絢の軌跡   作:ゆーゆ

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国境を越えて

8月24日、火曜日。第3学生寮の3階。

世間一般で言う夏休みシーズンも終焉を迎え、夏の中継地点を折り返した頃。

私達《Ⅶ組》に編入生がやって来たあの日から、ちょうど1週間が過ぎようとしていた。

 

「あれれ、アヤ?まだ教科書と睨めっこしてたの?」

「んー。導力学の課題・・・・・・最後の設問、手こずっちゃって」

「なーんだ。ならボクが教えてあげるよ!」

 

お風呂上りのミリアムが、机に噛り付く私の膝元にストンと腰を下ろした。

生活を共にして1週間。彼女が士官学院にやって来た経緯は未だ謎に包まれたままだ。

それでも彼女の人となりに関しては、それなりに理解が深まってきていた。

 

一言で言えば、見た目通りだ。13歳の少女に見合った背丈に趣味、習慣。

周囲をも巻き込みながら、常に笑顔を絶やさない。元気溌剌、勇気凛々な少女。

『純粋』のベクトルがラウラやフィーとも異なるように思える。

少なくとも部屋を共にする中で、不快感はこれっぽっちも感じられなかった。

 

一方で、ミリアムに振り回されがちなメンバーもいた。

その最たる例がユーシス。被害者と言ってもいいのかもしれない。

度々ミリアムが引き起こす騒動に、巻き込まれては巻き込まれ。

見ている側としては楽しい限りだ。ポーラは呼吸困難の一歩手前に至る程に爆笑していた。

たまには助け舟を出してあげた方がいいのかもしれない。

このままではユーシスの頭部に、10ミラ禿げが発生しそうだ。

 

「・・・・・・ああ、符号が逆だっただけか。うわぁ、悩んで損した」

「あはは。アヤってたまに変なミスをするよね」

 

もちろん、年不相応な一面もあった。

編入試験を大変優秀な成績でパス、それはトワ会長から事前に聞かされていた。

実際に彼女の座学力は見事の一言に尽きた。度々こうして、彼女から教わることすらある。

 

それに彼女の生活リズム。

ミリアムがこの部屋にやって来た初日から、彼女は私の時間軸にピッタリと適応した。

誰よりも朝早くに起床し、早くに眠る。ノルドでの生活を基準とした私の時間。

この点は大分苦労するだろうと思っていたのだが、蓋を開けてみれば何ら問題が無かった。

その代わり、よく眠る。年相応かそれ以上にによく眠る。

ただフィーとは違い、眠ることが好きというよりは、眠れる時に眠るといった考えなのだろう。

 

そして最も気に掛かる謎の行動。

時折、部屋から姿を消すこと。時間帯を問わず、忽然と姿を消すのだ。

寮中を探しても見つかった試しが無いし、気付いた時には部屋にいる。一番不可解な行動だ。

こればっかりは何かを疑ってしまう。裏で何をしているのだろう。

 

「どうしたのー、アヤ。急に黙っちゃって」

「・・・・・・ん。何でもないよ」

 

ともあれ、彼女は悪い人間ではない。この1週間で一番の収穫だ。

リィンやアリサも言っていた。壁を作るなんてことはしたくない。

個人的な感情、私見に過ぎないのは分かっている。ただ少なくとも『敵』ではないはずだ。

こんな少女が私達に牙を向けるなんて、考えたくもなかった。

 

「ふーん。まぁいいや、よいしょっと」

 

ミリアムは私の膝元を離れると、足早に扉へと歩を進めた。

 

「ボクさ、今日はフィーと一緒に寝るよ」

「え・・・・・・ど、どうしたの。急に」

 

ミリアムはいつものように笑顔を振りまきながら、突然寝床を別にすると言い出した。

一体どうしたのだろう。もしかして、先の考え事を見抜かれてしまったか。

 

「アリサがねー。『たまには気を遣いなさい』って」

「え・・・・・・ああ、うん。じゃなくって!別にそんな―――」

「ごゆっくりー!」

 

私が言葉を並べる前に、ミリアムは部屋を後にしてしまった。

アリサめ。また何か変なことを彼女に吹き込んだに違いない。

 

