アンコール2は琴里の妄想士織ちゃんが一番可愛かった()
休日の五河家のリビング。
点けっぱなしのテレビの左上の数字がゼロ3つに書き換えられる時刻、食欲を刺激する香辛料の匂いが食卓へと誘う。
テーブルには、皿に盛られたカレーと付け合わせにサラダを配膳していた。
「おおー、カレーだカレーだ!」
「野菜も残すなよー」
両親が休日出勤で士道と琴里を残して家を空けているので、昼食は母が作り置いてくれたカレーとあいなる訳だが、それだけではなんなのでトマトやキュウリなどの野菜を切ってドレッシングをかけただけだがサラダも用意した。
最近こういうことが多いように士道は思う。
まあ上の士道がもう中学生なので子供を置いても家を空けやすくなったということなのだろうが、本格的に料理を覚えるべきかと考えた。
忙しい両親に手間を掛けさせることでもないと掃除・洗濯はもう士道がやることが殆どなのだが、可愛い妹にできあいのものばっかりを食べさせる生活をするのも面白くない。
「「いただきます」」
そんなことを考えながら二人で食べ始める。
「おいしーね!」
「ああ、………ってほら琴里、口の横にルー付けてるぞもう」
「むぐぐ…………えへへ。ありがとおにーちゃん」
『今日のゲストは、アイドル宵待月乃さんです!』
「ん?」
なんとなく点いていたテレビから知った名が聞こえて、士道はスプーンをくわえながら体の向きを変えた。
そこに映っていたのは、やはり知った顔。
「月乃ちゃんだっ」
(美九だな)
『圧倒的な魔性の歌声と神秘の可憐さで人気急上昇中のアイドル、宵待月乃!番組の予定を急きょ変更して、緊急生出演です!』
『ふふ。お招きいただきありがとうございますー。がんばりますねぇ』
『うーん、やっぱり可愛いですねえ』
何のきっかけかはよく分からないが、最近では持ち直して押しも押されぬアイドルの頂へと足をかけようかという勢いでメディアに露出している彼女。
スキャンダルがどうのと人の汚点の批判をしていれば真偽関係なく自分たちは正義になれると言わんばかりだったテレビの態度は一転、歯が浮くような賛辞をこれでもかと並べ立てている。
正直清々しいまでの掌の返し方に呆れる気すら起きないが、友人が苦境を乗り越え活躍しているのなら祝福するのみではあった。
「月乃ちゃん、いいよねっ!あーあ、わたしがライブ行けばよかったなー」
「お前それ何回目だよ……」
琴里もテレビで彼女の歌を聴いてすっかりファンになってしまったらしく、食い入るように目をテレビに釘付けにしていた。
と同時に、あのはっちゃけた日のライブのことを何回も思い出させるのは勘弁して欲しかったが。
「ていうか手が止まってるぞ琴里。冷めないうちにちゃっちゃと食べ――――、痛っ」
「!?おにーちゃん、また頭痛?だいじょうぶ?」
「あ、ああ。最近多い―――――あれ?」
じくりと。
耳の奥から何かが這いずっているかのように頭が疼いた。
最近の士道の悩みである頭痛――――特にテレビを見ている時に起きる。
テレビゲームのやり過ぎとかそんなことは無いと思うのだが、体質なんかもあるのかも知れない。
後に響いたり一瞬で収まったりと痛む時間もまちまちで今日は幸い一瞬で収まるもののようだったが、これ以上酷くなるなら病院に行かないと――――と、不安になっていると、五河家の来客を示すチャイムが鳴った。
『五河士道様宛に宅配便です』
「はーい――――」
インターホンで応対した士道は琴里をリビングに残してハンコを持って玄関に向かうが、ふと一度だけ振り返る。
目を輝かせながら琴里がじっと観ているテレビ。
その画面の中で、愛想を振りまく宵待月乃―――――――。
そこになにか言い知れぬ不安を覚えて。
『しどーさんへ
新曲CDの生産ロットができたので発売日前にしどーさんに試作品版を特別プレゼントです。
ちゃんときいてくださいね?
あとはクリスマスライブのチケットを同封しています。
最高の聖夜にしたいと思ってるので、しどーさんにはぜったいいて欲しいです。
来てくれないと泣いちゃいますよー?
