絢の軌跡   作:ゆーゆ

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10月24日、午前

10月24日、午前8時半。トールズ士官学院、講堂。

檀上から私達《Ⅶ組》が見下ろす先には、来場者用に並べられた無数のパイプ椅子。

現時点では全てが空席。午後になれば、きっと《Ⅰ組》目当ての観客で埋まるだろう。

今日がステージ演奏本番だというのに、こうして檀上に立ったのは今日が初めてだった。

 

「・・・・・・何だか、入学式を思い出すね」

「ああ。確か俺は、あの辺りに座っていたな」

「私はあっちだったっけ。その隣がポーラだったんだ」

 

ガイウスと私が、指でお互いの席を指し示す。

19回目の誕生日を迎えた、あの日。あれから半年の時が経った。

私の人生の中でも1番濃密で、たくさんの出会いと学び、発見に満ち溢れた半年間。

瞼を閉じるだけで、その全てが鮮明に思い起こされる。

 

「あっという間だったな。上手く言えないけど・・・・・・はは、やっぱり上手く言えないよ」

 

リィンが腰に手をやりながら、目の前に広がる空席を見詰めながら言った。

彼の胸中は察せられた。多分、私も同じ感情を抱いている。きっと皆だってそう。

 

皆と一緒に笑って、泣いて。楽しいことも辛いことも、全てを共有しながら過ごしてきた。

力と向き合い、誰かの為に力を振るうと決めた。

過去と向き合い、生まれ故郷と向き合い、大切な幼馴染との再会を果たした。

今を大切に想う皆の姿から何かを学び、絶対に目を背けないと心に決めた。

7年前の悪夢も、私の一部。その夢の続きと、対峙することがあるかもしれない。

 

不思議と、何でもできそうな気分になってくる。

ずっとそうだった。皆と一緒にたくさんの壁を乗り越えてきた。

だから私達は、今ここに立っている。皆で掴み取った、10月24日。

 

実を言えば、今朝方に目を覚ました時。自然に、涙が零れていた。

誰にも言えるわけがない。もしかしたら、皆もそうだったのかもしれない。

理由は分からない。リィンが言ったように、言葉では表現できそうにない。

胸の奥から沸き上がってくる、この感情が―――

 

「だー!!どいつもこいつも、何で本番前にやり切った顔してんだよ!?」

 

―――その答えなんだと思う。

そう胸の中で呟いた瞬間、クロウの突っ込みで過去の回想が終わりを告げた。

 

「まあ、無理もないわね。昨日あんなことがあったばかりだもの。仕方ないじゃない」

 

アリサの冷静な分析に、皆がうんうんと首を縦に振りながら同意した。

自分で言うのもなんだが、本当に無理もないと思う。

実際に私達は、唯の夢でしたでは済まされない、途方も無く高い壁を乗り越えたばかりなのだ。

 

「フン。夢だったら考え事が減って助かるんだがな」

「・・・・・・考えたところで、僕達にはどうすることもできないだろう」

「『灰色の騎士人形』・・・・・・すごい大きさだったね」

 

そう。夢ではなかった。

全てが終わった後、目を覚ました私達の前に立ち塞がっていた、扉。

唐突に開いたその扉の先には、巨大な灰色の人形が、地に膝をつきながら佇んでいた。

 

一目見た印象としては、もう何度も対峙してきた人形兵器が連想された。

それ以上に洗練されたフォルムは、今にも動き出しそうな程に、光輝いていた。

 

「格好良かったよねー。ガーちゃん程じゃないけどさ」

「あの人形の方が百倍ぐらい格好良いと思う」

「そんなことないよ!フィーのバーカ!ドローメ!」

 

それは今置いといて。

今現在、当の人形についてはジョルジュ先輩が主導となり、分析を始めているそうだ。

アリサ曰く、現代の導力技術では造り得ない代物らしい。

ラウラやエマの見解では、もう数百年以上前の暗黒時代の頃まで時は遡る。

 

