「フン」
目の前には、赤い色が広がっている。
先ほどまで、セイと、春香と名乗る存在がいた場所だ。
石畳の上に、赤い液体をぶちまけたわけではない。
石畳が、そしてその下の地面が赤く発光しているのだ。土の面は水面のように平面に。石畳は完全に赤く染まりきった段階で赤い平面の中へと消えていき浮かんでこない。
おまけに、それが少しずつ範囲を拡げている。冗談では無い。
「馬鹿め」
セイがやろうとしている事の目的はわかった。
何を思っての事かも、だいたいわかった。
しかし具体的にどんな術式を用いて行うのか、そういったことまではわからない。
わかるのは、肉体を完全に失ってまで行うような、ろくでもないやり方だということだ。
「馬鹿者め……」
赤い色は広がっていく。波を立てることも無く、二人がいた場所を中心に、しずかに浸食を広げていく。
浸食は、世界樹の方にも。やがて世界樹も呑み込むだろう。
その時、世界樹もまた赤に沈むのか。それとも別にまた何か起きるのか。それはエヴァをしてわからない。
しかし、そう強い風も無いのに世界樹の太い枝葉がざわざわと音を伴って揺らめいているのが、どうにも気に入らなかった。舌打ちの一つでもしたくなる。
そんなエヴァに、声がかかる。
「ゴ主人」
「何だ」
「アレデ良カッタノカ?」
「良くはない」
路地の間。物陰から、人影、というには小さな影が歩み寄って来る。
自身の倍はあろうかという大ぶりなククリナイフを引きずったキリングドール、チャチャゼロである。
「良くはないが、仕方なかろう。あれは下手に手を出せん」
「結局ナンダッタンダヨ、アレ。前ニゴ主人ト真正面カラカチアッテタ奴ダロ? アノ時ハリゾート壊スクライハッチャケテタノニ、何デ今度ハヤラナカッタンダ?」
「……さぁな」
足元にまで来たチャチャゼロが、エヴァを見上げた。人形故に表情の細かな機微はわかりづらいが、それゆえに一つ一つの変化が大きい。今浮かんでいるのは、笑顔。
そのことにまた舌打ちを一つ。
「デ、ドウスル?」
「どうもこうも無い。携帯を出せ」
「ホラヨ」
「投げるな馬鹿もの!」
やや乱暴に投げられた古い型の携帯を受け取ると、エヴァはそれをすぐにプッシュする。
「……私だ、聞こえるか」
『オオ、聞こえるヨ、エヴァンジェリン。どうなったかな?』
「どうなったと思う、麻帆良の頭脳」
『私には、クロト・セイと誰かが溶けて消えたように見えたヨ』
「見ていたのか?」
『見ていたとも』
現在、超は空の上だ。高度五千メートルほどに学園祭の為に用意した飛行船で滞空している。
それもこれも、どこかの誰か達が地下を爆破してくれたからなのだが、それはもう済んだこと。今はまた別の作業に追われている。
『どうも、貴女が彼と彼女をどうにかしたという感じでは無かったようだネ?』
「そうとも。私は何もしていない。しようとはしたが、結局しなかった」
『使わなかったようだネ?』
「……ああ、そういえば使わなかったか」
空いている方の手で懐から、ドレスで在る為、この場合は胸の間から取り出したのは、小さな金属の塊。
手の中にあるのは、円筒の先に鋭い円錐が固定された物。つまりは銃弾だ。
それも、魔弾とでもいうべき代物。
「こんな鉛玉一つが、切り札になるとは時代も変わったな。戯曲ではあるまいに」
『厳密には鉛玉では無いけどネ。それ一発でそこらの銃よりも値が張るヨ?』
「フン……」
『ちょっとは喜んでくれてもいいんじゃないかな? この世に他にない、とびっきりだヨ? あの龍宮サンでもそれなりに興味を示してくれていたというのニ』
「人には得手不得手がある。奴ならそれは喜ぶだろうさ」
浮かぶのは、今も麻帆良を駆けているはずのスナイパーだ。
『へぇ、あの闇の福音に苦手な物があったカ?』
「所詮高価なおもちゃだと言っている」
『酷いね』
親指で上に弾き、受け止める。
「いいか、超。今から必要な情報だけ告げる。その脳みそで答えをはじき出して見せろ」
『どうゾ?』
「早い話、奴が事を終えるよりも早く、貴様が事を終わらせれば勝ちだ」
『……もうちょっと詳しく頼むヨ』
◆
『ナルホド……大まかなことはわかったヨ』
「で、どうする?」
『……クロト・セイの術式がいつ終わる、それはわからない、と』
「ああ」
『デッドレース、か。工科大の連中が付き合ってくれればいいのだけれど』
「ここにきて一般人を巻き込むのか? というかまだ人がいるのか?」
『変態が何人かデータ取りに残ってるはず……まぁ失敗してるだろうけどモ……それに、頼むのはスパコンの起動と設定をちょちょいと弄ることダケネ。私の権限なら彼らにも迷惑はかからないヨ』
「お前の方が酷くないか?」
『そんなことナイヨー』
「……手伝わなかったり、人がいなければ?」
その時は田中さんが突貫するだけネー、と電話の向こうの超は言う。
「で、結局のところ私はどうすれば良い?」
『そこで待機ネ』
「ここで私と言うカードを切るのか?」
『一度切ったと思ったら、期待した効果を出せずに何でか戻って来た切り札だけどネ。だから伏せておくことにするヨ』
「酷い言われようだ」
『事実だからネ。何なら渡しておいた弾の何発か。その赤いのニ打ち込んでみてくれても良いよ?』
「……ふむ」
手のひらの上の、一発の銃弾を見る。
効果のほどはまだ実際には見ていない。しかしどういった効果かは聞いている。
超鈴音謹製のそれ。もしやってみたらどうなるのか。
どうせ超のが先にできれば失敗するのだから、駄目もとで一度やってみるか。
それとも義理立ててあくまで超の命令に従うだけにしておいて、赤いのにはノータッチの姿勢を貫くべきか。
「――それは困りますなぁ。そんなことされたら、何が起こるかわからしませんのに」
――声がした。
その間際に後ろへ飛び退くと、それまで立っていた石畳が粉々に砕け、直径が三メートルほどの小規模なクレーターとなっていた。
だというのに、噴煙の類は起こらない。いきなりその場所だけ押しつぶされたような感じである。
そのちょうど中心にあるのは、一本の“矢”。
『――任務を変更するヨ、エヴァンジェリン。そこの“死守”、よろしく頼んダ』
「――まかせろ。誰にものを言っている」
エヴァは、やっと笑みを浮かべる。憂さ晴らし、とでも言わんばかりに。
◆もそっとだけ頑張ります!