絢の軌跡   作:ゆーゆ

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空を見上げて

光も音も無い、無だけが存在する閉鎖空間。

5つの感覚の必要性を何ら感じさせない、外部から完全に遮断された世界。

 

中間試験でも出題された問題だ。感覚を遮断された空間では、人は8時間で正常な思考を失う。

それが身体的負担を増加させ、生存率を下げる引き金となる。答案用紙を埋める最中、背筋が冷やりとしたことを覚えている。

 

「・・・・・・16時、ぐらいかな」

 

暗闇の中では、ARCUSの時計を見ることすらままならない。

私の体内時計が正しければ、まだ1時間も経過していないはずだ。

 

崩落が始まってからその勢いが収まるまで、ずっと意識はあった。

目に飛び込んできた窪地に飛び込み、エリゼちゃんを抱きながらじっと堪えていた。

1つ、また1つと落石の音が響く度に、生きた心地がしなかった。

何かの拍子に、もし目の前の巨石が崩れ落ちてきたら。重心が少しでもズレたら。

私の精神は、秒単位で削り取られるように擦り減っていった。

 

それを支えていたのは、胸元で寝息を立てる少女の存在だった。

1人じゃない。たったそれだけの事実が、極限状態に陥った私の拠り所だった。

情けない限りだ。これでは彼女に守られていると言っても過言ではない。

 

「んっ」

「エリゼちゃん?」

 

胸元から声が漏れた。寝言じゃない。

身体も動き始めている。やっと起きてくれたか。

 

「ここは・・・・・・えっ?」

「エリゼちゃん、目を閉じて」

「あ、アヤ姉様?」

「お願い。大丈夫、大丈夫だから」

「・・・っ・・・は、はい」

 

この場合どちらが良かったのだろう。

あのまま眠ってくれていた方が、彼女にとっては気が楽だったかもしれない。

でも、これで行動に移れる。まずはエリゼちゃんに状況を説明することからだ。

 

「エリゼちゃん。私が絶対に何とかする。だから、落ち着いて聞いて」

 

私達は今、地下墓所の最奥部で生き埋め状態だ。

目の前には、岩石が無造作に積み重なった壁。少しの衝撃で、すぐにでも崩れ落ちそうだ。

何とか窪地に入り込んだことで一命を取り留めたが、これでは元来た道からは脱出できそうにない。

 

私達に許された行動範囲は、一辺2アージュ程度の立方体に近い、窪地のスペースのみ。

当然だが、明かりは無い。聞こえてくるのは、度々発生する落石音。それだけだった。

唯一の救いは、空気の流れがあること。どんなカラクリが働いているのか知る由も無いが、何とか窒息死だけは免れそうだ。

 

今頃は皆も気が気でないに違いない。こんな状況の私達を助け出す術があるとは、到底思えない。

岩石を掻き分けようにも、ここは地下道だ。それに下手に衝撃を加えれば、どうなるか分からない。

ARCUSの導力波も届かないようだ。通信機能も使えそうになかった。

 

「そ、そんな・・・・・・では私達は」

「大丈夫だってば。まずは、姿勢を正そうか」

 

石壁とは反対の窪地側に背を預けるようにして、並んで座る。

これだけでも、地面に寝そべっていた先程よりは大分気が楽になる。

そして、残された僅かな可能性。たった1つ、暗闇の中に存在する光点。

 

「光?」

「ほら、ここ。小さいけど、光が漏れてるでしょ?」

 

私とエリゼちゃんの間に開いた、直径1リジュ程度の穴。

僅かながら、そこからは光が見えている。きっとこの向こう側に、空間があるはずだ。

ただ、この壁は相当に分厚い。物理的にどうこうできるとは到底思えない。

それでも、これが最後の希望だ。この向こう側に辿り着ければ、何とかなるかもしれない。

 

帝国を彷徨う中で培ってきた生存術と、士官学院で学んだ知識と技術。

それを総動員させても、残された可能性はこれしか考えられなかった。

あとは時間と、私達の問題だ。こんな閉鎖空間に何時間も閉じ込められては、私だって気が触れてしまう。

 

「ちょっとだけ、火を使うよ。見たくはないと思うけど、ごめんね?」

「は、はい」

 

私の声に、しっかりと答えてくれた。

取り乱してはいないようだ。4歳年下だというのに、大変に心強い限りだ。

 

