「あれ? 木乃香、今日どこかいくの?」
麻帆良学園、早朝。
その女子寮の一室で、神楽坂明日菜は自分の親友の見慣れない姿に困惑していた。
近衛木乃香は毎朝早くから、新聞配達にいく自分のために朝食を作ってくれているのだが、いつもは朝早いということもあってパジャマのまま、作り終わった後は再びベッドにもどっている。
だがその木乃香が、今日はいつものようなパジャマではなく少しおしゃれな余所行きを着ている。
それに今日は休みである土曜日。どこか機嫌が良いようにも見えるし、外出する用事でもあるのだろうか?
「んー? えっとなー、今日は知り合いのおじさんが麻帆良に来るから、お出迎えに行くんよー」
「だからそんなにオシャレしてんの?」
「うん。お父様の知り合いで、家の偉い人らしいからきちんとした格好しときたいんよ。それに、小さい頃はよーお菓子とかもろて可愛がってもろたんやけど、会うんは久しぶりやからちょっと気合い入ってしもて」
「ふーん……いつ?」
「午前中には来るみたい」
「……じゃあさ、私も行ってみていいかな? そのおじさんがどんなのか気になるし」
もちろん、気になるというのは好奇心だけでなく、高畑先生のような渋いおじさんを想像してのことである。
「ええよー。先に駅前で待ってるえー」
「うん。それじゃ私は新聞配達行ってくるねー」
「がんばってなー」
まだ朝の寒い、一月のある日の会話である。
◆
「やっと、つきましたか」
駅から空を見上げて、つい言葉が漏れた。
麻帆良。
思えばここに帰ってくるまで随分と長い時間がかかった物です。あれから、二十年もたちますからね。
目が覚めて、変わり果てた麻帆良を見てショックを受けたのを今でも覚えています。西洋のような町並みに、夜にもかかわらず光り輝く派手なパレード。
そして、さよさんとの出会いと、そこからの逃避行。
良くも悪くも印象深いことが多かったですね。今思えば。
でも今、日に照らされた今の麻帆良を見て、やはり変わってしまったのだと実感します。
二十年前以上に発展した町には、私がかつて、百二十年前に過ごした日々を思い出させてくれるものが何一つ無いのです。
ただ一つ、彼女が眠る世界樹を残して。
「セイさん……どうかしました?」
「ん、いえ」
少し、顔に出ていたかもしれません。いけませんね、この麻帆良はさよさんにしても長い時間を、たったひとりで過ごし続けた場所でもあります。私が感傷に浸っているわけにもいきませんよね。
「少し、昔を思い出していただけです。あの時は困りましたよ、何せ、いきなり泣き出すんですから」
「え、ちょっ、セイさん!!」
さよさんがにわかに顔を赤くします。
これも、懐かしいですね。幽霊の少女を見かけて気になって、声をかけたらボロボロ涙を流して泣き出したんですから。
あの時はとても困りましたが、今思えば良い思い出です。
「ふふ、あのころのさよさんは可愛かったですね。もちろん今も」
「!! もう……怒れないじゃないですか」
さよさんが少しすねてしまいました。照れているのも可愛いのですが、これはご機嫌をとらないといけないかもしれません。
麻帆良でも餡蜜の美味しいお店とか探しに二人で歩いてみましょうか? そういえば最近二人っきりでのんびりと町を歩いたりとかしていませんし。
「マスター」
おっと、随分と思考の海に沈んでしまっていたようです。思い出に浸るのはまた今度にするとしましょう。
「マスター迎えってあれかな」
時雨が指した方向には、木乃芽さんによく似た少女が立っていました。間違いなく木乃香ちゃんでしょう。
「流石時雨、しかしなぜわかったんです?」
「んー、なんとなく木乃芽と魔力の感じが似てたよ」
……そんなもんですか。ま、気にしてもしょうがないですか。
おっと、向こうも気づいたようですね。こちらにむかって少女が二人走ってきます。ツインテールの娘は木乃香ちゃんの友達でしょうか? 仲良きことはいいことです。
「セイおじさんやー!」
「久しぶりですね、木乃香ちゃん。元気にしていましたか?」
「うん、元気やったよ。お父様はどうやった?」
「はて、最後に見たときは元気そうでしたが」
「そっか……」
笑顔が少し曇ってしまいました。やはり、寂しいのでしょう。
どんな人間でも親は親、ということですか。
「それより木乃香ちゃん、近衛右門になにかされていませんか? 何かあったらいつでも気にせずに電話するんですよ?」
「わかっとるえー」
「ん、よろしい。……それで、そちらは木乃香ちゃんのお友達でいいのかな?」
「あ、はい! 神楽坂明日菜です」
「木乃香ちゃんとこれからも仲良くしてあげてくださいね?」
「……ハイ」
……ん? どうしたんでしょう、神楽坂明日菜と名乗った少女が木乃香ちゃんの耳元で何か囁いています。いや私には聞こえてるんですけど……
(ちょっと木乃香、小さい頃からお世話になってるおじさんじゃなかったの!?)
