絢の軌跡   作:ゆーゆ

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そう遠くない未来

「―――報告は、以上になります」

 

5月29日、特別実習初日の19時前。場所は研究棟の4階。

私達は今日1日の実習結果を報告すべく、テンペランスさんのオフィスを訪れていた。

周りを見渡せば、壁に掛けられた数々の写真。そのどれもが花や果実、草木で統一されていた。

考えてみれば、彼女がこの大学でどんな研究をしているのか、私達は知らされていなかった。

おそらくはこういった分野がテンペランスさんの専門なのだろう。

 

「なるほど。うちの学生が色々と苦労をかけたみたいね。少し考えが浅かったかしら」

「いいえ、私の責任でもあります。・・・・・・失敗は、失敗です」

 

ライアンさんと対面することに成功した私達は、立ち話もなんだろうと1階の喫茶店に彼を誘い、詳しい事情を聞くことになった。

大学に行かなくなってしまった理由は、一言で言えば自信の喪失だという。

 

2年前からテンペランスさんの研究室に配属されたライアンさんは、寝る間を惜しんで日々研究に没頭してきたらしい。

だが努力が必ずしも成果に結びつく程甘い世界ではないようで、費やした時間とは裏腹に、何ら結果を残せなかったそうだ。

 

一通りの話を聞き終えた後、アリサとエリオットが中心となり説得を試みた。

せめてテンペランスさんと一度話をしてみてはどうか

何度そう説いても、彼は頑なに首を縦には振らなかった。

次第にアリサが声を荒げる場面が多くなり、それが気に障ったのか、ライアンさんは再び自室へ戻ってしまったのだ。

時間が限られている以上、アリサにも焦りがあったのだろう。

その後も思い付く限りの言葉を並び立ててみたものの、彼の心を動かすことはできなかった。

 

私達はすぐに後回しにしていた手配魔獣の捜索に取り掛かったが、残されていた時間は余りにも少なかった。

というより、誰もが時間に対し無頓着過ぎたのだ。

結局魔獣を発見する前に日が暮れてしまい―――今に至る。

 

要するに今日、私達B班は何の成果も挙げられていないのだ。

 

「それにしても・・・・・・目に余る光景ね。見ているこちらが憂鬱になりそうだわ」

 

ひどい言われようだが、返す言葉もなかった。

特別実習初日から散々な結果に終わってしまったことに対し、誰もが気を落としてしまっていた。

特にアリサはリーダー役として責任を感じているのだろう。すっかり自信を無くしてしまっているように見える。

他の3人も気丈に振る舞ってはいるが、無理をしているのは目に見えて明らかだった。

それは私だって同じだ。食欲が失せるこの感覚は久しぶりだ。

こんな雰囲気で、明日を迎えてはいけない気がする。

 

「詳細はレポートの方にまとめておきなさい。明日の実習内容は早朝に渡すわ。何か質問は?」

「あ、それなら」

「何?」

 

・・・・・・しまった。「何か質問は」という言葉に思わず反応してしまった。

訊いておきたいことは確かにある。とはいえそれは、余りにも場違いな質問な気がする。

 

「いえ、その・・・・・・うーん。こんな時に訊いていいものかどうか」

「訊かないと分かるわけないでしょう。私は超能力者じゃないのよ」

 

昼間に話をした時から、どうしても気になっていたことがあった。

それは多分、私だけではないはずだ。

 

「・・・・・・テンペランスさんは、士官学院を卒業して、どうして大学に入ったんですか?」

「は?」

 

初めて見る表情だ。この人の呆けた顔を見れただけでも得をしたような気分になる。

案の定、皆が「こんな時に何を言ってるんだ」と言いたげな視線を送ってきた。

やっぱり、余りにも場違いすぎるだろうか。

 

「随分と唐突な質問ね」

 

それでも、20年以上前。卒業生のほとんどが軍の道を選ぶ中。

どうして彼女は、この『大学』という道に進んだのか。

昼間はそれを訊く時間が無かったが、知っておきたかったのは事実だ。

 

「まぁいいわ。立ち話もなんだし、ついて来なさい」

 

テンペランスさんはデスクの導力端末を閉じながら言うと、私達をソファーとテーブルが置かれた一角へと招いてくれた。

応接間のようなところなのだろう。手際よく私達に人数分のコーヒーを用意してくれた。

失礼にあたる気がして「嫌いだから結構です」とは言い出せなかった。我慢して少ぐらいは口をつけておこう。

 

