もしもExtraのラスボスが甘粕正彦だったら   作:ヘルシーテツオ

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4回戦:真祖の姫

 

 その扉の前に立つ、これで都合四度目となった。

 

「刻は来た。戦いの準備は万端かね?」

 

 監督役の役割(ロール)を受け持った神父が、与えられた設定の通りの台詞を告げる。

 彼の後ろに見えるのは、決戦の舞台まで降ろす昇降機だ。学校校舎の風景の一部として外面を取り繕われたそれは、その実、日常側から非日常へと連れ去る檻である。

 降りた先に待つのは無慈悲なる死闘。対峙すべしと定められた相手との、生死を分かつ殺し合い。帰還できるのは勝利して生き残った一方のみ。

 どのように過程を経て、どのような結末に至ろうとも、そのルールだけは覆らない。この月に立つ誰もが死線の先で生を掴む道を強いられている。

 

 それを以て残酷だと、非難できる資格は誰一人とて持ち合わせない。

 万能の願望器、あらゆる未来を計測する数理の聖杯。ムーンセルを使用する権利を懸けて、承知の上でこの戦争に参戦しているのだ。

 抱いた欲望(ねがい)のため、己ではない他者を殺すのだと。今さら掟を反故にするのは、弱きに流れた者の戯れ言でしかないだろう。

 これは強制ではない。開かれた門戸を通り抜けたのは、あくまで各人の自由意思である。無論、事情は千差万別にあるだろうが、その責はムーンセルにあるものではない。

 

 どんな事情だとて、それは人間側の社会、縁、感情によって築かれたもの。

 感情なき観測器は公平だ。不公平はいつだって人間の側にある。

 よって非難など、前提から履き違えている。この闘争を肯定したのは他ならぬ自分たちであるのだと、臥藤門司は承知していた。

 

「……ふむ。些か精彩を欠いているな。葛藤の色が見て取れる。以前に眼にした時には、そのような惰弱さなど削ぎ落とした狂的な信奉者と映ったが」

 

 ガトーと向き合った神父が、そう言葉を続ける。

 それは監督役という役割(ロール)には無い台詞。円滑に聖杯戦争を運営するAIの領分ではない。

 かつて確かに存在した人間の再現人格。その性質・趣向までも完璧にトレースされた人物像(ロール)が、神父に言葉を続けさせる。

 

「これでも神父だ。逡巡があるならば聞き届けよう。満足がいく答えを与えられるかは不明だが、出来うる限りの尽力はすると誓おう」

 

愚僧(オレ)に懺悔せよと申すか? 奉るべき真の神を見出しておる小生に、神の社の主へ告解せよと? その身は公平を司るムーンセルの使徒でありながら」

 

「公平たればこそ、だ。心という不確定要素の不調を混じえた決着は、ムーンセルとて望むところではない。共に不足なく、全霊を尽くした果ての決着こそ望ましい」

 

 語られる内容は、ムーンセルの端末としての役割を遵守するもの。

 しかし、その吊り上がった笑みを見れば、額面通りな行いでない事は一目瞭然だろう。

 ただ慮るというには、神父の面持ちは悦の色が濃すぎる。こちらを見る眼差しに隠しきれない娯楽の渇望が見て取れるのだ。

 それこそが『言峰綺礼』という人物像(ロール)なのだろう。人の心の裡を切開し、その苦悩に愉悦する、そういう業の持ち主だったのだとガトーは推察した。

 

「よく言うわ。そのような暗き情念、それは貴様の我執であろう。ムーンセルの意向など二の次三の次、かの魔性菩薩を思わせる倒錯ぶりよ。

 訊くが、それは先天のものか?」

 

「先天だ。記録を見るに、『言峰綺礼(わたし)』は生まれつきこのような人間であったらしい。

 若い時分には、随分と煩悶もしたようだ。求めても得られず、手に入れても手に入らない。指の隙間から零れ落ちた無数の澱、何故己だけがこうも違うのかと」

 

 言峰綺礼という人物に由来はない。

 過去に何某かの理由、精神的外傷(トラウマ)となり得る出来事を受けてそうなったのではないと語る。

 母の子宮から生まれ落ちたその時には、彼は悪性を求めるカタチをしていた。光を尊ぶという当たり前が理解できない、他者と共感できないその魂は孤独であったと。

 

「果てに出した解答も、さして変わり映えのするものでもなかったようだが。そのように誕生()まれたのだから、そう生きるしかないと。この手の命題には有りがちな答えだとも。

 己という汚泥の存在を祝福し、受け入れたからこその『言峰綺礼』だ。自由の無いNPCの身であるが、手が届く範囲ではしたいようにするまでだ」

 

「……哀れなものよ。人は産まれの場所を選べず、また産まれる己をも選べぬ。原点より異端の性を宿しておるなら、その業は罪の行き場すら見失おう」

 

「さもありなん。所詮、この身は再現された擬似人格。既に終わった人間の結果の投影に過ぎん。その是非に意味などなく、破綻に満ちた生涯は既に閉じている。

 間違えるなよ、臥藤門司。切開すべきは私ではない。この時代を生きる当事者(おまえ)たちこそが是非を問われている」

 

 言峰綺礼が、月の舞台の主演に上がる事はない。

 ここに在る彼は、元の人物像を再現しただけの影絵。『言峰綺礼』という人間の物語は既に終わっている。

 所詮は彼の役所は裏方だ。舞台上で踊るべきなのは、未だ生涯の解答に至っていない生者たち。この聖杯戦争に参戦するマスターたちなのだから。

 

「そして、迷いの源泉もそこかね。行き場を失う業とは逆に、選ばれなかった己が故に、おまえは自らの業の重さに苦しんでいる。

 肩肘を張らねば修羅にはなれんか。哄笑の下に散らす命を良しと出来ず、狂信で己を誤魔化すこともし切れない。決意を以て武装しようとも、その心は悲痛を自覚している」

 

 暗黒を湛える神父の瞳が、ガトーの裡を暴いていく。

 晒されるのは阿修羅の相に秘められた本来の人間性。たとえ闘争を肯定しても、彼の気質は殺戮を良しと出来るカタチをしていない。

 

「臥藤門司。おまえは"まとも"だ。如何に狂人の体を取り繕うとも、根底にあるのは他者との共生が可能な魂だろう。

 それは私のような破綻者には届かないものであり、羨むべきものでもある。が、故におまえにとっては望む強さが得られん楔であるわけか。

 なるほど。対峙した"あの男"によって、その事実を浮き彫りにされたということか」

 

 それは人として正しく、普遍でさえある在り方だ。

 貶められるべき価値ではない。普通と異常の線引きを定める基準点。

 共同体を維持するために必須のもの。それを持ち合わせない者こそ異端であり、社会では欠陥と見なされるアキレス腱だ。

 

 だが、聖杯戦争とはそんな真っ当が罷り通らない舞台。

 境界を踏み越えた先で強さを持つなら、それが至上の価値を得る修羅場であったから。

 

愚僧(オレ)の信仰は変わらん。覚悟は決意の時より揺るぎなし。痛みはあろうとも、我が女神への信心はそれを容易く上回るぞ」

 

「だが咀嚼してはいまい。それは耐えているだけだ。如何に理想に強度を持たせようと、磨耗の果てには目減りするのが自明だろう。

 この聖杯戦争において、覚悟はその強さよりも質こそが問われる。死闘という極限状態に、否応なく敵の理解を求められる条件下、ただ変わるまいとするばかりの覚悟では程も知れよう?」

 

 他者との交わりは、自己に変革をもたらすものだ。

 掛け値無い真剣同士の世界観の衝突、受ける衝撃は真に迫れば迫るほどに強くなる。

 対等な条件下での殺し合い、それは生存のために相手を知る事を求められ、必然として『敵』という記号のみで処理させない。

 相手も自分と同じ"人"なのだと認識しなければならない。個人としての闘争は、集団心理という逃避さえ許さないのだ。

 願いのため、己自身の明確な意志でもって殺すのだと。サーヴァントという同等の脅威は、慢心に浸る事も封じて相手への意識を強めている。

 敵を知り、その存在を強く意識して、対等に殺し合うのだ。それだけの衝撃を経て、一切の影響も受けず、何一つ変革しない自我などまずもって有りはしない。

 

「否定とは、試練である。人は、自らの存在証明を脅かされる事態でこそ、新たに立脚する機会を得る。

 本物を見せられた思いだったか? 同じく闘争の道を駆ける身で、なまじ方向性が似通っているがために、己自身の疵を見せられたのだろう?

 泥に耐える者と、泥さえも愛する者。ああ、まさしく"真っ当"と呼べるのは前者であって疑い無かろうがな」

 

 まともなままでは修羅道など歩めない。

 大義で、信仰で、殺しの罪を正当化する何某かの理論で武装し、人は修羅場に立つ。

 その武装は善性を守るための盾である。生のままの善良さでは、血の業を前に容易く亀裂を入れてしまう。

 故に、人は脆弱な善性を思想によって練磨する。研鑽の果てに磨き抜かれた善性は、一筋の信念となって砕けない強度を有するのだ。

 

 言うなれば、それが"まとも"な人間のする対処である。

 決してガトーが弱いのではない。常人なら十分な強度を得られる事さえ稀なのだから。

 信仰に懸ける思いは強く、矛盾を抱えながらも折れない強度がある。幾度も迷いを向き合い、試練として乗り越える度に、ガトーの信念は強さを手に入れてきた。

 

 そう、試練とは越えるためのもので、命の炎を滾らすべきもの。

 勝算が無ければ挑まないのは屍と同じ。そう嘯くガトーの気質は、甘粕のそれと通じている。

 彼らは徹底して自分に厳しい。自己に甘えを許さない。むしろその苦しさの中でこそ燃え上がる。

 だからこそ誤魔化さない。見えた真実から目を逸らさず、正面から向き合おうとする。良くも悪くも妥協が出来ない性質だ。

 その純粋さこそが強さの芯であり、同時に欠陥でもある。迷いを迷いのまま、答えを出さずに忘れ去る事がどうしても出来ないのだ。

 