確か旧校舎は、士官学院が設立するよりも前に建造された建物のはずだ。

ローエングリン城の件もある。一体誰が何のために、あんな物を造り上げたのか。

現時点では、誰にも分からない。私達が直面した試練との関連性についても同様だった。

 

「だーからよ。今俺達があれこれ考えたって仕方ねえだろ?」

「はは、クロウの言う通りだよ。僕達は今日のために、ずっと頑張ってきたんだからね」

 

エリオットが言うと、皆が再び眼前の光景に視線を向けた。

あと数時間もすれば、空席は埋まる。この3週間の成果を見せる時がやって来る。

そのために私達は、今日を掴んだ。泣いても笑っても、今日がその最後。

心地良い緊張感だ。これぐらいが丁度いい。昨晩の異変が、良い方向に働いてくれている。

 

「よし。昼食を済ませたら、控室に集合だ。皆の家族も来ている頃だろうし、それまでは学院祭を満喫しながらゆっくりしよう。それでいいか?」

「ああ。父上もそろそろ到着する頃合いだな」

「では、一旦解散としましょうか」

 

私達のステージ演奏は《Ⅰ組》の軽喜劇の後、午後の15時からの予定だ。

昼過ぎまでは自由に行動できる。私とガイウスも、皆と同じ。

まずは3人を迎えに行こう。ARCUSを見ると、丁度列車が駅に着いたであろう時刻を示していた。

 

________________________________

 

「アヤねーちゃーん!」

「トーマ、久しぶり!」

「たああぁっ!!」

「せぃあぁっ!!」

 

ズシンっ。

 

トーマの右下段、と思わせた右上段の廻し蹴りを、両腕でしっかりと受け止める。

頭が揺れ、ビリビリと痺れが両腕を襲う。うん、鍛錬は怠っていないようだ。

 

「ん、まあまあかな。私がトーマぐらいの頃はもっと蹴れたけどね」

「ねーちゃんと比べないでよ・・・・・・」

「よく来たな、2人とも」

「ガイウスさん、アヤさん、お久しぶりです」

 

トーマとシャルちゃん。

士官学院祭の開催を耳にした2人は、今月の初め、手紙で今日の来訪を教えてくれていた。

『あんちゃん達のお祭りに、僕達も行ってみたい』。

2人の願い事をお義母さんが快く承諾してくれた一方で、お義父さんは当初反対していたそうだ。

当然の意見だと思う。テロリストと呼ばれる得体の知れない連中が暗躍する異国の地に、外の世界を知らない息子を送り出すわけにはいかない。

 

一方で今月に入ってから騒動は鳴りを潜め、報道もクロスベル問題一色。

信頼できる人間が引率を買って出てくれたこともあり、トーマ達の来訪は叶うこととなった。

 

「ご隠居もお久しぶりです。今日はありがとうございます」

「ふむ、相変わらず胸はちょいと寂しいのう」

「何度も言わせないで下さい。私は平均値です」

「クラスでは下の方なんじゃろ?」

「上の3人がおかしいんですよ」

 

グエン・ラインフォルト。

私も自信を持って、信頼できる人間の1人だと言える。

時折品性下劣な話題を振ってくることも、この人の大きさをいい意味で際立たせてくれる。

 

6月の実習がそうだったように、ノルドの集落からトリスタまでの移動時間は約半日。

3人は昨晩のうちに帝都入りし、シャルちゃんの実家で一泊してからの旅路となっていた。

 

「トーマ。シャルのご家族にはしっかり挨拶をしたか?」

「当たり前でしょ。子ども扱いしないでよ」

「あはは。帝都で迷子になったのはどこの誰だったかなー?」

「あ、あれは仕方ないっていうか・・・・・・あんな広い街だとは思わなかったんだってば」

 

取り乱しながら、言い訳を並べ立て始めるトーマ。

無理もないか。トーマにとっては今回の旅が、外の世界に触れる初めての経験だ。

3月30日のガイウスもそうだった。ルーレの自動改札に阻まれ、転倒しかけた彼を思わせた。

 