「そうね・・・・・・一言で言えば、あれが理由ね」

 

テンペランスさんの視線の先には、棚の上に置かれた手のひらサイズの小さなプランター。

プランターには緑色の植物が生えており、蕾らしきものは確認できたものの、花は咲いていなかった。

彼女はそれを手に取り、目の前のテーブルの上に置いた。

 

「これは・・・・・・凍っているのか?」

 

ガイウスが言うように、葉の表面にはキラキラと輝く氷の粒のようなものが確認できた。

冷凍庫で凍らせていたものを取り出した直後のように見える。

 

「いや、冷えてはおらぬようだが・・・・・・何とも不可思議な植物だ」

「クリスタルリーフ、と呼ばれているわ。食べてみる?」

 

テンペランスさんは葉の1枚をちぎり取り、私達の前に差し出してきた。

至極当然のように、4人の視線が私に集まる。

 

「ねぇ、昼間の時以上に納得がいかないんだけど。何で私なの?」

「あはは、僕お腹減ってないし」

「適材適所というものだ。そなたの出番だろう」

「ぐっ・・・・・・テンペランスさん、これ食べられるんですよね?」

「安心しなさい。毒は無いわ」

 

問題はそこじゃない。だが、そう言うからには何か理由があるのだろう。

私は恐る恐る葉を口に入れ、ゆっくりと噛み締めた。

途端に、独特の触感が感じられ―――私はその正体に行き当たった。

 

「・・・・・・これ、塩だ」

「「塩?」」

「正解よ。この結晶のようなものは、簡単に言えば塩粒みたいなものね」

 

テンペランスさんの言う通りだ。はっきりと私の舌は、塩気を感じ取っていた。

どういうことだろう。葉っぱから塩気を感じることもそうだが、まるで話の意図が汲み取れない。

これが大学の志望理由にどう繋がるというのか。

 

「あの、テンペランスさん。話が見えないんですが」

「1178年、7月1日の午前5時45分」

 

一瞬にして、皆の表情が様変わりした。少し遅れて、私とガイウスもそれに続いた。

1178年といえば、やはり私達が生まれる前のことだ。

それでも、その年に何が起こったのか。実際に体験していない私達にも、それはすぐに思い当たった。

 

「よく覚えてるわ。初めての中間試験が終わって、散々の成績に肩を落としていた時のことよ」

 

『塩の杭事件』。

旧ノーザンブリア大公国、公都ハリアスクを始めとした3つの行政区が、一瞬にして塩の海と化した悲劇。

その被害規模は甚大で、全人口の3分の1が犠牲となった未曾有の大惨事だ。

 

あの災厄については、実はつい最近帝国史の授業で詳細を聞かされたばかりだった。

たった3日間で国土の大部分が塩と化したことで、ノーザンブリアのあらゆる社会基盤が崩壊。

その混乱は国内に留まらず、ここ帝国にも様々な面で影響を及ぼしたそうだ。

 

「士官学院にも、ノーザンブリアと関わりを持つ生徒が何人かいたわ。直接の被害は無くても、私達は混乱の渦中に巻き込まれたの」

 

テンペランスさんは目を閉じながら、思い出すように話してくれた。

 

数えきれない程多くの人々が犠牲になり、日を追うごとに被害規模が拡大していったこと。

居ても立ってもいられなくなり、休学届けを出してまで現地に赴いたこと。

そこには―――想像していた以上の地獄絵図が広がっていたこと。

 

「わ、わざわざノーザンブリアまで足を運んだんですか?」

 

アリサが信じられないといった様子で口を開いた。

 

「若気の至りと言えるかもしれないわね。入国規制は勿論あったけど、まさか国境を徒歩で越えられるとは思ってもいなかったわ。混乱の程が窺えるでしょう」

 

規制も何もあったものじゃない。授業で聞かされることはなかった、生々しい話だ。

 

「帝国に戻ってから、私は無我夢中になって探したわ。自分にできることは何かないのかって・・・・・・どうしてあの時、植物図鑑なんてものを手に取ったのか。今でも分からない」

 

テンペランスさんは先程葉をむしった部分をやさしく撫でながら、優しげな色を浮かべていた。

 

