荷物は何度も確認した。忘れ物は無い。
ARCUSも昨日ジョルジュ先輩に見てもらったばかりだ。
寝付きも目覚めも良かったし、顔色もいい。
唯一気になる点あるとすれば・・・・・・髪の長さぐらいだろうか。
2ヶ月前にガイウスに切ってもらってから、それっきりだ。
キッカケは何かと訊かれれば、やはり彼の一言なのだろう。
とはいえ1ヶ月に約1リジュ伸びると言われているから、2リジュちょっと程度の違いにすぎない。
それでも、月一で自慢の黒髪をミディアムショートに切り揃えるのが常だった。
・・・・・・やはりどこか落ち着かない。
乾かすのに時間が掛かるのも考え物だが、それはアリサやエマに比べれば気楽な方だろう。
「あ、そうだ」
思い出したように、テーブルに置かれた葉書を手に取る。
差出人は、テンペランス・アレイ。
先月の特別実習で、私達を導いてくれた大先輩だ。
葉書の裏には、陽気な笑顔を浮かべるテンペランスさんとリオンさん。
後方にはライアンさんの姿も確認できた。
これはガイウス達にも見せてあげよう。
「夏至祭かぁ・・・・・・楽しそう」
セントアークはこの時期、何と5日間にも渡って夜祭で賑わうそうだ。
葉書に写されたこの写真も、それに興じている一時のものなのだろう。
夏至の日を祝うという習慣は、帝国に来てから初めて知ったものの1つだ。
祝い方や言い伝えは地方により違いがあるそうで、由来すら分かっていないものが多いらしい。
実はノルドにも、独特の祝い方がある。『蟹』を食べるのだ。
文字通り川辺で捕まえた蟹で料理を作り、食す。男性陣はそれをつまみにして夜通し飲み明かす。
由来は『作物の根が蟹の足のように広く張るように』という、祈願から来ているのだという。
婆様が教えてくれたことだ。やっぱり私の故郷の慣わしは謎めいているものが多い。
今年も男共で蟹狩りに行ったのだろうか。
昨年は飛び入り参加したリリが、指を鋏まれて大泣きしながら帰ってきたのを覚えている。
「・・・・・・よしっ」
鞄を肩に背負い、勢いよく扉を開ける。
直接訊いて確かめよう。幸いにも、私はその機会を与えられた。
今日私は、入学以来初めての経験をする。
特別実習という名の―――帰郷を。
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「へぇ・・・・・・このサンドイッチ、美味しいな」
「じゃあ私が貰ってあげようか」
「何が『じゃあ』なのかさっぱり分からないぞ、アヤ」
リィンのランチボックスに手を伸ばそうとしたところで、蓋を閉められてしまった。
既に『アヤ様専用』と書かれた私の特大ランチボックスは空っぽ。
余りの美味しさに、思わず夢中になって頬張ってしまった。
私達A班が座るボックス席の隣には、B班の面々が同じようにしてシャロンさんお手製の朝食に舌鼓を打っていた。
両班の実習地、ノルド高原とブリオニア島へ向かうには、どちらも帝都ヘイムダル駅を経由する必要がある。
わずか30分程度の間だが、B班とは同じ旅路となるのだ。
「・・・・・・苦戦してますね」
エマが言うように、B班の会話は一向に弾む気配がない。というより、続かない。
エリオットとマキアスが話題を振っても、ラウラとフィーの間でやり取りが途切れてしまう。
彼らの乾いた笑い声が痛々しいことこの上ない。
その後も進展の余地が見られないまま、列車はあっという間にヘイムダル駅に到着してしまった。
心配なのは山々だったが、私達A班もぐずぐずしていると到着前に日が暮れてしまいかねない。
お互いに激励の言葉を交わした後、私達はB班とは真逆方面、ルーレ直通の列車に乗り換えたのだった。
「ここからが本格的な長旅になるな。ルーレまでは、確か4時間近く掛かるよな?」
「ええ、そうね・・・・・・そっか。ユミルからだとルーレ駅経由になるから、リィンも初めてじゃないのね」
時刻表通りに乗り換えられたとしても、終点であるゼンダー門に着く頃には16時を回っている。
それ以上遅れてしまうと、最悪の場合足止めを食らうことになる。
今のところは順調だが、間違っても車掌が気を失うなんて事態には陥ってほしくない。
もうあんな目に合うのは懲り懲りだ。
「それにしても、アリサ。今回はやけに荷が少ないんだな」
「アヤから荷を減らすように言われたからよ。おかげで朝まで悩んじゃったわ」
リィンとアリサが、頭上の荷物棚を見上げながら言う。
「だって長旅だし・・・・・・アリサが変な液体ばっか鞄に詰めようとするからだよ」
「化粧品を謎の液体みたいに言わないで!」