(そやよ? なんで?)
(なんでって……おじさんって年じゃないじゃない! 幾つなのよあの人!?)
(んー? そういや幾つやろか。昔からかわらへんけど、結構いってるんちゃうかな。こーくんがウチらと同い年やから)
(同い年って……子供いるの!? 若すぎない!?)
あー……確かに子供がいる年には見えないかもしれません。
煌とさよさんだとさよさんの方が幼く見えますし、事実私とさよさんは不老ですから、さよさんは見た目中学生当時のままですからね。
――――!
「明日菜ちゃん!」
突然場違いな殺気と明日菜ちゃんを呼ぶ声が。声と殺気のした方を見れば遠くの方からこちらに走り寄ってくる男性が一人。
直接あった事はありません。しかし顔は知っています。なにせ裏では有名な人物。
現悠久の風所属、元紅き翼のタカミチ・T・高畑。
「おや、誰かと思えば高畑さんではないですか。ご高名はかねがねうかがっていますよ」
「世辞は結構です。……明日菜ちゃん、悪いけど帰ってくれるかい? 学園長にこの人を呼んでくるように頼まれたんだ」
「へ? ……はっ! は、はははい!」
「高畑先生、うちはー?」
「木乃香くんも、すまないけど……」
木乃香ちゃんがどうしたものかとこちらを見ていますが、ここは素直にいきましょうか。
「すいませんね、木乃香ちゃん。用が済んだらまた連絡します。明日になるかもしれませんが……」
「別にええよー。ほなまたね」
それからしばらくは、木乃香ちゃん達が見えなくなるまで見送っていました。
「久方ぶりの再会を邪魔するとは……随分と無粋じゃありませんか。どういうつもりですかね」
「それはこちらのセリフですよ。なぜあなたがここにいる。関東呪術協会長、暗辺セイ!」
おや、怖いですね。まぁいきなり敵対組織の代表が自陣の懐に現れればそうなりますか。
「そうですね……ま、ちゃんとした理由があってここにいる、と言っておきましょう」
「……まあいいでしょう。とにかく、学園長の所まできてもらいますよ」
「嫌です」
「それはこちらの指示に従わないと受け取っても?」
高畑氏から強い殺気が漏れます。さっき木乃香ちゃんたちに見せていた人のいい態度は欠片も残っていません。
いつのまにか周囲から人も減ってますし……返答いかんによっては、ここで殺る気ですね。
「そうではありません。いえ、そうともとれますが……どうせ聞かれるのはなぜここにいるのかでしょう? 二度三度話すのも面倒ですし、今晩にでも関係者を集めてもらってまとめて話しておきたいんですよ。ホテルのチェックインも済ましておきたいですしね」
「……少し待ってください」
携帯電話を取りだしてどこかと連絡を取る高畑氏。相手はぬらりひょんでしょうね、十中八九。
しばらくして。
「今夜十二時に世界樹前の広場に来てください。それと、それまでは監視を付けさせてもらいますよ」
監視、ですか。それくらいは当然でしょうね。私はしばらくなにも起こす気は無いので監視をつけられても痛くもかゆくもありませんが……それにしても監視ですか。
「それは、あちらの少女の事ですか?」
高畑氏がそちらを見れば、神鳴流に縁のある者にはなじみ深い野太刀を持った少女がこちらの様子をうかがっている。
詠春から事前にもらった資料によれば、名は桜咲刹那。烏族とのハーフだとか。
「あれは……刹那君か。いいえ違います。彼女ではありません。とにかく、監視の人員が来るまで、ここにいてもらう」
「かまいませんよ。急いでいるわけではないですからね」
さて、どんな人が監視にきますかね? 西と繋がりのある刀子ちゃんは流石に来ないでしょうから、それなりに腕の立つ者が複数で来るでしょう。
それだけでも麻帆良の戦力調査につながりますから、少し楽しみです。
元紅き翼、タカミチを前にして、不敵に笑うセイだった。