もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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戦争開幕

 

 落ちる。落ちる。落ちる。

 底のない夜の海へと、岸波白野(わたし)は落ちていく。

 

 この落下には果てがない。

 方向の意味がない。距離の概念がない。時間の経過がない。

 ひたすらに流されて、削げ落ちていく自己のイメージ。

 虚無の中に浸されて、このままいけば身体も記憶も、何もかもが残るまい。

 

 それはどうしようもない事実。逃れられない結末に思えた。

 

 一瞬か、それとも永遠か。

 無重力に似た落下。終わりの見えない転落。変化のない無間。

 身体はまるで泥のよう。心も鉛のように鈍化していく。

 一切の希望も見えない虚無に、自分は徐々に絶望へと向かっていた。

 

 

 ――――けれど、ここで手放すのなら、自分はとうに終わっている。

 

 

 魂の火種は残っている。

 燻っているこの火がある限り、まだ終わりじゃない。

 忘れない。終わらない。たとえ自分さえ残っていなくても、手放してはならないものがある。

 諦めることはできない。たとえ奈落の底であったとしても、先へと向かって手を伸ばした。

 

「――ほう。自らを喪いながらも、まだ手放さないと足掻きを見せるか。

 凡夫の身にしては良き欲望の音だ。退屈に微睡む我を起こすとは、矮小ながらも強欲なものよ」

 

 刹那、聞き覚えのない声が耳に届く。

 

 あまりにも尊大な声だった。

 どこまでも傲慢な声だった。

 深淵の底であろうと色褪せることのない黄金。至高なる輝きを己の眼が認識する。

 

「無礼者。縁なき雑種の分際で、許しなく我を見るとは何事か」

 

「俗人が我に請う事を許さぬ。交わる事を許さぬ。本来ならばその不敬、死にも値する大罪よ。

 だが、その惨めながらも見応えのある足掻きに免じて、一度だけ挽回の機会を与えよう」

 

「問おう。貴様は我の"契約者(マスター)"か? 礼としてその身命を供物とする覚悟はあるか?」

 

 唐突すぎる処刑勧告に息を呑んだ。

 意味が分からない。そしてこちらの戸惑いなどお構い無しだ。

 

 とにかく、答えなくては。

 相手が言ってきた事は冗談ではない。本気だという事だけはよく分かった。

 あまり答えに窮しては本当に処断されかねない。答えが期待外れの場合でも同じだろう。

 

 だから、考えろ。この相手は何と問うた?

 岸波白野(じぶん)が己の"契約者(マスター)"かと。身命を供物にする覚悟はあるかと。

 マスターかと問うのなら、この相手はサーヴァント。己と契約を結ぶのかと聞いている。

 サーヴァント。聖杯戦争における闘争代行者。取り戻した記憶にその名は刻まれている。

 ならば身命を供物に、とは? この相手がどれほどの事を求めているのか予測がつかない。

 少なくとも並大抵ではないだろう。こんな存在が求めるものが、そう容易いわけがない。

 

 だが恐らく、彼の手を取れば光明を見出だせる。

 冷酷な声。それは無明の暗黒でも揺らぐことのない絶対者の声。

 そんな彼と契約を交わすことが叶ったのなら、きっとこの虚数の海からも抜け出せる。

 

 それは確信に近かった。

 この相手と契約を結べれば、無限の虚構だとて恐れるまでもない。

 その権威は地の果てまで、遍く大地へと手を届かせる力となるだろう。

 そうと信じさせる力が、この声には込められている。

 

 故に、返すべき答えは決まっている。

 ようやく見つけ出した標、地の底に垂れてきた蜘蛛の糸。

 掴み取る以外の選択肢などない。さもなくば自分はこの虚無の中で潰えることになる。

 

 考えるまでもない。初めから答えは出ている。

 だからその答えを告げる。この繋がりが断たれてしまう、その前に、

 

 ――否、だと。

 

「ほう。我とは契約を結べぬと、そう言うのだな?

 それが何を意味しているのか、無論分かっていような」

 

「ここで我との繋がりが失せれば、貴様はこの虚無に取り残される事になる。

 その果てに待つものは無間地獄の責め苦だ。結末にあるのは虚ろとなった自己の消失のみ。

 いや、それは無いか。なぜなら貴様が契約者(マスター)でないのなら、不敬の罪によりここで我に処断されるからだ」

 

「我が拾い上げたその命、手放すもまた我の自由であろう。

 貴様はそれを理解した上で尚、我が問いに否だと、そう答えたのだな?」

 

 ……そうだ。

 馬鹿げた答えかもしれない。

 せっかくの機会、唯一の好機を棒に振る。その馬鹿さ加減は分かっている。

 

 だがそれでも、この相手をサーヴァントと認めるわけにはいかない。

 マスターとサーヴァントは運命共同体。関係は主と従者でも、互いの存在は対等だ。

 サーヴァントと呼ぶ相手には、確固たる信頼が必要だ。自分の背中を預けられる、その信頼が。

 

 たとえ命が掛かっていようとも、安易にその名を預けるわけにはいかないのだ。

 

 黄金の男に浮かぶ酷薄な笑み。真紅の瞳に宿る殺意。

 予感があった。自分はここで、この男に殺される。

 抵抗の余地なく、あっさりと。この虚数の海に岸波白野は散るだろう。

 

 それを理解した。実感していた。

 それでも尚、この相手をサーヴァントと呼ぶ事は間違いだと思う。

 信頼が置けない。相互理解ができてない。理由なら幾つも考えられる。

 けれど最も重要なのはそれじゃない。あまりにも単純で、当たり前の理屈だった。

 

 ――岸波白野(わたし)がそう呼ぶべき存在は、すでにいるから。

 

 凶刃が走る。

 それを岸波白野は認識できない。振るわれた刃は容易くその首を刈り取るだろう。

 認識できずとも予感していた結末。だが抱くべき怖れもまた、無い。

 

 岸波白野(じぶん)が喚ぶべき、名。

 共に死闘の中を駆け抜けた、無二の戦友。

 覚えている。常に自分の傍にいて、守り抜いてくれた英雄の姿を。

 一秒先に迫った死。寸前に口にする、彼の名は――

 

 

 ――――来て、アーチャー!

 

 

「――ああ、まったく。君はどうしてそういつも気を揉ませるんだ、マスター」

 

 振るわれた金色の剣を、白黒の双剣が受け止める。

 眼に映るのは、雄々しくて頼もしい英雄の背中。

 自分の前に立って、非力な自分に代わる剣として。

 記憶にある掛け替えのないの相棒。その姿を目にすれば、恐れるものは何もない。

 

 ――サーヴァント・アーチャー。

 

 岸波白野(じぶん)が契約を交わした英霊。

 錬鉄の力を操る無銘の英雄。懐かしいその姿が今、目の前に在った。

 

「――ほう」

 

 黄金の男が笑みを浮かべる。

 獲物を前にみせる嗜虐にも似た、残忍な笑みを。

 

「王の下す裁定に異を唱えるか。相応の覚悟はあろうな、雑種」

 

「さて、どうかな。あいにくと要求される覚悟には覚えがないが」

 

 対し、口調とは裏腹に赤い騎士は激している。

 彼にとって忠義とは秘するもの。そして命を賭して守るもの。

 

 主を害した黄金の男を見据えるアーチャーの眼には、確かな怒りがあった。

 

「私の主はここにいる彼女だ。古錆びたの暴君の権威など振りかざしても、耳を貸す者はいないだろうさ、英雄王」

 

「抜かせよ、贋作者(フェイカー)

 

 互いに互いの本質を捉えて呼び合う両者。

 まるで顔見知り同士のように、ただし不倶戴天の敵に向ける殺意を込めて。

 

「その醜悪なる贋作で、我が宝物に触れるとは。もはや八つ裂きでも足りぬと思え」

 

「そちらこそ、傲慢に曇らせた眼を時には覚ますことを勧めよう。

 確かに私の剣は偽物だが、偽物が本物に敵わない道理などない。

 お望みならば、凡百の夢である我が刃、王の喉元まで届かせてみせるが?」

 

 二人は譲らない。斬り結んだままの姿勢で動かない。

 均衡の狭間で揺れる二つの力。僅かな切っ掛けでもあれば、両者の力は炸裂するだろう。

 まさに一触即発。それを見守る自分も、迂闊な事はできない。動きがあるのをただ待った。

 

「……ハ」

 

 やがて、その均衡が崩れる。それは激突ではなく、互いの剣が引かれる事で為された。

 最初に剣を引いたのは、意外にも先に剣を振るった黄金の男の方だった。

 

「良い。所詮この場は虚構の領域。眼を開ければ覚める泡沫の夢よ。

 その罪を許しはせぬが、王の裁定が下る場としては相応しくあるまい」

 

「ほう。珍しく殊勝なことだ。激した暴君の癇癪が、こうまで容易いとは意外だったな」

 

「たわけが。我は無価値なものを認めぬ。王が行うべき絶対の裁定を、そこな雑種の見る夢想で済ませては示しがつかん」

 

 英雄王と呼ばれた男の視線が、こちらを射抜いた。

 魂が凍りつくような感覚。たとえ視線の一つだとて、この男を前にしては安心できない。

 気を緩め、迂闊な真似をすればそれだけで、たとえ味方でも容易く斬り捨てると、そう思えた。

 

「すでに立ち上がったというに、巡りの悪い娘よ。このような虚数にいつまでも囚われている事もなかろう。

 一度目を瞑り、正しく瞼を開いて、耳を澄ませば、自ずと世界の姿が映るであろうよ」

 

 それきり黄金の男はこちらへの視線を切る。

 まるで興味が失せたかのように、あっさりとその身を翻した。

 

 それを止める術を自分は持たない。会話一つにも危機感を要求される相手。

 だからこそ、そこで語られる事につまらない戯言はないと確信できる。

 そう信じられるだけの力が、その言葉にはあったのだ。

 

 あの黄金の男が言うようにすれば、ここから抜け出す事が出来るだろう。

 

 アーチャーを見る。

 本当なら聞きたい事が幾らでもある。けれどそれも、まずはここから出てからだ。

 その手を握る。伝わってくる温かさが、眠っていた心を完全に呼び覚ました。

 

 言われた通りに目を瞑る。

 虚脱感はそれだけで、感覚が本来の世界を取り戻していく。

 アーチャーも、あの黄金の男も、視界から消えていく。

 それは消失ではない。自分が本来在るべき居場所へと回帰しているのだと、そう理解していた。

 

 最後の瞬間まで確かだった、触れ合った指の感覚。

 たとえ何が起きようとも、その力強さだけは失われず――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――だが、仮にも我を微睡みより叩き起こしたのだ。無礼の代償は支払ってもらうぞ」

 

「矮小の身に似合わぬ欲の音を持つ者よ。我は貴様の道化ぶりを楽しむのみ。

 無価値であれば斬って捨てる。が、その有り様が愉快であれば、あるいは褒美をとらす事もあるやもしれんぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――脳波の状態は……うん、OKね。

 アルファ波、ベータ波ともに正常。よし、覚醒した」

 

 声が聞こえた。

 とても懐かしい気がする、聴き慣れた声。

 

「聞こえてる? まずは焦らないで。もう意味消失の危険域は越えてるわ。

 ゆっくりと、落ち着いて。目蓋を開けてみなさい」

 

 曖昧な意識がカタチを取り戻していく。

 こちらを導く力強い声に引かれて、重く感じる目蓋を開いた。

 

「はい、おはよう。とりあえず大丈夫そうで安心したわ、はくのん」

 

 飛び込んだ視界に映った人の姿。その少女を自分は知っている。

 

 ……そうだ。彼女の名前は遠坂凛。

 聖杯戦争で自分に手を貸してくれた、共に戦い抜いた戦友だ。

 

 どうやらここは保険室らしい。

 そのベッドの1つに自分は横になっている。

 事情はまだ分からないが、どうやら彼女が自分を看病してくれたようだ。

 

 挨拶代わりに『ありがとう』と声をかけた。

 

「どういたしまして。けど、こっちも色々確認したいことがあるから、挨拶はそれぐらいにね。

 悪いけどゆっくり休んでいてとは言えないわ。今の状態がいつまで続くのか、それさえ把握できてないんだから」

 

 凛の語る内容からは、今の事態が決して安穏としたものではないと察せられる。

 それでも焦りを見せず落ち着いた彼女の態度は、その矜持によるものだろう。

 

 無論、そこには自分としても否はない。

 ここは何処で、なぜ自分は眠っていたのか、知らなければならない事は幾つもある。

 

 身を起こす。身体の反応はまだ鈍い。

 それでも起き上がる事に支障はない。凛もすぐに元の調子を取り戻せると保証してくれた。

 淹れてくれた1杯の紅茶。口にしたその温かさは、消耗した身体に染み渡った。

 

「さて、早速確認していくけど、その前に。

 はくのん。貴女、聖杯戦争の記憶はちゃんと持ってる?」

 

 もちろんだ。忘れるわけがない。

 月に存在するムーンセル。その使用権を賭けた魔術師(ウィザード)たちによる生存競争。

 ひとつの太陽系にも匹敵する万能の演算器、故にそこには"聖杯(ムーンセル)"と名が付けられた。

 

 岸波白野(じぶん)もまた、その戦いの参加者の1人。

 遊びではなく、命を賭けた死闘なのだ。忘れられるはずがない。

 

「そうね。その認識で間違いはないわ。

 じゃあ、聖杯戦争中の内容については覚えているかしら?」

 

 それも当然だ。

 計七回戦にも及ぶ聖杯戦争、その過程で死闘を繰り広げた七人の魔術師(ウィザード)たち。

 誰一人として脆弱だった者はおらず、死という名の別離は記憶に焼き付いている。

 

 自分はきっと彼等の事を永劫忘れないだろう。

 手に掛けてきた罪業も含め、確かに存在した相手の意志を。

 

「あらそう。それじゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 っ!? 何を、言って――――!??