 修羅道を歩みながら、自然体の姿勢を崩さない甘粕正彦。

 善性を持ち、正道を尊びながら、手を染める血の業にも揺るがない。

 己という泥水を真に愛せる男。道理も矛盾も呑み干して、確固たる真理として自らの芯を築いている。

 覚者にも等しい境地にいる男の姿に、ガトーは自らの有り様に軟弱さを見たのだ。

 

「闘いは心だけでするものではない。戦術、相性、場の運気の流れに至るまで、あらゆる要素の絡み合う混沌よりその結末は現れる。気迫一つでどうにかなるほど、事は単純ではあるまい。

 だというのに、不思議なものだ。勝負の際と呼べる時、死力を尽くした先で結果を左右するのは、決まって心の差異であるのだから」

 

 神父の言葉は辛辣で、しかし正鵠を射るものだ。

 ガトーの裡を暴き、その闇を突きつける。言い換えるなら、打破すべき壁を提示しているとも言えるだろう。

 言峰綺礼は破綻者だが、神父としての手腕も確かなものがある。人の苦悩を求める者は、それを吐き出させる手段にも長けているのだ。

 

「願いの有無、願いの価値などムーンセルは考慮しない。ただ"強くある"ことこそ、聖杯を手にする唯一の条件だ。

 答えに迷うならば、臥藤門司よ。始点の願いに立ち返ってみてはどうかね? おまえにとっての至上の意義、どうあれこの戦いはそこに行き着くのだ。莫迦の一念とやらも、なかなかに侮れんものだろう」

 

 よって、これより戦いに赴く男へと、神父は至るべき結論を示す。

 確かな初志があるのなら、他の一切に頓着せず、一念を貫くことに徹するべきだと。己だけの理由のために他を切り捨てる、それが聖杯戦争の本質なのだから。

 

 ガトーは見た。己にとっての絶対たる信仰(りゆう)を。

 神は応えない。サーヴァントの役割に従事する女は、自らの信者に視線さえも返さなかった。

 ここに在る彼女は知性を持たぬ狂戦士(バーサーカー)。どれだけ信仰や情熱を向けようとも、その身は敵対する総てを蹂躙する暴力装置でしかなかった。

 

 祈りの届かない現状を試練と見出したのはかつての事。

 弱さを自覚すれば、振り払ったはずの迷いまでも顔を出す。

 未だ答えは出ない。葛藤は膿のように残り、ガトーの闘志に陰を与えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻想海に構築された決戦場。

 既に四つ目となる風景は、これまでのものとまた異なる様相を見せている。

 とはいえ、そんな外観に意味など無い。沈没船、闘技場、氷の世界。様々な舞台があっても、行われる事は常に一つ。

 始まれば気にしている余裕などすぐに無くなる。英霊同士の超常の闘争は、どんな神秘の風景にも勝る苛烈さ、鮮烈さを併せ持っているのだから。

 

 対峙する両陣営、その間に流れる静寂。

 それは闘争という嵐の前兆となる静けさ。始まれば止まらないと知るが故、その直前には緊張が訪れる。

 それは些細な切っ掛け一つで崩れる脆いもの。堰を切れば流れ出し、引き戻す術はない。そしてその刻限は、あらかじめ決められていた。

 

 月の意思が開戦を告げる。瞬間、世界の法則が血の盟約によって染め上げられた。

 

 ――名を、血の姉妹(プルート・ディ・シェヴェスタァ)

 かつて目の当たりにした、敵の力を6分の1に低下する異能。

 逃れる術なき法則の侵食は、アーチャーの力を抵抗も許さず削ぎ落とした。

 

「ぐう、うぅ……ッ!? もはや出し惜しみもせぬか……!」

 

 間髪入れずに飛び出すバーサーカー。

 獣が如き性質は、人間的な余裕、慢心とは無縁の身だ。

 遊ぼうなどとは毛ほども考えない。抱く殺意の赴くままに、その暴力を振りかざす。

 

 対し、思うように動かない身体を押しながら、アーチャーも刀を抜き放つ。

 種子島と共に武装した愛刀の銘は『圧切長谷部(へしきりはせべ)』。

 刀剣の歴史に刻まれたその名には、宝具級と呼んでも差し支えない強度が秘められている。

 出し惜しみをしないのはアーチャーも同じ。むしろそんな事をすれば、瞬時に粉砕されると理解しているから全霊を惜しまなかった。

 

 弾幕を容易く突破して、振り下ろされる魔爪の一撃を、刀で受けて防ぎ切る。

 守りの上からも伝わる衝撃、受け手の一つでもしくじればそのまま潰されかねない暴力の圧は、狂える漆黒のランサーを思い出させる。

 だがランサーの時と違い、このバーサーカーには突破口となる要素がない。そして自身に掛かる縛鎖は、アーチャーに本来の実力を発揮させない。

 それでも、先日に見せられたその脅威から、事前の想定は出来ている。相手の手の内も把握して、その上で挑んだ決戦だ。単なる蹂躙劇では終わらせない。

 

 だが、言ってしまえばそれだけだ。

 怒涛の攻めを続けるバーサーカーに、アーチャーは一切の攻勢に移れていない。

 放つ銃火も、現状を凌ぐための布石として。あくまで守りのための手段であり、決して反撃の糸口となるものではない。

 事実、銃撃は幾つもバーサーカーに直撃しているが、まるで損害を与えられていない。相性の有利を得られな相手に、その宝具は単なる種子島としての威力しか発揮し得ない。

 無数の銃砲群こそがアーチャーの攻めの象徴。それを相手の妨害程度にしか扱えていない時点で、劣勢なのは目に見えている。

 されど、そうするしかないのも事実なのだ。守りに意識の全てを置いているからこそ凌げている現状、少しでも攻めに意識を回せばその瞬間に終わるだろう。

 

 アーチャーはバーサーカーに勝てない。互いの相性が最悪過ぎる。

 その結論は先日の時点で出ている。天敵と呼べる相手を前に、やがて討たれるのが自明である。

 

「本にそなたはうつけよ。まともであればこの時点で諦めるか策を弄するかじゃ」

 

 正面からでは勝てないのなら、正面から戦わなければいい。

 通常ならば誰もが行き着くだろう選択、だが甘粕正彦はそれを選ばない。

 己はこう在らねばならないのだと、それは自身に課した生き様だ。世に試練を望む男は、故にこそ自らへの試練にも妥協しない。

 こうやりたい、こう生きたい、それが出来ないくらいならば死んでしまえと、徹底して理想を追求する強さ、雄々しさ。

 それが甘粕正彦という男の真骨頂。何処までもやりたい事をやる"理想主義者(ロマンチスト)"は、最悪の天敵を前にも微塵も変わらなかった。

 

「であるに、正彦よ。そなたも覚悟は出来ていような?」

 

 放たれる銃火の質が変わる。

 より苛烈に、獰猛に、弾幕の攻勢が増していく。

 執拗なまでの火線の増大に、さしものバーサーカーも勢いを減じた。

 それは戦闘が始まって以来の快挙。ならば趨勢もそれに乗じて、アーチャーの側へと傾いていくかと問えば、そんなことは有り得ない。

 

 アーチャーの攻勢は、明らかな無理攻めだった。

 後先を考えない過剰投入。一時のみに懸ける閃光の足掻き。

 決して先には続かない。早々に力尽きるのが目に見えている。決定打とならなければ、そんなものは悪手でしかない。

 事実、勢いに押されて後退したバーサーカーも、これといった損害は受けていない。このままでは何もせずとも、先にアーチャーの方が干上がるだろう。

 それは彼女らしくない姿だ。常に合理性を持って戦いを進めてきたアーチャーには、似つかわしくない選択である。

 

 しかし、それでもアーチャーは躊躇わない。

 無理であろうと、似つかわしくない姿でも、活路がそこにしか無いのならば是非はない。

 勝負を捨てた自棄ではない。あらゆる定石を放り出しても、勝利を目指す姿勢。下剋上より天下への道を駆け抜けた革新の王は、死中に活を求めて全身全霊を解放していく。

 

「いざ、三界神仏灰燼と帰せ――我こそ第六天魔王波旬、織田信長なり!」

 

 顕現する地獄の景色。

 鉄火と鮮血の朱の色が、世界に上書きされる。

 それはアーチャーの心象が織り成す異界法則。神聖なるもの、神秘なるものを否定する大焦熱地獄が発動した。

 

 己の幻想を象徴する世界の上に立ち、『魔王』の特性が最大限に発揮される。

 結果、より威力を増していくアーチャーの攻勢。大焦熱の中で降り注ぐ銃火砲は、英霊としての強大さを十二分に示すものであったが――

 

「ウウウ、アアアアアアアアアアア――――ッ!!!!」

 

 それでも、白いバーサーカーにはまるで通用しない。

 無数の銃火にも穿たれず、焦熱地獄さえ容易く踏み越える。

 それも必然、銃砲も業火も、アーチャーの力は神秘を殺すもの。その真髄とは旧き伝統の否定、そして新しき世の開闢を目指す革新である。

 両者にあるのは、ただ明確な相性の如何。人類史に名を持たず、神の枠組みの内にもいないバーサーカーの存在は、アーチャーの概念から悉く外れている。

 

 対し、バーサーカーの異能には些かの衰えもない。

 如何に世界を別の心象風景で塗り潰そうとも、血の姉妹の弱体化はその上から効いてくる。

 神霊の権能にも比肩するその力は、ただバーサーカーが在るだけで世界の法則(そういうもの)として適用されるのだ。

 

 これは紛れもないアーチャーにとっての全身全霊。三千の種子島と、この世の地獄を具現化させる固有結界、彼女が持ち得る戦力の全てである。

 それでもバーサーカーには通じない。白い人外の女は絶対のまま揺るがない。

 効率的に、より効果的に、より容易い鏖殺の成果を求めた兵器群。結局のところ、それらの役割とは()()()()()()にある。本質的に怪物退治は舞台が違うのだ。

 

