麻帆良の中央部から少し離れた市街地。その路地裏に、一人の男と少女がいた。一時的に中央部から転移で脱出セイとエナである。
壁に背を預けてうずくまるエナに、その身体を盾にして隠すようにするセイ。見方によっては覆い被さっているようにも見えるので通報されかねない体勢だが、人払いをかけてなお、そうまでして隠す理由があった。
「うー、おなかいたーい」
「エナ、大丈夫ですか!?」
「“どうりょくけい”にもんだいはないけど、“でんたつけい”にふぐあいが……」
うずくまるエナ。むき出しにされた腹部は赤く腫れ、口元からはオイルらしき黒い液体が零れて白い肌とワンピースを汚していた。
「細かい損害はわかりますか?」
「うあー、“きかんふれーむ”にゆがみはない? けど“しょうげききゅうしゅう・ぶんさんきこう”にかふかがかかっててちょっとまずそう。ほかはこまごまとしすぎてじょうほうのしゅうやくにじかんがかかるよう」
「戦えるには戦えるんですね?」
「うん、それはだいじょうぶ。けどあの“ようかい”くらすになるとじかんかせぎもむずかしい。みんながいればべつだけど、“しょうへき”のさいだいしゅつりょくもおちてるとおもう」
「……やむをえませんね。一端後方に下がりましょう。次の段階が完了するまで時間もあります」
「ごめんなさい。ぐらんどますたー」
「気にすることはありません。壊れなかっただけ儲け物です。どうせあの馬鹿どもがすぐになおしてくえるでしょうし」
「うん……」
それまで見上げていた目線を伏せ、うつむきがちになったエナ。機械であるはずの彼女だが、その表情の動きはもはや人間とそう変わらぬように見える。
開発班に言わせれば、常時行われている不定期かつ不特定の対外的データによるプログラムの更新、ということらしいが、セイはそれだけとは思わない。
喜怒哀楽に従いころころと変わる表情は、あるいは人間よりも人間らしい。そもそも表情の変化の基準となるのが本当に喜怒哀楽なのか、そもそもそういったものがプログラミングされているのか。何らかの定義自体がなされているのか。そのあたりはわからない。
だが、それでも彼女らは目的のためだけに全てを捧げた自分よりも、よほど目前の出来事に一喜一憂し、素直に反応できている。
彼ら開発班は白エヴァ、エナという人に近い物を造りあげた。そらを行く飛行船もしかり。テレビの中だけの物と思われていた多くの物も現実の物として見せた。
セイはそのことに造られた物以上の可能性を見いだし、何より重要なことを教えられた、自覚させられたと考えている。
必ずしも、神秘は必要とされなくなりつつあるのだと。
全く必要がなくなるとは思わない。だがその比率は軽くなっているし、軽くしていくべきだと、そう考えている。
麻帆良であっても、エヴァの力を大きく制限できるような結界を電力で発動させていた。
超も、エヴァの力を借りつつとはいえ魔力を動力とした茶々丸という白エヴァ以上に人に近づけるであろうものを造り出した。
故に、麻帆良を奪い返した後には――
『――っ、長!』
「うわっ、と。そう怒鳴らなくても聞こえていますよ」
『だったらもっと考えて動いて下さい! 危なかったじゃないッスか! あれ俺かエナがいなかったらアウトだったじゃないっすか!?』
唐突に、脳裏に響いた念話が思考を中断させた。相手は、バックアップに控えていた空里である。
声には焦りがにじみ、若干やけになっているようにも聞こえたが、セイはどこふく風だ。
「狙撃支援ご苦労でした。助かりましたよ」
『あーもうっ!! 何考えテンスか!? そもそも長の周りにエナと俺だけとかおかしいじゃないっすか!』
「そうは言っても、これだけ作戦範囲が広いと人員がかつかつですからねえ。それにたまにはスリルがあっていいじゃないですか」
『…………。さよさんが長のテンションがおかしいって言ってたのこれかぁ』
「何か?」
『何でも無いッス!』
どこかで狙撃地点を確保しているであろう空里だが、念話越しにため息をつく。仮にため息が聞こえていたとしても、今のセイには届かないだろうが。
『ところで長、何か尻尾巻いて逃げてたみたいッスけど、良かったんすか? 去り際にでも何かしておけば魔法使いの十や二十潰せたでしょうに』
「いいんですよ。まだそれをすると支障が出ます。生徒や外部の一般人が多少なりともいる状況では私のやり方では無理です。人払いがあったとしても、石畳に染みついた血糊なんかは面倒です。それに、どうせあと三十分もすれば手加減不要になりますから」
