さく、さく、さく、さく。
冬の京都。関西呪術協会の本山にも雪が降り、世界を一面の白に染めている。
その本山で雪を踏みしめながら会話もなく、私達は山道に気を付けつつ歩を進める。やがてたどり着いた本山の中にある建物の一つの前で止まり、戸を叩いた。
すると、すっと戸が開く。するりと中に身体を滑り込ませると、戸はすぐに閉められた。
部屋の中には既に数十人の人間がいて、中央の囲炉裏を囲み座っており、それらの視線が新たな来訪者の方を、つまり私の方を向いていた。
そこにあるのは怯えと怖れ。皆一様に警戒しているようだ。
「皆、そろっているようですね」
今入ってきた人々の先頭、私がそう言って頭にかぶっていたフードを取ると、部屋の中で幾つもの安堵のため息が漏れました。
今この場に居る人間は、誰もがそれ相応のリスクを背負ってこの場に来ています。
性別も年齢層もばらばらですが全員が関西呪術協会に所属している人間で、とある“問題”について話し合う為にこの場に集まっている。
「ああ、セイはん。やっと帰ってきてくれはった……!」
囲炉裏の近く、この場にいる中でも実力者の一人、鶴子さんが感極まったように立ち上がった。
「ええ、ここ何年かずっと南米にいましたからね。もっと、地下に潜ってばかりで日に焼けることはありませんでしたが」
「そら、セイはんらしいわ。あら、千草ちゃんも背ぇ伸びたみたいやね」
「んー!」
千草ちゃんが背伸びをし、鶴子さんがその頭をなでる。ほんの少しばかり和やかな空気が辺りに広がりました。
「ふふ、ええ子や。それでセイはん、その子がそうなん?」
「ええ、そうですよ」
鶴子が、さよが胸にだく赤ん坊を指す。
「この子が私とさよさんの子供、煌(こう)です」
「さよか……」
「ええ」
おめでたい話であるのだが、室内の空気はまだ重い。協会内では結構慕われている私とさよさんの子なのだから、もっと明るい空気になってもいいはずですがそうはなりません。
それほどまでに、彼らにとって今回の“問題”は大きいのですから。
南米にいた私達を、わざわざ呼び戻すほどに。
「それでは、そろそろ説明していただきましょうか」
その、問題とは――
「手紙にあった、木乃芽さんの急死。それに伴う無理矢理な最高幹部会の人事。そして東との融和政策について」
◆
南国で逃亡する際に飛行機を乗り間違え、そのままたどり着いた南米で古代の技術を求めて遺跡に潜り調査することしばらく。調査はそれなりの成果を上げていました。
主に暦と星の運行に関する術、自然に関する術を見つけることができたが、いずれも扱いは難しそうなのでそのままでは使用できません。
しかし非常に興味深い物ではあったので、なんとか物にして自分の物にしたいと思っています。
それと、なにより嬉しいことが。さよさんとの間に子供ができたのです!
