絢の軌跡   作:ゆーゆ

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叶わぬならば

昨晩の夢を彷彿とさせる、身に覚えがない光景。

覚えがないと言っても、昨晩とはまるで感覚が違う。

少なくともこれは、他人の記憶なんかではないはずだ。

 

(あれは―――私?)

 

夢を夢と認識しながら、私は自らが置かれた状況を俯瞰して見ていた。

これは紛れもない、私の夢だ。私自身にしか描くことができない。

記憶や感情、体調や時間。様々な要因が複雑に絡み合い、作り出される摩訶不思議な世界感。

必ずどこかで、私の何かに繋がっている。夢には、必ず理由がある。

 

「・・・ユ、イ・・・・・・」

 

ただ、眼前に広がるこの世界は違う。とてもそうは思えなかった。

私の手に握られた長巻。その刀身から滴り落ちる、生臭い液体。

足元には、斬り伏せられた男性がいた。私の大切な親友であり、大切な思い出。淡い感情。

もう、助からない。私を見上げるその目からは、光が失われつつあった。

 

「だから言ったのに・・・・・・バカ。もう、無理なんだよ。戻れるわけないじゃん」

 

漆黒の衣装に身を包んだ私は、動かなくなった男性を見下ろしながら言った。

私と彼の間に、何があったのか。私はどうして、あんな表情を浮かべているのか。

前後関係すら分からない。彼は、私が捨てたはずの名を口にした。

あれは、私―――アヤじゃない。この世界はきっと、現実から大きく外れた、別の何かだ。

 

「今更だけどさ。大好きだったよ。バイバイ―――ロイド」

 

とうに枯れていたであろう涙が、血涙となり頬を伝っていた。

私は彼に構うことなく、刀身の血を払いながら踵を返した。

隣には、道化師がいた。満足気に、薄気味悪い笑みを浮かべていた。

 

それで漸く、この世界の正体に思い至った。

私が歩むかもしれなかった―――歩むべきだった、もう1つの可能性。

7年前の私に、突如として突き付けられた、選択肢。

しかしだとするなら、何故こんな夢を今になって見る必要があるのだろう。

私の記憶や感情が、こんな凄惨な絵を描くはずがない。

 

―――テ。

 

突然、この場にいる誰のものでもない声が聞こえた。今のは女の子、だろうか。

すると急速に、周囲の光景が色を失い始めた。

キャンバスに描かれた色鮮やかな水彩画が、水で洗い流されるように。

真っ白になるまで、それは続いた。

 

(ガイウス―――)

 

会いたい。一刻も早く、私が想う男性に寄り添いたい。

もうキャンバスは真っ白だ。だから好きなように、思うが儘に、色取り取りの世界を描きたい。

私が選んだ世界。掴んだ幸せは―――もっと、光に満ち溢れているのだから。

 

______________________________

 

いつからこうしていたのかが、分からない。

気付いた時には、夢と現実の狭間を通り越していた。

零れ落ちる涙が、悲しみなのか、安堵が起因しているのかすら曖昧だった。

 

「ご気分は如何ですか。アヤ様」

「・・・・・・大分、落ち着きました」

 

寝心地に文句の付けようがない、セミダブルサイズのベッド。

その傍らに置かれた椅子に座りながら、私の手を握る女性が1人。

そして、私の肩に居座る小鳥が1羽。ハッキリ言って、何が何やらさっぱりだった。

 

まずはこのフワフワとした感覚を、どうにかしてからだ。

あれは夢。ただの夢に過ぎない。中身がどうあれ、現実ではない。

私はアヤで、今レグラムにいる。私が昨日まで歩んできた全てが、確かにある。

それに―――生きている。手と肩に感じる温もりが、そう教えてくれた。

 

「シャロンさん。今日って何日ですか」

「8月30日、午後14時過ぎですね」

「みんなは?」

「B班の皆様とご一緒に、無事ガレリア要塞に到着したと、ご連絡を頂いております」

「・・・・・・あの、何でここにいるんですか?ていうか、いつから?」

「昨晩にこちらへ。アヤ様のお世話をと思い、駆けつけた次第です」

「数時間掛かる道のりですけど。突っ込んだ方がいいですか?」

「うふふっ」

 