美九より』
「………」
差出人“誘宵美九”で届いた小包に同封された直筆の手紙に、士道は色々な意味でリアクションに困った。
発売日前のCDもクリスマスのライブチケットも、急ブレイク中の人気アイドルのものとなれば喉から手が出るほど欲しいと思う人はいくらでもいるだろうし、しかもよく見れば“宵待月乃”のものだろう直筆のサインまでついていた。
このあからさまな贔屓は、そこまで仲良く思ってくれているのは嬉しい反面本当にいいのだろうかと考えてしまう。
だがそれ以上に―――――文面から感じる違和感。
国語の成績が良いという訳でもない士道にそれをきちんと説明することは難しかったが、確かに何かがおかしいと感じていた。
士道はそんなもやもやを抱えたまま、CDを機器に挿して再生し始めた。
僅かな読み取り時間の後、電子音が激しいリズムを奏で、出だしからアップテンポのイントロが終わる。
そして、美九のうタ■えga※肥―――――、
「~~~~~~~~~ッッッッッ!!!!??」
脳味噌を直接かき混ぜられているかのような、もはやどこが痛いかすら分からない頭痛が士道を襲った。
悲鳴すら挙げることもできない、聴こえてくる歌それ自体におかしなところは無いのに何故と問う余裕もない。
ただ痛く苦しくのたうつことしか出来ない地獄のような状況にもがく。
意味もなく振り回される手足をあちこちにぶつけても気にもならない、だがそれで引っかけたなにかが士道を救った。
「か―――――、ぁは…………!!?」
コードが引っ張られたことで、CDを聴こうとしていたヘッドホンが耳から外れる。
漏れてくる音からでさえ士道を苦しめるほどだが、それでも多少はましだった。
だが―――もし端子の方が抜けてスピーカーからあれが流れ始めるかと思うと背筋が凍りそうになる。
冷や汗をどっと流しながら、士道は苦しい中を焦りつつも慎重にプレイヤーの停止ボタンを押したのだった。
「はあ、く…………ぅっ!なんだ、ってんだ一体」
乱れた呼吸を整えながら、毒づく。
物音に心配して覗きにきた妹を追い返しつつも、士道はある嫌な考えが頭を掠めていた。
頭痛がするのは、美九の歌を聴くから。
思えばテレビを見ていて頭痛がする時、美九の歌が流れている気がしないでもないのだ。
CMソングにいきなり彼女の歌が採用され流れ始めた時期と頭痛がするようになった時期も一致する。
それ以前の曲、士道が持っていたCDを聴いても何も起こらない。
例のCDは…………とてもではないが試す気にもなれなかったが。
そしてクリスマス当日―――――その仮説の正しさを、身をもって確信してしまった。
満員に詰めかけた観客が開始の時を今か今かと待ちわび、興奮を抑えられないいつぞやとは大違いの会場。
そこでステージに現れた美九が歌い始めると同時に襲いかかる頭痛を、士道は諦観と共に受け入れた。
…………ああ、やっぱり、と。
厄介なことに招待された席は最前列で、美九からも顔が確認出来るであろう位置なため、顔色に出すわけにはいかなかった。
来てくれないと泣いちゃうなんて、あの文面はおどけながらもおそらくは本心だ。
それぐらいには、士道もまた“何度か遊んだ美九”のことを理解出来ていた。
なのにライブを酷い顔をして観ていたら悲しませる、そう思ったから。
「………っ、く」
だが、根性で堪えるにしても限度はあった。
あのCD程ではないが、直接生で聴いているからかそこそこにひどい痛みだ。
顔色の悪さと脂汗は会場の暗がりと熱気で誤魔化せても、いい加減よく見ると不調はばれるレベルだろうし、意識が朦朧としてきたので倒れてしまうかもしれない。
そちらの方がきっと美九や他の客にも迷惑を掛ける。
とりあえず一度客席から出た方が―――――――、
そんなことを、考えていたのに。
「…………え?」
しん、と。
客席が不自然に沈黙していることに気付くのが遅れた。
次の曲への期待とか、演奏中の興奮の残滓とか、そういうものも全く感じられない、およそライブとしてありえない空気で満たされる中、場違いなまでに明るく美九がマイクに喋る。
『みなさーん、今日は来てくれてありがとうございますー。そんな皆さんに、重大発表……………私のだーりんを紹介しちゃいます!!』
それは、アイドルとしておよそあり得ない一言。