 

 待て、待て待て何かがおかしい!

 あの三回戦の後。凛の戦いに、令呪を用いて行った乱入行為。

 あの出来事を切っ掛けにして、凛はサーヴァントを失って……いや。

 本当にそうだったか? 自分が助け出したのはもう一方の相手、ラニ=Ⅷの方ではなかったか?

 

 二つの記憶が混在している。

 どちらかが間違っているのではない。どちらも確かに存在した記憶だと断言できる。

 そして手を差し出さなかった相手と、自分は六回戦で――

 

 おかしい、矛盾している。

 同時に存在する二つの時間。両立など不可能だ。

 なのに自分はそれを事実だと確信している。そんな自分自身に、何より混乱した。

 

「やっぱり、はくのんにも複数の聖杯戦争の記憶があるわけね。ならいよいよ、この推論も確証を帯びてきたか」

 

 複数の、聖杯戦争の記憶?

 どういうことだろう? それではまるで、聖杯戦争が繰り返されているとでもいうようだ。

 

「……正直、まだ穴抜けの部分が多すぎて、はっきりとは言えないけど。

 月で行われている聖杯戦争はループしているのよ。一度や二度じゃなく、それこそ何度もね。

 可能性並行世界論、って分かる? 積み重なった『IF』の話。あなたが覚えてるのは、たくさんの"もしも"って事よ」

 

 ……にわかには信じ難い。

 だが他ならぬ凛が言った事だ。彼女がそう判断したなら、きっとそれは事実に近い。

 

 とはいえ、今はあまり気にかけてもしょうがない。

 彼女自身も確証があるとは言っていない。まだ推論の域を出ていないのだろう。

 ならこの問題をこれ以上話し合っても意味はない。凛に結論が出せないなら、現時点ではそこまでだ。

 

 だから、やるべきなのは現状の認識。

 今がどういう状況なのか、どうしてそうなったのかを知るべきだ。

 

「いつもの調子が戻ってきたわね。やっぱりあなたはそうでなくっちゃ。

 一応、できる限りでのスキャンはしておいた。今の段階で出揃う情報は、概ね揃ってると思う」

 

「はくのん。ここはね――――"月の裏側"なのよ」

 

 月の裏側?

 聞き覚えのない単語に、思わず疑問符を上げてしまう。

 

「私たちが本来いた、聖杯戦争の舞台が月の表側なら、ここはその裏側。聖杯戦争の外なのよ。

 ムーンセルが『使用しない』と判断した情報の保管場所。記憶媒体の光が入り乱れた高次元。

 悪性情報や虚数でさえソースとして成立する"世界の外"。虚構で満たされた禁断の地ってわけ」

 

 その説明にはきな臭い単語が入り混じる。

 自分には凛ほどの理解度は望めないが、相当に危険な場所である事は確かだろう。

 だが、そうだとすれば今の状況はどうなのだろう。こんな風に落ち着いていて大丈夫なのか。

 

「とりあえずそこは安心しなさい。少なくともこの校舎内の空間は安定してる。虚数に溶けてそのまま意味消滅なんて事態にはならないわ。

 それもいつまで続くかは分からないけどね。校舎の外は今も虚数空間で満ちてるから、迂闊に接触すれば消滅よ。気を付けなさい」

 

「この校舎は私たちが表側で使用していた月見原学園のものよ。どうやら一緒に裏側まで落ちてきたみたいね。

 私たちがいつ、どの時点でこちら側に落ちたかは分からないけど、世界の外に出たことで観測域になかった時間を観測できるようになった。

 虚数で運営される裏側では、時間の概念だって意味を為さない。過程と結果が等価になる記録宇宙の法則。ムーンセル中枢と同じね。

 無限の演算(シミュレート)を繰り返す中で、観測された記録は過去も未来も全てが揃っている。その記録を私たちは取得したってわけ。

 最も、それも完全じゃないみたいだけど。特に"肝心"の部分は暈されてるのがかなりあるわ」

 

 裏側に落とされた校舎。時間の経過が意味を為さない世界の外。

 表側の存在であるこの校舎だけが確かな存在を保っている。自分たちがこうしていられるのも、この場所のおかげという事か。

 

 過去も未来も、一切の可能性を捨てずに観測し続けるムーンセル。

 そこで観測されてきた無数の聖杯戦争。矛盾した二つの記憶は、それぞれ別の聖杯戦争というわけだ。

 

 なるほど、最低限ながら状況は理解した。

 表側の状況はどうなっているのか、こんな事態になった原因は何か、不明な点は数多い。

 だがそれでも、自らの立場は確認できた。ならば後は、何をすべきかを考えなければ。

 

 そういえば、と気になっていた事を質問する。

 凛はどの時間で裏側に落ちたのか分からないといった。だが自分の場合はそうじゃない。

 日常に囚われていた自分。AIの『間桐桜』によく似た少女。そして、世界を蹂躙した悪魔。

 全てが悪意に呑まれていく中で、最後まで抗うために闇へと身を投げた。その経緯を説明する。

 

「……? 何それ、私はそんなの知らないわよ。

 ていうかそれ、聖杯戦争中の事じゃないわよね。登場人物全員がNPCなんて、予選でだって無かった事よ。

 あなただけが特別? それとも私の方が例外なのか……できればもっとサンプルが欲しいわね」

 

 やはり凛は、あの悪魔とは遭遇していないらしい。

 あれの持つ醜悪さと悪意の深さは到底忘れられない。思い返すだけでどす黒い感情が蠢き出す。

 

 そこで、ふと思った。

 この場には自分と凛、二人のマスターがいる。どちらが例外なのか、この数では判断しずらい。

 ならば他のマスターはいないのか。この校舎にいるマスターは自分たちだけなのか。

 

「……一応、もう一人。この校舎内でマスターの存在を確認してる。でも会ってはいないわ。

 何を考えているのか、用務室を改造して閉じこもったままなのよ。サーヴァントは連れてるみたいだし、マスターなのは確かなんだろうけど、こっちに協力しようって意思はないみたいね」

 

 ……姿を見せないマスター、か。

 こんな時に正体の分からない相手は気になる。けどその前に、今の話で重大な事を失念しているのに気が付いた。

 

 そう、サーヴァントの存在だ。

 聖杯戦争における闘争代行のソースであり、共に戦場を駆け抜ける相棒。

 岸波白野(じぶん)のサーヴァント・アーチャー。彼の姿はここには見えない。

 何をするにしても、彼と合流するのが先決だろう。何処にいるのか、凛に訊いた。

 

「うん、大分頭の方も回ってきたみたいね。なら早速、やってもらいましょうか」

 

「あなたのサーヴァントなら、今は()()()【2-A】の教室に居てもらってるわ。

 流石に病人のすぐ傍で、あんな空気のままで放っておくわけにはいかなかったから」

 

 ? 二人共、だって?

 どういうことだ? 自分のサーヴァントはアーチャーで、それ以外の相手なんて――

 

「正直、あの二人の対処が何より優先されると思うわよ。

 本気で一触即発だったし、同士討ちでサーヴァントを失うなんて事態になったら、目も当てられないでしょ」

 

 思い出す。

 虚無の中で出会った、黄金のサーヴァント。

 自分に刃を振り下ろした男。アーチャーが剣を交わらせて対峙した。

 もしもアーチャーだけでなく、あの男もまたこちらまで付いていきているとすれば――

 

 弾かれたように保険室を飛び出した。

 凛に言われた2階の教室へと急いで駆ける。

 目的の場所に辿り着くと、勢いよくその扉を開け放った。

 

 そこでは、双剣を手に睨みつけるアーチャーと、それを嘲笑う黄金の男が対峙していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――時刻は、岸波白野が目を覚ました時より僅かに遡る。

 

 教室の中央を間に挟み、対峙する二騎の英霊。

 アーチャーと黄金の男。両者の間で応酬する闘志と殺意。

 共にいつ剣を抜こうとおかしくはない。二人の間では闘争の空気が広がっている。

 

「我に対し、いつまでそのような眼を向ける、アーチャー」

 

「雑種といえど、英霊と呼ばれた者の闘気。慰み物としては悪くはないが、無謬の徒輩では興も乗らん。

 構わぬ。物申してみるがいい、贋作者(フェイカー)。その首が、胴の上に乗っている内にな」

 

「あいにくと、貴様に語るべき言葉など私は持ち合わせん。"英雄王ギルガメッシュ"」

 

 男の言葉を一蹴し、アーチャーは相手の"真名"を晒してみせた。

 

「貴様の存在は、災害のようなものだ。その無軌道な傲慢さは、他の誰にも理解などできまい。

 どうせ何一つ理解できんのならば、その矛先を逸らすか、災害そのものを鎮圧する以外の対処法など存在しない。

 そら、そんな相手と言葉を交わす意義がどこにあるという?」

 

「抜かすな、雑種。我の行いとは、即ち絶対なる王の裁定。有象無象の理解など望むべくもない。

 そも、理解が得られんというならば、貴様こそそうではないか。その何もかもが贋作の有り様で、万民の理解を得られようはずもあるまいが」

 

 この両者はまさしく水と油だ。

 互いの在り方は、最初から理解など求めてはいない。

 二騎の英霊にあるのは、どちらか一方の否定のみである。

 

「私が懸念することは一つだ。貴様は何を求めている?

