絢の軌跡   作:ゆーゆ

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黒の夢

ローエングリン城。

槍の聖女の本拠地、歴戦の勇士が集ったとされる伝説の古城。

もう200年以上前の話だというのに、城は果てることなく雄大に佇んでいた。

 

協会支部を訪ねた少女、クロエが事のあらましを全て話してくれた。

ユリアンとカルノ。レグラムの街中で度々目にしていた、2人組の少年達。

その2人が無断で港のボートを使い、この城へ冒険気分で入り込んでしまった。

待てども待てども、少年達は一向に戻ってこない。日が暮れ始めた時間になって漸く事の重大性に気付き、トヴァルさんを頼りに協会支部を訪ねた、というわけだ。

 

だが肝心のトヴァルさんが不在。

代わりにいたのが、私達特科クラス《Ⅶ組》A班。迷っている時間は無かった。

ただの迷子なら、それ程大きな危険性はないと考えていた。

住民の話では、城の周辺に魔獣が出現することもなかったそうだ。

楽観視していたわけではないが―――もしかしたら、これは相当に切迫した事態かもしれない。

 

「光ってる・・・・・・よね。どう見ても」

 

闇夜の中で青白く輝く、ローエングリン城の外壁。

まるで水や幻属性のセピスのように、神秘的な光を纏っていた。

こんな現象は見たことがない。遠目に見ていたこの城は、ただの石造りの城だったはずだ。

 

「ね、ねぇガイウス。この感じ・・・・・・」

「ああ。妙な風が吹いている・・・・・・石切り場で感じたものとそっくりだ」

 

忘れもしない、あの奇妙な感覚。

上位属性が働いているとエマが表現した、風が肌に纏わりついてくるあの感じ。

間違いない。あの時と同じ風が、この城から漂ってきている。

 

「いずれにせよ、中を調べる必要があるな。みんな、準備はいいか?」

「そうですね。気を付けて入りましょう」

「うー・・・・・・ゆ、ユーシス。先に行ってよ」

「ええい、押すな!」

 

岸には子供達が乗って来たと思われる小振りのボートがあった。

十中八九、この城の中に入り込んだと考えていい。こうして立ち尽くしている時間は無い。

 

目の前に立ちはだかるのは、10アージュに届きそうな程巨大な両開き扉。

開くかどうか心配だったが、力任せに押しただけで、扉は難なく開いてくれた。

 

「これは・・・・・・見事だな」

 

扉の先、眼前に広がるだだっ広い幻想的な空間。

巨大な礼拝堂を思わせる、独特の雰囲気が漂っていた。

それに―――光だ。窓枠から差し込む月明かりだけではない。

そこやかしこに点在する導力灯のような仕掛けから、やはり青白い光が放たれている。

おかげで視界は明瞭だが、あれは何だろう。

良く言えば幻想的。悪く言えば、薄気味悪い。

 

バタンっ。

 

突然ふわりとした風と共に、後方からけたたましい音が鳴り響いた。

振り返った時には、それまで開いていたはずの扉が固く閉ざされていた。

 

「あ、開かないっ」

「まさか、勝手にしまったのか?」

「ええ!?う、嘘!?」

 

そんな馬鹿な。この石と木造りの扉のどこにそんな仕掛けがある。

思いがけない事態に、ミリアムはアガートラムの剛腕を扉目掛けて容赦無く振るった。

直後―――眩い光と共に、城中に響き渡る形容し難い音の波。

まるで水面に水が滴り落ちたかのような音の、最大級。

期待していたような展開にはならず、扉は悪びれることなく閉ざされたままだった。

 

「な、何今の。扉に、何かの紋様が浮かび上がったように見えたけど」

「おそらくですけど・・・・・・結界が働いているようですね」

「ケッカイ?・・・・・・ああ、結界?」

 

一瞬、エマが言った言葉の意味が理解できなかった。

その2文字は知っていたが、抽象的な表現の類だとばかり思っていた。

 

「ふむ。よく分からないが・・・・・・エマ。そなたは、この現象に心当たりがあるのか?」

「え?ああいえ、少し心得があるといいますか。その、アレですよ。アレ」

 

どれだよ。皆の声が聞こえた気がした。

こんな時はいつも、ユーシスがド直球に問いただすところなのだが―――

 

