「結局、魔法使いは抗しきれず……か」
七月、下旬。梅雨が明け、田植えもとうの昔に済み、そろそろ本格的に夏が来るのを実感し始める季節。夏休みを目前に控え、学生達もどこか落ち着きを無くし出すのもこの季節。
しかし、今の麻帆良にはそういった喧噪や人の賑わいはまったく存在していない。
関東一円に限らず、日本全域と比べても比類するものがほとんど無い巨大な学園都市、麻帆良。
今の麻帆良で、制服を見かけることなど無い。当然だろう、生徒がいないのだから。
生徒だけでは無い。教師も、警備員も、誰もいない。
商店街の店主達もいない。
メロンパンの移動販売をしていた車もない。
美味くて安いことで有名だった、路面電車を改造して屋台にしていた中華料理屋もない。
朝早くから新聞配達のバイトに精を出していた少女も、学園の噂の的だった子ども先生も。
誰も、いない。
学園都市麻帆良は、街として、学舎としては、死んだのだ。
麻帆良祭事件。
ニュースでも取りざたされた大事件。表向きには詳しいことがほとんど公開されず、大量の不発弾が近隣一帯にまばらに埋まっているのが見つかったとか、大学部で開発途中だった巨大ロボが暴走したなどと、根も葉もない噂がネット上で広がった、大事件。
世間一般がこの事件について収集できた情報で確実性があるものは、ほとんど無い。
その僅かな例を挙げれば、学園祭二日目にそれが起きたこと。大規模な爆発が麻帆良大橋方面で複数回発生したこと。事件後すぐに立ち入りが禁止されたことなどだ。
巨大学園都市の合同学園祭という、極めて多くの人間の耳目によって確認されたはずにもかかわらず、余りにも情報が出回らなかったこの事件によって、麻帆良全域は一時的に閉鎖されている。
閉鎖区域は中央学園部のみならず隣接していた都市部も加え、さらには周辺の山林にも侵入制限がかけられるほどの異常事態だった。
そんな状況にもかかわらず、この場にいる少女が誰かと言えば、それは他でもないエヴァンジェリンその人だ。
世界樹広場から続く、学園の目抜き通りに設置されたベンチに腰掛けたその姿は、学園指定の制服だ。今の麻帆良においては、ただの一人とて同じ物を身に付ける者が居なくなった制服。彼女が十数年にわったて着続けている制服と同じ、嫌になるほど着慣れた制服だ。当然、この制服を着ていると言うことは、その身は幼い見た目に戻している。
建物の影になっているからか、風が抜けるだけで随分と涼しく感じるベンチの上。見上げれば随分上にひさしが見える。雨どいを伝うように、蔦がにょろりと生えている。
視線を落とせば、そこには麻帆良の街がある。人がいなくなり、いささか荒れ果てた麻帆良の街。石畳の間からも、雑草が顔をのぞかせている。
だが、目に映る景色からは何よりも目を引いたはずの物がなくなっている。そう世界樹だ。
視線の先には、空に浮かぶ雲。丁度丘の直ぐ上に見える位置取りは、世界樹があったなら見えなかったはずの景色。
「お前は、これがしたかったのか?」
エヴァの問に、答える者はいない。答えが返ってくるはずの無い問を、訥々と繋げていく。
「超鈴音の夢は破れ、クルト・ゲーデルは得る物が無く、じじいは権勢のほぼ全てを失った。
根回しも完璧だったのだろうな。今の麻帆良は確かに平和だ。あっという間にマスコミも静かになったし、夜半の襲撃も無ければ、学園結界などと言う物騒な物を四六時中発動し続ける必要も無い。国内に敵と呼べるほどの勢力ももういない。
そもそも世界樹が失われたせいで襲撃をかけるほどの価値も無いのだから。図書館島の貴重書も他所へ移されて、一般書が残されるのみ、と。
これで線引きがより明確になったわけだ。今までは道に引かれた白線程度だったのが、駅のレールを挟んだホームのように隔絶された。今までのように迂闊に裏に足を踏み入れる馬鹿も、いなくなるのだろうが……お前が望んでいたのは、そんなことではないのだろう」
エヴァの言葉が止むと、いよいよ辺りは静寂に包まれる。
遠くの木立が葉擦れの音がして、一際強く風が吹いた。
「お前は……お前という奴は……」
エヴァの小さな身体が、震えていた。まるで、寒さに耐えかねたように。
まぁ、そんなことはないのだが。
「いいっ加減にこちらの話を聞かんかぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!!!」
「おっ? 何をするんですか、エヴァンジェリン」
ここで初めて、というかようやく、驚いたように一つ隣のベンチに腰掛けていた“男”がエヴァの方を見た。