「シャルの祖父母もトーマを大層気に入ってくれたようでな。昨晩も豪勢な食事をご馳走してくれたわい」

「へえー。じゃあ家族公認の仲ってわけか」

 

流石トーマ。ごく自然且つ無自覚に外堀を埋めていっている。ある意味で末恐ろしい。

まあ自慢の義弟を好いてくれる人間が増えたことは、素直に嬉しいと思えた。

 

「そういえばロイドのお姉さんも、私とロイドが将来結婚するって本気で考えてたらしいよ」

「・・・・・・」

「黙んないでよ・・・・・・」

 

一瞬で表情が消えるガイウス。どうもこの手の冗談は彼に通じない。

もう少し余裕を持ってほしいというか、ドシンと構えていて欲しいのにな。

 

そんなことを考えていると、シャルちゃんが何かを後ろ手に持ちながら、私達の前に立つ。

やがて差し出されたのは、香りの良い小振りの花束だった。

 

「え。これ、何?」

「私とトーマからのお祝いです。ここに来る道中に買ったものですけど、これぐらいしか思い付かなくって」

「・・・・・・あっ。あ、あはは。そっか」

 

数秒間、本気でその意味を考えてしまった。

すっかり忘れていた。言われてみれば、確かにそうだった。

この2人は、ご隠居は知っている。私達がそういった間柄になったことを知っているのだ。

直接報告はしていないが、既に集落の大人達の知るところではあるのだ。この3人も然り。

この花束にも、私達が結ばれたことに対する祝福が込められているに違いない。

 

「初めは驚いたけど・・・・・・でも今は、僕も嬉しいって素直に思えるよ。おめでとうあんちゃん、ねーちゃん」

「私はそこまで驚かなかったですけどね」

「そうか・・・・・・ありがとう、2人とも」

 

こうして改めて言われると、気恥ずかしいものがある。

それに―――ガイウスのように、ありがとうを言いたくなる。

 

私とガイウスの仲は、《Ⅶ組》や馬術部以外の生徒にも知れ渡り始めていた。

自然と、色々な声を聞いた。2人のように祝福する人間もいれば、奇異の目で見る人間もいる。

義姉弟。血が繋がっていなくとも、姉弟であり家族。他者にとってはそうとしか映らない。

一部の貴族生徒らからは、思わず耳を塞ぎたくなるような噂話を聞かされる羽目になった。

何も知らないくせに。私がどれ程思っても、彼らには何も伝わらないし、口に出したくもない。

 

『事情を知らない第三者が、下卑た噂を立てるとはね。僕は君達の品性を疑ってしまうよ』

 

意外なことに、それはパトリックの台詞だった。彼も彼で、捉えどころのない人間だ。

勿論、悪い気はしなかった。お礼を口にすると、予想通り彼は反発した。

 

「ワシからもおめでとうを言っておこうかの」

「ありがとうございます。ご隠居にそう言って頂けると、嬉しいです」

「フフ、それにしても・・・・・・のう、ガイウス」

 

ご隠居は怪しげな笑みを浮かべながら、ガイウスの腹を肘で小突き始める。

 

「2人の仲はどこまで進んでるんじゃ?チューぐらいは済ませたか?」

「・・・・・・フッ」

「な、何じゃその顔は。まさかおぬしら、いつの間にぶふぉあっ!?」

「ぐああぁ!?」

 

想い人とご老体の脇腹に、容赦の無い拳打をお見舞いした。

いい加減にしてほしい。トーマ達がすぐ傍にいるというのに、何のつもりだこの人は。

それにガイウス。「何故俺まで」みたいな顔をするな。同罪だ。

 

