麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第百二十五話

 

 

 

 昔々と言うのには、いささかあたらしい話。

 

 

 

 ある少女が、剣を志した頃。

 

 あるいは、それ以外の道を、それ以外の物を知ることすら無かった頃の話。

 

 

 

 はたまたある少女が、ある女性の嘆きの一端を垣間見た頃。

 

 嘆きの理由を、その身を以て知ることになるよりも、すこしばかり前の話。

 

 

 

 そして、どこかの誰かさんが、来たる日を見据えて戦火の下で暗躍していた頃の話。

 

 

 

 少しばかり広い世界があることを知り、力を得る機会を得た少女は。

 

 必要にかられることもなく。ただ選択肢の一つとして、そこにあった力を自ら選んだ少女は。

 

 

 

――大人になった時、何を思ったのか。

 

 

 

 

 

 

「本当に行くんですか!? ほとんど援護できませんよ!」

 

「……多分、大丈夫です。そうじゃなかったら、今頃更地か湖が拡張されてるはずですから」

 

「妾も反対なんじゃがの。一撃いいのをもらえば致命傷になる。障壁もきかんだろうし」

 

「ごめんなさい、白露さん。でも、今行かないといけないんです」

 

「しかし……! なら五分下さい! 天乃五環の近接防空用に残した薄雲を数隻回させます! それからでも!」

 

「私は飛行船のこと、詳しく知りませんけど……止めた方が良いと思います。橋、見たでしょう。きっと輪切りにされちゃいますよ」

 

「それなら幹部連に緊急招集をかけてください! 貴女ならできたはずです! 誰かしら、一人二人は連続転移で数分で来れるはず!」

 

「駄目です。皆さんには皆さんの役目があるんです。そして、ここの受け持ちは私なんですから、私がやらないと」

 

「だったら!」

 

「……もうよせ、止めたところで聞いてはくれんわ」

 

 麻帆良湖岸、関東呪術協会側。さよは、開発班の班長である男が止めるのもかまわず、歩みを進めようとしていた。一時間前まではそこにあった橋の跡をなぞるように、まっすぐに湖の深い方、つまりは刀子のいる中間点へ。

 

 姿を現した葛葉刀子は、学園側にとって切り返す為のジョーカーとなった。神鳴流を納め、そこに妖刀ひなというある種のブースター、それも極悪な類の物が付いた彼女の強さは軒並み外れたと言っても何ら遜色が無い。

潜在的驚異の一つにすぎなかった彼女が、明確な驚異の一つとして、おまけに凶悪な存在として出てきたわけだ。

タカミチという厄介極まりない相手を、捕縛という後を見据えた最高の形で排除したというのに、すぐに出てきたのがこれだ。

 

「要らぬ所まで、この二十年で似てしまったな。主殿を一歩押しとどめる役を期待しておったのに」

 

 白露の言葉は、普通苦笑するところなのだろう。だが、表情の裏にほんの僅かに緊張を滲ませながらも、普段と変わらぬ笑みを返した。

 

 そのことに、白露はいよいよため息をついた。

 

「本当に、要らぬところまで……」

 

「こちらに向かってこないのも。あちらに合流しようとしないのにも。きっと何か理由があります。それに、今何かしら動きを見せておかないと、向こう側に調子づかれます」

 

「盾くらいにはなれますぞ」

 

「要りませんってば」

 

 その言葉を最後に、遂に水面へ歩を進めた。

 

 

 

(……要らないと、言いはしたけれど。どうしよう……)

 

湖の半ば近く。刀子の顔が、気を使わずとも見える距離まで来て。

刀子を中心に、四方へ飛沫を散らす波以上に、さよの内心は平静では無かった。

 

顔にかかる飛沫を煩わしく感じながら、心の内を占めるのは焦燥と不安。

そして、恐怖。

 

 術者であるさよが、剣士である刀子の側まで近づいていく。これが何を意味するか。

 既知であるとはいえ、少なくともこの場においては敵対している相手の間合いに自分から飛び込んだのだ。もしこれで刀子に問答無用で斬りかかられたなら、正直さよに打てる手は驚く程少ない。

