それは、ある時刻から関東圏の極限られた何カ所かで、一斉に流れ始めた。媒体は多用で、最新のタブレット端末から一抱えもある大型の無線機まで、それをとらえていた。
始まりはただの砂嵐。チューニングされていないラジオと同じ変調のない雑音がひたすらにスピーカーやヘッドホンなどから垂れ流されていた。そこに突如生まれたノイズは間を置かず雑音と共に消失し、人の声となって、それまで雑音に耐えていた者達の耳へと届いていった。
――あー、テステス、テステス。
――低層の薄雲による通信中継感度……チェック。その他項目……オールグリーン。
――こちら開発班統合部作戦室。現在天乃五環は高度三万メートルの所定位置に到着。
――作戦開始時刻まで、残りわずかとなりました。
――これより最終確認を行います。ご協力下さい。
――武器を携帯していますか? 所定の位置にいますか? 周りに同僚(仲間)はちゃんといますか?
――射角の調整は済んでいますか? 回線の接続は済んでいますか? 動力をうるさいからと落としたりしていませんか?
――操縦席のシートをちゃんと自分に合わせましたか? 舵輪に引っかかりを感じたりしませんか?
――朝ご飯を食べましたか?
――……この通信は、ちゃんと届いていますか?
瞬間、幾つもの通信が比較的低高度にいる薄雲の一隻を経由して天乃五環へと飛んで行く。
――……確認しました。全部隊、現状の位置にてそのまま待機。
――緊急事態を除き、これより作戦の開始まで本艦との通信を封印します。これ以降は部隊間の双方向のみとなりますが、不要な通信は慎しむようおねがいします。
――以上、天峰より通信を終えます。……グッドラック。
◆
麻帆良の中心部、各学校施設が集中するエリアの大通り。道幅が広く、遠くには世界樹も見える麻帆良の目抜き通りに、彼らはいた。
「――おやおや、これはこれは。こんな早朝から雁首をそろえてどうかしましたか? 魔法使いの皆様方。随分な人数のようですが、貴方方のような数を揃えたところでたいして変わりは無いでしょうに」
片方は、麻帆良の魔法使い達。魔法生徒こそいないが、魔法先生、本国から少しずつ増員していた魔法使い、さらに、一部にはクルト子飼いの重装騎士の姿もある。その数はざっと数えても百や二百はくだるまい。
その先頭に立つのは他でもない。麻帆良のトップ、クリスから指揮権を奪って見せた、極東最強。そのやり口と手際から畏怖と侮蔑の両方の意味を込めて、日本の妖怪の総大将である大妖怪と同じ二つ名で呼ばれる、近衛近右衛門その人。
普段のような好々爺然とした雰囲気などカケラも無く、ただちりちりとした静かに研ぎ澄まされた闘気を纏っている。
「ふん。それが貴様の本性か。思ったよりも随分と在り来たりよのぅ」
一方で、セイは一人だ。一人だけだが、たった一人で近右衛門の背後にいる魔法使い達をまとめて威圧している。
鉄火場に立ったことがないのだろう。本国派遣の増員組の中には、まだ何も始まっていないというのに顔を青くしたり、何度も杖を握りなおしたりしている者が多くいる。
「大戦の頃から暗躍しておったが、結局理由は復讐か」
セイの今の容姿は、まさしく鬼だ。
とは言っても、茶褐色の和装は色と随所に付けられた房飾りを除けば近右衛門とそう変わらない。髪も普段と変わらず後ろで一纏めにしているだけ。浮かべる笑顔だって肉食動物が獲物を前にして浮かべる獰猛な物では無い。まぁ、これに関しては死に瀕した者をただ看取るだけの死に神の笑みなのかもしれないが……とにかく笑顔そのものには不気味さこそあれ威圧感は無い。身体付きも、少なくとも見た目の上では筋肉質には見えない。
問題は他でもない。角だ。
朝陽を内に取り込み輝きを乱反射させるセイの翡翠の角は、楓と話をしたときよりもさらに大きく、太くなっていた。
根本の太さが腕ほどになり、ただ天へ一筋に伸びていたのが、魔法使い達の遠く背後にそびえる世界樹の枝葉のように幾重にも分岐し、今なお輝きを増しながらうごめき、少しずつ成長を続けていた。
「復讐。なるほど、確かに復讐も目的の一つです。正直今も貴方方のようなMMの魔法使いがこの麻帆良を我が物顔で闊歩しているのを見るとまとめて吹き飛ばしたくなります」
その言葉に、魔法使い達の何人かが得物を向けかけるが、すぐに傍らの同僚に手で制される。
理由は単純で、彼らのトップは未だ動いていないからだ。
