「―――うん、その調子だ。大分掴めてきたようだね」
アンゼリカ先輩の言葉に従い、そのままの感覚を維持して呼吸を整える。
身体が軽い。まるで宙に浮かんでいるかのような錯覚だ。
「もう少しリラックスしてもいい・・・・・・目を閉じてごらん」
イメージは血流。その流れとは真逆に、力を全身に巡らせる。
決して逆らわず、流れに身を任せる様に。
「そうそう、それでいい。少し顔を上げてみようか」
全身を流れる体液の挙動が見えてくるかのようだ。
『気』の力とは、こんなにも静かなものだっただろうか。
「口は緩く開けて。そう、そのまま・・・・・・」
(あ―――)
唇に吐息が当たったのを感じたところで―――私は目を見開き、中段に全力で掌打を放った。
それをまともに受けたアンゼリカ先輩の身体が宙を舞い、3アージュ先の床に転がった。
「今何をしようとしたんですか!?」
「ぐっ・・・・・・夢中になって躱し損ねてしまったよ。こ、これはキツイな」
6月6日の日曜日、自由行動日の早朝。場所はギムナジウムの1階にある練武場。
私はアンゼリカ先輩の指導の下、『気』の扱い方を身に着けるべく鍛錬に励んでいた。
先月の実技テストの後に、サラ教官から課せられた宿題―――それがこうして先輩と2人で練武場にいる理由だ。
ちなみにこうして先輩から指導を受けるのは、これが3回目のことだった。
「それにしても惜しかったね。君のその健康的な唇を―――」
「奪わないで下さい。次は斬ります」
「フッ、冗談さ。それにしても、君は覚えが早いな。もう教えることは大分少なくなってきたよ」
その理由は至って単純。元々私は気を扱う術を身に付けていたからだ。
というより、それを知らないのに力を行使できたと言った方がいいかもしれない。
サラ教官も同じようなことを言っていたが、アンゼリカ先輩が言うには「基本をすっ飛ばして上級者の領域に足を突っ込んでいる」とのことだった。
そのせいなのか、確かに私は力の加減を知らなかった。
先月の実技テストのように、気の恩恵に与った後に気を失ってしまうことも珍しくはなかった。
「これからも定期的に基礎となる呼吸法を意識するといい。君の場合はそれだけでも違うはずだよ」
「ありがとうございます。その、こんな朝早くからすみません」
「構わないさ。こういった基礎鍛錬は朝一が最も向いているからね」
そうだったのか。
てっきり人が少ない時間帯を選んで、よからぬことを企んでいただけだと思っていたのだが。
「それにしても君は・・・・・・体術にもそれなりに心得があるようだね」
「え?ええ、まぁ。基本はお母さんが教えてくれましたから。それが何か?」
「いや、少し気になっただけだよ」
「はぁ」
加減したとはいえ、私の打撃をまともに喰っておいて既に平然としている。とんでもない功夫だ。
彼女が指南を受けたという女性も相当な使い手だったに違いない。
「今日のところはこれぐらいにしよう―――さて、一緒にシャワー室で汗でも流そうか」
「遠慮しておきます」
不敵な笑みを浮かべたアンゼリカ先輩の誘いを丁重にお断りし、私は逃げるようにしてギムナジウムを後にした。
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「あ、リィン。それにラウラも」
第3学生寮に戻る道すがら、街道の方角から歩いてくるリィンとラウラの姿が目に入った。
見れば2人とも汗だくで、肩で息をしているようだ。
「アヤか。相変わらず朝が早いんだな」
「お互い様だってば。また2人で朝稽古?」
「ああ。そなたのおかげでコツは掴めてきた」
『麒麟功』と『洸翼陣』。私の力を目の当たりにした2人は、その術をそう呼んでいた。
流派の違いはあれど、根本は一緒だ。
気の流れを利用して身体能力を向上させることに変わりはない。
私がアンゼリカ先輩から教わった基礎は、私を介して2人へと伝わっている。
元々2人は無意識の内に近いことをやってのけている。それは実技テストで剣を交えた私にも分かっていたことだった。
「そっか。2人に追い越されるのも時間の問題かな」
「はは、謙遜はよしてくれ」
「だがいつかはそなたの域に達してみせよう。そうだろう、リィン」
「ああ、そうだな」
相変わらず向上心が高い。
私と2人の剣の腕自体に差はない。ラウラに至っては私とリィンの一歩先をいっているのだ。
うかうかしていると、2人掛かりじゃなくても後れを取ってしまいそうだ。
3人で寮内に戻ると、ラウラは一足先に階段を上がり自室へと戻っていった。
一方のリィンは、郵便受けの中身を確認しながら―――遠のいていくラウラの背中を、どこか複雑な表情で眺めていた。
