麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第六十八話 開幕

 

 

 

 修学旅行、三日目の早朝。

 

 

 

 関西呪術協会本山。

 

 

 京の都と同じかそれ以上の歴史を持つ関西の本山には、術者にとって必要な多くの施設が用意されている。

 

 その中には、激動の戦乱や時代の潮流で忘れ去られたり、流行り廃りで使われなくなったものも多々ある。

 

 そんな過去の遺物の一つに、周囲を森に覆われた石舞台がある。

 

 大きな一枚岩を削って平らにした、神楽舞台と同程度の規模の石舞台。

 

 本山でも最も古い部類に属するそれは、地脈を抑える要石の一つであり、同時に祭壇であった。

 

 朝日が木々の間から差し込むその石舞台の上に、人影があった。

 

 

 

 人影は女性だった。

 

 女性は、くるりくるりと舞っていた。

 

 白の装束をたなびかせ、時には激しく、時には緩やかに。

 

 緩急をつけつつも、テンポの速いステップで円を描くように。

 

 凛とした表情に疲れを見せながらも、ひたすらに舞い続ける。

 

 風をはらんで髪は広がり、飛び散った汗が滴となって朝日に反射しきらりと光る

 

 左手に持つ鈴の音。右手の子烏造りの刀が風を切る音。

 

 そして石舞台を踏む音が、何の伴奏も無い中で一つの旋律を奏でる。

 

 そこに言葉はなく、詩もない。

 

 だが、意味ならばある。

 

 装束、道具、歩方、手の動作、息づかいにいたるまで。

 

 一つ一つが意味を持つ、呪術的に完成された舞。

 

 やがて、昇る朝日が石舞台全体を淡く照らしだす。

 

 それと同時に、女性は……千草は、石舞台の中央で刀を天に掲げ、ぴたりと動きを止めた。

 

 そして、その場に膝から崩れ落ちた。

 

 

「千草様!!」

 

 

 木の陰から、少女が飛び出した。

 

 

「……一葉か。ちょいと待ち」

 

 

 一葉に支えられた千草は、すぐにでも千草を運ぼうとする少女を押しとどめる。顔色は披露からか悪く、身体も熱を持っている。

 

 それでも、千草は少女を止めた。

 

 手に持つは、長さは小ぶりな六十センチ程、切っ先諸刃の子烏造り。それに親指の腹を食い破って血を垂らし、そこに符を貼り付ける。

 

 

「―――■■■……」

 

 

 力ある言葉とともに、符が力強く光り、刀が姿を変える。六十センチ程の刀身だったものが百センチ程のものになり、形も大きく変化する。

 

 日光を吸収する漆黒が、血のような、しかしどこか澄んだ赤い色に。

 

 緩く弧を描く切っ先諸刃の片刃が、左右に三つずつ枝刃がついた両刃の直刀に。

 

 いわゆる、七支刀である。

 

 六叉の鉾とも呼ばれていた太古の儀礼用の剣であるが、本物と違い刀身に文字は刻まれていない。なにより、本物は鉄製だが、これは全く別の素材を使っている。

 

 それに、これは切っ先は鋭利。実戦にも十二分に耐えうるため、性能からしてもまったくの別物と言っていいだろう。

 

 それが、朝日を浴びて朱に輝く。

 

 

「……あー、良かった。上手くいったわ」

 

 

 完全に脱力したような様子で、千草は七支刀を眺める。

 

 

「千草様! お気を確かに!」

 

「あー、聞こえとる…よと」

 

 

 一葉に支えられたまま、千草は立ち上がる。

 

 

「あっはっは。流石にウチでも、まる一昼夜舞続けるんは過酷やわぁ……」

 

「当たり前です! 何の補助もなく舞うなど、普通は一時間も持てば大成功なのです、それを一日も舞うなど……命を縮めるようなものです! どうかお休みください。私が責任を持ってお運びしますから!」

 

「一葉、父様は来とるか」

 

「はい、本山の方に来ておられます!」

 

「ほなこのまま歩いて連れてってくれるか。それまでに昨日の報告聞きたい」

 

「千草さ……!」

 

「なぁ、見てみい、一葉」

 

 

 必死に休養をすすめる一葉に、千草はひょいと片手で細身の七支刀を掲げてみせる。

 

 まるで重さを感じさせない軽やかな動作。

 

