絢の軌跡   作:ゆーゆ

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予期せぬ再会

シャリシャリと、果物の皮を切る音だけが部屋に広がる。

たまに挟むのは、私が鼻をかむ音。それと、アンゼリカ先輩の鼻歌だけ。

先輩は何も言わない。ただ楽しげに、手にしていたリンゴにナイフを入れていく。

 

「ほら、剥けたよ」

「・・・・・・ありがとうございます」

 

午後20時。

私はアンゼリカ先輩の胸元で一しきり泣き終えた後、彼女に連れられて病室へと戻った。

既に夕食は部屋に準備されており、私は先輩が見守る中、無心に箸を進めた。

先輩は差し入れだと言って、果物の盛り合わせを持って来てくれていた。

病院食の量は私にとって余りに少ない。先輩もそれを感じ取ったのか、何も言わずに果物の皮を剥き始めてしまった。

 

「いただきます」

 

手渡された皿の上に置かれたリンゴを一切れ掴み、口に運ぶ。

甘い。食感も言うこと無しだ。それなりに値の張る物を持って来てくれたのかもしれない。

先輩は私に続いてリンゴを頬張りながら、静かに口を開いた。

 

「ガイウス君から言伝を頼まれたよ。明日にはまた、顔を見せるそうだ」

「ガイウスが・・・・・・そうですか」

 

今だけは、素直に喜べない。

本当なら、何もかもを打ち明けて泣き叫びたい。

一方で、そんな見っともない姿を見せたくないという思いもある。

何しろ自分自身、今の心境が理解できていない。ガイウスだって困ってしまうはずだ。

彼には怒られるかもしれないが、余計な心配は掛けたくない。

 

「それと、馬術部の仲良し2人組にもね。交流会の打ち合わせも兼ねて、話がしたいそうだよ」

「仲良し?・・・・・・ああ」

 

ポーラとユーシスの事か。それは私も気にはなっていた。

交流会の開催日は9月17日の金曜日。場所は聖アストライア女学院の講堂を借りると聞いていた。

大まかな発表内容や資料は仕上がりつつも、詳細は2人に任せっ放しになっていた。

こんな状態でも参加自体はできるだろうが、私も力になりたい。

 

「そうですか・・・・・・それで、先輩はどうしてここに?」

「決まっているだろう?可愛い後輩のお見舞いさ。なかなか都合が付かなくて申し訳ない。本当はトワも連れて来たかったんだが、学院祭絡みで手一杯のようだ」

「そんな。来てくれただけで嬉しいです」

「ふふ、今日は随分と素直じゃないか」

 

アンゼリカ先輩はそう言うと、リンゴを一切れ咥えながら、顔を近づけてきた。

やるわけないだろう。私は目を細めて顔を背けると、先輩は残念そうにそれを口に入れた。

 

「それで、どうしたんだい。大分弱り切っているように見えるね」

「それは・・・・・・」

 

言葉が続かない。何と説明したらいいものか。

あれだけ泣き喚いておいて、何でもないですは通じそうにないし、不義理すぎる。

 

「その、最近・・・・・・怖いというか。自分でも、よく分からないんです」

「怖い?」

 

だから私は、今の胸中をそのままに表現した。

どんな言葉を選んだのか、よく覚えていない。

 

いつの間にか膨れ上がっていた、得体の知れない恐怖感。

根本は多分、そこにある。でも、その正体が分からない。

身体と一緒に、心までもが弱り切っているのかもしれない。

 

こんな曖昧な感情を口にする事自体気が引けたが、今だけは誰かに聞いてほしかった。

アンゼリカ先輩は目蓋を閉じ、小さく頷きながら私の声に耳を傾けていた。

どれぐらい話していただろう。気付いた時には、皿の上にリンゴは無かった。

最後の一切れを頬張りながら、先輩は組んでいた足を組み直し、その目を開けた。

 

「成程ね。概ね理解したよ」

「え・・・・・・」

 

アンゼリカ先輩は籠の中からもう1つリンゴを取ると、再びその皮を剥き始めた。

 

