

 ネギの勢いの良い食らいつきに、刀久里はまたため息をついた。

 

 

「あの男、ナギ・スプリングフィールドと直接の面識はない。ないが、この京都に一時期住んどったからな。何度か遠目に見かけたことはあるが……別に坊には関係ないじゃろう。何せ今から儂に捕まるんやからな」

 

 

 その言葉に、ぐっとネギは杖を握り、明日菜もハリセンを召喚して構える。

 

 その様子を見て、刀久里は笑う。

 

 天を向き、大口を開けてただ笑う。

 

 

「カッカッカッカッカ! やぁめとけやめとけ! 坊ちゃんらじゃあ儂の相手になりゃあせん!」

 

「やってみないとわかりません!」

 

「いいや、わかるとも」

 

 

 人の良い笑みが、どう猛な獣のそれへと変わる。ニイィと唇の両端がつり上がり、大きな弧を描いた。

 

 それと同時。轟、と風が渦を巻く。刀久里を中心に霊力が吹き荒れ、一度は散った桜が巻き上げられて再び宙を舞う。

 

 その中央で、刀久里は背の箱を自分の斜め前に持ってきて、立てるように地面に下ろした。ズン、と箱が少し地面に沈む。

 

 

「既にお嬢様のご学友の方は手ぇうたせてもろた。無論、お嬢様もこちらが確保しとる」

 

「木乃香を!? どういうつもりよ!」

 

 

 明日菜が激高するが、刀久里はそれを無視して話を進める。ネギ達を戦わずして追い詰めるために。

 

 

「桜咲刹那も、坊ちゃんらとお嬢様ならお嬢様をとるやろなぁ? 助けはないで。それに……儂と戦ったところで具体的に何をどうするつもりや?」

 

「……え?」

 

「なぁおい、今がどういう状況かわかっとるか? まだ知らんやろが、全国規模で事態は動いとる。この京都の総本山だけやのうて、西日本全域が戦場や。儂一人相手にしたところでどうにもならへん。それでも抗うつもりか?」

 

 

 刀久里に気圧されたネギは、何も答えられない。何もわからないのだから、答えられるわけがない。

 自分の身一つ守れるかどうかもわからないのに、国土の半分など一人の少年には話が大きすぎるのだ。

 

 だから、ネギは黙ってしまった。なまじ頭が良い分、ただ漠然とした情報だけで無理だとわかってしまう。だから、それを否定する言葉がでてこない。

 

 そのまま、持っていた杖を下ろし、俯いてしまう。

 

 

「そんなこと、知らないわよ!」

 

「おう?」

 

 

 だが、ネギの隣にいた明日菜が、一歩前に踏み出した。吹き荒れる嵐のような霊力に、真正面から立ち向かうように。

 

 その姿は、まるでおとぎ話の騎士のように凛として。

 

 

「馬鹿だから難しいこととか全然わかんないし、何にも知らないけど……木乃香は私の親友なのよ! だから助けるの! お嬢様とかじゃなくて……パルとか朝倉とかもそう! 関西とかどうとか……関係ない!! 友達助けるのに、グダグダした理由なんかいらないのよっ!!」

 

 

 その言葉に、消えかけていたネギの心にも再び闘志の火が灯る。

 

 自分は教師であり、木乃香達は守るべき生徒なのだ。なのに、自分が先に諦めてどうするのか!

 

 

「やぁれやれ、やっかいなんわ坊やのうて嬢ちゃんの方やったか……」

 

 

 あきれ顔の刀久里。改めて杖を構えたネギの瞳から、先ほどまでのような迷いはすっかり消えている。

 

 すぐに切り替えができるのも、子供だからかと三度目のため息をつく。これが普通の術者などであったなら、現実を知るが故に、抵抗しようなどとは思わなかったはずだ。

 

 子供ながらに、たいしたものだと評価を改める。

 

 だが、手心を加えるつもりはない。

 

 ここはもはや戦場であり、世界を知らない少年少女が夢を語るための場所ではない。

 

 闇に浸り、黒く染まった大人達が、それでもなお己の意志を貫くために互いに喰らいあう場所だ。

 

 

「……どら、ちょいとかし世の中の理不尽さっちゅうもんを教えてやろうか」

 

 

 これ以上は何も教えず、意識を刈り取ることにした。中途半端に知識を得て、半端なまま世界を見るから何も考えずに首を突っ込み場を乱すのだ。

 だから、これ以上は会話も気遣いもいらない。悪いのは、この場に存在してしまったネギ達なのだから。

 