 汗で髪が額に張り付き、顔色もどんどん悪化しているが、それでも千草の顔には笑みが浮かんでいる。

 

 

「なぁ、まぁそれなりに立派な剣やろ?」

 

「……はい」

 

「方々に祀られとる“神器”や父様の“赤い剣”に比べたら粗末なモンやろけど、現代で作られたこと考えたら上等やろ?」

 

「はいっ!」

 

「怒鳴らんでも聞こえとる。……これだけのモンつくれたんや。ウチはまだまだ死にゃあせん。まだまだいける。仕込みも今できる分はこれで終いや。せやから、もうちょっとだけ、頑張らせてぇな?」

 

 

 既に大人である千草からすれば、まだ少女と言っていい一葉に心配をかけたのは充分わかっている。

 自分がまる一昼夜行ったのは、舞という形でもって幾多の術式を複雑怪奇なまでに融合させた恐ろしく難解な術式だ。

 

 その複雑さと過酷さから並の術者な十分持てば御の字。それを千草は二十四時間、不眠不休でやり通した。

 

 そのせいで心配させたのもわかっている。一葉が唇を噛んでいる理由もわかる。自分だって正直精神力は限界に近い。でも、まだ休めないのだ。

 

 だから。

 

 

「わかった。三時間や」

 

「え……?」

 

「父様にダイオラマ魔法球を持ってきてもらうように頼んどいた。せやから、今までの報告聞いたら素直にそこで休む。外の一時間が中の一日や。それで文句ないやろ?」

 

「……はいっ!!」

 

 

 少しだけ笑顔を浮かべた一葉に、千草はかろうじて苦笑を返した。

 

 

 

  ◆

 

 

 

 道すがら、千草は一葉に肩を支えてもらいながらも自分の足で歩き、報告を聞く。

 

 

「ほな、中立派は皆こっちに取り込めたんやな?」

 

「はい。刀久里様が『上手くいった』と仰っていました」

 

「皆は今どうしとる?」

 

「当初の予定どおり、最高幹部は手勢と共に各地の拠点で最終準備を開始しています。水無原様も既に■■■に向かわれました。現在京都近隣にいる最高幹部は、千草様、刀久里様、特別顧問のお三方だけです。長とその周囲にもこれと言った動きはなく、まだ感づかれてはいないかと」

 

「上々。けど、やっぱり鶴子はんは動けんか……」

 

 

 苦笑する千草。鶴子は現在入院中である。

 

 先日の詠春暴走の少し前に妊娠がわかり、大事を取ってのことである。

 

 結婚六年目、これを機に最高幹部の引退も考えているそうだが、千草としては残って欲しいというのが本音である。

 

 が、それもやむを得ないことだと諦める。

 

 二十年前を知る古参、かつ最高幹部として強力な戦力でもある以上に、姉のような存在であった彼女がいないのは大きな不安要素ではあるが、自分達でもやり遂げてみせる。

 

 そうすれば、彼女も安心して引退できるだろう。

 

 寂しいという思いが、ないわけでもないのだが。

 

 

「小太郎やフェイトらは? どないしとる?」

 

「小太郎は一日身体を鍛えていた模様です。フェイト、暦は特別顧問と何か話していたようですが、挨拶程度かと。今は特に何をするでもなく、与えられた自室で過ごしています。ただ、本山で備蓄しておいたコーヒーの減り方が異常ですが」

 

「ふぅん。まぁどうせ元々飲む人間がそんなにおらんし、のうなったらのうなったで買い出しに……ん? 月詠は? その間なにしとったんや?」

 

「今日の為に衣装を選んでいたとか。県外にも足を伸ばしていたようですが、既に戻ってきております」

 

「ならええわ。まだ、本山(ここ)に親書とがきんちょどもは来とらんな?」

 

「はい。千草様の予想通り、自由行動の今日、こちらに来る腹づもりのようです」

 

「となると……今んとこ特に問題はなさそうやな」

 

「ただ……」

 

「ん? なんかあったんか?」

 

「それが……」

 

 

 一葉が語ったのは、千草が舞を舞っていた間、修学旅行二日目の夜に起きた英雄の息子とその近辺での出来事。

 

 それを聞くにつれ、どんどん顔を険しくしていった。

 

 

「仮契約の陣を建物全体に敷いたやと!? 無関係な人間も巻き込んでまうやないかっ!妨害はできんかったんか」

 