……本当を言うと、少し怖かったんですけどね。
自分のこの身は人からかけ離れている。さよさんも私ほどじゃないにしても完全な人ではない。そんな私達では、子どもなどできないのではないか、そう考えていた。
だから、妊娠がわかった時はそれはもう嬉しかった。当然、表の病院は使えないので、裏の病院を使うことになりましたが。
闇医者の女性が、『まさかこの病院で出産をする奴がいるとはねぇ……』と感慨深そうに言っていたのは印象に残ってますね。
まぁ、楽なことばかりでもありませんでしたが。
たとえば、南米まで千草ちゃんと志津真と一緒にやってきたときは参った。
ある日唐突に仮の拠点として借りた家に上がり込んでアイスクリームを食べていたのですから。
他にも千草ちゃんが遺跡奥の翡翠の石柱に触ったらそれが光って、封印されてた半裸の女性の姿の神様が復活して、それを巡ってナチの残党と戦ったりとか……子どもの行動力というのはあなどれません。しかし志津真止めてくださいよ。
そんなおり、京都から国際便で届いた木乃芽の訃報を知らせる手紙。そこには本山で政変が起きたことが書かれており、またなるべく早く帰国して欲しいとも。
それで南米での仮拠点を処分して日本に帰国したのですが……話を聞けば怒りを通りこして呆れしか浮かんできません。
まず、木乃芽さんの死については、どうも産後の肥立ちが悪かったらしく、暗殺などでは無いらしい。産まれた女の子の赤ん坊、木乃香ちゃんというらしいが、その子の大きすぎる霊力も影響したのかもしれないそうだ。
次に、人事と融和政策についてなのだが……
「青山、いえ、近衛詠春? なぜそこで彼の名前が出てくるのです?」
近衛詠春。旧姓、青山詠春。
紅き翼の一人で、神鳴流を扱いサムライマスターの異名を持つ。
木乃芽さんと結婚しており、紅き翼の面子の中で唯一、木乃芽さんのとりなしで和解をしている人物。
私の腰をスパァっと斬り裂いてくれたのも彼です。それもあって和解はあくまで一応ですけどね。
「実はな、今詠春はんが長やっとるんよ」
「は? ……いや、彼剣士ですよね?」
「うん、そうなんやけど」
「……嘘ですよね?」
「残念ながら。ほんまなんよ」
周りの術者を見回すと、皆一様に顔を伏せるか目をそらす。信じられないが、どうやら本当のことらしい。
「……何故に?」
「……東のクソじじいが細工しよった。境界ギリギリに魔法使いの展開準備までしよってな。気づいた時には手遅れやった。セイはんらを捜すんにも時間かかってしもて……」
「ぬらりひょん、ですか」
「そや、あのクソ爺や!」
「西を裏切ったくせに……!」
周りの術者達が口々に声を上げる。どうやら随分と嫌われているらしい。
私は詳しく聞いていませんが、余程のことがあったのでしょうね。
「やかましいわっ! 今そないなこと言うたかてどうにもならんのはわかっとるやろうが!!」
その術者達に鶴子さんの喝が飛ぶ。若いのにたいした物だと思うが、赤ん坊がいるのだから少しは自重してほしい。
まぁ煌は泣くこともなくすやすやと眠っているからいいのですが。
「とにかく、今は最高幹部会が問題なんや、それをどうにかせなあかん。詠春はんはなんだかんだ言うても魔法使いと敵対したがらん。
神鳴流の橘師範と九州総轄の狭雲さんは去年引退してもうた。それに加えての今回の幹部の世代交代への介入で、今の最高幹部会はろくに機能しとらん」
「左様。今の幹部会は近衛右門に懐柔された、あるいはもともと魔法使いとの融和派が多い。正直、そこで一度決定されてしまえば覆すのは難しい」
集まった者の一人、壮年の男が話を継ぎます。
「そこで、セイはんの出番や」
鶴子の声に、一斉に視線がこちらを向く。
「セイはん、なんとかして」
「なんとかって、情報が足りなすぎるでしょう! もっとしっかりした情報をください!!」
◆
「なるほど……」
鶴子さんや他の人達の情報をまとめると、どうやら今の関西呪術協会最高幹部会の長を含めた十九席の内、十一席が融和派、あるいは融和派よりの中立らしい。
はっきりと融和政策に反対しているのは残り八席の内、対魔法使い最前線の地区を担当する幹部四人と、大戦で亡くなった天ヶ崎さんと親しかった四国の東側を担当する幹部、そして神鳴流枠の鶴子さんで計六人。
残りの二席は、天ヶ崎家の枠を持つ千草ちゃんと、千蔵さんの席を継いでいた私ということのようです。
人事が入れ替わったのになぜまだ反対はが多いのか、それに自分の席が残っているのかについて聞いてみると、どうやら裏工作はあったらしい。
