絢の軌跡   作:ゆーゆ

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私が望む、確かな未来を

ただ走っているだけだというのに、鋭い痛みが全身を貫いていく。

一歩足を踏み出す度に、堪えた声の代わりに目元へ涙が滲んでくる。

今は耐えるしかない。ここで立ち止まっては、それこそ皆の足枷でしかない。

 

「こ、これは・・・・・・!」

 

暴走した戦車を追い、要塞から躍り出た私達が目の当たりにしたのは、戦場。

本来の意味での、現代における戦場だった。

 

「みんな、伏せて!」

 

フィーの声に反応し、皆が身を屈め地に伏せた。

途端に響き渡る、鼓膜が破れんばかりの轟音。同時に、何者かの呻き声が聞こえた。

 

既に犠牲者は、目の届く範囲に数名確認できた。

片足を失い、顔を歪めながら泣き叫ぶ者。大部分を散らし、原型を留めていない者。

揺るぎない存在感を纏っていたはずの要塞が、地獄絵図の様相を呈していく。

既に周囲には、独特の生臭さが漂い始めていた。

 

私にとっては、初めての経験ではなかった。もっと凄惨な光景の中心に立っていた過去がある。

自分の心配をしている場合ではない。その思いで、顔を上げた。

そこには―――驚いたことに、誰一人として、恐怖に飲まれた人間はいなかった。

 

(みんなっ・・・・・・)

 

もしかしたら、誰もが覚悟を決めていたのだろうか。

昨日に実施された軍事演習の件は、皆から聞かされていた。

この国が抱える物の大きさ。混じり気の無い、ただ純粋な力が生み出した、眼前の事態。

少なからず、この場にいる何人かが将来扱うであろう力の本性を。

 

「むっ・・・・・・な、何だ?」

 

ナイトハルト少佐の声と共に、突然轟音が止んだ。

見れば、それまで敷地内を暴走していた戦車達が、足並みを揃え始めていた。

向かった先は、基地の北部。要塞から逃げるように1台、また1台と姿を消していった。

 

「あれは・・・・・・演習場に向かっているのか?」

「変ね。どういうつもりかしら」

 

演習場。皆が昨日、軍事演習を見学したという併設地のことだろうか。

だとするなら、サラ教官が言うように、腑に落ちない。

戦車が独りでに動き出した事自体、不可解極まりないが、どうしてこのタイミングで。

その先に、何か重要なものがあるのだろうか。いずれにせよ、放っておくわけには―――

 

「ここは我らに任せよ!!」

 

複数の走行音と共に、それに負けない程の逞しい声が鳴り響いた。

振り返ると、そこには暴走車を優に超える数の戦車が、隊列を組んで前進していた。

今し方耳にした声は、中心を走る車両に仁王立ちする男性のものだった。

 

「と、父さん!?」

「お父さんって・・・・・・じゃあ、あの人が」

 

オーラフ・クレイグ中将。『紅毛のクレイグ』その人に違いない。

一見して似ているとは言い難いが、特徴的な髪色はエリオットのそれとそっくりだ。

 

「状況は司令部より聞いた。暴走車は我々に任せるがよい。陽動の可能性もある、お前達は留まるがよい!!」

「了解しました!」

 

再び戦車が呻りを上げ、けたたましい走行音と共に暴走車を追い、演習場へと向かった。

ものの数秒の間に、それまで轟音に包まれていた敷地内へ、静寂が生まれた。

サイレンの音や叫び声は聞こえていたが、鳥の囀りのような小さな日常音に感じられた。

 

「少佐、一度要塞内に戻りませんか」

「ああ。敷地内の様子を確認してから―――」

「待ってくれ」

 

サラ教官とナイトハルト少佐のやり取りに、ガイウスが横槍を入れた。

当のガイウスは静かに目蓋を閉じながら、何かに注意を払っていた。

すると突然見開いたその目が、上空へと向いた。

 

「みんな、上だ!!」

 

声と共に、その場にいた全員が上空を仰ぎ―――一瞬声を失い、息を飲んだ。

 

「あ、あれは・・・・・・RF26シリーズ!?中型の高速機動艇だわ!」

「チッ、別働隊がいやがったか!」

 

