クモ行き怪しく!?   作:風のヒト

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彼時々クモ

 そこは辺り一面、緑だった。

 上を見上げれば日の光が緑色に見えるほどに葉が茂り、下を見れば見たことのない造形の草が生えている。

 ならば上を覆う葉を持つ大木の茶色は見えないのか? という疑問はびっしりと絡まっている何かの蔓で見えないという答えが即座に返ってくる。

 前人未到という文句が付きそうな場所に、その人影はポツンと存在していた。

「……」

 樹海の中心で無言のまま仁王立ちをしているかに見える光景だが、彼の頭は混乱の極致に達しており、実際は呆然としているだけである。

 なにせ彼からしたら数分前まで自分はこんな緑一色の場所と程遠い灰色のコンクリート溢れる街並みにいて、しかもそこはある日突然に未確認生物と幽霊まで溢れかえったところにいたのだ。

 そして、奇妙な友達が出来た次の瞬間には止めとばかりに人生の終焉を感じるフリーフォールである。

 ここまできて彼は、ならばここは死後の世界ではないかと思いつく。

 なぜかおしゃぶりを咥えた偉そうな子供が「何を頓珍漢な事を!」と怒っている光景を幻視したが、それと関係なくここが死後の世界でもなくそもそも自分は死んでいないと先ほどの考えを否定する。

 これが霊視に目覚めていたが故の直感であるとは知る由もなかったが、彼はこの考えを疑わなかった。

 では、ここはどこなのだろう? という当然に湧き上がる疑問に答えるべく、その判断材料を集めるために周りを見回すその瞬間。

 彼は周囲に漂う鉄と生臭さを合わせた異臭を感じた。

 

 そこには化け物が寝転がっていた。

 だがパーツの一つ一つは既知の生物に似ており顔や全体的なフォルムはライオンのようで、四肢は鳥の様な硬いかぎ爪を持ち、体毛は茶色で大きさはライオンのそれでなくカバやゾウの中間ほどの大きさだ。

 ここまでの大きさではなかったが、彼が視た虫のような何かよりは既存の生物に似ていたため、彼のお家芸と化した驚きによる無言の棒立ちをするほど驚きはせずに済んだが、それでも驚いたことには変わりなかった。

 ゆっくりと逃げるための体勢をとりかけたところでこの化け物の様子がおかしいことに気付く。

 最初は寝ていたと思っていたその化け物は良く見ると腹のあたりが一切上下に動いていない。

 それもそうである、何故ならこの化け物は腹の部分が骨しか見えない程にぽっかりと空いていたのだ。

 更によく見てみると、もはやこの化け物は骨と皮だけの存在であり、首と胴体は切り離されて、腹の噛まれた様な傷を見るにどうやら捕食された後、つまりは食べカスなのだと分かった。

 ならば、ここにはこれよりも強い捕食者がいると判断し、急いでその場を離れようと足に力を込めたとき自身が裸足であると気付く。

 そして、この違和感からようやく自分が裸足どころか服も着ていないと理解したのだ。

 今までのジェットコースターばりの怒涛の急展開に着いていけなかったというのもあるが、裸だが寒くないという肉体の変化と、もう一つの要因がこの裸の事実の発覚を遅らせていた。

 

 自身の身体が血濡れだったからだ。

 しかし血濡れと言うには語弊がある、何故なら血はところどころの乾燥しポロポロと剥がれ落ち全体的に赤黒く変色していて、濡れていると言い難いからだ。

 この化け物が喰われていたときに近くにいたのか?

 それならば急にこんな樹海の真っただ中にいる理由の説明にはならないが、立ち尽くすに至るまでの記憶が曖昧なのは、眼の前で行われたであろう捕食劇の衝撃的光景と自身も同じように喰われるかもしれないという極度の緊張による気絶か何かと説明が出来る。

 

 浴びるほどの血が乾くほどの時間気絶をしていて無事なのか?

