「・・・・・・寝坊かな」
私の6月23日は、普段よりも1時間以上遅い起床からスタートした。
目を覚ました時点で違和感はあった。窓から差し込む朝の光が、いつもとは様子が違っていた。
何度時計を見ても、既に6時を回っている。
毎朝5時には心身ともに目が覚めている私からすれば、完全に寝坊の域だ。
とはいえ、この時間の第3学生寮はいまだ朝の静寂に包まれている。
トリスタの街並みにも、鳥の鳴き声や早朝発の列車音だけが鳴り響いていた。
「んー・・・・・・よいしょっと」
目蓋を開けてから起き上がるまで、大分時間が掛かってしまった。
疲れが溜まっているわけではないが、どうも最近朝に弱くなってきているように感じる。
理由は単純で、士官学院での生活に身体が慣れてきてしまっているからだろう。
ノルドでの生活リズムが崩れてしまうのも無理ないのかもしれない。
手早く顔を洗い、寝癖を直しながら階段を下る。
1階に下り立つやいなや、待ってましたと言わんばかりに食堂のドアが開かれた。
「お早う御座います、アヤ様」
「シャロンさん。おはようございます」
朝にこうしてシャロンさんに出迎えてもらうのは、これで4度目。
丁寧過ぎる畏まった態度にも慣れてきた頃合いだ。
「すみません、変な時間に起きちゃって・・・・・・少し寝坊しました」
「いいえ、お気になさらず。今お茶をご用意致しますね」
ラインフォルトグループの名は、帝国史や政治経済、導力学の教科書にまで載っている。
帝国内に限らず、外国の子供だって知っている大企業だ。
アリサの平民らしからぬ立ち振る舞いは皆の知るところではあった。
が、まさか帝国最大の重工業メーカーの一人娘とは思ってもいなかった。
ケルディックで彼女が語った身の上話と、今まで隠し通してきた家名。
彼女が抱える全てを理解することはできないが、ある程度想像は付くというものだ。
「あのー。シャロンさんって、アリサとは古い付き合いなんですよね」
「はい、もう8年以上前でしょうか。その頃からラインフォルトに身を置かせて頂いております」
「8年も・・・・・・じゃあアリサのことは何でも知ってそうですね」
「それはもう。ふふ、お嬢様のことは一時たりとも忘れたことなどありませんわ」
満面の笑みでシャロンさんが言う。
冗談抜きで、彼女ならアリサの全てを知っていそうだ。
それこそ、恥ずかしい過去やら何やらを含めて。
こっそりと聞いてみたい悪戯心が沸いてくるが、アリサに知られたら何を言われるか分からない。
「お待たせ致しました。お食事もご用意して宜しいでしょうか?」
「あ、はい。お願いします」
テーブルに置かれたのは、頼んでもいないのに水出しで淹れたグリーンティー。
ちょうど冷たいものが欲しかったところだ。この人は読心術の心得があるのだろうか。
それにこの匂いは―――
「もしかして・・・・・・ミルク粥?」
「鶏と野菜で仕立てたものですわ。大分お疲れのようでしたので、消化と滋養によいものをと思いまして」
ノルドでは羊の乳を使用していた分少々香りは異なるが、これはこれで贅沢な朝食だ。
初日こそ共通の献立であったが、シャロンさんはたった3日間で各面々の好みや生活リズムを覚えてしまったらしい。
朝食1つとっても、起床時間や体調を考慮して用意してしまう。
ラインフォルトのメイドは皆こうなのだろうか。
ちょっと私達には贅沢が過ぎるような気がしてしまう。
テーブルに肘をつきながらシャロンさんが粥をよそう姿を眺めていると、階段を下る足音が聞こえてきた。
「おはよ、ラウラ」
「アヤか。今日は随分と遅いのだな」
私と同様、ラウラは数少ない早起き組の1人だ。
彼女は早朝から体を動かすのが日課のようで、それは今日も例外ではないらしい。
「あはは、少し寝過ごしちゃったみたい。ラウラは?」
「今日は街をぐるりと1周してきた。最近は座学が続いて身体が鈍っていたからな」
首にタオルを掛け髪がうっすらと湿っているのは、シャワーで汗を流してきたからだろう。
そういえば部屋を出た際、浴室の明かりが点いていたような気がする。
ラウラはミルク粥を食べたことがなかったそうで、私達は2人で同じ朝食をとることになった。
考えてみれば、ラウラと2人っきりで話すのは久しぶりな気がする。
こうして話をしている分には、別段変わった様子は見受けられない。
それでも、ラウラがフィーを避け、フィーも同様の態度で接していることは皆も知っていた。
マキアス曰く、先月末のあの日。
ラウラの様子が変わったのは、実習の報告会が発端となっているかもしれないそうだ。
(・・・・・・私とは、違うのかなぁ)
真っ先に思い当たったのは、私の過去。
もしかしたら、ラウラも猟兵が関わる何らかの事情を抱えているのかもしれない。
初めはそう思ったのだが、私にはそれも的外れの憶測のように思えた。
そもそもラウラはアルゼイド子爵家の皇女だ。猟兵との間に接点など生まれるはずもない。
「ふむ、考え事か?」
「え?」
気付いた時には、右手の人差し指に髪の毛が巻き付いていた。
最近は意識して髪を弄らないようにしていたが、癖というものは中々直らないもののようだ。
というより、だから癖というのだろう。
「うん・・・・・・ほら、今日っていよいよ結果が出るでしょ?」
「・・・・・・中間試験のことか。昼に点数が開示されると聞いている」