(・・・・・・まぁ、いっか)

 

ミリアムに続いてクロウ先輩がこの寮の住民になってから、2階はその賑やかさを増した。

最近は皆で『ブレード』に夢中になることが多いようだ。

その影響もあり、私が2階へと足を運ぶ回数は減った。

ミリアムと合い部屋になった影響で、ガイウスもこちらの部屋には来なくなってしまった。

 

アリサはそんな私達の現状を気に病んだのだろう。

その心遣いは嬉しい限りだが・・・・・・この状況も、ちょっとなぁ。

不在とはいえ、既にここはミリアムの部屋でもある。

結局はガイウスも気を遣ってしまうのではないか。

 

『アヤ』

「うわあっ!?」

 

椅子ごと、背中から床に倒れ込んだ。

いつの間に入り込んで、いつからそこにいた。

初めて名前を呼ばれた気がするが、その感動は微塵も無かった。

 

「ああもう・・・・・・驚かさないでよ、バカ」

『ぴぃぴぃ』

「ぴぃぴぃじゃないってばっ」

 

踏みつけるように、私の額に降り立ったラン。

何だか小馬鹿にされているような気がする。調子に乗り過ぎだろう、こいつめ。

 

プルルルル。

身体を起こそうと思った矢先に、私の腰元からARCUSの着信音が鳴り響いた。

こんな時間に通信か。誰だろう、サラ教官だろうか。

身体を床に寝そべらせたままの体勢で、私はARCUSを手に取り通信ボタンを押した。

 

「はい。アヤです」

『やあ、私だよ。愛しのアヤ君』

 

名を名乗らずとも、声と口調で誰かはすぐに分かった。

そういえば、彼女もARCUSの試験導入班の一員だったか。所持していてもおかしくはない。

番号を教えた記憶はないが、誰かが先輩に教えたのだろう。

 

『声が疲れているね。何をしていたのかな』

「床に転がりながら頭を踏まれてます」

『Oh・・・・・・いい。実にいいね。君は踏むよりも踏まれる方がいいのかい』

「どっちも嫌です。それで、何か用ですか?」

 

はぁはぁと荒げた息遣いがARCUS越しに耳へ入ってくる。気色悪い。

こんな遅い時間にわざわざ掛けてくるのだから、何か特別な用事があるはずだ。

 

『そうだったね。明日の昼休み、練武場まで来てほしいんだ』

「練武場?何をするんですか?」

『踏みつけてあげよう』

「切りますよ」

『冗談さ。詳細はまた明日に』

 

それを最後に、通信は向こうから切れてしまった。

用件ぐらい今言ってほしいのだが。明日の午後には実技テストを控えているのだ。

一緒に授業を抜け出してサボろうと言われても、御免こうむるまでだ。

 

「アヤ、大きな音がしたが何か―――」

「え?」

 

ガチャリと扉が開かれると共に、ガイウスの声が聞こえた。

その声は尻すぼみとなり、重なり合った視線は、何の意思の疎通も図れなかった。

床に対して水平に椅子へ座りながら、右手にはARCUS。頭上にはラン。

何だ、この状況は。私が聞きたいぐらいだ。

 

_________________________________

 

翌日の午後12時40分。ギムナジウム1階、練武場。

 

「御機嫌よう。待たせてしまったかな」

「ええ、それはもうたっぷりと」

 

私はアンゼリカ先輩から言われた通りに、昼休みに練武場を訪れていた。

詳細な時間を決めていなかったこともあり、私はチャイムが鳴った3分後にはここにいた。

事前にシャロンさんにお願いしていたサンドイッチを頬張りながら、待っていたのだ。

 

昼休みも残すところあと30分。だというのに、随分と遅い登場だ。

紙袋を片手にやって来た先輩は、その中身を取り出しながら私の隣に腰を下ろした。

 

「さてと。ならランチを食べながら話そうか」

「まだ食べてなかったんですか!?」

「ハッハッハ。お詫びに少しお裾分けするよ」

「ぐっ・・・・・・少しと言わずたくさん下さい」

 