しかし近畿圏に関しては、対魔法使いの最前線であること。極東魔法使いトップの近衛右門を毛嫌いしている者が幹部であったこと。大戦でかり出された人員の数も本山に次いで多かったことなどから失敗したとか。
私の席の取り上げについては、中立派だけでなく融和派も反対に回り実行できなかったとか。流石に中立派も馬鹿ではなく私という強力な戦力は失いたくなかったようです。
と、ここまでが最高幹部会。では中級幹部から下はどうなっているのかというと、これがまたほとんど反対派。全体的に東に近づけば近づくほど反対派が多くなるようだ。
これだけの状況でなぜ反乱を起こさないのかといえば、入れ替わりで最高幹部になった術者もそれなりの腕を持つ上に実力が段違いかつ術者達では相性が最悪の詠春がいるからで。
さらに、ぬらりひょんが魔法協会を通じて、『詠春殿は魔法世界の英雄、紅き翼の一人なんじゃから、何かあったら本国ともども介入するぞい』なんて書簡を送っていたらしく、下は動きたくとも動けなくなっているのだそうだ。
で、ここにきてやっと私達が帰ってきて、最高幹部会の比率が賛成派十一席、反対派が八席となった。 もちろん私と千草ちゃんは反対派ですよ。
融和なんかされたら関西に居る意味がなくなりますし、関東魔法協会の邪魔をしない理由がありませんから。
関西呪術協会の最高幹部会は、実は多数決制ではありません。最終的な決定権は長にありますが、長があんまり勝手なことをした場合、地方が協会から離反したりするのです。
元々関西呪術協会は関東魔法協会に対抗するために西日本の組織がまとまってできた組織ですから、当然といえば当然のこと。今回はそれをすれば個別に東に潰されるのが目に見えているからしないだけ。
ちなみに、大戦期には京都以外の近畿圏の大半が分離しかけましたが、そうならなかったのは木乃芽さんがいたからこそ。
情報はおおむねこんな所です。ここから先、考えるのが私の仕事になるんですが、さてどうしたものですかね。
「中立派を巻き込んでも、長が詠春であるかぎりは余り意味が無い、か……」
おそらく、詠春は幹部全員が反対派になってもあくまで東、魔法使い寄りの融和政策をとろうとするでしょう。
あれの中では、肩を並べて戦った魔法使いとの思い出が大きすぎる。
「なんとかならへん? セイはん」
「……東との境界にある地域を管轄する幹部は、たしか全員反対派でしたね?」
「そやよ。ここには来とらんけど」
ふむ……策が、無いわけではありません。
やれなくは、ない。しかし、本当はもっと時期を見て使う予定だった計画なので、準備が完全にはすんでいないかもしれない。
しかし、もともと麻帆良の魔法協会へ圧力をかける為に用意した計画。現状ではある意味では最高のタイミングとも言えますが……よし。
「わかりました。では鶴子さん耳をかしてください」
「ん、ええよ。何するん?」
「それは……」
◆
「セイはん、本気か!? そないなことほんまにできるん!?」
ああ、やはり驚いていますね。周りの術者もすわ何事かと目をむいています。
「もちろんです。うまくいくかはわかりませんが、その幹部の方々には、~~~と言うことにして、口裏をあわせておいてください」
さて、私も動かねばなりません。まったく、日本に帰国してすぐだというのに休む暇もない。早速連絡を取らなくては。
しかし……ふふ、どうしてでしょうかね。
自然と、笑みを浮かべてしまうのは。
◆
「学園長、大変ですっ!!」
「フォッフォッフォ、どうしたのかの?」
学園長室にこの麻帆良学園の魔法先生の一人が駆け込んできおった。まったく、いったどうしたんじゃろう? よもや、本国から急に監査でも入ったかの?
西が何か仕掛けてきたということはあるまい。今はもうあのじゃじゃ馬娘もおらんし、なんと言っても婿殿を長にすることに成功したからのう。最高幹部会にも、どうこうできるような骨のある奴はおるまいて。
「東日本の旧土着勢力が集まって、新しく関東“呪術”協会を設立したと声明を出しましたっ!!」
「なっ、なんじゃと!?」
「国内組織だけではありません、世界規模で情報が流れています!」
「各地の支部から交戦の報告が! 沈黙した支部も既にあり、理事の内の何人かとも連絡が取れません! 各地の魔法境界支部からも確認の連絡が相次いでいます! 学園長、指示を!!」
「ぬ、ぬぅ……!」
ば、馬鹿な!! 完全につぶれておったはずの東の土着勢力が決起したというのか!?
――関東“魔法”協会の、眠れない夜が始まる。