「あれだけの騒動に巻き込まれた直後に、こんな場所で独り入院生活ともなれば無理も無いさ。誰だって弱気になってもおかしくはないんじゃないかい」

「それは・・・・・・そうかもしれませんけど」

 

情けない限りだが、その通りだと思う。

だがそれだけではないはずだ。釈然としない何かが、私の中にあるように思える。

言い淀んでいると、アンゼリカ先輩は少しだけ申し訳なさそうに、小さく笑った。

 

「・・・・・・先に、謝っておこうかな」

「謝る?」

「君が抱える過去については、以前ガイウス君から聞いたことがあるんだ」

「ガイウスから・・・・・・そう、だったんですか」

「彼を責めないでやってくれるかい。私が多少強引に聞き出したのさ」

 

私が歩んできた道のりは、《Ⅶ組》の皆を除けばポーラにしか話していない。

サラ教官なんかも知ってはいるだろうが、私が直接話したのは彼らだけだ。

アンゼリカ先輩は、ガイウスを介して私の過去に触れたらしい。

多少強引に、か。相当に強く迫ったのかもしれない。

何故そうまでして、先輩は私を知りたがったのだろう。

 

「君は他の誰よりも、失う事の痛みと、孤独の苦しみを知っている。だから人一倍、過敏に感情が反応する。心当たりぐらいは、あるんじゃないかな」

「私が・・・・・・」

「先月の一件は君自身を含め、どう転んでもおかしくはなかった。怖くて当然さ。それに、勘違いしないでほしいが―――君のその感情は、弱さなんかじゃない」

 

弱さじゃない。その言葉に、思わず首を傾げてしまった。

紛れもない負の感情だというのに、何故そんな言葉に繋がるのかが分からない。

 

「君がノルド高原に流れ着いて・・・・・・士官学院に入学して。手に入れてきたものを、その手で数えてみるといい」

「え?」

「きっと、両手じゃ足りないぐらいあるだろう?」

 

アンゼリカ先輩の言葉に従い、天井を仰ぎながら頭の中で指を折っていく。

ものの数秒で、両手指が埋まった。仕方なく、折り返すように折っていた指を再度立てていく。

士官学院に入学したところで、それは一気に足を速めた。

新しく掴んだもの。失ったと思っていたもの。掛け替えのない幸せ。

 

ノルド高原で3年。士官学院で5ヶ月。

こうして改めて振り返ってみて、その数に漸く気付かされた。

我ながら、濃密な時間を過ごしてきたと素直に思える。

 

「あっ・・・・・・」

 

何度も指を折っていく中で、唐突に理解した。

私が怯え、怖がっていたものの正体。

 

「フフ、漸く分かったかい」

 

話は単純だ。

アンゼリカ先輩が言うように、私は失うことを恐れていた。

その数が増えれば増える程、その感情は膨れ上がっていく。

 

手探り状態で士官学院に入学した時の私。そして、今の私。

背負うものの数が違う。でもそれ以上に多くの何かを、私はこの手で掴み取ってきた。

多分、それだけの話だ。だから今になって、こうも私の心を揺さぶってくるのだろう。

 

「それだけ君は、短い間にたくさんの大切なものを手にしてきた。その感情は人として当然のものだよ。乗り越える必要は無い。少しだけ、正面から向き合ってみるといい」

 

アンゼリカ先輩は笑いながら、リンゴが乗った皿を差し出してきた。

それを口に運びながら、再度先輩の言葉の意味を考える。

恐怖と向き合う。慣れるには、まだ時間が掛かるかもしれない。

きっと贅沢な悩みに違いない。それだけ充実した日々を送ってきたという証だ。

 

何だかサラ教官と話をしているような気分だ。とても同い年の女性とは思えない。

アンゼリカ先輩の19年間は、どんな道のりだったのだろう。随分と達観しているように感じる。

それとなく聞いてみると、先輩は愉快な笑い声を上げながら言った。

 

「私にも色々あってね。家出をして国中を放浪したこともある。さっきの言葉は、その時に世話になった女性の受け売りのようなものさ」

 