遥か上空から猛スピードで飛来した、二隻の飛空艇。

アリサの言葉が正しいなら、あれはラインフォルト社製に違いない。

サラ教官らが言っていた。連中は、出所不明の軍用飛空艇を所持していると。

疑うまでもなかった。おそらくあの中に、あいつらがいる。

クレイグ中将が睨んだ通り、戦車の暴走ですらが、陽動に過ぎなかったということか。

 

二隻の飛空艇は吸い込まれるように、要塞内の両翼へそれぞれ着陸した。

直後に上方から聞こえてきた、特徴的な銃声と複数の悲鳴。

 

(ヴァルカンっ・・・・・・)

 

忘れもしない、この感覚。豪雨を思わせる、途切れることのない一連の銃声。

確信した。たった今あいつらは、この要塞内に足を踏み入れたはずだ。

 

「両翼からの襲撃っ・・・・・・まさか、狙いは列車砲か!?」

「なっ―――」

 

背筋が凍った。

それが、戦車を暴走させてまで、この鉄の要塞へ強引に押し入った目的か。

 

「ち、直撃したらビルごと吹き飛ぶわよ!」

「馬鹿言わないで!!ビルだけじゃない、クロスベル市ごとっ・・・・・・みんなが」

 

冗談じゃない。そんな最悪の可能性、考えたくもない。

私の故郷が、下らない思想のために、再び戦火に飲み込まれようとしている。

いい加減にしろ。ノルドに続いてどうしてこうも、私の大切な物が脅かされる。

もうあんな思いは御免だ。もう二度と―――大切な人を、奪われてたまるか。

 

「最早事態は実習の範疇を超えている!お前達はここで待機して―――」

「嫌です!!命令に背いてでも、強引にでも私は動きます!!」

「アヤの言う通りですっ・・・・・・教官、どうか俺達も連れて行って下さい!」

 

悲鳴のような声を上げる私の肩を掴みながら、リィンが力強い意志を込めて言った。

《Ⅶ組》全員分の視線を一手に背負わされたナイトハルト少佐は、言葉を詰まらせてしまった。

迷わないでほしい。こうしている間にも、秒刻みで最悪の可能性は現実へと近づいているのだ。

 

すると今度は、ナイトハルト少佐の肩に、サラ教官の手が置かれた。

 

「時間がありません。手伝ってもらいましょう」

 

もう片方の手は、小刻みに震える程に強く、固く握られていた。

それはきっと、11人分の命を背負う覚悟。戦場に教え子を連れ行く、決意の表れ。

そんな教官に、感謝の意を胸中で呟いた私は、思いも寄らない言葉を向けられた。

 

「ただし、アヤ。あなたは駄目よ」

「えっ・・・・・・ど、どうしてですか!?」

「分かっているでしょう。今のあなたは足手纏いでしかない。皆に危険が及ぶわ。連れて行くのは、あなた以外。それが条件よ」

 

そんな事は分かっている。理解した上で、言っているのに。

ただ―――反論の余地が無かった。今の私は、ロクに剣を振るう事さえできない。

私はともかく、皆の足を引っ張る様な真似はしたくない。逆に皆を危険に晒すことになる。

 

結局私は、皆からも説得される形となり、首を縦に振るしかなかった。

 

「グズグズしている暇はない。アヤ・ウォーゼル、お前は格納庫で負傷者の処置に手を貸せ」

「これより要塞内に戻る。A班B班、共に遅れずについて来なさい!」

「「はいっ!」」

 

声が重なり、皆がガレリア要塞内へ目指して駆けていく。

一方の私は、呆然と立ち尽くすだけ。そんな私の背中を、優しく撫でる男性がいた。

すると今度は、多少強めに、頭上に別の手が置かれた。

置かれたと言うよりかは、叩かれたと言った方がいいかもしれない。

 

「ここは俺達に任せてくれ。きっと阻止して見せる」

「お前の身に何かあっては、じゃじゃ馬娘に何を言われるか分からん」

「・・・・・・お願い。ガイウス、ユーシス。絶対だからね」

 