アイドルの仮想恋愛対象としての一面を粉々に砕き、ファンをさながら間男に女を寝取られたような惨めさの底に突き落とすような言葉。
それを、にこにことまるで無邪気に美九―――――アイドル“宵待月乃”は、語る。
『今日も客席に来てくれてます!ね、五河士道さん、登場お願いしますぅ』
「は!?な、何――――、」
いきなりの展開に混乱する士道の腕を、両隣の男が抱えてステージに持ち上げる。
唐突に壇上に上げられた士道に集まる観客の視線は、アイドルを汚した不届き者に対する剣呑なもの――――――では、まったくなく。
温かく、祝福して、口々におめでとうを連呼し………“だからこそ”余計に背筋が寒くなるのを覚えた。
「一体、何が起こって………?」
「―――――――あれぇ?だーりん、私の〈歌〉、“きいて”ないんですかぁ?」
そんな異常な光景を、異常と思う士道こそが異常だと言わんばかりに、美九の訝しげな声が投げかけられた。
「み………“宵待さん”、なんなんだこれは!?だーりんって、なんの冗談だよッ!」
「………本当に“きいて”ないみたいですねー。あ、だーりんはだーりんですよー、しどーさんが、私のだーりん」
「訳が分からな―――――――、っ!!!」
要領を得ない美九の言葉だったが、一瞬例のCDを聴けなかったことを言ってるのかと考え――――――また一つ、嫌な可能性に気付いてしまう。
「お前も、精霊なのか………?」
例えば、こんな異常な状態に人々を操る―――不自然なまでにメディアで活躍することも容易な魅了の異能があったとして。
士道はそんな超常の存在を知っている。
内気な少女が、誰からも絶賛される最高の美女へと姿を変えるような、そんな“異常”を知っている。
「お前“も”。――――もしかしてだーりん“も”、精霊ってことですかぁ?」
美九の返答は、遠まわしな肯定。
「知り合いに一人………いや、もう二人目か。いるだけだ」
「それって髪が緑の女ですー?」
「……ああ」
「そーですかー。―――――――あの女が、なにか余計なことしたんですかねぇ?」
「…………っ」
そして、士道の考えすらも、肯定するもの。
「全部。…………全部お前の意思で、わざとやっていたことかよ……………ッ!?」
頭痛に悩まされ美九の歌をまともに“聴く”ことが出来ないと分かったとき、士道はどれだけ美九が悲しむかをまず考えた。
士道が彼女のファンであることをあんなに大事に思っていた美九が、その歌を聴けなくなったと知れば、どれだけ悲しむかと。
幸い美九は仕事でメールのやりとりすらも忙しい様子で、直接会う暇なんて今日まで無かったから隠せたものの後ろめたく。
今日のライブだって、必死に苦痛を我慢していたのに。
それが、蓋を開ければ人を操る〈歌〉だと?
七罪のおかげかなんて分からないが、それが“効かず”、その代わりに苛まれたのがあの頭痛だ。
そんなモノを、馬鹿みたいに“美九の為に”と堪えていた、と?
「どうしちまったんだよ、美九ッ!?」
裏切られた。
士道の意識にそんな言葉が浮かぶ。
そして憤り、それ以上に悲しくて、文字通りの衆人環視ということも忘れ叫んだ。
「本当に、どーしたものですかねー」
「…………な」
答えは“返ってこない”。
美九は激昂する士道を眺めながら考えを巡らしつつも、“士道のことなど見ていない”。
どうせアヤツルから、今の士道を見る必要なんか欠片もなかった。
「ライブは中止ですねーこれは。とりあえずー、私と家に来てくれませんか、だーりん?」
美九が手を伸ばしてこちらを捕まえようと近づいてくる。
その誘いに乗れば、全てが終わる。
ここで美九に捕まれば、二度と帰ってこれない。
そして、大切なものを悉く失くす結果になる。
「―――――――ちくしょぉッッ!!」
「あっ!?」
そんな予感―――――殆ど確信が、士道の足を蹴らせた。
舞台袖に掛け込み、そこから闇雲に走って出口を目指す。
『あららー、だーりん照れ屋さんなので逃げちゃいましたー。みなさん協力して捕まえて欲しいですー』
『『『『『『『いいよーーっ!!』』』』』』』
『ありがとうございますー。乱暴なまねして怪我させちゃダメですよー。本当は私が行きたいんですけど手加減できなかったら怖いので行けないんですからぁ』
そんな声が、背中に届いた。
「五河士道、覚悟!」
「月乃ちゃんのため、年貢の納め時よー?」
「マジ引くわー」