「思えば以前から、時々妙な反応見せることがあったな。一体何を隠している」

 

―――今回も、その例外ではなかった。

要領を得ない口振りでエマが言うには、教会のシスターと同じ類の力に覚えがあるそうだ。

私からすればますます分からないのだが、察するに彼女は多くを語りたくないのだろう。

 

「とりあえずさ、早く子供達を探さないと―――」

 

私の言葉を遮るように、頭上から鐘の音色が鳴り響いてきた。

聞き惚れてしまいそうになる一方で、思わず耳を塞ぎたくなってくる。

 

「ひぃっ!?な、何なのこれー!」

「一々狼狽えるな。ただの鐘だろう」

「わ、分かってるよ!だから、だ、『誰が』鳴らしてるって言うの!?」

 

この城に向かう道中にも聞こえてきた、鐘の音。

ミリアムが言うように、人の手を離れた石の要塞に、自ら鐘を鳴らす術などあるわけがない。

一体何がどうなっている。戸惑うばかりの私達を余所に、エマの鋭い眼光が前方に向けられた。

 

「左右から来ますっ・・・・・・皆さん、構えて下さい!」

「え?」

 

すると突然、前方の空間から明確な殺気が膨れ上がった。

次第に視界にもその姿を捉え始め―――不気味な笑みを浮かべる顔が、2つ。宙に漂っていた。

機械仕掛けの魔獣が如く、気配を微塵も感じなかった。唐突に沸いて出たようにしか思えない。

やはりガイウスも察知していなかったようだ。次から次へと何なのだ、一体。

 

「ちっ、魔獣か!?」

「いや、普通の魔獣ではなさそうだ・・・・・・みんな、迎え撃つぞ!」

「やるしかない、か」

 

時間が無い以上、こうして足踏みしている暇は無い。

私達の目的は子供達の保護だ。目の前の魔獣らしからぬ魔獣に、気を取られている場合ではない。

 

「はああっ!!」

 

私とガイウスが先陣を切り、得物の長さを活かした先制を仕掛ける。

その一撃は風を斬り、直後に来るはずの感触が無かった。

 

「「っ!?」」

 

スカを食らう、という表現が一番正しいかもしれない。

間合いを見誤ったわけでもない。確かに私とガイウスの仕掛けは、その姿を捉えていたはずだ。

気付いた時には、魔獣の顔は私の右肩に乗っていた。

同時に耳に入ってきた、身の毛がよだつような波動。それは声となり、私の頭に入り込んできた。

 

(な―――)

 

眼前に広がる、屍の山。いつの間にか私は、12歳の私になっていた。

全身が鮮血で染め上げられ、髪は乾いた血で固まっていた。

どうして。何故私は今、あの光景を目の当たりにしている。

見たくない。もう二度と見たくないと思っていたのに、こんな―――

 

「アヤっ!!」

「え・・・・・・ぶはっ!?」

 

急に肺から空気が漏れ出し、途方もない息苦しさを感じた。

 

「しっかりしろ、アヤ!」

「が、ガイウス?」

 

鼻が触れる程、眼前に迫ったガイウスの顔。

私は彼の下敷きになりながら、その身体を抱かれていた。

待ってよ。こんな、その、ちょっと待って。駄目でしょ流石に。いや、ちょっとだけなら。

 

「ガイウスさん!そのまま伏せていて下さい!」

「へ?」

「踊れ、焔よっ・・・・・・はあぁっ!!」

 

私に覆いかぶさるガイウスの背中を擦るように、エマの導力杖から何かが放たれた。

紫色に輝く波動が2体の魔獣を包み込むと、焼き切られるようにして、その姿は消滅した。

既に殺気は感じられない。危機は去ったのだろうか。

 

「ふう・・・・・・お二人とも、大丈夫ですか?」

 

漸く頭が働いてきた。そうだ、私達は突然現れた魔獣と対峙していた最中だった。

 

「大丈夫か、アヤ」

「う、うん・・・・・・ごめん。突然、悪夢にうなされたような感覚になって」

 

ガイウスの手を取り身体を起こしながら、頭をぶんぶんと横に振るう。

俄かには信じ難いことだが、たった一瞬とはいえ私は確かに見たはずだ。

思い出したくはない光景が、鮮明に目蓋の裏に焼き付いてしまっていた。

 