今し方考えていたことではないが、気になっているのは本当だ。
ラウラが言うように、今日の昼休みに中間試験の結果が一斉に張り出されるのだ。
全生徒の点数と順位が丸分かりになるそうで、容赦がない。
「思えば、そなたは人一倍試験勉強に時間を費やしていたな」
「それはそうだよ。みんなよりも劣っている分、頑張らないと・・・・・・それに」
「それに?」
「ねぇラウラ。テンペランスさんが別れ際に言ったこと、覚えてる?」
セントアーク駅で、彼女が私達に残した最後の言葉。
考えてみれば、あれがキッカケだったのかもしれない。
「1つでも多くを学ぶ。その分だけ、未来の可能性は広がる。であったか」
「うん。私にはよく分からないけど・・・・・・できることはやっておきたいんだ。それで将来の選択肢が広がるなら、ね」
士官学院に入学したこと自体も、キッカケにすぎない。
そのまま敷かれたレールに沿って、お父さんのように帝国軍へ入るのも1つの道だ。
でも、私は多分違う道を選ぶことになる。それだけは、おぼろげながらも見え始めていた。
そもそも私には、それ以前にやるべきこと、決めるべきことがある。
この先どんな道を進むにせよ―――私は、ノルドの遊牧民としての生き方を今後どうするのか。
目を背けてきたわけではないが、決断しなければならない時がいずれやってくるのだ。
「・・・・・・少々、驚かされた」
「え?」
ラウラは口に運ぼうとしていたスプーンを置き、意外そうな色を浮かべながら言った。
「そなたは士官学院を出た後、これまでのようにノルドで暮らしていくものとばかり思っていたのだが」
「・・・・・・それは、1つの選択肢なんだと思う」
正直に言えば、入学を決めた当初はラウラが言うような考えしか抱いていなかった。
今でもそれは最有力候補に間違いはないのだが―――やはり、1つの選択肢にすぎないのだ。
「ふむ。そなたは意外に色々考えているのだな」
「意外って何、意外って」
「ふふ、すまない。いずれにせよ、我々には時間がある。焦る必要はどこにもあるまい」
「そうだね。テンペランスさんが言うように・・・・・・あれ?」
ふとラウラの首元に目をやると、首に掛けられたタオルに見覚えのある顔が刺繍されていた。
クロスベルでは有名なキャラクターだ。確か、みっしぃという名前だったか。
「ああ、これか。先週の日曜日に、雑貨屋で購入したものだ」
「へぇー、それこそ意外だよ。ラウラってみっしぃ好きだったの?」
「いや、その時に初めて知ったのだ。このタオルは、リィンが選んでくれたものでな」
「リィンが?」
これまた意外な名前が飛び出してきた。
ラウラが言うには、偶然雑貨屋でリィンと出くわした経緯もあり、彼に年頃の女性が好みそうな小物類を選んでもらったそうだ。
それでみっしぃ柄のタオルか。これはこれで、普段のラウラとのギャップがあり確かに可愛らしい。
「あはは、リィンにしてはいいチョイスだと思うよ」
「私も心惹かれるものがあってな。大事に使おうと思っている」
ラウラはそう言って、首元のタオルをやさしく握りしめた。
表情は穏やかで、温かみのある小さな笑みを浮かべながら。
「・・・・・・ねぇ。ラウラってリィンと一緒にいること多いよね」
「うん?そうだな、同じ剣の道を歩む者として、ある意味で最も身近な存在だ」
私も一応、剣を握る1人の人間なのだが。
それでも、ラウラは迷いなくリィンを最も身近と言い切った。
「同じ道を志す者がいてくれてよかったと思う。それだけで、最近は楽しいと思える。私とて思い悩むことはあるが・・・・・・あの男と話をしていると、安心するのだ」
入学してからはや2ヶ月半。
ラウラのこんな女性らしい表情を見るのは、今日が初めての経験だった。
察するに、本人にはまるで自覚が無いようだが―――間違いはないだろう。
この手の話に疎い私でも、それぐらいは分かる。
「そうなんだ。応援・・・・・・して、いいのかな?」
アリサの顔が頭を過ぎる。
もしかしたら、これはかなりややこしいことになるのではないか。
リィンのことだ。2人の気持ちに気付いているはずがない。
「何の話だ?」
「えーと・・・・・・何でもない。シャロンさん、おかわりありますか?」
「勿論御座いますよ。ふふ」
シャロンさんが意味有り気な笑みを浮かべながら、私に視線を送ってくる。
彼女も今の会話で大まかな事情を察したのだろう。
お願いだから、アリサには余計なことを吹き込まないでほしい。
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本校舎2階の廊下、掲示板に張り出された中間試験の順位表を右下から追っていく。
目標は平均点以上、順位は真ん中よりも上だ。
我ながら情けない目標設定かもしれないが、それだけでも入学してから進歩があるというものだ。
「おい、お前の順位なら―――」
「ストップ!黙っててよ、ユーシス」
ユーシスの言葉を遮り、下から1つずつ順位と名前を確認していく。
どうせなら自分自身の目で確かめたい。
50位まで確認し終えたところで、ほっと息を付く。
まだ私の名前はない。ということは、順位は少なくとも上から数えた方が早いということだ。
この分なら平均点もクリアーできていそうだ。
(・・・・・・んん?)