壁を調べるために、極小のファイアボルトで、辺りを照らす。

オーバルアーツは不得手だが、7年のキャリアがある分、小手先の技術には長けていた。

この空間の現状を目の当たりにするのは辛いだろうが、顔を見れば安心できるかもしれない。

 

(・・・・・・何も無い、か)

 

火に照らされた壁を見ても、特に変わった点は見受けられない。

ただの壁だった。期待を裏切り、予想通りの現実だった。

 

参った。万全の状態でも、この壁を突き破ることなんて出来そうにない。

光はあれど、希望はなかった。もう、何も思い付かない。

 

「熱っ!?」

「姉様?」

 

声と共に、周囲を照らしていた火が消えた。

思わずアーツのコントロールを誤ってしまった。私も段々と冷静さを失いつつあるようだ。

結局のところ、外からの救出を期待するしかない。その可能性も、ほとんどゼロに近いというのに。

こんな現実を、話せるわけがなかった。

 

「・・・・・・エリゼちゃん。話をしよっか」

「お話、ですか?」

「こういう時は、何か話してた方が気が楽になるものだから。そうしてくれると、私も助かるよ」

 

このままでは私も滅入ってしまいそうだ。まずは気を落ち着かせよう。

と言っても、こんな状況ではすぐに話題が浮かんでこない。何を話そう。

 

「・・・・・・うぅ・・・っ・・・」

「エリゼちゃん?」

 

思案していると、隣から小さな呻き声が聞こえてきた。視界が無くとも、声で分かった。

彼女は今、耐えている。声を上げて泣き叫びたい衝動を、じっと堪えているに違いない。

失念していた。大人びていても、彼女はまだ15歳の少女だ。

 

「ごめん、ごめんね。私のせいで、こんな」

「き、気になさらないで下さい・・・・・・姉様の、せいでは」

 

思っていた以上に、エリゼちゃんは目の前の現実を受け止められていない。

自分のことを考えている場合じゃなかった。今は、彼女を落ち着かせることが先決だ。

 

「エリゼちゃん、じっとしてて・・・・・・よいしょっと」

「え、え、あのっ」

 

今だけは、エリゼちゃんを大きなシーダと思い込もう。

故郷でそうするように、彼女の身体を私の両足の間に置き、後ろからそっと抱きしめた。

細身だと思っていたその身体は、想像していた以上に力強かった。

小柄ではあるが、同年代の中ではかなり鍛えている方だろう。何かスポーツでもしているのだろうか。

 

「ねぇ。私リィンの話が聞きたいかな」

「リィン、ですか」

「あはは、私の前では兄様でいいよ。リィンがエリゼちゃんの兄様になったのは、いつの話なの?」

「・・・・・・12年程、前のことです」

「じゃあ、まだ3歳の頃か。その時のことは覚えてる?」

「いえ。物心付いた頃には、私は兄様の妹でした」

 

それを皮切りにして、エリゼちゃんはリィンとの思い出話をたくさん聞かせてくれた。

漸く調子が戻って来てくれたようだ。彼女にとって、リィンはそれ程までに大きな存在なのだろう。

1人の男性として、相当強く意識している。立場上、少々複雑ではある。

 

相槌を打ちながら耳を傾けていると、不意に声の色が変わった。

 

「姉様は・・・・・・気付いているのですね。私の、この感情に」

「流石にね。大切にした方がいいよ、それ」

「・・・・・・そんな、綺麗な感情ではありません」

「え?」

 

私の胸元に預けられていた頭が離れると、そのままエリゼちゃんは俯いてしまった。

泣いてはいない。ただ、心が泣いている。私にはそう感じた。

 

「兄様に大切な人ができるのなら、それが一番だと思います。それは理解しているんです」

「・・・・・・そうなんだ」

 

年下の少女の言葉とは思えなかった。随分と達観しているように思える。

感心している私に構うことなく、エリゼちゃんは続けた。

 

「ですが・・・・・・それでも、もし違った出会い方をしていたらと。兄妹としてではなく、兄様と呼ぶことなく、出会えていれば。そんな詮無いことを、考えてしまうんです」

「そっか。私にも、身に覚えがあるよ」

「姉様が、羨ましいです・・・・・・嫉妬、してしまう程に。どうして私は・・・・・・私と、兄様は」

 

収まっていたはずの涙が、私の腕を濡らし始めた。

 

