「お待たせいたしました。ご希望された、関西融和反対派、その中でも一定以上の地位にある方がお会いになられます。……こちらへ」
「はい」
京都市内のホテル。そのロビーで待っていた暦(コヨミ)は、現れた関西呪術協会の案内役につれられ、ホテルから外に出た。
なんでも、少し歩くらしい。
迎えに来たのは、自分と同じくらいの年に見える一葉(ひとは)と名乗る少女。それをぶしつけにならない程度に観察する。
シンプルな白のシャツに、チノパンというを落ち着いた、というよりは地味なコーディネートで、髪は肩口で切りそろえられている。
白いシャツを押し上げる胸は……、うん、比べるのは良くないと思う。自分くらいが標準なのだ。うん。大きいことは必ずしも良いことではない、はず……
視線を胸から外し、全体を見る。……少なくとも今は得物を持っているようには見えないが、旧世界の中でもこの日本の裏の組織、とくにニンジャと呼ばれる者達は隠密に特化しているという。
彼女がそうかどうかはわからないが、油断はできない。
自分は、敵地のまっただ中にいるのだ。
◆
暦という偽名を名乗る自分は、かつては魔法世界で一大勢力を築いた秘密組織・完全なる世界の所属ということになる。
主であるフェイト・アーウェルンクスは自分を救ってくれた恩人である。それは、悪の大幹部であろうとなかろうと関係ない。
悪の大幹部であろうと無かろうと、命を救ってくれたのはフェイトであり、親を失った自分の生活の面倒を見てくれたのもまたフェイト。
だからこそ自らの意志で決断し、日の当たる世界を捨て、日陰を歩く主の側に付き従うことを選んだのだ。
その主たるフェイトから下った命令は、旧世界の極東、日本というこの国で、大戦の英雄ナギ・スプリングフィールドの息子、ネギ・スプリングフィールドが将来どの程度の驚異になるかを見極めるために関西呪術協会に協力するというもの。
そのために、黒髪黒眼であるというのと、この日本にいる固有種、狗族に容姿が似ているという理由で自分が選ばれた。
耳を消したりすることは出来ないので、今は大きめの帽子で隠している。
フェイトからはくれぐれも気を付けるようにと、ゆめゆめ油断などしないように言われている。理由を聞くと、なぜか口ごもっていたが……
「到着しました」
「ここ、ですか?」
「ええ、こちらでお待ちです」
着いたのは、町中にある普通の雑居ビル。
このビルの四階に、その人物がいるらしい。このような雑居ビルで会おうというのだから、それほど偉くない中堅どころの人物なのかもしれないと、暦は勝手に判断する。
暦はこの時、少しうかれていた。フェイトからは、数日で合流すると聞かされていた。
そして、合流するのはフェイトだけらしい。
つまり、自分とフェイトの、二人きり。
仲間達(邪魔者)は、いない。
情緒豊かな異国で、フェイトと自分は二人きり。
異国での夜も、二人きり……
「……あの、着きましたが?」
「はっ!?」
いつの間にか桃色の妄想に入り込んでいた暦ははっとした。
目の前には、表札の出されていないシンプルな鉄の扉が一つ。
一葉はためらいなくその扉を開けて入り、中にいた男二人に挨拶してから奥にあるもう一つの扉へと進む。
雑居ビルには不釣り合いな、銀行や大会社の応接室のような重厚な黒い木の扉で、銀色ののドアノブには精緻な紋様が刻印されている。
どうやら、なんらかの術式がなされているらしい。
「先に言っておきますが」
くるり、一葉がとこちらを向いた。
「気を、しっかりと持つことをおすすめします。ーーーくれぐれも、気を失わないように」
え? と聞き返す間もなかった。
一葉は後ろ手に持ったドアノブを回し、暦に道を空けるように身体を脇へとどけながら扉を開い。
暦に余裕があったのは、ここまでだった。
――感じたのは、全身にまとわりつくような濃密すぎる魔力。
それに、突き刺さるような明確な敵意。
全身が泡立つような、明確に認識できる生命の危機。
剣の切っ先も、銃口も無い。しかし死が目前に迫っている。そう錯覚してしまう。
「――よう来はったなぁ、お嬢ちゃん」
暦を見るのは、三対の目。
中央にすわる綺麗な女性の口が弧を描き、美しい笑みをつくる。
それを見てしまった暦の身体は、まるで石になったかのように動かない。
自身の身に受け継がれる獣の本能が、少しでも目の前の存在から離れろと、逃げろと叫び続けているのに。
――目の前にいるのは、本当に、人なのか……!?