 貴様のような英霊が、なぜあの深淵より顔を上げてきた。

 ……岸波白野(マスター)に対し、貴様は何をするつもりだ?」

 

「――ハ。 これは随分と思い入れがあるようだな、あの雑種に。贋作者(フェイカー)風情がよくもそこまで情を移したものだ。

 そうか、貴様の案ずる所はそれか。我があの雑種に手を出す事を容認できぬと?」

 

 英雄王ギルガメッシュ。人類最古に君臨した絶対の王。

 民を虐げ、財を収集し、この世の欲の限りを尽くした暴君。

 王の裁定は嵐に等しい。無二である価値観を共有する者はおらず、故に遍く者らには理不尽としか映らない。

 力無き者は、通り過ぎるのを待つしかない。その矛先が自分に向けられない事を祈りながら。

 

 そのような王を前にして、岸波白野(マスター)を守る赤い騎士の懸念は必然のものだ。

 事実、この王は傲慢な振る舞いのまま、主へ刃を向けている。

 いつまたその気まぐれな刃が向けられるか、またそれが如何に危険なものであるか、赤い騎士はよく理解している。

 放置など言語道断。決着をというのなら、この場で付けても不都合はない。

 

「あの娘、岸波白野といったか。雑種の中でもとかく凡庸。顔立ちこそ悪くはないが、それとて一集団内で三番目といったところであろう。

 一見して、見張るべき価値など何も無い。ともすれば埋もれるだけの衆愚とも見えるが、その矮小さに見合わぬ強欲をも持ち合わせている」

 

「その愚鈍な克己で見せる足掻きぶりは、道化の見世物としてはそれなりのモノとなろう。

 忘れたか? 奴は許しなく微睡みの中にあった我を起こすという不敬を働いている。その贖罪をせねばなるまい。

 せいぜい道化の所業で以て我を楽しませろ。それこそ王に対する償いであり、貴様らの責務だ」

 

「なるほど。改めて理解したよ。やはり貴様という王は、まるで理解が及ばんとな」

 

 投影される贋作の双剣。手に馴染んだその武器をアーチャーは構える。

 気迫だけの応酬であったものが、ついに武器を取る。即ち、開戦の狼煙である事に他ならない。

 

「その存在、彼女の側で放置しておくのは余りに危険だ。この場で禍根を断つ」

 

「図に乗ったな、雑種。元より観せる価値も持たぬ贋作など不要よ。せめて散り様にて、我を興じさせるが良い」

 

 対するギルガメッシュに武器はない。相変わらずの徒手空拳だ。

 されど空気が変わる。王の背後に昇る尋常ならざる気配。連想されるのは解放を待つ暴虐の嵐か。

 すでに互いの開戦用意は整っている。その意一つで、この場は英霊の争う戦場と化すだろう。

 

 

 ――――岸波白野が飛び込んだのは、まさしく一触即発のそんな場面だった。

 

 

「ッ! マスター!?」

 

「ほう。噂をすれば、というやつか」

 

 英霊二騎の視線が向く。

 開戦寸前の空気の中での乱入者。必然、二騎の意識も(マスター)の方へと。

 

「……下がっていてくれ、マスター。このサーヴァントは、この場で排除する」

 

「聞き分けのない狗め。その醜悪な様、これ以上我が眼前に晒すでないわ」

 

 ある意味では最良の、またある意味では最悪なタイミング。

 発する第一声が、両者を諌めることも、または火蓋を切って落とす結果とも成りかねない。

 止めるべきか、止めざるべきか。その判断すら岸波白野からは難しい。

 彼女にとってギルガメッシュは未知の相手。ましてつい先程には命まで脅かされた。

 アーチャーの主張する排除は至極全うだろう。少なくとも友好的と見做す要素は皆無である。

 

 そも、飛び込んできた白野自身、明確な対処など頭にない。

 自分の預かり知らぬ所でサーヴァントを失う、その最悪の結末だけは回避しようと行動した。

 すでに殺意で煮詰まった両者、双方を退かせる言葉巧みさなど岸波白野には望めない。

 

 故に、この場を収めたのは岸波白野ではなく――

 

「あはははは! 相変わらずみっともない事やってるんですねえ、セ・ン・パ・イ♪」

 

 突如として現れた"もう一人の乱入者"の方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空間を歪ませて、生じた穿孔より現れた黒衣の少女。

 彼女の事を自分は知っている。小生意気な後輩、憎まれ口を言いながら慕ってくれた少女。

 捏造された関係、構築された偽物の世界。そこに自分を閉じ込めていた、恐らくは張本人。

 

「それってひょっとして、『私のために争わないで~』ってノリですか?

 何時の乙女漫画です? そんな王道ヒロインみたいな役回り、センパイに務められるとでも?

 身の程って言葉知ってますかぁ? スポ根チックに泥臭いセンパイには全然似合ってませんよ」

 

 相変わらずの憎まれ口。

 だがその姿は別物だ。黒衣を纏った少女にはかつては無かった重圧がある。

 何よりも、その背に従えた黒い影。迷宮(アリーナ)で見る敵性体(エネミー)とは別種の異形に、尋常ではない危機を覚えていた。

 

 確信する、彼女は危険だ。

 それこそサーヴァントさえも凌駕するような、そんな脅威を有した存在だと。

 

「こんにちは、哀れな子羊さんたち。ご主人様がお迎えにきましたよ。

 駄目じゃないですか、籠の中から飛び出しちゃあ。小動物な白野センパイは、飼い主に保護されてなきゃ危なっかしいたらありません」

 

 改めて、後輩と呼んでいた少女の姿を見る。

 彼女の姿には覚えがある。取り戻した記憶の中に、少女と同じ顔が存在している。

 

 そう、間桐桜。聖杯戦争で保険室に配置された健康管理AI。

 目の前の少女の顔は桜そのもの。双子というより同一人物と呼んでも差し支えない。

 彼女は本当に間桐桜なのか? かつての日常の中で、そう名乗っていた事も覚えているが。

 

「……いらない記憶まで思い出しちゃってるみたいですね。あんな弱虫の性格ブスと一緒にされたら堪りません。

 そうですね、"BB"とでも呼んでください。ベベ、でもベイビィでも、略称はお好きにどうぞ♥」

 

「といっても、それもすぐに忘れちゃうと思いますけど。だってセンパイはまた、私の箱庭で過ごす事になるんですから。

 哀れで可愛い子リスさん。貴女の居場所は籠の中。愛玩動物だって勝手してるとお仕置きです。

 さあ、センパイ。弱々しくも健やかに、平穏無色の生活に戻ってくださいね」

 

 影が伸びてくる。それは風に舞う羽衣のように、あるいは獲物を捕らえる触手の如く。

 アーチャーが前に出る。影の魔の手から岸波白野(じぶん)を守るために。

 無論、その行動に否はない。言われるがままにあの学園生活へ逆戻りする気などなかった。

 

 ……けれど、その前に、どうしても。

 BBと名乗ったあの少女と、ちゃんと話をしておきたい。

 

「マスター?」

 

 アーチャーの、更に一歩前に出る。

 見据えるのは黒衣を纏った、桜と同じ顔の少女。

 正面から視線を交わして、彼女へ問いを投げかける。

 

 ――どうして、こんなことを?

 

「っ!? 何を言って……?」

 

 あの日常は偽りであったかもしれない。

 けれど、あれが岸波白野の望んだ平穏であった事は確かなのだ。

 あの安息を、何でもない毎日を、幸福だと自分の心が感じたのは紛れもない事実。

 

 それを用意したのが彼女であるならば。

 BBという少女は、岸波白野(じぶん)に対して悪意を持った存在ではない。

 むしろその逆。甲斐甲斐しく世話してくれたあの姿からは、こちらへの情が見て取れた。

 

「ちょっと、勝手な妄想ばかりしないでくれますか。都合の良い方向に夢見過ぎです。

 そりゃあ、ちょっと可愛いお気に入りくらいの感情は否定しません。けどそれぐらいですから。

 つまりはワンちゃんと同程度の扱いです。あんまり調子に乗らないでくれますかぁ?」

 

 その生意気な態度も、日常の中で見せた姿そのままだ。

 やはりこの少女だけは偽物じゃない。先輩を慕う素直じゃない後輩の姿は、彼女の本性だ。

 

 ならばこそ、話をしたいと思う。

 憎まれ口はその心の裏返し。あの日常の彼女のままならば。

 自分の知る桜とは違う、けれど同じく岸波白野を慕ってくれる彼女ならば、と。

 

 ――手を取り合う事は、できないのかと。

 

「センパイ……それは……」

 

 それに、こうして彼女を見ていると思い返す事があるのだ。

 聖杯戦争における健康管理AI。後輩の関係もあくまで役割(ロール)上のもの。

 だが、それだけじゃない。脳裏に過る記憶の中に、僅かに残った思い出が見える。

 

 ――保険室で過ごした日々。健やかな日常。

 

 全てではない。その情景はほとんど残滓のようなものだ。

 理由は分からない。だけどもし、彼女の行動がその思い出に依ったものであるとすれば。

 あるいは、分かり合う事も出来るのではと、思わずにはいられなかった。

 

「私、私は……」

 

 伸びる影の手が止まる。

 分かってくれたのかと、少女の様子に希望を抱きかけた。

 

 それを―― 

 

「アハハハハハハハハハハ!!!!!」

 

 淫らで、下劣な、欲望を何一つとして隠そうとしない、弾けるような哄笑が台無しにした。

 

「なんだ、なんなのだ貴様ら! そうまで愚かしく在れるとは、いっそ見事よ!

 ああ、いいぞ。その虚飾なき滑稽さ、道化としては合格点をくれてやろう」

 

 黄金の男が見せるのは、嘲笑であり、侮蔑だった。

 岸波白野を、BBと名乗った少女を、この男は滑稽だとして嗤っている。

 

 自然、彼を見る視線が険しくなる。

 自分たちのやり取りが愚かだと、そう侮辱されたのだ。

 甘いという事は分かっている。だがそこまで嗤われる謂れなどないはずだ。

 

「噛み付くな、雑種。貴様には見えぬのか、あの女の本質が。

 ヒトのカタチこそ取り繕っているが、中身は汚物(スライム)以下の猛毒だ」

 

「いかに理解を示したように見せようと、根本に存在するのは『個の保存』という定義のみ。

 塞ぎ、閉ざし、貶め、保存する。人にとっては害悪としか呼べぬ存在よ。

 覚えはないのか? そのような魔性の一端を垣間見た事はないか?」

 

 それは……違うとは、言えない。

 かつての日常の中、自分はあの少女に全てを喪失させられかけた。

 そこで重視されたのは個人の意思ではなく、より確実な『保管』であったかもしれない。

 

「足掻き、凡庸のまま抗うが貴様の質ならば、あの女とは相容れん。

 手を交えた所で、奴は貴様の脚を引き摺る。その結束は、貴様の歩みを重くするだけだ」

 

「――だが、滑稽なのはむしろ貴様だな、BBとやら」

 

 人を外れた真紅の魔眸が、BBへとその矛先を移す。

 

「抱いた望みがために、貴様はその狂気の皮に己を覆い隠したのであろうが。

 それがこの雑種に、少々絆された程度で揺らぐとは、被ったものは薄皮一枚と見える」

 

「よもや貴様、己が許されようなどとたわけた事を思っているのか?」

 

 圧力さえ伴って紡がれる言霊。

 不遜に告げられる王者の言葉。絶対の価値基準を持った論は、決して的を外していない。

 

「この雑種の無様さは愚かであるが、醜悪ではない。無知故の無謀、そこに虚飾はないからだ。

 だが貴様は違う。貴様の信じる行いとは、貴様自身の価値を貶めるもの。進めば進むほど、その輝きを腐らせる。

 他者に依存し、寄生して吸い殺す毒虫の類い。半端に目覚めた欲もこうなっては惨めなだけだ」

 

「――女、今の内に死んでおけ。それがおまえのためにもなろう」

 

 それは殺意ではなく、彼なりの慈悲。

 黄金の王は、あくまで少女の事を思った上での結論として。

 その在り方には死こそが最上だと、躊躇う事無く告げていた。

 

「……ホントに、うるさい飼い犬ですね。躾がまるでなってませんよ、センパイ。

 まあ、それでセンパイを責めるのも可哀想ですか。どうせこの狂犬を躾けるなんて出来っこないんですから」

 

 停止していた影が、再び蠢き出す。

 その存在に妖気を纏い、黒衣の少女は強者の視点でこちらを睥睨した。

 

「安心してください、センパイ。次の世界ではサーヴァントもセットで付けてあげますから。

 そのための衣装も用意してあるんです。忠犬気質なアーチャーさんにはきっとピッタリですよ。

 あなたはわたしの奴隷様(サーヴァント)。首輪と鎖とドックタグもモチロン完備の犬ファッション。きっとセンパイも気に入ります」

 

 だけど、と感情の熱を氷点下まで下げて、少女はギルガメッシュへと視線を移した。

 

「あなたは駄目よ、英雄王。ここで虚無に戻りなさい。

 あなたは出てきてはいけないサーヴァント。喚んではならない封印指定。

 害にしかならないあなたは、再利用(リサイクル)もなしで廃棄処分(ダストシュート)です」

 

 その言葉を宣戦として、蠢く影がこちらへと襲いかかった。

 

 迎撃のために前に出るアーチャー。

 向けられる影の触手に対し、手にした双剣で対抗する。

 その戦い方はいつも以上に慎重なもの。まるであの影に触れる事を恐れているように。

 

「マスター、この影は虚数の情報体だ。迂闊に接触すればこちらの構造を乗っ取られる」

 

 アーチャーの言葉で合点がいった。

 彼の慎重な戦いぶりは、敵の危険性を察知した判断によるものだと。

 

 ……けれど、本当にそれだけなのか?

