絢の軌跡   作:ゆーゆ

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賑やかな夜

軍事水練とは何か。

サラ教官の問いに「要するに水泳ですよね」と答えた私は、周囲から生温かい視線を浴びせられる羽目になった。

何だか必要以上に小馬鹿にされている気がしてならなかったが、実際に私の答えは『軍事水練』の一部に過ぎないらしい。

様々な有事を想定した泳法や対処法、溺水者の救助法や蘇生法。

流石にその全てを指導する時間はないようだが、人命救助については重点的にカリキュラムに組み込まれているようだ。

 

「てなわけで、その辺りの講義と実演から始めましょうか」

「じじ、実演?」

 

サラ教官の実演という言葉に、アリサの裏返った声が響き渡る。

 

「あのねぇ・・・・・・人形相手に決まってるじゃない。そんなにリィンと実演したいわけ?」

「サラ教官!!」

 

耳たぶまで真っ赤になりながら腕をぶんぶんと振り回すアリサ。

半分ぐらいは、自分で地雷を踏みに行ったようなものだろうに。

 

特別実習、2日目の夜。

あの夜のアリサの言葉を素直に受け取るなら、リィンは恋愛対象ではなく単なる憧れだ。

とはいえ、そう簡単に割り切れるものでもないのだろう。

憧れが別の感情に変わる、そんなこともあるのかもしれない。

 

(変わらないなぁ、アリサ)

 

いずれにせよ、ノルドでの実習以降も、アリサのリィンに対する態度は何一つ変わらない。

もし悪戯好きな女子生徒がこのクラスにいたら、四六時中アリサを弄り倒すんじゃないだろうか。

そのポジションにいるのが担任、というのはどうなんだ、サラ教官。

 

「それにしても・・・・・・ねえラウラ。ここの水って、独特な匂いがするよね。何の匂いなの?」

「消毒薬によるものだろう。このような設備では必要な処理だと聞いている。気になるのか?」

「ちょっとだけね。でも、久しぶりに泳げるのは嬉しいよ」

 

7月17日の土曜日。

季節はすっかり夏色に染まり、上着を着る学生を目にするのは稀になっていた。

授業とはいえ、こうして水場で涼むことができるのは素直にありがたい。

今思えば、4月に水泳部の見学に来た時もラウラと一緒だったか。

日常的にこんな広い水場で泳げるとは。ラウラが少しだけ羨ましい。

 

「さてと。一応聞いておくけど、心肺蘇生法の経験がある子はいるかしら?」

「えっ」

 

私達を見渡しながらサラ教官が言うと、1人だけ挙手で答える男性がいた。

嫌な予感はした。うん、知ってた。

彼はどこまでも純粋で、素直で、真っ直ぐな男性だった。

 

「あら意外ね。ガイウス、参考までにその時のことを聞いてもいい?」

「はい。3年前にアヤが川で溺っ!!?」

 

脇腹に肘鉄を食らったガイウスは、そのまま力なく倒れ込み沈黙した。

そのまま授業が終わるまで果てていてほしい。何を口走ろうとしたのかはもう誰にも分からない。

 

「・・・・・・何してるの、アヤ」

「3年前に妹が川で溺れまして。その時の話ですよ、あはは」

「痛いじゃないか」

「うるさい、バカっ」

 

思いの外早く回復したガイウス。

肘はまずかったかと思ったが、この調子なら授業にも支障はないだろう。

怪訝そうな色を浮かべる皆の一方で、一部始終を隣で見ていたマキアスはドン引きしていた。

見なかったことにしてほしい。

 

________________________________________

 

「ふぅ」

 

髪をかき上げ、纏わりつく水を後方へ勢いよく飛ばす。

こんな風に思いっきり泳いだのは、いつ以来のことだろう。

水温もちょうどいいし、水中では50アージュ先が透き通るようにしてハッキリと見える。

何て恵まれた環境だ。やっぱりラウラが羨ましい。

 

「さ、流石に速いですね・・・・・・あっという間に追い抜かれてしまいました」

 

私に一歩遅れてプールサイドに上がるエマ。

こうして眼鏡を外したエマを見るのは初めてではないが、男性陣にとっては新鮮のようだ。

それにしても・・・・・・何とまあ。自然と視線が、彼女の胸元へ向いてしまう。

 

