麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第九十一話 彼女であれば

 

 

 

関西呪術協会の敷地内のとある建物の一室に、落ち着いた色合いの和服を着た一人の男がいた。

 

男の名は近衛詠春。関西呪術協会の長だった男で現在は軟禁状態にあり、外に出るにも複数の監視につくといった状況である。

 

詠春が万全な状態であったならば、例え監視全員が手練れであったとしても問題にはならなかっただろう。

 

しかし、今の詠春にはそれができない。原因は服の下に隠された四肢に施された封印。刺青に見えるそれらは、全て意匠が異なる。

 

右肩には舞い散る花弁。

左肩には絡まる鎖。

右脚には流水。

左脚には雲に隠れた月。

 

最高幹部の刀久里が引退間際に千草と他数名で施した、気の流れと集中を抑制阻害する極めて特殊な封印術式。刺青は歴代神明流の意志が残る野太刀が形を変えたもの。

 

それぞれの封が個別に意志を持つが故に解呪が容易ではなく、逆に封印に使われた歴代神鳴流の意志に認められれば限界以上の気も引き出せるのだが……現在は一般人程度の気しか扱ないため、軟禁程度で済んでいるのだ。

 

武器も無く気も使えない。そんな相手に過剰な人員を割く必要はない。

 

まったくもって合理的だとため息をつく。

 

すっかりと重く感じるようになってしまった身体を籐椅子に預け、思考するのは目を覚ましてすぐ、動けない間に聞かされた話。

 

裏から遠ざけていた娘の木乃香が、裏の中枢である長になったというのだ。

 

何を無茶なと叫びたかったが、身体はいうことを聞いてくれずそれもかなわない。

 

それを哀れむように見ていた見張りの幹部は、事の子細を詠春に話した。

 

曰く、近衛木乃香当人、それ以前に近衛家には実権はない。将来的にはわからないが、少なくとも実力が伴わない内は協会としての意志決定権は最高幹部会で代行する。

 

曰く、桜咲刹那に関する一切を生殺与奪も含め一任する。今回の争乱に関しての処分も幹部会では行わず、それも木乃香の裁量である。ただし、木乃香が最高幹部会の指示に反抗した場合はこの限りではない。

 

要項はたったこの二つ。要は主に組織の体を整えるために一応木乃香を長にする、ということらしい。

 

しかも、桜咲刹那の立ち位置が絶妙だった。刹那の身柄は幹部会から木乃香への“飴”であり、また枷の役割も果たしているのだから。

 

だが、上手くできている、と思うと同時に、腑に落ちないこともあった。

 

自分の言えることではないが、甘すぎるとも思えた。

 

確かに木乃香は木乃芽に容姿も似て幹部から受けが非常に良かったがそれだけで反乱を起こした人間が目こぼしをするだろうか?

 

疑念にかられ、必死に口を動かしそれを訊くと幹部はこう答えた。

 

 

『お嬢様……いえ、長は麻帆良に一度帰しました。長が麻帆良にいるならば、我ら西は関東呪術協会の同盟組織としてだけではなく、関西呪術協会という一つの組織として動くことができる』

 

 

その言葉の意味を理解して、詠春ははっとした。

 

京都争乱の火は、まだ消えてなどいなかったのだと。

 

京都争乱は始まり。過去へのけじめであると同時に、後顧の憂いを立つための戦。

 

近いうちに再び火は上がる。おそらく、今度は東、麻帆良の地で。

 

そして、自分にはそれを伝える手段がない。

 

本当に、どうしてこうなってしまったのか。

 

 

「相も変わらず、しっけた面しとるのう」

 

 

 籐椅子に身を預けていた詠旬に、廊下から声がかかった。身体を起こし目を向ければ、そこには車椅子に乗った老爺と、それを後ろから押す少女が。

 

 

「いよう詠春。どうせ暇しとるやろうと思うてな。ちぃとつきあえ」

 

 

 刀久里鉄典。争乱の際詠春を倒し、後に直接封印を施した件の人物が、酒瓶を掲げてそこにいた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……どこへ?」

 

「すぐそこやそこ。ええさか黙って付いてこい」

 

 

 詠春と刀久里。現在の関西の勢力図において対極の一にいるはずの二人が横に連れだって歩いてるのを見て出会う人々は皆最初はぎょっとした。しかし刀久里が平然としていること、その背後に一葉が控えていたことからその進行を止めたり……ということはしなかった。

 三人は進み、やがて建物から外へ、そこから更に緑の深い方へと進んでいく。

 

 

「さぁて……嬢ちゃんよ」

 

 

 あるところで刀久里が一葉を止めた。目の前には、緑の天蓋に覆われた上り坂。

 

 

「ここまででええ、あんがとさん。こっからは二人で行くわ」

 

「は、しかし……」

 

「二人の方がええんや。そやな……離れンのに理由がいるんなら、ちょいと台所からつまみでも持ってきてくれや」

 

「う……わかりました」

 

 

返答と共に、一葉の尻尾がゆらりと揺れる。一礼した後離れていき、すぐに建物の影に見えなくなった

 

 

「さて、と。行こか」

 

 

 押す者がいなくなった車椅子。それが、刀久里が車輪に手を触れることもなくひとりでにきぃきぃと車輪を軋ませ動きだし、隣の詠春が歩くのと同じくらいの速さで坂を上っていく。

 

 

「……その車椅子は」

 

「んん? おおぅ流石に気になるか? 車輪の内側に刃を仕込んであってな、儂一人でも実は移動にゃ苦労せんのよ。いや東のはまた随分と便利なもんをこしらえてくれたわ」

 