察するに、まだ誰にも打ち明けたことはないはずだ。

別に自暴自棄になっているわけではないのだろう。

こんな極限の状況下だからこそ、話してしまったのかもしれない。

 

(エリゼちゃん・・・・・・)

 

エリゼちゃんを抱く両腕に、より一層の力が込められた。

さて、どうする。彼女の告白に、どう答えるんだ、私。

年上と言えど、たったの4年間だ。人生の先輩と呼ぶには、余りにも私は未熟者だ。

 

「エリゼちゃん。『たられば』って表現、知ってる?」

「たられば?」

「何々してい『たら』とか、何々してい『れば』とか。そんな言い回し」

「・・・・・・先の、私のようにでしょうか」

「あはは、そうそう」

 

私がどんな言葉を掛けたところで、エリゼちゃんの想いが実を結ぶとは思えない。

それに、リィンの感情は―――私から見て、既に別の女性に向いている。

そんなこと、言えるわけがない。

 

ただ、彼女は少し勘違いをしている。それは、何の意味もないことだというのに。

思うがままに話そう。私が歩んだ19年間で、感じてきたその全てを。

何より―――今回の特別実習で、皆が教えてくれたことを。

 

「人生の改変が許されるなら、私は迷わずにお父さんとお母さんを選ぶよ。2人のことは、話したことあるよね」

「それは、はい」

 

8歳の誕生日にお父さんを亡くし、12歳の頃にお母さんと死別した。

その過去は、既にエリゼちゃんに話したことがある。

 

「もしあの時、お父さんが病を患わなかったらって。お母さんを失っていなかったらって。何度も何度も考えた。正直に言うと、今でも時々思い出すよ」

「・・・・・・はい」

「ここで質問。その願いが叶ったら、私はどうなってた思う?」

「え?」

 

不意の振りに、エリゼちゃんが素っ頓狂な声を上げた。

いい顔だ。目には見えなくとも、今の彼女がどんな顔かは想像するに容易い。

 

「よく、分かりません。どうなるのですか?」

「ガイウスと、出会えていなかった」

「え・・・・・・」

「エリゼちゃんにもリィンにも、誰にも会えなかったよ。私が大好きな家族やクラスメイト全員、赤の他人だった」

 

それは、紛れもない事実だ。可能性の話ではない。

おそらくはあのまま、私はクロスベルで一生を過ごすことになっていたはずだ。

 

今頃私は何をしていただろう。

お父さんの運送会社は、繁盛していただろうか。

お母さんは、念願のA級遊撃士になれていただろうか。

私はウェンディやオスカー、そしてロイドと、あのまま―――

 

「―――まぁ、それは置いといて」

「え?」

「ごめんごめん、何でもない」

 

これは別の話か。彼女に話す必要は無い。

いずれにせよ、きっと想像通りの世界になっていたはずだ。

 

「この3日間で実感した。クラスメイトみんなが、色々な過去を抱えて、悩んで、考えて・・・・・・でもそのおかげで、私達は出会えたんだって思える」

 

私のキッカケは両親との死別という、紛れもない不幸。でもそれは、皆だって同じだ。

 

もしエリオットが、お父さんに音楽の道を否定されなかったら。

そのまま音楽院に進み、ロン達と毎日充実した日々を送っていただろう。

もしフィーの猟兵団が、現存していたら。

今も『西風の妖精』として、団長の下で猟兵を続けていたのだろう。

もしマキアスのお姉さんが、存命だったら。

親子共々貴族に負けない力など追い求めず、今とは違う道を選んでいたかもしれない。

 

私も同じだ。たらればを語ってしまえば、今の幸せは消え失せてしまう。

結局は、エリオットの言葉に収束される。たくさんの奇跡と軌跡が重なり、私達は集った。

後悔や未練を断ち切り、目の前の現実と幸せを受け入れる。何かを否定することに意味なんて無い。

それを―――皆が教えてくれた。結果として、私達はサラ教官の下で1つになれた。

 

「上手く言えないけど・・・・・・人生って、そういうものなんだよ。何かを否定することは、全部を否定しかねないから」

「姉様・・・・・・」

「私は受け入れる。そうしないと、お父さんもお母さんも浮かばれない。リィンの妹になれた、エリゼちゃんの幸せも・・・・・・その感情も。たくさんの奇跡が重なった結果なんだって、私には思えるよ」