 咆哮が銃弾の雨を吹き飛ばした。

 進撃が地獄の業火を蹴散らした。

 アーチャーが無理を押しても発揮する力を、バーサーカーは性能だけで上回っていく。

 まだ及ばない。アーチャーが今までに持ち得てきた力では、この難敵には届かない。

 

「やはり"波旬"の概念も通りはせんか。明白であったとはいえ、いざ目の当たりにすれば存外に堪えるものじゃのう」

 

 英霊にとっての誇り、象徴と呼ぶべき宝具も通じなかった。

 その現実を、アーチャーは受け止める。その様子は未だに冷静さを保ったもの。

 合理を重んじる彼女が、勝算無しとまで断言する相手。力が通じないことなど想定の範囲内。これしきの絶望、何ら動じるには値しない。

 

「ああ、ならば我が主君(マスター)よ、下知をくだせ。今一度その覚悟、わしの前に示してみよ」

 

 ここに至るまでの力で、アーチャーに勝算は無い。

 そこに勝機を見出すならば、()()()()()()い力()()()()()()()()()()

 その覚悟を問う。自身を使役するマスターに、その裁量はそちらにあるのだと。闘争の手段(サーヴァント)として、アーチャーは言葉を投げかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「承知した、我が従僕(サーヴァント)。勝利のため、その力を今こそ示せ」

 

 サーヴァントの求めに対し、甘粕は相応しい決意で応えた。

 

 元よりこれは我が儘だ。

 本来打てた策の手立ても捨てて、正面対決に拘った。

 全ては、そうしたいと思っている自分の意志によって。ならば決断の責は己が負うべきと理解している。

 

 分かっているのだ。このやり方は道理に反している。

 合理性に沿ったものではない。通常のアーチャーならば決して取らない手段であると。

 道理の限界を無理によって突破する。そんなやり方を好ましいと思うのは、己自身。

 付き合わされる身には堪らない話だろう。契約とはいえ、意に反してばかりでは見限られてもおかしくはない。

 

 出来る事は、光を見せる事だけ。

 信条は捨てられない。そんな容易いものならば、そもそも拘りなどしない。

 意向に沿わない不満には、それ以上の納得で以て解消するしかないだろう。

 輝けるような意志を示す。甘粕正彦の信念は、そんな無理をも押し通せる絶対値があるのだと証明するのみである。

 

 サーヴァントに、自らの道理を曲げさせようというのだ。

 この身一つ程度なら、如何様にでも削る覚悟は出来ている。

 なにせ、現実に実行するのはサーヴァントなのだ。マスターとサーヴァントの関係とはそういうものだと、どう言い繕ったところで事実は変わらない。

 戦う者の後ろにいて、大層な御託を並べるばかりで何もしない。そんな様で恥の一つも覚えないなど、滑稽でしかないだろう。

 

「新生を果たしてみせろ。新たに完成させたその力で、殻を破って再誕してみろよ。英霊といえどもその意志に、限界など無いのだから」

 

 ――故に、必要ならばいくらでも持っていけ。

 臨む試練にその心を滾らせて、甘粕は自らのサーヴァントへと主命をくだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識を、己という器の内へと向ける。

 外界の一切に惑わされず、現行する時間を収束されて、傾けるべきは内側の心象。

 戦いの最中、まるで禅問答でもしているかのよう。およそ理に適っているとも思えない自己問答で、アーチャーは自らへと没頭していく。

 

 大焦熱地獄の心象世界。いと悪しき天魔の名を冠する固有結界(リアリティ・マーブル)

 それは人々の幻想を糧に具現化するもの。嘆きと怒りに彩られた、かつて為した所業の再来である。

 人は、自分の罪業からは逃れられない。王者として築いてきた数多の栄光と、その過程で取り残され、打ち棄てられてきた者たちの非業。

 ある意味で、この地獄はそんな彼らの置き土産だ。彼らの畏怖が、苦悶が、絶望が、魔王として地獄の力を揮う権利を与えている。

 

 まず言えるのは、この世界は決して"善いもの"ではないということだ。

 『共に戦場を駆け抜けた家臣らと紡ぐ絆の結晶』と称されるような世界とは真逆のもの。

 ここには焼ける骸と怨嗟しかない。輝かしい英雄譚の影の部分、敵対した者らの殺戮、自国ではない民草への虐殺、目を向ければ必ずや付きまとう負の側面。

 あるいは、アーチャーの心象とは元より炎獄の形であったのかもしれない。彼女こそは革新の王、織田信長こそは時代の破壊と創造を司る大火である。

 

 燃料としてくべられる数多の絶望。

 新しきへと向かう道の途上で轍とされた旧き残骸たち。

 この地獄が神秘を砕き、神性を貶すのも、薪となって燃える骸の山があるからだ。

 無数の意識が集合し、一つの概念を形取っている。時代から取り残された遺物を葬るものであると、神秘殺しの神秘となって異界法則を成立させている。

 

 一つ、この固有結界の特殊なところを上げるとすれば。

 その成り立ちに"他人の思想"が骨子として存在する事だろう。

 

 固有結界とは、自身の内面が持つ形を現実に具現化する業。

 基本、それは個人の内で成立するものだ。心象世界という他者の介入の余地がない場所で、そうなる事は必然とさえ言える。

 だというのに、この地獄の成立は個人では果たし得ない。第六天魔王・織田信長へと向ける人々の畏敬や憎悪こそ顕現の大前提である。

 たとえ魂が炎獄の形をしていたとしても、神秘を滅ぼす地獄という属性が与えられたのは、間違いなく自分以外の意識があってこそだった。

 

 彼女は『魔王』を名乗る者。

 我が身へと集まった幻想をも支配する王の名だ。

 思想に影響される事なく、あくまで純粋な力として。理に適う熱量の使い方は、そのまま彼女の有り様にも表れているだろう。

 

 ならばこそ、ここで一つの仮説が出来た。

 人々の負の念を薪にして燃え盛る地獄、それをただ"出力"と捉えたならばどうなるのかと。

 

 地獄の有り様が変化していく。

 器の外に具現化していた心象世界が、器の内へと収束していく。

 神秘を滅ぼし、神をも殺すとされる異界法則。その属性さえも捨て去って、単純明快なエネルギーと化して注がれているのだ。

 

 前述した通り、この世界は"善くないもの"だ。

 集まる意思は王への怨みで溢れている。殊勝に協力しようとする意識など皆無である。

 それも当然、己を虐げてきた者に進んで手を貸す輩はいない。機会が巡ってくれば躊躇う事なく牙を剥く。

 道具の型に嵌められて、散々に利用されてきた憤りも含めて、器へと注がれた意思の群れは我が意を得たりと暴れ狂った。

 

「ぐ、ぬぅ、お、おおお……ッ!!?」

 

 熱さがある。苦しさがある。嘆き、怨み、呪う思いを止められない。

 地獄にくべられた魂たちが受けてきた絶望。それらを取り込む結果として現れたのは、苦痛の共有だった。

 これが己の為してきた所業。人々に課してきた滅び、その返礼を受けている。

 悪なる者は知るだろう。自らの罪の重さを、与えてきた苦しみの辛さに、矮小な魂は自尊など放り出して許しを請うだろう。

 

「――うつけどもめが!」

 

 されど、ここに在るは単なる惰弱な小悪党に非ず。

 革新とは淘汰の果ての創造だ。己の道が血と骸で築かれるなど、初志の時から分かっている。

 彼女は折れない。苦しみにも罪の重さにも、王たる者の矜持に懸けて屈しないと謳い上げる。

 

「是非も無し。我が覇業に流血の犠牲は必定である。どんな甘い戯わ言で睦ごうとも、踏み敷かれた道の途上は幾万の屍が積み重なっておるわ。

 怨み言など、知らぬ聞こえぬ煩わしいぞ。こんなことは人類が欲を手にした時より定まっておること。今さら思い煩ったところで何になろうか。

 こんな痛み(もの)さえ背負えぬ覚悟ならば、そも英雄の道など選んでおらんわ!」

 

 織田信長という英霊の闇を、アーチャーは一身に引き受ける。

 向けられる負の感情さえも我が身の武器と変える『魔王』。苦悶と引き換えに地獄の幻想さえも身に纏い、ついに己の衣として新生させた。

 

 固有結界の内部展開。

 現実を侵す異界法則を、自らの器の内に閉じ込める。

 それは秘奥に達した者たちにとって、世界の修正から逃れる手段の一つ。

 心象風景という異界を具現化すれば、元の形に戻ろうとする世界の反発を受ける。必然、維持のためには術者に激烈な魔力消費を強いるのだ。

 自分自身という器の内、異法を閉ざして流出させなければ、修正力は最小限に抑えられる。同時にそれは、現実と異なる法則を我が身に渦巻かせる事でもある。

 かつて原初生命の系統樹たる混沌を体現させた魔術師がいたように、自らの心象風景によって己自身を異形の存在へと変質させる魔技であった。

 

「――――魔人炎装・第六天魔王波旬!!」

 

 世界を覆っていた地獄はもはや無い。

 紅蓮の業火はその一片まで器へと注ぎ込まれ、今や内界で渦巻く炉心と化した。

 ここに在るは大焦熱地獄の具現にして化身。獄炎と一体となった焔の魔人が降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 圧倒的な力を振るったバーサーカー。

 英霊の域すら隔絶する性能。世界と接続する能力にして特権。

 相性の取れないアーチャーにとって、それはあまりに最悪の天敵だ。本来であれば成す術なく、勝利の可能性など一片もありはしなかっただろう。

 

 そう――可能性などあり得なかったはずなのだ。

 

「オオオオオオォォォォォォ――――!!!!」

 

 朱の魔力を迸らせる爪と、火炎に包まれた刀とが鍔競り合う。

 拮抗は一瞬、即座に魔爪の勢いが炎刀のそれを上回る。それは出力において、未だにバーサーカーの方に軍配が上がる事の証左である。

 されど、上回る力に抗ってこその人の技。魔爪の勢いから身を逸らし、横を抜けるような動きで一閃を見舞う。

 それは身を撫でるような一撃だ。傷は浅く、人外の超抜能力が即座に復元を果たす。しかしながら、()()()()()()()()に傷を受けた事も確かであった。

 

