絢の軌跡   作:ゆーゆ

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第2章
5月16日、早朝


早寝早起きは私の自慢の1つだ。3階の中では一番消灯時間が早いし、朝は皆の寝ぼけ顔を見る立場にある。

ただ、フィーは部屋の明かりを消さずに就寝することが度々あるそうだ。言葉の綾だが、前者は少し怪しいかもしれない。

 

「―――ほら、たくさん食べなよ」

 

私の横では、馬達がバケツに盛られた餌を黙々と食べている。窓枠から差し込む朝の陽光が毛並みを照らす様は、いつ見ても私の心を落ち着かせてくれる。

額の汗を手首で拭いながら厩舎の外に出る。昼夜の寒暖差が激しいノルドと違い、早朝でも体を動かせば問答無用に汗が浮かんでいた。

 

足元にあるゴム製のホースに目をやる。先程まで使っていたそれは、厩舎に備え付けられた水道の蛇口へと繋がっている。

今なら大丈夫だろう。自由行動日の早朝なだけに、辺りに人影は無い。

蛇口からホースを抜き、栓を捻って勢いよく水を出す。息を止め後頭部を蛇口の下に潜り込ませると、火照った頭が一気に冷やされていく。

 

「・・・・・・っぷはぁ!」

「朝から精が出るのう」

「え?」

 

勢いよく頭を上げ髪の水気を切りながら、軽く目を擦る。

 

「・・・・・・が、学院長!?」

 

目に飛び込んできたのは、2アージュを超えるであろう巨躯。トールズ士官学院の長、ヴァンダイク老学院長だった。

まさか人に会うとは思ってもいなかったが、それにしても想定の範囲外過ぎる。

慌ててタオルで顔を拭きながら、今の自分の身なりを思い出す。作業用の長靴とジャージは仕方ないにしろ、Tシャツの袖は肩まで捲り上げられている。これは流石にはしたない。

 

「何、そう畏まらんでもよい。馬を見に来ただけじゃからな」

「馬、ですか?」

 

学院長は慣れた足取りで厩舎を回りながら話してくれた。

聞けば、時折こうして馬の様子を見に来ることがあるそうだ。人手が足りない時期には世話を買って出ることもあるという。

それにしても、わざわざ自由行動日の早朝に足を運ぶとは。頭が上がらないとはまさにこの事だ。

 

「どうかね、士官学院での生活は。《Ⅶ組》ならではの苦労もあるじゃろう」

 

当然のように私が所属するクラスを言い当てられ、思わず目を丸くしてしまう。

 

「《Ⅶ組》のアヤ・ウォーゼル君じゃろう?無論知っておるよ」

「・・・・・・光栄です」

 

もしかしたら、この人は学院全生徒の名前を言えたりするのだろうか。

こうして話しているだけでも、それが冗談とは思えなくなる。不思議な人だ。

 

「苦労も多いですが、その分毎日が充実しています・・・・・・ただ」

「ただ?」

「その、座学には毎日苦戦しています。嫌いではないんですけど」

 

苦笑いを浮かべながらそう言うと、学院長はしわがれた大きな笑い声を上げた。

 

「入学してまだ一月半しか経っておらん。徐々に慣れていけばよい」

「でも周りが優秀な人達ばかりで、少し気後れしてしまうんです」

「・・・・・・ふむ。あれは20年以上前じゃったかの」

 

学院長は遠くを見つめるような目で空を見上げながら続ける。

 

「君のように、勉学が不得手な女子生徒がおってのう。入学試験の成績は下から2番目じゃった」

 

下から2番目。突然引き合いに出された女子生徒の成績に不安を覚える。

下から数えた方が早いという自覚はあるが、学院長にはそう見えるのだろうか。

 

「じゃがある時期を境に、急に成績が伸び始めた。武術や実技は相変わらずじゃったが、それ以外の科目は主席で卒業しおった」

「主席で・・・・・・すごい。何があったんですか?」

「本人にしか分からんよ」

 

何かキッカケがあったのかもしれない。今の私には知る由も無い。

だが、彼女が積み重ねたものの大きさは想像できる。要するに、学院長が言いたいことはそれだろう。

 

「焦ることはない。学院での生活も始まったばかりじゃ」

「ありがとうございます。少し気が楽になりました」

「そうかそうか。・・・・・・それにしても、君は朝が早いのう。流石はノルド出身といったところか」

「慣れたものです。それに、今日は理由があって―――」

 

そう。自由行動日だというのに、普段よりも朝が早いのには理由がある。

私がその理由を話すと、流石の学院長も意外そうな色を浮かべた。無理もない。

このトリスタで同様の反応を見せないのは、多分ガイウスぐらいだ。

 

「はい。弟に髪を切ってもらうんです」

 

_____________________________________

 

髪の毛は早朝に切る。特徴的なノルドの風習の1つだ。早朝以外に髪を切ると親の死に目に合わない、というのが理由だそうだが、まるで説明になっていない。

とはいえ、古くから伝わる慣わしを悪戯に破るのも気が引ける。私はこれでもノルドの民の一員だ。

 

「―――よいしょっと」

 

第3学生寮の3階にある談話スペースには、年季の入ったソファーやテーブル、本棚が設置してある。使い古しとはいえ作りはしっかりしており、《Ⅶ組》の女子専用と考えれば勿体無いぐらいだ。アリサやエマが利用しているのをよく見かける。

私はそのソファーやらを隅に追いやり、部屋から持ってきた椅子をスペースの中央に置いた。

 

「準備はいいか?」

「うん、お願い」

 

