麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第八話 逆鱗

 

 ……橘の、あんの阿呆がっ! 龍の尾を踏みよった!!

 

 

 もはや、部屋の中は戦場だ。ここは関西呪術協会の総本山で、いるのは組織を束ねる最高幹部達だというのに、動けない。

 

 へたに動けばどうなるかわからない。

 

 死ぬ、かどうかはわからない。言葉どおり、何がおきるか、目の前の年若い男が何をしてくるか。それがわからないのだ。

 

 それほどまでに、今の玄凪斉は危険だ。彼は強い。昨夜それは確認済みだったはず。

 

 己の部下の石化を治療しながら下した評価は、変則的な召喚術者。純粋な強さは準幹部級、懐に入られれば案外もろいかもしれない、といった物。

 結界や符、他の術を使用しなかったので不確定要素はあったが、妥当なところだと考えていた。

 

 だから、彼が玄凪の名をかたる東のスパイである可能性が有りながらも、長にあわせることに決めた。

もし彼が本当に東のスパイであり、何か行動を起こしたとしても、術者であるから橘達神鳴流を使う幹部で対処しきれると踏んだのだ。

 

 だが、実際はどうだ。彼は爆発寸前、いや、もう既に爆発して臨戦態勢にはいったというのに、神鳴流を使う幹部連中はもとより、長さえ呑まれて動けないでいる。かくいう自分も動けない。

さらに追い打ちをかけるのが、この状況の原因がこちらにあること。

 迂闊に動けないし、流れを変えうる要素が思いつかない。幹部は既に全員ここにそろっている。部下には近づかないように厳命してある。

 おまけに玄凪斉の、どこに隠していたんだと思わせるほどの霊力。ちょっとした土地神と同等か、それ以上。

 霊力が何もしていないのに目視できるなど異状以外の何物でもない。実力の想定を大幅に上方修正しなければいけない。

 

 だが、打つ手がなくとも、何らかの行動は起こさなくてはいけない。

 最悪なのはこのまま戦闘に発展し、長の近衛木乃芽、もしくは幹部の誰かがやられること。死なずとも、深手の傷を負わされても駄目だ。

 もしそうなれば、関西呪術協会の影響力の低下は避けられない。

 

 ならば、彼との交渉は必須。一番危険な会話の口火を切るのは、まだ若い長や天ヶ崎よりも、老い先短い自分の仕事。

 もしこれに失敗すれば、待っているのは戦闘。相手に呑まれた状態で始めれば、どんな被害がでるかわからない。

 長年裏の世界の最前線を陰陽師として幾度も修羅場をくぐり抜けてきたが、こんな緊張は久しぶりだ。

 

 そして、いよいよ覚悟を決めたときだった。

 

 

「玄凪斉さん、いいはったね。橘のじいちゃん、許したってくれへんか。……このとおりや」

 

 

 関西呪術協会の長、近衛木乃芽が、そう言って頭を下げたのは。

 

 

 

  ◆

 

 

 

 はて……? 今なんと言いました? 許せ? あの爺を許せと?

 

 

「わしからも、重ねて頼む」

 

 

 今度は、千蔵老人です。

 

 

「橘も、本心からああ言うたんやないんや。橘には橘の役目がある。それをまっとうしようとしただけや。……やり口には問題があったと思うが……すまんかった」

 

 

 長と千蔵老人が頭を下げたまま、時間だけが過ぎていく。私も、他の幹部達も、件の橘老人も、誰も動こうとはしません。

 

 ……しかし、こうして二人に頭を下げられて、少し頭が冷えました。確かに犬死にと言ったことは許せることではありませんし、許すつもりもありません。

 ですが、確かに玄凪は魔法使いに一度負けた。それは、変えようのない事実です。

 

 それに、今の私は相手に物を頼む側だというのに、熱くなりすぎました。

自制できなかった私にも非はあります。怒りにまかせて怒鳴ったあげく、増加していた霊力を半ば暴走させるなんて……

 まったく……何やってるんでしょうね、私は。

 

 とにかく、あちらは千蔵老人や長までもが頭を下げて誠意を見せてくれたのです。私も、それ相応の対応をしなくてはいけません。

 

 

「……お二方とも、頭を上げてください」

 

 

 今まで微動だにしていなかった二人が、ぴくりと動いて、おそるおそるといったふうに顔をあげました。

 私は、今まで彼らがそうしていたように、深々と頭を下げます。おそらく、今幹部達はそれはもう驚いているんじゃないでしょうかね。

 

 

「ご無礼の段、まことに申し訳ありませんでした」

 

 

 しかし、と頭を上げて続けます。

 

 

「私たちの最期を犬死にと言ったこと、許したわけではありません。そこはまちがえないでください」

 

「……わかったえ。ほなら、書庫の立ち入りを認め、魔法世界に至る道についても、うちらが責任もって手配する。そういうことで手打ちにしてもろてかまへんか?」

 