 一合、また一合と、応酬は絶え間なく、流れは一方に天秤を傾けたものではない。

 互角、そう互角だった。最悪の相性を持った天敵を相手にして、アーチャーは真っ向勝負という土俵の上で渡り合っていた。

 

 自らの固有結界である『第六天魔王波旬』の自己内部展開。

 魔術師ではないアーチャーがそのような芸当を可能としたのは、彼女の固有スキル『魔王』を最大限に活用した結果である。

 存在に着色された魔王の幻想。無辜の怪物とも似て非なるそれは、アーチャー自身の人格に一切の影響を与えることなく、魔性としての力の発揮を可能としている。

 内界で燃え盛る地獄は、さながら大焦熱という名の魔力炉心だ。魔王という幻想概念を核として、怨念をも出力に変える焔の魔人への変革を実現させている。

 

 神秘を砕き、神を殺す特効性、その優位をも度外視した出力強化。

 特効が望めないなら、いっそ無いものとして棄て去ってしまえばいい。

 余ったリソース分まで自己強化に当てた魔力運用。逃れられない弱体化の重力への対抗策は、()()()()()()()()()()()()()という力押しだった。

 

「まったく、ようもこんな真似を思いつくものじゃ。まして理屈では思いつけても、それを実行に移さんとする者などそなただけじゃろうて」

 

 言うまでもない事だが、それは本来の運用方法とは異なるものだ。

 決戦に向けて急ごしらえに用意した今回の策。当然ながら無理の代償は存在している。

 異界を自己のみに限定する事で、その意義である世界からの修正を最小限に抑える事には確かに成功している。しかしながら強化のために必要とされる魔力量はそれさえも上回っていた。

 炉心の火を燃え上がらせるため、際限なく求められる魔力という燃料。圧倒的な実力差を覆すには、火にくべる燃料は幾らあっても足りない。

 所詮は力押し、無理で道理を越えるにはそれだけのものを要求する。バーサーカーに対抗している焔の魔人は、その実いつ燃え尽きてもおかしくない火の玉だった。

 

 燃料の魔力を賄うのは、当然ながらマスター自身の魔力である。

 限界を超えた供給量に、回転する魔術回路は熱暴走を起こしたように融解する寸前だ。

 並の魔術師ならばまず耐えられない。まともな者なら試そうとさえしないだろう。己という薪を火の中へと投じていくような、精魂燃え尽きるまで燃焼していく決死行。

 

「ふふ、はははは、あーはっははははははははァッ!!!!」

 

 そのような無謀を通り越した所業を敢行しながら、甘粕正彦は笑っていた。

 これしきがどうした? 熱さが、苦痛が、今にも崩れ落ちそうな喪失感が何だという?

 理性は限界を叫んでいる。本能は不可能だと訴えている。そのような己の中の弱音の一切合切を、取るに足らぬと一蹴した。

 まさしくこれは窮地、越えるべく訪れた逆境。今持てる力だけでは足りない。限界を突破して覚醒しなければ未来は無いのだと理解した。

 

 瞬間、現れた現象は道理に反したもの。

 崩れ落ちそうだった脚が、骨子を取り戻して立ち上がる。

 既に底が見えかけていた魔力が、再びその供給を再開した。

 限界だったはずの魔術回路。融け落ちる寸前だったそれを、新たに別の回路と繋ぎ直すことで補強。

 既に目覚めている分も、霊子の奥底で眠っていた分も、この瞬間に叩き起こされて最大効率で稼働し始めた。

 まるで孵化のようだ。甘粕正彦という意志に突き動かされ、人のあるべき殻を破って常識外れの現象さえも現実に変えていく。

 それは電脳体に刻まれた、人間としての情報限界からの"超克"だ。精神の情熱が、魂という本質の方向性が、肉体という器までも更なる高みへと導こうとしている。

 

 思いの力が成し遂げる奇跡。されど無論、思い一つでここまでの事を実現出来るはずもない。

 意志とは起爆剤、積み上げてきたものを糧にして、人が現状からの飛躍を果たすスイッチだ。

 歴史を持たない信念など、吹けば飛ぶような張り子の軟さだ。一時の感情だけで大事は成せない。その思いを絶やす事なく継続してきてこそ、初めて強さというものは得られるのだ。

 

 甘粕正彦は"努力"をしてきた。

 真面目に、怠けず、信念を持って。恐らくは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 積み重ねてきたものは存在している。そう、それこそこの世の"誰よりも"。強者故に本当の苦境とは無縁であった生涯で、それらは発揮の機会を得られず器の底で眠っていたのだろう。

 そして、遂に訪れた逆境に、積み重ねた努力が本懐を果たそうとしている。意志の起爆剤が眠れる力を呼び起こし、この現状を打破してみせんと猛烈な奮起を見せていた。

 

 甘粕は人の意志を愛している。

 試練によって呼び起こされるその輝きが愛おしくて堪らない。

 子供のように純心に、望んでいるのはそれだけだ。だから苦痛なんてものよりも、喜びこそが何より勝る。

 そんな"楽園(ぱらいぞ)"を我が身で体現出来ている事、この一分一秒という瞬間が嬉しくて仕方ないのだ。

 

「もはや言葉も聞こえぬか、この大うつけめ。ああ、是非も無しじゃな。ここまできたならこのわしも、そなたのうつけぶりにとことんまで付きおうてやるわ!」

 

 蹂躙する魔爪の一撃を、焔の剣閃が弾いて流す。

 受ける威力に逆らわず、舞うような動きでアーチャーは後退。

 刹那、空間を包囲する種子島の群。その運用に停滞はなく、展開とほぼ同時の一斉射。

 逃げ道を封殺する全方位攻撃(オールレンジアタック)。燃え盛る業火を込めた弾丸は、相性を捨てた純粋な威力においても通用する。

 焔の銃弾が、白いバーサーカーの身を穿つ。貫くまでには至らず、即座に再生してくるが、以前のように全てを無視して進めるほど軽くもない。

 

 戦力比を見るなら、未だ上をいくのはバーサーカーの方だろう。

 しかし、両者の間にある格差は、もはや背も追えないものではない。

 少なくとも、その脚に手をかける程度までは迫っている。容易ではない、覆し難いと呼べる壁は残っているが、不可能と呼ぶほどではない。

 バーサーカーが振るうのは、怪力や異能、常識外れの再生力といった怪物としての超抜能力。アーチャーが振るうのは、人間としての技術と武器、練り上げられてきた知恵の数々。

 それは綱渡りのような勝ち筋だろう。展開一つ違えば呆気なく破綻しかねない。渡り切るのは奇跡と称してもよいか細い糸だ。

 されど、英雄の怪物退治とは、元よりそうした奇跡を掴み取るもの。存在の格で圧倒的に勝る相手を下すからこそ、彼らは英雄の称号を得てきたのだから。

 ならば進むまでだろう。無理も無謀も百も承知、確実な勝利の理など無いが、マスターもサーヴァントもそれに挑む気概は共通している。

 

 燃え盛る焔の体躯は、主従の勇猛な闘志の猛りを具現するが如く。

 魔人と化したアーチャーは、白いバーサーカーに挑みかかっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして崇拝する信徒にとって、その光景はどのように受け取るべきものか。

 

 迫られている。

 神と、唯一無二の真理と見惚れた存在が。

 決して届き得ないはずの凡百の英霊に、彼の至高が脅かされている。

 

 それは信仰を拠り所とする者にとって、悪夢にも等しい光景だろう。

 神とは絶対の象徴だ。信ずる者の、侵されてはならない精神の支柱。

 それこそ自らの命と引き換えにしてでも護らねばならないもの。過去に幾人もの殉教者たちがいたように、人は精神の安らぎを肉体の安寧よりも優先してきた。

 

 白いバーサーカーが、偽りなく臥藤門司にとっての"神"であるなら。

 この光景には怒りを抱くべきだ。信ずる神に仇なす背信者に向けて、憤怒を込めて排斥を叫んで然るべきだろう。

 

「これも道理であろうな。志を同じくする者が手を取れば、斯くも強さを発揮するか」

 

 だというのに、ガトーの声に怒りはない。

 むしろその面持ちには、得心がいったというような静けさが浮かんでいた。

 

「我が声は、未だ女神に届かず。その御心も知れぬまま。

 未熟なり、臥藤門司。如何な祈りとて、届いておらねば意味など無いというに」

 

 狂乱に染まる白いバーサーカーだが、初めからこうであったわけではない。

 始まりは地上で果たした邂逅の折、その時にはサーヴァントという型の縛りは無かった。

 月で召喚された他のサーヴァントとはそこが決定的に異なっている。元より彼女は英霊ではない。過去の情報の再現ではなく、現実に存在している歴とした生命である。

 

 今も色褪せる事なく思い出せる。

 挫折と絶望の果て、怒りのままに挑んだヒマラヤ山脈での苦行。

 氷雪の白に覆われた世界で、尚も白く燦然と輝く姫君との邂逅を。

 

 極寒の環境で生死の境を彷徨い歩く中、邂逅の瞬間からガトーには理解できた。

 人のカタチをしていても、この存在は人ではない。周囲の環境をまるで意に介しておらず、むしろそんな自然と溶け込むように共存する、大いなる何か。

 直感だったが、ガトーは悟った。これは自然と密接な繋がりを持つ存在、人の雑念が入り込む余地など無い純粋なるものなのだと。

 

 瞬間、ガトーは総てを打ち明けていた。

 目の前の大いなる存在に対して、己の矮小な迷走の何たるかを。

 答えてくれるかは分からない。こちらを見ているかも定かではない。

 あるいは相手の不興を買って、この命を散らす結果となるかもしれない。

 仮にそうなるとしても、構わない。ただ今は、きっと奇跡にも等しいこの邂逅を、無為なものにして終わってしまう事の方が、何よりも耐え難い事だった。

 

