絢の軌跡   作:ゆーゆ

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第1章
アヤ・ウォーゼル


4月17日。時刻は朝の6時半過ぎ。

近郊都市トリスタの天気は快晴。

街中の人影はまだまばらで、駅の周辺では列車の走行音が鳴り響いている。

 

そんなトリスタの街はずれ、街道を出てすぐの開けた地で、アヤは長巻を振るっていた。

 

「せぃあっ!」

 

槍や太刀とも異なる、独特の重量感と刀身長。槍のようにリーチの長さを活かすことは難しいとされる得物を、アヤは独特の操法をもって軽々と振るう。亡き母から託されたそれは、常に彼女と共にあったものだ。

 

「―――お見事。まるで剣舞を見ているみたいだ」

 

後方から掛けられた声に、アヤは手を止め振り返る。声の主はリィン・シュバルツァー。同じ《Ⅶ組》に所属する生徒だ。

 

「おはよう、アヤ。朝から精が出るな」

「おはようリィン。そっちこそ随分と早いじゃん」

 

見れば、彼の額には汗が浮かんでおり、呼吸も少し荒い。

彼が言うには、最近座学ばかりで体がなまっていたため、軽く走り込んでいたそうだ。

 

「分かる分かる。でも正直、授業があんなに大変だとは思わなかったかな」

「はは、アヤは勉強は苦手って言ってたな。少し意外だったよ」

「・・・・・・入学式初日に正反対の反応をした女子がいたけどね」

 

学院生活が始まってまだ日が浅いものの、日々の予復習はガイウスにお世話になりっぱなしである。

彼にも苦手な分野はあるようだが、勉学となると弟には頭が上がらない。

もちろん、それには私の過去が関係しているのだが、言い訳はしたくなかった。

 

「私はそろそろ切り上げるけど、リィンはどうする?」

「俺はもう少ししたら戻るよ。先に戻ってくれ」

「じゃあ、また教室でね」

 

そう言ってリィンは街道の方に駆け出していく。おそらく、彼も体を動かすことで気分転換できる人間なんだろう。

リィンを見送った後、私はトリスタの方角へ歩き始めた。

 

________________________________

 

第3学生寮に戻ると、ちょうどガイウスが1階に降りてくるのが見えた。

 

「戻ったか」

「うん。食事は今から?」

「ああ。10分程待ってくれ」

 

ガイウスはそう言うと、腕を捲りながら厨房がある部屋へと入っていく。

 

学院内に学生食堂はあるものの、私達は自炊を基本とした生活を送っていた。

そもそもガイウスには、外食という概念がほとんど無かった。お互いに昼は学生食堂を利用しているが、朝晩は自分達で用意することがほとんどだ。

とはいえ、ガイウスは帝国とノルドの食材の違いに、まだ慣れていないらしい。

ちなみに今日の朝食は、ガイウスが作る番。

 

自室に戻り軽く汗を拭いた後、身支度を整え再び1階に降りる。

食堂に入ると、そこには意外にもアリサにエマ、フィーの姿があった。

 

「おはようみんな。珍しいね、3人で朝ご飯?」

「ええ。たまには皆でどうかって、エマが用意してくれたの」

 

私の問いに、アリサが返す。

テーブルの上には、綺麗に盛り付けられた料理の数々。

 

「有り合わせで用意しただけですから、お口に合うかどうか」

 

有り合わせで用意できるあたり、料理の腕は相当だろう。

フィーが黙々と料理を口に運んでいるのを見る限り、味も確かなはずだ。

 

「ごめんなさい、本当はアヤさんとラウラさんにも声を掛けたかったんですが、お二人とも朝の鍛錬に向かわれた後でして」

「ああ、気にしないで」

 

ラウラも外に出ていたのか。どうりでこの場にいないはずだ。

 

「朝の鍛錬ねぇ。私は5分でも長く寝ていたいぐらいなのに。感心するわ」

「まぁ、ノルドじゃもっと早かったぐらいだし・・・・・・そういえば、街道でリィンにも会ったっけ」

 

途端に、空気が変わる。

アリサの方角から、悪い風がビュンビュンと吹き荒れる。

風速20アージュといったところか。

 

(まだあの時のこと根にもってるの?)

(・・・・・・そうみたいですね)

(ぶっちゃけうっとうしい)

 

「ちょっとそこの3人、視線で会話しないでくれる?」

 

声には出していないものの、アリサには心の声が聞こえていたらしい。

特別オリエンテーリングから2週間以上が経過した今でも、リィンとアリサの関係はご覧の有様だった。

 

「できたぞ、アヤ」

「お、待ってました」

 

話題を変えるように、ガイウスが用意した朝食を受け取る。

私はガイウスの料理が好きだ。

男性らしい、豪快で単純な味付けや盛り付けが、私には合っているらしい。

 

「アヤ、一つ訊いていい?」

 

一口目を頬張ろうとしていたところで、怪訝そうな表情のフィーが言う。

 

「何?」

「それ、1人分?」

「そうだけど」

 