ガイウスと同じように、私も士官学院に入ってからアリサ達との習慣の違いに驚かされた身だ。
入浴の後、肌に何かの液体を塗り込むアリサに「何それ?」と訊ねた際、本気で驚かれた。
化粧液に乳液、美容液。何が違うのか今でもさっぱり分からない。
スキンケアといえば、日焼け止めぐらいの考えしか持ち合わせていなかったのだが。
「ですが遊牧民といえば、自然と共に生きる民族として有名ですから。それなりの覚悟はしておいた方がいいのではないでしょうか」
「・・・・・・ねぇ、アヤ。お風呂ぐらいはあるわよね?」
「水浴びなら湖に行けば好きなだけできるよ」
アリサが頬を引き攣らせながら、苦笑いを浮かべる。
私だってノルドでの生活に馴染むまではかなりの時間を要したのだ。
彼女にとっては、少々酷な3日間になるのかもしれない。
「なるほどな。少しノルドについて説明しておいた方がよさそうだ」
「ああ、頼むよガイウス」
リィンに促され、ガイウスが私達の故郷の概要を述べ始める。
アイゼンガルド連邦の険しい山々を超えた先に広がる、雄大な高原。
遊牧民たちは導力革命の恩恵に与ることなく、今でも自然と身を寄り添う生き方を選んで生活している。
とはいえ、私がノルドに来た頃にはいくつかの導力式の設備は集落に存在していた。
導力車は分かりやすい例の1つだろう。帝国産の酒も身近な存在になりつつある。
そして高原の南東に位置する帝国監視塔と、北東の共和国軍軍事基地の存在。
私も私で、古き良きノルドの姿を知らない人間の1人なのかもしれない。
「絵本で見たような光景が広がっていそうですね」
「本場の馬と接するまたとない機会だ。色々と学ばせてもらいたいものだな」
「・・・・・・そういえば、ユーシスとエマは一緒の班になるの、初めてだね」
リィンとは、4月のケルディックでの実習以来。ガイウスとは先月から2度目。
アリサとはこれで3回連続で同じ班だ。フィーとマキアスだけは、まだ一緒になったことがない。
「ふふ、そうですね。宜しくお願いします、アヤさん」
「フン、文字通り道草を食っていたら容赦なく置いていくぞ」
「文字通り草は食べないよ、ユーシス・・・・・・」
ユーシスの中で私はどんな位置付けなんだ。
彼らには一度も話していないが、これでも昔は小食で周囲から心配されていた程だというのに。
「そういえばユーシス、朝にどこか出てたみたいだけど、どこに行ってたの?」
「部長達に挨拶をしてきただけだ。実習地がノルドとなれば、黙って行くわけにもいかんだろう」
「あー、そっか。またお土産ぐらい買ってきてあげないとね」
ランベルト先輩は、一度だけノルドに行ったことがあると言っていた。
とはいえ、その時にはゼンダー門周辺を散策することしかできなかったらしい。
無理もない。あの高原の全土を目の当たりにするには、まとまった期間と入念な前準備が必要になる。
「ということは、ノルドにもお土産が売っている場所があるんですか?」
「交易所の類なら、集落にもある。土産になるかどうかは分からないが」
ガイウスが言うように、キルテおばさんの交易所を観光客が訪れるのは珍しいことではない。
というより、ああいった場を設けているのは私達の集落ぐらいだろう。
「少し意外ね。私もラクロス部のみんなに何か買っていってあげようかしら」
「はは・・・・・・いずれにせよ、外国での実習はこれが初めてだ」
先程よりも落ち着いた口調で、リィンが私達の目を見ながら言った。
「今朝方にトワ会長からも念を押されてさ。みんな、帝国人として節度ある行動を心掛けよう」
「朝っぱらから会長と何をしていたのかしら」
「・・・・・・いや、実習の前に挨拶を。な、何で睨むんだアリサ」
アリサの絡みは置いておいて。
リィンが言うように、ノルド高原は正式には帝国領ではない。
それに特別実習とはいえ、教育の一環として国を出るなんて聞いたことがない。
どうしてノルドが実習の地に選ばれたのかは分からないが、そこには確かな理由があるのだろう。
(・・・・・・思ったより、早かったなぁ)
こうしてノルティア本線を駆ける列車に揺られるのは、3か月振り。
ルーレ方面の列車に乗るのは―――3年振り。
複雑な心境の私をよそに、列車は無機質な稼働音を上げて走り続けていた。
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程無くして、列車は終点であるルーレ駅に到着した。
一度は経験したことがある長旅とはいえ、やはり時間を持て余してしまう。
途中から寝入ってしまったが、昨晩十分に睡眠をとったせいなのかすぐに目が覚めてしまった。