開いた口が塞がらなかった。とても大貴族の息女とは思えない経歴だ。

アンゼリカ先輩の人となりは、世話になった女性とやらの影響もあるのだろうか。

どんな女性だろう。私も一度会ってみたいものだ。

 

「まあ私にだって、思い悩むことぐらいあるよ。今日ここへ来たのは、それもあるんだ」

 

アンゼリカ先輩は丸椅子から腰を上げ、私が眠るベッドの反対側、窓側へと歩を進めた。

壁際には引き出し型の収納棚が置いてあり、本やノートといった私物を収めてある。

その上には、私の得物。長巻や先輩から借りていた手甲を置いてあった。

武具を持ち込むのは気が引けたが、看護士さんにお願いして特別に許可をもらっていた。

剣を振るうことはできないが、その感触だけでも忘れないようにと、毎日握っていたのだ。

 

「アヤ君。折り入って頼みがある」

「あ、はい。何ですか?」

 

アンゼリカ先輩は言いながら、棚の上に置いてあった手甲と鉢がねを手に取った。

慣れた手付きでそれを装着し、確かめるように数度、先輩の拳が宙を突いた。

 

「しばらくの間、これを私に戻してくれないか」

「え・・・・・・はい。私はこんなだし、構いませんけど」

 

断る理由は見つからない。同じように、アンゼリカ先輩の意図が汲み取れない。

単なる気紛れで言っているわけではないことは、先輩の表情から察せられた。

 

「少々、気掛かりなことがあってね。これは念のためさ」

「気掛かり・・・・・・何かあったんですか?」

「今は差し控えておくよ。君に余計な気苦労はかけたくないからね」

 

そんな言い回しをされると、気になってしまう。

何だろう。武具を取る以上、事は単純ではないように思える。

私達のように、特別実習があるわけでもないのに―――

 

「―――って、何してるんですか!?」

 

顔を上げると、そこには胸元のジッパーを下ろすアンゼリカ先輩がいた。

鉢がねと手甲を外した流れで、当然のようにライダースーツを脱ぎ始めていた。

 

「ああ、言っていなかったね。今日はここに泊めさせてもらうよ」

「と、泊まるって。この部屋にですか!?」

「勿論。安心するといい、着替えは持って来てある」

「そこじゃなくって!」

「外泊届けならトワが出してくれているよ。申請日を改竄してね」

 

問題はそこでもない。

というか、それはどうにかなっていない。生徒会長に何をさせているんだこの人は。

 

先輩はTシャツとジャージというラフな服装に着替えると、鞄から入浴具を取り出した。

随分と準備がいい。本当に泊まる気満々で来ていたようだ。

聞けば、かかりつけの看護士さんに申し出はしてあり、既に許可も貰っているのだという。

 

「そんな状態では、満足に身体も洗えないだろう。私が背中を流してあげるよ」

「人の話を聞いて下さい・・・・・・わわっ!?」

 

私の言葉に構うことなく、アンゼリカ先輩は私の身体を両腕で抱きかかえた。

所謂お姫様抱っこだ。駄目だこの人、もう何を言っても止まりそうにない。

 

私は胸元に手を突っ込み、身を潜めていたランを無造作にベッドの上へ投げ捨てた。

アンゼリカ先輩は気付いていないようだ。流石に浴場までは連れて行けない。

ごめん、ラン。今度何かあげるから、適当に何処かへ隠れていて。

 

_________________________________

 

9月11日、土曜日。

アンゼリカ先輩はこの部屋で1泊した後、朝一でトリスタへと帰って行った。

一応ベッドは2つあるというのに、一緒のベッドで眠る羽目になった。

面倒見がいいんだか、単に引っ掻き回して遊びたいだけなのか。

まあ今だけは前者の面に目を向けよう。おかげで心が軽くなったことは確かだ。

ただ、先輩が言っていた『気掛かり』。やはり気になるところではある。

頭の片隅に入れておこう。多分、何かがあるはずだ。

 

今日は驚いたことに、ロイドからの手紙がこの病室へと届けられた。

私が入院中であったためか、第3学生寮宛ての手紙が転送されてきたようだ。

もしかしたら、シャロンさんあたりが気を利かせてくれたのかもしれない。

手紙は以前とは比較にならない程に長文で、読むだけで一苦労だった。

 