「・・・・・・どうしたの?」
「え?ああ、その。少し、気になってさ」
「気になるって・・・・・・ラウラが?」
「一応言っておくけど、他意は無いからな?ただ―――」
何か迷いがある。リィンはラウラと剣を交える中で、確かな違和感を覚えたらしい。
剣客同士は剣で会話する、とは誰の言葉だったか。
元々、剣の道を歩む2人だ。言葉を交わさずとも、そうやって剣を介してお互いの胸中を察することができても不思議ではない。
「ふーん・・・・・・確かに、最近少し口数が少ないとは思ってたけどさ」
「アヤ、君は何か知らないか?」
「心当たりは無いなぁ」
こうして言われるまで意識していなかったぐらいなのだから、あるはずもない。
もし何か悩みがあるなら、勿論聞いてあげたいところだ。
だが別段変わった様子も見受けられない以上、こちらから切り出すのも気が引ける。
最近、彼女が何か気に病むようなことがあっただろうか。
「俺の勘違いかもしれないし、あまり気にしないでくれ」
リィンは後頭部に手をやりながら小さく溜息をつくと、郵便受けに入った封筒を取り出そうとしていた。
「それ、また生徒会からの依頼?」
「ああ。そうみたいだな」
中間試験も近いというのに、こんな時でも依頼は来るのか。
クラブに所属していないとはいえ、彼はいつも忙しそうに走り回っている。
学院内にとどまらず、トリスタの街中までも。
「・・・・・・ねぇ、今日ぐらい手伝おっか?」
「いや、気にしないでくれ。それにアヤは中間試験の勉強もあるんだろ?」
「リィンだって同じでしょ。ちゃちゃっと2人で終わらせて、お互い勉強に集中する方が効率いいんじゃない?」
「それはそうだけど・・・・・・」
「とりあえず依頼の内容を見てみようよ」
以前旧校舎の探索に手を貸したことはあったが、それっきりだ。それ以外の依頼については内容すら聞いたことがない。
度々厄介な案件に苦労していることだけは知っていた。
こんな時期に、彼1人が時間を奪われる必要はどこにもない。
「あれ、今日の依頼は1件だけみたいだな」
「よかったじゃん。それで、どんな依頼なの?」
「ええと、依頼人は―――」
リィンが口にした依頼人の名は、私にとっては随分と身近な存在だった。
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「客足が遠のいている、ですか?」
時刻は午後の14時。昼時のピークを過ぎ、店内が比較的空いてくる時間帯だ。
私とリィンは依頼書の指示通り、店内ががらんとするこの時間に『キルシェ』を訪れていた。
「そうなんだよ。先週ぐらいから学生客の数が随分と減っちまってな。困ってんだ」
リィンにそう返すのは、キルシェの店主であり今回の依頼人であるフレッドさん。
普段は細かいことを気にせず、自由気ままに店を切り盛りする彼だが、今だけはそうもいかないようだ。
私はフレッドさんが焼いてくれたピザを口に入れながら、店内を見回す。
別に普段と変わりないように見える。この時間帯に暇を持て余すのは珍しいことではないし、私とリィンを除いても学生の姿は確認できた。
いや、それよりも。
「リィン。1つ訊いていいかな」
「どうしたんだ?」
「これ、生徒会からの依頼で間違いないよね」
「・・・・・・間違いないはずだけど。それがどうかしたのか?」
どうかしたのか、じゃない。この件のどこに生徒会との繋がりがある。
辛うじて「学生の客足」の部分で関係するところはあるが、冗談抜きでそれだけだ。
士官学院生が喫茶店の儲かり具合を気に掛ける必要がどこにあるというのだ。
「き、君はいつもこんな依頼を受けていたのか?」
「あ、あはは・・・・・・その、私も少し驚いています」
私と同じように半ば呆れているのは、マキアスとエマだ。
リィンと2人でキルシェを訪れたのと同じ時間に、マキアスは客としてここに足を運んでいた。
エマの方は、フィーと一緒にここで勉強をする約束をしていたらしい。その割にはフィーの姿がどこにも見当たらないのだが。
いずれにせよ《Ⅶ組》きっての秀才である2人がここにいてくれるのは大変心強い。
「でもそんな話、今初めて聞きましたよ?」
「それはそうよ。アヤちゃんが最後に入ってくれた後の話だからね」
2階から階段を下る足音と共に、ドリーさんの声が頭上から聞こえてきた。
宿部屋の準備をしていたのだろう。両手でベッドシーツの束をよいしょよいしょと運んでいた。
「先月ぐらいから、やけに男性客が多いなぁって思ってたの。やっぱりアヤちゃんのおかげだったみたいね」
「顔を見せなくなった途端にこれだもんな。お前さんには改めて礼を言いたいよ」
先月から、男性客?それに、私?