皆に一歩遅れて、2人が足早に走り去っていく。

ここは、彼らに任せるしかない。私は私にできる事をするべきなのだろう。

余りに常軌を逸した事態に、誰もが平静ではいられない。

もしかしたら、負傷者の治療にも手が回っていないのかもしれない。

 

(よしっ)

 

傷の手当なら、私にも心得がある。

気を取り直して、私は比較的被害が大きい左翼の格納庫を目指して走り出した。

多少緊張感が薄れたせいか、痛みへの意識が強くなっているように思える。

足を前に出す度に顔が歪む。こんな状態では、確かに足手纏いにしか―――

 

「―――え?」

 

唐突に鳴り響いた銃声。

間違いなくそれは、今格納庫の内部から聞こえてきた。

どういう事だ。もうこの要塞には、上空から降り立った連中以外に脅威は無いはずなのに。

 

痛みを堪え、足早に格納庫へと向かう。

勢いをそのままに飛び込もうかと思ったが、私は注意を払いながら内部の様子を窺った。

 

「あ、あれはっ」

 

人形兵器。しかも、複数体いる。

レグラムの街道で対峙した魔獣と同型のそれが、群れを成して蠢いていた。

 

「うっ・・・・・・!」

 

思わず目を背けてしまった。格納庫の内部では、殺戮が終えた後だった。

無残に横たわった骸の数々。あいつらにやられたのだろうか。

中には、身体中を包帯に巻かれた兵もいた。取り留めた命を、再び奪われてしまったのだろう。

何て酷い事を。そもそも人形兵器が何故この場にいる。

今回の騒動に、あの連中も関わっているというのか。

 

いや、今はそんな事どうだっていい。

どうする。万全の状態ならまだしも、今の私の手に負える相手ではない。

 

決め兼ねていると、後方から車両の走行音が聞こえてきた。

戦車の音ではない。あれは敷地内で何度も目にした、装甲車だ。

装甲車は私の手前2アージュ程の位置で停車すると、勢いよく後方の扉が開かれた。

中から現れたのは、導力小銃を携えた数人の兵士だった。

 

「何だあいつらはっ・・・・・・おい、お前は?」

「トールズ士官学院のアヤ・ウォーゼルです。ここには実習で。その、あなたは?」

「ああ、お前達が少佐が言っていた・・・・・・俺達は第4機甲師団、機械化歩兵第2分隊の者だ」

 

分隊長と思われる男性が、掻い摘んで教えてくれた。

ナイトハルト少佐との通信で、空からの奇襲の事実は、演習場に向かった部隊にも伝わっていた。

一方で、要塞へ戻ろうにも、暴走した戦車の群れに足止めを食らっているそうだ。

先行して駆けつけることができたのが、道中で待機していた一部の分隊のみ。それが彼らだった。

 

「お前は装甲車に避難しろ。俺達は要塞内に突入する」

「ま、待って下さい。あの魔獣は普通じゃないんです。下手に出ればあなた達がっ・・・・・・」

「突破口を開ければそれでいいんだ、時期に本隊が追いつく!早く下がってろ!」

 

私の制止に構うことなく、隊員達が足早に各ポジションへ移動し、中の様子を窺い始める。

駄目だ。一介の学生の声など、この戦場の中で説得力の欠片も無い。

私が何を言ったところで、この人達はあの魔獣の群れの中に飛び込んでいくつもりだ。

 

「・・・・・・っ!」

 

迷っている時間は無い。今ここには、私しかいない。

これ以上、何の罪も無い人間が命を落とすなんて、耐えられない。

残された道は、最初から1つしか無かった。

 

『何のつもりだ。考え直すがいい』

「黙って。自分の情けなさで、泣きそうなんだから!」

 

いつの間にか、ランが頭上を舞っていた。

耳を貸すな。通常の月光翼なら。まだ何とか、耐えられるはずだ。

いや、耐えて見せる。ここで動かなかったら、私は一生後悔する。

私にできることは―――剣を振るう。それだけだ。

 

「ぐっ・・・・・・ぐうぅぅっ!?」

 