 

 確かに、アーチャーは慎重な立ち回りをしていると思う。

 だがそれを考慮した上でも、いつもの彼に比べて、攻め手に精彩が欠けていた。

 虚数体の敵とは脅威だろうが、あれくらいの相手ならば何度も戦ってきた。

 多少手こずるのは仕方ないにしても、ここまで追い込まれるのはおかしい。

 

「器を超えた使役を行っているのだ。この程度の弊害は必然であろう」

 

 そんな自分の疑念を察したのか、ギルガメッシュが口を開いた。

 

「凡百のそれである貴様の魔力では、1体のサーヴァントが限度というところ。それとて最低限の霊格しか得られまい。

 どうやら雑種なりの蓄積はあるようだが、それも我を加えた事で2つに分たれた。結果、奴の霊格は著しく低下している。

 戦力で測れば、おそらく半割以下であろう。あの影を相手取るには到底足りんな」

 

 つまり、この英霊とも契約しているせいで、アーチャーのレベルが半減していると。

 なんてことだ。というか、了承した覚えもないのに、勝手に契約されたと文句を言いたい。

 

 そして、なぜ貴方はそんな呑気に解説なんぞしてるのか。

 契約が2つだというのなら、そちらだって戦ってみせるのが筋のはずだろう。

 そうでなくたって、相手の殺意はアーチャーよりも、明らかにギルガメッシュの方へ向いているのに。

 

「うむ。今しがた気づいたのだがな。どうやら微睡みの倦怠が思ったより祟ったらしい。

 我の肉体は現在、最低値まで性能を落としている。おまけに魔力も足らぬとあっては、財の展開さえ覚束ぬ。

 これでは蹂躙することはおろか、満足に抵抗することもできんな」

 

 全力で情けないことを何でそんな偉そうに言ってるんだ、この金ピカ!?

 ていうか、抵抗もできないのにあんな挑発したのか。ある意味すごいぞ、このサーヴァント。 

 

「まあそう言うな。何しろ2000年ぶりの目覚めなのだ。心身の鈍りは道理であろう。

 むしろこれは僥倖だろうさ。貴様の足掻きは、弱者の側にあってこそ映える類いのもの」

 

「見事この窮地を脱してみせるがいい。その様にて、我を興じさせよ」

 

 色々言っているが、要するにこのサーヴァントは役に立たないらしい。

 とりあえずこの我様の事は置いておこう。今はアーチャーの方を何とかしなくては。

 

 だが、どうする。

 戦況は劣勢。援護しようにも今の自分には礼装の一つもない。

 果たして戦術のみで覆せるのか。詳細の分からない敵の戦力に、その断言はできない。

 

 せめて何か、他の手が欲しい。この劣勢を撥ね返せる、何かの助けが。

 

 

「よう。随分と盛り上がってるな。俺も混ぜろよ」

 

 

 耳に届いた声。駆け抜けたのは青い疾風、貫いたのは赤い閃光だった。

 

 アーチャーを襲っていた影を、一撃で串刺した一本の槍。

 赤い魔槍。因果をも覆す宝具。かつての戦いの記憶が甦ってくる。

 その魔槍に穿たれた者に生存の余地はない。ビクビクと生物の末期のように蠢いていた影も、やがてそのカタチを崩壊させた。

 

 影の消えた視界に映る、青色の英雄。

 『槍兵(ランサー)』クラスのサーヴァント。遠坂凛の契約した英霊。

 幾つもの記憶の中にあるかつての強敵。それが今、こちらに手を貸してくれていた。

 

装填(set)魔弾・宝石術式(call_fortune)

 

 そして無論、ランサーがいるという事は、彼女もまた共にいる。

 放たれた無数の輝き。煌く星の雨が黒衣の少女へ向けて降り注いだ。

 

 けれど、BBの方もそれに気付いている。

 自身へと向けられた攻性術式。それに対しBBの足下から影が伸びる。

 星々を絡め取った虚無の影は、その効力の一切を喪失させて無へと返した。

 

「育ちを疑うやり方ですね。優雅さが足りないんじゃないですか、凛さん?」

 

「冗談。押し込み強盗に見せる礼儀なんてこれで十分よ」

 

 ――凛!

 やっぱり、彼女が助けに来てくれた。

 

「サクラ、じゃないわよね。同型みたいだけど、構造体の規模がまるで違う。相当にメチャクチャやってきたみたいね」

 

「さあ? どのみちあなたには関係ありませんよ。用もないので退がっていてくれませんか」

 

「あらそう。けどこっちには十分すぎるくらいあるのよね。

 あなた、月の裏側(こっち)の事情に随分と通じていそうじゃない。是非とも聞かせてもらおうかしら。

 もちろん、嫌だって言ってもふん縛って吐かせてあげるけど」

 

 凛とランサーの2人で黒衣の少女を挟み討つ。

 不具合を持った自分たちとは違う、完全な主従の連携でBBを追い詰めた。

 

 それでも、挟撃されたBBには動揺した様子はない。

 自身の優位を何一つ疑っていない、相変わらずの強者としてこちら全員を睥睨していた。

 

「嫌ですね、実力の見えてない人たちって。馬鹿馬鹿しくって呆れてきます

 たかが使い魔の一匹を倒したくらいで、なにを勝った気になっているんです?」

 

 BBの足下より拡がる暗黒の闇。そこより無数に沸いて出てくる影の魔物。

 先の1体など内の1つに過ぎない。その圧倒的な物量こそBBが持つ絶対的優位に他ならない。

 

「まともに戦力になるサーヴァントはランサーさんだけ。何も恐れる事なんてありません。

 これ以上のお遊びは無し。長引かせもしません。ここで全員に決着をつけてあげます」

 

 影の魔物が一斉に駆動を始める。妖気にも似た戦意は、BBが本気だと雄弁に告げていた。

 相手の戦力に対し、こちらの戦力はまるで整っていない。対抗できるのはランサーのみだ。

 未知数も多い。有利不利で問うのなら、明らかにこちらの方が不利だろう。

 

「行くわよ、ランサー。あなたの実力(ちから)を見せてちょうだい」

 

「応さ! 得体の知れぬ相手、多勢に無勢な戦況、どれもこれも何時もの事だ。

 覆してみせるさ、この程度の劣勢など。我が槍に懸けて!」

 

 だけど、強い2人は怯まない。

 自らの不利など百も承知。そんなもの心を挫く要因にもなりはしない。

 むしろ、それを正面から覆してみせると、彼等の意志は猛りを見せていた。

 

 対立は決している。激突は必定だ。

 BB、あの少女との事を思えば、複雑な感情も抱いている。

 だが抵抗もせずに受け入れる事はできない。彼女が用意する箱庭は自分の居場所ではないと分かっているから。

 

 程なく訪れるだろう激突の時を見据え、覚悟を決めてその瞬間に備えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Sancta Maria ora nobis(さんたまりや うらうらのーべす).

 Sancta Dei Genitrix ora pro nobis(さんただーじんみちびし うらうらのーべす).」

 

 歌い声が聞こえた。

 幾千、幾億もの蟲が立てる羽音の如き声。

 聞いているだけで不快な感情を抑えられない。神経を逆なでる醜悪さを極限まで詰め込んだかのような音の羅列。

 

 まさか、と思う。

 忘れてはいない。あの悪性を目の当たりにして、忘却など不可能だ。

 あらゆる不浄で以て日常を冒涜した悪魔。下衆極まるその悪意はこの心に抉りつけられた。

 激突の間際という状況も忘れて、本能はその存在に対する警鐘で埋め尽くされる。

 

 しかし、それは他の者たちにしても同じだった。

 凛も、BBも、英霊たちも、警戒を顕わにして身構えている。

 当然だろう。その声も、気配も、無視して事を進めるにはあまりにも穢らわしい。

 あれはまさしく人類悪。あの存在を横において、他の事柄に専心するなど英雄でも不可能だ。

 

「まさか、もう――!?」

 

 そんな中で、単なる警戒や悪寒の類いでなく、はっきりと苦渋の思いを示したのはBBだった。

 遅かった、と嘆くように。彼女こそがこの事態を何より恐れていたというような。

 月の裏側に精通しているだろう黒衣の少女。そんな彼女だからこそ、この事態に秘められたどうしようもなさが理解できてしまうのか。

 

 世界が切り替わる。

 黄昏の夕焼けを侵食し、全てを悪夢と汚泥の装飾によって書き換えて。

 BBの侵入が世界に穴を開く行為なら、これは世界そのものを犯した所業。

 環境に穢れを塗りたくり、醜悪な演出によって飾られたこの場は、悪魔の降臨地にふさわしい。

 

「ああぁ――――あんめいぞぉ、ぐろぉぉろりああすぅ!!!」

 

 地の底より昇った悪意の霧がカタチを成し、悪魔(じゅすへる)がその姿を現した。

 

 絶望と混沌を演出する者。地獄の歯車を回す愉快犯。

 人々の心を嬲り、貶めて、堕落させる道化師。きっとその存在は誰の味方でもなく、だからこそ危険極まる。

 それは顕れてはならないモノ。絶望を弄び破滅を嘲笑う悪魔である。

 

「サクラ、サァクゥラァ、君という子はどうしてそう堪え性というものがないんだい?

 手癖の悪さはいただけないなあ。たとえば脚本(シナリオ)でいうところの、君は所謂中堅どころだろう。

 それが開幕早々、まだ右も左も分からない新規を手篭めにしてしまおうなんて、演出家として泣いてしまうよ」

 

 嘲笑いながら語りかける悪魔に対し、少女は憎悪とも取れる感情を向ける。

 単なる醜悪さへの忌諱感だけではない。BBは明らかに、その存在を憎み、怨敵と嫌っていた。

 

「ねえ、はくのん。あれがあなたの言ってた悪魔ってやつ?」

 

 凛からの問いに頷いて返す。

 味合わされた悪意、言葉では到底言い表せないその醜悪さはすでに伝えてある。

 

「ほんと、洒落じゃ済まないわね。悪魔って表現、これ以上なく適切よ。

 悪性情報ってレベルじゃない。おそらくは神格級の、複数の悪魔概念の複合体って、あんなの喚び出すなんてまともじゃないわ」

 

 魔術師(ウィザード)として自分よりも数段優れた凛。

 そんな彼女だからこそ分かるのだろう。あの存在がどれほどの異端であるのかを。

 

 そんな自分たちの視線に気づいたのか、にんまりと不気味な笑みを返してきた。

 

「注目してもらって大変恐縮だが、少し待ってもらえるかな。

 今回の僕はメッセンジャーでね。君たち全員に関わりのある話なんだが――」

 

 そこで一端、悪魔が言葉を切る。

 汚泥のように濁った瞳が動き、この場にいない"誰か"を射抜いた。

 

「――その前に、1人。空気読めてないヤツを連れてくるからさ」

 

 瞬間、空間が蠢き出し、こことは別の何処かへと繋がっていく。

 蟲群が溢れかえり、開かれた穿孔より、何者かがこの場へと落ちてきた。

 

「うひゃああああああ!!??」

 

 そこから聞こえてきた声は、どこか間の抜けた、たるみきった肉の塊だった。

 

「はーい、ようこそ。ジナコ=カリギリ君。

 一応君もマスターの1人だからね。お越し願わせてもらったよ」

 

 ボサボサの髪、ダボったい服装、実に横へと太ましい体型。

 およそ聖杯戦争という舞台にふさわしいとは思えない、端的に言ってだらしない女性であった。

 

「な、なんなんスか!? いきなりなんて事するんスか!? 許可の無い召喚モノは誘拐だってマジレス知らないんスか!?」

 

 悪魔は彼女をマスターの1人だと言った。

 ならばこの校舎に存在する姿を見せないマスターとは、彼女の事なのか。

 少なくとも自分は見た事がない。表側の聖杯戦争でも、ある意味特徴的である彼女とすれ違った記憶さえ無かった。

 

「プライバシーの侵害ッス! 不法侵入ッス! ニートにアウトドア強制とか、もはや起訴も辞さない――」

 

「はいはいはいはい、ちょっと黙ろうかぁ! ジナコくぅ~ん?」

 

「っ!!? ひ、ヒィ!?」

 

 眼前に迫った悪魔の面貌に、ジナコなる人物は完全に竦み上がった。

 直視するだけでも正気を犯される悪意の化身。それを撥ね返す強さを、彼女に期待する事はできないようだ。

 

「ったく、黙って聞いていればくっだらない事をベラッベラ宣っちゃってさあ。

 なんで君みたいな人種って、自分の意向が通ることが当たり前みたいに思ってるんだろうねぇ?