 

 長がそう言います。ああ、あの表情には覚えがあります。自らの命を賭けて何かに向かう……そう、覚悟を決めた表情です。

 あの時の、燃える麻帆良で結界の基点たる社を破壊しに行くとき、最後の防衛線に残る部下達も同じ表情をしていました。

 

 まぁ、そんなに悲壮な覚悟をせずとも、その条件をだした時点で私の腹は決まっているのですけどね。

 

 

「……願ってもないことです。お願いします」

 

「……ふぅ、ほんならこれで手打ちやね。改めて名乗っとくわ。うちの名前は近衛木乃芽、現近衛家当主にして、関西呪術協会の長」

 

「玄凪の長、玄凪斉です。」

 

 

 ここに、手打ちはなりました。

 

 

「おぅし! ほんなら一件落着したところで、飯にしようや。もう昼になっとる」

 

 

 千蔵老人が、今までの空気を吹き飛ばすかのように明るく言いました。いつのまにやら日も随分高くなっていました。

 

 それからは部屋にいたさよさんも呼んで、ちょっとした宴会になりました。

 

 まだ昼ということで、酒はあまり飲みませんでしたが、それでもぎすぎすした空気を消すには十分でした。

 橘老人が腹を捌きかねない勢いで謝罪してきたのには驚きました。

 ある程度本人とも和解した後で、千蔵老人に他の幹部のお歴々も紹介していただきました。どうやら千蔵老人が最高齢で、長が最年少だそうです。

 

 あと、気になって麻帆良にいたぬらりひょんとの関係を訊いてみましたが、嫌な顔をしつつも一応答えてはくれました。木乃芽さんが娘で、千蔵老人は従兄弟だそうで。

 

 ……娘ですって。人類の神秘の一端に触れた気がします。

 

 

 

 やがて宴会も終わり、他の幹部はそれぞれの持ち場に帰っていきました。橘老人もこれから飛行機で九州に帰るそうです。

 

 一方、私とさよさんは千蔵老人に連れられ、一緒に書庫に向かっています。ほんとはさよさんにはまた部屋に残ってもらうつもりだったのですが、幹部の誰かが酒を飲ませたらしく、ひっついて離れません。カブトムシもびっくりなくらいとれません。

 

 しょうがないので、二人そろって廊下を歩いている訳なんですが、酔っぱらったさよさんは妙に艶っぽく……その……匂いとか、胸が……

 

 

「ここや」

 

 

 千蔵老人の声で我に返りました。はて、私は一体今何を?

 

 

「ここに史書や地方の伝承の資料なんかが“裏”もまとめられとる。陰陽術やら符術やらはまた別の禁書庫に入れられとるから、そっちはまた後日な。じゃ、ここの鍵は渡しとくさかい……何面白い顔しとる」

 

「はっ!? い、いえ何でもありません」

 

「……ははーん。なるほどなるほど。まぁ、するなとは言わんが、本は汚さんようにな」

 

「何をですか!」

 

「ん? 何やと思た?」

 

 

 ……遊ばれましたね。

 

 千蔵老人は鍵を開けそれを私にわたすと、にやりと笑ってから書庫を後にしました。

 

 

「んふふー。せんぞーさんはなんのことをいってたんでしょーねー」

 

 

 ……気にしません。さよさんは休ませておけばいいんです。

 

 さよさんをひっつけたまま、大きな書庫の扉を開きます。

 

 ギィと蝶番を軋ませた扉の先では、高い位置に取り付けられた窓から光が差し込んで、一つだけある長机を浮かび立たせている。

 

 書架が整然と立ち並ぶこの場所は、古紙と墨の匂い、そして静寂が支配する、過去を閉じ込めた空間。

 

 ――そして、未来への希望が満ちた空間でもある。

 

 次の神木の大発光まで、おおよそあと二十二年。今のままでは、私一人では、おそらく再び数の暴力に負ける。

 

 百年前と同じ敗北。そんなことは許されないし、許さない。与えられた二十年の猶予で、様々な準備が必要になる。

 

 世界は進み続けている。科学の火が世界を焼くほどに。

 

 春香は学べと言った。

 

 “門の向こう側”、魔法使い達の本拠地、連合が存在する魔法世界に至れとも。

 

 ならば、自分は立ち止まらない。

 

 歩みの中で、邪魔になるようなこだわりは捨てる。

 

 それが必要であるのなら、科学であろうと、あるいは忌々しい〈魔法〉であろうとも、拾い上げて己が力として取り込もう。

 

 そうして歩みを重ねて、より大きな力を得る。

 

 そして春香を取り戻す。

 

 そのための、これが最初の第一歩。

 

 

 

「……さあ、待っていなさいよ、魔法使い。全ては、ここからです」

 

 

 

「んふふー。そーですねー」

 

 

 

 さよさん……

 

 

 

 





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