 

私の腕を握る力が強まると同時に、腕を濡らす雨脚もそれに続いた。

涙の意味は、私には分からなかった。でも、不思議と悪い気はしない。

私なんかが並び立てた言葉で、何か思うところがあったのだろうか。

 

受け止めよう、彼女の涙を。勢いに身を任せたとはいえ、責任を取るべきだ。

結末はどうあれ、最後まで見届ける。それは、そう遠くないように思えた。

 

__________________________________

 

物の数分で、涙は止んだ。泣くことは、精神的にも安定へと繋がる。

今のエリゼちゃんにとっては、これでよかったのかもしれない。

 

「ありがとうございます。少し、落ち着きました」

「そう。どういたしまして」

「ふふ。姉様が・・・・・・本当の姉様になってくれたら、私も諦めが付くのですが」

「・・・・・・あー。まぁ、いい人だとは思うよ」

 

素直にそう思える。ただ、その分気苦労が大変に多そうだ。

天然無自覚有罪無罪の浮気性、とでも表現すればいいのだろうか。

想い人が異性の目を惹くのは、それはそれで胸を張れることかもしれない。

でもあれは・・・・・・ちょっとなぁ。

本人は何も悪いことをしていないのに、皇女殿下まで参戦されては胃に穴が開きそうだ。

 

「今度は、姉様のお話をお聞かせ願えますか」

「え、私?」

「お二人の馴れ初めを、是非っ」

「ええ・・・・・・」

 

突然そう言われても困る。きっと目を輝かせながら言っているに違いない。

馴れ初めと言っても、話すには伏せなければいけない点が多すぎる。

アリサやエマにそうしたようには、できそうにない。

困り果てていると、先程までとは声色が違う笑い声が聞こえてきた。

 

「ふふ。姉様は、御自分のことになると照れ屋さんなのですね」

「そ、そういうわけじゃ」

「その御様子では、まだお二人の御関係も、私の想像の範囲を超えてはいないようです」

 

何を言い出すんだ。というか、それはどういう意味だ。

何だか急に立ち位置が変わった気がする。

 

「あはは。少し調子に乗りすぎだよ、エリゼちゃん?」

「え・・・・・・い、痛い!痛いです!」

 

ぐりぐりと両の握り拳で頭を挟み込む。

客観的に見て、貴族子女に対し無礼では済まされない行為だ。まぁ、誰も見てないし。

 

そうして2人でじゃれ合っていると―――遥か下方から、地響きのような重低音が耳に入ってきた。

 

「え―――」

 

いや、実際に振動を感じる。

パラパラと、小石が地面に落ちる音が周囲から聞こえてくる。

その正体に思い至った頃には―――初期微動に、主要動が追いついた頃だった。

その揺れのエネルギーが一気に膨れ上がり、私達を襲った。

 

「ひっ!?」

「エリゼちゃん、こっちを向いて!」

 

振動で揺れ動いた岩々が、次々と崩れ落ちていく。

立ち込める土煙で、呼吸すら満足にできない。

 

何だ、これは。こんな時に、どうして地震なんかが起きる。

泣きっ面に蜂にも程がある。風の悪戯では済まされない。

今だけは、風と女神の導きなど、その存在を疑わざるを得なかった。

 

「ね、姉様・・・・・・っ!」

「心配しないで。絶対に守ってあげる」

 

そうだ。この救いようのない、どうしようもない現実からも、目を背けるわけにはいかない。

彼女を―――いや、私だって。私にだって、待っている人間がいる。

まだ、やり残していることは山程ある。絶対に、諦めてはいけない。

 

しばらく堪えていると、漸く揺れは収まっていった。

目の前の石壁も、どうにか耐えてくれたようだ。

どうする。状況は依然として最悪だ。中からも外からも、道は見当たらない。

諦めては駄目だ。道が無いなら、自分自身で切り拓け。何か、何かあるはずだ。

 

「・・・・・・あっ」

 

不意に目に入ったそれは、先程までは尖った岩先の陰になり目に入ることはなかった。

暗闇に慣れた目に、おぼろげに映った1つの仕掛け。

あれはレバーだろうか。岩々に阻まれながらも、腕を伸ばせばなんとか届きそうだ。

 

考えてみれば、地下道には士官学院の旧校舎を思わせる、様々な仕掛けが残されていた。

これもその1つなのだろう。ただ―――この仕掛けを操作することで、何が起きるかは想像も付かない。

 

