よいしょ、と掛け声をかけて、鳴賢は荷物を抱えなおした。
分厚い書籍が数冊。
蔵書の豊富な雁の大学には珍しく図書府にない書籍で、友人たちのなかで持っている者から皆が借りて廻っているものだ。
ずしりと腕にかかる負荷に溜息をつきながらなんとか同輩の堂室に辿りつき、不作法にもその扉を足で蹴った。
なにしろ両手で抱えてなお重い本の束だから、普通に叩こうにも手が空かないのだ。
「文張ぉ、頼まれてた本持ってきたぞ。開けてくれよ」
「ああ、ありがとうな」
悪い悪いと中に入れてくれた楽俊が、鳴賢から荷物を受け取った。と、その重さに顔をしかめて書卓の上に載せる。
「これだけあるとさすがに重いな」
人の姿でいたからよかったけど、鼠の恰好なら本に潰されたかもしれねえな、と苦笑う。それをここまで運んできた鳴賢も、やれやれと溜息をついた。
「ほんとだよ。で、お前の次が玄章な。まだあと二、三人いるから早いとこ廻せって」
重荷から開放された鳴賢が勝手に牀榻でくつろぐ。
早速本を広げていた楽俊が頷いた。
「ああ、わかった。あとで曉遠に礼しないとなあ」
「酒でも奢ってくれればいいってさ。……けどあいつ、ものすごく酒呑むんだよなあ。皆で出し合っても足りるかな」
過去の酒盛りを思い出して、渇いた笑いが二人の口から漏れる。
「ま、いつもの店ならそんなに高くもねえし、大丈夫だろ」
いつもの店、と聞いて、鳴賢はちらりと楽俊を盗み見た。
「そういや文張、昼間あの店に来てたか?」
本を書き写しているのだろう、筆を片手に振り返った楽俊が目を瞬かせる。
「なんだ、鳴賢いたのか? 声かけてくれりゃ良かったのに」
「いや、俺はすぐ出ちまったからな。お前かなあと思ったけど、連れがいたみたいだし」
楽俊はそうかと頷いて本に戻ったが、その後ろ姿に鳴賢は内心ごめんと手を合わせた。
彼等を見かけたのは、実を言うと店ではない。
講義が終わって堂室に戻る途中、楽俊を探して堂に顔を出した。学内を案内すると言っていたから、もしかして堂にいるかもと考えたのだ。
大学の同輩として挨拶を、と思ったのも確かだが、楽俊の友人とやらを見てみたいという好奇心の方が勝っていたわけで。
どんな奴だろうと興味津々で覗いた鳴賢だったが、朋輩の連れを見て、かけようとした声を喉の奥にひっこめる羽目になった。
一瞬少年かと思ったが、貌を見て思いなおす。
鮮烈な緋の髪と澄んだ翠の瞳をした、明るい顔立ちの少女。
少女は、楽俊が手もとの紙に何やら書きつけているのを覗きこんで、くすくすと笑っていた。
「……なあ、あの子、親戚かなんか?」
「いんや、友達だ。巧にいたときに会って、一緒に雁に来た」
答えながらも、本をめくる楽俊の手は止まらない。その背を見ながら、鳴賢は複雑な気分だった。
あんなふうに笑う楽俊を、鳴賢はあまり見たことがない。
わりあい誰にでも人当たりのよい楽俊だが、大勢と交友があるわけではない。
笑って騒げる仲間なごくわずかだし、自分といるときはどちらかといえば押さえ役で、苦笑はしても大笑いするようなことは少ないのだ。
そんな彼を見てき た鳴賢からしてみれば、さっきの楽俊はまるで別人だった。
二人で顔を見合わせて笑いあい、からかったり怒られたり、手を取って丁寧に教える姿はとても自然で、なにより楽しそうだった。
緋色の髪の少女は、質素な袍を着てはいても顔立ちは際立って美しかった。
格好も動作もまるで少年だが、大輪の花のように人目を引く。絹や玉で着飾れば、公主なみに綺麗になるにちがいない。
以前楽俊を訪ねてきた娘も相当美しかったが、彼女とはまた趣の違う美人に見えた。
群青の髪の娘が清雅だとすれば、今日見た娘は華麗。