疑問符を浮かべるトーマ達に構うことなく、話題を学院祭へと向ける。

2人には既に学院祭のリーフレットを送ってあり、各種出し物の内容は把握してくれていた。

当初は私とガイウスで学内の案内をしてあげる案もあったが、それでは2人の邪魔になるだけだ。

今日は自由気ままに、2人の好きにさせてあげようという話になっていた。

ご隠居もシャロンさんやイリーナさんら知人、家族へ挨拶をして回る予定だそうだ。

 

「よし、早速中に入ろうか。シャル、何から見たい?」

「んー。色々見てみたいけど、トーマに任せよっかな」

「じゃあ美術室って所に行こう。あんちゃんが描いた絵が見れるらしいよ」

 

言いながら、トーマ達は足早に本校舎の中へと向かった。

ご隠居も脇腹を押さえながら、よろよろとそれに続いた。

ともあれ、無事に来てくれて本当に良かった。今回の旅はトーマにとってもいい経験になる。

 

「さてと。私達も色々見て回ろっか?そろそろ回復したでしょ」

「ああ・・・・・・そうだな。アヤは昨日馬術部の方で手一杯だったようだが、何から見る?」

「むっ。今の2人の会話、聞いてなかったの?」

 

そういうのは、男性の役目だと思うけどな。

私が言うと、ガイウスは自信満々の笑みを浮かべ、学院祭のリーフレットを懐から取り出した。

彼が記したであろう丸印が、いくつかの出し物や屋台を選択済みであることを示していた。

お祭りの醍醐味は食べること。唯々食べ歩くことにある。

夏祭りの際に吹き込んだ洗脳に近い私の教えを、彼は素直に受け取ってくれているようだ。

 

「まずはリンデのクラスに行こう。彼女から特典チケットなる物を貰っているし、茶で胃を慣らすというのはどうだ。油物が多いからな」

「あはは、了解。じゃあ早く行こ!」

 

ガイウスの腕を抱きながら、トーマ達の後を追う。

こんな感じで2人っきりで歩くのも、夏祭り以来のことか。

彼と一緒に、存分に今日という日を楽しもう。そうすれば私は、きっと上手く舞える。

 

______________________________

 

リンデ達《Ⅳ組》の教室は、凝りに凝った東方風の装飾が見事な完成度を誇っていた。

ガイウスはピンと来ないかもしれないが、私はそういった文化に理解がある。

長巻にクロスベルの東通り。ランとユイ、アヤ。私にとっては身近な存在だった。

考えてみれば、トワ会長の名も東方のそれから来ているのかもしれない。

 

「これは・・・・・・独特の渋みが癖になるな」

「口に合ってよかった。苦手な人って結構多いからさ」

 

湯呑も含め本格的な抹茶に、甘さが控えめな東方の菓子。

この味を士官学院で味わえるとは思ってもいなかった。《Ⅳ組》の本気度が窺える。

周囲の作りを見渡しながらくつろいでいると、桃色の双子姉妹が私達に歩み寄って来た。

 

「ガイウス君、おみくじを引いてみませんか?」

「おみくじ?」

「ああ、吉凶を占う運試しみたいな物だよ」

 

ガイウスにおみくじの意味合いを教えながら、リンデとヴィヴィの説明に耳を傾ける。

2人によれば、チケットを使った客は無料でおみくじを引くことができるそうだ。

ヴィヴィが持つのが、縁結びおみくじ。恋愛運や相性を占うおみくじ。

対してリンデが手にするのは、開運おみくじ。広く様々な吉凶を占う、正に運試し。

 

「まあ、あなた達ならリンデの方を引くしかなさそうね」

「そのようだな。アヤ、やってみるか?」

「折角のサービスだしね。じゃあ私からお願いできる?」

 

リンデが褐色の小箱を軽く振ると、一本のおみくじが手渡される。

続いて、ガイウスの手に。恐る恐る、お互いに包まったおみくじを広げた。

結果、私は『小吉』。ガイウスも『小吉』。

 

「どちらも小吉か。これはどうなんだ?」

「まあまあじゃないかな。悪くはないよ・・・・・・それで、ガイウスのは何て書いてあるの?」

 