「おまえの問いに意味はない。

 罪も、神も、人が定義のために用いる言葉である。

 そも、世界とは人理に従うのでも、人情に流れるのでもなく、ただそう在るもの。

 人の有り様とて変わらない。自らを善とも悪とも捉えようと、結局人は人として在るだけだ。

 許すも何もない。そのように在る人もまた、この世界の一部であるのだから」

 

 淡然と無慈悲に、超然と揺るぎなく、冷淡な無機質さで。

 人の罪業を巡った迷走への答えとして、ただ人とはそう在るものだと。

 人に怒るでも否定するでもない。世界の代弁者たる白い姫君は、当たり前の事を語るように人間の存在を"容認"していた。

 

 その時に感じた感動を、言葉にするのは難しい。

 世界は人類を拒んではいなかった。自らの種の一部として認めてくれていた。

 それはなんて"祝福"だろう。証明できなかった人類の罪の是非を、ここに何よりも揺るがない"基準(せかい)"が定めてくれたのだ。

 我々はもう許されているのだと。母なる地球(ほし)は、ただ在るがままに人の所業を受け止めて見守っているのだと。これぞ真理と悟ったことに疑いはない。

 

 ――月に昇って以来、白い地球の姫君は何も応えてはくれない。

 

 それを不満とは思わない。むしろ甲斐があるとさえ思った。

 女神が応えてくれないのは、己の功徳が足りないから。これぞ己が天上の境地に至るための最期の試練だと受け取った。

 決意と信心でもって進み、勝利の頂きへと至った先でこそ、神は祝福を賜ってくれる。その時の微笑み、聞かせてくださるだろう美声こそ戦いに赴くに足る理由だと信じていた。

 

「おお、しかし、神はまことに勝利を求めておいでだったのか?

 我が祈りも、人々からの信仰も、御身より求められたものではない。

 そも、御身が何を望んでおられるのか、愚僧(オレ)はそれさえも理解していなかったとすれば」

 

 憧れとは、理解からは最も遠い感情であるという。

 その言葉を真理と捉え、絶対たる原初の神性として奉り上げようとした。

 それはガトーにとって考えられる最大の敬意。だが、果たしてそれは、未だ答えを返さない女にとっても望んだ事であったのか。

 

 女は、神ではない。

 法則の擬人化という泡沫の幻想ではない。星という現実に根差した珊瑚。

 出自に近しいものはあれど、その存在は真逆とさえ呼べるほどに別種のもの。

 神と崇める事、人々に真の神として奉られる事、その真実を知るのなら何と皮肉な勘違いであるだろう。

 

 神という価値観を追求した求道僧と、神と等しく在りながら神ではない原初の女。

 彼と彼女は、互いに相手のことを見ていても、きっと映っている世界が違っていた。

 

「御身こそは唯一無二。この世に超然と君臨させる原始の光。

 なれど、元より欠けるところの無き身であれば、望むものもまた存在しない。

 孤高なる御身には、小生の祈りさえ無用の長物でしかなかったということか」

 

 それがガトーにとっての不明。自らの戦う目的そのものに、その戦い自体が求められていなかったという始まりからの掛け違い。

 最初から意味なんて無かったのだと、命を賭しても信念に懸ける男にとって、それは最悪の絶望のカタチだ。

 どんなに折れない支柱でも、突き立つ土台を失えば崩れるように。強く張り詰めているからこそ、折れてしまった時の衝撃は比例して大きくなる。

 

 人によっては、何を当たり前な事をと言うかもしれない。

 けれど、そうではない。たとえ他人から見れば明らかに見えても、当人にとっては違うのだ。

 その思いが強くて、純真であればこそ、他が見えなくなってしまう。それが狂気という感情で、人間が持つらしさでもあるだろう。

 狂気が純粋であればあるほど、挫折の念は深くその信念に縫い付けられる。いっそ気付かないままであればと思うのも、自然な心の動きと言えるだろう。

 

 誰しも、真面目に取り組んで積み重ねてきた事を、容易く放り出す事は出来ない。

 思いの深さが、どうしても無意味さを否定したがる。感情の動物である人の、それは拭えない悪癖だ。

 それはどんな英霊であっても同じ。強い信念に殉じて生きてきた"人"である彼らだからこそ、自らの生き方に縛られるものだから。

 

「ふ、はははは、ふははははははははははァァ――――!!!!

 委細承知!! ここに臥藤門司、我が身の過ぎたる所、及ばざる所の一切を戒めた!

 これぞオラクル! 愚僧(オレ)の菩提樹であり、舞い降りたるジブリールなり!」

 

 故に、()()()()()()()()()()()()()

 自らの過ちを認め、生き方の是非を認識し、その上で新たな道を歩き出す事は、誰しも出来る容易い行いでは有り得ない。

 

「神よ! 御身が我が祈りを必要とされぬのであれば、小生はそれを承ろう。

 御身は無欠、故に求める心をお持ちでなられない。が、あえて不遜に物申すのならば、それは無知が故の無欲であると指摘いたそう。

 それほどに人に近しいカタチをお持ちだというのに、人の有り様を知らぬ。それこそ不自然だと言える姿ではないか!」

 

 最初の邂逅、あらゆる都合を排除して、ありのままの思いを述べるなら。

 己は彼女に、人から遠ざかったままで居てほしいと願ったのではない。人に近付いてほしかったのだ。

 ヒトのカタチを持ち、純白の世界で超然と在る白き姫。その存在を奇跡のようだと感じながら、同時に傷ましさも覚えていたから。

 それだけは自分の中にもある真実。たとえ次の瞬間に滅ぼされるかもしれずとも、逃げ出そうとせずに言葉を交わそうとしたのは、ただ放っておけないと思ったからだった。

 

 互いの世界が違うなら、まずはその世界から近づけよう。

 結果として彼女が何を思うのかは分からない。良い事なのか、悪い事なのかさえ定かでない。

 それを決める権利は自分には無い。その判断は、生じた彼女の心が決めるはずだから。

 

 少なくとも、ヒトに近しく心という機能を持てる彼女なら、

 星という環境に合わせて機能するばかりでなく、自身の思いを軸に成長する選択も、きっとあるはずだと信じていた。

 

「不純なり! 不徳なり! 万物、ただそのように在れかし。小生が何を加えずとも、御身という黄金は既に完成していたのだ!

 おお、原始の女よ! 汝は、大雑把に美しい。あの日、仰ぎ見た至高の御姿を、今ここに再臨せしめん!」

 

 己の中の矛盾と向き合い、目を逸らさずにしかと答えを出す事で、自身の闇を克服する。

 それは仏教にも通じる教え。覚者が菩提樹の根元で開いた、悟りへと繋がる道だ。

 ここにガトーは一つの解脱を果たす。新たに骨子を入れ直した信念はより強固に、迷いの一切を振り払って進み始める。

 

 大筋の目的は変わらない。

 聖杯を手に入れる。万能の杯の力で以て、人々に原初の女神を認識させる。

 その上で、女神へと窺いを立てるのだ。そうして得られた人々との繋がりに、果たしてその心は如何なる思いを抱くのかと。

 返されるのは是か、それとも否か。いずれにせよ、答えがあるのは間違いない。ならばそれを戦いの意義として奮起する事に異議など無かった。

 『この女性(ヒト)と言葉を交わしたい』。その思いこそが望みの原点、臥藤門司の願いの始まりであったから。

 

 余計な空想など、それこそ人の都合の愚かしさに他ならない。

 至高と魅せられた姿、そこに理想の完成を見たのなら、それを信じ抜けば良かったのだとここに悟った。

 掴んだ意義と新たにした決意を胸に、己の気付きを実現するべく、ガトーは奇跡の権利を行使した。

 

「この手にありし"令呪"をもって乞い願おう! 真なる御身を、神々しき原始の玉体を顕し給え!」

 

 令呪。三画のみのサーヴァントに対する絶対命令権。

 聖杯戦争の参加証でもあるその権利は、可能不可能、意思の有無さえ飛び越えてマスターのくだした命令(コマンド)を実現させる。

 払われる代償は命の綱。実質は二回のみ、三回目には文字通り自らの命脈を断たなくてはならない奇跡の実行権。

 消失する一画。ガトーの望んだ奇跡が、ここに現実となって顕現する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず、ガトーの祈りが届いていなかったというのは、少しばかり語弊が伴う。

 たとえ勘違いでも、その影響は確かにあった。主に悪影響という意味合いだが、臥藤門司というマスターからの"思い込み"はそれだけの力があったのだ。

 SE.RA.PH(セラフ)の情報世界においては、伝説、伝承といった幻想が真となる。頑迷な信仰はそれ自体が真実に匹敵する強度を持ち、元の形させも歪ませた。

 

 曰く、その存在の起源とは"月"にこそあったという。

 

 かつて存在したとされる朱い月の王。

 その存在をモデルとし、地球が自らの触覚として創造されたモノ。

 星自身が複数持つという自衛手段の一つ、神代より独立した人類を律するため、物理世界にも対応した生物化された精霊種。

 其れの名を『真祖』という。真なる不老不死、始まるに在る吸血種。もはやムーンセルによる創作とも囁かれるほど、その真実は遠い彼方に追いやられている。

 

 明確なのは、彼女が地球側に根ざした精霊種だということ。

 再現された写し身(サーヴァント)ではなく、地上よりこの月に招き入れられた存在。

 人に非ざる者としてサーヴァントと登録され、課せられたクラスによって枠組みの範疇に収められたが、彼女の存在は厳然と在るものだ。

 地球と繋がった真祖である彼女は確かに"居る"。令呪によって求められた奇跡の履行は、本来に在るべきカタチとして彼女を再臨させた。

 