「ええい貴様ぁ! “セイ”! いつまでそうしているつもりだ! 見せつけられる側の気持ちにもなってみろ!! おまけに無視しよってからに!」
「え、ああ、すいません。これは膝抱っこと言うのですよ」
「んなことは聞いておらんわ!」
「で、いい加減説明して貰おうか?」
「すいません。だいたい聞き流していたんでもう一度お願いします」
「き・さ・ま~~~!!」
衝動的に断罪ノ剣を出して斬りかかりそうになったが、その動きが立ち上がったところでぴたりと止まる。
セイの方から威圧感が、厳密にはセイの膝の上で抱きかかえられた女性から発せられていたからだ。
この女性が誰かと言えば、言わずもがな、春香である。
その春香が、セイの膝に足を揃えて横抱きにされる形のまま、エヴァのことを威圧していた。丁度正面がエヴァの方を向いているので、直視してしまった形になる。
恐怖以外にも何か感じたのかどうかはわからないが、再びエヴァはベンチに座り治した。ただし、今度は片膝を立てたあぐらで、セイの方を向いて、だ。
「……細々としたことはもういい。だがその“形”については、説明して貰うぞ」
春香を膝に乗せたセイの姿は、麻帆良祭の時とそう変わらない。
胸ポケットの所に黒兎堂と刺繍の入ったいつぞやの制服を着込んでいるために、周りに人がいないこの状況ではミスマッチ感があるが、それはエヴァや春香にも言える事。
問題は、大樹を思い起こさせるような深い緑だった髪に枯れ褪せたような薄い灰色が混じってしまっていることだ。他の見た目が変わっていない分。嫌でもそれが目に入る。
「私にはよくわからんが、上手くいったのではなかったのか?」
「まぁ、うまくは行きましたが……あててて、春香やめてくりゃは、いたいでふって……」
「嘘は駄目よ」
頬をつねられたセイの背筋に、寒い物が走る。至近距離にある春香は、笑っているが、笑っていない。笑っているように見える、別の顔。
「この人、アクシデントで二人分の肉体を再構成する霊力が無いからって、私だけを先にやったのよ。自分をほったらかして。だから、すぐに私が掬い上げたのよ。もちろん、大慌てでね」
「うむ……ん?」
いまいちわかりづらかったのか、エヴァの眉間に少し皺が寄る。
「有り体にいえば、“私”を幾らか削りました」
「なっ」
エヴァが驚いたような顔をするが、事実である。
セイとしてはもう二十年待つというのもありだったのだが、世界樹とそれにともなう基盤が失われる以上、いくら柱という代替機能を持たせたシロモノがあったとしてもどうなるかわからないというのが実情だ。
そんなものに期待を持つほど春香は楽天的ではなく、無理矢理自分を先にやったセイへの怒りも込めて、多少の無茶は覚悟の上でまだ完全に消えていなかった術式に霊力を流して半ば強制的に再起動。
しかし本来のセイの肉体を再構成するほどの霊力は柱の内には残っていなかったため、在る分で出来るだけのものを再現しようとした結果、今のセイは麻帆良祭前までほどの力はない。本気を出しても角は出ないし、羽も尻尾も出てこない。得意技だった極太レーザーのような術式をバシバシノータイムで撃つなんてのも不可能。
完全な状態で再生することが不可能な以上、できる範囲での術の実行。ただし、器の容量の問題で、中身たる魂の格を幾らか削り落し……京都での千草の時と
「ぶっちゃけ今の私は、半端に外法に足を突っ込んだ程度の耐久力しかないです」
そうセイは嘯くが、事実先ほどエヴァが怒りと共に発した冷気のせいなのか、確かに顔が少し青い。かつてのセイからすれば、考えられないことだ。
本人が感じるところ、丁度大分裂戦争の初期より若干劣るくらいまで落ちていそうだ。
「それはまた……なんとも表現に困るな。並の術者寄りかはましというレベルか?」
「まぁ……そんなところですか。術の行使にも昔のように符やら刀やら色々術具も用意せねばなりません。いやはや、面倒くさい」
「はー、しかしまぁ、そうかそうか」
「何です」
「いやぁ“召喚大師”も返上だなと思ってな?」
「ぶふっ」
「ふははは」
何時ぶりかの笑い声が、通りに響いていた。
「で、この後麻帆良をどうするつもりだ」
「関東呪術協会の本部機能の一部を移します。旧学園区画を企業区として隠れ蓑しつつ、私有地にして立ち入りを制限します。都市部の方には折を見て人を元に戻す予定ですよ。まぁ、ある程度は」
「学園都市としての機能はどうするんだ? それもこちらに人を移すのか、それとも……」