女性陣3名の視線が、アヤの食事に注がれる。

豪快にちぎられた野菜は山盛りにされ、豪快に切られた燻製肉に、複数個の卵。

アヤが昨日購入したハーフサイズの直焼きパンは、2つ重なっている。

もはやハーフサイズの意味がない。

 

「あ、あはは・・・・・・それにしても、お二人は仲がいいんですね」

 

理解し難い目の前の現実から目を逸らすように、エマが話題を変える。

 

「そ、そうね。いつも2人で一緒にいるのを見かけるし」

「喧嘩したりしたことはあるんですか?」

 

エマの問いかけに、ガイウスは食事の手を止め、考え込む。

一方のアヤは食事の手を止めず、「あったっけ?」と言いたげな視線をガイウスに送る。

 

「喧嘩か・・・・・・一度意識を飛ばされたことはあったが、あれは喧嘩なのか?」

「あぁ、あれ?あれは喧嘩じゃないでしょ。ガイウスが悪いんだから」

 

さらりと驚愕な発言がなされたことに、3人の女性陣は目を丸くする。

 

「誤ってアヤの分の食事に手を付けてしまった時だな」

 

ガイウスは腕を組み、目を閉じながら続ける。

 

「顎に―――寸勁といったか。それをくらってな。脳を揺らされて意識が飛んだのはあれが初めてだ」

「貴重な体験だったでしょ。感謝しなさい」

「ああ」

「・・・・・・」

 

特別オリエンテーリングのあの日。

彼女は仲間の安否を気遣い、魔獣が徘徊する迷路へ単身乗り込んでいった。

危険に晒された仲間を想うあまり、教官に対し怒りを露わにした。

 

あの時の感動はどこへやら。

 

食材を保管する棚や冷蔵庫に「アヤ専用」スペースが設置されたのは、翌日のことであった。

 

____________________________________

 

「おはよう、アヤちゃん」

「あ、おはようございます。今日は早いんですね」

 

学院へ向かう道すがら、私に声を掛けたのは喫茶宿場『キルシェ』のウェイトレス、ドリーさんだ。

 

「今日は弟君と一緒じゃないの?」

「ガイウスなら、同じクラスの男子と一緒に出ましたから。相変わらず忙しそうですね」

「そうでもないわよ?まぁ、時間によっては猫の手でも借りたいぐらいだけどね」

 

キルシェはマスターであるフレッドさんと、ドリーさんの二人で切り盛りしている。

トールズ士官学院やトリスタ駅からは最寄の飲食店だ。

立地の良さも相まって、曜日や時間帯によっては常連客でごった返すのだ。

 

実は、私はその時間帯の忙しさを身をもって知っている。

 

話は2日前に遡る。

 

たまには外食もいいだろうと、私はガイウスを誘いキルシェに足を運んだ。

理由はもう一つ。店主であるフレッドさんやドリーさんに、改めてお礼を言いたかったからだ。

入学式の前夜に、キルシェに宿泊した時のことだ。

フレッドさんからは、本来ならサービスには含まれていない食事や飲み物を用意してもらった。

ドリーさんはトリスタの立地や各施設の詳細を教えてくれたし、好意で地図まで用意してくれたのだ。

見知らぬ地での新生活に対し、それなりに不安を抱いていた私にとって、2人の心遣いは本当に嬉しかった。

 

そんな経緯もあり、キルシェを訪ねてみたものの―――はっきり言って、話しかける間さえ無かった。

理由は単純。客足が多すぎて、きりきり舞いだったからだ。

そんな2人を見るに見かね、お礼の意を込めて手伝いに入ったのが―――2日前の出来事だ。

 

「あの時は本当に助かったわー」

「あはは、洗い物ぐらい誰だってできますよ。ヘルプが必要な時は、また言ってください」

「本当?正直なところ、毎日来てほしいぐらいだけど」

「・・・・・・それは、さすがにちょっと」

 

これでも士官学院に身を置く立場だ。

本業を疎かにはできない。

それにまだ入部はしていないものの、興味があるクラブもある。

学業とクラブ活動を両立させながらキルシェにも通うとなると、時間がいくらあっても足りない。

 

「冗談だってば。でも、手伝ってくれたらお礼はさせてね?美味しいピザを御馳走してあげるから」

「えっ」

「さすがにバイト代となると、そっちも許可書とか申請とか必要になるだろうし―――」

 

言葉を遮るようにして、私はドリーさんに詰め寄る。

 

「な、何?」

「今の話、本当ですか」

「お礼のこと?ま、まぁフレッドさんにお願いすれば、それぐらいはしてくれると思うけど」

 

腹が減っては戦はできぬ、とは誰の言葉であったか。

士官学院での生活は、まさに戦だ。

常に健康体であれ、とベアトリクス教官も言っていたではないか。

そう、これは士官学院生としての義務だ。

 

「少しでもお力になれることがあれば、いつでも言ってください。すぐ駆けつけます」

 

強い意志を込めて、ドリーさんの手を取る。

 

「あ、ありがとう・・・・・・ねぇ、そろそろ行かなくていいの?」

「・・・・・・あっ」

 

気付けば、時刻は7時50分を回っていた。


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