脈絡もなく自分の名前を挙げられ戸惑ってしまう。
ドリーさんとフレッドさんは、一体何の話をしているんだだろう。
「あの、何の話ですか?」
「お客さんが減った理由よ。気付いてなかった?」
「気付くって・・・・・・」
気付くも何も、さっきから話がまるで見えてこない。
その一方で、リィン達は「ああ、なるほど」と合点がいったような表情で頷いていた。
「ねぇ、どういうこと?誰か説明してよ」
「ふふ、要するに―――アヤさん目当てのお客さんがいた、ということじゃないでしょうか」
エマ曰く『私目的』とやらの男性客がいたのでは、とのことだ。
一方の私は、先週から試験勉強に専念するためキルシェには顔を出さなくなっていた。
それが影響して、前述した客層が離れかけている―――そういうことだそうだ。
なるほど、理解はした。だが、到底納得はできなかった。
「ち、違う違う。絶対間違ってるよそれ」
「あら、アヤちゃんの評判は結構いいのよ?『つまみ食いする姿が可愛らしい』って」
「ば、バレてたんですか・・・・・・いや、そうじゃなくって!」
それはそれで問題だったが、今はそこに注目しないでほしい。
というか、恥ずかしいことこの上ない。どうしてそれが可愛いなどという評価に繋がる。
「ドリーさんの方がよっぽど可愛いよ。絶対そうに決まってる」
「うーん。でも俺の目から見ても、アヤのウェイトレス姿は可愛かったと思うぞ?」
「・・・・・・あ、そう」
反応に困った。こういう場合、どう返せばいいのだろう。
エマとマキアスの方を見やると、2人も若干気まずそうにして明後日の方向を向いていた。
リィンもリィンで、私達の反応に「何か悪いこと言ったか?」と額に汗を浮かべている。
少しは自覚を持ってほしい。
「と、とにかくだ。それが原因なら、僕達にできることは何もないんじゃないか」
「そ、そうですね。それにアヤさんだって、いつもキルシェに来られるわけではないですから」
マキアスとエマの言う通りだった。
百歩譲ってドリーさん達の推測が正しいなら、話はそう簡単ではない。
試験を控えるこの時期は当然として、私だって暇ではない。
最近は学業の忙しさが増してきているし、馬術部の活動も疎かにはできない。
「今まで通り、たまに手伝いに入るぐらいはできますけど。それじゃ駄目なんですか?」
「それだけで十分有難いんだけどよ・・・・・・ほら、知ってるだろ?『臨時課税法』の件」
以前、実習先でも耳にしたことがある帝国法だ。
今年から各州で施行されているそれは、あらゆる商取引にこれまでの2倍近い税を課している。
その影響力は凄まじく―――フレッドさんが言うには、このキルシェも例外ではないそうだ。
「資材の仕入れ値も随分と上がっちまってな。結構ウチもきついんだ」
「・・・・・・知りませんでした。その、商品を値上げしたりはしないんですか?」
「学生相手にできるかよ、そんなもん」
確かに、ここの客は大半が士官学院生占めている。
おいそれと値上げしては益々客足が遠のく可能性もあるし、フレッドさんにはそれ以上に譲れないものがあるのだろう。
「そんな事情もあって、客を引き込むいいアイデアがあったら聞いておきたいと思ってな」
「それを考えるのが店主の務めだと思いますけどね、フレッドさん」
ドリーさんに至極真っ当な突っ込みを入れられ、今度はフレッドさん気まずそうな表情を浮かべていた。
いずれにせよ、2人にはいつも世話になっている。
メインの客層である私達学生にアイデアを募るのも、ある意味で理に適っているのかもしれない。
「・・・・・・何かいい案、ある?」
私がリィン達に投げ掛けると―――案の定、3人とも考え込んでしまった。
無理もない。私達は唯の学生であって、客商売の知識などあるはずもないのだ。
「・・・・・・離れつつある客層を狙うなら、そういった方向性に的を絞ってみてはどうですか?」