中のそれは、クッキングシートに包まれた調理パンだった。

小振りのロールパンに、野菜や卵、肉が挟まれた手作り感溢れるパン。

学生食堂で購入した物ではないだろう。アンゼリカ先輩の手作りだろうか。

 

「トワが持たせてくれたのさ。たまにこうして作ってくれる」

「へぇ・・・・・・何だか勿体無いですね」

「どういう意味かな」

「そのまんまの意味ですよ」

 

パンは流石に市販の物だろうが、中の具材は一から作ったに違いない。

生徒会長として多忙な身でありながら、友人に昼食を用意してあげるだなんて。

 

彼女の多忙っぷりは最近益々拍車が掛かり、慌ただしさを増していた。

それもそのはず。トワ会長は随行団の補佐役として、通商会議に出席する予定なのだそうだ。

学生の身でありながら、国際会議への同行を帝国政府直々に指名される。特例中の特例だ。

同じ士官学院生の先輩として誇らしい限りだが、しっかり休めているのだろうか。

私が気にすることではないかもしれないが、心配ではある。

 

「トワはいつもそうだった。よく列車の中で、ジュルジュとクロウが取り合っていたよ」

「・・・・・・何の話ですか?」

 

先輩は口に運びかけていたパンを下ろし、練武場の天井を見上げた。

何かを思い出すように、何かを懐かしむように。

 

「私達がARCUSの試験導入をしていたことは、前にも話したね」

「それは、はい」

「帝国各地を又に掛けた特別実習。似たようなことを、私達も何度か経験済みなんだ」

「え・・・・・・」

 

初耳だった。

私が知っていたのは、先輩が言ったARCUSの試験導入。

それしか聞かされていなかった。

 

「朝が早い時、トワがいつも用意してくれたのがこれさ。列車の中でこれを食べながら、寝ぼけた頭を起こすのが常だった。君達《Ⅶ組》を見ていると・・・・・・フフッ、中々に感慨深いよ」

 

先輩はそう言うと、手にしていたパンを口に運んだ。

 

別に自分達が特別な存在だと思っていたわけではない。

ただ、それに近い感情はあった。何の肥やしにもなりはしない、下らない感情。

皇子殿下に選ばれた身であるという、優越感のような何か。

 

そうではなかった。私達が今ここにいられるのは、前身があったからだ。

そんなことに、今更気付かされるだなんて。我ながら情けなくなってくる。

 

「それで、クロウはどんな調子だい。ちょうど1週間といったところだろう?」

「え・・・・・・ああ、相変わらずですよ」

 

その前身の1人である、クロウ先輩。

正直なところ、普段の態度は褒められたものではなかった。

授業中はよく居眠りをするし、1週間の間に2度、朝寝坊で遅刻という有様だ。

あんな授業態度では、出席日数が足りていても不安が残る。本当に大丈夫だろうか。

 

「まぁ、使える時は使える男だ。精々こき使ってくれたまえ」

「ですね。実習では存分に頼らせてもらいます」

 

ともあれ、クロウ先輩は本当の意味で《Ⅶ組》の先輩だ。

対等な身であれど、特別実習の際には大きな力になってくれるに違いない。

 

「さてと。そろそろ『本題』に入ろうか」

 

アンゼリカ先輩は紙袋を綺麗に畳むと、練武場の中央へ向かって歩を進めた。

その足を止めた途端、背中から溢れんばかりの闘志を感じた。

 

場所が場所なだけに、薄々感づいてはいた。

問いただしても、理由は教えてくれないだろう。そんな気がした。

 

「先輩。長巻を相手に徒手空拳ですか」

「抜いてくれて構わない。対刀剣の心得ぐらい、私にもある」

「・・・・・・分かりました」

 

自分勝手な人だ。立ち合ってほしい、の一言ぐらいあってもいいだろうに。

だから私は、剣とARCUSを置いた。こちらも好き勝手にやらせてもらおう。

 

「まだ先輩から教わることがあるとすれば、こっちだけですから」

 

月光翼は、私の確かな力になりつつある。

制御が効かない、得体の知れない力などではない。全てアンゼリカ先輩のおかげだ。

 