「な、何ですか?」

「いや・・・・・・あはは。はぁ」

 

男性陣の目がちらちらと集まるのも、眼鏡だけが理由ではないのだろう。

無理もないと思う。女性の目から見ても、ごくりと生唾を飲み込みそうになる。

 

「私からすれば、アヤさんやラウラさんが羨ましいですよ?お二人とも、流石に鍛えているといった感じで」

「あー。まぁ、剣を握ってたら自然にこうなるよ」

 

剣を振るうには、強靭且つ柔軟な身体が必要だ。

それを身に付ける方法はといえば、やはり剣を振るうしかない。局部鍛錬で鍛えた不自然な肉では重荷になるだけだ。

私はともかく、ラウラの身体つきはそれを如実に物語っている。フィーだって同じだろう。

 

「ガイウスさんも、泳ぎ慣れていますね」

「2人でラクリマ湖を横断しようとしたことがあったっけ。無理だったけど」

「あ、あはは・・・・・・」

 

渇いた笑い声を上げるエマを尻目に、ガイウスの姿を目で追う。

 

あれから1週間。私達の間に起きた出来事は、今でも皆には知られていない。

それもそのはず、私とガイウスがいつも通りの日常を送っているからだろう。

2人で過ごす時間は増えたし・・・・・・見えないところでは、まぁ色々あったりはするのだが。

それでも皆の目から見れば、特別変わったことは見当たらないはずだ。

食事を共にしたり、一緒に登下校したり。お互いの部屋に入り浸ったり。

お互いと言っても、私がガイウスの部屋に行くことがほとんどか。逆をすると女性陣がいい顔をしない。

アリサ曰く「寝起きやお風呂上りを見られると恥ずかしい」そうだ。

・・・・・・リィンもよく3階で見かける気がするのだが。彼は特別枠なのだろうか。

 

「見惚れているのか」

「え?」

 

声の方に振り返ると、ユーシスが小さな含み笑いを浮かべながら立っていた。

 

「見てただけじゃん」

「やれやれ。授業中に惚気るのはご勘弁願いたいものだな」

「だからそんなんじゃないってば・・・・・・何その顔。何かムカつくんだけど」

「フン、精々気付かれんよう表に出さんことだ。お前は分かりやすいからな」

「ぐぬぬっ・・・・・・」

 

腕を組みながら私とガイウスを交互に見やるユーシス。

何だか弱みを握られているような思いだ。悪いことはしていないのに。

ポーラ以上に厄介かもしれない。とりあえずそのドヤ顔のような表情はやめてほしい。

 

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「・・・・・・何の話をしてるんだろう」

「エリオット、どうかしたのか?」

「ほら、アヤとユーシスだよ。最近あの2人、よく一緒にいるなぁって思ってさ」

 

エリオットが首を傾げながら、小声でやり取りをするアヤとユーシスに視線を送る。

何の事情も知らない彼らにとって、声を潜めてひそひそ話に興じる2人は異様に映ったようだ。

 

「お互い馬術部だし、クラブ活動の話でもしているんじゃないか?」

「どうせアヤ君の水着姿に鼻を伸ばしているだけだろう。けしからん奴め」

 

思い思いの意見を口にするリィンとマキアス。

どちらも的外れだったが、彼らに真相を知る由は無かった。

 

「どうかしたのか」

「あ、ガイウス」

 

エリオットが振り返った先には、ちょうどタイムを測定し終えたガイウスの姿があった。

普段は後頭部にまとめられた髪が下ろされ、遊牧民ならではの野性味が溢れ出る佇まい。

そんなガイウスの出で立ちは、眼鏡を外したエマ同様に、彼らの目には新鮮に映っていた。

 

「・・・・・・何でだろう。ガイウス、何か格好いいよ」

「よく分からないが、褒め言葉と受け取っておこう」

 

雄大な故郷で鍛え上げられた、褐色の体躯。

リィン以上に引き締まった身体付きが、エリオットにとっては手の届かない存在に思えてしまう。

いや、それ以上に。ガイウスの身体を滴る水滴の1つ1つが、どういうわけか輝いて見える。

清々しい表情も相まって、完成された男性美が両足で立っているような感覚だった。

 