気を巡らせた途端、途方も無い激痛に苛まれた。

両の膝が折れ、何かを抱きかかえるように蹲りながら、私は声を飲み込んだ。

邪魔だ。今だけは痛覚など、邪魔以外の何物でもない。全部、邪魔だ。

 

「がああぁっ!!!」

 

振り払うように、鉢がねを巻いていた額を、地面のコンクリートへと叩きつけた。

衝撃と共に耳鳴りに襲われ、数秒間だけ、私だけの静寂が生まれた。

 

「なっ・・・・・・お、おい。何だ、一体どうしたんだ?」

 

次第に回復していく聴覚と意識と共に―――気付いた頃には、痛みは鳴りを潜めてくれていた。

二日酔いを、酔いで上書きするかのような高揚感。

全身に力が漲ってくる。これなら、いける。

 

「だ、大丈夫です・・・・・・私が先陣を切ります。後に続いて下さい!」

 

腰を上げながら鞘を払い、私は人形兵器の群れを見据えた。

お前らの好きにはさせない。絶対に、阻止して見せる。

 

________________________________

 

格納庫から突入し、およそ20分後。

私は分隊と連携を図りながら、倉庫区画の奥部まで前進していた。

 

「せぇああぁ!!」

 

群がっていた人形兵器のラスト一体を、力任せに叩き斬った。

こいつらの動きには慣れてきた。桁外れの感応力を持ちながらも、あくまで相手は機械。

攻撃も直線的だ。初動さえ外せれば、追いつかれることはない。

 

「な、何て学生だ。お前、何者だよ」

「ぐっ・・・・・・つ、次はどっちですか?」

「あ、ああ。突き当りを左、奥の階段の先が列車砲の格納庫だ」

 

それに、私は分隊の力を甘く見ていたのかもしれない。

統率のとれた無駄がない動きで、誰もが一瞬たりとも隙を見せはしない。

相当な練度だ。第4機甲師団の兵士は、皆こうなのだろうか。

おかげで迷うことなく、真っ直ぐに列車砲へと向かうことができているはずだ。

 

「おい、大丈夫か?一旦後方に引いた方が」

「構わないで下さい。時間が無いんです!」

 

列車砲だけではない。私の身体は、初めから限界を超えている。

痛みの代わりに、呼吸が不規則になりつつあった。吐き気すら込み上げてくる。

気を抜くと、今まで抑えていたものが一気に噴出してしまいそうだ。

私に残された時間も、もう少ない。

 

「ん・・・・・・待てよ。お前、アヤって言ったか」

「え?はい、そうですけど・・・・・・それが何か?」

 

突然、名前を確認された。

こんな時に何だ。時間が無いと言っているのに。

 

「もしかして、お前―――」

 

不意に、庫内中にけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

敷地内で鳴っていた音とは違う。思わず耳を塞ぎたくなるような、不安に駆られる鋭い音だった。

 

「ぶ、分隊長。これは、まさか」

「ああ。列車砲が・・・・・・駆動し始めている」

「なっ!?」

 

馬鹿な。間に合わなかった、というのか。

ここまでの道中、誰とも会っていない。皆は私達よりも先行しているはずだ。

もう目と鼻の先に列車砲はある。もう辿り着いていてもおかしくないというのに。

 

「安心しな。初弾は空砲が装填してある。次弾を装填するにしても、時間が掛かるはずだ」

「・・・・・・そうなんですか?」

 

ほっと胸を撫で下ろした瞬間。後方の壁が突然爆ぜた。

 

「「!?」」

 

振り返ると、石埃の向こう側に、複数の影が映った。

弾かれたように、前方のT字路に全員が滑り込んだのと同時に、銃弾の雨が飛来した。

 

「またあいつらかよっ・・・・・・!」

 

見たところ、複数体いる。漸くここまで来たというのに。

時間が掛かると言っても、残された時間がそう多くはないはずだ。

こんなところで足止めを食らっている暇はない。

 

「おい、ここは俺達が食い止める。お前は先に行け」

「そ、そんな。馬鹿言わないで下さい!」

「いいから行け!それが一番可能性が高いんだ、情けない限りだがな!」

 