「おそらく幻覚のようなものだと思います。あの魔物の仕業でしょう」

「ひぃぃっ!な、何でそんな不気味なのがこの城にいるの!?」

「落ち着いてミリアムちゃん・・・・・・幻覚は『キュリア』のアーツで対処できるはずです。もし異常を感知したら、私に任せて下さい。魔導杖に即効性の機能がありますから」

 

どうやら石切り場などよりも相当に厄介な場所のようだ。

こんな所に子供達が迷い込んだなんて、考えたくもない。

通常の魔獣ならまだしも、あんな不可思議な魔物がこの城中に徘徊しているのか。

・・・・・・というか、エマは本当に何者だ。余りにも手際が良すぎるだろう。

 

「事態は一刻を争うな・・・・・・委員長は、やっぱり何か知っているのか?」

「ある程度の知識は有しています。ただ・・・・・・ごめんなさい。今は、まだ」

「構わないさ。でも今は委員長の力が必要みたいだ。頼りにさせてもらっていいか?」

「ええ。もちろんです」

 

再び頭上を見上げる。外観から考えても、城内はかなりの広さだ。

子供達がいつ入り込んだか分からないが、数時間経過していると考えた方がいい。

奥部にまで入り込んでいたら、見つけることすら困難かもしれない。

いや―――絶対に助け出す。私達は一時的にも、支える籠手の紋章を預けられた身だ。

シャンファ流の正義。お母さんから継いだ剣を背負いながら、私は歩を進めた。

 

________________________________

 

「そなた達の家族や街のみんなが、どれだけ心配したと思っている!?」

 

子供達を叱責するラウラの声に、思わず身体がビクンと反応してしまった。

安堵で身体を緩め切っていた分、油断していた。皆には気付かれていないようだ。

 

子供達の捜索してから約30分後。城の奥部に、ユリアンとカルノはいた。

魔物に囲まれている光景を目の当たりにした時は冷や汗ものだったが、間一髪間に合ってくれた。

見たところ怪我は無いようだし、何はともあれ無事でよかった。

 

「ぐすっ・・・・・・ご、ごめんなさい」

「分かればよいのだ・・・・・・先程、カルノを守ろうと前に出た気概はよかった」

 

ユリアンの頭を優しく撫でながら、温かな笑みを浮かべるラウラ。

ほほ笑ましい光景だ。道中ずっと気を張っていた分、こちらも漸く生きた心地がしてきた。

それは皆も同じようで、誰もが眼前のやり取りに目を奪われていた。

 

「ふふ、ほほ笑ましい光景ですね」

「ああ。そうだな・・・・・・きっとラウラは、いいお母さんになるよ」

 

リィンの一声で、皆の呼吸が止まった。

ラウラは俯き、エマは笑みを凍りつかせ、ユーシスはリィンを連行した。

ガイウスとミリアムだけが、リィンの言葉を素直に受け止めていた。

 

(待ってくれ。頼むからまず説明してくれないか)

(馬鹿が。真顔であんな台詞を吐く男がどこにいる)

 

2人仲良く密談に花を咲かせる男子を置いて、私達はこれからの事について話し合い始めた。

 

私達はここまで真っ直ぐに一本道を辿って来た。

入り組んだ迷路のような道のりだったのだが、所々に張られた結界の影響で、導かれるようにしてここに辿り着いたのだ。

子供達も突然発生した結界に阻まれ、ここで立ち往生していたようだ。

元来た道を戻ったとしても、硬く閉ざされた正面門に行く手を阻まれるのは目に見えている。

選択肢があるとするなら、この部屋から繋がる道をさらに奥まで進むしかない。

 

「ふむ・・・・・・いずれにせよ、前に進むしか道は残されておらぬようだ」

「何なんだろうね、この現象。おまけに旧校舎で見た扉まであるし・・・・・・」

「ああ。この城自体、何があるのか皆目見当が付かないな」

 

正確に言えば、完全に同一の扉ではなかった。

ただ、紋様は誰の目から見ても同じ類の物だった。扉の大きさや雰囲気もほとんど同じ。

ドライケルス大帝が創立した士官学院。槍の聖女が本拠地とした、伝説の古城。

何らかの繋がりを連想せざるを得なかった。そしてあの扉の先にある、存在も。

 

