「ぬっ……?」
図書館島地下。異常なまでに書架が立ち並び、それに比例する量の本を収めるある意味日常からかけ離れた場所で、一人の少女が足を止め、何も無い遠くの一角を見つめていた。
女子中学生と言うには少し不釣り合いな長身に、うなじで一つに束ねた黄緑の髪。いつもは糸のように細い目を開き、遠くを見つめる少女の名は、出席番号二十番、長瀬楓と言った。
「どうしたアルか、楓」
それを訝しんだ他の少女が楓に声をかける。出席番号十二番、中国からの留学生、中国武術研究会部長クー・フェイである。
彼女の問いに、楓は遠くを見つめたまま答える。一瞬たりとも視線をある一点から外さぬままに。
「何かいるような気がしたのでござるが……」
「む、図書館の幽霊アルか!?」
クーフェイが構えをとり警戒するが、楓はやがてやれやれと言った様子で首を振った。
「いや……気のせいだったようでござる」
「ム、ちょっと残念アル」
その言葉に楓もすまんでござると言って笑い、頭をかく。
「むむ、少し夕映殿達と離れてしまったようでござる」
「それはまずいアル、走るネ楓!」
そう言って、二人は細い書架の上を走り始める。
「あいあい」
二人は、風のようにその場を後にした。
◆
「……行ったッスか?」
「……そのようです」
長瀬楓が見つめていた先、正確にはその書架の裏に、彼らはいた。上下ジャージの集団が、重力を無視するかのように“横向き”に直立していた。彼らの足はまるで吸盤のように書架から離れないし、落ちない。
そう、彼らこそは関東呪術協会の実働部隊、神里空里配下の忍び部隊なのである。たとえ全員ジャージでも。
そんな彼らの中の一人が口を開いた。
「いくら甲賀の中忍とは言え、中学生に気取られるとは大失態っす。長にばれたら減給ものッス。原因は?」
他のジャージが緑なのに対し、一人だけ深紅のジャージの若い男。彼の名前は神里空里。関東の幹部の一人にして部隊のリーダーである。
ちなみに、彼は他と違い雪駄を履いている上、頭には“忍”でなく“認”と書かれたバンダナを巻いている。
それでも落ちないが。
「佐藤ですね。こいつが本の帯踏んで滑りました」
「ちょ、田宮さん!?」
慌てる部下の一人を見て、空里は一つウムと頷く。その目には服装とは裏腹に冷酷な光が宿っていた。
そして、彼は告げる。――死刑宣告を。
「……ペナルティっすね。佐藤は本部に帰ってから開発班の新薬試飲か、帰る前に長とさよさんのデスコースかのどっちか受けろ」
「うげ!?」
「達者でな、佐藤」
「元気でな、佐藤」
「お前のこと忘れないよ、佐藤。……次の給料もらうまではな」
「すまんな、佐藤。でもみんなの給料とお前だと、給料の方が大事ッスから」
「ひどっ!?」
皆が口々に棒読みで佐藤に別れを告げる。オマケに最後の空里の身も蓋もない本音に、佐藤も流石に悔しかったらしく地団駄を踏む。横向きのまま。とても器用である。
「ま、とりあえずこの件はおいとくとして、マッピングの進行度合いはどんなもんっすか?」
「図書館島、という意味でなら六割ほど。しかし地下全体では一割にも満たないかと」
「だいぶ散らせてるのに一割っすか。今の所“地図”との整合具合は?」
「……図書館エリアはあまり合いませんが、後の一割はほぼ一致しています」
空里を始め彼らが見ているのは、携帯電話ほどの端末から投影された3Dマップである。上の方の一部は青色で、下の方の大部分は赤で色分けされており、少しずつだが青の部分が今も増えていっている。
「ま、今回はぼちぼちいくっす。あくまで“お嬢様”の護衛が目的ッスからね」
「ですね」
「よし、んじゃあそろそろいけ」
空里の号令の元、再びジャージ姿の現代の忍者達が地下の闇に紛れて動き出す。その直前、空里は彼らを呼び止めてこう言った。
「ただし、次気取られたら佐藤の倍のペナルティッスから、気を付けるッスよ」
ジャージの集団は、一瞬だけビクッ、としてから音も無く姿を消した。
◆
空里は部下を二人、佐藤と田宮を残して後の全員を麻帆良地下のマッピング、地図の作成にまわした。
今回の潜入。空里という関東でも上に位置する幹部が直々に動いたのは、麻帆良地下の地図作成における“前線指揮”を取るためだ。