そう初めに切り出したのはマキアスだった。
「離れつつある客層って、アヤさん目当てのお客さん達のことですか?」
「エマ、その言い方やめてよ。何かくすぐったい」
男性客に的を絞る、という意味合いだろうか。
もしそうなら、その方向性とやらの内容が気になるところだ。
「野郎共を引き込もうってことか。でも、どうやって?」
「そうですね・・・・・・例えばですが、もっと制服を男性の目を惹くデザインにする、というのはどうですか」
マキアスがドリーさんの着る制服を見詰めながら言う。
ここキルシェのウェイトレス制服は、女性の私から見ても十分可愛らしいと思える作りだ。
これをさらに、男性の目を惹くようなものに。ちょっと想像が付かない。
「なるほどな。思い切って過激なやつにしちまうか?」
「いや、あまり露骨なデザインでは逆に引かれる可能性もありますよ」
「・・・・・・難しいな。じゃあどんなのがいいんだ?」
「そうですね。ドリーさんが着るのですから、清楚感を保ちつつもう少し胸元を強調して・・・・・・はっ」
腕を組みながら顎に手をやり、ドリーさんの胸をまじまじと見詰めたところで―――マキアスは周囲の視線に気づいたようだ。
「マキアス君、私そんないやらしい恰好はしたくないよ」
「ご、誤解です。僕はただ制服のデザインをですね」
「マキアス、お前・・・・・・そんな性的な視線でドリーさんやアヤを見ていたのか」
「違う!どうしてそうなる!・・・・・・え、エマ君!?何ていう目で僕を見るんだ!」
「こちらを見ないでくださいマキアスさん」
マキアスのことは置いておいて。
制服のデザインを変更する、か。それはそれで有りなのかもしれない。
「でもまぁ、マキアスの言うことも一理あるんじゃない?」
「あら、アヤちゃんまで?」
「流石に下着で接客なんてマキアスの意見には賛同しかねるけど・・・・・・」
「僕がいつそんなことを言った!?」
「目新しさもあるし、やってみるに越したことはないんじゃないかな」
マキアスのことは置いておいて。
そういった見た目で分かりやすい変化があった方が、新鮮味があっていいかもしれないと思えた。
それに、制服を着るのはドリーさんだけではない。
私にだって、可愛らしい服装をしてみたいという乙女心はあるのだ。
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結局制服のデザインを変更するというマキアスの案は採用され、私とリィンはブティック『ル・サージュ』を訪れていた。
誰がデザインを考えるのか。それはフレッドさんから直々に「そりゃターゲットである男子学生だろ」という指名が入り、自然にリィンの役目となった。
ちなみに制服の仕立ては、裁縫が得意であるエマの担当だ。
「ねぇリィン、そろそろ何か選んでよ」
「そ、そうだな」
初めは戸惑いを隠せないリィンだったが、「既製品の中からイメージに近いものを選んでみてはどうでしょう」というエマのアドバイスで、少しは気が楽になったようだ。
とはいえ、彼はさっきからジュリアさんが用意してくれたカタログをペラペラと捲るだけだ。
こういうことには慣れていないのだろうか。
「あの、店内にもそういった類の製品は何点かありますよ?」
私達を見兼ねたジュリアさんが、苦笑しながら教えてくれた。
そういえば、カタログにばかり目がいって店内の品物をチェックするのを忘れていた。
彼女のアドバイスに従い、店内をざっと見回る。
スペースの割には、随分と品揃えが豊かなように思える。
「私もこういうところは馴染みがないけど、色々あるんだね」
「そうだな。妹と一緒に店を回った時のことを思い出すよ」
「ああ、リィン妹がいたんだっけ」
アリサからの又聞きだが、リィンに妹がいることは知っていた。