その後も期待に胸を膨らませながら順位を追っていったが、どういうわけか私の名前を見つけることはできなかった。
30位台にエリオットの名前があったが、彼よりも私の順位が上とは考えにくい。
見落としてしまったのだろうか。
もう一度下から確認しようと目線を落としたところで、誰かの手が私の肩の上に置かれた。
「だから言っているだろう。お前はあそこだ」
「え、どこ?」
ユーシスの視線の先には、確かに私の名前があった。
アヤ・ウォーゼル。870点。20位。
・・・・・・20位?
「ええっ!!?」
「騒ぐな、鬱陶しい」
「だ、だってこんな・・・・・・ええ?」
よくよく見れば、私のすぐ上にはガイウスの名があった。
しかも点数は870点と、同点同着だ。姉弟揃って20位というのは流石に出来過ぎていないだろうか。
「凄いじゃないか。まさかアヤと同点とは思ってもいなかったぞ」
「信じられない。これ本当に間違ってないよね?」
それなりに自信がある科目はあったが、見込みよりも100点以上は上振れしている。
入学試験の結果と比べたら、40位以上は上がっている。
これで「実は間違いでした」なんて言われたら「ああやっぱり」と即納得してしまうところだ。
「うふふ、それはないと思いますよ。採点には入念なチェックが入ると聞いていますから」
「相当頑張っていたからな。アヤの努力の結果だよ」
エマとリィンの言葉で、漸く現実味が感じられてきた。
途端に、視野が広がったかのような感覚に襲われる。
可能性が広がるとは、こういうことなのだろうか。
順位や点数が上がったこと自体に意味は無い。
不可能が可能になる。世界が広がる。昨日までとは違う自分になる。
言葉にすれば、そんなところだろうか。
少々クサいかもしれないが、今ならテンペランスさんが言いたかったことが少しは理解できる。
「それにしても、みんないい線行ってるわね」
アリサの言うように、《Ⅶ組》としては出来過ぎた結果かもしれない。
フィーは年齢と学力のハンデがありながら70位台、エリオットの36位も十分立派な順位だ。
そしてエマとマキアスの同点首位に、ユーシスにリィン、アリサにラウラも上位に名を連ねている。
「そっちにも何か書かれてるけど」
フィーが指差した先には、順位表と同じフォーマットのプリントが貼り出されていた。
どうやらクラスごとの平均点も開示されているようだ。
そういえば、サラ教官がそんなことを言っていたような気がする。
「わあっ・・・・・・!」
「ほう、我ら《Ⅶ組》が首位か」
「ふふ、1位から3位までいるし、ちょっと予想はしてたけど」
「フン、俺が属するクラスが負けることなどあり得んがな」
「だから君はなんでそんなにも偉そうなんだ・・・・・・?」
各面々が思い思いの言葉を口にする一方で、やはり皆どこか嬉しげだ。
分母が小さい分、やはり上位一桁台に入ったメンバーの貢献度は大きい。
それでも、これは皆が努力した成果だろう。今回の結果は誇ってもいいはずだ。
今更ながら、《Ⅶ組》のメンバーに選ばれて本当によかったと思う。
これからも、皆と共に切磋琢磨して歩んで行こう。その分だけ、私の可能性は広がるのだから。
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「パッとしなかったなぁ。ちょっと手を抜きすぎたのかも」
「まぁまぁ。次の試験で頑張ればいいことじゃん?」
「むー、何か見下されている気がするわ」
「してないしてない」
ふくれっ面で私の顔を覗き込んでくるポーラ。
確か、彼女の名前は60位台にあったはずだ。
原因はおそらく、クラブ活動に熱を入れ過ぎたからだろう。
試験勉強を優先する生徒が多い中、彼女のようにクラブ活動を欠かさない生徒も少数ながらいたようだ。
昼休みに食堂に来た私達は、各自好きなテーブルに座り昼食をとっていた。
私とポーラの向かい側の席では、無表情のユーシスが黙々とトマトサンドを口に運んでいた。