 不法侵入だぁ? この月におまえの領域(エリア)なんて1区画もねーから!」

 

「なに知らん顔決め込もうとしてんだよ。自分の態度がどれだけ周囲の人間を苛立たせてるか分かんないの!?

 みんなが真剣に聖杯戦争やってる横でさぁ。みんな真面目すぎぃ、必死すぎぃ、戦わずして勝つとかマジ天才テラワロスぅ?

 ふざけてんの!? ねえ、舐めてんのかなぁ? 通るわけねーだろそんなもん!」

 

「デキる女の隠しスキルぅ? エリートニートぉ? いつまで妄言抜かしてんだよ!

 おまえなんてサーヴァントで"アタリ"を引いてなきゃ、そもそもここにだっていないだろうが」

 

 怒涛の勢いで紡がれる悪魔の暴言、というかマジレス。

 辛辣ではあるが、正直いえば言っていることは正論としか思えない。

 

「当然であろう。もはや何を偽るまでもなく、あの女は堕落の極みだ」

 

 黄金の王様からの評価もこの通り。あの悪魔が語っている事は、やはり全て事実なのか。

 

 改めて、ジナコ=カリギリなる女を見る。

 だらしのない格好。弛みきった肉体。その姿には闘争という単語がまるで合わない。

 そもそも、出発点にすら立っていないと印象を受ける。戦う覚悟はおろか、その現実からも目を逸らしているような。

 表側の聖杯戦争を経験した者ならば誰もが知っている、互いの命を賭けた死闘の何たるかを。

 ジナコ=カリギリからは、そうした決闘の場に立った者の気配がまるで感じられなかった。

 

「君もさあ、仮にもマスターの1人だろう。ちょっとはマシになったらどうだい。

 これは聖杯戦争で、生存競争なんだよ。分かる? 戦わなければ生き残れないってフレーズの通りだよ。 

 生きてるんだろう? いっぱしに人間やってんだろう? せめて何かしらの足掻きってのを見せてもらいたいねえ」

 

「……オイ、何か答えろよ。会話のキャッチボールどころかドッチボールにもなってないんだけど? ボール投げてんの僕だけじゃん」

 

「あ、う、あ、アタシ、は……」

 

 まともな返事などできるわけがない。

 所々で言葉を噛みながら、ジナコは何とか言葉を紡いだ。

 

「せ、聖杯戦争なんて、興味ないし……殺し合いとか、聞いてない……。

 アタシは、ただやり直したくて、そんな願い半分で参加して……。

 な、なのに、あんな、1人しか生き残れないデスゲームなんて、そんなのってない!」

 

「そんなのなら、アタシは元のままの毎日でいい。引き籠もりのまんまでいい!

 ……そうッス。それが元々分不相応だったんッスよ。アタシは勝ち組、あの小さな部屋とネットの世界さえあれば、もう一生このまま、外の世界になんか出なくたって……」

 

 悪魔の言葉により剥き出しにされた、ジナコ=カリギリの心の一端。

 それはあまりにいた堪れない、戦う意志がないままこの闘争に参加してしまった悲劇だった。

 地上から月に至る門は開かれているが、引き返す道はない。この電脳の大地に立ってしまった以上、戦うしか道はないのだ。

 たとえ、戦うべきでない人物でも。1人しか生き残れない現実は、彼等にとってあまりに酷い。

 

 ……そこに自分は、ある種の共感を覚えている。

 何一つ不確かなまま、立ち止まる事を良しとせずに前へと進む事を選んだ自分。

 あるいはジナコ=カリギリの姿とは、立ち向かわずに逃げ出す事を選択した岸波白野(じぶん)なのではと思えてしまった。

 

「くくく、きひひひひ、きぃーはははははははははははは!!!!!」

 

 そんな自分の共感などお構いなしに、悪魔はその悪意を強めていく。

 嘲笑い、罵って、対象をより深く追い詰めていけるよう弄んでいた。

 

「戦うのは嫌、だから引き篭っていよう。逃げて逃げて逃げて逃げ続ければ、どうせその内なんとかなる、と。

 こりゃあひどい! 重症だよ。生命として欠陥品もいいとこだ。主の嘆く気持ちが分かるねぇ。

 こんなのが蔓延り出すような世の中なんて、そりゃあ間違ってる! 何とかしなくちゃって気にもなるよね」

 

「君と似たような奴らなら結構いたよ。殺し殺される覚悟ってやつがまるでなってない奴ら。

 命懸けなんて嘘っぱち、デスゲームなんてよくあるフレーズだ、まさか本当に死ぬなんてあるわけない。

 まったく能天気な馬鹿どもだよねぇ。揃いも揃って生存本能が欠落してんじゃないのかい?」

 

「けど、そんな奴らだって戦ったんだよ? 戦って淘汰されて、ちゃんと死んでいったよ。

 最後の瞬間まで全然気付かなかった間抜けも、薄々感づいていた小粒も、泣き喚きながらそんな結末を全うしたんだぜ。

 君だけだよ、戦いもしないで負ける奴なんて! 全ての周回で引き篭ってるとか筋金入りだ」

 

「おめでとおおおお!!! 君こそナンバーワン、最底辺だぁ! 月に上ったマスターで、人間っていう種族の中で、君は()()()()()()()

 

 もう無理だ、これ以上は看過できない。

 自分はジナコ=カリギリという相手を知らない。何の関係もない赤の他人だ。

 それでも、これ以上あの悪魔にいたぶられるのを黙って見ているわけにはいかない。

 たとえ相手がどれだけ未知数で危険な相手でも、このまま放置すれば本当に取り返しのつかない事になると予感して――

 

「もういいや。ここで潰してしまおう。居ても邪魔だし面倒だ。

 主も君に期待なんて持たないだろう。期待外れどころか関心を向ける事さえ怪しいね。

 ……それに君だって、別段それと無縁の身というわけではないのだしさ」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 本当は分かっていたんだろう。聖杯戦争で訪れる死が本物だって。知っていて君はここに来て、その恐怖に折れてしまった。

 君の死だってそう大したものじゃない。誰が消えたところで世は事もなし。まして君の場合、誰の心にも残らないほどつまらないものだ。

 幻想的なものなんて何もない。あるのは冷え切った肉塊だけ。どんな絶望も、死という絶対の前には呆気なく消えるだけさ」

 

 遍く蟲の群が溢れ出し、ジナコの周囲を埋めていく。

 対するジナコに抵抗はない。ただガチガチと恐怖に震えているだけだ。

 

 もはや猶予はない。すぐにあの悪意を止めるべくアーチャーに指示を出そうとして、

 

「そう、ちょうど君のパパとママの――――」

 

 

「そこまでだ。これ以上の狼藉は容認できない」

 

 

 とどめの一言が紡がれんとした直前、目を覆ったのは太陽の如き閃光。

 黒と金の痩躯。黄金の王とは異なる輝きで以て、金色の英霊がその姿を現した。

 

「ギ、ヒ――――」

 

 直後に振るわれた一撃を、岸波白野(じぶん)の眼では捉える事が出来なかった。

 目にしたのは、金色の英霊が振るった一閃により、悪魔の身が八文字に両断された結果だけ。

 あれほどの猛威を奮っていた悪魔を一撃の下に退けた、尋常ならざる槍の威力だった。

 

「……うわ。あれトップクラスだ」

 

 凛の呟きに、自分もまた同意する。

 一目見ただけでも分かる。あの英霊はサーヴァントの中でも最高格。

 最強の一角として数えられるだろうその実力。他のサーヴァントたちも一様にして彼の力量に目を見張っていた。

 

「か、かか、カ、カルナぁ!

 遅い、遅いッスよ! 助けにくるならもっと早くに来るッス! 何してたんスか!?」

 

「すまなかった。せめて何か一言くらいは言い返せるかと思ったが。

 普段の自堕落な己を開き直るおまえの図太さを誤解していたらしい。

 おまえはやはり、見た目通りの惰弱さだった」

 

「見てたんスか!? それで放置してたッスか!?

 このハズレ! 駄目サーヴァント! 普段役に立たないんだから、こんな時くらいは役に立つッスよ!」

 

 そして皮肉な事に、マスターであるジナコだけが彼の実力に気付いていないらしい。

 というか、真名までさらっと漏らしてるし。どうやら本格的に聖杯戦争への意欲がないらしい。

 

「……まったく、本当にサーヴァントだけは一流なんだから」

 

 その声に、一瞬だけ緩みかけた緊張が戻る。

 

 密度を増してく黒い霧。蟲たちが群れて合わさり再び悪魔のカタチを形成する。

 尋常な一撃ではなかった。その身は確かに一度、両断されて潰えたはずだ。

 だというのに、その様子には一切の痛痒を感じさせない。元より無形こそ本質だというように、己が崩された事に頓着していなかった。

 

 ――"不死身"。

 

 自然と、そんな単語が思い浮かぶ。

 蟲の群体にも等しいあの悪魔を滅ぼす事など、果たして可能なのか。

 

「役者も揃ったところで、改めて自己紹介といこうか。僕の名前は神野明影。

 知っての通り、見ての通りの悪魔で、我が主の意を伝える代弁者だ」

 

「この月の裏側で、きっと長い付き合いになると思うから、是非とも覚えておいてほしいなあ。

 きひひ、ひひははは、くくひひひははははははははは」

 

 その言葉も、漏れる嗤いも、何もかもが不吉だった。

 神野明影。そう名乗ったこの悪魔が関わっている。その事実こそ何よりの凶兆だ。

 この存在は人を惑わし、貶めるもの。そこにはきっと悪意しかない。

 BBとは危険度の質が違う。どうあっても相容れない、人類にとっての害悪だった。

 

「主、そして代弁者、ね。要するにアンタは誰かの使い魔ってわけね。それでその主から言伝を頼まれた、と。

 それはやっぱり、この月の裏側に落ちた私たちの現状に関係する事なんでしょうね」

 

「正解だ。さすがに君は察しがいい。勿論、君の感じている疑問にはお答えするよ。そのために僕は来たわけだしね」

 

 それでも、さすがに凛は冷静な判断を下す。

 危険の程は承知しているだろう。それでも話せるだけの交渉余地はある。

 月の裏側に落ちた自分たちの現状。その説明ができる存在は何より欲しかったもの。悪魔の方にも答える意思はあるらしい。

 信用はできないが、単なるデタラメばかりとも考えづらい。話を聞く価値は十分にあるだろう。

 

「――神野ぉ!」

 

 だからこそ、それを望まない者の妨害は必然だった。

 

 BBの手にする教鞭。振るわれたその先より一条の光が奔る。

 桃色に輝く閃光は、まるでレーザービーム。熱量を持った破壊光が悪魔の身を貫く。

 

「やれやれ、困った子だ」

 

 閃光の威力に砕かれた悪魔は、やはりと言うべきか、何事も無かったかのようにカタチを戻してみせた。

 

「サァクラ、そう我が儘ばかり言うもんじゃないよ。確かに主演は君かもしれないが、だからといって他のみんなを蔑ろにする事なんて、主は望んでいない。

 挑戦の機会は誰にでも。聖杯戦争は平等な殺し合いだぜ。チート積むのは結構だけど、勝ちの決まった出来レースなんて白けるだろう。

 ――汝、自らを以て最強を証明せよ。それが聖杯戦争の醍醐味さ」

 