矢継ぎ早の問いに、シャロンさんは表情をそのままに答えていく。

その後も私は状況を整理するため、解消しておきたい疑問は全て投げ掛けた。

シャロンさんがこの場にいる理由だけは、分からず仕舞いだった。相変わらず捉えどころがない。

一しきり質問に答えた後、シャロンさんはゆっくりと腰を上げ、窓を半開きにしながら言った。

 

「厨房をお借りしておりますので、お食事をご用意致しますね。どうなさいますか?」

「特盛でお願いします」

 

畏まりました、と小さく一礼しながら言うと、シャロンさんは寝室を後にした。

残されたのは私と、いつの間にか頭上によじ登っていたラン。1人と1羽だけだった。

 

「はぁ・・・・・・」

 

溜息を1つ付いた後、再び私はベッドに身体を寝かせた。

ランは一度宙に飛び上がり、私の胸元へと着地した。

 

『おなかへった』

「私もだよ・・・・・・ちょっと、入らないでよ」

 

ランの呟きに答えながら、私は胸元に潜り込んだランを引きづり出した。

この子はシャロンさんが連れて来たに違いない。それだけは確かだ。

・・・・・・落ち着こう。私は深呼吸を1つ置いた後、今一度この状況を頭の中で整理した。

 

私が意識を失った後の経緯は、シャロンさんから聞かされていた。

ユリアンとカルノを含め、A班は皆無事に帰還することができたようだ。

槍の聖女云々の部分はまるで理解が及ばなかったが、何はともあれ無事でよかった。

一方、意識を完全に失ってしまった私は、目を覚めす気配すら微塵も無かった。

大慌てで私を運び込んだ皆を待ち受けていたのが、シャロンさんとラン。

大まかにはこんなところだ。私は半日以上、ずっと眠っていたそうだ。

 

「いい天気だね、ラン」

 

窓枠から差し込んでくる陽の光が、確かに正午を過ぎていることを知らせてくれる。

とても実習期間中とは思えない。目を瞑れば、再び夢の世界へ落ちそうになる。

 

正直、皆に置いて行かれた感が否めない。が、それも無理からぬことなのだろう。

何しろ行先があのガレリア要塞だ。私に構って、急遽予定を変更するわけにはいかない。

そんな事をしたら、士官学院としての体裁に関わってくる。対外的に問題大有りだ。

 

「んー・・・・・・」

 

大分頭が冴えてきた。そろそろ、考えるべきだ。

今ここに、最大の疑問が残っている。こればっかりは、説明のしようがない。

 

(動く、よね)

 

全身に激しい痛みはある。身体を起こすだけで、思わず声を上げそうになる。

途方も無い疲労と激痛、それだけ。本当にそれしか無いのだ。

正直に言えば、数日間は指一本動かせない程度の代償を覚悟していた。

力を振るった時に感じた、身体が壊れていく感覚は夢ではなかったはずだ。

 

だというのに、動く。多分、私の身に何かが起きたのだろう。

魔物との対峙で負った傷ですら、既に塞がり掛けているのだ。

オーバルアーツでもこうはいかない。昨晩、一体何が。

 

「・・・・・・ねぇ、ラン」

 

そしてもう1つ。目を覚ました時に抱いた、違和感。

間違いではないはずだ。付き合いは短いが、明らかな変化がある。

私は呟くようにして、その疑念をぶつけた。

 

「どうして―――縮んでるの?」

 

痛みを堪えながら身体を起こすと、ランは再び私の肩で羽を休め始めた。

思った通りだ。その小さな体が、一回り以上縮んでしまっている。

羽が抜けたわけではない。成長するならまだしも、その逆なんてあり得ない。

 