それに、こうして対峙しているだけで分かる。これも薄々、分かってはいたこと。

先輩の流派と、剣を握る前にお母さんが身に付けた体術。おそらくは同門だ。

無手の立ち合い方を学ぶいい機会かもしれない。先輩には―――ずっと、先輩でいてほしい。

 

「好きにしたまえ。ただ断っておくが、私は加減を知らないよ」

「こっちの台詞です。全力でいきます」

 

剣客同士が剣で会話をするように。

私とアンゼリカ先輩は時が経つのを忘れ、拳で想いをぶつけ合った。

 

_________________________________

 

「チャンスだ!」

「隙ありだぜ!」

 

グラウンド中に響き渡る、剣戟と銃声音。

片やリィン率いる変則チーム、片やエマ率いる委員長チーム。

 

サラ教官は思い付きと言っていたが、これはこれで見応えのある一戦だ。

リィンとクロウ先輩の器用な立ち回りと、アガートラムの攻撃力を存分に活かした陣形。

ラウラとフィーの変幻自在な連撃と、2人の後方から放たれるオーバルアーツの雨霰。

 

「うんうん。アリサにエマもかなり様になってきたわね」

「ですね。特にアリサのアーツと弓の合わせ技は―――」

「そこ、私語禁止」

「・・・・・・はい」

 

一方の私は、サラ教官の隣で正座。喋る事すら許されない。

地面に直で座っているせいで足が痛い。そろそろ痺れも溜まってきた。

 

私とアンゼリカ先輩は、互いの拳脚を互いの身体に思う存分叩き込んだ。

私は月光翼を、先輩は『ドラゴンブースト』と呼ぶ術技をフルに発動させ。

時が経つのを忘れ、午後の授業を知らせるチャイムに気を向ける余裕すらも残さず。

 

グラウンドへやって来た時には、既に実技テストは後半へと差し掛かっていた。

軟気功で立ち合いの傷は癒したものの、小一時間戦いっ放しだったのだ。

ブラウスを鮮血で染めた私には、実技テストに参加する体力も時間も無かった。

 

私にできることは、正座と沈黙で反省の意を示すことだけ。サボりと同じ扱いである。

 

「まぁ、彼女に力勝ちしたことだけは褒めてあげるわ」

「あはは。相当危なかったですけどね」

「喋るなって言ってるでしょうが」

「痛っ・・・・・・い、今のは卑怯ですよっ」

「黙りなさいこの不良娘っ」

 

立ち合いについては、私に軍配が上がった。

気功術無しなら勝ち目など無かったが、結局は月光翼の力でゴリ押しした形となった。

学びが多かったのも事実だ。今後は体術を中心に、先輩の指導を受けるとしよう。

・・・・・・後で掃除もしておこう。多分、私の鼻血の跡がまだ残っているはずだ。

 

「やれやれ。見るに堪えん」

「むっ」

 

後方から聞こえた声に、サラ教官がくぐもった声を漏らした。

ナイトハルト教官。質実剛健を地でいく男性が、腕を組みながらそこに立っていた。

何故この場に彼が。気にはなったが、発言権を剥奪されている以上、黙るしかなかった。

 

「実技授業そっちのけで私闘とはな。ウォーゼル、どうしたらそんな発想が出てくる」

「・・・・・・すみません」

「失礼ですが。今私が彼女を叱責指導中なので、余計な口を挟まないでもらえますか?」

 

あ。また何かが始まった。

どうもこの2人には間に挟まれることが多い気がする。

2人と視線を合わせないよう目を閉じながら、私は会話を聞き流すことに集中した。

 

「その指導の結果がこの体たらくだろう。バレスタイン教官、あなたの責任だ」

「聞き捨てなりませんね。一時の気の迷いなんかで、1人の生徒の器量を推し量るつもりですか。小さいって言われたことありません?」

「そちらこそ目を背けないでいただきたい。彼女は過去にも校則違反の前科があったな」

「同じことを言わせないで。そんな目線で私の生徒を見ないでもらえるかしら」

「俺はバレスタイン教官の話をしている。責任と自覚が余りに欠如していると―――」

 

相変わらずだった。

噛み合っているようでいて、呆れる程に噛み合っていない攻防の応酬。

放っておこう。どうせ喋れないし。

 