ポーラと一緒の席に座ろうと誘った際、当然ながらユーシスは黙って席を通り過ぎようとした。
そんな彼の肩を力の限り握りしめ、強引に席に着かせたのだ。要するに力技だ。
同じ馬術部の同期なのだから、食事ぐらい席を共にしてもいいだろうに。
「それにしても3位ってすごいよ。何か勉強の方法にコツとかあるの?」
「授業で理解して頭に入れておけば済む話だろう」
「か、簡単に言うなぁ」
それができたら苦労しないし、試験勉強の必要すらない。
とはいえ、ユーシスだってそれなりに努力はしていたはずだ。
天才肌なイメージが強い彼だが、それだけであんな成績を残せる程甘いものではない。
「少しも参考にならないアドバイスをありがとう、3位さん」
「どーいたしまして、62位殿」
無感情な言葉をお互いに浴びせあうユーシスとポーラ。
何だか最近はポーラの方からも憎まれ口を吐くようになってきた気がする。
会話を交わすようになっただけでも、当初と比べれば少しは進歩しているのかもしれない・・・・・・そう思いたい。
「さてと、どうしよっかな」
「あれ、もう行くの?」
「ううん、もう1品食べようかと思って」
「・・・・・・ああ、そう」
午後からは今月度の実技テストがあるのだ。
しっかり食べておかないと、途中でまたガス欠になる恐れがある。
・・・・・・だからそんな目で見ないでほしい、ユーシス。
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軽い足取りでカウンターに向かうアヤの背中を見送る。
本当によく食べる。同じ年頃の女子とは思えない。
大食い選手権、なんてものがあったら、彼女の独壇場になるのではないだろうか。
それにしても―――
「ねぇ。1つ訊きたいんだけど」
「何だ」
「彼女、何かあったの?」
特別何かが変わったようには見えない。
ただ、入学当初と比べ明らかに雰囲気が変わった気がする。
「前はもっと落ち着いてるっていうか、大人びた雰囲気だったと思うのよね。最近は何だか・・・・・・いい意味で、子供っぽい?」
「やれやれ、62位殿は人間観察がご趣味のようでっ―――!?」
「私は真面目に訊いてるの」
ユーシスが呻き声を上げると、自然に周囲の視線が私達に集中した。
手の甲をつねっただけだ。そんな奇異の目で見ないでほしい。
四大名門の何たるかを知らないわけではない。
だがこうして士官学院の制服に身を包んでいる以上、私達は同じ学ぶ立場にある生徒のはずだ。
身分はどうあれ士官学院生はあくまで対等、学生手帳にも記載されている規則だろうに。
「それで、どうなのよ」
「・・・・・・本人に訊くがいい。俺は何も知らん」
手の甲を擦りながら、ユーシスが吐き捨てるように答える。
この男はどうしてそういう言い方しかできないのだろう。
「少なくとも前を向いている。見れば分かるだろう」
「・・・・・・どういう意味?」
「あれが後ろ向きな者の顔に見えるのか?」
顔を上げると、トレーにトマトグラタンを乗せたアヤがこちらに向かってくる姿が目に入った。
彼女が何かを抱えていることは、薄々感づいてはいた。
クラブ活動中は笑顔を絶やさない彼女だが、不意に考え込むような仕草を見せることが度々あった。
それは今も変わらない。ただ、以前とは明らかに表情が違っていた。
どう違うのかと言われれば―――ユーシスの言う通りなのだろう。
「どうしたの?2人とも」
「何でもないわよ。ねぇアヤ、今度勉強教えてよ」
「わ、私が?そういうのはユーシスの方が得意だと思うよ」
「お断りだ」
「こっちこそお断りよ」
「ああもう、食事の時ぐらい仲違いはやめてよ」
トレーをテーブルに置きながら、困り顔でぼやくアヤ。
要らぬ詮索なのかもしれない。必要な時が来れば、きっと話してくれる。
アヤ・ウォーゼル。私が初めて会話を交わした生徒で、初めての友人。
今度、弟君とも話をしてみよう。もっと彼女のことを知ってみたいから。