堂にいた学生はそれほど多くはなかったが、彼等も二人に気付かれないよう、横目でちらちらと様子を伺っていた。
それにしても、あれだけの美少女を前にして、こいつはなんとも思わないのだろうか。あんな顔で微笑まれたら、心騒がずにはおれないだろうに。
この朴念仁め、と背中を蹴り飛ばしてやりたいが、そんなことをすれば覗き見が露見してしまう。
寝転がった姿勢で、鳴賢は口を尖らせた。
だがおそらく、とも思う。
彼女の魅力は外見よりも内面なのだろう。飾らず凛としていながら、喜怒哀楽がはっきりしていて小気味いい。そのまっすぐな翠の瞳には、傍らの青年への絶対の信頼があった。
そして、それを受け止める楽俊の目にも。
恋人というよりは仲のいい兄弟のようだったが、そのぶん親愛の情が見て取れて傍目にも幸せそうだった。
つーかさぁ、と鳴賢は内心ごちる。
---お似合い過ぎなんだよ。
人の姿をした楽俊は中背でやや線が細く優男という風情だが、それがむしろ彼の持つ雰囲気とあいまって、柔和で堅実な印象を与える。
頭の良さは折り紙つきだし、性格もいい。さすがに表立っては騒がないものの、あれでなかなか女生徒たちの間で の評判は悪くないのだ。
悪意ある
他国の半獣でありながら賢くてひととなりもまっすぐで、そのうえ見栄えもさほど悪くないとなれば、そりゃあ選民意識の強い大学の連中には嫌がられるだろう。
本人はさっぱり気づいていないだろうが。
「あいつは海客なんだ。巧で拾って、それからこっちの付き合いだな。こっちのことがさっぱりわからねぇから、たまに教えることもある。ま、手習い程度だけどな」
親切な説明に、ふうん、と気のない返事を返して、壁向きに寝返りを打つ。
「……お前さぁ、明日の講義、人の姿でいったほうがいいぞ」
唐突に言われて、楽俊はきょとんと振り返った。
「なんでだ? 明日は弓射も馬もねえぞ?」
「駄目。しばらくは人の恰好で講義に出ろ」
「めいけ……」
「いいから! 絶対!」
「……わかった」
腑におちなげな楽俊の返事を背中に受けて、鳴賢は溜息をついた。
二人の様子を見ていたのは鳴賢だけではない。日頃楽俊を見下している連中も、あの場にいたのだ。
彼らをして割りこませなかったのは、一にも二にもそれが非日常の光景だったからだが、明日になれば奴等もなにか言ってよこすに違いない。
そうでなくても気に入らない俊英の半獣が、美少女と楽しそうに語らっていたのだ。たとえ会話の中身にどれだけ色気がなかろうとも、妬まないはずがない。
せめて余計な口実を与えないように人の姿で、あとは自分が目を光らせていればなんとかなるか。
幸い、今期はほとんど二人一緒の講義を取っている。人の姿になったらなったで、これも口さがないことを言われそうだが、それは鳴賢が言わせなければいい。
講義の内容そっちのけで対応策を練りながら、鳴賢はまた深い溜息をついた。
「文張、明日の晩飯奢れよ」
「ええ?! なんで……」
「奢れったら奢れったら奢れ!」
「……め、鳴賢?」
鳴賢の剣幕に、引きつった声がする。
明日になれば、いくら鈍い文張でもわかるだろう。
……わかって欲しい。できれば。
それにしても、なんでこいつは美人とばっかり知り合いなんだ、と思ってしまうのは、まあ年頃の青年としてはいた仕方ないということで。
怜悧だがいまひとつ機微に疎い年少の友人に、一食ぐらい奢ってもらわねば気がすまない鳴賢だった。
初稿・2004.12.11
暁遠と玄章は、こちらが初出でした。
というわけで、鳴賢視点のおまけ。
本来こっちを先に書いていたので、「二人を繋ぐ糸」で鳴賢が陽子の瞳の色を知っている設定になってしまったわけです。
小説は並列で書くもんじゃねーなー。
あ、楽俊はモーションかけられてもわかんないくらい機微に疎い方向で・大笑