そんな暦の内心を知ってか知らずか、真っ赤な弧が形を変えた。
「――ようこそ。千年の怨が今なお渦巻く、この京都に。歓迎するわ」
背後で、静かに扉は閉じられた。逃げ道をふさぐかのように。
◆
おかしい。
世界が歪む。明滅する。
フェイト様の従者たらんと、日々訓練している自分が、こうもたやすく気圧された。
息が詰まる。足が地に着いているかどうかわからない。
こんな旧世界の辺境に、こんな化け物達がいたのか。
自分は、化け物の腹の中に飛び込んでしまったのか。
あれほど、注意はうけていたのに。
自分はもうフェイト様と――
「っ!!」
ぎりっと、手を強く握る。鋭い爪で自分の掌を傷つけ、痛みでもって意識をむりやり覚醒させる。
頭に一瞬浮かんだ己の主の顔を、より強く思い浮かべる。
自分はフェイト様の信を受けてここにいるのだ。失敗は、信頼を裏切ることはそれこそ死んでも許されない。
――自分を、律しろ。
地に足は着いている。
自分はちゃんとここにいる。
自分の役目は交渉、その先駆け。
相対するは怪物ではなく、人間だ。
「―――――っ」
一度目を瞑り、息を深く吸い、ゆっくりとはき出す。呼吸を整え、自分を落ち着かせるために。
さあ演じろ、暦。
今のお前は無力な子供じゃない。
暦の名を賜った、フェイト様の従者だ。
「――お初にお目にかかります。魔法使い、フェイト・アーウェルンクスが従者、暦と申します」
◆
「ほう」
自分の右隣、禿頭の老人が声を漏らす。その表情は、軽い驚きというか、面白いものを見たという風だ。
それは、自分も同様である。
魔法使いの従者。それがどのような者であるかわからなかったので、試す意味を込めて最高幹部三人そろって霊力を出しつつ威圧した。
やってきたのは少女で、気圧されてすぐにでも気を失いそうな様子だった。
だが、少女はそこから持ち直した。
強者がはじめから威圧を受け流すのではない。弱者である少女は一度それを真正面から受け、自分を見失いながらも耐えた。
さらにその上、自身の役所をきちんと演じ、立て直して見せた。
「……まぁ、座りぃな。慣れん異国で疲れとるやろ?」
これは高く評価できる。
最高幹部三人の威圧。本気でないとはいえ、まともに相対して耐えられる者は多くない。
これに耐えられるのは、自分の心の内に思う人か信ずる誇りか、何らかの強い柱を持つ者のみだからだ。
この少女はそれに耐えたのだから、まあ合格と言っていいだろう。
もっとも主の名前は、見過ごすことのできない名前ではあったが。
「ン……遠方から世界の果てまでよう来はった。ウチは天ヶ崎千草。関西呪術協会最高幹部の京都担当の一人や」
「同じく。滋賀方面担当の最高幹部、水無原冬雅(ミナハラ・トウガ)です」
「刀久里鉄典(トクリ・テツノリ)、最高幹部や。受け持ちは和歌山方面やが、言うたてわからへんか?」
目の前の少女は、絶句どころか凍結封印をくらった妖怪みたいにガッチガチに硬直した。
無理は無い。ある程度の、話ができる程度で良いというのに最高幹部が出張ってきたのだ。
下請けの取引で係長クラスの打ち合わせだと思っていたら親会社の重役が揃っていたようなモノだ。
酷い詐欺だと苦笑する。
「……そないに緊張しんすな。とりあえず儂らはお嬢ちゃんが芯のある、交渉くらいはしてもええ奴やっちゅうのはわかったし、孫みたいな年の子供に怒鳴り散らしたりもせん。ほれ、まんじゅう食うかい?」
「……え、あ。い、いただきます」
緊張をほぐそうとしたのか、老人、刀久里が袖からまんじゅうを出して暦に差し出した。アレは袋を見るに、表には出ない最高級栗まんじゅうだったはず。
暦も珍しそうにそれを見た後、そっと口に運ぶ。自分達だったから良いが、もしこれがMMとかだったら毒や洗脳に使う薬が入っていてもおかしくはない。
やはり、良くも悪くもまだまだ未熟。今後に期待といったところか。
「一葉、お茶出したり。爺さんもそないに次から次からまんじゅう出したら話が進まへんやろ」
「おぅと、そらすまんよ」
コトリ。あらかじめ用意してあったのか、いつの間にか部屋の中に入っていた一葉によってほどよい熱さの緑茶が少女の前に置かれる。
この部屋はドアに細工がしてあり、二つの部屋につながる。
一つは擬装用の、もとからビルにある普通の部屋。もう一つが今いる応接室。
裏の関係者専用であるために、当然お茶なども最高のものがそろえられている。
少女がそのお茶に口をつけると、目を見開いた。きっと今までで一番美味しいのだろう。
そのタイミングを見計らって、交渉を始める。
「それで、悪名高き『完全なる世界』の大幹部、造物主の使徒アーウェルンクスの従者が、関西に協力しようっちゅう理由を訊かせてもらおか」
「ごふっ!? ケフケフ……っ!」
少女が、派手にむせた。
◆
むせた。
いままで飲んできたモノとはまるで別物、もはや別次元の美味しいお茶が気管に入って、激しい咳が出る。
やられた。美味しいまんじゅうから始まって美味しいお茶でもってペースを崩す。一度油断させて、不意を突く。
これが極東流の交渉術……!
気恥ずかしくて相手を、中央の千草という女性をにらむ。
すると、意外なことに彼女の左右からも彼女を非難するような視線が向けられていた。
「……嬢ちゃん、子供相手に何しとるんや」
「千草さん、ちょっと見損ないました。あ、これよかったらどうぞ」
水無原という若い男の人が親切にハンカチを貸してくれたので、それで口元をふく。
「あれ? ウチが悪い流れか? でもウチ結構重要なこと言うたで?」
そうだ。それだ。
何故目の前の女性は、フェイト・アーウェルンクスとう存在が、自分の主たるフェイトが完全なる世界の大幹部だと知っている!?
「不思議やろ?」
いつの間にか、三人の視線が自分を向けられている。
「ま、その辺もあわせて、のんびり話していこうや。時間はようさんあるんやろ?」
再び、千草の唇が弧を描いた。
そして、さも楽しそうにからから笑う。快活であり、重くもある。
――助けてください。フェイト様。
暦には、やはり少し荷が重かったかもしれません。
びんぼうくじという。