階段を上がったところで、エマが構内の時計を見上げながら昼食について触れた。
列車に揺られていただけとはいえ、昼時となればお腹も空く。
「貨物列車では車内販売も無いだろう。こいつが騒ぎ出す前に手を打った方がいいかもしれんぞ」
「それもそうだな。アヤ、もう少し我慢してくれ」
「私まだ何も言ってないから!」
何だか最近、私の扱いが酷くなってきてる気がする。
少なくとも私が人生の先輩であることは既に頭にないのだろう。
それはそれでありがたいとは思うのだが。
「―――それには及びませんわ」
私がリィンに抗議の目を向けていると、背後から透き通った声が聞こえた。
朝方にも全く同じ台詞、声を耳にしたばかりだった。
「ど、ど、ど、どうして貴女が先回りしてるのよ!?」
アリサが声を荒げるのも無理は無かった。
そこにいたのは、紛れもない第3学生寮の管理人。シャロンさんに他ならなかったのだ。
トリスタを発ってからここに至るまで、間違いなく列車で最短ルートを辿ってきた。
彼女が私達の前方から姿を現すことなど、できるはずもない。
だがそのカラクリは、ユーシスによってすぐさま見破られることになる。
話は至って単純、要するに帝都で列車を乗り換えた私達と違って、シャロンさんは定期飛行船を使ってここまでやって来たのだ。
やり過ぎなのは誰の目にも明らかだが、もう一度彼女の料理を口にできるとあっては素直に喜ばしい限りだ。
一方のアリサは、やはり不服そうな色を浮かべながらシャロンさんに詰め寄っていった。
「ま、まさかこのままノルド高原まで来るつもりじゃないでしょうね」
「いえ、実はこの後『別の仕事』が入りまして・・・・・・」
「別の仕事?」
「―――私の仕事の手伝いをしてもらうことになったのよ」
(―――え?)
思わず息を飲んだ。
初対面であることは、間違いない。
その佇まいや外見から判断して、その人がアリサの肉親であることも、想像が付いた。
「か、か、母様!?」
「アリサの母、イリーナです。ラインフォルトグループの会長を務めているわ。宜しくお願いするわね」
「あ、アヤ・ウォーゼルです。初めまして」
初対面の人間に緊張することなんて、いつ以来の経験だろう。
A班のメンバーが一通り自己紹介を終えた後、イリーナさんは一言二言アリサと会話を交わした。
たったそれだけのことに時間を割いた後―――イリーナさんは踵を返し、改札口の方向に歩を進め出したのだ。
全てがあっという間の出来事だった。
結局彼女はトールズ士官学院の常任理事であるという衝撃の事実を私達に告げた後、ルーレ駅にアリサを残したまま去って行った。
とても実の親子のやり取りには思えない。こんな関係があっていいのだろうか。
(アリサ・・・・・・)
何かの糸が途切れたかのように、アリサは床にしゃがみ込んでしまった。
これがアリサの抱えるものの、1つなのだろう。
そう、おそらく1つに過ぎない。
イリーナさんが口にした「あの人のように」というくだりも、私達には何のことかさっぱり分からない。
それにしても―――
「ねぇガイウス。気付いた?」
「ああ。似ているな」
「うん・・・・・・雰囲気とか、そっくりだね」
「似てないわよ!!」
私とガイウスのやり取りが耳に入ったのか、アリサは下を向きながら吐き捨てるように言った。
彼女が否定しようとも、私達の目には少なくともそう映ったのだ。
テンペランス・アレイ。
私の鞄の中に入った葉書に写る女性に、何もかもが似ていた。
顔付も、髪の色も、仕草1つとっても。
他人の空似に過ぎないことは分かっているが、無視できるレベルではなかった。
「あんな立派な人と一緒にしないで・・・・・・何もかも違うわよ。母様とは、絶対に違う」
そう呟くアリサの背中は、いつもと比べとても幼く見えた。
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トンネルを抜けたかと思えば、再び車窓からの日差しが遮られる。
3ヶ月前にはトンネルの数を数えながら暇をつぶしていたが、途中で力付き寝入ってしまったことを思い出す。
「ふふ、ユーシスさんとアリサさんは眠ってしまったようですね」
「無理もないさ。8時間も列車に揺られるなんて、俺も初めてだ」
エマとリィンが2人を起こさないよう、小声でやり取りをする。
アリサは少し騒ぎ疲れてしまったのかもしれない。
特別実習を前にしてああも心を乱されては、彼女も整理がつかないのだろう。
今ぐらいは何も考えず、心身ともに休ませてあげたい。