目の前には疲労困憊、息も絶え絶えなリィンチームとエマチームがいた。

既に勝敗は決していたのだが、終了の合図が無い限り、決して油断してはならない。

いつもサラ教官が口うるさく説いていたことを、愚直に守っていた。

・・・・・・放っておくしかない。私、喋れないし。

 

_______________________________

 

第3学生寮、浴室。

 

「待ち遠しそうだね。実習は明々後日からなのに」

「当たり前だよ。みんなで遠くにお出掛けだもん!」

 

ミリアムがやって来たあの日から、こうして入浴を共にする日が続いていた。

浴槽は詰めればギリギリ、何とか2人分のスペースを確保できる程度。

部屋は広いのに、どういうわけかここのお風呂は民家のそれと大差が無い。

皆がアリサのように長風呂好きだったら、一周する頃には日付が変わってしまう。

 

「レグラムかぁ。アヤはレグラムに行ったことあるの?」

「・・・・・・ぷはぁ。かなり昔の話だけど、一度だけね」

 

第5回目となる特別実習。ミリアムと私は、同じA班に班分けされた。

他のメンバーはリィンにラウラ、エマ、ユーシス。それに、ガイウス。

それだけでも心が躍るが、実習地があのレグラムだ。

少なくとも先月のような、ややこしい事件など起こり得ない辺境の地だ。

ある程度は肩の力を抜いても問題は無いだろう。それに私にとっては、思い出の場所でもある。

 

「じゃあ、ガレリア要塞は?」

「言ったでしょ。私はクロスベル生まれだって」

「あー、そっか」

 

気に掛かることがあるとすれば、それは特別習3日目の目的地。

各地での実習を終えた後、B班共々ガレリア要塞で合流すること。

ナイトハルト教官があの場に居合わせたのは、それを私達に伝えるためだった。

 

特別スケジュールを用意してあるとのことだったが、その内容はまるで想像が付かない。

軍人と一緒に銃を握れ。なんて言われたらどうすればいいだろう。複雑過ぎる。

 

「・・・・・・ねぇミリアム。私も聞いていいかな」

「うん、何?」

「たまにさ、寮からいなくなることがあるよね。あれ、いつも何してるの?」

 

声が止んだ。

ピチャリ、と蛇口から水が零れ落ちる音だけが、浴室に響き渡る。

静寂はたったの数秒間だけだった。ミリアムは勢いを付けて、浴槽から飛び出した。

 

「え、ミリアム?」

「ちょっと待ってて。今持ってくるから」

 

ミリアムは乱雑に身体を拭くと、そのまま脱衣所を飛び出してしまった。

浴室の扉も、脱衣所のそれも半開きのまま。というか、今彼女は服を着ていただろうか。

慌てて浴槽から立ち上がった矢先、再び脱衣所の扉が開かれた。

 

「わわっ・・・・・・ちょっとミリアム、一体どうしたの?」

「アヤ、手を出して」

 

ミリアムはそう言うと、1つの黒い金属のような物を手渡してきた。

小振りではあるが、ずしりと重い。これは一体何だろう。

 

「アーティファクトを改造した、無線通信機だよ。たまにこれで、夜に話してたんだ」

「無線・・・・・・だ、誰と?」

「それは流石に言えないかな。これはボクからのお礼だよ」

 

立ち呆ける私を余所に、ミリアムはいつの間にか寝間着姿になっていた。

早い。いやそれより、何のお礼でどれがお礼だ。こんな小さい物が、通信機だと言うのだろうか。

 

「部屋を貸してくれたお礼だよ。それ、1回だけ使わせてあげる」

「お礼って言われても・・・・・・」

「皇子様のアーティファクトよりも高性能!有線無線、距離もぜーんぶ関係無いんだ。防水機能付きだから、安心して使って!」

 

ずらずらと言葉を並べたミリアムは、そのまま脱衣所を後にしてしまった。

残されたのは、私と通信機とやらだけ。全てがあっという間の出来事だった。

 

「通信機って・・・・・・これが?」

 