操作することで、新たな道に繋がったことはあった。

一方で、トラップのような仕掛けが存在していたことも事実だ。

頭上から魔獣が降ってきたことすらあった。手放しには喜べない。

 

「・・・・・・考えても無駄、か。エリゼちゃん、ちょっといい?」

「な、何でしょうか」

「正直に言うね。多分、これしか期待できそうにない」

 

私達が置かれた状況を、再度エリゼちゃんに打ち明けた。

脱出も救出も、ほとんど可能性は残されていないという、絶望的な状況。

そんな中で目に止まった、最後の希望。酷ではあるが、彼女にも受け止めてもらうしかない。

私1人では、決断できそうにない。

 

「・・・・・・そうでしたか。なら、取るべき行動は1つしかありませんね」

「うん・・・・・・ごめんね。もしあの時、私が―――」

「姉様、『たられば』は無しです。私は姉様を信じます」

 

背中を押される形で、覚悟は決まった。

少女と呼ぶには、立派過ぎる人間だ。数年後には、きっと素敵な女性になってくれるに違いない。

 

立ち上がりながら、目に止まったレバーの様子を窺う。

思っていた以上に距離があるようだ。これでは届きそうにない。

 

「これ、預かってもらっていいかな」

 

ARCUSを一旦エリゼちゃんに預け、ホルダーで輪を作る。

隙間を縫うようにして腕を伸ばし、それをレバーへと投げ、輪に引っかけた。

 

「よしっと。さぁ、いくよ!」

「はいっ」

 

ホルダーを握る手とは反対の手で、確かめる様に握り合う。

魔獣が飛び出して来たらそれまでだ。何も起こらなくても、それまで。

迷いは無かった。明日への希望と、願いを込めて。

私は一気に、レバーを下げた。

 

________________________________

 

切れかけた導力灯の明滅と、天井の高い石造りの地下道。

延々と続くと思われたそれから繋がった、丸トンネル。

頭上の側溝から漏れ出す光は、小さいながらも確かな希望に満ち溢れていた。

 

私の推測が正しければ、ここはおそらく、あそこだ。

2人の男女がヘイムダル大聖堂を目指した、あの場面の逃走経路。

カーネリアの作者は、こんなところまで再現していたのだろうか。

もしそうなら、頭が上がらない。小説作家が作品に注ぐ情熱は、それ程のものなのだろう。

 

「どうされたのですか?」

「ううん。何でもない」

 

私達の願いは通じた。

意を決して操作した仕掛けは、窪地の壁を開き、私達に光をもたらした。

頭上の光は、夕暮れの橙色を帯びている。まだ日は暮れていないようだ。

ARCUSの時計は、午後5時前を示していた。

 

「エリゼちゃん、大丈夫?」

「平気です。これぐらいで音を上げては、シュバルツァー家の名が廃りますから」

 

道行く人々の直下に広がるこのトンネルは、雨が降れば汚水で溢れるはずだ。

渇いているとはいえ、足元は汚泥だらけ。私達の足は、当然ながら泥に塗れていた。

鼻が曲がるその臭いに、息が詰まりそうな思いだった。

 

「泥まみれなのに、いい顔だね」

「姉様のおかげです。行き着く先はどうあれ、自分自身に素直になろうと。今ではそう思えますから」

「そっか」

 

再び手を取り合いながら、トンネルの先へ力強く歩を進める。

しばらくそうしていると、その先には梯子、頭上にはマンホールと思われる鉄の円があった。

 

「やったっ。ゴールだよ、エリゼちゃん」

「はい!」

 

早る気持ちを抑え、梯子の強度を確かめる。

問題は無い。慎重にそれを上り、力任せに右腕で扉を開いた。

 

「あ・・・・・・」

 

頭上から直接降り注ぐ、陽の光。濁りの無い、澄んだ空気が肺を満たしていく。

紛れもない、空と繋がった世界。エイドスの導きは、そこに確かに存在していた。

漸く生きた心地がしてきた。

 

先に地上へと登り出た私は、後に続いたエリゼちゃんの身体を引き上げ、周囲を見渡した。

ここはどこだろうか。どこかの路地裏のように思える。

 