「まったくだよッ!!」
聖夜の街を、次々と現れる追手から逃げ回る。
まったく、どんな馬鹿らしい企画を通したテレビの撮影なのだろう、素人の士道をその主役に据えるなど、と言いたくなる。
だが残念ながら、撮影するカメラなんてどこにもいない。
裏路地に入って、妙にしぶとかった女子三人組を撒き切る。
迷惑極まりないチェーンメールや掲示板でも回したのか、士道の顔はあっという間に出回り、街の宵待月乃ファン全てが敵という状況だった。
乱暴な手段、こちらにけがをさせてはいけないという制約が無ければとうに捕まっていたに違いない。
「はぁ、はぁ、はぁ…………ぜぇ、くそ、ちくしょう……っ」
だが、このままではすぐに捕まるだろうと思う。
もともとライブで美九のあの文字通り頭痛のする歌で弱り切っていたのだ。
しかもライブの格好そのままで抜け出してきたから、コートを脱いだままの薄着。
この雪の降る、無駄なホワイトクリスマスの夜空の下で。
持ち物は財布と携帯くらいで、財布は自販機でしか使えないだろう。
携帯は、とりあえず妹からの着信だけでも百件超。
「そういや、美九の熱狂的なファンになってたよな琴里ってば」
他にも大量の着信があるのを確認する気も起きずに電源を切った。
「家に帰ることもできないってさ、はは………」
悔しくて、寂しくて、雪が本当に冷たく感じる。
体力もそろそろ限界で、馬鹿なことでも考えて気を紛らわすしかなかった。
例えばそう、七罪みたいに別人に変身できたらやり過ごせるかなとか。
そういえばあれ、体力とか感じる寒さなんかもなんとかなるかなとか。
足も速くできたりすれば逃げるのに本当に便利じゃないだろうかとか。
大人化?…………おっさんはなんか嫌。
じゃあそれと同じくらいインパクトがあるのは、………女の子になるとか?
――――きらりと。一瞬光ったその暖かな輝きは、閉じかかった重い瞼に阻まれて気付かなかった。
(………はは、本当にお馬鹿)
一人自嘲する、そんな士道に掛かる声があった。
「きみ、大丈夫かい!この寒いのにそんな薄着で一体………」
中年のサラリーマン風のスーツの男だった。
座り込んだ士道を純粋に心配している視線は、テレビやアイドルにあまり興味がなくて美九の影響をあまり受けなかったのだろうか。
そんな士道の予想を裏切り、男は“まったくもって本当に馬鹿なこと”をし始める。
「そうだ!この写真の五河士道っていう少年を見つけてあげないといけないんだ。君は何か知ってるかな?」
「……………………は?」
携帯で士道の写真を士道に見せながら士道を知らないかと尋ねる。
つい目の前の男の正気を疑ってしまった。
だが、それで呆れて上がってしまった声がずいぶん不自然に高い――――――というより、発声の感覚そのものに違和感を覚えた。
そして、とりあえず男に対して否定の為に首を振る………釣られて動く、ありえない程に腰まで一瞬で伸びたさらさらの髪。
裏路地の道幅も、何故かさっきより広くなったように感じる。
…………いやいや、まさか。
ついさっきまで考えていた“馬鹿なこと”に思い当った士道は、その高い声で男に別れを告げると走り出す。
尽きた体力が、無尽蔵かと思えるほどに体が軽くなっていた。
いつの間にかあんなに寒かったのに涼しい程度にしか感じない。
足も馬鹿みたいに速く、景色が流れるのに自分で走っている実感すらない。
そして、すれ違う人が今までのように士道を捕獲対象として追い回さない。
代わりにぽつりぽつりといるいやらしい視線を向けてくる男たち―――――奴ら全員が特殊性癖な訳ではないとするならば。
逃げ場がないような気もしたが、意を決してコンビニのトイレを借りて、鏡を見る。
士道の面影を残しつつも、線の柔らかで優しげな、どこからどう見ても美少女が写っていた。
「……………お馬鹿――っっっっっ!!!!!??」
次回から番組名を変更し“天使顕現 スピリチュアル☆士織”をお送りいたします
※嘘です。
ていうか言うまでも無く記念すべき兄さまの初〈贋造魔女【ハニエル】〉顕現ですが、感想板に同じこと考えてるのがいやがりました。ちくせう
あと美九から士道だけに特別に送られていた例のCDには、「だーりん好き好き大好き私のものになってくださいー」って想いがこれでもかってくらい歌に込められていました。
やったね!(頭痛)