「・・・・・・アヤ、大丈夫か」
「え?」
唐突にガイウスが心配そうな顔で私を覗き込んでくる。
アリサに対してなら分かるが、急にどうしたというのだろう。
「さっきから難しい顔をしていたからな。少々気になっただけだ」
「ふーん。誰かさんがもっと早く教えてくれてたら、私ももう少し心の整理がついたんだけどな」
「そ、それはすまないと思っている」
「・・・・・・冗談。気にしてないよ」
余りに早い帰郷に、初めは心を躍らせた。
だが同時に、決心がグラつく感覚に襲われたのも事実だ。
私だけの生き方を見つける。
それまでは故郷に帰らない覚悟でいたのだから、ちょっと複雑な心境なのだ。
実習の地にノルド高原が選ばれたことを、ガイウスは知っていた。
実技テストの後に彼を問い詰めたところ、どうやら先週末にヴァンダイク学院長から知らされていたというのだ。
ガイウスが教官室の前で言った「来週になったら話すとしよう」とは、このことだったようだ。
しかも驚いたことに、今回の件について、彼は家族と手紙でやり取りをしていたらしい。
実家に泊まることになる以上、当然と言えば当然の対応だ。
つまり知らなかったのは、私だけ。
ちょっと寂しい気持ちもあるが、サプライズと考えれば別段怒る気も起きない。
「いい所なんだろうな、きっと」
「ふふ、そうですね」
「期待はしてもいいと思うよ」
当たり前だ。集落に着いたら、まずは私の家族を紹介してあげよう。
人見知りしがちなシーダがちょっとだけ心配だが、彼らとならきっと打ち解けてくれるはずだ。
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「おお、やっと到着したか」
「あ、ゼクス中将!」
ゼンダー門に下り立った私達を出迎えてくれたのは、ゼクス中将だった。
「中将、ご無沙汰しています」
「お久しぶりです」
「うむ、数か月ぶりになるか。士官学院の制服も中々新鮮ではあるな」
「スカートが短いのは考え物ですけど」
私の愚痴に、ゼクス中将が高らかな笑い声を上げる。
隻眼のゼクス。想像はしていたが、リィンやユーシスは中将の名を聞き及んでいたようだ。
というより、彼らの反応で中将がどれだけ偉大な存在であることを再認識させられた。
以前に一度だけ彼と手合せをした経験があったが、ハッキリ言って話にもならなかった。
対人であれ程力の差を見せつけられたのは、あれが初めての経験だった。
「おぬし達の話も聞きたいが、さすがに時間が時間だ。今日中に帰るつもりなら、すぐに出発した方がいいだろう」
「ええ、そのつもりです」
「行こう、みんな」
私とガイウスが先頭に立って、ゼクス中将の背中を追う。
向かった先には、高原へと続く両開きの扉。
―――一歩足を踏み出す度に、胸の鼓動が高鳴るのを感じる。
「どうしたのだ、アヤ?」
扉に手を掛けたゼクス中将が、振り返りながら訊ねてきた。顔に出ていたのだろう。
「いえ・・・・・・何でもありません」
「ふむ?」
やや怪訝そうな表情を浮かべながら、中将が勢いよくを開け放った。
さらに歩を進めると、目の前に広がるのは紛れもない、ノルドの地。
(あ―――)
目新しさは無い。鉄路の果て、遥かなる蒼穹の大地。
どこまでも広がる雄大な緑色の大地を、温かく雄大な夕陽が茜色に染め上げていた。
「こ、これは・・・・・・」
「何て・・・・・・何て、雄大な」
想像していた通り、リィン達はこの光景に目を奪われているようだった。
あの時の私と同じ反応だ。それ程の魅力がここにはある。
立ち尽くす彼らに先立って、私は高原へと続く石畳の階段を下った。
両の足で集落へと続く地を、ゆっくりと踏みしめる。
それで漸く実感が湧いてくる―――私は、帰ってきた。
風が草原を撫でる音。小鳥達のさえずり。土と草の匂い。
全てが私だ。私を救ってくれた、生きようとする力と意志を与えてくれた大地。
私という人間を形作る、掛け替えのない存在。
全部―――私そのものだ。
「アヤ」
「・・・・・・あは」
不意に、左手から彼の温もりを感じた。
それが引き金になったかのように、視界が歪み、滲んでいく。
士官学院に入学してから、もう何度目になるか分からない。
どうやら私の涙腺は、思っていた以上に緩くなってきているようだ。
「アヤさん・・・・・・」
「フン、そっとしておいてやれ」
顔向けができないとは、こういう時のことを言うのだろう。
時間がないのは分かっている。ただ、こんな状態では馬に乗る自信がない。
もう少しだけ、このままでいさせてほしい。
大地の風が、頬を伝う涙を乾かしてくれるまで。