私は目を瞑りながら、静寂に身を捧げた。

聞こえてくるのは、窓から入ってくる穏やかな街の声だけ。

小鳥に語りかけるなんて馬鹿げている。だがそれ以上に、不可解な事実が肩にある。

あの夢を見たせいかもしれない。今なら、どんな事だって受け止められる。

 

「ラン」

 

もう一度だけ、名を呼んだ。

すると、何者かの溜息が聞こえた。

 

『単なる気紛れにすぎぬ。私はただ見守るだけの存在だ』

 

―――応えてくれたか。

頭の中に直接響いてくるような、超然とした重々しい声色。

気のせいじゃない。その声は、私の肩から発せられていた。

 

「そっか。敵、じゃあないよね。助けてくれたんだし」

『私の力だけではない。あの娘の術による恩恵の方が大きいと見える』

「あの娘?」

『私が語るべきではないはずだ。いずれ、知る時が来るであろう』

 

誰の事を指しているのかは、皆目見当が付かなかった。

シャロンさんかとも思ったが、そうではないように思える。

・・・・・・何だか変な感覚だ。まさか本当に、小鳥と言葉を交わす事になるなんて。

 

『おぬしとは一度だけ接点がある。支援課を訪ねた日のことを、覚えているか』

「支援課・・・・・・」

 

特務支援課のビルを指して言っているのだろうか。

確かに一夜だけ、あのビルでロイド達と語り合った事はあったが、鳥なんていなかったはずだ。

あの場にいたのは、彼ら以外ではキーアちゃんに、課長さん。

それと、警察犬が1匹。確か名前は―――

 

「―――も、もしかして、だけど。ツァイト、なの?」

『分身のようなものだ。既に意識は離れ、独立した存在となっている』

 

小鳥の正体は犬だった。どうしたらそんな話になる。

戸惑うばかりの私に、ツァイトは言葉足らずながらも掻い摘んで話してくれた。

 

私を一目見た時から、彼は―――なのかは分からないが―――感じ入る部分があったそうで。

もうこの時点で理解の範疇を超えているが、とりあえず私に、何か思うところがあったようだ。

そこでツァイトは、自らの力の一部分を分身として放ち、帝国へ向かわせた。

私の下に来るまでは、この国が置かれた状況を把握するために飛び回っていた。

 

なるほど。うん、さっぱり分からない。

 

『至宝が消滅し、この身を縛る禁忌が薄れたとはいえ、無制限の助力は許されぬ。だが・・・・・・うむ。やはりおぬしは突出して、何らかの形で因果に触れた身であるようだ』

「もう一度言おうか。さっぱり分からないよ」

『それでよい。私は本来、見守るだけの存在だ』

「・・・・・・それ、ロイド達は知ってるの?」

『おそらくは知らぬはずだ。言っただろう、私は本体とは既に離れた存在であると』

 

最後の言葉だけは理解できた。要するに、本体さんは今も警察犬を装っているのだろう。

その正体は、人語すら話す超越した存在。これ以上は聞いても無駄かもしれない。

至宝だの禁忌だの、もう何が何やら。小鳥と会話する現実を受け止めるだけで、精一杯だ。

 

「じゃあ、たまに話す『おなかへった』とかもツァイトなの?そもそも何でインコ?」

『擬態だ。意識しなければ、私はただの鳥だ。外見も群れに合わせただけのこと』

「時々胸元に入り込んでくるのは何なのかな。ツァイトってオス?変態さん?」

『雌雄などない。あれも擬態だ』

 

主に夜を中心として、見られてはまずいものを見られまくっていた気がするのだが。

まあここはツァイトの言葉を信用しよう。そうしないと話が進まない。

 

「とりあえずさ、今までみたいにランって呼ぶよ。それと、流石にみんなには隠しておこうと思うけど。それでいい?」

『好きにするがいい。私はただ、見守るだけだ』

「・・・・・・もう1つだけ。見守るって、何を?」

『私ですら曖昧になりつつある。千年に及ぶ妄執は、最早あの地のみに留まらない・・・・・・それすらも、歯車の1つに過ぎぬやもしれぬな』

 