分隊長は、引き金を引きながら言った。

その覚悟の程は、背中を見れば察せられた。

だが向こうはかなりの数だ。彼らだけの手に負えるとは到底思えない。

 

「ノルドの監視塔に、弟が勤めてんだ。ザッツって男でな」

「えっ・・・・・・」

「聞かされてたんだ。ノルドには小さな女神様がいるってなっ・・・・・・グズグズするな、行け!!」

 

言うと同時に、再び小銃の引き金が絞られた。

そうだ。こうして悩んでいる1秒が1秒が、彼らの対する裏切りになる。

迷うな。誰もが私と同じだ。列車砲の阻止だけを考えろ。

 

「ありがとうございます。みんな、絶対に死なないで!」

「当たり前だっ・・・・・・総員、残弾に構うな!勝利の女神様に、一歩たりとも近付けるなよ!!」

「「ヤー!!」」

 

振り返ることなく、私は前方の階段を駆け上がった。

やがて目に飛び込んできたのは、足が竦むような広大な1つの空間。

中央には、筒状の巨大な砲台。間違いない、これが列車砲だ。

 

「あ、アヤ!?」

 

最も近い位置にいたエリオットが、振り返りながら驚きの声を上げた。

その前方には、他のB班の面々。対峙しているのは、テロリストの一味か。

右方にはナイトハルト教官の背中。向こう側には、ヴァルカンの巨体。

手前にあったはずであろう通路は、一部が崩れ落ち、2人とは分断されていた。

ガトリング砲か何かの衝撃で崩落したのだろうか。いずれにせよ、あちらは1対1だ。

サラ教官とガイウス達は、逆側の列車砲を抑えるつもりなのだろう。

 

(私は―――)

 

戦況とは裏腹に、不思議と心は静まり返っていた。

焦るな。冷静に戦局を分析し、最善の行動を取れ。

アリサ達には申し訳ないが―――あちらは彼女らに任せるべきだ。

問題はあいつだ。いくらナイトハルト少佐でも、あれが相手では手に余る。

 

「たああぁっ!!」

 

私はたっぷりと助走を付け、5アージュ以上分断された通路の溝を飛び越えた。

着地と同時に遮蔽物の陰に飛び込み、降り注いだ銃弾は着地点に風穴を開けた。

相も変わらず、とんでもない連射と威力だ。

 

「ウォーゼル、お前っ・・・・・・」

「説教は後でいくらでも。時間がありません、合わせます」

「・・・・・・ああ。覚悟しておけ」

 

ナイトハルト少佐は、通路とは反対側の遮蔽物に身を潜めながら、1つ深い溜息を付いた。

直後、私達のARCUSが繋がった。特に苦も無く、戦術リンクは機能してくれた。

それだけで、少佐の腕の程が窺えた。これは私でも、合わせるだけで一苦労だ。

 

「7分だ。7分後に次弾が装填され、自動発射される。多少強引にでも打って出るぞ」

「了解です!」

 

7分間。それまで身体が持つだろうか。お願いだから、動いてほしい。

この戦いだけは、退くわけにはいかない。たとえこの身が果てようとも、絶対に。

 

________________________________

 

足場は横に狭く、縦に広く。遮蔽物も少ない。

相手は私達の接近を阻止さえすればいい。それだけで、列車砲は駆動する。

 

「ハッハー!どうしたぁ、グズグズしてるとぶっ放しちまうぜ、おい!!」

 

敵の得物も、地形も。数多くの条件が、向こう側に加担している。

数の利が霞む程に、状況は劣勢だった。もう何度も接近を試みては、阻まれている。

 

(あと3分っ・・・・・・)

 

こうしている間にも、タイムリミットは刻一刻と迫っているというのに。

ここからでも、列車砲の操作盤は視界に入っている。

緊急停止レバーを下ろしさえすればいい。たったそれだけの動作が、余りにも遠い。

既に列車砲の砲身は、クロスベルを標的に捉えているはずだ。

 

足踏みをする私達を余所に、再びヴァルカンのガトリング砲が唸りを上げた。

そこやかしこで火花が走り、眼前を横切る銃弾の向こう側で―――ナイトハルト少佐が、動いた。

ARCUSを介して、彼の意思は伝わってきた。自然と、私の腰も上がった。

作戦など無い。時間が残されていない以上、できることは限られている。

 