「ええっと。アヤとユーシス、最近よく2人でいるなぁって思ってさ」

 

戸惑いを隠すようにして、エリオットが話題を逸らす。

同様に視線を2人へと向けたガイウスは、自信が満ち溢れた表情で言った。

 

「フッ・・・・・・今日もいい風が吹いているな」

「よく分からないよガイウス・・・・・・」

 

やはり彼らには、知る由も無かった。

 

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本棚に収められた本の背表紙を、左から右へ指を差しながら目で追っていく。

1段終えたら、1段下がってまた左から。

本を探すという行為自体慣れていない。もう何度同じことを繰り返しているのだろう。

段々と目が痛くなってきた。

 

「・・・・・・・無いなぁ」

 

今週分の全ての授業を終えた放課後、私は図書館へ足を運んでいた。

自習のためにここを訪れることは多いが、本を探すために来たのはこれが初めてかもしれない。

自由行動日を控えた放課後ということもあり、生徒の数も私を含め3、4人といったところか。

 

「アヤさん、何か探し物?」

「え・・・・・・あ、キャロルさん」

 

私に声を掛けてきたのは、この図書館を管理する司書、キャロルさん。

挨拶は何度も交わしてきたが、会話らしい会話はしたことがなかった。

名前を呼ばれて、少しだけ驚いた。名乗ったことがあっただろうか。

 

「最近よく来てくれるでしょう。ここを訪れる生徒の名前は大方把握しているの」

「そ、そうなんですか」

「珍しいわね、あなたが本を探すなんて」

 

・・・・・・それもバレていたか。

一度も貸出カウンターに本を持って行ったことがないのだから、当然かもしれない。

 

「それで、どんな本をお探しかしら」

「決まった本を探しているわけじゃなくて・・・・・・その、遊撃士に関する本を」

「あら、遊撃士?」

「お、お母さんの職業について、少し知りたくなったんです」

 

当たらずとも遠からず、といったところだろう。

馬鹿正直に「遊撃士になりたいから」と言葉にするのは気が引けた。

 

私が垣間見た未来についても、今のところはガイウスにしか話していない。

冷静になって考えてみれば、私が遊撃士に関して知るところは多くはない。

いつの間にか私の頭の中では『お母さん=遊撃士』という式が成り立っていた。

夢を追いかけるのは、しっかりと先を見据えてからでも遅くはないはずだ。

 

私の申し出に、キャロルさんはものの3分で適当な本を見繕ってくれた。

遊撃士に関する2冊の教養書と、1冊の娯楽小説。

 

「『カーネリア』・・・・・・ですか。これ、遊撃士と何か関係があるんですか?」

「ふふ、読めば分かるわよ。気に入ったら、他にも紹介してあげるからね」

「はぁ」

 

よく分からないが、キャロルさんの選定に間違いはないはずだ。

私はその言葉に従い、3冊分の貸し出しカードにペンを走らせた。

 

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図書館を後にした私は、一旦荷物を置くために学生寮へと戻っていた。

それと、シャロンさんに晩御飯は要らないことを伝えるため。

もしかしたら、もう用意をしてしまっているだろうか。

そんな私の不安は、シャロンさんの「存じております」の一言で解消された。

これぐらいではもう驚きも少なくなってきた。感覚が麻痺しているのかもしれない。

 

「あ、フィー。もう帰ってたんだ」

 

3階に足を運ぶと、フィーが私の部屋の前に立っていた。

何か用でもあるのだろうか。

 

「ガイウス、知らない?」

「ガイウス?今日もクラブ活動に行ってると思うけど。どうかした?」

「髪、長くなってきたから」

「あー、はいはい」

 

前回フィーが髪を切ったのは、ちょうど私と同じ時期だ。

そろそろまた切ってもらいたい頃合いなのだろう。

彼女にとっては、長い髪は鬱陶しいだけのようだ。

 

「なら、私が切ってあげよっか?」

「・・・・・・切れるの?」

「ガイウスと同じだよ。妹の髪を切ったことは何度かあるんだ」

 

フィーぐらいの長さなら、シーダやリリと同じ感覚で切れるだろう。

毛先を切り揃える程度ならお任せあれだ。

 