「どうやら駅から程近い場所にある、街区同士の境目のようですね」

「・・・・・・あはは。ゴールというよりは、スタート地点だったわけか」

「え?」

「こっちのはな・・・し・・・・・・?」

 

不意に、違和感を抱いた。

周囲に人の気配は感じられない。路地裏だから当然かもしれないが―――何だ、これは。

周囲どころか、どこからも何も感じられない。生命の息吹が、無い。

風すらも感じない。無風で、無音だ。何の喧騒も無かった。

これは―――

 

「―――エリゼちゃん。お願いがあるんだけど、いいかな」

「あ、はい。何でしょうか」

「ARCUS。ここのボタンを押すと、私達の教官と通信ができるから。あそこに見える街灯の下で、それをお願いできるかな」

 

まるで意図の掴めない私のお願いを、戸惑いながらもエリゼちゃんは受けてくれた。

これでいい。彼女には、怖い思いをさせたくはない。

多分、当たっているはずだ。こんな不可思議な現象は、自然には存在しない。

人の手でも無理だ。なら、それは人以外の何かだ。

 

「いるんでしょ。さっさと出て来たらどう?」

 

突如として、後方から紫色の光が溢れ出た。

外れていてほしかった。予想は、当たっていた。

 

「―――3ヶ月前のあの日、私の眼差しに振り向いてはくれなかったことが実に残念だが・・・・・・今日は、そうではないようだね」

「何の事を言ってるか分かんない」

「ケルディック、だよ。まあ、親鳥である紫電の君に気付かれまいと、気配を消した私の責任が大きいがね」

 

忘れもしない、その声。

迷い無く、私は振り返った。

そこにいたのは、3年前にも対峙したあの男。

幸せを掴みかけた私を惑わせた、人にして人ならざる存在だった。

 

「本日は名乗らせてもらおう。執行者No.Ⅹ、怪盗紳士『ブルブラン』。既に彼らから聞き及んでいたかな?」

「・・・・・・身喰らう蛇、だっけ。まさかとは思うけど、今回の件。あんた達も―――」

「フッ、それは誤解だよ。私はただ、美を秘めた可能性を確かめに来ただけさ」

「私のARCUSを盗んだのも、そのためだって言うわけ?」

「此度の戯れ、私を知る君が彼らと行動を共にしていては、成り立たなかったからね。返してあげただろう?」

 

仮面の向こう側から、ぞっとするような視線を感じた。

身体の内側を覗き込まれるような感覚に、膝が笑い声を上げそうになる。

臆するな。引いては駄目だ。この男の存在を、見過ごしてはならない。

 

「それにしても・・・・・・美とはかくも儚く脆いものだとは。少々、興冷めだ」

「ハッキリ言ったらどうなの。何を言いたいのかさっぱり分かんない」

「まるで美しさの欠片も感じられない。君という物語は、私の中で既に閉幕したのだよ」

「冗談でしょう。見る目が無いって言われたことない?」

「今の君のような陳腐な美に、理解など無い」

 

いちいち癇に障る物言いだ。

虚勢を張っているせいか、口から漏れ出る言葉が自分の物とは思えない感覚だった。

いずれにせよ、ここでハッキリとさせておく必要がある。

さっきからこの男が言う『彼ら』は、私のクラスメイトに他ならない。

 

「リィン達に、何をするつもりなの。あんた達は、一体何者なの」

「話す義理など無いさ。今日は『ついで』だ。3年前の、狼の言伝。返答をまだ聞いていなかったからね」

 

虫唾が走った。反吐が出る。

唯一、私が受け止められない過去。

3年前の言伝と、7年前に浴びせられた言葉。

私の答えは、決まり切っていた。

 

「私を抱いていいのは、1人しかいない。私は『力』に溺れたりはしない。あの変態野郎に、そう伝えて」

 

吐き捨てるように言うと、途端にブルブランの身体が小刻みに動き始めた。

 

「クク・・・・・・ハッハッハ!力に溺れない、か。よくそんな台詞を言えたものだ」

「だから、何が言いたいの!?」

「君に宿る真の『力』・・・・・・引き出したのは、まだ一度しかないだろうに。それも、4年前だ」

「・・・っ・・・・・・」

 

どうして、それを知っている。

それを口にしても、意味が無いのは分かり切っていた。

ただじっと堪え睨むことしか、私にはできなかった。

 

「フッ、確かに受け取った。君達《Ⅶ組》が行き着く先―――精々楽しみにさせてもらおう」

 