それを最後に、ランは再び沈黙してしまった。

本当に何なのだろう。私が見た夢といい、ランといい。これは何かの前触れだろうか。

私なんかの想像には収まり切らない、何かが動き始めている気がする。

帝国だけじゃない。クロスベルを含めて、何者かの大きな意志が。

 

_________________________________

 

翌日。8月31日、午前11時。

私とランは大陸横断鉄道に揺られながら、ガレリア要塞を目指していた。

私の行動は、ARCUSとミリアムの得体の知れない通信機を介して、サラ教官から指示されていた。

 

当初は昨日のうちに移動しようと思っていたのだが、結局は待機を命じられた。

大事が無かったとはいえ、今の私は満足に身動きすら取れないのだ。

多分、剣を握れるようになるまで、あと数日間は掛かる。月光翼など論外だ。

今の状態で力を振るえば、それこそどうなるか分からない。

 

一方、私を除く《Ⅶ組》の皆は、第4・第5機甲師団による軍事演習の見学に参加したそうだ。

今日は午前中から正規軍の訓練に参加し、午後からは講義の後に、あの『列車砲』の見学。

私は昼前に到着予定だから、私は午後から皆に合流することになる。

 

「列車砲、かぁ。一目見てみたい気もするけど、気が重いってのが正直なところだよ」

 

その脅威は知っているし、詳細なスペックはアリサが先々月に教えてくれた。

故郷を脅かすだけの、大量殺戮兵器。それ以上でも以下でもない。

抑止力になどなるはずもない。クロスベルは、軍用飛空艇すら持つことが許されていない。

投資したその莫大なミラで、どれだけの国民が幸せになることやら。

 

「そういえば、通商会議ってもう始まってるのかな。ロイド達も警備に参加するんだってさ」

『・・・・・・先程から、私に話しているつもりなのか』

「他に誰がいるの。無視されてるのかと思ったよ」

 

連れて行こうかどうか迷ったが、私としては一緒にいてくれるだけでどこか心強い。

ランは今、私の鞄のポケットの中に身を潜めていた。

 

小動物を列車に乗せる際には、必ずケージに入れて連れ歩くよう義務付けられている。

元の大きさでは収まりようがなかったが、今ならポケットにピッタリのサイズだ。

声も含め、これならバレる心配は無い。周囲の乗客も気付いてはいないはずだ。

 

「何か今回の実習って、単独行動ばっかだし。ちょっと寂しいんだよね」

『言っただろう。私は見守るだけだと。話相手なら他を探すがいい』

「いないから話してるんだってば。変な事は聞かないからさ」

 

ランは自身の事やロイド達について、多くを語ってはくれなかった。

話してくれたのは、最低限の馴れ初めや経緯に留まっていた。

期待はしていなかったが、少しぐらいは相手をしてくれてもいいのに。

 

物は試しにと、シャロンさんが持たせてくれたサンドイッチの一部を千切り、ポケットの中に放り込んでみた。

食べてはくれているようだ。こうして見ている分には、やはりただの鳥に過ぎない。

 

「美味しい?」

『擬態している身だ。味など分からん』

 

それは随分とお気の毒に。食の喜びを味わえないなんて考えたくもない。

しばらくランとサンドイッチを頬張っていると、頭上から車内アナウンスが流れ始めた。

 

「っと。もう着いちゃったか」

『・・・・・・やれやれ。人の創り出し物は、いつの世も到底理解できぬ物ばかりだ』

 

基地を撮影する類の行為が法で禁止されている旨を、車内アナウンスが知らせてくる。

耳にしたのは初めてではないが、相変わらず物騒な内容だ。

鉄とコンクリートが織り成す、ここにしか存在しない威圧的な雰囲気と匂い。

帝国東部国境―――ガレリア要塞。ARCUSは、午前11時半を示していた。

 

______________________________

 

「アヤ!」

「アヤさん!」

 

私はサラ教官とナイトハルト教官―――ここでは少佐と呼ぶべきか。

2人に出迎えられ、講義が行われる予定の一室へと向かった。

 