 

 先ほどより激しく否定の言葉が頭を駆け巡り、明確な答えを視せようとしているが同時にまだ早いという考えと先に視るものがあるというアドバイスめいた何かが脳内を駆け巡る。

 頭の中に別の何かがいるという異物感を感じるがどうすることもできず、そのアドバイスに従うように体が半ば勝手に動く。

 少しも迷うことなくその場から化け物の死体へと体が動き、より細かくその死体の詳細が視覚情報として脳へと伝わる。

 不思議と嫌悪感や吐き気はなかった。

 それはこの数週間で嫌になるほど視た異形や自ら進んで視ていた中にいた生前のグロテスクな死様の状態の幽霊に慣れたためでなく、まるで生まれた時からこの状況に関するマイナス面の感情を持っていないかの様なのだ。

 そして、瞳を覗き込み彼はそれと目が合ったとき、自身の目を見開くほどに驚いた。

 目が合ったとは言っても化け物と目が合った訳ではない、その握り拳ほどの大きさの瞳に映った自分と目が合ったのだ。

 ただ自分の姿が映ったくらいでは幾ら驚きに伴う棒立ちと無言をお家芸として持つ彼でも流石に驚きはしない。

 

 その姿が自分の憶えている年の数分の一ほどしかない外見になっていれば、彼でなくとも十分驚くだろう。

 

 混乱のあまり絶叫することも、現実逃避をするようにその場を走って逃げることもせず、目を大きく開けたその子供を視続けていた。

 

―――――――――

 

 頭上の太陽がやや西に傾いた頃、彼は湖にいた。

 

 ひとしきり驚いた後、血を落としたいとふと思うとこの湖までの道のりが脳内に描かれていた。

 上空から見れば樹海の中心に真っ青な穴が開いているようにも見えるほど澄んだ水と綺麗な円形型の湖は、とても気持ちのいいところであった。

 粗方血を洗い流した後、今後の行動を考えつつぼんやりと浮かんでいた。

 何となくその場でうつぶせ状態になり、湖を覗いたところピラニアに似た魚の群れが共食いをしあっている様を見つけ慌てて湖から這い上がった。

 うかうかしていたら喰われる! そう確信した彼は頭の中にある拠点らしき記憶を頼りに、迷いない足取りで湖を後にした。

 

 

 湖からそう遠く離れていない場所にそれは存在していた。

 ここらの木は他の木と違う種なのか、背が少し低い代わりに胴回りが他の木に比べ一回りも二回りも太い。

 一本の木を残して周りの木は幾らか刈り取られており、近くには畑らしきスペースまであった。

 更に他の場所と違い様々な色の花が均一に咲いている。

 誰が見ても自然沙汰でなく何者かの手が加えられているのは一目瞭然だった。

そして、その何者とはおそらく……

 

 この木にもたれかかって死んでいる大蜘蛛なのだろう。

 

 先ほどの化け物の死体とは違い、まるで昼寝をしているかのようなそんな穏やかな雰囲気があった。

 それが先ほどの死骸の様に腹部が抉れていてもだ。

 

 蜘蛛を覗き込んだとき、彼の中にある思いが、記憶が、止めどなく溢れだす。

 

 知性を得た時からそれゆえに孤独になってしまったことを

 彼が生涯唯一の友となったことを

 自身が救われたことを

 勝手に代償として『人として』の半身を差し出されたことを

 そして蜘蛛自身の半身が今の自分と共になっていることを

 そのことを最後まで謝ってくれたことを

 友となってくれたことを同時に最後まで感謝してくれたことを

 

 色々な思いが一気に彼へと押し寄せたが、彼は穏やかにその蜘蛛を視ていた。

 

「ありがとう、友達……」

 

 それは彼がこの地に生まれて初めて発した言葉だった。

 

―――――――――

 

 周りの景色が緑からオレンジ色に変わる頃、彼は屋根のある場所で休憩していた。

 文化的な場所に唐突にいるが、それまでに至る経緯はこうだ。

 あの後蜘蛛をあの場から運び、おそらくその蜘蛛の恩恵である自身の記憶の一部を頼りに柔らかい地面を探して棒を使い、一心不乱に穴を掘り大蜘蛛を弔ったのだ。

 蜘蛛を動かすことも穴を掘ることも、普通ならばこんな子供に出来るはずもないのだが蜘蛛と融合したせいか、はたまた素なのか一切気付いていなかった。

 身体能力云々はとにかく、彼は蜘蛛を土葬し終え木に戻り、そこでツリーハウスがあることを思い出した? のだ。

 

 自信を助ける方法や友達に対する考えはえらく不器用な蜘蛛だったが、手先はかなり器用だったらしく木はちゃんと板に加工され、食べた獣の革はなめしてちゃんと利用していた。