「むー。こんなところで話してないで、早く進もうよ。また魔物が出ちゃうよ!」

「ちょっと待って下さい」

 

ミリアムの意見に賛成の意を示そうとした矢先に、エマが天井を見上げながら言った。

今度は何だ。まさか、また魔物の気配でも感じ取ったのだろうか。

 

「不思議な力の奔流が、上部から流れているのを感じます。上に何かあるかもしれません」

「「・・・・・・」」

「あ、あはは・・・・・・何となく、ですけど。そんな気がして」

 

この際だ。敢えて多くは問わないようにしよう。

事実彼女のおかげで、こうして子供達を救い出す事ができた。

どのみち残された選択肢は前進しかない。上に何かあるのなら、可能性があると考えた方がいい。

 

私達はユリアンとカルノの2人を連れて、階上を目指す事にした。

ついでに、ラウラとリィンのリンクレベルが上がった。そんな気がした。

 

_________________________________

 

ローエングリン城、最上階。入り口以上に開けた円状の空間が、そこには存在していた。

左右には壁に沿うように階段が上へ伸びている。その先の扉は外と繋がっているのだろう。

 

そして中央で光を放ちながら、ゆらゆらと浮遊する巨大な宝珠。

中では青白い炎のような物が揺らめいていた。まるで芸術作品のような美を感じた。

 

「委員長が言っていたのは、これの事じゃないか?」

「間違いありません。あの宝珠が、この城に異変を引き起こしているんだと思います。あれを破壊できれば、この異変も収まるはず・・・・・・」

 

破壊、か。物理的な力でどうにかできるとは、これまでの流れからしてとても―――

 

「ガーちゃん!!」

「「え?」」

 

―――その物理的な力の代表例が、目の前に姿を現した。

 

「ちょ、ちょっとミリアム。待ってよ」

「さっさと片付けて、こんなオバケ屋敷とはおさらばしよう!いくよ、ガーちゃん!」

 

私達の制止に耳を傾けることなく、アガートラムは宝珠の前に浮遊した。

直後に振りかざされた、右腕による一撃。

 

「うわあっ!!?」

 

それは正面門へ剛腕を叩きつけた場面の再現だった。

再び浮かび上がった青白い紋様に阻まれ、宝珠は何事もなかったかのように光を放っていた。

 

「うー。結界の事、すっかり忘れてたよ」

「言わんことじゃないな・・・・・・それで、どうするんだ。手の出しようが―――」

「待て。何か様子がおかしいっ!!」

 

いち早く異変に気付いたのはガイウスだった。

城内はほぼ無風だった。僅かに存在した風の流れも、私達では感じられない程に微弱だった。

それが今、青と白という色を纏いながら、私達に向かって吹き荒れはじめていた。

 

「凄まじいまでの力の奔流・・・・・・皆さん、離れてっ!!」

 

眩い光が城内中を照らした瞬間、息が止まるような感覚に陥った。

脳裏を過ぎる悪夢。瞬きする度に見えてしまう、凄惨な過去の一場面。

 

「ノスフェラトゥ・・・・・・っ!?皆さん、気をしっかり持って下さい!あれは今まで対峙したどの魔獣よりも・・・・・・ぐうぅっ!?」

 

目が眩むような殺気を放つ発光体。

この例えようのない感覚を形にすれば、おそらくああなるであろう死神の姿。

エマの言う通りだ。気を抜いたら、たちまち発狂しそうになる。

 

それは私だけではなかった。皆が皆、エマまでもが頭を抱え込みながら堪えていた。

強引に突き付けられる、心が抱え込む闇の一端。

足元から引きづり込まれるように、現実が悪夢へと染まっていく。

幻覚だという認識はあった。だが視覚も聴覚も、それが現実だと囁いてくる。

足元に転がる肉片も。人間を斬った感触と、目の前で事切れたお母さんの―――

 

「二の型、疾風!!」

 

―――声と共に、魔物を斬る鋭い音が聞こえた。

すると突然身体が軽くなり、五感がその機能を取り戻し始めていた。

周囲には、数体の魔物が消滅していく様が見受けられた。

いつの間にか、正面門で対峙した魔物の群れに囲まれていたようだ。

 

「みんな、エマの言う通りだっ・・・・・・惑わされるな、ただの幻覚だ!!」

 