「できると思って居るのか? この麻帆良は極東の魔法使いの最後の牙城。大結界がある限り、“お主のような類”も楽には動けんのじゃろう?」
その言葉を、セイは心中でのみ肯定する。麻帆良の認識阻害とは別に存在する、機械仕掛けの大結界。エヴァンジェリンすら束縛し、高位の妖異の力を著しく減退させ、行動を阻害する結界で、事実セイ自身今この瞬間も干渉を受けている。
このせいで余程の召喚を行わない限り一定以上のランクの召喚は行えないし、たとえば異能の血が混じる衣子なども先祖返りを行えば返って動けなくなるだろう。
だが、それは前もってわかっていたことだ。余りにも大きな大結界という問題に、何の研究も対策もせずほったらかしてきたわけがないのだ。
例えば、ネギの来訪と合わせるようにして麻帆良に来てから。
十五年前の関東発足のごたごたのときから。
二十年前に、悪の組織の本拠地を目にしたときから。
“調査を始める機会など、幾らでもあった”。逆に行っていない方がおかしいのだ
「ええ、その通りです。私クラスになれば幾らでも抜け道はありますが、まぁ他もそうかと言えば苦しい面もあるでしょうねえ」
セイは、にへらと笑う。より深く、頬を歪めて笑みを造った。
今度こそ、正真正銘獲物を見定めた捕食者の目だ。
「かといって少数精鋭にすると今度は人が足りなくなる。該当しない者達だけではどうしても手が回らない、潰しきれない所も出てきますからね。例えば、この場にいない高畑教諭であるとか。あるいは図書館島の司書長殿であるとか」
セイは、くつくつと笑う。そして、ですが、と続ける。
「近右衛門。大結界なんぞとうの昔から問題になっちゃいないんですよ」
右手を挙げ、魔法使い達にも見えるように。むしろ見せつけるようにしてスナップを一つ。
魔法先生の一人神多羅木が得意とするわざと重なって見えるが、この場合はまったくもって何の変哲もないただの指ぱっちんだ。
魔力の集中が無かったため、近右衛門も動きはしなかった。
――そして……爆音と地揺れを伴った衝撃が魔法使いに襲いかかった。
「ぬ、なっ……!?」
地鳴りは続いている。魔法使いの中には突然の事に転倒する者もいるが、近右衛門にそんなマヌケの相手をする暇はない。表情にあるのは焦りよりも驚愕。セイの方は笑みをさらに深く。
「何をした! なぜ学園結界が消失する!?」
「別に難しいことでは無いですよ。麻帆良にある変電施設や関連する何カ所かを“爆破”させてもらっただけですから」
爆破。簡単に出てきたその二字の言葉に近右衛門は絶句する。確かに魔法と銃弾が飛び交う裏の世界では爆薬程度なら珍しくはない。しかし、地鳴りをもたらす程ともなれば話が違う。それだけの量を仕込むには時間もかかるし、何より生命線であるインフラの警備をかいくぐって膨大な量の爆薬を仕込むなど馬鹿げている。裏の監視だけではない。裏を知らない表の人間による、普通の保安点検だってあるのだ。
「いつの間に……」
「二十年もあったんですよ? それだけの時間があれば細工に工作、仕込みなんて何でもやり放題じゃないですか! うちにはそう言ったことの専門家もいますしね。他にもまだまだありますよ。しかしその前に、大結界の方も潰しておきましょうか」
「っ、させん!」
ぱん、と柏手を一つ。今度はセイを中心として低気圧のように霊力が渦を巻く。集められていく霊力は精錬されていき、寒気がしそうな純度まで高められていく。だが不意を突かれたとは言え、ここまで来て黙っている近右衛門ではない。だが、踏み込もうとした瞬間に、セイの背後からゆらりと陽炎のように現れた人影にたたらを踏んで留まった。
それは近右衛門がよく知る少女の姿だった。すぐにそれがマガイモノであると気づいたが、マガイモノであったとしても捨て置くには危険すぎた。
それは、白の少女。白に朱を引いた少女達。陽光の中でも金でなく白くあるその容姿は、魔法世界で語られる姿と色以外は何ら変わらない。
白エヴァ。その中でも麻帆良までたどり着いたあの白エヴァである。今は手ぶらであるが、そこには機会故の無機質な恐ろしさがある。
「ぐらんどますたーは、やらせないよ」
「ええ、時間稼ぎをお願いしますね」
「うん」
そう言って、朱い剣を取り出したセイに、近右衛門は魔法使い達に一斉攻撃の指示を下した。
キリが悪いような気もしますが投稿します。