「この子はね、塩害にとても強いのよ。普通の植物には耐えられないような土地でも、こうして塩を汲み上げて元気に育つことができる」

「じゃあ、テンペランスさんは・・・・・・」

「まぁそういうことね。ノーザンブリアを救えるとしたら、可能性はこの子にある」

 

おぼろげながら、話の先が見えてきた気がする。

 

塩に浸食された土壌では生物が育つはずもなく、ノーザンブリアには草1つ生えない不毛の大地が今も広まっている。

授業で一例として挙げられたのは「ライ麦」だったか。

昔はノーザンブリアからの輸入物も少なくなかったそうだが、今ではライ麦といえば誰だってケルディックの大穀倉地帯を連想する。要するに国産物だ。

亜寒帯に属するノーザンブリアでの農耕は、今では被害が無かった一部の地域に限定されているらしい。

それなりに授業の内容が頭に入っていることに、少し安心する。

 

「ノーザンブリアには、今も塩害に苦しんでいる人達が大勢いる。それはこれから先何十年も続くわ。私の夢は、あの地に緑を咲かすことなの」

「・・・・・・それでこの大学に?科学院の方が環境は整っているって聞きますけど」

 

アリサの口から聞きなれない単語が飛び出してきた。

 

(かがくいん?)

 

私は小声で隣のエリオットに問いかける。

 

(帝国科学院のことだよ。公的な専門教育機関の1つ。音楽院とか、聞いたことない?)

(ああ、言われてみれば)

 

「あそこで自国のためにもならない個人の研究なんて到底無理よ。それがこっちを選んだ理由でもあるわね」

 

私には想像も付かない世界だ。

全てを察することはできないが、そういった複雑な事情も含めて決めた道なんだろう。

 

「とはいえ現段階じゃ夢物語だわ。でもそう遠くない未来にって、私は信じてる。夢を叶えるのは、別に私じゃなくてもいいもの」

 

今の話が全て事実であるとするなら、途方もない話だ。

 

1178年で初めての中間試験ということは、士官学院の一回生の頃の話だろう。

テンペランスさんは私達と同じ年齢で、同じ立場で、自分自身の生きる道を見つけたのだ。

彼女はそれを、今も歩み続けている。20年以上の時を掛けても、まるで先が見えない道を。

 

(生きる道、かぁ)

 

何て強い人なんだろう。明日を迎えることに不安を抱いていた自分が、とても小さく思える。

 

「そんなところかしら。参考になった?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

なったような、なっていないような。

正直に言えば、そんなところだ。話が余りにも大きすぎる。

 

「ふふ、そうだわ・・・・・・あなた達、少し付き合いなさい」

 

____________________________________

 

テンペランスさんに連れられて向かった先は、この研究棟の屋上。

外見からは屋上などというものが存在するとは思ってもいなかったが、確かにここは最上階の屋外だ。

 

「うわぁ・・・・・・」

「綺麗・・・・・・」

 

遠目には光り輝くセントアークの夜景に、サザーラント本線を駆ける列車のヘッドライトとテールライト。

雲一つないおかげで、夜空には宝石を散りばめたかのような夜景が広がっていた。

 

「ここはいい風が吹いているな」

「そうでしょう。気分転換にはもってこいの場所だわ・・・・・・アリサ、来なさい」

「は、はい」

 

名を呼ばれたアリサが、戸惑いながらもテンペランスさんの方へと駆け寄る。

考えてみれば、彼女が私達の誰かを名前で呼んだのはこれが初めてな気がする。

 

「気が変わったわ。受け取りなさい」

「・・・・・・え、これって」

「先輩からの大サービスよ。今日のうちに明日の振る舞い方を考えておきなさい」

 

テンペランスさんがアリサに手渡したのは、昼間にも目にした封筒。

あの中には明日の実習内容が記された紙が入っているに違いない。

 

「あなたは・・・・・・あなた達は、まだ学ぶ立場にある。その意味を精々理解しておくことね」

 

テンペランスさんはそう言うと、私達を残して屋上を後にした。

「学生寮に門限は無いからゆっくりしていきなさい」とのことだが、外部の人間である私達にもそれは当てはまるようだ。

 

 

 