元々こちらからも手紙を書こうと思っていた。

私はその手紙を読みながら、返信を書く。書きながら、手紙を読み直す。それを繰り返していた。

気付いた時には、既に午後の15時を回っていた。

 

手紙には案の定、通商会議やテロリストによる襲撃事件に関することが書かれていた。

その内容は、細部に渡り詳細に説明されていた。

おかげであの日、クロスベルで何が起きていたのか。その全貌を把握することができた。

 

『赤い星座』。フィーがいた西風の旅団と対立していたという、巨大な猟兵団。

まさか猟兵まで関与していただなんて。とんでもない話だ。

手紙に書かれていることが事実なら、俄かには信じ難い。

 

2大国が強引に、クロスベルへ干渉しようとした。私はその程度に受け取っていた。

だがロイド達クロスベル側からすれば、強引にどころの騒ぎではない。

巨大な力で外堀を埋め、たくさんの犠牲を利用しながら、事は運ばれていた。

双方で把握している現実が違えば、考えや受け取り方もまるで異なってくる。

今自分が身を置く帝国という国が、途端に恐ろしい何かに思えてくる。

 

「ふう・・・・・・」

 

私もロイドに習い、この国が抱える実情を、書き綴っていた。

大分腕が痺れてきた。手紙を読み続けていたせいで、目も疲れている。

 

ここまで詳しく書いてくれたのは、やはりオリヴァルト殿下に声を掛けられたからのようだ。

宰相を狙うテロリストの存在も、殿下の口から直に聞いた。そう書かれていた。

殿下とロイド達特務支援課。接点が生まれようがないはずの彼らの間に、1つだけ。

彼らを結ぶ共通点が、手紙には記されていた。

 

その存在は、以前クロスベルを訪ねた時に知らされていた。

ロイド達と協力して、クロスベルの異変に立ち向かった、2人の遊撃士。

名前は今回の手紙で初めて知った。今思えば一度だけ、私はその名を聞いたことがあった。

 

―――君達はどことなく、エステル君達に似ているよ。

 

リベールの異変。

私がノルド高原で平穏な生活を送る最中に発生した、帝国までもを巻き込んだ一大事件。

リベール王国で起きた真相を、ロイドは彼女らに聞かされたと手紙にはあった。

 

そして―――空の軌跡。昨晩は気が動転していて、殿下の口から聞くことは叶わなかった。

あの物語が、本当に事実なら。手紙に書かれていることに、間違いがないなら。

リベールの異変の真実。空の軌跡。クロスベル。私の中で、全てが繋がる。

それは殿下が言うように、繋がるはずのない1本1本の糸が、結ばれるように。

彩り豊かな世界が、目の前に描かれていく。

 

「うーん・・・・・・どうだろ」

 

いずれにせよ、まだ確信は無い。憶測の域を出るに及ばない。

次がいつになるか分からないが、機会があれば、殿下の口から直接聞いてみたい。

 

ロイド達は来週の頭に、支援課の皆で保養地ミシュラムへ向かう予定である旨が書かれていた。

彼らも激動の日々を過ごしてきた身のはずだ。束の間の休息、というやつだろう。

私も早いところ身体を治さないと。そう考えていると、扉をノックする音が耳に入った。

 

「アヤ、起きていたか」

「うーッス。元気にしてたかよ」

「みんな。来てくれたんだ」

 

開かれた扉の先には、ガイウスにリィン、そしてクロウ先輩の姿があった。

ガイウスが来ることはアンゼリカ先輩から聞かされていたが、2人も来てくれたか。

 

「ゼリカから聞いたぜ。夕べはお楽しみだったらしいじゃねえか」

「馬鹿言わないで下さい」

 

ある事ない事アンゼリカ先輩が言い触らしたのだろう。迷惑極まりない。

それにしても、随分と早いように思える。授業が終わってから、まだ1時間も経っていないはずだ。

 