「ん。ならお願いしよっかな」

「私は今からキルシェに行くから、その後でいい?」

「キルシェ?食べる方?」

「手伝う方。最近顔を出せていなかったからね」

 

せっかく新調したキルシェの制服にも、袖に手を通せず終いになっていた。

今の時間からでは大した手伝いにもならないかもしれないが、久しぶりにもてなす側に立つとしよう。

 

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「フレッドさん、焼き色を見てもらえますか」

「ん、どれどれ・・・・・・ああ、もう出してもいいぞ」

 

窯の中で気持ちのいい音を上げながら焼き上がるピザを、フレッドさんが覗き込む。

そのまま噛り付きたいのが本音だが、大事な商品をつまみ食いはできない。

・・・・・・食材をちょっとだけ、は前科があるのだが。

 

最近では簡単なドリンク類を任されるようになり、こうして調理の補佐をすることも多くなった。

それなりの戦力になれるようになった分もう少し頻度を上げたいところだが、学業を疎かにもできない。

馬術部の活動にも力を入れたいし・・・・・・本当に、体がいくつあっても足りない。

やりたいことは、山ほどあるのに。

 

「いらっしゃいま・・・・・・え?」

 

ドアチャイムの音に振り返ると、意外や意外。

サラ教官に、ナイトハルト教官。そして、トマス教官。

トールズ士官学院の教官勢が、3人揃ってご来店なされた。

見慣れた3人ではあるが・・・・・・この組み合わせは何だろう。

学院内でも、この3人が行動を共にしている姿を見たことはない。

 

「サラ教官」

「あら、アヤじゃない。ちょうどいいわ」

 

カウンターに立つ私を見つけたサラ教官は、足早に私の下に駆け寄り、肩を掴んだ。

いや、かなり痛いのだが。そんなに強く掴んで、何をしたいのだろう。

 

「リィンは逃がしたけど・・・・・・うふふ。あなたは絶対に逃がさないわよ」

「な、何のことですか?」

「おやおやー?アヤさんじゃないですか。奇遇ですねー」

 

トマス教官が陽気な声を上げながらテーブルにつくと、ナイトハルト教官がそれに続いた。

何だろう、何か嫌な予感がする。今すぐ逃げたい衝動に駆られたが、サラ教官の手がそれを許してくれない。

 

「アヤ、とりあえずビールを3つ。酔わないとやってらんないわ」

「生徒にお酒をオーダーって、いいんですかそれ」

「うるさいわね。ほら、さっさとしなさい」

 

種類こそ多くないが、キルシェにもアルコールの類があるにはある。

夜にはそういった客層で賑やかになるし、売り上げに大いに貢献している。

客のリクエストに即席で応えるフレッドさんの料理の腕が、それを支えているのだろう。

 

「お待たせしました」

「いやー、可憐な制服ですねえ。ナイトハルト教官もそう思いませんかー?」

「いえ、自分は、その」

 

ノリノリのトマス教官に対して、ぎこちなく返すナイトハルト教官。

なるほど。何となくだが、状況は読めてきた気がする。

トマス教官の誘いに、仕方なく席を共にしている、といったところだろうか。

 

「そ、それではごゆっくり」

 

3人分のビールをテーブルに置き、そそくさと踵を返す。

そんな私の肩に、再びサラ教官の手が置かれた。

 

「すいませーん。この子、しばらく借りるわね」

「ん?おー、好きにしてくれ」

 

競馬雑誌に視線を落としながら、素っ気なく返すフレッドさん。

即座にドリーさんにヘルプの視線を送るが、彼女はにっこりと笑みを浮かべ応えてくれた。

違う、私は助けてほしいのに。「楽しそうねーアヤちゃん」みたいに笑わないでほしい。

 

「それでは乾杯としましょうかー」

 

トマス教官の音頭で、何とも異様な組み合わせによる夜の宴が幕を開けた。

 

_______________________________________

 

本当によく喋る。それがトマス教官に抱いた率直な感想だった。

話題はころころと多方面に切り替わり、何かにつけ帝国史や雑学と絡ませては勢いが止まらない。

そんなトマス教官に対し、「自分もそう思います」「そうですね」と律儀に相槌を打つナイトハルト教官。

サラ教官はトマス教官のグラスが空いた隙を見計らって、即座にお酒を注いでいた。

酔い潰そうとしているのだろうか。だとすれば、それは逆効果のように思えた。

酔ってはいるのだろうが、相当酒に強い体質なのだろう。むしろ口数は増える一方だった。

 