 そこに君臨するのは、純白のドレスに身を包んだ姫君。

 靡かせる黄金の長髪、双眸に輝くのは色濃い宝石が如き"深紅"の瞳。

 当て嵌められた狂戦士(バーサーカー)の束縛も、既に無い。誤った信仰の呪縛から解き放たれた面貌には超越種としての無情さのみが醸し出されている。

 無慈悲に、超然と、ただそこに在る真祖の姫。人のカタチに極めて近く、人という枠組みより隔絶した精霊の王が顕れた。

 

「こ、れは……ッ!?」

 

 アーチャーが感じたものは驚愕と戦慄。

 その存在を眼にした瞬間、心には畏怖が満ちて、本能からは恐怖が浮かび上がる。

 それは遥かな高みに在る絶対者を前にした反応だ。人の上位者として創造された超越者には、たとえ英霊といえども畏れの念を免れない。

 

 更に、単なる感覚のみならず、変化は実際にも発生している。

 ここまで散々に苦しめられた地球環境化(テラフォーミング)。地球側に置き換えられた重力法則による弱体化が、ここに来て消失していた。

 人の怨嗟と畏怖を集め、形を為した焔の魔人。重圧から解き放たれた今こそが本領を発揮する時であり、体現する業火の圧力は最強格のサーヴァントにも劣らない。

 

 だというのに、勝利へと繋がる実感はそこには無い。

 理由は単純にして明快。如何に魔人がその力を取り戻しても、対峙する存在がそれ以上の強大化を果たしていたのだから。

 スキル『原初の一(アルテミット・ワン)』。星の触覚である真祖が、そのバックアップを受ける事で相手の力を確実に上回り、殲滅のための適切な力を与えられる。

 元より『血の姉妹』とは、この異能の代替品に過ぎない。敵の弱体化を狙うなどという邪道ではない、自らをより強大化する強者の王道こそ、本来あるべき形だった。

 

 重圧からの解放は、即ち最強たる真祖の姫君の帰還でもある。

 もはや姫君を妨げるものは何も無い。よって本来の異能もまた、その本領を遺憾なく発揮された。

 

 ――空想具現化(マーブル・ファンタズム)

 自然の触覚である精霊が持つ能力。自己の意思を世界と直結させ、局所的な因果干渉によって望んだ空間になる確率を引き寄せる。

 世界を思い描く通りの環境に変貌させる。幻想によって現実を幻想足らしめる、自然現象として有り得る範囲であれば万能にも等しい異能である。

 顕すのは暴虐なる天災の意思。正義も悪もなく、万象総じて等しく呑み込む大自然の破壊事象が、対峙するたった一個の存在を滅ぼすために解放された。

 

 故に、対峙している者は悟らざるを得ない。

 これは勝てない。勝てる道理がない。

 エネルギーの桁が違う。星が持つ質量に、個人の意志が勝るなど有り得ない。

 道理を知るからこそ、先の結論への理解も早い。自らの敗北がもはや必定であると、アーチャーは理解してしまった。

 

 打てる手立てなどあるわけもない。

 どうしようもないと早々に受け入れたから、その心も平静を保っている。

 無念であるが、それも是非無し、と。業火である我が身とは対照的な冷めた結論と共に、アーチャーは敗北の運命に膝を屈して――――

 

「立てぃ、アーチャー!

 諦めるな、まだ終わっていない!」

 

 折れようとしていた意志を支えたのは、豪気に轟く快活な声。

 それは灼熱にして鋼の闘志を持つ勇者の声だ。如何に巨大な壁が立ちはだかろうとも、不撓不屈を貫く勇気の灯が、諦観に沈みかけていた心を光で照らし出した。

 彼は、甘粕正彦は折れていない。たとえ英霊であるアーチャーが諦めても、光を奉じる益荒男は何も諦めていなかった。

 

「下など向くな、前を見ろ!

 死地にあり、絶望に浸されて、それでも立ち上がるのが"英雄"である!!

 たかが"強さ"だけを目の前にした程度、心に懸けた思いは屈しはしない!!」

 

 世界と同化した真祖の姫、その存在は紛れもない"絶対強者"だ。

 彼女の力を上回ることは、何をどうしようとも有り得ない。どれだけ無理を押し通そうとも、強さという上限では頭打ちが見えている。

 故に、ここまでだ。焔の魔人、固有結界の応用展開、知恵を絞り、出せる手段を出し尽くしたアーチャーの強さは、今ここにあるものが全てだと。

 

 しかし、ならば諦めてしまうのか?

 相手より強くなれないから、自分の方が弱いから、勝利と敗北は決してしまうのか?

 いいや、否。英雄の強さは、単なる出力の上限ばかりでは断じてない。弱いから勝てないのではなく、弱いからこそ勝てる道筋を探し当てるのだ。

 人はそれを奇跡と呼び、偉業と呼び、英雄譚として語り継ぐ。己の弱さを知りながら、強者に立ち向かう奮起の意志こそ、勇気と呼ばれる輝きだから。

 

 いざ、勝利をこの手に、望んだ未来(ヒカリ)を掴むため。

 雄々しくその手を振り上げて、奇跡の権利を甘粕もまた行使した。

 

「令呪をもって告げよう。凌げ、アーチャー! 道は必ずや拓かれる」

 

 その手の甲の三画より一画が消失する。

 命じるのはただ一言、"凌げ"と。打ち勝てとは言わず、この一時のみを耐え凌げと告げた。

 命令(コマンド)はシンプルなほど効力を発揮する。ただ生き繋ぐ事だけを命じられたアーチャーは、この一撃への耐久に限り爆発的な恩恵をもたらされた。

 

「……まったく、この稀代のうつけめが。何が魔王なものか」

 

 刀を構える。銃火の群が列を為す。

 相手は世界そのものという規格外。勝算の無さは承知している。

 だが、もはや諦観は無い。再熱した闘志を滾らせて、焔の魔人は自らの炎で燃え盛った。

 

「勇気を焔と燃やし、勝てぬ大敵へと挑んでいく。こんなもの、御伽噺に伝わる勇者の所業ではないか!」

 

 らしくない己の姿を皮肉に思い、アーチャーが叫ぶ。

 しかし言葉とは裏腹に、その波動は猛る意志に合わせて増すばかりだ。

 

 型を破れ。新たな自分を探してみろ。でなければ二度目の生の甲斐がない。

 言われた言葉を思い出す。慰労のための場で、尚も試練を求める呆れた性分。

 こうなる顛末を予測できたわけでもなかろうに、こうしてらしからぬ己を晒す羽目となった事実に、アーチャーは知らずと笑みを浮かべていた。

 

 元より、人とは変成を繰り返していく生き物だから。

 魔王と呼ばれた過去の罪業も、今この時だけは置き捨てて。

 輝ける意志の熱量で燃え盛る焔の勇者として、アーチャーは"絶対"へと挑みかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 超自然の破壊とぶつかり合うアーチャーの焔。

 まさしく規模が違う。世界と呼ばれるまでに膨れ上がった空間干渉に、一個の存在まで凝縮した異界法則。衝突よりも、呑み込まれるといった表現が正しい。

 それはまるで天災の放流の中で抗う人の姿。焔そのものと一体となったアーチャーは、まさしく斯くあるべき人間の姿勢で以て立ち向かっている。

 

 『空想具現化(マーブル・ファンタズム)』と『固有結界(リアリティ・マーブル)』。

 どちらも自由自在でありながら制限を持つ、似て非なる異界創造の法。

 二つの法則に明確な優劣はない。各々に及ぶ所と及ばざる所がある。余計な理屈を付ける事こそ無粋というものだろう。

 ここで問われるのは規模と出力。その差は比較することさえ馬鹿馬鹿しい。星という規格外に対し、個人が打ち勝つ事など無謀が過ぎる。

 それでも対抗を可能としている要因は、密度の違いにある。拡大した干渉範囲に対し、自身という器にまで収束させた法則は、外界からの干渉を許さない。

 令呪の恩恵と合わせ、アーチャーを存続させる生命線だ。無理を通して貫かれる抗いの意志を絶やさない限り、この拮抗は終わらない。

 

 そのように闘志を振り絞るアーチャーの陣営と対峙しながら、真祖の姫に感情の揺らぎはない。

 張り付けた無情は変わらず、自らの力さえ撥ね退ける雄々しさにも反応を返さない。

 そこには自意識というものが欠けていた。狂化の枷より解き放たれても、未だに彼女の心は微睡みの内にあった。

 

 表には出てこない、微睡みに沈む微かな心。

 まるで画面越しの映像を見るかのよう。自分自身の事を他人事のように見守っている。

 そんなか細い意識の底で、彼女はふと考える。はて、いつだったか自分は、あれとよく似たものを見たのではなかったか?

 

 心の機能を持ちながら、心の活動を不要とした存在。

 己の存在に課せられた役割に沿って動くだけ。必要が無ければ動かず、生涯の大半を眠りの中で過ごそうとも構わずに。

 確か、そんな自分を壊そうとした者がいたような。『永遠』にやたらと固執した、よく分からない理由で自分の前に現れた、誰か。

 渇望や執着、そういった言葉で表される動機が実感できない。所謂未知であったから、そこに止まっていた心に小波を立てられた覚えがある。

 

 目の前で起きている現象も、性質は違えども種類としては同じだろう。

 何か一つの事を追い求める感情の行動。理に沿った役割ではなく、個体として主張する自己欲求の発露。

 それは自然の観点からすれば無意味なもの。全は一に、一は全に。循環する生命のサイクルこそが自然というシステムの真理だ。

 そこに個人など必要ない。過剰に発達した自我性は、全体の営みまでも崩壊させてしまうから。大いなる循環の中では死とてその一部に過ぎない。

 それでも人間とは各々の個人性こそを最も進化させた生命種だ。故にその在り方を否定せず、真祖を始め彼らを律するための機構を造るまでに留めてきた。

 世界の触覚として、大本が下した判断がそれ。けれど同時に、そこには彼女自身の意思もある。人間の似姿として、人と同じく個体として行う思考だ。

 眼前に在るものは敵。滅ぼすべきものであり、そのために力を振るうという判断を下している。それだけの事のはずなのに、何故か揺さぶられるものを感じてもいる。

 