「そちらは山を挟んだ向こう側に、新麻帆良学園都市をつくる予定ですから。特別にアドバイザーも雇いましてね。魔法協会の二の轍は踏みませんよ」
「アドバイザー? 誰だ?」
「貴女も知っている人ですよ。まぁ誰とは言いませんが」
「ふぅん……」
「貴女はどうするので?」
「うん? ああ、そうだな……まぁ、もうしばらくは学生を続けてやるさ。どうせ、これで最後になるからな」
◆
「それでは、行きましょうか」
「ええ、そうね。あまり待たせても悪いもの」
他愛のない世間話も終わり、エヴァは郊外のログハウスへと戻っていった。その背が曲がり角の向こうへ消えてから、私達も立ち上がる。
言葉にはしないが、目指すべき場所はわかっている。
年甲斐も無い恋人繋ぎで、ゆっくりと人のいない街を歩いていく。
ガラスの無い枠だけの窓。ひっくり返った石畳。
戦いの爪後は思いのほか強く残っている。遠くに見える巨大きな柱もそのままだ。
少し歩いた程度では、疲労感は感じない。しかしそれがいつまで続くかはわからない。元から荒唐無稽な規模の術式を、他者がさらに無茶を通して起動させた結果この場所にいる。
どうなるかは、もちろんわからない。もっと言えば、“どうなった”のかすらも、まだ、わからない。
あるいは貧弱な、人で無いようで、人とそう変わらぬまでに弱くなった肉体だが、不思議と、悪い気はしなかった。
感じる風も、見上げた空も、木々の葉擦れの音なども。どこか昔に感じたそのままのように、懐かしく感じるようになった。のだ
目に映る物の多くは、昔とは違うのだと、そう伝えて来ている。
ここは里では無く都市で、土の代わりにアスファルトが敷かれて、櫓よりも高い建物が背を連ねた街。
自分と、自分以外の全てを焼き捨て、その犠牲を塗り重ねて造られた憎くて仕方なかった景色。
それでも、どこか、懐かしく――
やがて通りを抜けて、街を抜けて、森の中へと入り、さらに奥へと進んでいく。
人の足跡が消え、地肌が消え、木漏れ日だけが足元を照らすようになる。
辿りついたのは、森の中の、少しばかりひらけた場所。けれど、木漏れ日の当たらぬ暗い場所。
何も無い場所だ。苔と雑草がこびりついた、丁度腰の辺りと同じくらいのまでの高さの、緑の土くれがあるだけの、何もない場所。
だが、多くの思い出がここには残っている。
わずかながらも人の手が入っていたころは、この場所にも日がさした。結界の基点で、それ以上に信仰の寄る辺でもあった小さな社が、ここにあった。
今は、もうない。他の多くと同じように、あの小さな社もなくなった。
全てが終わり、そして始まった場所。自らの手で、最後の幕を引いた場所。
だから、また始めるのなら、きっとここが良い。
まずは二人で、はじめていこう。
奪われたものを取り返すまでの、仄暗い話ではなく。
これからの麻帆良で生きていく自分たちの、物語を。
「春香」
「ええ」
「ここから、“まほら”を再興していきます。私と、貴女で、もう一度。ついて来て、くれますか」
「もちろん。……末長く、ね!」
◆あとがき
これにて、一応『麻帆良で生きた人』は終了となります。く~疲以下略。
足かけ三年、始めたのが一昨年の五月初頭だったような気がするので、だいたい二年と五カ月くらいだらだらぐだぐだと連載したり削除したり復活したりとしていましたが、何とか完結となりました。
一人称と三人称、誤字脱字が乱れ、特に終盤ぐっだぐだになってしまったにも関わらず、最後までシャベルを折ることなく辿りついてくださった皆さまの暇つぶしくらいにはなれていたのであれば幸いです。
今後につきましては未定ではありますが、活動報告に以前上げた物がありますので、そちらをば。
感想を下さった方もおりました。にじふぁんからという方もおりました。誤字脱字の指摘でお手数かけた方もおりました。全部モチベーションに直結していました。
そういった全ての方々含め読者の方々と、逆風の中でこの素晴らしい場を提供してくださった管理人様に感謝を込め、この場でお礼を申し上げ終わりとさせていただきたいと思います。
長らくのお付き合い、ありがとうございました。
2013,10,1 ARUM
追記
活動報告の奴については当面受け付けます。
あと、おさまりが悪かったのでカットしたのですが、ネギは?近右衛門は!?とか最終話書くことまだあるだろーが!という方も活動報告の方に書いてもらえればできるものなら何とかします。
なので、設定は完結にせず、『本編完結』のタグを足しておきたいと思います。