「ガイウスが少しでも早く話したいっていうからさ。授業が終わってすぐに、急いで帝都方面の列車に乗ったんだ」

「ふーん。あはは、そんなに寂しかった?」

「ああ。アヤは違うのか?」

「ううん。ありがとう、来てくれて」

 

私が言うやいなや、クロウ先輩が表現のしようがない形相で私達を睨んでくる。

そんな顔をされても困る。こうして話せるのは本当に貴重な時間なんだ。

見せつけるつもりはないが、今ぐらいデレてもいいだろうに。

 

「あーあ。俺もたまには平日に、一日中ベッドで寝てみたいもんだぜ」

「クロウはいつも授業中に寝てるだろ・・・・・・」

 

クロウ先輩のぼやきに、リィンが的確な突っ込みを入れる。

それで初めて気付いた。いつの間にか、2人の間に敬語は無かった。

以前からクロウ先輩がそうしろと言っていたが、こうして聞いていると違和感が無い。

先輩もその方が気が楽なのだろう。なら、私もリィンに習うべきかもしれない。

 

「ま、早いところ復帰しろよ。お前さんがいないと、ミリアムに部屋をとられちまうぜ」

「うん。ありがとう、クロウ」

 

それから私達は、4人で取り留めの無い話題で花を咲かせた。

リィンによれば、来週には今年初めてとなる理事会が開かれるそうだ。

今回のガレリア要塞での一件を受けて、今月も予定通り特別実習を行うかどうかを含めて。

常任理事の3人、そして理事長であるオリヴァルト殿下が集い、話し合われるのだという。

 

「うーん。みんなはどう思う?」

「そうだな・・・・・・俺は正直、中止になってもおかしくはないと思う」

 

腕を組みながら、リィンが言った。ガイウスやクロウも、それに同意見のようだ。

どう贔屓目に考えても、その可能性が高いことは事実だ。

 

もしあの場で誰かが犠牲になっていれば、士官学院は今頃大変なことになっていたはずだ。

特別実習の中止は勿論、特科クラスの解散に至っていても不思議ではない。

事情はどうあれ、ARCUSの試験運用のために、学生の命が危険に晒された。

客観的に見れば、そうとしか映らないのだ。世間からの非難は相当なものになる。

あの場で要塞への突入を指示したサラ教官は、並々ならぬ覚悟を持って決断したのだろう。

 

私がこうして入院していることも、事件とは関連性が無いことになっている。

今回の騒動を取りまとめた報告書の中では、私はあの歩兵分隊に保護されたとされていた。

士官学院側へは、サラ教官が。正規軍側へは、ナイトハルト教官が働きかけてくれた。

私が意識を失っている間に、2人は苦渋の決断で、私に関する事実を隠蔽した。

ガレリア要塞へ突入した事実は無い。真実を知るのは、殿下を含めた一部の人間に限られる。

 

私はあくまでレグラムで身体を酷使し過ぎて、身体を壊してしまっただけ。

と言っても、それ自体が大問題だ。馬鹿正直に報告できるはずがない。

全ては私の判断ミスによるもの。レポートには徹底してそう書いておいた。

事実をありのままにまとめたレポートは、サラ教官提出用になりつつある。

 

先月の実習といい、サラ教官には本当に気苦労ばかり掛けてしまう。

誰よりも重く今回の一件を受け止めているのは、きっと教官に他ならない。

それは皆も理解しているのだろう。私達の処遇がどうなったとしても、受け入れるしかない。

 

「まあ俺達が悩んだところで仕方ないだろうよ。しばらく延期になるぐらいの覚悟はしておいた方がいいんじゃねーの?」

「ああ、そうだな・・・・・・さてと。俺達はそろそろお暇するよ」

「え?」

 

時計に目を向けると、まだ彼らが来てから30分程度しか経っていなかった。

明日は自由行動日だし、もう少しいてもいいと思うのだが。何か予定があるのだろうか。

 

「今日はガイウスもゆっくりできるだろ?邪魔をしちゃ悪いだろうからさ」

「そういうこった。精々よろしくやれよ、お二人さん」

 