それを最後に、再び周囲が紫色の光に包まれた。

 

途端に、空気が変わった。

灰色に染まっていた風景は夕暮れに照らされ、温かな色を帯びていた。

道行く人々の喧騒と、声。上空を舞う鳥たちの鳴き声。

風が頬をなぞる感触と―――私に駆け寄ってくる、少女の足音。

 

「ね、姉様!?どうされたのですか!?」

「・・・・・・はは。エリゼちゃん」

 

漸く感じられた色取り取りの世界に、緊張の糸が切れていた。

気付いた時には、腰が抜け、地べたに座り込んでしまっていた。

 

「ごめん。安心したら、ちょっとね」

「手をお貸しします。通りに出ましょう・・・・・・皆様が、すぐに駆けつけて下さいますから」

 

小さい身体に支えられながら、狭い路地裏を進み、大通りに出る。

周囲の人々の顔には戸惑いの色が浮かんでいるものの、襲撃の混乱も収まりつつあるようだ。

 

辺りを見渡していると、見覚えのある装甲車が私達の前に停車した。

鉄道憲兵隊の紋章。随分と早いご到着だ。

 

「エリゼ!?」

「アヤ!?」

 

いち早く飛び出してきたのは、私達の想い人。

その異様な雰囲気に、道行く人々の複数の視線が、私達に対して注がれていた。

同時に、遠方からヘイムダル大聖堂の鐘の音色が聞こえてきた。

察するに、午後17時を示す鐘なのだろう。

 

「どうしよう。私達、すごい目立ってるよ」

「ええ。まるで物語のクライマックスのようですね」

「あはは。泥だらけのヒロインってどうなんだろ」

「ふふ、臭いもひどいです」

 

足早に私達の下に駆け寄る2人を見ながら、お互いに苦労を労い合う。

やっと―――やっと、会えた。1日振りだというのに、何日も離れ離れになっていたようにすら思える。

 

「エリゼ!!」

「兄様っ・・・・・・」

 

エリゼちゃんはリィンに抱き留められ、お互いの体温を確かめ合っていた。

本当によかった。私は、この光景を守ることができた。

羨ましい限りだ。私達には、あれは流石に―――

 

「アヤ!!」

「ガイウス・・・・・・わわっ」

 

私よりも一回り大きいその身体に、私は覆われた。

痛みを感じる程に。息遣いと鼓動音すら、手に取るように分かる程に。

 

「アヤ・・・・・・アヤっ」

「ちょ、ちょっとガイウス。みんな見て・・・・・・る?」

 

いつの間にか、私の肩は濡れていた。

隠すようにして、私を抱きながら。ガイウスは、目元を私の左肩に埋めていた。

 

「よかった。本当に・・・・・・俺は。俺、は」

「ガイウス・・・・・・」

 

初めて見せた涙だった。

どんな時も、どんな事があっても見ることが叶わなかった、感情の証。人の証だ。

 

泣きたいのはこちらだ。というより、思いっ切り泣こうと思っていた。

ずっと堪えていたのだ。エリゼちゃんを守る一心で、虚勢を張り続けていた。

皆の前で、彼の胸元で泣く。そう思っていた。蓋を開けてみれば、立場は逆転していた。

 

「ごめんね、心配掛けて。私は、もう大丈夫だから」

 

無言の頷きで答るガイウス。

私達を見守るクラスメイトの表情からは、様々な感情が窺えた。安堵と驚きに、戸惑い。

そのどれもが、今だけは再会を祝福してくれているように感じられた。

柄にもなく温かな笑みを浮かべるユーシスの表情すらも、素直に受け入れられる。

 

天国の両親に、胸を張って伝えよう。

お父さんとお母さんが、得るはずだった幸せ。3人分の幸せを、私は手に入れて見せる。

私を抱く想い人と、将来を誓い合う覚悟すらも―――私には、できている。

そして、恩師とお母さんの意志を継いで。私は立派な遊撃士になってみせる。

お父さんの故郷すらも守ってみせよう。もう里心は付き始めている、3つ目の故郷だ。

 

別れと悲しみを幸せに変えて。過去を受け止め、未来に向かって。

掛け替えのない仲間たちと、手を取り合いながら。

 

7月26日の、帝都ヘイムダル。夕日に溶けた青空を見上げて、私は両親に誓った。


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