『人生の中で最も多くの変化が訪れる時期にある。感情に惑わされず、全てを受け入れるべし』

 

「・・・・・・どういう意味だ?」

「さあ・・・・・・まあ、おみくじって大体こんな感じだと思うよ」

 

所詮は運試し、とここでは口に出すべきではないだろうが、得てしてそういうものだ。

大切なのはそれをどう解釈し、行動するかにある。言い換えればキッカケだ。

多くの変化、か。ノルドから飛び出したガイウスにとっては、確かにそうかもしれない。

後半部分については、どうとでも受け取れる。これはやはりガイウス次第だろう。

 

「アヤ、君のはどうだ?」

「ちょっと待って。えーと・・・・・・へ?」

 

『選択は唐突に迫られる。別れの先に光があり、世界が変わる。決して迷ってはならない』

 

思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

これは何だろう。ガイウスのそれ以上に、意味深な文面のように思える。

随分と具体的なようでいて曖昧、そしてどう受け取ればいいのかがまるで分からない。

 

「うーん・・・・・・分からないけど、『別れ』がちょっとなぁ。何か嫌な感じ」

「その先に光があり、世界が変わる、か」

 

気にはなるが、まあ考えても仕方ない。頭の片隅に留めておくとしよう。

風習に従い、私達はお互いのおみくじをくじ掛けに結んだ。

 

結びながら、やはり考えてしまった。唯の運試しと言うには、その文面は余りにも深過ぎた。

選択は唐突に迫られる。その時が来るとしたら、いつの話になるのだろう。

迷わずに、選ぶことができるのだろうか。それが私にとって、別れであったとしても。

 

______________________________

 

《Ⅳ組》の教室を後にした私達は、食べ歩きに興じた。

続いて食べ歩いた後、食べ歩きながら、最後に食べ歩くことにした。

身体を動かす直前にこうも栄養を取れる人間が、私以外にいるだろうか。

いねーよそんな奴。クロウの声が聞こえた気がした。

 

道中、技術棟の前で話し込むサラ教官とトヴァルさん、ミヒュトさんと出くわした。

どうやらクロスベル方面から、また新しい情報が入ってきたとのことだった。

気にはなったが、『今はステージ演奏に集中しろ』と、3人とも教えてはくれなかった。

 

皆の家族の姿もそこやかしこで見受けられた。

サラ教官が言っていたように、誰もが当初の予定通り、士官学院へ足を運んでいるようだ。

最も驚かされたのは、オリヴァルト殿下とアルフィン皇女殿下の来訪だった。

今この時この場においては、クロスベル問題は一時保留といったところなのだろう。

 

そして現在、午前11時半。

私とガイウスは、美術室へ向かっていた。

 

「ガイウスの絵も展示されてるんでしょ?」

「ああ、何点かな。是非アヤにも見て貰いたい」

「前からそう言ってたもんね・・・・・・あれ?」

 

本校舎2階へ続く階段を上り、廊下を歩いていると、またしても見知った面々の顔があった。

 

「あれ、君は確か・・・・・・」

「あはは、お久しぶり。音楽院組も来てたんだね」

 

モーリスとロン、カリンカ。そしてリリランタ。

音楽院に通う4人の姿が、美術室の前に揃っていた。

 

「アヤヤ!アヤヤやんか!」

 

リリランタがやややんか。また私に対するリリの呼び名が変わっていた。

もしかして彼女は会う度に、私の名前を弄り倒すつもりなのだろうか。

いずれにせよだ。無事にクロスベルから帰って来てくれていたようで、安心した。

旧市街で帰りの列車賃すら無いと聞かされていた分、心配ではあったのだ。

 

「いや、結局借りたわ。特務支援課やったっけ?いい人らやったなー、ホンマ助かったわ」

「・・・・・・あ、そう」

 

返す機会があるとは到底思えない。返す気があるのかすら定かではない。

考えないようにしよう。特務支援課も、少しは仕事を選んだ方がいいと思う。

 