「今だ!!」

「はいっ!!」

 

発砲が止んだ刹那の隙を見て、私達は敵の眼前に躍り出た。

ヴァルカンに構う必要は無い。私の役目は、緊急停止レバーの作動。それだけだ。

 

「はああぁっ!!」

 

一瞬にして間合いを詰めたナイトハルト少佐の斬撃が、ヴァルカンの巨体へ襲い掛かった。

直後に響き渡った、金属同士が重なり合う交差音。それすらも今はどうだっていい。

目指すは台座にある操作室。ここからなら、簡単に飛び移れる。

 

足を止めることなく、勢いをそのままに通路の柵を飛び越えようとした、その時。

私の両足の膝が、唐突に折れた。

 

「えっ―――」

 

同時に、全身に漲っていたはずの力が、急速に失われていく。

糸が切れた操り人形のように、私の身体は力無く、通路の柵にもたれ掛かってしまった。

力とは逆に、感覚はその鋭さを増していった。

ずっと溜めこんでいたはずの何かが、一気に私の身体に襲い掛かった。

 

(そ、そんなっ)

 

どうして動かない。腕の一本でもいい。

あと5秒間だけで十分事足りるというのに。お願いだから、動いて。

 

「うぐっ・・・・・・うあぁっ!?」

「ウォーゼル!!」

「動くんじゃねえ!!」

 

途端に、頭が割れそうな感覚に陥った。気付いた時には、私は頭を鷲掴みにされていた。

抗おうにも、指一本動かない。ゆっくりと私の身体は持ち上げられ、足が床から離れてしまった。

人形を乱雑に扱うように、私はヴァルカンの左手に吊らされていた。

 

「ヘッ、いいコンビじゃねえか。真っ向からやり合っていたら、どう転んでいたか分からなかったぜ。だがまあ、遊びはもう終わりにしようやっ・・・・・・!!」

 

ギリギリと、頭蓋が音を立てて締め上げられた。

本当は、声を上げて叫びたかった。私は唇を噛みながら、代わりに大粒の涙を流して堪えていた。

この男の狙いは分かっている。その気になれば、一瞬で私の頭など握り潰せるはずだ。

それをしないのは、単に時間を稼ぐだけ。ナイトハルト少佐の注意を引くためだ。

 

「こんな下衆な真似は流儀じゃねえんだがな。おら、さっさと剣を捨てやがれ!」

「ぐっ・・・・・・」

 

捨てては駄目だ。そんな私の思いは届くことなく、音を立てて剣が床に横たわった。

何て馬鹿なことを。今言いなりになっては、本当に間に合わなくなる。

庫内には、発射まであと1分間の猶予しかない旨を知らせる、警告が流れ始めていた。

その瞬間、私はとんでもない思い違いに気付かされた。

 

(あと・・・・・・1分、ある)

 

ナイトハルト少佐の目が、私に言葉無く語りかけてくる。

彼は軍人だ。テロリスト相手に、簡単に屈するはずがない。

ARCUSから伝わってくるのは、紛れもない闘志。彼はまだ、諦めてなんかいない。

 

「どう・・・・・・して、なの」

「ああっ?」

 

痛みを堪えながら両腕を上げ、ヴァルカンの左手指を力無く掴んだ。

外れない。まるで岩のようにピクリともしない。だからといって、諦めるわけにはいかない。

 

「どうして・・・・・・たくさんの命を、危険に晒してっ・・・・・・その先に、何があるっていうの?」

 

あと50秒。十分過ぎる時間だ。

ギリギリまで、限界まで使え。身体は動かずとも、声は出る。

隙が生じた瞬間に、ナイトハルト少佐が仕掛けてくれる。

この男にだって、感情はある。付け入る隙はあるはずだ。

 

「おもしれえこと言うじゃねえか。先なんざ知らねえ、鉄血の首しか俺には見えてねえよ」

「違う。目を逸らしているだけでしょ。逃げて、逃げ回って。同じ穴の狢同士で、あんた達は・・・・・・ぐうぅっ!?」

 