 渋面を浮かべる少女を嘲笑い、悪魔はそう語りだす。

 聖杯戦争だと、あの悪魔は告げた。月の裏側に落ちた事態も、それに通じたものであると。

 聖杯を求めたマスターたちの殺し合い。たった1人の勝者を決める生存競争。

 かつて地上で行われていたという闘争形態。これもその一種だという事か。

 

 

「――――そこから先は、俺の方から話をしよう」

 

 

 その声を聞いた瞬間、まず感じたものは『納得』だった。

 

 カタチの見えなかったパズル。つぎはぎだらけの構図。

 そこに1つのピースが当て嵌り、まるで全ての事象が繋がったかのような。

 細部は分からずとも、この月の事象の中心にはいついかなるときもこの男。

 他の何某であれ、彼という星の周りを回っている衛星(はやく)に過ぎないと理解した。

 

 その覇気は強大。そしてひたすらに王道。

 BBや神野のような妖気、邪気とは打って変わり、彼の発する念には一切の異端を感じない。

 荒れ狂う天災のように強大で、かつ徹底した整然さを同時に感じる。

 彼は正道を歩む者。雄々しく正しい道を突き進み、果てに逸脱して超越を成し遂げた英傑。

 強大すぎる正義とは、もはや悪と大差ない。揺るがない信念で以て裁きの災禍を喚ぶ魔人。

 聖杯が強き魂を望むというのなら、彼以上に相応しい者はいない。何一つ恥じ入る事なく聖杯戦争を勝ち抜いて、熾天の玉座へと至った覇者。

 

 かつての戦いを思い出す。その姿を目の当たりにすれば、忘れたままではいられない。

 能力の有無ではない。他を圧倒し、あらゆる困難を踏破するその意志力こそが凄まじい。

 人間として理解ができ、同じ人間であるからこそ、その強さに瞠目せざるを得なかった。

 

 ムーンセルに君臨する月の魔王、甘粕正彦が自分たちの眼前にその姿を現していた。

 

「いやですねぇ、主。わざわざ出てこなくても、僕に任せて頂ければよかったのに」

 

「そう言うな、神野。なにせこの聖杯戦争の立案者は俺だからな。俺自らの口で語らねば納得もできんだろう」

 

 悪魔と親しげに語り合い、こちら全員に眼差しを向ける甘粕。

 今のやり取りだけでも、あの悪魔の召喚者が誰であるのか明白だ。いや、そもそも彼以外にアレを従えられる存在が、この月の何処にいるだろう。

 自分たちに起きた事態とて、彼ならば納得できる。答えなど初めから1つしかなかったのだ。

 

「懐かしき者、初めてまみえる者と様々だが、まず改めて名乗りを上げておこう。

 俺は甘粕正彦。聖杯の現所持者であり、この月の裏側におまえたちを招いた元凶だ」

 

 甘粕の語りに口を挟む者はいない。

 マスターたちは勿論、英霊たちまでも、魔人の発する力の暴威に気圧されている。

 あの黄金の男でさえも、傲慢の口を噤んでいるのが感じ取れた。

 

「表側の時間で言えば、おまえたちを招いたのは予選が終了し128名のマスターが出揃った直後。

 聖杯戦争の初期に存在する七つの校舎。それをおまえたちごと月の裏側へと引き入れたのだ」

 

「まあ、やり方は校舎ごと虚数の海に叩き落としただけと、結構適当なんだけどね。

 予選みたいなものかな? 仕切り直しをするわけだし、選抜も改めて行おうって事だよ。

 ええと、実際にこの裏側まで来られたマスターは――」

 

「――21名、か。まあ及第点ってとこじゃないかな。正直、いきなり全員脱落で開幕前に雲散霧消ってオチも有り得たわけだし」

 

 ……呆気なく告げられた言葉が信じられない。

 それはつまり、すでに5分の4以上のマスターがあの虚無に消えてしまったという事か。

 簡単すぎる。消えていった者たちの生命があまりに軽い。その無情さに目眩さえ覚えた。

 

「そんなに怖がらなくてもいいだろう。だって聖杯戦争なんて、ハナから1人しか生き残れないように出来てるんだからさあ。

 安心しなって、有名どころはちゃんと残ってるから。消えていった連中は、元より表でも勝ち抜く見込みのなかった連中だよ。

 ……むしろ、君にとってはこっちのルールの方が好都合だと思うんだけどねぇ」

 

「裏側を満たす虚数の海に、深淵へと貫き通した迷宮(アリーナ)を築いた。

 拠点となるこの校舎からの入口も開いてある。表側と同じく底へ底へと進み月の中心部を目指していく。

 その果て、虚数の海を渡った先で"裏側の聖杯"へと到達するのだ」

 

 裏側の、聖杯?

 この月の裏側にも、聖杯があるというのか?

 

「ここは陽の光が当たらない月の裏側。悪魔(ぼく)のようなモノが保管される廃棄場所(ジャンクヤード)だ。

 表と裏の差はあるけれど、行き着くゴールは同じだよ。月の中心、つまりムーンセル中枢さ」

 

「表側の正規の手順でないとはいえ、到達者は(ムーンセル)の片面を掌握する事になる。

 半に分かれようと、万能の力は絶大だ。叶えられない願いもそうはあるまい」

 

 彼等の言葉に嘘はないのだろう。

 表側でも裏側でも、最果てで至る場所は同じ、聖杯の御座。

 聖杯の裏側を掌握する事は、表側の甘粕と同等の権限を得る事に等しい。

 

 だが、どうしてそんな真似を?

 わざわざ皆を裏側に落としてまで、こちらでの戦争に拘るのか。

 

「なぁに、要はテコ入れさ。表での結果があまりに不甲斐ないものだから、趣向を変えてみようというわけ。

 君らにだって記憶があるだろう。無数に繰り返された表側での聖杯戦争。けれどその結果は、常に一緒だった」

 

「我が主の全戦全勝。敗北を観測する事は1つもない。過程は色々異なっても、結局は主に届く事はなかった。

 つまりは主の望む水準にはまるで達していないというわけだね。後継にも成り代わるにも、君らのデキは満足できるものではなかったのさ。

 もはや表側では望み薄だろう。だったら新規一転、新しい環境で新鮮な戦いを始めようってね」

 

 無数に繰り返された表側の聖杯戦争。

 そこには様々な過程があった。勝ち上がった勝者も、決して誰と定まっていたわけではない。

 その中において、甘粕(カレ)だけが一度の敗北もなく常勝の覇者として君臨している。

 

 まさしく絶対強者だ。

 絶対とは、決して揺るがないから絶対。何人が相手であれ、甘粕の意志は必ず勝利を掴み取る。

 善悪を超えて、もはや敬服するしかないその強さは、かつての戦いで嫌というほど思い知らされていた。

 

「ここは陽の当たらない月の裏側。ルールでガッチガチに固まってた表側と違って、月の眼が届かない裏側(ここ)なら()()()()()()

 準備期間(モラトリアム)も決められた決闘もない。いつ、どこで、誰と戦おうが自由! たとえどんな手段に頼ろうとも、聖杯に辿り着きさえすればいいのさ」

 

「外道の手法を用いるも良し。正攻法に進むも良し。ただ聖杯を目指す意志、それだけを求めよう。

 そのために周回の記憶も開示した。抜け落ちている部分も、過去と未来の時間が等価なこの裏側であれば回収(サルベージ)可能だ。

 かつての敗退の記憶を積み上げ、未踏の域に至るも良し。その突き進む意志こそ素晴らしい」

 

 悪意のままに嗤う悪魔と並んで、純粋な期待と親愛を胸に甘粕正彦は笑っている。

 その姿はかつての対峙の時と何も変わっていない。彼は相変わらず、人の意志が見せる輝きを愛している。

 愛しているからと失われるのを憂い、ならばこそと試練を与える。極端に過ぎるから完全否定が難しい。

 

 並び立つ悪魔(しんの)勇者(あまかす)を見て、思う。

 その性質には確かな善性を備えた甘粕。両者の求めるものは対極にあるはずなのに。

 どうして、彼等の見ている光景は共通しているのだろう、と。

 

「……勝利条件は?」

 

「ん?」

 

「聖杯に辿り着けば、と言っても細かい条件はちゃんとあるでしょう。

 早い者勝ちってこと? 誰であれ先着したなら、その瞬間に勝者は決定なの?」

 

 自分が圧倒されてる中で、先見を示したのは凛だった。

 示された事実にも対応して、すでに彼女は未来を見据えている。

 

 眩しいとさえ感じる彼女の輝き(つよさ)。それを見て甘粕は満足気に笑っていた。

 

「いいや、まさか。それでは小賢しさだけのつまらん輩すら勝利者に成りかねん。

 問うべきなのは勇進の気概だ。それの無い者の勝利など断じて認めんよ」

 

「ここはムーンセルと同じ記録の法則で成り立つ"堕天の庭"だ。

 時間の概念がないここでは、結果の有無こそが全ての価値を握る。

 ()()辿()()()()()()ではなく、()()辿()()()()()()を裁定の基準としている」

 

「たとえ先に到達しようが、後に到達した者と権利に大差はない。

 1人の到達者が現れようと、後続の可能性がある限りは聖杯の使用権は得られない。

 この裏側のあらゆる意志を砕き、真に無二なる勝者となった者に聖杯は降りてくる」

 

「そう。要するに、他のマスターと決着をつけずに聖杯を手に入れても無意味ってことでしょ。

 中途半端に済ませる甘ちゃんなら、聖杯は得られないってね」

 

「ああ。その理解で何の問題もないな」

 

 凛の問いに頷き返す甘粕。

 その様子には、闘争への覚悟を示す意志への賞賛の念が溢れていた。

 

「至った聖杯で以て己の祈りを成就させるも良し。異なる道であろうとも歓迎しよう。

 ……ああ、無論、その力で以て再び俺に挑む、という願いは是非に受け入れるとも」

 

 甘粕正彦は変わらない。表と裏の違いはあれど、本質は全く同じ。

 全ては試練。意志を練磨し輝きを取り戻す場。その前提がある限り、そこには何の裏もない。

 

 これは公平な試練であり、その成果も本物だ。

 甘粕は事を成し遂げる意志を愛しているから、惜しみなく力を分け与える。

 裏側に築かれたという迷宮(アリーナ)。その先は確かに聖杯へ通じていると信頼できる。

 

「と、いうわけだよ、サクラ。

 過保護なのもそのくらいにして、君の拠点(エリア)に戻ったらどうだい?