私は椅子に腰掛け、正面を真っ直ぐに見据える。

私の後ろでは、ガイウスが慣れた手つきで櫛を入れていた。当然だが、ガイウスに髪を切ってもらうのは初めてではない。

 

「初めて切ってもらったのっていつだっけ」

「覚えてないな。アヤがノルドに来て、間もない頃じゃなかったか」

「あの頃はすごい長かったよね」

「あれはあれで似合っていたぞ」

「・・・・・・ふーん」

 

長髪は戦いの場で不利に働くだけだ。

だからというわけではないが、乾かすのに時間が掛かりすぎるのはいただけない。

髪を短くした後、その違いに驚かされたのを覚えている。

 

「・・・・・・あ、おはようございます。アヤさん、ガイウスさん」

 

声がした方に振り返ろうとするが、今が散髪中ということもあり、私は前を向いたまま返す。

 

「おはよ、エマ」

「おはよう、委員長」

「・・・・・・ガイウス、さん?」

 

エマの声に違和感を抱き、私はガイウスが持つハサミに注意しながら振り返る。

そこに立っていたのは、寝間着姿でやや寝ぼけ気味のエマの姿があった。

察するに、顔を洗いに行く途中だろう。

 

「ええっと、その、しし失礼します!」

 

エマはそう言うと、足早に洗面所へ駆けていった。

 

「・・・・・・何だ。随分と慌てていたが」

「さあ・・・・・・?」

 

完全に油断しきった寝起き姿を同年代の異性に見られれば、エマの反応も無理はなかった。が、同じ女性の身でありながら、アヤにはそれが理解できなかった。

 

話題は今日の予定へと変わる。

 

「午前中は勉強かな。午後からはキルシェ。そっちは?」

「俺は今日も部活だ」

「ふーん。リンデとはうまくやってる?」

「ああ。彼女の指南は分かりやすくて助かる」

「そう。今度キルシェに連れてきなよ」

 

後方からスリッパのペタンペタンという音が聞こえる。

声からそれがアリサであるということは分かったが、以降はエマと全く同じ流れで足早に姿を消したのだった。

 

「・・・・・・察するに、帝国では散髪は他人に見せるべきではない、恥じらいのある行為なのか」

「そんなはずないんだけどなぁ」

 

エマ同様、アリサの反応は年頃の女性としては当然の反応であったのだが、アヤには到底理解できないものだった。

 

話題はアヤのクラブ活動へと変わる。

 

「馬術部の方はどうなんだ?」

「ユーシスとポーラなら相変わらずだよ。ユーシスはあんまり顔を見せてないみたいだし。人のこと言えないんだけどね」

「あまり本腰を入れていないようだな」

「よく分かんない。馬は好きみたいだけど、その辺のことはあまり話してくれないから」

 

ユーシスは決して悪い人間ではない。それは何となく分かる。

だからこそもう少し歩み寄りたいのだが、如何せん彼は敵を作るような態度が目立つ。

 

「何してるの」

「・・・・・・え、フィー?」

 

珍しいこともあったものだ。自由行動日のこの時間帯に、フィーの姿を見ることは滅多に無い。

 

「お腹空いたから起きちゃった」

「そう。なら後で一緒に食べる?」

「そうする・・・・・・ガイウス。髪、切れるの?」

 

フィーは意外そうな表情を浮かべながら聞いてくる。

 

「故郷では妹達の髪を切ったこともある」

「ふーん。今度お願いしてもいい?」

「お安い御用だ」

「やった」

 

フィーは軽い足取りで下の階へと降りていく。

ごく自然な会話が初めて成り立ったことに、アヤもガイウスもどこか嬉しげな色を浮かべていた。

 

話題はアヤが抱いた違和感へと変わる。

 

「ねえガイウス」

「何だ?」

「気のせいかもしれないけど、何かいつもより手つきが変じゃない?」

「・・・・・・その、ハサミがな。やけに切れ味が鋭い、というか」

「あー、はいはい」

 

ノルドで使用していたハサミは用途を選ばず、ありとあらゆるものを切断してきた大型のものだった。ガイウスはそれを器用に使いこなしていたが、今彼が手にしているのは現地で購入した新品だ。おそらくはその違いだろう。

 

「ふむ、朝から散髪とは精が出るな」

 

凛とした声の主はラウラだ。見れば、彼女は大剣を携えており、身支度も済ませている様子だ。

ラウラによれば、リィンと一緒に朝稽古をする約束をしていたらしい。そう語るラウラの表情は、どこか嬉しげだ。

今では慣れたものだが、ラウラは貴族という身分に属する。入学当初はやや戸惑いがあったものの、こうして自然と会話できるようになったのは、やはりユーシスのおかげだろう。

 

『士官学院生はあくまで対等―――学院の規則を忘れたとは言わせんぞ』

 

じゃあポーラへの態度は何なの?

そう心の中で怒鳴っていると、後ろから大きな溜息が聞こえた。

 

「よし、終わったぞ」

 

ラウラが階段を降り始めたのと同時に、ガイウスはハサミを置いた。

恐る恐る手鏡を覗き込むと、そこにはいつも通りの自分。うん、中々の仕上がりだ。

私は少し不安そうな表情のガイウスにお礼を言いながら、肩に掛かった髪の毛を払う。

 

「後片付けは私がやっておくから」

「ああ。俺は朝餉の支度をしてくる。フィーも待っているだろうしな」

 

ガイウスは首と肩を鳴らしながら、2階へと降りていく。

慣れないハサミ故に、気を遣ってくれたのが窺える。

 

私は再び手鏡を覗き込み、髪先を弄る。

 

「・・・・・・少し、伸ばしてみようかな」

 

誰にも聞こえない程度の声で、私はそう呟いた。


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