「ふう・・・・・・話には聞いていたが、ウォーゼル。お前はここで働いていたのか」

「働くだなんて、そんなんじゃないですけど」

 

ナイトハルト教官は、普段私のことをアヤ・ウォーゼルとフルネームで呼ぶ。

ガイウスと区別するためなのだろう。彼がいない時は、皆と同じようにファミリーネームだ。

 

「社会勉強になるかな、と思いまして」

「心構えは買うが、本業に支障が出ないよう努めることだ」

 

そんなつもりでここに来ているわけではない。

が、彼には今のような言い方をしておいた方が無難なのだろう。

 

「先月の件はご苦労だった。犯人達を拘束した手並みも、お前の機転によるものだったと聞いている」

「あれは別に・・・・・・」

「だがお前達は少々独断専行が多すぎる。シュバルツァーにも言ったことだが―――」

「ちょっと。そういうのはやめてって言ってるでしょう」

 

ナイトハルト教官の言葉を遮るように、ドンッとテーブルを叩くようにグラスが置かれた。

敵意むき出しのサラ教官。酔いも相まって、感情が込められた鋭い目線だった。

 

「アヤはあたしの生徒なの。そういう有難いお説教は軍の部下にでもしてあげたらどう?」

「心外だな。俺は軍人の何たるかを説こうとしただけだ」

「それが要らぬお世話だって言ってるのよ。この子達に必要なのは―――」

 

そうして始まる討論のような何か。口喧嘩と言った方がいいのかもしれない。

トマス教官はそんな2人を「いやー、仲がいいですねえ」と温かい目で見守っていた。どこをどう見たらそうなるのだろう。

それにしても、ソリが合わないとは聞いていたが、まさかここまでとは。

間に挟まれた私の身にもなってほしい。そこまで悪い気はしないのだが。

 

「まったく、話にならんな。そんな心構えで士官学院の教官が務まるとでも思っているのか」

「時代が変われば教育だって変わるのよ。この子達の将来の可能性を、勝手に狭めないでもらえるかしら」

「可能性を狭める、だと?」

「大体ね、アヤが将来軍人になるだなんて誰がいつ言ったのよ?」

 

そうして注がれる、2人の熱い視線。

・・・・・・いや、そんな目で見られても。私はどう答えればいいのだろう。

士官学院に身を置きながら、現役の軍人に対し「軍に入る気はないです」と口に出せるわけがない。

 

「ウォーゼルの武術教練の成績は同学年内でトップクラスだ。優秀な生徒の未来を期待して何が悪い」

「だから!それは可能性の1つに過ぎないでしょう?アヤのことを知りもしないで、勝手なことを言わないでちょうだい」

「私情を挟んでいるように聞こえるが?」

「生徒を想うことがいけないとでも言いたいわけ?」

「いやー。まるで我が子の将来を語り合う夫婦みたいですねー」

「「誰が夫婦ですか!!?」」

「・・・・・・あはは」

 

トマス教官、いきなり爆弾を放り込まないでほしい。

ただ、やっぱり悪い気はしない。両者共に、私のことを思っての言葉なのだろう。

夫婦か。言われてみれば、少し似ている気もする。

元軍人のお父さんと、現役遊撃士だったお母さん。

今は亡き両親を思う私を尻目に、2人の私に関する討論はとめどが無かった。

 

_________________________________________

 

結局初めに酔い潰れたのは、サラ教官だった。

同じ量の酒を煽っていたはずのトマス教官はといえば、ケロっとした顔でキルシェを後にした。

ナイトハルト教官は明日の朝が早いこともあり、断固として1杯以上の酒を口にすることはなかった。

 

「アヤ様。おかえりなさ・・・・・・あらあら、サラ様ったら」

「シャロンさん、手を貸してもらえませんか」

「うー。水ちょうだい、水。冷たいの」

 

ナイトハルト教官の肩に掴まりながら、呻き声を上げるサラ教官。

何だかんだ言いつつも、律儀にこうして学生寮まで付き合ってくれたのは素直に助かった。

私1人では支えきれなかっただろう。

 

