麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第百四話 老爺が行く

 

 

 一般人が、麻帆良の中央部からいなくなる。それは、本来は隠匿が必要とされる多くの事項について、その必要性が無くなることを意味している。

 

 つまりは、麻帆良が魔法世界のように遠慮無用の戦場になるのだ。

 

 

「――ここまで」

 

 

 近右衛門が、大音量で響き続ける避難を促す放送の中で呟いた。それに、すぐ側にいた魔法使いがびくりと肩を震わせる。

 近右衛門に変化は表情は伺えないが、俯くことも、魔力が漏れ出すこともないことから、一見すれば動揺しているようには見えない。

 しかし、それでも今の近右衛門が普通の状態でないことは明らかだった。

 

なぜなら、場が酷く静かだったからだ。

 

 今も放送は続いている。大音量のまま、いくつかのパターンを繰り返し同じ調子で延々とスピーカーから流し続けている。

 それが、この場にいる者には、どこか遠く聞こえるのだ。

 スピーカーから流れているのは偽物であるというのはこの場にいる者は皆わかっているのだが誰も動けない。場を去ろうとしていたはずのクルト麾下の騎士達でさえも足を止め、他の魔法使い達と同じように、近右衛門の方を向いたまま息を詰めている。

 

 それら全て、近右衛門がつぶやいたただ一言がもたらしたことだ。長く極東にあり、本国出身でないにもかかわらず現地におけるトップの座を守り、一地域だとしても最強の名を今なお誇る老人の、ただ一言が。

 

 

「ここまで、やりおるか」

 

 

 不意に、近右衛門の視線が一人へと向く。向けられた相手は、クルトにこの場での指揮を任せられている中隊長格の重装騎士だった。

 

 

「騎士殿」

 

「――――!?」

 

 

 呼びかけられた重装騎士は身体をすくませることさえしなかったものの、一瞬身構えかけた。それは、長い訓練からの半ば反射的な動きだったが、重装騎士からすれば仮にも味方であり、敵意を向けられたわけでもないのに自身が老爺にたいして反応したことが信じられなかった。

 

 

「クルト殿に至急連絡を取っていただきたい。内容は大結界が遠からず破壊されるであろうことと、可能であれば中央と外縁を仕切る柱のいずれかの破壊をお願いしたいこと」

 

「う、む。それだけでいいのか?」

 

「結構。よろしくお願いする」

 

 

 それだけ言って、視線が騎士から外された。それだけで肩から力が抜け、未だ緊張していたことに初めて気づく。一方で、近右衛門は再び携帯電話を取りだして迷うことなく番号をプッシュする。

 番号の相手は決まっている。つい今し方まで話していた明石だ。ほんの2コールほどで、明石は電話に出た。

 

 

「明石君」

 

『学園長! この放送は――』

 

 

 明石の側でも、この耳障りな放送が聞こえているのだろう。逼迫した声がすぐに返ってきた。

 

 

「奴らじゃ。してやられたようじゃのう。今から止めることは?」

 

『既に止めるように指示は出していますが駄目です。コマンドは受け付けるのですが実際には止まらないんです。おそらく物理的に受信機に細工をしてネットワークを遮断し、どこからか別のラインを直接繋げて操っているとしか』

 

「ようは止められんのじゃな?」

 

『……残念ながら』

 

「電源を直接落とすのも無理なのじゃな?」

 

『そもそも先ほどの爆発で広域放送まで電力は回っていないはずなんです。現状でこれを止めるとなると、回線をぶつ切りにするか、スピーカーを一つずつ壊していくしか』

 

「そう、か」

 

 

 しばし、沈黙が生まれる。放送は健在で、電話口の向こうでは明石以外の人員が口々に何かを叫んでいるのが聞こえて来る。事態の把握の為に、相当な修羅場となっているのだろう。

 

 

「……わかった。明石君」

 

『はい』

 

「先の指示を取り消す。こうなってしまっては、人の流れは止められん。その点はもういいから、どんどん外へ出す方向で事態を集約させるのじゃ。それから人員を大きく三つに分ける。今この広場にいる人員はそのまま。あとの人員を麻帆良大橋に集中。この二箇所に防衛線を構築する」

 

『それは……湖岸の方は放棄する、と?』

 

「やむを得ん。備えはあるが、全ての可能性に対処できるほどの絶対数は無い。超君の方は出方を待つしかないじゃろうよ。

タカミチ君は橋の方へ。彼の技は直線に限定されるフィールドならより強くなるからのう。代わりに橋の人員の中から本国派遣の魔法使いと騎士隊で遊撃部隊を組むように伝達してくれい。ああ、あとガンドルフィーニ君は何人か連れてこちらの広場へ移動させよ」