「お待たせ、みんな」

 

漸く皆と合流することができた。

B班の皆とはたった2日間だけだったが、何だか随分と離れ離れになっていた気がする。

 

「アヤ。身体の方は本当に大丈夫なのか?」

「正直、キツイかな。でも歩くぐらいなら何とか。そのうち治ると思うから」

 

不安げな色を浮かべるガイウスに、多少無理をして身体を動かしながら言った。

彼には相当な心配を掛けたはずだ。必ず戻ると言いながら、あの有様だったのだ。

その後も私は、先月地下から生還した時のように、皆から揉みくちゃにされた。

・・・・・・全身が痛いと言っているのに。容赦が無い。

 

私が振るった力について、何か聞かれると身構えていたが、誰もそれに触れようとはしなかった。

私の力に、裏は無い。リィンとは違い、唯々純粋な力だ。その代償が、余りにも大きいだけ。

皆その大きさを見誤っているのだろう。多少無理をした、程度の認識かもしれない。

これもランのおかげだ。無用な心配は掛けたくないし、この場でわざわざ話す必要はないか。

 

「ほらほら。そういうのは後にして、さっさと席に着きなさい」

 

再会を喜び合う私達に対し、パンパンと掌を叩きながら、サラ教官が着席を促してきた。

もうそんな時間か。私は指示に従い、ガイウスの隣の席へと腰を下ろした。

 

「・・・・・・ありがとう。ガイウス」

「ん?」

「あはは、何でもない。夢の話だよ」

 

誤魔化しながら、椅子の脇に鞄を置いた。

ちなみにランは、鞄の中で身動きを取らずにひっそりと沈黙していた。

今も意識して動きを制限しているのだろう。飛び立たれては何を言われるか分からない。

一応手荷物検査はあったのだが、係員も生きているとは思わなかったようだ。

 

「今から話す事は、テロリストに関する機密事項も含まれるわ。当然だけど、他言無用よ。メモの類も控えること。いいわね?」

 

・・・・・・まあいいか。

1羽だけ部外者がいる気がするが、知らん振りを決め込むまでだ。

 

サラ教官とナイトハルト少佐は、『帝国解放戦線』の動向と素性に関する事柄に触れた。

情報局によれば、彼らは今日、クロスベル方面で暗躍していると睨んでいるそうだ。

当然それは、今あの地で開催されている、通商会議に繋がるのだろう。

 

「問題は連中がかなりの規模だったってこと。少なくとも軍用飛空艇を数機保有しているわ」

「出所は不明だが、最新鋭の高速型と聞いている」

 

どうしてそんな代物が、あいつらの手中に。

この際それはどうだっていい。問題は、ナイトハルト少佐が触れた点にあるに違いない。

もし事実なら、先に動かれた際に抑えようが無いのではないだろうか。

少なくとも、クロスベルの警備隊に飛空艇は無い。空を制する軍事力は無いはずだ。

 

(ロイド・・・・・・それに、トワ会長も)

 

不敬ながらも、大陸各国の首脳陣より先に、私の大切な人の顔が浮かんだ。

いずれにせよ、事前に察知できている分、心配は無用かもしれない。

私にできることは、無事を願う事だけだ。

 

「そういえば、テロリストメンバーの素性も漸く見えてきたそうだが」

 

ユーシスが言うと、ナイトハルト少佐は頷きながらパネルを操作し、眼前に映像が映し出された。

初めて相まみえたのは、ノルド高原。そして、先月の夏至祭での一件。

 

「幹部『G』・・・・・・ギデオン」

 

本名、ミヒャエル・ギデオン。

元は帝都にある学術院に身を置き、若くして助教授の資格を得た優秀な学者だったそうだ。

政治哲学を専攻し、多くの学生が彼の下で政治の何たるかを学んでいた。

 

事が起きたのは、3年前に帝都で開かれたとある学会。

事前に予告していた内容とはまるで無関係の論説を、多くの関係者の前で展開したのだという。

その内容というのが、宰相の強硬的な政治路線を真っ向から否定した、過激なものだった。

その事実を隠し通せるはずも無く、彼はその世界から追放された。

 