セイはもともと麻帆良の地下に存在する、セイがいた頃よりずっと昔に“何者か”によって造られた遺跡も含めて地下構造の大半を知っている。
だが、あの日魔法使い達は地下から侵入してきたのだ。なら、構造が自分が知る物と変わっていても不思議ではない。それではいざ侵攻作戦の時に不都合が出るかもしれない。
だから、新しい地図を作成するために“お嬢様の監視と護衛”という建前を利用し“アルバイター”という囮を造り出した。
今頃は魔法先生の注意はそちらにむかっているだろうし、セイも動くと言っていたのでタカミチ・T・高畑や近右衛門の注意もある程度分散されているはずだ。
しかし、建前とはいえ護衛をないがしろにするつもりはない。そのために、自分と部下二人はこうしてお嬢様の監視を続けている訳なのだが……
「うっわ、すげぇ……」
「……」
男三人、その視線の先には。
ツイスターゲームという桃源郷が、あった。
「佐藤、田宮」
視線は外さぬまま部下に声をかける空里。それに二人は同じく視線を外さぬまま答える。何から視線を外さないかは書かない。
「西の長に提出用のビデオとは別で録画はしてます」
「流石ッス!」
女子中学生達がたどり着いた先、あったのは本当に魔法の本。流石にこれはまずいと思い、眠らせようかとも思った空里だったが、そこで事情が変わった。
突然横の石像が動き出したのだ。
それも『フォフォフォ……この本が欲しくば、儂の質問に答えるのじゃーフォフォフォ』と言いながら。
「……ハッ、違うッス! 音声照合かけるっス。ぬらりひょんとの!」
「もう既にすんでます。適合率九十八・七六パーセント」
カメラを構えたまま田宮は空里に端末を見せる。それを見て、空里も頷く。
「よし、これで大義名分ができたっす! 一芝居打ってからアレを潰すッスよ!」
「今からですか?」
「ツイスターゲームが終わってからッス」
「……これバレたら、長に粛正されませんかね」
「どっちの? 西? 東?」
「両方」
顔を見合わせ、青くする。
「……消すッス」
「……無念」
二台合ったビデオの内、片方は片付ける。
そうこうしている内に、動きがあった。
石像によって足場がたたき割られ、中学生達が強制退場させられたのだ。
「! 行くッス。二人は待機」
「はい!」
そして、空里は飛び出した。
「そこまでッス!」
『フォフォフォ……フォ?』
「大変ッス。お嬢様達が落とされてしまったッス! 助けにいくにも、この石像を何とかしないと行けないッス!」
『フォ!? お主は関東の!? 待て待つんじゃ、儂は……』
「まっさっかっ! こんな所に魔法使いのゴーレムなんかがあるはずないッスよね! お嬢様は約定で魔法と係わらせないことになってるッスから、これは事故で、きっとこいつも誤作動を起こした太古のガーディアンか何かに違いないっす!」
石像(?)が何か言う前に、そう言い放つ。こういう物は勢いまかせな面もある。事実、ここまで言われてはぬらりひょんも一瞬言葉に詰まる。
その隙に、空里は自分の獲物を召喚する。
「こうなったら、一発でかいのでさくっとやっつけるッス!」
『フォ、それは!?』
それは灰色の鋼の杖。鈍く輝くそれは、見ようによっては西洋のメイスのようにも見える。
「取り出したるは、魔法のステッキ――」
『よすのじゃ! そんなもの人に向けてはいかん!』
「シュトゥルム・ファーウストオォーーッ!!」
◆
「ん?」
「どうしました?」
「ふん、何でもない」
「そうですか」
世界樹前広場。そこで二人の人物が相対していた。
どこから持ってきたのか、机と二客の椅子。机の上にはティーカップやポット、茶菓子などが並べられている。
まだ、紅茶は注がれていない。
人通りのない夜の麻帆良。雲はなく、月を隠す物は何も無い。
相対するは金と翡翠。
傍らには金にメイドが、翡翠に執事が。
「良い月だ。貴様もそう思うだろう? なぁ、“笑う死書”(スマイリー・ライブラリアン)?」
「ええ、そうですね。本当に良い月です。“闇の福音”(ダーク・エヴァンジェル)」
今日はここらで打ち止めです。
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