 床に敷いてある絨毯は見事なトラ柄の何らかの獣だ、手触りがすごくいい。

 クローゼットには蜘蛛が着るにはちょうど良い服らしき布が几帳面に畳まれて仕舞ってあった。

 最も目を引くのは部屋の三分の一を占める割合で置かれた紙でなく布で作られた本らしき束である。

 彼とは違う記憶が、つまり自身に残る蜘蛛の記憶がこれらが自身の知性の象徴であると告げている。

 何気なく広げた本に書いてあったものは馴染みない記号の羅列に彼は感じたが、それも一瞬の事で次には問題なくそれが文字であると認識し、読めていた。

 水回りは近くに湖があり手元には水袋と思しき水の入った袋さえある。

 衣食住、ついでに幾許かの娯楽まで完備と、当初考えていた野晒上等なサバイバル生活に比べれば段違いの住みやすさである。

 

―――――――――

 

 なら手始めにまず食事を、夕飯でも食べようかと考え畑へ向かうべく外へ降りる。

 

―― お腹減ったなぁ……

 

 そんなことを考えていた。

 

―― 食べたいな、食べたいな…… お肉もいいな食べたいな。

 

 空腹を強く感じる。

 

―― 食べる、肉が喰いたい、ニクガタベタイ……

 

 空腹は飢餓へと変わり、考えというよりも本能のそれに変わる。

 

―― タベルタベル、ニク、ニク!

 

―――……

 

 簡単な単語すら忘れ、全てが飛んだ頃。

 

「シァアアアアアッ!!」

 空気を鋭く吐き出したかのような、甲高い雄叫ともとれない音と共に

 

 彼の後頭部が開いた。

 

 開いたといっても切られたわけでもないし、脳が見えることもない。

 後頭部に口があったのだ。

 その口は人のそれより、蜘蛛の…… それも彼をここへと生み呼んだ大蜘蛛のそれとうり二つの口であった。

 彼のいた世界ならば実在したかもしれない二口女でさえ畏怖を感じるだろう牙を携え、その先には死しか待っていないような暗闇で口の奥は見えなかった。

 

 そしてメキリと、骨を鳴らしたかと思えば今度は肩から腰にかけて赤黒い毛で覆われた彼の腕よりも太い蜘蛛の脚が体から飛び出た。

 一見皮膚を突破ったかのように見えるが、よく見ると付け根の皮膚はそこだけブラインドのようになっており傷は一切ない。

 脚はピクピクと忙しなく動いていたが、彼が腕を組むと一斉に動きが止まる。

 そしてそのまま彼はおもむろに、ブリッジをくり出すかのように思い切り仰け反った。

 腕を組んだ状態のためまるで一人でジャーマンスープレックスをしているかのような滑稽な絵図は一瞬で終わり、蜘蛛の脚が地につき後に残ったのは蜘蛛に似た異形だった。

 人の部分は段々と蜘蛛の部分に吸収されるかのように沈んでゆき、頭頂部に隠れていた複眼が爛々と真赤に輝くころには人の体の様な模様を宿した一匹の蜘蛛と成り果てていた。

 

 蜘蛛は畑に目もくれず、暗くなった木々の中へと迷うことなく走り出すとおもむろに跳躍し、木の枝を飛びながら弾丸のような速度で消えていった。

 

―――――――――

 

 しばらく木々を飛び回った蜘蛛だが、剥き出しの野生により獲物を捕捉するとスピードはそのままにほとんど音を立てず獲物の真上の枝まで移動した。

 その獲物とは下で小型の昆虫を長い舌でベロリと絡め捕り食事をしているアリクイに似た生き物だった。

 気づいていないことを笑うこともせず、緊張するといった感情さえ持ち合わせていないとばかりに蜘蛛は己の中にある捕食プログラムに従うかのように淡々とした動作で飛び降り、その勢いを利用した脚の一撃でもってアリクイに似た生き物を仕留める。

 

 そして『キシシ』と笑うとも生理的なものとも分からない声を発するとともに食事が始まった。

 最も柔らかい部分を見極めそこから牙を突き立て肉を咀嚼する。

 そこにうまいだのまずいだのといった味覚を感じることは無いらしく、荒々しいながらどこか淡々とした調子で喰い続ける。

 

 そしてディナーが骨と皮だけになったころ、蜘蛛は巣として認識した先程のツリーハウスへと戻っていった。

 巣へ近づくにつれ体の支配権が戻るのか、そもそも支配しているのかも疑問だが彼の意識が徐々に覚醒していた。

 

 巣が見えるまで移動した頃、彼はこのプログラムの様な淡々とした蜘蛛は友達なりの過保護という奴の表れなのかとぼんやり考え、深い眠りについた。

 

 結局、彼が彼として完全に目覚めたのは次の日の昼頃まで掛かってしまった。


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