『……大丈夫なんすかねぇ、一般人の排除ったって、絶対に混乱しますよ』
「大丈夫ですよ。多少順序が前後しますが、問題はないはずです。それよりも、図書館島の方、よろしくお願いしますよ」
『へーへー、了解したッス。開発班の支援が来次第突っ込んできますよ』
それを最後に、念話は途切れた。
「さて……いまの内に一端戻りますよ、エナ」
「はーい」
◆
「やりましたね、学園長!」
顔をほころばせる魔法先生に、“何がやりました”だ、と近右衛門は怒鳴りたくなった。まだ魔法先生として赴任して数年の彼には気づけていないのだろうが、結局近右衛門はクロト・セイの術式を妨害することができなかったのだ。いまはまだこれといった異変は起きていないが、所詮早いか遅いか。起きることはほとんど確定してしまった。後はどれだけ迅速に手を打てるかにかかっている。
それに、学園結界を落としたという爆発。どの程度の規模であったのか。何故今までの定期点検で発見できなかったのか。もう爆発物は残されていないのか。把握しなければならないことは山ほどある。
できれば最後の一撃。あれだけでも上手く決まっていれば、という無念も残る。マガイモノとは言え、それなりの戦闘力を秘めていた。“当てた”感触は悪くなかったが、撃破できたとは思えない。
懐から携帯を取り出し、すぐに電子精霊など電気関係を取り仕切る明石に連絡を取る。幸い、ジャミングはまだかけられていなかったらしく、すぐに電話が繋がった。
『学園長!』
「明石君、状況はどうなっておる!」
『変電設備がやられました! 今し方非常電源を立ち上げたところですが、どうも送電設備や図書館島の方でも爆発があったらしく、正直復旧は……』
「……わかった。明石君は通信網の形成だけでもなんとか頼む。指揮系統が途切れてはどうにもならん。それとタカミチ君や皆には原則持ち場を離れぬように伝えてくれ。それから報告を厳にするように」
『はい、わかりました。夏目君、すぐに……』
「ふぅ……さて、皆の衆! 持ち場に戻るのじゃ。すぐに次がきよるぞ!」
近右衛門は電話を切り、すぐに周りの魔法使い達に指示を飛ばす。どこかぎこちない動きをしつつも、彼らは前もって指定されている持ち場へと戻っていく。そんな中で、きびきびと隙の無い動きをしつつも、近右衛門の指示に従わず独自に動く集団がいる。クルト配下の重装騎士隊である。
彼らの指揮系統は近右衛門ではなくクルトがトップであり、近右衛門に従う理由も義務も存在しない。何人か魔法使いに紛れて近右衛門の指示通りに動く騎士もいるが、そちらはクルト麾下の騎士ではなくクリスについて来ていた騎士達である。
クルトの目的がクロト・セイであるから、実際に彼が姿を現した以上は彼自身が動くだろう。
葛葉刀子がおらず、桜咲刹那もあてにできない今、現状唯一の神鳴流。おまけにタカミチと同期の元紅き翼。政治上の思惑があったとしても、戦力として見るなと言うのが無理な話だ。
クルトに連絡を取るために、一度は懐に収めた携帯を取り出した、その時だった。
〈――――……ザザッ……〉
「む……?」
突如聞こえた、耳障りなノイズ。音源に目を向ければ、そこにあったのは高い位置に取り付けられた広域放送用の外部スピーカー。終業のチャイムなどにもつかわれているため、近右衛門も見知った物である。
そこから流れてきたのは、耳を劈く……
〈ウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――……〉
「サイレンじゃと!?」
高く、長く、響き渡るサイレン。どう考えてもそれが意図するのは非常事態が起きたことを示すこと。だが、そんなことは近右衛門は指示していない。クルトは指揮系統が違うため実行する権限が無い。考えられるのは明石だが、彼とは立った今連絡を取ったところだし、そもそもマニュアルにすらサイレンを鳴らすという項がない以上、緊急時には全体の指揮を取ることもある明石が軽々しくこんなことをするとは思えない。
なら、なぜ――? 一瞬の内に懊悩する近右衛門の耳に飛び込んできたのは、
〈こちらは学園長近衛近右衛門じゃ! 学内の各所で原因不明の爆発が起こっておる。よって学内におる生徒や一般の参加者はただちに避難を開始してくれい! くりかえすぞい。学内の
――〉
本当は前回といっそにする予定だった回。
体調がある程度戻ったので投稿しました。今度はレポートの期限が迫ってくる……