私とガイウスを交互に見ながら、リィンとクロウが足早に去っていく。

もしかしなくとも、私達に気を遣ってくれたのだろう。

 

「待って、2人とも」

 

私は扉に手を掛けていたリィンとクロウを呼び止めて、言った。

 

「本当に・・・・・・会いに来てくれてありがとう。みんなにも、そう伝えておいてもらえるかな」

 

初めに私を訪ねてくれたのは、アリサとユーシス。

入れ替わるようにして、結局は皆が私に会いに来てくれた。

 

先月の実習は、これまで直面した危機の中で、最も過酷だったことは確かだ。

でもそれ以上に、私は怖かった。よくよく考えてみれば、私は単独行動ばかりだった。

初日から別行動だった。レグラムで目を覚ました時、皆がいなかった。

ガレリア要塞でも、私は置いていかれた。気付いた時には、このベッドにいた。

いつも肩を並べ、励まし合いながら壁を乗り越える仲間がいなかった。

それが私にとって、一番辛かった。心を弱めていた原因は、きっとそこにもある。

 

いずれ私は、皆と道を違える。遊撃士としての道を、独りで歩み始める。

今の私には無理のようだ。全てを背負い切れる程、私は強くない。

それを今更ながらに思い知らされた。将来の道を垣間見たことで、私は勘違いをしていた。

弱音を吐かずここまで来れたのは、皆がいてくれたおかげだというのに。

いつの間にか、そんな事まで忘れてしまっていたようだ。

 

「りょーかい。まあ早いところ復帰して、自分で直接言うこった」

「そうしてくれると、俺も嬉しいよ。みんな待ってるからさ」

 

時間はたくさんある。

今までのようにこれからも、手を取り合いながら歩いて行こう。

 

「うん。じゃあ、またね。リィン、クロウ」

 

クロウが手を振りながら扉を閉めると、何日振りか分からない2人っきり。

ちょっとだけ、気まずい空気が流れ始める。

 

「あはは・・・・・・ねぇ、ガイウス」

「どうした?」

「今日はいつまでいられるの?」

「ずっとだ」

 

言いながら、ガイウスはいつも実習で使用する布袋を持ち上げた。

中には着替えの類が入っているのだろう。初めからそのつもりで今日は来たようだ。

私が目を覚ましてから約1週間。アンゼリカ先輩とは違い、正規の外泊届けを出しておいてくれたのかもしれない。

 

「そっか・・・・・・よいしょっと」

 

身体を起こし、ベッドの下に置かれていたスリッパに、ゆっくりと足を入れる。

両足で立つと、ガイウスがそっと身体を支えてくれた。

久しぶりの体温。彼の息遣い。ひどく懐かしくさえ思えてくる。

 

「アヤ」

「ん」

 

壊れ物を扱うように、優しく抱き包まれた。痛みすら忘れそうになる。

士官学院に来てから手に入れたもの。一番の幸せを確かめるように、私は彼の背中に腕を回した。

 

_________________________________

 

私はガイウスを連れて、医療棟の敷地内を歩き回ることにした。

やはり私はじっとしていられない性分のようだ。時刻は17時を回っていた。

天気予報は盛大に外れたらしい。この分なら、明日以降も晴れ間が続くだろう。

周囲はまだ明るいものの、陽の光は既に夕暮れ時のそれに変わりつつあった。

 

昨晩も感じたことだったが、ここまで日が短くなっていたことに、今になって驚いてしまう。

知らぬ間に夏は終わりを告げ、初秋の匂いすら漂いつつある。

 

今年の夏は、たくさんの思い出を残すことができたと思う。

一番はやはり夏季休暇だ。あの5日間は、今でも昨日のことのようによく覚えている。

皆で語り合った夜。泥に塗れながら撮った写真。ランとの出会い。

そして―――ケルディックの夜空に咲いた、色取り取りの花。

 

夏の終わり。夏に限って「季節が終わる」という表現が多用されるのも頷ける。

こうもノスタルジックな感傷に浸れるのは、今の時期特有のものだろう。

だがそれでは秋に失礼だ。どちらかと言えば、私は寒い季節の方が好きなのだ。

 