力強い意志を込め、リィンが言った。左手で左胸を押さえながら、懸命に。

もう何度目になるか分からない。いつだってリィンはそうだった。

彼の言葉は正しい。悪夢はただの幻覚に過ぎない。

それを上回る覚悟と心を持ってすれば、きっとリィンのように打ち勝てるはずだ。

 

背負っていた長巻の鞘を払うと、反対の手を掴まれた。

それだけで力が沸いてくる。この現実に勝る悪夢などありはしない。

 

「あはは。悪い夢でも見た?」

「少々な・・・・・・アヤ、ずっと一緒だ」

「うん。いつだって一緒だよ」

「もうどこにも行かないでくれ」

「風と女神に誓います」

 

たった数秒間分け与えられた、彼の体温。

その温かみと一緒に、私はお母さんの長巻を握った。

 

_______________________________

 

ノスフェラトゥ。

後で聞いた話では、吸血鬼と呼ばれる伝説上の悪魔を指す言葉だそうだ。

血を吸う鬼か。そんな悪魔がかわいく思えてくる。

今まで何度も得体の知れない魔獣と対峙しては、力を合わせ危機を脱してきた。

ノスフェラトゥ、この魔物は―――住んでいる世界が、違い過ぎた。

 

「奥義、真洸刃乱舞!!」

 

ラウラの光の剣技が、魔物の身体を横薙ぎに斬り裂いた。

確かに刃は通った。だというのに、魔物は一向に衰える気配が無い。

いや、ダメージはあるはずなのだ。だが決め手となる一手が見えてこない。

 

「ま、まだ倒れぬのかっ・・・・・・?」

「ううん、効いてるよ。でもどうすれば・・・・・・多分、剣じゃ駄目なんだよ」

 

既に戦局は消耗戦の様相を呈しつつあった。誰もが満身創痍だった。

ノスフェラトゥが呼び寄せる魔物の群れを蹴散らしては、新たな群れが沸いて出てくる。

一対多の技に長けるリィンとガイウスが持ち堪えてくれているが、キリが無いにも程がある。

このままでは時間の問題だ。何とかして打開する一手を見出さなければならない。

 

「痛たた・・・・・・も、もう一発ガーちゃんでぶっ叩いてみようか?」

「いいえ、私に時間を下さい」

 

後方でミリアムの傷を治療していたエマが、言いながらゆっくりと立ち上がった。

エマは導力杖を強引に床へ突き立てると、静かに目蓋を閉じながら再び口を開いた。

 

「試したい術があります。お願いです、30秒だけで構いません!」

 

柄にもなくエマが声を荒げた瞬間、周囲に漂う殺気が一気に膨れ上がった。

気付いた時には、数え切れない程の魔物の群れが私達を取り囲んでいた。

 

「なっ・・・・・・馬鹿な、冗談だろう!」

「数が多過ぎる・・・・・・エマ、何か考えがあるのか!?」

 

リィンの言葉と同時に、皆の視線がエマに向いた。

その期待に応えるように、エマは力強く首を縦に振った。

 

「みんな、陣形を変える。エマを囲むように円陣を組んでくれ。アヤ、君には―――」

「言われなくても分かってるよ、リィンっ・・・・・・はああぁっ!!」

 

こうなればもう出し惜しみも温存も無い。

30秒と言わずに、1分でも2分でも食い止めて見せる。

幸いにもノスフェラトゥの動きは鈍っている。この中で1対1なら、私しかいない。

 

「―――っ!!」

「せぃやあぁっ!!」

 

耳鳴りのような声と共に振り下ろされた魔物の鎌を、長巻の刀身で受け止める。

途端に剣を介して流れ込んでくる、どす黒い負の感情の数々。

纏わりつく汗が急速に温度を失い、身体から温かな何かが流れ出ていく。

 

(私だっ・・・・・・これも全部、私なんだ)

 

目を見開き、私は黒い夢の全てを見据えた。

何度も何度も、同じ手が通用すると思うな。もうこの感覚にも慣れてきた。

想えばいい。今を噛み締めればいい。私の19年間を何だと思ってる。

全てを受け止めろと、エリゼちゃんに語ったあの時の私はどこへ行った。

私が掴んだ幸せは。私の今は。こんな安っぽい悪夢で色褪せる程―――軽くなんてないっ!!