言われるがままに、私達は屋上の手すりに身を預けながら、5人揃って上空の星空をぼんやりと見上げていた。

そのうちの1つがゆっくりとセントアークの方角目掛けて移動している。そういえば、セントアークにも空港があると聞いていた。

生まれてこの方、飛空艇の類には乗ったことがない。あそこから見下ろす風景など想像も付かなかった。

 

「選ばれた理由?」

「ああ。部屋でエリオットと話していたんだ。どうしてこのセントアーク理科大学が選ばれたのか。その理由だ」

 

ガイウスが言う理由とは、特別実習地の選定理由だろう。

A班の実習地にバリアハートが選ばれた理由は、何となくだが想像が付く。

 

「俺達の先人などいくらでもいる。だがその中で何故彼女が、何故この大学が選ばれたのか。それが分かった気がする」

「ふむ。いずれにせよ、私はこの大学の雰囲気が好きなようだ」

 

ラウラが手すりから覗き込むようにして、研究棟を見下ろす。

夜の8時半過ぎだというのに、大半の部屋には明かりが点いていた。

「よっしゃああ」と歓喜の声が上がったかと思えば、別の部屋からが「うわあああ」と悲痛な叫びが響き渡る。

忙しい人達だ。今も各部屋では、誰しもが研究に励んでいるであろうことが想像できる。

 

「剣とペンの違いに過ぎぬ。自身が選んだ道を歩み続ける様は、見ていて心地がよいものだな」

「専門性が高いところだからね。僕も・・・・・・色々と考えちゃうな」

 

再び上空に目をやる。先程同様、飛空艇と思われる光点がゆっくりと雲の中に隠れていく。

あそこからでは、私達を目視することはできないだろう。余りにも小さすぎる。

目の前のあれやこれやに思い悩む私達を無意識に比喩している自分に、笑いがこみ上げてきた。

 

「ねぇアリサ、明日の依頼の内容、見てみようよ」

「え?」

 

アリサも何かを考え込んでいたようだ。

私が声を掛けると、手すりに掛けていた肘を滑らせて姿勢を崩してしまった。

 

「考えるのは後回し。このままじゃ私達、B評価すら怪しいかも。今は明日のことを考えよう?」

「・・・・・・ええ、そうね。ちょっと待って」

 

アリサが封筒の中身を取り出し、依頼の内容が記された用紙を読み始める。

6件目の内容を読み始めた辺りで、皆の表情が険しいものへと変わっていった。

 

「・・・・・・任意の依頼が、今ので最後。必須の依頼が4つに、任意の依頼が4つね」

「いや、多くない!?」

 

丸1日分とはいえ、全部で8件。

全てを受ける必要はないが、今回に限って言えばそうも言っていられない。

私達はまだ1件も依頼を達成できていないのだ。

 

「ふむ。だがその分、腕が鳴るというものだ」

「そうだね。えへへ、何か気が高ぶってきた感じだよ」

「8件中、3件が手配魔獣の討伐か。俺の出る幕は多そうだな」

「それを言わないでよガイウス・・・・・・」

 

そのうちの1件は今日の依頼が繰り越されているあたり、自分達で撒いた種だ。

むしろその分、取り戻す余地があるかもしれない。

 

「みんな、ごめんなさい。私、1人で空回っちゃって。リーダー失格だわ」

「またそれ?アリサ1人の責任じゃないんだから、気にしないでって言ったでしょ」

「そうだな。俺達は5人でB班だろう。失敗は皆で取り戻せばいい」

「・・・・・・ありがとう、2人とも」

 

明日は長い1日になりそうだ。朝早くから動くことになるだろう。あまり長居もしていられない。

 

「目標は全件達成ね。特科クラス《Ⅶ組》B班、明日は気合を入れて頑張りましょう!」

「「おう!」」

 

屋上にB班一同の声が鳴り響く。

 

考えるのは後回しと言いつつも、やはり考えてしまう。

今回の実習を通して、私達が学ぶべきことはどこにあるのだろう。

サラ教官が、ヴァンダイク学院長が実習に込めた思い。

テンペランスさんが言った「学ぶ立場」、その真意とは。

 

(考えても仕方ない、か)

 

結局はそこか。私の足りない頭で考えても答えなど見つかるはずもない。

いずれにせよ、テンペランスさんと出会えてよかった。いつかは彼女のような強い女性になりたいと思う。

そのためにも、まずは私だけの生きる道を見つけよう。

私の士官学院生活は、まだまだ始まったばかりだ。


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