「はい。試みたそうですが、対象が多く、そのほとんどが一般人かつ常に移動していたことや、一時ネギ教員の変わり身が複数出現するなどで混乱が生じ失敗しました。どうも陣が予想以上に強固だったというのもあるようですが……申し訳ありません」

 

「……しゃあないやろうな。たぶんあの獣の仕業や。オコジョ妖精、曲がりなりにも妖獣の類やったいうことか」

 

 

 疲れもあいまって、鬼気迫る表情の千草がはっした言葉は、囁く程度の大きさであったにもかかわらず一葉にもしっかりと聞き取れた。

 

 

「所詮は子供や思とったうちの間違いや。じじいの差し金やろからガキはともかく、獣は仕留める。一般人を裏に巻き込んだ言うんは論外や。裏の世界は一寸先が修羅の道。狂気と隣り合わせの世界に、中学生の嬢ちゃんを己の欲の為に巻き込んだやと? ふざけよって……!」

 

「千草様……」

 

 

 それからは口数も少なくなり、黙々と歩き続ける。

 

 本山の、セイに割り当てられた部屋に着く頃には、一葉はともかく千草は雨にうたれたのかと思う程に汗でびしょ濡れだった。

 

 セイの魔法球、『黄昏』に入る寸前、千草は一葉を呼び止めた。

 

 

「一葉」

 

「はい」

 

「昼間の内は計画通りにな」

 

「はい」

 

 

 直立不動。特に表情を動かすこともなく淡々と答える。

 

 

「……一葉」

 

「はい」

 

「……急ぎすぎたらあかんえ」

 

「は……?」

 

「今、ちょっと熱くなっとるやろ」

 

「いえ、そのようなことは……」

 

「あるやろが。あほ」

 

 

 一瞬こわばった顔をとりつくろい否定しようとするするが、千草はそれに言葉をかぶせ、さらに一葉の頭に手を乗せわしゃわしゃと乱暴になでた。

 

 

「それじゃあかん。午前中は誘い込みや。やり過ぎても、やらなすぎてもあかんのや。一葉には月詠のストッパーもしてもらわなあかん。せやから、いつもどおりで行き」

 

「……わかりました」

 

 

 しゅんとして、少し悔しそうな表情をする一葉。

 

 憮然としているようにも見えるが、そんな娘でないことは千草もよく知っている。

 

 だから、セイに肩を借りて立ち上がった千草は、一葉の頭に手を置いた。

 

 

「一葉はちいと固すぎるんやな。月詠に、少しは気ィ抜くコツ教えてもらい。月詠みたく抜きすぎるんもアレやけど……まあ、それができたら一人前や。がんばり」

 

「……はい」

 

 

 一葉の前で、千草は魔法球に消えた。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「……特別顧問殿」

 

「なんでしょうか?」

 

「私は、急ぎすぎているように見えていたのでしょうか……?」

 

「それはもう」

 

「あう……」

 

 

 関西呪術協会最高幹部会特別顧問、玄凪セイ。長い間戦乱の下に身を置いた彼の言葉には、否応のない説得力がある。

 

 ある者は、己の強さの証明のために、その強大すぎる力を戦場で無意に振るった。

 

 敵には憎しみをもって赤毛の悪魔と、味方には畏怖をもって千の呪文の男と呼ばれ、ついには英雄となった赤毛の少年。

 

 またある者は己を悪の大幹部などと嘯きつつ、世界を崩壊させ、一つの救いをなそうとした。

 

 

 良きも悪しきも多くを見続け、語られる事無い歴史の断章を知る生き証人。それが、玄凪セイである。

 

 その彼の言葉には、年月に裏打ちされた、それ相応の重みがある。

 

 

「ま、千草ちゃんの言ったように気楽にやってみなさい。若いんですから、多少の失敗は私達大人が何とかしましょう。……そんなことが許されるのも、柵のない若い内だけですよ?」

 

 

 

  ◆

 

 

 

「と、いうことがあったのです」

 

「ほへー、気ぃぬくですかー。んー、むつかしいどすなー」

 

 

 京都市内。雑居ビルから眼下を見下ろすのは、一葉と月詠の二人。

 

 視線の先には、目標である“お嬢様”こと近衛木乃香がいる。

 

 

「……一葉さんはー、どうして戦いはるんですかー?」

 

「え?」

 

 