 先の橋を吹き飛ばした一撃で頼りの符はほとんど残っていない。術具も少ない。そもそもあの一撃の渦中にいて助かったのは、時雨が盾に入ったからで、さよは時雨に架かる負担が極力減るようにしただけ。それも、神鳴流に対しては余り効果が無かったかも知れないが。

 

 そんなことを考えつつ歩みを進め、いよいよまずいと思える距離まで接近していた。会話をするにも、少し声を大きくすれば何の支障も無いだろう距離。もはや必殺の間合いと言って良い。

 刀子の目も、さよの方を向いている。剣先は、二振りとも下へと向けられている。

 

 先に口を開いたのは、意外なことに、刀子である。

 

「お久しぶりです、さよさん。随分とご無沙汰してしまって」

 

 飛び出したのは、ここが水の上で、両手に刀を握っていなければ、久方ぶりに知人とあった時に交わされるようなごくありふれた会話。その目からは、どこか申し訳なささえも感じられる。

 しかし、この鉄火場においては逆に不自然であり、だからこそ、確信する。

 

 目の前にいる葛葉刀子は、闇に堕ちたわけではない、と。

 

「お久しぶり、刀子ちゃん。……ところで、それ」

 

「ええ、ご推察の通りです。東に伝わる妖刀ひな……少し無理をして、借りてきました」

 

「無理矢理に、ですか?」

 

「いいえ、ちゃんと管理人の眼鏡をかけたお兄さんに一声かけてきました。去り際に素子さんと管理人の妹さんに見つかってしまって、撒くのに少しばかり手間取りましたけど」

 

 苦笑を浮かべるその仕草にも、やはりおかしい点は見られない。無理をしているようなぎこちなさも、演技をしているような不自然さも無い。

 

 それでも、その手にあるのは本人が認めた通り間違いなく妖刀ひなだ。暴威を振りまいたのも間違いなく妖刀の力。

 

(でも、闇に堕ちたわけじゃ無い。いったい……)

 

「どうして、闇に堕ちたわけでもないのに、妖刀ひなを引き出せるのか」

 

「!?」

 

 当然と言えば当然の疑問。しかしそれを口にしたのはさよではなく、刀子。内心を見透かしたかのような言葉に、さよの動きが凍り付く。

 

「私は貴女方のように強くない。だから、タネを明かすつもりはありません」

 

 でも、と続ける。

 

「私は魔法使いの側につくわけではありません。元を正せば、魔法使いに大義がないのは知っていますから」

 

「……それは」

 

「けれど」

 

 短く吐き出された言葉と共に、刀子の眼差しが変化する。白と黒が反転したわけでは無い。ただ、それが険しいものへと。

 

 一歩進めた歩みと共に、再び波飛沫が巻き上がる。波紋などと穏やかな物では無く黒々とした禍々しい気の放出によって、時化の海のように荒々しいものへと。

 

「今更、西につくつもりもありません。私は――」

 

 ここで、さよはあることに気づく。闇に堕ちたかどうかを判断するのに一番手っ取り早い目を注視していたために気づけなかったこと。

 

「私は、“今”を生きる人間です。過去のことは知っています。何故今に至ったのかも知っています。問題のほとんど全ての原因が、魔法使いの側にあることも。

ですが、そのことが一体どれだけの麻帆良で暮らす普通の生徒や住人に関係がありましたか。

わかってはいます。あの方も、相当計画を練って、一般人への被害もきっとほとんど……もしかすると、全く出ていないんでしょう」

 

 妖刀ひなを握る右手。そこに、白い手袋がかぶせられていることに。

 

そして、手袋と袖口から先の僅かな間の肌が、ひなと同じ、魔族のような黒に染まっていることに。

 

「私は一教師の立場からの憤りを、“貴女方”に対してぶつけます――こんなことを言う資格など私にないことはわかっています。

しかし、だからといって、ああそうですかと納得できますか。

聖ウルスラの生徒達に、仕方がない事だから、諦めろ、しょうがないと何もせずに言えますか。

だから、これは……私の、自己満足な八つ当たりです」

 

 

 

 逆袈裟に、斬り裂いた。

 

 

 

 






 二日連続投稿。空梅雨だし雨が降っても怒られまい。

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