 ああ、そういえば、自分はそうしたものに動かされていたような。

 今もこうして従っている人間にも、同じものを感じたから。

 与えられる知識には無い未知。故にそこには好奇が生まれた。自分の中にある概念だけでは賄えない何かがあると感じたから、空っぽの器に入り込んだ

 無駄なものだと知っている。なのに、それを嫌いになれない。その気になれば払い除けるのも容易いのに、受け入れている今がある。

 

 それはきっと、"あの人"との出会いと同じでもあったから――――

 

 終わりは、唐突に訪れた。

 猛威を振るっていた超自然の世界干渉。

 まるで幻想に引き戻されるように、その力がこの場より消え失せていた。

 

 もしもここが地球であったなら、彼女は真実磐石であっただろう。

 しかし、ここは月である。物理法則の上に築かれた大地ではなく、情報の海に揺蕩う虚構世界。

 現象の再現にも限界はある。自然現象の一部である故に反動を受けないはずだった『空想具現化』は、この月では固有結界のような抑止の対象として見做される。

 許された奇跡は一時のみ。君臨する白き真祖の姫は、再び型枠の中へと貶められた。

 

 後に訪れるのは破壊の余韻。

 干渉から解かれた空間は元の法則を取り戻し、天災に覆われていた光景が露わとなる。

 広がるのは蹂躙の跡。超絶の破壊に晒されて、その存在を保つ事など有り得ない事だと疑いようはない。

 

 されど、ここに道理を覆せし者がいる。

 蹂躙の跡より飛び出した一塊の焔。魔人たるその姿を見粉うはずもない。

 業火を纏い、刀をその手に携えて、アーチャーはそこに健在だった。

 

 度重なる酷使に内部構造は崩壊寸前。

 本来ならば停止して然るべきところを、気力一つで強引に再起させる。

 これ以上は破滅にも繋がると自覚しながらも、アーチャーは駆ける脚を止めようとはしない。

 

 迫り来るアーチャーに対して、白い真祖は動けない。

 彼女もまた、無理を押した本領の発揮によって齟齬をきたしている。

 超越種足らしめる異能の数々。それらの力の総てが、この瞬間にあっては喪失していた。

 齟齬より復旧するまでの、この戦いで唯一見せた女の間隙。ここを逃せば勝機は失せる。それを承知するが故に、アーチャーは無理に無理を重ねながら押し進んだ。

 

 お互いに、それは限界点を超えた戦いだ。

 通常であれば戦闘不能、力尽きているはずの身体を繋ぎ止めるのは意志の力。

 まだ倒れない、まだ終われないと吐き出す気迫こそが、動かないはずの身体を動かしている。根性論とも揶揄されるそれは、しかし確かに存在するものでもあった。

 

 対し、自身の脅威が迫っていると知りながら、白い女は何も出来ない。

 理屈で為し得ないから無理だという。必要だという理由だけで、不可能を可能とするだけの原動力とはならない。

 その無理を通せるだけの理由が、彼女にはない。たとえ全てを捨てる結果になってでも、"絶対にやり遂げる"と決意させるものが何も無かった。

 

 よって、条理を覆す不条理、奮起する意志による"真正の奇跡"は現れず。

 権利によって得られた奇跡を失った女の胸を、突き出された焔の刃が貫いていた。

 

 それは、意志を持つ者と持たぬ者に分かれた明暗。

 強さにおいて隔絶した差があったはずの両者、その相関をも逆転させる意思力の有無。

 戯言のようなものだというのに、何故だか価値ある輝きを見出してしまう、人の心だけが持ち得る愚かさ(つよさ)だった。

 

 ――しかし、そんなものとは別の話で、真祖の女は斃れない。

 場面を一つの区切りと見るなら、敗北を喫したのは白い女の方だと言える。

 されど、勝負で敗けようとも、彼女は真祖。人を遥かに凌駕する超抜能力は、彼女に容易く滅びの結末を与えはしない。

 サーヴァントならば霊核を貫けば滅びるだろう。だがサーヴァントではない真祖は、たかが身を貫く刃程度で滅びない。

 アーチャーの決死の一撃は確かに届いたが、その一撃は真祖の姫の死に届き得るものではなかったと、心無い結果がそこにはあった。

 

「……否じゃ、まだ終わらぬ」

 

 故に、アーチャーはまだ動く。

 名誉、尊さ、潔さ。それら総じて、敗北という恥辱を誤魔化す戯言だと言い捨てて。

 勝てなければ意味はないのだ。勝利して、未来に繋がるものを築かなければ、あらゆる所業に価値は無い。

 革新など、成果が上がらなければ狂人の愚行と一笑に付されて終わり。その事実を誰よりも知るが故に、アーチャーは決して勝利を手放さない。

 

()()()()()。我が逸品、貴様と引き換えならば惜しくはない」

 

 気付けば、焔の魔人の姿は消え失せていた。

 そこにあるのは元の人の形を取ったアーチャー。一体化していたはずの紅蓮の焦熱は何処にもない。

 あれほどに高められた業火である。意味なく霧散するはずはなく、またそのような消費を許すアーチャーではない。

 消えていないのなら、あの熱量は一体何処に? その答えはすぐ近くに、突き立てられたアーチャーの刀、赤熱する刀身から膨大な力の波動が発せられている。

 尋常ではないその熱量は、自己容量を越えて決壊する臨界炉だ。限界値をとうに過ぎ去った魔力運用には、制御し維持しようとする意図はまるで無かった。

 

 それの使い方を、『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』、と呼ぶ。

 膨大な魔力の塊でもある宝具、その魔力をあえて暴走させて破壊力へと転換する、一発限りの爆弾へと変える使用法。

 当然、使われた宝具は砕け散り、二度と元には戻らない。英霊にとっては自らのシンボルであり、生前の生き様の結晶である宝具の、異端とも呼べる使用法だ。

 引き換えに、その破壊力だけは折り紙付きだ。宝具が自らを砕いて発動させる魔力の解放、それは元の宝具としての威力を凌駕して余りある。

 ましてやアーチャーは、更にそこへ焦熱地獄の熱量までも投入している。固有結界という炉心の中で散々に高められたエネルギー、その総てを注ぎ込まれた刀は、今やその威力のランクを数段先まで飛び越えさせた超級の爆弾だ。

 地獄を注いだ器の名は、名刀『圧切長谷部(へしきりはせべ)』。二本とない自らの愛刀を対価として、アーチャーは最期となる一手を切り出した。

 

 器を融解させながら、凝縮された地獄の業火が解放される。

 貫いた刃から放出される大紅蓮は、その身を内より容赦なく灼き尽くす。

 幻想への誉れもなく、破壊力という兵器の理のみを追求した爆裂は、されど確かに超越種たる真祖の命にも届くという価値を有していた。。

 

 故に、今度こそ確実に。

 ここに絶対者たる真祖の姫君は、一つの滅びを与えられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確かに斃れる様を見届けていた。

 慢心はない。それが許されるのは強者の側に在る者である。

 己はそちら側ではない。かつて弱者でもあった身はその道理を心得ている。

 故に、成果をその手に実感するまでは、断固として緩めない。たとえ自分がもう動けない事を理解していても、外面だけは健在を保っている。

 

 敵は起き上がらない。終わったのだと確信した。

 極限まで張り詰めた緊張の糸、僅かな弛緩でも一線は容易く切れた。

 もはや立っていられない。脚から力が抜けていく。酷使の果ての更なる酷使、アーチャーにはもはや並の人間ほどの力も残されていなかった。

 

 緩んだ思考に入り込むのは、自らに向けた皮肉の念。

 まったくよくもやり遂げたものだと、自分の行いが自分自身でも信じられない。

 道理を捨てて、感情のままに無理を押し通るなど。生前には考えられなかった在り方だ。

 

 時代が悪かった。一言で切って捨てるなら、そうとしか表せない。

 必要であったから。あらゆる行いの根底には、そんな理由にもならない理由があった。

 市を賑わす歓声も、凄惨なる虐殺も、国を潤すという観点では等価なもの。

 そこに感情の入り込む余地はない。結果として得る実利、成果という報酬で以て、革新の道理を世に推し進めた。

 雄々しく意気を吐き出して、気概と共に駆け抜ける英雄譚など、最初の段階からあり得なかった。

 

 かつての『織田信長』の生涯では出来なかった生き方。

 その一つを、『アーチャー』となった今生で成し遂げられた。そこに感慨が無いかといえば嘘になる。

 皮肉だと思いながら、同時に痛快さも感じている。そんな己の滑稽さを、しかし悪いものだとも思えなかった。

 

 倒れていく身体。支える余力は無い。

 纏っていた業火の衣も霧散して、晒している少女の裸体。

 異名とは裏腹のか細い身体。力を失ったその姿は、儚い乙女のものとしか映らない。

 

 サーヴァントとは、生前の全盛期の姿で喚ばれるもの。ならばアーチャーの少女の姿の意味とは、あるいは置き去りとしたものに残した未練であったのかもしれない。

 最も力に充実した時期を外して、あえてその姿形を取るのなら、意識でも無意識にでも当人の思いが反映されているのは道理のはずだ。

 生き方が変わる分岐点。どちらが本心であったかなど、もはや本人にさえ分からない。それでも残された思いがあるのなら、やはり行き着くのはそこなのだと。

 

 ……それは益体のない想像だ。

 真実がどうであれ、ここにあるアーチャーの事実に変化はない。

 貫いた生き方の果てに、英霊となった今がある。そこに悔恨が無いのなら是非もない。

 元よりそんな思考を続けていられるほどの余裕は無い。倒れていく我が身と共に、その意識もアーチャーは手放そうとして――――

 

 

「――――よくやった。美事であったぞ、アーチャー」

 

 

 だからそれは、ちょっと反則だった。

 余力は無くし、意識さえも手放しかけたその間際。

 身体も、心も、これ以上なく無防備であった間隙を突いて、雄々しい声はアーチャーを受け止めていた。

 

 少女の身体を支える、力強い男子の腕。

 晒されていた柔肌を、己の外套でもって手厚く包み込む。

 抱き上げるその様は凛然と揺るぎなく、余力を無くした身には全てを委ねたいとさえ感じてしまう。

 至近に迫った端正な顔立ちに、思わず己の中の"女"が疼いてしまったのも無理なかった。

 

「見届けたいよ。素晴らしい。どんな賛辞の言葉さえ足りないと思えるほどに。

 よくやってくれたと、これだけしか今は言えん。この"勝利"は、おまえが掴んだものだ」

 

 力使い果たしたアーチャーを、その手に抱く甘粕正彦。

 その雄姿は、まるで麗しき姫君を闇より救い出した勇者のそれのようで。

 

 ――このわしを、あたかも手弱女を扱うが如く……ッ!?