当てずっぽうで並び立てたはずの言葉は、この男の何かに触れた。

応えるように、より一層の力が私の頭に加えられ、頭蓋が割れるような感覚に陥った。

思った通りだ。確かに彼は、過去に宰相と接点がある。それは単純なものではない。

フィーが言ったように、きっと何かがあったはずだ。彼を狂わせた、何かが。

 

「黙って聞いてりゃあっ・・・・・・利いた口を叩くじゃねえか」

「か、家族だか何だか知らないけど。大切な誰かを失うなんて、誰だって経験する事でしょ」

「ハッ、一緒にすんじゃねえ。てめえに何が分かるってんだよ」

「分かるから言ってるんだよ!!」

 

想像以上に、この男には感情らしい感情が残っている。単に、押し殺しているだけだ。

たった独りで、何人分の悲しみを背負っているのだろう。

 

「あんただけじゃない、みんな同じだよ。誰だって、何かを失くしながら・・・・・・何かを探しながら、迷う生き物なんだから」

「ああそうだよ、あの野郎が全部奪っちまったからなあ!?失くしちまったもんは、もうどこにもねえんだよ!」

「だったら誰かに寄り添えばいい!人は、独りじゃ無理なんだよ。全てを背負い切れる程、強くないんだよ。どうしてその弱さを認めないの!?」

「くっだらねぇことぬかしやがって・・・・・・てめえまさか、情に訴えて揺さぶろうって腹かよ?」

 

思わず言葉が詰まってしまった。

その無言を肯定と受けとったのか、ヴァルカンは床面に唾を吐いた後、言った。

 

「何も変わらねえよ。あいつらは戻らねえ。もう、俺も後戻りはできねえんだ」

「で、でも」

「選んじまったもんは仕方ねえだろっ・・・・・・俺は後悔なんざしてねえ!どうなろうが知ったことかよ、この身ごとあの野郎を燃やし尽くせるなら本望なんだよ!!」

 

声量と共に、絶望感が増していく。

駄目だ。この男は、もう止まらない。私が何を言おうが、心は動こうとしない。

そして―――どういうわけか、急速に心が冷えていった。

 

「アヤ君!」

「アヤっ・・・・・・!」

「クク、もう諦めな。あと30秒・・・・・・ド派手な花火はもうすぐだぜ!!」

 

いつの間にか、アリサ達も崩落した通路の向こう側で私達を見詰めていた。

他のテロリスト集団は無力化できたようだ。でも、もう遅い。

こちらに向けられた銃も弓も、放たれることはないだろう。

私がそうしろと言っても、彼らは決して従わない。

 

「・・・わたし、はっ・・・・・・」

 

力の代わりに、止めどなく溢れ出る涙。その意味は分からない。

ヴァルカン同様、心が動かない。心も身体も、立ち上がろうとしてくれない。

私の両腕は再び力を失い、四肢は重量に逆らうことなく、垂れ下がった。

 

―――何なら、面倒を見てやってもいいぜ。ついてくるか?

 

全てを奪われた。

変わらない。後戻りはできない。選んだ以上、前にしか進めない。

ヴァルカンが吐いた言葉の1つ1つが、私の胸に深く突き刺さっていく。

 

あの時、私も選んでいたら。あの手を取っていたら。

どうなっていただろう。あいつらのように、人間ではない何かになっていたのだろうか。

別に自身の意志で拒んだわけではない。何故拒絶したのかすら、記憶が定かでない。

単なるたらればでは済まされない。気紛れで選んだ、ただそれだけの道。

 

―――もう、無理なんだよ。戻れるわけないじゃん。

 

あれは一昨晩の夢か。悪夢と言っていい。

ノスフェラトゥの力の残留。思い当たるとすれば、それしか見当たらない。

ただ、中身の説明は付かない。何故あんな光景を目の当たりにしてしまったのか。

あの夢の正体は、彼女は。本当に、私だったのだろうか。

見たというより、見せられたといった感覚だった。だとするなら、誰が何のために。

 

「・・・うぅ・・・うぐっ・・・・・・」

 