「妹さんも大変ね」が最近のアリサの口癖だ。何となく彼女の言わんとしていることは理解できる。
「じゃあ、妹と買い物をする感覚で選んでみたら?」
「妹と、か。なるほど、それなら少し気が楽になるな・・・・・・エリゼ、これなんてどうだ?」
「な、名前まで変えるんだ」
エリゼ、という名前なのか。とりあえず今は気にしないでおこう。
リィンが一着の服を私の手前にあてがう。
今の制服と同じようなデザインで、緑色のストライプ柄が可愛らしい品だった。
「んー。いいとは思うけど、ちょっと目新しさは少ないかも」
「そうか。ならこっちは・・・・・・あれ、ただの色違いだな」
これは思った以上に手間取りそうだ。
それに、リィン1人に任せっきりにするわけにもいかない。
私もリィンの横に並び、回転式のハンガーラックをくるくると回す。
「うわー。すごい短いね、これ」
私が手に取ったのは、白と黒の落ち着いた色合いのドレス。
そのイメージとは真逆に、スカートの丈があまりにも短い。
士官学院の制服も相当なものだが、これはそれ以上だ。
「そ、それは・・・・・・はは。でもそれを着たアヤがキルシェにいたら、男性客で溢れかえるんじゃないか?」
「着てみよっか?」
「ええ!?」
「ふふっ、冗談ですよ。リィン兄様」
ガイウスが見たらドン引きしそうな光景だろう。
冗談めかして、リィンの妹を真似てしおらしく振る舞ってみた。
その途端―――リィンは一歩後ずさり、ポカンとした表情で私の顔を見詰めてきた。
「ちょ、ちょっと。冗談だよ、冗談」
「・・・・・・いや。そうじゃなくって・・・・・・驚いたよ。どうして知ってるんだ?」
「何が?」
「妹が、俺を『リィン兄様』って呼ぶことを―――」
「何してるのよ、あなた達」
背後から掛けられた声の方向に振り返る。
そこには、腕を組みながら冷ややかな視線を私達に向けるアリサの姿があった。
「あ、アリサ?いつからいたの?」
「あなたがその露出過多なドレスをあてがいながら普段とはかけ離れた清楚な声で『リィン兄様』って言ったあたりからかしら」
「・・・・・・あ、あはは」
何かとんでもない誤解を生みかねないあたりから見られていたらしい。
リィンもその気配を感じ取ったようで、即座にことのあらましを説明し始めていた。
「だ、だからこれはキルシェの依頼で―――」
「へぇ、そう。それでクラスメイトにいやらしい恰好をさせて『お兄ちゃん』て呼ばせるの?」
「『お兄ちゃん』じゃなくて『兄様』だ、アリサ」
「どっちだっていいのよそんなことは!」
本当にどっちでもいい。既にアリサの脳内では私がいやらしい恰好をしていることになっていた。
たっぷり時間を掛けて彼女の誤解を解いた後、私達は再び制服のデザイン選びに取り掛かった。
アリサが合流してくれたこともあり、何とか制服の方向性は定まった。
色合いは青と水色を基調とした、ハイウェストのチェック柄のエプロンとスカート。
それをベースにして、私とドリーさんのイメージに合うよう仕立てることで決まった。
「これでなんとかなりそうだな。ありがとうアリサ、助かったよ」
「どういたしまして、『リィン兄様』」
「はは・・・・・・はぁ」
誤解は解けたようだが、アリサの中ではまだ私の『リィン兄様』が尾を引いているようだ。
まぁ、アリサがリィンに対してやけに突っかかることは今に始まったことではない。
そのうち彼女も忘れるだろう。
(それにしても・・・・・・何でだろ?)
貴族子女が兄を『兄様』と呼ぶことは珍しくもない。
それでも、さっきは極自然にリィンのことをそう呼んだ。まるで聞いたことがあるかのように。
「どうかしたのか、アヤ?」
「ううん、何でもないよ」
既にリィンもそのことを気に掛けてはいないようだ。
考えても仕方がない、か。
私は先の件を頭の隅に追いやり、肩を並べて歩くリィンとアリサの背中を追った。