 

 咄嗟に顔を手で覆っていた。

 紅潮しているのを感じる。何が何だか分からない。

 まるで未通女の狼狽えぶり。もはや自分自身の事が解せなくなっていた。

 

「変わらないものなど無い。時代も、道理も、そして人も、全ては移ろいゆく流れの内だろう。

 だが、たとえ変わりゆく中でも、磨かれてきた意志の輝きは、決して色褪せずにそこにある。

 なあ、アーチャー。そうしているおまえもまた、"織田信長(おまえ)"という人間の一部だろう。不要などと、あまり寂しい事を言ってくれるなよ。

 人は、変われる。どのようにでも変われる可能性こそ、人にとって何よりの祝福だ。そしてそんな未来を掴み取ろうとする意志は、何であれ美しいのだ」

 

 魔王という恐怖の象徴も、革新という合理性を重んじた王道も。

 あるいは、選ばれなかった生き方さえも含んで、過去とはその人間の存在そのものだから。

 そんな過去があるからこそ、覚悟には質量が宿る。ここまでを歩いてきた道の行程があったからこそ、今という時に辿り着いた強さはあるのだ。

 

 その強さを愛している。

 甘粕正彦の愛は、いつだって平常運転だ。

 性質を問わず、重んじるのは意志という質量の絶対値。

 生前の在り方に反した、英霊のらしくない姿にも、彼は輝きを見出している。

 変わろうとしないのが惰性であり、変わろうとするのは挑戦なのだから。

 焔の意志を信じていた。アーチャーの、様々な変節を経た過去の歩みが、彼女の意志の強さを証明してくれているのだと。

 

 この勝利こそ、結論なれば。感情の灼熱を昂ぶらせて、甘粕は人間賛歌の祝詞を謳い上げた。

 

「こ、の、大うつけめ……ッ!?」

 

 そんな()()()()()の莫迦者の姿に、思わずそう声が上がる。

 手の内に抱かれながら、無力のままで出来る抗いなどそれくらいで。

 その紅潮を隠しきれないままに、アーチャーは男の腕に抱かれ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、勝者にもたらされる希望があれば、敗者の絶望もまた必然であった。

 

 過去があればこそ、人の意志は質量を獲得する。

 その逆も然り、過去の存在は意志の奮起を妨げる足枷とも成り得てしまう。

 誰しも過去からは逃れられない。その悟りがどれだけ素晴らしくとも、矛盾していた自らへの清算は必ずや果たさなければならないから。

 

 斃れ伏したまま動かない、白い姫君の姿。

 絶対と信じた相手だ。神だと崇め奉った存在だ。

 其こそ絶対、人の醜悪に穢れぬ真なる神性と定めたが故の信心である。その信仰を疑うことこそ不敬であり、勝利への信頼も動かなかった。

 

 故に、陥没はそこにある。

 その存在を神と扱い、恭しく従ってきたこと。

 マスターとサーヴァント。在るべき関係さえ無視した両者の間柄。

 本来の主従さえも逆転させてきたガトーは、結局最後まで"同位の視線"でもって相手と向き合う事をしなかった。

 

「結局、愚僧(オレ)の祈りは独りのものであったから。これも我が不徳の致すところよな」

 

 絶対者と信じる相手に、対等に語りかける者はいない。

 敬いながらも、分かり合う事をしなかった。たとえ間違いに気付こうとも、互いの間に空いた溝は埋まらない。

 悟りを経ても、それは独りのみで成立する強さ。絆とは時間をかけて育まれるものであり、覚醒して一足飛びで得られるようなものでは断じてない。

 

 勘違い、すれ違いと、積み上げてきた過去が今の輝きを封殺する。

 決定的な隔たりは埋められる機会を得られず、敗北という結論をガトーへと下していた。

 

「であれば、受け入れるより他あるまい。これも臥藤門司の否定できぬ行の足跡なれば。御身に恥辱を与えた咎を、甘んじて受けるのみ」

 

 下された結論を、ガトーは取り乱す事なく受け入れた。

 神という絶対の否定、逃れられない死、届かない祈りと絶望。どれも身から出た錆であると自戒した。

 因果応報、自らの積み重ねた行いとが自らに返るものである。果てに訪れたのが敗北ならば、それが臥藤門司という迷道が行き着いた解答であると承知していた。

 

 無念はある。恐怖もある。

 されど、今の際にあってそれらを抑え込める程には、臥藤門司の心は強い。

 迷走ではあったが、彼は高い徳を積んできた求道僧だ。盲信に曇らせている時ならばいざ知らず、阿羅漢と称されるにも足りる彼の精神は、死を前にも無様は晒さない。

 

「……されど、どうか神よ。今しばし、この愚僧(オレ)に時間を頂きたい。衆生を導くに値しなかった小生であるが、一つ、どうしてもやらねば済まぬ未練が出来てしまった」

 

 故に、自らの結末を拒もうとするそれは、恐れからではない。

 恐怖と呼ぶには、彼の面持ちは穏やか過ぎる。その様はまるで、入滅を待つ覚者のようだ。

 それでもガトーは、このまま潔く消滅する事を良しとはしない。彼が果たすべきと信じる事柄のため、今一時の延命の手段を行使する。

 

 ガトーの手の甲より、残っていた全ての令呪が喪失する。

 令呪とはサーヴァントへの絶対命令権であると同時に、月の聖杯戦争に参戦するための権利そのもの。

 これでガトーは、4回戦より先へ進む資格を完全に失った。もはや何をどう足掻こうとも、この場で消え失せる結末が確定する。

 しかし、ここに至ればそれも瑣末な事だろう。どの道、勝負は既に決している。その結果を覆す事が出来ないのなら、権利など意味はない。

 むしろその行動によって、ガトーの狙いが勝敗を覆す事ではないと証明された。己の死を目前にしながら、彼は生存以外の目的のために時間を欲している。

 

 令呪の行使と引き換えに、ガトーが手にしたのは"猶予"だ。

 敗者に与えられる末路、魂を焼き切る赤い隔壁が降りてくるまでの延命措置。

 敗北を覆すわけではなく、ただムーンセルからの裁決が下る時間を引き伸ばすだけ。

 一見すれば何の意味もない。徒らに消滅までの恐怖を味わう苦痛の時間。しかし引き伸ばされたその時間を、何かを遺すための機会とする事も可能だった。

 

 己の中の聖杯戦争は決着した。

 得られた敗北という結論、思うところは様々にあるが、引っ括めて善しと思える程度には、心は涅槃に近づけている。

 しかし、それだけでは自身を納得させるのみの悟り。不肖ながら救世を志した身、最期まで自分の事しか救えないとあっては情けない事この上ない。

 それが未練。唯一残った、どうしても解消されない心の膿。だからその解決のため、最期に一度だけ、純粋に誰かのためを思い導く僧としての行いがしたかった。

 それをする相手は、目の前にいる。単なる成り行きからの都合ではなく、本心からこの相手にそうしたいと願っているから、決意は翻らない。

 

 それは、サーヴァントを介する代理戦争では決して出来ない事。

 直接交えてこそ伝えられる意義がある。残された生涯を懸けた最期の説法へと臨むため、ガトーはその脚を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これにて、月の聖杯戦争の4回戦は終結した。

 星の触覚たる精霊種、真祖の姫君は革新の王を相手に敗北した。

 必敗の相性差を覆し、人の執念が生み出す力を武器にして、奇跡のような勝利を掴んだのだ。

 

 勝利者と敗北者、二つの結論は既に出た。

 その結果をムーンセルは観測し、聖杯戦争はまた一つ先の段階へと駒を進める。

 この場面で着目すべき事項は無い。全能の演算器はそう判断し、観測の眼は既に閉じている。

 

 よって、予め告げておこう。これから先は余談である。

 

 ――大勢に何の波紋も投げかけない。

 

 ――死すべき者は死に、生きる者は生きて先へ向かう。

 

 ――魔王は聖杯を掴むだろう。その祈りは些かも変化しない。

 

 ――やがて、最弱のマスターが熾天の御座へと辿り着くその日まで、試練の輪廻は廻り続ける。

 

 終幕したはずの舞台に、今一度役者が上がる。

 閉幕を惜しむ意志により、アンコールの舞台が廻り出す。

 これより始まるは即興劇。用意された筋書きが何も無いため、過程も結末も役者たちで創りあげていくしかない。

 聖杯戦争のマスターとして、サーヴァントを通してではなく、素の自分を曝け出して。益荒男たちは改めて、舞台の上で対峙した。

 

 

 





 アルクェイド戦、終了。
 またもオリジナル設定を出してしまいましたが、読者の皆さんにはどう映ったでしょう?

 とりあえず『魔人炎装』の設定、意義などを。
 相性戦特化のノッブが、全く相性が通じない敵のために編み出した手段。
 対騎乗、対神秘といった特攻性の一切を棄て、固有結界の大焦熱地獄を純粋な出力に転化する。
 スキル『魔王』の変幻自在な設定と相まって、上限の無い自己強化が可能。ただし、そのための魔力はごりごり削れていくため超燃費が悪い。
 要するに、気合いと根性でごり押しするためのスタイル、と言えば分かり易いでしょうか。

 勝負としては今回の話でほぼ決着。
 ここからは余談、正田卿作品名物の"アレ"です。


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