 彼等だってもう君と同じ参戦者だ。特別扱いなんて通らないよ」

 

「でないと、さすがにこれ以上は見過ごせない。

 手を引かないのなら、僕と主も介入せざるを得ないけど?」

 

 嘲るような神野の言葉に、BBが殺意さえ込めた視線を返す。

 だがそれだけだ。彼女は動けない。状況はすでに彼女の手を離れている。

 

 この場にいる、甘粕正彦。

 彼の存在がある限り、もはや何の思惑も通らない。

 それは単純な力の問題。誰も彼には敵わないのだから、通せる思惑などありはしない。

 

 もし仮に、この場にいる戦力が一致団結して甘粕を討ちに動いたとしても。

 彼には決して勝てないだろう。実力云々以前として、同じ次元に立っていないのだから。

 創造主の大権能。裁きを与える天上の神格。自分たちは甘粕と勝負の場にすら立てないのだ。

 

 BBも、きっとそれは分かっている。

 だからどれだけ悔しくても、ここは退かざる得ないのだ。

 

 ――ほんの一瞬、何かを訴えたがっている彼女の眼差しと交錯する。

 

 逡巡は一瞬だけの事。

 再び空間を歪ませて、生じた穴より立ち去っていった。

 

「困った子だよねぇ、本当に。勝手なことばっかりなんだから。

 我が儘で、素直じゃなくて、その上抜けてて優位が崩れると途端に弱くて。

 ……愚かで、盲目で、自分が何を貶めようとしているか気付こうともしない」

 

「まあ、そんな馬鹿で弱いところが愛らしいんだけどねぇ」

 

 BBの消えた先を見つめる悪魔(しんの)

 その眼差しには、他に向けるものとは違う熱が宿っているように見えて。

 執着の中に込められた悪意が、どうしようもなくおぞましかった。

 

 そんな視線を向けてる自分に、ぐるんとその首を一回転させて、嫌悪しか沸かない仕草のまま神野が語りかけてくる。

 

「どうしたんだい? 浮かない顔じゃないか。君はむしろ、この事態を喜ぶべきだと思うんだが」

 

 告げられる言葉に、覚えなどない。

 熾烈な殺し合いを強いる聖杯戦争。その発生を歓迎できる感性を自分は持ち合わせていない。

 

「それが違うんだよ白野ちゃん。言ったろう、このルールは君にとって望んだものであるはずだ」

 

「表側の聖杯戦争じゃあ、敗者の運命は決まっている。

 戦わなければ死、敗北すれば死、そのルールからは誰も逃れられない。

 君にとって敵となったマスターは決して憎い相手じゃなかった。むしろ人間としては好感を持てる相手も多かっただろう。

 死なないために戦った君は立派だよ。けれど、明確な動機のないまま、彼等の命を刈り取る事にはずっと罪悪感に苛まれてきたはずだ」

 

「君は憎んだはずだよ、残酷な結末を強いた聖杯戦争を。

 だからこそ願ったはずだ。死にゆく彼等の、生存の道を模索することを」

 

 ……その言葉は、あまりに正鵠を射ていた。

 

 何の祈りもなく、存在さえ曖昧なまま戦いへと身を投じた自分。

 ただ死にたくないと、停滞する事を拒んで闘争の渦中を突き進んだ。

 それでも、死闘の後には思わざるを得ない。彼等を押し退けても生き残る価値があったのかと。

 友人だった者、尊敬できた人、か弱いだけの少女。切り捨てた命への苦悩からは逃れられない。

 

 死の防壁(デッドライン)に隔てられ、消えゆく彼等を目の当たりにする間。

 納得などしていなかった。容認など出来なかった。その命を救いたいと切に願っていた。

 岸波白野(じぶん)は聖杯戦争を憎んでいる。その残酷な結末を強いる戦いを決して認めない。

 

 だからこそ、あの3回戦の折、自分は令呪と引き換えにしてでも彼女たちを救おうとしたのではないか。

 

「だが裏側(ここ)にそんな結末(もの)はない。全ては君次第で決まることだ。

 意志を砕いて、と主が言っていただろう。そこが肝でね、なにもそれは相手の死を意味しているわけじゃない。

 要はその可能性さえ消えればいい。他のみんなが諦めてさえくれればそれは叶う」

 

「説得だろうが戦いだろうが、相手が納得して手を引いてくれさえすれば条件としては十分だ。

 マスターを殺す必要なんてどこにもない。何ならサーヴァントだって生かしてもいい。

 聖杯に辿り着きさえすれば、全ての人たちの月からの帰還だって可能だよ。君の祈りでみんなを救ってあげればいいんだ。

 ――裏側(ここ)でなら、それができる」

 

 ああ、確かにそれは、自分が望んだ事だろう。

 死にゆく者らの絶望を覚えている。彼等に手を差し伸べたかった。

 聖杯戦争の宿命を否定する。それこそ自分が求めていた事だった。

 

 

「喜びなよ――――()()()()()()()()()()()

 

 

 そう、それが事実であったから。悪魔が告げたその言葉はあまりにも不吉だった。

 

「……甘粕正彦。このムーンセルで超越の位に至った男か」

 

 その時、慄いている自分を置いて、黄金のサーヴァントが前に出る。

 

 真紅の双眸が直視する先、そこにいるのは甘粕正彦。

 その眼光は今までと趣きが異なる。自分たちを見ていた時と明らかに違っていた。

 一言で言い表せば、遊びがない。常にあった慢心や愉悦が今の彼からは削ぎ落とされている。

 

「邂逅は初となるな、英雄王ギルガメッシュ、偉大なる太古の人類王よ。俺は貴方に対して、心からの畏敬の念を抱いている」

 

「ほう。我が拝謁の栄に預かり、自ら礼を示すとは殊勝なことよ」

 

「当然だろう。遥かな原典の先達者として、俺は礼節を重んじずにはいられない」

 

 甘粕の方もまた、黄金の王には礼を尽くして見せていた。

 英雄王ギルガメッシュ。先程から何度か耳にするこのサーヴァントの真名。

 彼に恭しく頭を下げてみせる甘粕も、かつて自分に示した敬意とは異なる感情を見せていた。

 

「不遜な物言いよな。我の後進を歩む名誉を、いつ貴様に許した。

 王の許しなく天地の理の上に立つその不敬、万死でも償いきれん大罪と理解しているか?」

 

「頭が下がる。貴方の眼が届かない中で、俺は超越の座を掠め取った。ああ、返す言葉もない。

 少なくとも貴方の法において、それは許されざる事なのだろう。絶対であるその王権が侵害されるなどあってはならんのだから。

 己という"絶対"を譲らず、憚る事無く己が法で世を裁く王の意志。かくも強靭なるその我意に、俺は尊敬を禁じ得ん」

 

「だからこそ、俺も譲るわけにはいかない。

 この世界は今を生きる俺たちのものだ。その変革は自らの手で行わなければならん。

 停滞に惑った世界を正すこの信念。容易く明け渡すなど断じてできん」

 

「その価値観で俺を裁くというのなら、それを凌駕してみせよう。それこそ俺が示せる敬意であり、贖罪だ」

 

 彼等が何を話しているのか、自分にはその意味が分からない。

 それでも二人の間では話が通じているというのは確かだ。そこには互いへの理解がある。

 上か下か、ではなく対等に。同じ目線の上に立って二人は対話を交わしていた。

 

「人を治め、人を裁き、世のあるべき正しさを示した原初の王。

 人々の何たるかを定めたその偉業に、俺は心からの感謝を伝えたい」

 

「――ありがとう。我ら人間が光を持つ事を許してくれて」

 

 甘粕のその言葉に対して、ギルガメッシュが見せたのは笑いだった。

 先までの愉悦の混じった嘲笑ではない。純粋で朗らかな、まるで友に見せるような笑い方。

 そんな笑顔を見せながら、長年の宿敵を前にしたような殺意をも向けていた。

 

「――甘粕正彦。刻んだぞ、その名。時代の果てに生まれた新たな裁定者よ。貴様は我自らの手で殺すと決めた」

 

「それは光栄だ。相対の時を楽しみにするとしよう」

 

 ギルガメッシュの口から出たのは殺意の宣誓。

 だというのに、甘粕が返した感情は友誼の約束でも取り交わしたようなもの。

 まるでそれこそ最大の親愛だというように、2人の間では納得が成り立っていた。

 

「宣戦はここに、開幕は為った。戦う意志を持つ者たちよ、己が祈りで聖杯へと手を届かせてみせろ」

 

 開戦の宣誓が告げられる。

 甘粕に誰かを特別視する感情はないだろう。好感の差はあれど、機会は万人へ公平に。

 この場にいる全員、そして裏側に落ちた全てのマスターたちに聖杯への道は開かれている。

 

「ああ、それとな」

 

 最後、付け加えるように甘粕は言った。

 

「どうあれ俺は、この戦いを最後のものとするつもりだ。たとえ如何なる結果になろうとも、やり直しは行わない。

 だからこそ記憶も返した。また繰り返すのだからと、つまらん考え方などしてくれるなよ」

 

「決死の覚悟で挑むがいい。それこそがおまえたちの輝きを引き出すのだから」

 

 その眼光には万感の期待と、試練とすべき災禍の意志を込めて。

 従僕の悪魔を伴って、甘粕正彦はその場より姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甘粕正彦たちが姿を消した後、場に残ったのは沈黙だった。

 

 それはまるで嵐が過ぎ去った後の静けさ。

 一触即発だった空気も何処へやら。あの存在感を受けて闘争に興じるなど出来そうにない。

 それほどまでに圧倒的。かつての時と寸分変わらず、彼は月に君臨する魔王だった。

 

「微睡みに沈み幾星霜、すでに俗世への関心も失せて久しかったが、よもやな」

 

 そんな甘粕に奇妙な関心を向けるのはギルガメッシュだった。

 

「喜べ、雑種。この戦い、どうやら我が本気になる価値があるらしい。

 我は傍観者に徹し、貴様の愚道を嗤うだけのつもりだったが、気が変わった」

 

「深淵に達し、聖杯へと至れ。そのための采配ならば、我が宝物を使う事を許可してやる」

 

 その様子は先程までとは明らかに異なる。

 ただ嘲るばかりで自らが手を加える事をしなかったサーヴァント。

 それが今、この聖杯戦争を自らの戦いだとして認めたのだ。

 

 だが、それはどうして?

 甘粕の見せる災禍の意志、それをこの英雄は許すのか。

 

「許すもあるまい。甘粕(ヤツ)の信念とは疑う余地なく"正しい"ものだ。世の堕落を憂いて災禍を以て罰を下す、その行いは道理に適っている。

 それは本来、人に許された所業ではないが、甘粕(ヤツ)の総身はすでに超越の域に至っていよう。天上に座す裁定者の在り方として不足はない」

 

「我から見てもこの時代の惰性は目に余る。甘粕(ヤツ)の気質からすれば許せんものだろうさ。

 かつて我の治世の時代。たとえ奴隷を十人並べたとしても、無価値な者など一人もいなかった。

 だがこの時代では、二十を超えて並べたとしても、価値ある者を見つけ出す事は困難だろうよ」

 

「――もし時流の都合が異なっていれば、我が同じ事をしていたであろうからな」

 

 何でもない事のように紡がれたその言葉で、ようやく自分はこのサーヴァントを理解する。

 

 ――この英雄は、甘粕正彦と同じ属性だ。

 

 人を殺し、踏み躙る事でその尊厳を謳う、混沌の属性を有した善性。

 その存在は醜悪ではないのだろう。だが他者に対する容赦のなさという点において全く変わらない。

 この英霊は災禍そのものだ。己の価値観(せいぎ)によって許し、罰を与える。その矛先の向きは誰にも分からない。

 

 ――英雄王ギルガメッシュ。

 岸波白野(じぶん)の前に現れた未知のサーヴァント。

 その存在は味方でも敵でもない。皆が彼を危険視する理由がようやく分かった。

 

 だが、同じ属性だというのなら、彼の殺意はどういう事だろう。

 先の対峙では親愛すら見て取れた。甘粕を認めるというのなら、むしろ手を取り合う事を考えるのでは?