「やれやれ。見るに堪えんな・・・・・・ウォーゼル。すまないが、後を頼む」

「ありがとうございます。その、ナイトハルト教官」

「何だ?」

 

サラ教官をシャロンさんに任せ、ナイトハルト教官に向き直る。

多分、言っておいた方がいい。それが礼儀なのだろう。

 

「先のことは分かりませんが・・・・・・私は、軍以外の道も視野に入れています。ですから、その」

「そのことか。薄々感づいてはいた」

「・・・・・・え?」

「これでも部下の相談事を聞くことは多い。それなりに人を見る術は身に付けているつもりだ」

 

腕を組みながら、私の背後にいるサラ教官へ視線を向けるナイトハルト教官。

彼は今何を思っているのだろう。冷静沈着なその表情からは、胸中を窺えない。

ただ、少しだけ温かな感情が込められているように私には見えた。

 

「俺がとやかく言うことではない。だがお前が士官学院に身を置く以上、特別扱いをするつもりもない」

「分かっています。これからもご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いします」

「ああ。今日は助かった、礼を言う」

 

そう言ってナイトハルト教官は学生寮を後にした。

軍人としての心構え、か。どんな形でも、それが将来私の糧となる時が来るのかもしれない。

学ぶことは無駄にはならない。それだけでも贅沢というものだ。

 

「うー・・・・・・あれ?あのいけ好かない堅物野郎はどこ?一発お見舞いしてやろうと思ったのに」

「サラ様、お見送りしていただいた殿方に対して失礼ですわ」

 

・・・・・・あの2人が分かり合える日は、来るのだろうか。

しばらくの間は無理だろう。ユーシスとポーラ以上に絶望的に思えた。

 

_________________________________________

 

「なるほどな。帰りが遅いとは思っていたが、そんなことが」

「うん。何か疲れちゃった」

 

サラ教官をシャロンさんに任せた後、私はガイウスのベッドに寝そべりながら枕に顔を埋めていた。

・・・・・・彼の匂いを満喫していると言ったら、引かれるだろうか。

立場が逆なら、間違いなく脇腹を蹴り上げている。照れ隠し、というやつだ。

当のガイウスは、椅子に腰掛けながらデッサン用の木炭を握っていた。

 

「それ、何描いてるの?」

「前回の実習でいいイメージが浮かんでな。今は大まかな構図を固めている最中だ」

 

ガイウスはそう言うと、再びキャンバスと睨めっこを始めた。

ああやって絵画に夢中になるのはいつのもことだが、とりわけ今は目が輝いているように見える。

余程いい絵が思い浮かんだのだろう。

 

(・・・・・・よしっ)

 

少しだけ、悪戯心が湧き上がる。

音を立てずにベッドから立ち上がり、背後へと歩を進める。

気付かれないように、そっと。

 

「ていっ」

「・・・っ・・・・・・驚かさないでくれ」

 

背中から、椅子に座る彼の首に腕を回す。

授業中が駄目なら、自室で好きなだけ。文句はないだろう、ユーシス。

 

「明日もキルシェにいるから、来てよ。リンデも連れて来たら?」

「ああ、そうさせてもらおう・・・・・・アヤ、描けないんだが」

「知ってる」

 

ガイウスの首を囲む私の腕を、彼の手がポンポンと叩く。

もう少し、構って欲しい。もう唯の姉弟ではないのだから。

こんな時ぐらい、遠慮はしたくない。正直、顔から火が出そうだ。

・・・・・・彼にそういったことを期待するのは、ちょっと無理があるか。

 

「アヤ、いる?」

「「っ!?」」

 

声と共に、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

弾かれたように距離を取る。心臓が止まるかと思った。

コホンと咳払いを1つした後、ガイウスが扉を開けた。

 

「アヤ見っけ・・・・・・何してるの」

「べ、別に何も」

「何で壁際に立ってるの」

「壁が好きだから。あはは」

 

壁から3リジュばかり離れ、平行に直立する私。

どんな言い訳だ。意味が分からない。

 

「わ、私に何か用?」

「髪」

「・・・・・・あっ」

 

ごめん、フィー。完全に忘れてた。

結局彼女の髪にハサミを入れたのは、翌朝のことだった。


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