 月詠の唐突な問いかけに、一葉は気の抜けた声を返す。

 

 

「ウチは戦うのが好きで戦うてますからいつでも素のままでおりますけどー、一葉さんにはなんかキチッとした理由があるんとちゃいますのー?」

 

「戦う理由、ですか」

 

「そうですー。ありますやろー?」

 

「……ええ、ありますよ」

 

「ほなら、いっぺんそれを忘れて戦うてみたらどないどすー? あんまりやりすぎてもウチみたいになってまいますけどー」

 

「つまり、無我の境地のような“ただ戦う”ということですか?」

 

「ちょっとちゃいますえ? んーとー……」

 

 

 月詠はかわいらしく小首をかしげ、うんうんとうなっている。どうやら言葉を探しているらしい。

 

 

「千草さんの言いたかったこととは違うんやろけど……己を研ぎ澄ませるんどす。刀も、自分も、心も、身体も。全部そろってウチなんどすわ。どれか一つでもかけてしもたらあかんのですー。刀は無茶な使い方したら悪なりますしー、心が乱れたら剣もぶれてまいますやろー? そうなったらウチはウチで……あ、そうですわー」

 

「……? 何か?」

 

 

 月詠が、ぽんと手を叩いた。

 

 

「さっきの言葉、取り消しますわー。ようは、いつでも最高の自分であればいいんですー」

 

「最高の、自分?」

 

「そうですー。刀も硬いだけでねばりがない刀はあきませんしー、逆に弱すぎてもあきません。刀を振るうのに力んでも駄目でー、かといって脱力しすぎても刀はすっ飛んでてまいますー。せやから、ちょうどええところで最高の動きができる自分を想像するんですー。自分の最高の理想、最善の現状を体現できる、そんな状態ですわー。今の一葉さんは力みすぎてますから、ちょっと気ぃ抜いたらええんとちゃいますー?」

 

「……それ、最初に戻ってるじゃないですか」

 

「……はらー?」

 

「ふう……まあいいです。答えは自分で見つけますので」

 

「そうですかー」

 

 

 ため息をついた一葉は、視線を再び木乃香に向ける。学友の少女達とはしゃぐ姿は、年相応で、なんの影もあるように見えない。

 

 周囲にいるのは、ただ一人の護衛である烏族とのハーフ、桜咲刹那を除けば皆ただの一般人、既にネギという少年とそのパートナーは本山に向かったためあの場にはいない。そちらには、小太郎と暦がいるので問題ない。

 

 裏の要素が隠されてこそいるが、そこにあるのは日常。紛れもない平穏。

 

 そして、それを今から壊すのは、紛れもなく自分達だ。

 

 大義の為などではない。

 

 大義など所詮は名目、建前にすぎない。果たすべきは己の信念。

 

 自分達はただ自分の信ずる道を行き、立ちふさがる全てを排除する。

 

 その事実から目を背けることなく、さりとて振り返ることもなく歩き続ける。

 

 

 

 犬上小太郎は己の武を高める為に戦う。

 

 月詠は己という刀の存在意義の為に戦う。

 

 自分は……自分を“救ってくれた”千草の理想の為に戦おう。

 

 

 

 ――否。

 

 

 

 今この時この瞬間より千草を助けたいという、自分の欲に従い戦うのだ。

 

 

 

 今日一日で、関西呪術協会の全構成員、数百、数千、数万……それらと関わりを持つ数え切れないほど人間の運命が動く。

 

 世界一つを支配する魔法使いからみれば、小さな小さな世界の喜劇。

 

 それでも、小さなつぶてはやがて大きな波紋を呼び起こし、多くの物を揺り起こす。

 

 水面の底で眠れる物、水面の狭間で移ろう物。それら全てが動き始める。

 

 その幕を上げ、開演を告げるのは自分なのだ。

 

 他の誰でもなく、自分なのだ。

 

 全ての始まりを告げる。それが引き起こす影響の大きさはまだ理解できていない。

 

 だが、これから否が応でも実感できるようになるのだろう。

 

 

「……月詠、準備はよろしいですか?」

 

「いつでもどうぞー?」

 

「では……参ります」

 

「はいなー♪」

 

 

 

 京都の街を、二人が駆ける。

 

 

 

 かくして、争乱の幕は上げられた。

 

 

 





 にほんにも、やせいのおこじょが、いるそうな。

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