分からない。もう、何もかも分からない。

私は今どこにいる。どうしてこうも、涙が止まらない。

 

「アヤ!目を開けなさい!!」

 

アリサの声に、閉じていた目蓋が辛うじて反応した。

涙で視界が歪んでいるせいで、彼女の姿が上手く捉えられない。

それでも、一歩だけ。ほんの僅かだけ、今を見つめることができた。

あと20秒。再び響き渡った声が、残り時間を知らせてくれた。

 

20秒だ。たったそれだけの時が刻まれた後、大切な多くを、また失うことになる。

ロイドも、ウェンディ、オスカーも。トワ会長に、オリヴァルト殿下も。

諦めるわけにはいかない。私は何をしている。泣いている場合じゃないだろう。

 

―――共に生きてくれ、アヤ。

 

奮い立たせるために、思い出の中から探り当てた声。

アヤ。そう、私はアヤだ。夢の中の彼女は、アヤじゃないんだ。

あの幻に意味があるとするなら、答えは1つしかない。

 

「ひ、人はっ・・・・・・」

「あん?」

 

勢いよく落下した反動で、飛び上がるように心が疼いてくる。

ほんの小さな光を頼りに、私は鉄路の果てに流れ着いた。

 

私が辿った道のり。手に入れた今。

たとえ幾万回、この世界に生を受け、選択を迫られたとしても。

絶対に間違えない。私は叶えてみせる。私が叶えるんだ。

私自身が望む、確かな未来と。その続きを。

 

―――君は人間だ、幸せになっていいんだ。だから、共に生きてくれ、アヤ。

 

「人は―――人の間に在るから、人間なんだよっ!!」

 

視界が晴れ、アリサの姿がハッキリと映った。

崩落した通路の手前で弓を構えながら、しっかりと私を見据えていた。

彼女の手に引かれた矢は青色の光を帯び、確かに私を捉えていた。

 

「勝手に人間を捨てて、諦めて、思い出まで捨てて・・・・・・狂気に走って!!あんたなんかに、私はっ・・・・・・アリサ!!」

 

刹那。私は渾身の力を込めて、右腕を上げた。

同時に、アリサの手から一本の矢が放たれた。

ヴァルカンは飛来した矢に気付くやいなや、私の身体を矢の軌道上に置いた。

私を盾にするつもりか。生憎だが、それは的外れだ。

 

「掴んで、アヤ!!」

 

私の喉元手前5リジュ。

ギリギリの位置で掴み取った矢から、ティアラルの温かな光が流れ込んでくる。

これが最後だ。私に残された、託された最後の力。

迷うことなく、私は頭を鷲掴みにしていた指の1本を掴み、力任せに圧し折った。

 

「がぁっ!?」

 

すると漸く、締め付けていた力が緩み、私の身体は音を立てて崩れ去った。

その上をナイトハルト少佐が飛び越え、直後にヴァルカンの呻き声が聞こえてきた。

もう五感が薄れてきている。最後を見届けるまで、意識は失いたくない。

 

しばらくそうしていると、繋ぎ止めていた聴覚が、列車砲の駆動音が鳴り止んだ瞬間を捉えた。

よかった。これで、左翼の列車砲はもう大丈夫だ。

あとは、右翼。サラ教官達なら、きっと阻止してくれるはずだ。

 

『安心するがいい。右翼も既に抑えたようだ』

 

これは、ランの声だ。一体どこに行っていたのだろう。

今の言葉は本当だろうか。ならもう、気を張る必要はどこにもない。

守った。また、大切な故郷を守ることができた。

 

『もう眠れ。しばらくは、おぬしを見守ると約束してやろう』

 

随分と優しい言葉だ。思っていた通りに、私はボロボロなのだろう。

来月の半ばには、交流会が控えている。できれば、それまでには起きていたい。

流石にそれ以上は、ガイウスにも申し訳ない。逆の立場だったら、なんて考えたくもない。

 

お願い、ラン。起きなかったら、叩き起こしていいから。

 

『それはできぬ約束だな』

 

バカ。それを最後に、今までで一番深い闇の中に、私は落ちて行った。


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