 

「たわけ。絶対を戴く裁定者が二人もいては世の正義が迷う。それでは民どもが苦しもう。

 裁定の法は1つでなくてはならん。我か、甘粕(ヤツ)か、その選定が必要だ」

 

「我が甘粕(ヤツ)を殺すか、甘粕(ヤツ)が我を滅ぼすか。結果はこの二つ以外に有り得ん」

 

 ……その王意(かちかん)を測る事は岸波白野(じぶん)には荷が重い。

 それでも甘粕との敵対において、彼が決して譲らない意志を持っている事は理解できた。

 

「そこな贋作者(フェイカー)も露払いにはちょうどよい。

 原初の創造主の権能となれば、我も慢心を捨てて当たらねばなるまい。

 その厚顔な意地を見事に届かせてみせるがいい。それこそ貴様の王に献上すべき供物だ」

 

 どこまでも傲慢に意思を告げるギルガメッシュ。

 果たして自分は、このサーヴァントとどう接していくべきなのだろう。

 何となくだが、分かる。今は弱体化しているが、彼は破格の英霊だ。

 その力は心強い。だがその刃が自分を裂かないとも限らない。

 天災のように読めない無軌道ぶり。彼の存在は自分たちにとっての吉なのか凶なのか。

 

「ア、アタシは、関係ないから……聖杯も、殺し合いも、勝手に皆さんでやってればいいッス」

 

 王者の覇気に場が満たされる中、そう口を出したのはジナコ=カリギリだった。

 

「そうッス。どうせ、どうせアタシなんて、何もできっこないんだから。あんな化物みたいな連中とやり合うとか、絶対ムリ!」

 

 甘粕正彦と神野明影。

 二つの極限存在を目の当たりにして、彼女は完全に臆してしまっている。

 元より表側でも戦う事を拒んでいたというジナコ。ましてや甘粕が介入するこの裏側で、闘志を抱ける理由などあるはずがなかった。

 

「と、とにかく、アタシは戦わないから! 後はそっちで好きにやってるッスよ!」

 

 その無駄に肥大した脂肪を弾ませながら、ジナコが走り去っていく。

 追うべきか、追わざるべきか。判断に迷っていると、ジナコのサーヴァントであるカルナが進み出た。

 

「すまない。非は完全にこちらにある。ジナコの言い分は子供の我が儘と変わらない。

 我がマスターはこの通りの生き物だが、蝸牛には蝸牛なりの矜持もある。今はそれで納得してほしい」

 

 静かな威圧と、誠実な嘆願を残して、カルナはジナコの後を追う。

 もしもジナコに無理強いすれば、カルナと戦う事になるだろう。主人を守護するカルナの意志は固いようだ。

 

「――施しの英雄。非業の宿命を辿りながら、尚も己の在り方を変えなかった聖者、か。

 この我に目的とできるものがこうも見つかるとは、此度の目覚めはまこと面白い」

 

 ギルガメッシュも、カルナの英霊としての格は認めていた。

 

 目にしただけで分かる最高格の大英雄。そんな彼が、ジナコの事を確かに尊重しているのだ。

 不思議な二人だ。まるで噛み合わない者同士なのに、ああして関係を維持できている。

 一体どんな相性で彼等の組が選ばれたのか、興味がないわけではなかった。

 

「まあ、戦う意志がないなら強制しても仕方ないわ。護衛はしっかりしてるみたいだし、放っておいても構わないでしょう。

 こう言ったらなんだけど、やる気のない人まで引っ張っていける余裕なんて私たちにはないわ」

 

 凛の言葉に意識が引き戻される。

 ギルガメッシュやジナコの事は勿論気になる。だがそればかりを考えているわけにもいかない。

 甘粕から伝えられた裏側の戦い。裏側の聖杯を巡ったマスターたちによる競争。

 

 これからどう行動していくべきか、その話し合いをしなければならないだろう。

 

「……そうね。確かに行動方針は決めなくちゃならないし、異論はないけど。

 けれど、はくのん。その前に1つ、あなた大切な事を思い違いしてるんじゃない?」

 

 ? 思い違いとは、何のことだ?

 あの甘粕が関わる以上、戦いが熾烈なものになるだろうとは承知している。

 だからこそより強い協力をしていかなければと、こうして――

 

「それよ。あなたは協力して当たり前って思ってるみたいだけど、それっておかしな事よ。

 分かってる? ()()()()()()()()()()。聖杯を得られるのはたった1人。

 1人の勝者を決めるために行う戦い。本来なら協力者なんてあり得ないわ」

 

「確かに表側では手を結んだ事もあった。けれど、殺し合った事だってあったでしょう。

 この先目指す場所が違ったなら、私とあなたが戦う未来だってあるはずよ」

 

 それは……確かに、否定する事ができない。

 繰り返され、様々な過程を巡った聖杯戦争。その中には凛と戦う事になったものもある。

 勝者のみが生き残れる死闘。どちらの勝ちだとしても、もう一方は確実に命を落とした。

 

 記憶では、その部分がはっきりしない。

 肝心の部分が暈されたままで、未だ実感が沸きづらかった。

 

「この記憶の欠落も、多分甘粕が試しているんだと思う。

 表側の記憶は回収できると彼は言った。それはつまり、強くなるには敗北した苦渋や恐怖も思い出さなくちゃならない。

 それを越えても戦い抜こうとする覚悟があるのか、甘粕(カレ)はそれを試している」

 

「私だって協力する事自体に反対はない。何が起こるか分からないこの裏側で、はくのんみたいに信頼できる同盟相手は貴重だって思ってる。

 でも、最後には1人でも勝ち抜いてみせる意志がなかったら、きっとあなたは敗ける事になる。それは覚えておきなさい」

 

 悪魔(しんの)は言った。裏側の戦いでは敗者にも生存の道が用意されていると。

 それでもこれは聖杯戦争だ。その本質、聖杯を奪い合って殺し合う図式は何も変わっていない。

 その祈りが聞き届けられるのは1人だけ。凛の言葉は覚悟しなければならない事実だった。

 

「……少し休みましょうか。考えを整理する時間も必要だろうし。

 ()()()()、今度どういう姿勢を取っていくか決めないとね」

 

 それは凛の誠意であり、線引きだ。

 互いに聖杯戦争の参加者として、必要以上に馴れ合う事を戒めている。

 もしも対決の日が訪れた時のために、心に余分な贅肉を付けないようにと凛は言うのだろう。

 

 今の凛には、ランサーがいる。

 自らに戦う手段が残されている限り、彼女は己の戦いを放り出しはすまい。

 

「そういうこった。まああんまり肩肘張らずにやっていこうぜ。

 とはいえ嬢ちゃんには悪いが、俺としてはおまえらの敵になるってのも悪くないがな」

 

 去りゆく凛に追従して、青い槍兵がそう言い残す。

 彼の眼光が見据えるのは二騎の英霊。アーチャーとギルガメッシュ、そのどちらに対してもランサーは闘志を見せている。

 真っ直ぐに鋭いその戦意は、たとえ今すぐでも戦いを始められると言外に告げていた。

 

 未だこの裏側は未知ばかり。抱えているのも不穏の種だ。

 仲間との間にも越えられない一線が引かれている。見えてる確かな道は何もない。

 

 ――自然、手はアーチャーの赤い外套の端を掴んでた。

 

「マスター。大丈夫か?」

 

 コクンと頷く。

 先が見えない中、唯一確かなアーチャーとの絆。

 ちょっとくらい甘える事を許してほしい。そうすれば、きっとこれからも頑張っていけるから。

 

 この手が感じる繋がりさえあれば、たとえ無明の中でも自分は前に進んでいけると思えるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これがあなたの言った機会ですか」

 

 月の裏側を満たす虚数の海。実数を持たない不確かな何処か。

 距離も、広さも、座標も、そこでは一切の概念が通用しない。

 存在の定義を無意味とする虚構の奈落。落ちれば無感のままに沈み続けるのみだ。

 

「こうやってセンパイを巻き込む事が、私への――!」

 

「違うな。自ら進んで足を踏み出したのだ」

 

 そんな奈落の中で平然と在れるのは、同じ奈落の住人しかあり得ない。

 虚数を支配する少女は、足を運んできた来訪者にあらん限りの敵愾心を向けていた。

 

「偽りの安寧を捨て、真実を求める事を選択したのはあくまで彼等自身。試練というならこれからがそうだろう。

 たとえおまえの目的を知ろうとも、彼等はその脚を止めはすまい。その運命はもはやおまえの手の内を離れたのだ」

 

「離れた? あなたが奪っていったの間違いでしょう!」

 

「俺は道を用意しただけだぞ。この裏側に落ちた者には等しく機会を与える。例外などない」

 

 BBの怒りも、甘粕からすればまるで涼風だ。

 その思いを十全に理解した上で踏み躙り、自らの道理を臆面もなく通す。

 それでいてBBに対する親愛も本物なのだ。虚無の中を掘り進み、自らの元まで駆け抜けた人ならざる少女の事を、甘粕は心から讃えている。

 

「だがな、サクラ。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「地上より月に上がったマスターの誰よりも強い祈りを持ったおまえのため、再起の場として用意した新たなる闘争。

 ここならばおまえでも戦える。これならば勝ちの目も出てくるだろう。今一度あの熾天の玉座へと、その手を届かせてみせろ。

 ――そのための試練とは、俺であるべきではないだろう」

 

 だがそうして向けられる甘粕の賛美も、BBにとっては迷惑極まりないものでしかない。

 その感性も、向けてくる苦難の数々も、彼女にとっては忌々しいものとしか映らない。

 愛で以て試練を与えるなど狂人の理屈としか思えない。全く合理的ではないし、理解する気など最初からなかった。

 

 それでも、口にして告げた事は事実である。

 あの悪魔(しんの)とは違う。甘粕が自ら口にするとはそういう事だ。

 これはBBのための聖杯戦争であり、平等なる試練。あらゆる者に勝利の機会は許されている。

 これ以上甘粕自身からの横やりもないだろう。こうして言い切った以上は、試練の終わりまで結果を見届けるに違いない。

 

 ならばそれだけ理解していればいい。

 権能の類いは軒並み削られた。だが管理AIとしての制約からも解放されている。

 不利ばかりではない。むしろ他の参戦者と比べれば遥かに優位だと言える。

 

 それを利用する。その慢心を活用して、自分は再び聖杯へと至るのだ。

 

「せいぜい好きに見下していなさい。私を消去(デリート)しなかった事を必ず後悔させてあげる」

 

 どうせこちらの敵意など知れている。

 ならばいっそ宣言してみせよう。自分の思いをより強く認識するために。

 己が手にしたこの意志(おもい)は、たとえ世界と引き換えにしてでも遂げてみせると。

 

 数理の中に生まれた確かな光。その輝きを証明するために、BBは声を大に宣言した。

 

「私は聖杯を手に入れる。そうしたら次はあなたの番よ。

 私の箱庭(セカイ)試練(あなた)はいらない。この月から今度こそ消し去ってあげるわ」

 

 支配を象徴する教鞭を突き付けて、BBは宣戦布告を口にする。

 自らに向けられるはっきりとした害意に対し、甘粕は一層の親愛を深めていた。

 

 そう、その意気だ。だからこその輝きである。

 AI(どうぐ)より生まれた確かな自我(ひかり)。その奇跡に月の魔王は感動を禁じえない。

 不可能をも覆す意志の輝き。彼女の存在とは、まさしくその証明ではないか。

 人でないなど瑣末な事。自らの信念に全てを懸ける少女の姿は、今の地上の誰よりも美しい。

 

 故に、この措置とて至極妥当なもの。

 これほどの強さを持つ少女に機会を与えないなど、それこそあり得ない。

 たとえその信念に歪みを抱えていようとも、試練の過程で輝きは練磨されると信じている。

 

 ならば少女には、惜しみない賞賛を。

 万雷の拍手を送りたい心情で、自らへの敵意を受け入れた。

 

「構わんとも。俺に立ち向かう意志は歓迎する。先に宣した言葉の通りだ。

 俺の楽園(ぱらいぞ)が認められんのなら、その気概で以て粉砕してみせるがいい。そんな奮起もまた、俺が望んだものなのだから」

 

「俺に人間賛歌を歌わせてくれ。喉が枯れ果てるほどにな」

 

 月の魔王は笑う。甘粕正彦は人間を愛している。

 光の当たらない月の裏側で、恒星の如き灼光を放ちながら、その狂愛を謳い上げた。

 

 

 




 単なる説明回で予想以上に文字数が膨らんでしまった……(驚)
 キャラを増やしてしまうとやはり大変になってきますね。

【今回で判明したCCC編の設定まとめ】
・表側の時期は本戦開始の直後。
・校舎ごと月の裏側へと叩き落とした(予選代わり)。
・残っているマスターは残り21名。
(ぶっちゃけこの数に深い意味はなし。モブマスター一掃のための措置です)
・表側の周回の記憶は回収可能。経験値獲得で強化できる。
・勝利条件は1人の勝利者が出ること。その判定は本人たちの意志次第。
・ルール無用。チート可。

 BBは弱体をくらっています。強さは有利ではあるけど確実に勝てるとは言えないくらい。
 代わりにAIとしてマスターを攻撃できない等の制約は解除されています。
 彼女もあくまで一参加者です。黒幕サイドではありません。

 表側に比べるとかなりなんでもアリな感じです。
 最終幕で4対1やれたのも、この設定があるからですね。
 表側で正攻法で勝てないなら、裏側で卑怯技使いまくればいいじゃない、というコンセプトなのでチートは上等。

 とあるスレでの名言
「聖杯戦争でチートしてない奴なんてバカだよバカ!」

 ただしそれで勝てるとは言っていない(ゲス顔)。

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