 

『哨戒ではなく遊撃ですか?』

 

「おそらく想定以上の人員に既に侵入されておる。潜入に長けた部隊だけでなく、それとは別の実働部隊もそうとういるはずじゃ。よって遊撃に出す一つの部隊を最低十人。数はまかせる。“敵”を見つけた場合は一度引きつつ、他の部隊と連携して包囲するようにして潰すよう徹底してするのじゃぞ。ああ、あと可能な限りスピーカーも壊すようにの」

 

『わかりました』

 

「それとのう、明石君」

 

 

 近右衛門は一旦間を置き、それから。

 

 

『はい』

 

「指揮を電算室に移す」

 

『は……? 今も情報の集約はここで行っていますが』

 

「そうではない、そうではないのじゃ。指揮権を一時的に儂から君に委譲すると言っておるのじゃよ、明石君」

 

『ああ、なるほど。指揮権をこちらにとはそういう……ええ!? いや、私にですか!?』

 

「うむ。判断に困ることがあれば儂に回してくれてかまわん。頼んだぞ」

 

『で、では学園長は?』

 

「儂か? フォッフォッフォ、そんなもの決まって居るじゃろう?」

 

 

 近右衛門の、普段と変わらぬ笑い声。電話越しの明石はわからないだろうが、この場に居るものはいよいよ底冷えするような薄ら寒さをそこから感じていた。

 

 

「人が足りん以上、儂が率先して動かねばなるまい。儂も出る」

 

 

 ではの、とだけ言い、近右衛門は電話を切った。

 

 

「さて……、磨り潰していくとしようかのう」

 

 

 一度首をこきりと鳴らしたあと、膝を大きく沈めて地を蹴る。種も仕掛けもわかりきった単なる瞬動だが、平素の状態から一瞬で練り上げられ足に溜められた気の練度やそこから生まれる速度に魔法使い達は絶句する。

 あっという間に視界の外へと消えて行く近右衛門。この時点で見失った者もいるほどの速度だ。

“入り”をかろうじて見てとった者が慌てて目で追っても、そこに映るのはたった一歩で、彼らの何倍もの距離を稼ぎ、見る間に小さくなっていく様子。

縮地无彊という長距離移動用の技術だが、一般に浸透しているような難易度のものではない。今まで近右衛門がいた場所に立った小さな土煙を、取り残された魔法使い達が呆然と見続けていた。

 

 そんな中で、誰よりも驚きを覚えながらもそれを押し殺した者がいる。先ほどクルトへの連絡を頼まれた重装騎士である。

 中隊長格を任せられているだけの実力がなまじある分、近右衛門の技術に驚いたのだ。

 

 本国において、時折話題の端に昇ってくる近右衛門の評価は総じて高いが、その中身が良い物であるとは限らない。主に政治面の評価が高く、その手際と大規模な戦闘から離れていた期間が長かったために実力面に関しては情報操作による誇張もあるのではないか、そういう噂もあったのだ。

 

 しかし、実際に近右衛門の実力の一端を目にした彼からすれば、それがデマだというのは疑いようがなかった。事実、彼は今近右衛門が行ったような長距離の縮地は行えない。長距離の縮地そのものはできるが、どうしても近右衛門よりも速度、あるいは精度で一段二段劣ってしまう。

 同レベルでできるとすれば、それこそ彼が知るのは上司であるクルトその人くらいだろう。

 

 とにかく、近右衛門の実力は噂通り。あるいは噂以上の可能性もある。それを確認できたし、連絡の件もある。クルトはクルトで動いているはずだが連絡を取ること自体は難しい事ではないし、中隊長格ともなれば権限的にも問題は――

 

 

 

――くすくすくす――

 

 

 

「……む?」

 

 

 連絡を取ろうとした、まさにその時。少女の笑い声が一瞬耳についた。

 

 軽やかで、楽しげな笑い声。しかし周りを見回しても、そんな少女はいない。先ほどの白い少女のことがあるため、少し念入りに辺りを警戒するが、かえって部下に怪訝な顔で見返されただけで、おかしなところは何も無い。

 

 

「どうかなしましたか、隊長」

 

「……いや。気のせいだ。何でも無い」

 

 

結局、彼は空耳だと判断し、改めてクルトに連絡を取った。

 

 少女の声の空耳は、報告しなかった。

 

 

 

 

 




 遅れました。明日も投稿します。

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