 

「『月槌』・・・・・・下段!!!」

 

逆袈裟に鎌を斬り上げ、ノスフェラトゥの巨体ごと後方に吹き飛ばした。

すると私達を囲い込むように、6つの光り輝く円が床に浮かび上がった。

城内で何度も目にした、紋様に似た円陣だった。

 

「そびえ立て、大いなる塔っ・・・・・・ロード、アルベリオンっ!!!」

 

5つの巨塔を結んだ光点から放たれたエネルギーが、魔物の頭上へと振り注いだ。

城が崩れんばかりの轟音を響かせながら、辺り一帯が光に包まれた。

 

「うわわわっ!?」

「みんな、伏せろ!!」

 

天井から落下してくる小石が、最悪の可能性を連想させた。

それを頭から弾き出すように、私は両手で頭を抱えながらじっと床に蹲っていた。

次第に音は夜の静寂に消えていき、いつの間にか周囲に漂っていた殺気は消滅していた。

 

「ケホッ、ケホッ・・・・・・や、やったの?」

「ああ・・・・・・そのようだ」

「心地いい風が吹いている。もう何の気配も感じられない」

 

石埃を払いながら、皆がよろよろと立ち上がった。

一瞬不安がよぎったが、後方に隠れていたユリアンとカルノも大事無いようだ。

とんでもない相手だった。一歩間違えれば、皆こうして立ってはいなかったはずだ。

 

「ふう・・・・・・ド派手だね、エマ。また生き埋めにされるかと―――」

「待て、何か様子が妙だ!!」

 

剣を鞘に収めかけていたユーシスが、再び抜刀しながら前方を向いた。

視線の先には、先程の大きな宝珠。魔物が消滅した今でも、それは青白い輝きを放っていた。

 

「「っ!!?」」

 

何の前触れも無く、それは一際大きな光を放つと、突然身体に何かが圧し掛かった。

一気に全身が鉛のような重さに苛まれ、押し潰されそうな感覚に陥った。

気道までも圧迫され、呼吸すらままならなかった。

 

「う、迂闊でしたっ・・・・・・まさか、こんなっ」

「が、ガーちゃんまで動けないなんてっ・・・・・・!」

 

膝を床から外すことができない。アガートラムでさえ身動きが取れないのだ。

このままではそれこそ時間の問題だ。死力を尽くし、皆体力はロクに残っていない。

 

「こ、こうなったらっ・・・・・・!!」

 

誰もが身動き一つ取れない状況の中で、リィンの身体が両足で起こされた。

どこにそんな力が。それはARCUSを介して理解するに至った。

彼は昨晩のように、再びその身に宿す力を呼び起こそうとしていた。

 

「だ、駄目です!下手をしたら、『あれ』にあなたまで取り込まれますっ!!」

「構わないでくれ、あの力ならっ・・・・・・ぐあぁっ!!?」

 

見えない何かに押さえつけられたかのように、リィンの膝が再度折れた。

私達を覆う青白い光。リィンを纏う光だけが、より一層の輝きを放っていた。

間違いない。彼だけに、一際大きな力が圧し掛かっている。

あのままでは本当に、身体が押し潰されてしまう―――

 

「ぐぅぅ・・・オオオオォォォッッ!!!!!」

「り、リィン・・・っ・・・・・・うあぁっ!!?」

 

―――昨晩の、比ではなかった。

リィンが宿す獣染みた力。それが今、彼の心と身体に牙を向こうとしている。

胸が焼けるように熱い。心臓が直に焼かれているように、燃えるように熱い。

リィンを押さえつける力に比例して、沸き上がる力が見る見るうちに膨れ上がっていく。

 

「リィンさん!!駄目、戻って!!」

「リィン!!」

 

名を呼んだ瞬間。私の隣に、もう1人。

両の足でその身を起こす人間がいた。

 

「・・・っ・・・宝珠を、破壊さえすればよいっ・・・・・・!!」

「ら、ラウラ?」

 

信じられない光景だった。

残された力を全て月光翼に回しても、私ですら微動だにできないというのに。

どうして立てる。立てるはずが無い。

 

「あ、阿呆がっ!」

「馬鹿な、彼女も限界のはずだっ・・・・・・!」

「ど、どうして動けるの?」

 