「どうかしたのか。急に黙り込んで」

「あはは。何でもない」

 

寄り添うようにガイウスの右腕を抱きながら、ゆっくりと歩を進める。

歩くだけなら、痛みもさほど感じなくなってきた。

我ながら見事な回復力だ。と言っても、完治には未だ程遠い。

順調に身体は良くなってはいるが、医師の見立てではあと10日程、様子を見る必要があるそうだ。

 

「そうか。特別実習が予定通り行われても、今月は難しそうだな」

「うん・・・・・・残念だけど、仕方ないよね」

 

そのまま退院できたとしても、以前のように動けるまでには、かなりの時間が掛かる。

やはり実技テストや特別実習は、見送らざるを得ないだろう。

 

「でも今日さ、外に出る許可は貰ったんだ。短時間なら、出歩いてもいいんだって」

「無理はしない方がいい。痛みはあるんだろう?」

「大分治まってきたから、大丈夫だよ。歩く位なら・・・・・・痛たた」

 

不意に、首の後ろに痛みが走った。

心配そうな表情を浮かべたガイウスが、安堵の溜息を付きながら小さく笑った。

爪を立てるなと言っているのに。今日はまた何処へ行っていたのだろう。

 

「本当に君のところにいたんだな・・・・・・ん?」

「どうしたの?」

「いや。その、気のせいだろうか。ランはこんなに小さかったか?」

「き、気のせいだよ。気のせい」

 

ランを肩に誘導しながら、気のせいを連呼する。

ベッドへ放り投げたことを怒っているのだろうか。もう謝ったのに。

 

「看護士さん達には黙っててね。見つかったら・・・・・・ガイウス?」

 

突然、ガイウスの足が止まった。

見れば、前方を見ながら固まっていた。文字通り、微動だにしなかった。

私はガイウスの右腕を抱きながら歩いていたので、自然と私の足も止まってしまった。

 

「どうしたの、ガイウス・・・・・・ガイウスってば。おーい」

 

何度名を呼んでも、本当にピクリとも動かない。

呆気に取られたかのように、沈黙を守りながら何かを凝視しているようにも見える。

一体どうしたというのだろう。確かめるために、私は彼の視線の先に目を向けた。

 

「・・・・・・へ?」

 

その瞬間、私も固まった。

いるはずのない人物が、この医療棟の正門に立っていた。

女性だった。誰かを探しているのか、キョロキョロと周囲を見渡していた。

 

「が、ガイウス」

「ああ。信じられないが・・・・・・」

 

すると女性は私達に気付いたのか、満面の笑みで手を大きく振り始めた。

傍らに置いていた布袋を拾い上げ、足早に私達の下へ向かってくる。

近付けば近付く程、見間違いではないことが確認できた。

本当に、どうして。何故こんなところにいるのか、まるで理解が及ばなかった。

 

「お、お―――お義母さん!?」

「ふう。久しぶりね、ガイウスにアヤ。大分迷ってしまったから、心配だったけど・・・・・・これも風と女神様のお導きね。安心したわ」

 

ファトマ・ウォーゼル。私にとって、2人目の最愛の母。

お義母さんは息を荒げながら、その笑顔を私とガイウスに向けた。

 

「あ、ああ・・・・・・驚いたよ。母さんが、どうしてここに?」

「積もる話は後にしましょう。それにしても・・・・・・ふふっ」

 

私とガイウスを交互に見ながら、お義母さんは口元に手を当て笑った。

 

「お義母さん?」

「うふふっ」

 

また笑った。その笑みが含み笑いであることは察せられたが、今はそれどころではない。

どうしてこの帝国に、帝都にお義母さんが―――

 

「あっ」

「む?」

 

―――私は今、ガイウスの腕を抱きながら、身体を預けて立っていた。

思いっ切り密着して。寄り添うように。恋人のように。というか、恋人なんだけど。

漸く、思い至った。私達は、大変なことを両親に黙っていたのかもしれない。

 

「あなた達にも、積もる話があるみたいね。後で聞かせてもらえるかしら。ガイウス、アヤ?」


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