手元の黒い物体に視線を落とす。

言われてみれば、番号が振られたボタンらしき物が確かにあった。

取り急ぎ防水機能とやらは信用することにして、私は再び湯船に浸かった。

 

度々姿を消していたのは、どこぞの誰かと通信をするため。

その誰かは十中八九情報局か、それに関係する人間なのだろう。それに間違いは無さそうだ。

・・・・・・私なんかに教えてしまって、信用してしまっていいものなのだろうか。

 

それにこんな小さな物が、通信機能を持ち合わせているとは到底思えない。

有線も無線も、距離も無い。聞いたことが無い代物だ。

そんな物が存在したら、オーバーテクノロジーにも程がある。ARCUSの通信機能などただの玩具だ。

 

「うーん・・・・・・」

 

アーティファクト。ミリアムが言ったあの言葉だけが、どうも引っ掛かる。

とりあえず、いくつかの通信番号を頭の中に思い浮かべた。

どういうわけか、番号を覚えるのだけは得意だ。皆の番号も既に頭の中に入っている。

半信半疑―――は言い過ぎか。9割9分の疑念を抱きながら、私はとある番号を順に押した。

これで繋がったら奇跡だ。そう思いながら、耳元へ通信機(仮)を当てた。

 

プルルルル、プルルルル。聞きなれた呼び出し音が耳に入ってくる。

直後、ガチャリという音と共に、確かな声が聞こえた。

聞こえてしまった。(仮)が、外れた瞬間だった。

 

『はい。クロスベル警察、特務支援課ビルです』

「へ?」

『え?』

 

思わず立ち上がった。

再び静寂に包まれる浴室。私の身体から零れ落ちる水滴だけが、ポタポタという音を響かせる。

うん、落ち着こう。まずは状況を整理しよう。

女性だ。透き通るような美声。間違いなく女性のそれだ。

仮に、本当にあのビルに繋がっているとして―――どうしよう。何も考えていなかった。

 

『あの、恐れ入りますがどちら様でしょうか?』

「えっと、その。あ、アヤです。アヤ・ウォーゼルという者ですが」

『・・・・・・ああ、あなたがロイドの。先月、こちらにお見えになりましたよね』

「えっ」

『ロイドですね。少々お待ち頂けますか』

「あ、待って」

 

私の声が届くことはなく、通信機からは保留音が聞こえてきた。

何がどうなっている。まるで理解できない。私がロイドの何なのだ。

 

(お、落ち着こう)

 

如何ともし難い事態だが、これはきっと現実に違いない。

まずは落ち着こう。これは導力波を利用した、ただの無線通信だ。

深呼吸をしながら両手で通信機を持ち直すと、保留音が止んだ。

 

「ろ、ロイド?」

『こんばんは。綺麗なお姉さん』

 

限界だった。

浴槽の底で足を滑らせた私は、通信機もろ共お湯の中にダイブしてしまった。

思わず飲んでしまったお湯を吐き出しながら、慌てて浴槽から通信機を拾い上げた。

 

「ケホッ、ケホッ・・・・・・あー、コホン。どちら様、ですか?」

『僕はワジ。ワジ・ヘミスフィアだ。ロイドの愛人さ』

「愛人!?」

『彼のハーレムの末端だよ』

「・・・・・・はぁ」

 

何だろう。どういうわけか、急に冷静さを取り戻せてきた。

これはあれだ。身近に似たような先輩がいるからだろう。

ワジといったか。私の記憶では、そんな人間は特務支援課にいなかったような気がするが。

 

「あ。もしかして、最近入ったっていう新人さんですか?」

『おや、これは驚いたね。ロイドから聞いたのかい?』

「手紙にそう書いてありましたから」

 

漸く会話らしい会話になってきた。

どうしてロイドではなく彼が出たのかは置いといて。

今のうちに、疑問はできるだけ解消しておこう。

 

彼らが私を知るキッカケとなったのは、ロイドの警察手帳に収められていた1枚の写真。

私がクロスベルへ帰省した際に、ロイド達と一緒に撮影した4人の写真が始まりだそうだ。

その写真が彼の目に止まったのを機に、あの日の酒盛りは皆の知るところとなった。

私の名前や、ある程度の生い立ちも既に聞き及んでいたらしい。

 

