麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第百七話 誘い

 

 

 

 麻帆良の中央部の一角。カフェテリアになっている店のテーブルに、一組の男女の姿があった。

 外に固定された四角いテーブルの上には、少し大きめのランチョンマットが引かれていた。その上にソーサーやポットが並び、カップには入れ立ての紅茶が白い湯気を立てている。

 立ち上る香りは茶葉が上等な物である事を意識させ、ついそのまま手を伸ばしそうになる。

 

 しかし、席に座る少女――神楽坂明日菜は、どうしても手を伸ばそうとは思えなかった。

 

 朝早くから始まり、今なお続く避難を促す警報。クラスメートともに避難しようとしていた自分を無理矢理連れてきた、店の周囲をぐるりと囲むように展開する槍と縦を構えた全身甲冑。

 そして何より、自分の目の前で薄ら笑いを浮かべじっとこちらを見つめてくる男。

 

 

「さ、どうぞお飲み下さい。貴女の為だけに入れた紅茶です。冷めては美味しくなくなってしまいますよ?」

 

 

――クルト・ゲーデル。この男でなければ、また少し違ったのかも知れない。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「おや、どうしました? 冷めてしまいますよ?」

 

 

 クルトがそう言って勧めるが、明日菜は手をつけようとはしない。幾らバカレンジャーのバカレッドなどと言われようとも全身鎧に囲まれて、自分のことをじっと見ながら笑う男に勧められた紅茶を飲んだりなどしないのだ。

 例え早朝にサイレンでたたき起こされたせいでお腹が減っていて、紅茶の入ったカップの直ぐ横に綺麗な三角形に切られたサンドイッチが置かれていようとも、だ

 

 

「そう睨まないでいただきたい。私は、貴女にとっていい話を持ってきたんですよ?」

 

「っ! よくそんな事が言えるわね!」

 

 

 元々、明日菜は例の如く悪夢にうなされていたのを委員長……雪広あやかに起こされ、教室に泊まらず寮に戻って就寝していた他のクラスメイトとともに学外へ避難するところだった。

今なお同じ調子で延々と変わらぬ文面を読み上げ続け避難を促す放送に不審さと不気味さを覚えながらも、他にどうこうできるわけでも無かったのでそれに従った。

 少し前までならいつも周りのどこかにいたネギも居らず、悪夢のせいかどこかふらつきながらもあやかに手を引かれて移動していたところを、突然脇道から現れた全身甲冑達に腕を取られ、明日菜自身も知っているこのカフェテリアまで連れて来られたのだ。

 あやか達とはその時に引き離されてしまいその後どうなったかはわからないが、無事に避難したと信じたい。

 

 

「……ああ、ご学友でしたら責任をもって外までお送りいたしましたよ」

 

「本当!?」

 

「ええ、嘘などつきませんよ。貴女からの信頼を損ねるようなことはいたしませんとも」

 

「……無理矢理連れてきたくせに」

 

「その件についても理由がありまして、やむを得ず。どうかご容赦ください“アスナ様”」

 

「…………」

 

 

 あやかが無事だという言葉に、一度身を乗り出した明日菜だが、すぐに元のように座り直す。

あくまで目の前のクルトがそういっただけであって、実際にそうだと確認出来たわけではないことに気がついたからだ。

それに、自分のことを様づけで呼んだことに一瞬の違和感を感じた、というのもある。

 いよいよ明日菜のクルトに対する不審は、頂点に達しつつあった。

 

 

「それで。……話って何なのよ。ろくな話じゃ無かったら、とっとと帰らせてもらうから」

 

 

 眉間に皺を寄せ、険しい表情をした明日菜に、クルトは「さて」とだけ言い、自身の分のカップに口を付けた。

口元でカップをゆらゆらと軽く揺らしているのも香りを楽しんでいるとでもいいたいのか、それとも敢えて余裕を見せて明日菜の反応を楽しんでいるのか。些細な仕草にも明日菜の苛立ちは増していく。

 

 

「どこから話しましょうか……そうですねぇ。とりあえず、今流れているこの放送。真っ赤な偽物で、学園長では無い。というのをお教えして起きましょうか」

 

「……はぁ?」

 

「貴女は気づかなかった……いえ気づけなかったようですが、放送の前にこの麻帆良の複数箇所で爆発がありましてね。関東呪術協会の侵攻です。……京都で会いませんでしたか? 彼らですよ」

 

「……!」

 

「私も京都の件に関してはそれほど多くの情報は得ていませんので詳細はわかりませんが……おそらく京都は前哨戦だったのでしょうね。これから麻帆良が戦場になるのでしょう。何にせよ、もう学祭どころではないでしょう」

 

 

 クルトの話す規模の大きすぎる話に、明日菜が絶句する。

その言葉を裏付けるように、丁度クルト達の真上を三機の飛行艇が旋回しながら通り過ぎていった。飛行機特有のエンジン音は、あっという間に遠くなっていったが、いつまでも明日菜の耳に残って離れない。

 

 

「いやはや、恐ろしいですねぇ。電電設備の爆破にこの放送、今通り過ぎていったアレ一機飛ばすのにも相当な労力が必要となるでしょうに、それを平然とやるんですから。ここまでやるということは彼らも今回は本気なんでしょう。

わかりますか? 彼らは本気でこの麻帆良を潰しにきているわけです。それも、徹底的に。おそらく彼らの目的はこの麻帆良という土地にあるのでしょうから、それ以外のものがどうなるかは私には検討もつきません。

どうなるんでしょうね? 学祭はもうオシマイです。おそらくは情報統制で外部にはどうとでもできるように手を打っているんでしょうが、こうなった以上今日明日の再開というのは不可能です。彼らの目的がこの土地にある以上、学校そのものも残るかどうかは怪しいですねぇ。何もかも焼け落ち更地になるかもしれません。もちろんご学友はちりじりに。

ああ、それ以前にご学友の皆さんも無事この事態を乗り切れないかもしれませんねぇ。一応一般人の避難を促す辺り配慮はあるようですが、貴女のようにネギ君に関わってしまった生徒もいるようですし、余り考えたくはありませんがもしかすると……」

 

「やめてぇっ!!」

 

 

 クルトの言葉を明日菜が遮った。静止ではなく、もはや悲鳴となっていた。表情は歪み、今にも泣き出しそうなのをこらえているように見える。

 

 それを、クルトは最初と何ら変わらぬ表情で見ていた。つまり、笑顔である。

 

 

「もう……やめて。ききたくない……」

 

「おやそうですか? 所詮私の予想なんですが……まぁ良いでしょう。そろそろ本題に入るとしましょうか」

 

 

 クルトは笑みを絶やすこともなく、一枚の紙を取り出した。明日菜の方に差し出されたその紙には、書名の欄のみが開けられている。

 

 

「……?」

 

「この紙にご署名をいただきたい。代価として、貴女に戦力を提供しましょう」

 

「戦力……?」

 

「ええ、そうです」

 

 

 明日菜の目に、弱々しい光が灯ったことに、クルトは笑みを深くする。

 

 

「私を含めて、この周りにいるような重装騎士達を八百名ほど。いかがです? 貴女の命令に忠実に従いますよ? お友達を守るもよし、はたまたネギ君や、あるいはタカミチを助けるように命令するもよし」

 

「高畑先生……ネギ……」

 

「さて、どうなさいますか? 今必要なのは、貴女のサイン一つですが?」

 

 

 

 この時、控えていたクルトの小姓からは、クルトが驚く程生き生きしているように見えていた。

 

 

 

 


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