「テロリストには、こういう思想的なタイプも少なくないわ。組織の末端に至るまで狂信させる・・・・・・連中が規模を拡大できたのも、彼の力によるところが大きいのかも」

 

私には想像も付かない世界だ。彼らはその先に、何を見ているのだろう。

自分自身の幸せを、考えているのだろうか。

 

「それ以外のメンバー達はどうですか。先月の事件、他にも3名の幹部達が確認されていますが」

 

今度はリィンが、ギデオン以外の幹部メンバーについて言及した。

すると映像が切り替わり―――腕に『Rn』の刺青を持つ、大男の姿が映し出された。

 

「幹部『S』と『C』は、まだ特定には至っていないわ。でも『V』については、アヤとフィーの証言おかげで、ほぼ特定できているみたいね」

「猟兵団アルンガルム。存在は軍でも確認していた。Vは、この団の元団長と推測されている」

 

『元』団長。把握『していた』。

その表現通り、やはりアルンガルムという猟兵団は、既に過去の存在だったようだ。

 

それは今から10年前の出来事。

宰相が今の座についてから間もなく発生した、アルンガルムによる襲撃事件。

彼らは正規軍による返り討ちに合い、激しい銃撃戦の末、ほぼ全ての構成員の死亡が確認された。

唯一確認されなかったのが、団長であるヴァルカンただ1人。

フィーから聞いた話も含め、大方想像通りの内容だった。

 

「それ、本当?」

 

複雑な表情を浮かべる皆の中で、フィーが唐突に疑問を投げ掛けた。

 

「どういう意味だ。クラウゼル」

「そんな危ない橋を渡る連中じゃなかったはずだけど。少なくとも、宰相の首を狙うだなんて・・・・・・それこそ、テロリストじゃあるまいし。ちょっと信じられない」

 

怪訝な色を浮かべながらフィーが言った。そう言われると、確かに引っ掛かる部分はある。

猟兵団の中でも、比較的温厚な部類にあったアルンガルム。

そうでなくとも、宰相の命を狙うなんて真似をすれば、どう転んでも団に未来は無くなる。

女子供の構成員も多かったと言っていた。そんな彼らが、事に及ぶとは考え辛い。

 

「アルンガルムに関しては、事実を述べているだけだ。短絡な憶測は慎むがいい」

「フィー。疑問はもっともかもしれないけど、今は聞きに徹しなさい」

「ヤー」

 

フィーは特に反論する素振りも見せず、サラ教官に従い口を閉ざしてしまった。

 

(家族、か)

 

先月に、ヴァルカンと対峙した時。

彼が言った『家族』とは、団員を指した言葉だったのだろう。

襲撃事件の真意はどうあれ、1人残らず殺された。その事実は変わらない。

同情の余地など無い。それは分かっている。ただ―――いや、違う。

余計な詮索は無用だ。考えないようにしよう。あの男は、国に仇名すテロリストだ。

 

いずれにせよ、素性が割れたのはこれで2人。どちらも宰相に怨恨を抱く人物だ。

それが彼らを突き動かす動機に違いない。その思いの程は、計り知れない。

 

それにしても―――どうしてだろう。

ヴァルカンは別として、腑に落ちない点が1つだけあった。

 

「サラ教官。1つ聞いていいですか」

「あら、何かしら」

「最初にも言ってましたけど・・・・・・機密事項、なんですよね。どうして、私達に?」

 

テロリストの素性については、誰もが把握しておきたい事ではあった。私もまた然りだ。

だが私達は学生に過ぎない。今この場で耳にした情報を、知っていい立場にあるとは思えない。

どうしてサラ教官とナイトハルト少佐は、話してくれたのだろう。

当の2人は一度視線を重ねると、改まった口調で言った。

 