『フフッ、まさか帝国にまで愛人がいたとはね。攻略王の名に相応しい節操の無さだ』

「そんなんじゃないですよ。私、恋人いますし」

『へぇ。どんな人なんだい?』

「・・・・・・弟、みたいな」

『これは参ったね。帝国も弟属性の独壇場か。ランディが発狂しそうだ』

 

まるで誘導尋問だ。というか、見ず知らずの人間に何を話しているんだ私は。

それにロイドはどこにいった。いい加減早く代わってほしいのだが。

 

『それで、この不可解な現象はどう受け取ればいいのかな』

「え?」

 

突然、先程までの飄々とした声色が一変した。

 

『心当たりは無くもない。ただ、君は今―――どこからこの通信を、掛けているんだい?』

 

言葉が出なかった。

心当たり。ミリアムはこの通信機を『アーティファクト』と言っていた。

もしかして、ワジという男性はこの異常な現象の正体のことを―――

 

『ち、ちょっとワジ君!どうしてワジ君が出てるの!?』

『おっと。少し遊んでいただけだよ、ノエル』

『ロイドさん、早く来てください!』

 

―――通信機の向こうから、急に喧騒が聞こえてきた。

今度は何だ。ノエルという女性にも心当たりがない。

随分と賑やかな職場だ。先程の不穏な空気を忘れ、思わず笑みが浮かんだ。

 

『もしもし、アヤなのか?』

「ロイド・・・・・・」

 

長かった。本当に長かった。

たった数分間の出来事なのに、随分と遠回りをした気がする。

泣きそうな気分だった。

 

『お、驚いたな。今どこにいるんだ?』

「お風呂」

『は?』

「ごめん、それ以上は聞かないで・・・・・・」

 

ロイドが納得できるような言い訳は思い浮かばない。

ここは言葉を濁しておくのが適切なのだろう。

 

私達はお互いの近況を報告し合いながら、様々な情報を交換した。

私は士官学院と帝国を、ロイドは特務支援課とクロスベルを。

 

と言っても、私はわざと取り留めの無い方向に話題を逸らした。

最近のウェンディやオスカー。キーアちゃんやツァイト、新しいメンバーとの触れ合い。

クラスメイトとクラブ仲間。尊敬する先輩と教官達。キルシェの2人。

硬い話なら、手紙でも十分だ。今ぐらいは明るい話題に花を咲かせたかった。

 

次第にお互いの話題は、西ゼムリア通商会議という、共通のキーワードに収束されていった。

 

『そうか。もしかしたら、どこかで会うかもしれないな』

「うん。見た目は幼いけど、すごく優秀な人だよ。自慢の先輩なんだ」

 

通商会議の開催日は8月31日。

何の因果か、その日は私達がガレリア要塞を訪れる予定日。

帝国領内の中で、最もクロスベルに近い国境沿いだ。

 

「お互い大変だけど、頑張って乗り切ろうね」

『ああ、そうだな・・・・・・っと。アヤ、おめでとう』

「え?」

『手紙には書いたけど、改めて言わせてもらうよ』

 

一瞬何のことか分からなかったが、私とガイウスの事を言っているようだ。

通信機越しだというのに、彼の感情が伝わってくる。そんな彼が、私は大好きだった。

それももう過去の話。今の私は、ここにいる。

 

「ありがとうロイド。じゃあ、またね」

『おやすみ、アヤ』

 

それを最後に、通信は途絶えた。

彼も故郷を守るために、使命を全うするために力を尽くしている。

頑張ろう、私も。彼に負けないぐらいに。

 

_______________________________

 

《おまけ》

 

「なぁ、女共は3階で何やってんだ?扉にベッタリくっ付きやがって」

「アヤ君が風呂場で通信しているそうですよ。何でも、男性と長々と」

「・・・・・・おい、落ち着け。お前があいつを疑ってどうする」

「何のことだ。俺は何も気にしていないが」

「あはは・・・・・・それで、リィン。アヤがどうしたのさ?」

「ああ。手が触れただけなのに、急に肘鉄を・・・・・・が、ガイウス?ちょ、待っ―――」


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