決まり切っている。今ラウラは、己の肉体から目を背けている。

身体中が上げる悲鳴から、耳を塞いでいるだけだ。

あのままでは身体が壊れてしまう。宝珠の破壊など、土台無理に決まっているというのに。

 

「退くがよい、リィン!!」

「ラウラ・・・・・・駄目、無茶だよ!!」

「構わぬっ・・・・・・私が、私がやらねば、リィンが」

「ラウラ!!」

「構わぬっ!!退けっ、リィン!!!」

 

その瞬間。私は覚悟を決めた。

どう転んでも、この状況はいい方向に覆りはしない。

 

「・・・・・・ガイウス、聞いて」

 

男は、私に穴を開けた。

その穴から流れ出るようにして、際限なく溢れ出る力。

閉じ方は無我夢中で身に付けた。操り方は、アンゼリカ先輩から学んだ。

 

「あ、アヤ?」

 

引き出したのは、一度だけ。

4年前。魔獣討伐の依頼で対峙した、ワーム型魔獣。

取るに足らない相手だと思っていた。事実、何の苦も無く斬る事ができた。

気付いた時には、群れに囲まれていた。10体以上群れていたかもしれない。

この国を流れ始めてから、初めて突き付けられた本物の『死』。

死んでもいいと思っていたのに、本能がそれを許さなかった。

 

「信じて。必ず、戻ってくるから」

 

拾い上げた命は薄皮一枚で繋ぎ止められ、死と隣合わせだった。

立つことすらままならず、糞尿を垂れ流しながら街道で果てていく絶望的な2日間。

通り掛かった人間に拾われなければ、ここにはいなかった。もう二度と使わないと決めた。

 

「がっ・・・っ・・・うあああああぁぁぁぁっっ!!!!」

「アヤ!?」

 

自ら穴をこじ開け、大切な何かを燃やしながら強引に力へと変える。

子爵閣下に見抜かれた際、私は躊躇わないと誓った。なのに私は、たった今足踏みをしていた。

そのせいで2人が苦しんでいる。もう、迷わない。

 

「ぐっ・・・・・・ど、どいて。リィン、ラウラ!!」

 

私は2人の肩を掴み、強引に後方へと身体を引いた。

思った通りだ。この力なら、抗える。あれを壊せるかもしれない。

ただ、身体は既に限界が近い。万全の状態ならまだしも、満身創痍の身だった。

 

(お母さん、力を貸して)

 

筋や血管が音を立てて千切れ始めている。鼻孔から流れ出す血のせいで、呼吸が苦しい。

ぐずぐずしていられない。今の私なら、きっとできる。

ヴァルカンとの立ち合いで感覚は掴めた。思うが儘に、流れるように舞えば、きっとできる。

 

「アヤさん!!」

「馬鹿がっ・・・・・・何のつもりだ、アヤっ!!」

 

ユーシスが初めて、私の名を呼んだ。

こんな時に縁起でもない。そういうのはもっと大事な時にとっておけばいいのに。

絶対に諦めない。皆を救い、私も絶対に帰って見せる。

 

「連舞―――飛燕投月!!!」

 

私の手を離れた月下美人は、宝珠目掛けて加速した。

再び現れた結界は斬撃を阻みつつも、音を立てながら亀裂が走った。

かと思いきや、月下美人は壁を貫くことなく弾かれ、遥か後方へ吹き飛ばされてしまった。

 

「そ、そんなっ」

 

いや、まだだ。まだ剣は背にもう一本残っている。

確かに貫きかけたはずだ。もう一度叩けば、きっと壊れる。

そう信じながら、柄に手を伸ばし掛けた時。私の額の何かが弾けた。

 

「あ―――」

 

遠のいていく意識の中で、気味の悪い音と共に、身体が一気に崩壊していくのを感じた。

こんなところで果てるわけにはいかないのに。せめてあれを壊してからにしてほしかった。

 

「―――」

 

誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。もうそれを拾うことさえできない。

お願いだから、誰か何とかしてほしい。大好きな皆を、どうか救い出してほしい。

私はどうだっていい。狼でも、女神様でもいいから、どうか。

―――ごめん。そう心の中で謝りながら、私は深い闇の中へ落ちて行った。


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