「偶然とはいえ、君達は2回も彼らの企みを阻止している。恨みを買ってないとも限らないでしょう」

「あ・・・・・・」

「バレスタイン教官と協議した結論だ。脅すつもりはないが、その覚悟はしておくがいい・・・・・・・我々も、同じ思いだ」

 

先月の一件の後、サラ教官は言った。私達を見届け、守る義務があると。

ヴァルカンは言った。今度邪魔をしたら、容赦なく殺すと。

 

私達は、既に巻き込まれつつある。もう一介の士官学院生ではない。

殿下の期待と希望のみならず、別の何かを背負わなければいけないのかもしれない。

 

「みんな」

 

リィンが言うと同時に、全員の視線が重なり合い、繋がった。

特科クラス《Ⅶ組》として、帝国が抱える闇の一端に触れた人間として。

目を逸らすわけにはいかない。口には出さずとも、思いは1つだ。

 

_______________________________

 

午後15時半。

私達はナイトハルト少佐に連れられて、列車砲の格納庫を目指し歩を進めていた。

 

「みんな。歩きながらでいいから、聞いてくれないか」

 

道中、リィンが私達を見回しながら言った。

その真剣な面持ちからは、これから口にするであろう案件の重要性が察せられた。

 

「どうしたのよ。改まっちゃって」

「昨日話した、機械仕掛けの魔獣の件さ。サラ教官が教えてくれたんだ」

 

レグラムで対峙した、あの魔獣の事を言っているのだろう。

トヴァルさんや子爵閣下がそうであったように、サラ教官もあれの正体を知っていたのだろうか。

 

「通称、身喰らう蛇」

「えっ・・・・・・」

 

思わず足を止めてしまった。

それに釣られ、皆の視線が私の下に降り注いだ。

 

「アヤ、どうかしたのか?」

「あ、いや・・・・・・・な、何でもない。続けて?」

 

私は平静を装いながら再び足を動かし、前方を行くサラ教官に視線を送った。

教官はそれに気付いたのか、ちらと私の方を振り向くと、小さく首を横に振った。

どういう意味だろう。黙っていろ、ということだろうか。

 

「大陸各地で暗躍する、得体の知れない秘密結社。あの機械は―――『人形兵器』は、その結社が製造したものだそうだ」

 

規模も戦力も、何もかもが謎に包まれた組織。

確かなことは、最先端の研究機関ですら凌駕する、謎めいた技術力を有している点。

そして国を揺るがしかねない、重大な事件を何度も引き起こしているという事実。

 

「そ、そんな組織があったとは・・・・・・」

「ふむ。俄かには信じ難い話だが、教官が言うのであれば、事実なのだろうな」

 

あれが、蛇と繋がっていただなんて。

驚愕の思いだったが、それ以上に、リィンの口から語られるとは思ってもいなかった。

 

(サラ教官・・・・・・)

 

テロリスト同様、知っておく必要がある。私達に、その資格があるということだろうか。

ブルブランが帝都に姿を現した以上、私も何らかの暗躍を疑ってはいた。

それが今、現実になろうとしている。最早私だけの問題ではない。

サラ教官は、私達全員に、その覚悟を求めているのだろう。

 

(今じゃ、ないよね)

 

皆はまだ、ブルブランがその一味であることを知らない。

リィンにラウラ、ガイウスも、私の過去と繋がりがあるとは思ってもいないだろう。

それは今語るべき事ではないかもしれない。いずれ、彼らも知る時が来る。そんな気がした。

 

「む、失礼」

 

不意に、前方からARCUSの着信音が聞こえてきた。

サラ教官の物かと思ったが、それはナイトハルト教官の手に握られていた。

彼もARCUSを所持していたのか。私達の専売特許かと思っていたが、そうではないようだ。

 

「どうしたミュラー。こんなタイミングに―――」

 

ARCUSを耳元にあてるナイトハルト少佐の顔が、見る見るうちに青ざめていく。

その表情から、内容は想像するに容易かった。

聞きたくない。そう願うと同時に、足元が揺れた。

それが答えだった。私達は―――激動の時代の、ど真ん中に立たされていた。


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