 刀久里は、箱を蹴る。箱の前面の蓋が外れて、ネギ達の方へと倒れた。箱の中身は、数多くの刀剣。

 

 いずれもが名のある業物で、中でも数本の野太刀は武器庫から盗ってきた歴代の神鳴流が愛用してきた名刀である。

 

 その中の小ぶりな刀が三本、青い燐光をまとってふわりと箱からでてきて宙に浮かぶ。

 

 

「最後のお勤めになるかもしれんさかい、一応名乗っといたろか。“剣霊使い”刀久里鉄典。……次目ぇ覚ましたら全部おわっとるさかい、安心して眠るとええわ」

 

 

 そして、その三本がネギと明日菜の動体視力を超える速度で打ち出され――

 

 

 

 ギャリィィィィ……ン

 

 

 

 ――全て、斬り払われた。

 

 それに目を剥いたのは刀久里。廊下の向こうから瞬動で現れ、ネギ達の前に飛び込んできた人物の顔を確認して表情を少し歪める。

 

 それは曲がりなりにも組織の代表である男。刀久里達が排斥すると決めた男だ。

 

 

「面倒やのう。ちょいと……話しすぎたか」

 

 

 刀三本。それを一刀のもとに斬り伏せたのは。

 

 

「長、さん……?」

 

「なんとか間に合いましたね。ネギ君」

 

 

 関西の長、近衛詠春がそこにいた。

 

 手には野太刀を持ち、厳しい顔をした詠春はネギ達を守るかのように刀久里と相対し、ネギ達には背を向ける形になる。

 

 

「遅かった……いんや、ふぬけた割にゃ速かったと言うべきか? なぁ詠春」

 

「刀久里さん……」

 

 

 詠春は目を伏せた。しかしすぐに目を開け、背後のネギに向き直った。

 

 

「ネギ君。麻帆良の学園長に連絡して現状を伝えてください。それと、ここから東北……先ほど千草さん、女性が映し出されていた方に湖があります。木乃香この符を使えば刹那さんと通信できるので合流して、なんとか木乃香を救出してください」

 

 

 詠春は符を渡し、それだけ言うと話はすんだとばかりに野太刀を構えた。

 

 ネギが何か言おうとするが、明日菜がその手を掴んで叫ぶ。

 

 

「行くよ、ネギ!!」

 

 

 そして、そのまま脇目もふらず手を引いて走り出した。

 

 その様子を、刀久里は手も出さず眺めていた。

 

 そのことに、詠春が不審げに眉を寄せて問いかける。

 

 

「良いのですか、行かせてしまって」

 

「かまへんわい。儂らのような“鬼”の戦いは若いのに見せるもんじゃぁないさ。それに、やったところで無駄やしの」

 

 

 その言葉に、詠春が表情をさらに険しくし、野太刀を握る手に力を込める。

 

 

「……木乃香を、どうするつもりです」

 

「さてなぁ。儂みたいな爺にゃさっぱりわーからへんのぉ」

 

 

 うそぶく刀久里。詠春の奥歯がギチリと鳴り、詠春の目が黒を帯びる。黒に染まった部分に吸い寄せられるように本来黒いはずの部分から色が抜けて白抜きのような状態になり、目の白黒が逆転する。

 

 それと同時、先ほどの刀久里と同じように、ただしこちらは気が吹き出し、散った桜を巻き上げる。

 

 

「……やぁれやれ。儂のノルマが長を抑えることたぁいえ、ちょいと老躯にゃきついんとちゃうのんか、これ」

 

 

 毛のなくなった艶の良い頭をかきつつ、そう呟く。刀久里の仕事は長である近衛詠春の対処。

 

 だが、話に聞いていた黒化した詠春の禍々しさに内心で舌を巻く。

 

 神鳴流が闇に堕ちるのは見慣れているが、ここまでの禍々しく、大きなものは刀久里も初めてだ。

 

 何度目かのため息を、またついた。今日だけでかなり幸せが逃げて行った気がする。

 

 それでも、まだ仕事がある。老いた身体にむち打つように気合いをいれる。

 

 手を前に向け、声を張り上げる。

 

 

「うっしゃやるかぁ!! 炎天、風花、業(ごう)、海原(うなばら)、落星(おつるほし)、末枯(うらがれ)、起きろやぁッ!!」

 

 

 箱から六本の野太刀が飛び出すと同時、詠春もまた地を蹴った。

 

 

 

 


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