「そういうことを聞きたいのではありませんよ……」

 

「ほなら、なでぇ車椅子に乗っとるかか? んなもん身体にガタが来たからに決まっとるやろうが。あないな無茶してぶり返しがないわけないやろて」

 

 

 刀久里はあっけらかんとそう言うが、言われた詠春は苦い顔をする。刀久里の言う無茶とは自分を相手にした時のこと。それも、最後に見せた大技のことだろうから。

 

 

「気にするこたぁない。儂も無茶やっとるちゅうんはわかっとったさかいな。まぁ、命あったってなぁもうけたかな」

 

 

そこから先、しばらく二人に会話は無く、黙々と坂を上っていった。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「ここは……」

 

「くっく、おどれもよーう知っとるやろう?」

 

「木乃芽さんの庵じゃないですか!!」

 

「そうとも、あっこっからでも来れるのよ。まぁ、非常用の隠し通路やさかいに普段は別ンとこにでるんやがな。表からしか来たことのうたやろ」

 

「……」

 

 

 たどり着いたのは、詠春も何度となく足を運んだ木乃芽の庵。内乱の舞台になった本山にあっても、ここだけはなんの影響も受けることもなく、変わらずそこにあった。

 

 

「さてさて、飲むとしようや。うれ」

 

 

縁側の辺りに車椅子を寄せた刀久里が、縁側に腰掛けた詠春に酒の入った杯と、どこから取り出したのか通い徳利を取り出してそのまま渡した。

 

 刀久里は一升瓶から、詠春は徳利から酒を杯に足しながら、ちびりちびりと酒を呑む。時刻は夜と言うには速すぎる夕方で、空にも紫は差していない。

 

 

「なぁ、詠春」

 

「なんでしょう」

 

「儂も含めて、皆がおどれを倒そとした理由、今ならわかるか?」

 

「……私が、邪魔になったからでしょう。あの時、言っていたじゃないですか」

 

 

 左手で口の所を持ち抱えていた徳利を縁側に置き、詠春は言う。

 

 それに、刀久里は。

 

 

「そうやな。概ねそれで間違うとらん」

 

 

 しかし、と続ける。

 

 

「実はあいだけとちゃうんや、これが」

 

「なんですって?」

 

 

 内乱の夜に、詠春に向けられた物が、全てでは無い。そう刀久里は言う。

 

 

「まぁそう言うても言いたかったこたぁだいたいあの夜に言うてしもたから細かいことはええんやが……この本山のよ、年寄りや役持ちの連中がお前に敵対したことの理由の一つは、おどれが東に、魔法使いに傾倒したからや。そこはわかるな?」

 

「……ええ。痛いほどに痛感させられましたよ」

 

 

 

「まぁ何が言いたいかっちゅうとな。結局おどれが皆の反感買うた一番の原因は、木乃芽様やったらどないしてたか。それを考えんかったってのに集約されるんやろな、ってことや」

 

 

 

 からり、と音がした。

 

刀久里が目をやれば、凍り付いたように固まった詠春の手から杯が落ち、庭石の上に転がっていた。

 

 

「そ、れは……」

 

 

 本人も自覚しただろう震えた声。酔いも一瞬で醒めたろう。

 

 今は居ない、最愛の人。彼女であればどう対応していたか。

 

 それを問われ、初めて考え、答えを出し、それを重ねていくほどに、詠春の顔は青くなっていく。

 

 

「言いたかったんはそいだけや。そいも踏まえて、もっぺんよう考えてみい」

 

 

刀久里はそれ以上何も言うことは無く、庵を後にした。

 

 押す者のいない車椅子は、刀久里を乗せて変わらず進む。と、その背後にゆらりと影がたった。

 

 

「月詠の嬢ちゃんやの」

 

「はい~」

 

 

 影の正体は、月詠だった。内乱以後も、刀久里から小太刀を譲られた縁で優先的に頼みを聞いているのだった。

 ちなみに、月詠にしては珍しく(?)今の彼女の服装は白い着物に黒の袴といった極めて簡素な装束である。

 

 

「ん、護衛ご苦労さん。小遣いでもやろか?」

 

「いーえ~。ですけど、その代わりに一つ教えてもらえますやろか?」

 

「ええとも」

 

「なにを思うて、あのお人を連れ出したんです~?」

 

 

それに、刀久里は答えることなくしばらく車椅子を進める。月詠もまたそれに付き従う形で後を追う。

 

 

「さてなぁ。何となく……っちゅうんが一番しっくりくるんやが……あるいは再起を望んどるんかもしれんな、儂は」

 

「あんなににキツいこと言いはったのにですか~?」

 

「そうとも。なんだかんだ言うて、木乃芽様が選んだ奴やからなぁ」

 

「……それだけどす~?」

 

「いんや? まだ理由はあるとも。しかし事実でもある。せやさかい教えるンは嬢ちゃんが言うたように“一つ”だけにしとくから後のはよう考えな」

 

 

「あーん、いけず~」

 

 

 刀久里はそう嘯いたが、内心は月詠の問にどう答えるのが正解かすこしばかりの逡巡があった。

 再起を望む。それは嘘では無い。木乃芽が選んだ男だから。これも嘘では無い。

 

 嘘ではないが……言葉通り、それだけではない。

 

 

 

「カッ! 誰も彼も悩むがいいさ。悩め悩め、どないに動くか考えろ。どないしたいか、何をしたいか……誰の思いを寄る辺に動くか……」

 

 

 

「それが答えなんですか~?」

 

「んなわけなかろう」

 

 

 

 


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