4人は《Ⅶ組》のステージ演奏について、既にエリオットから聞き及んでいた。

今日は士官学院の見学も兼ねて、私達の演奏を聞きにわざわざ足を運んでくれたそうだ。

 

「エリオットが纏めたって話だからね。僕達も楽しみにしていたんだ」

「さっきリィン君とも話したんだけど、新しいジャンルの演奏なんだってね?」

 

モーリスとロンが目を輝かせながら、声を弾ませる。

新しいジャンルには違いないだろうが、少々期待が大き過ぎる気がしてならない。

薄れていたはずの緊張感が、次第に増していく。うん、落ち着け私。

 

「アヤさん、ちょっといい?」

「え、私?」

 

するとカリンカが1人、声を潜めながら私の腕を引いてくる。

3アージュ程皆から離れたところで、カリンカは私の耳元で囁くように言った。

 

「例の件、エリオットから聞いてる?」

「例の?ごめん、何のこと?」

「・・・・・・ううん、聞いてないならいいのよ」

 

例の件。一体何のことだろう。

思い当たるものが何1つ見つからない。カリンカが言うように、聞いていないからだろうか。

結局は4人と別れるまで、彼女はそれ以上『例の件』とやらには触れなかった。

 

「アヤ、どうかしたのか?」

「ん・・・・・・何でもない。もう時間も無いし、美術室に入ろうよ」

 

おみくじ同様、カリンカの言葉を頭の片隅に置いてから、美術室に足を踏み入れる。

初めに目に飛び込んできたのは、一心不乱に石を削るクララ先輩だった。

ガイウス曰く、あれは実演であり、展示物の1つ。

部長を展示物扱いはどうかと思ったが、事実並べられた作品と完全に一体化していた。

 

「さてと、ガイウスの作品は・・・・・・うわー。ちょっと、何これすごい」

「フッ、一目で分かるだろう」

 

以前リンデが言っていた。ガイウスの絵画は想像画のようでいて、違う。

瞼の裏に焼き付いた確かな風景を、キャンバスの上に再現するからすごいと。

 

私がノルドへ流れ着いた軌跡の始まり。

ルーレのダイニングバー『ef』で初めて目にした、ノルド高原。

私が『ただいま』を初めて口にした前日に、2人で一緒に足を運んだ、あの崖上からの光景。

夕焼けの色から風に揺れるエポナ草に至るまで、その全てがキャンバスに描かれていた。

 

「何だろ・・・・・・何で、こんなに・・・・・・ごめん。上手く言えないや」

 

言葉にならない。どんな言葉を並べても、この絵画には相応しくない。

たった1枚の絵画に心を動かされるなんて、初めての経験だった。

その余りの美しさに見惚れていると、ガイウスの視線が、別の絵画に向いた。

 

(え―――)

 

2つ、見せたい絵画があると言っていた。視線の先には、もう1枚のキャンバス。

その上に描かれていたのは、1人の女性だった。再び、言葉を失った。

 

「・・・・・・ねえ、ガイウス」

「何だ」

「私、こんなに綺麗じゃないよ」

 

アヤ・ウォーゼル。自室の窓際でランと戯れる、私。

素人の私でも理解できる。人物像を描くには、向き合う必要がある。

彼のキャンバスの前に座った記憶は無い。部屋に持ち込まれたことなど一度も無い。

描けるわけがない。なのに、それなのに―――どうしてそこに、私がいるんだ。

 

「そうか?俺の目には、君はこう映っているんだがな」

 

気付いた時には、涙が浮かびかけた顔をガイウスの背中に埋めながら、抱いていた。

クララ先輩の存在に気を向けることなく、抱いていた。

夏のルナリア自然公園。惚れ直すという感覚は、あの時に学んだ。

たったの2ヶ月後に同じ想いを抱くことになるなんて、考えてもいなかった。

正午を知らせるチャイムが鳴り始めるまで、私は彼の背中に身を預け続けていた。


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