魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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――――死者は止まり、生者は進む





第88話 輝く星となれ

 

 

 

 

 

 超時間に及ぶ戦闘による肉体的精神的疲労は、誰にも平等に禍となって降りかかる。戦場の一角にいる、本来なら候補生でアリアドネー騎士団員ですらない彼女らがいるにはあまりにも過酷過ぎる場所だった。

 倒しても倒しても旧世界にいるゴキブリの如く際限なく湧き出てくる召喚魔と戦う無力感は、一人前と呼ばれる騎士ですら心の芯を折られる。

 このような状況である中で彼女達が未だに生き残っていられるのは、周りを固める正騎士団員が学生達だけは護ってみせるという熱意と彼女達自身の不断の努力に支えられていた。それでも遥かな古の過去から戦場が持つ呪いは彼女達にも容赦なく洗礼を浴びせる。

 

「コレット! コレット、無事なのですか!」

 

 騎士団の中にも犠牲者が出始めたことで学生達を護る守護線が崩壊して一人目の犠牲者が出た。

 重量級召喚魔の突進を、コレット・ファランドールは何とか防御魔法を展開したが受けきることが出来ずに重症を負って意識を失っていた。バディを組んでいた綾瀬夕映が頭から血を流して失神しているらしき相棒が直ぐに意識が戻らないので、死んだかもしれないという恐慌に囚われて肩を必死に掴んだ。

 

「やめなさい! こんな戦場で意識を失う方が馬鹿なのよ!」

 

 こんな自分が生き残れるかも分からない戦場の中で他人の命を背負えやしない。言い方は悪いがエミリィ・セブンシープの言うことは正鵠を射ていた。

 未熟な学生部隊の部隊長として、未熟ながらも隊を預かる身として犠牲は最小限に抑えなければならない。このような戦場の中で学生の域を越えていない彼女達に怪我人を守りながら戦える程の技量も力もない。

 非情ではあっても可能性の問題として戦えないコレットを守って二人で死ぬか、コレットを見捨ててでも生き残る可能性を上げるかの二択のみ。

 

「だからってクラスメイトなのですよ! 見捨てられるわけないです!」

 

 夕映にとってコレットはアリアドネ―で自分に優しく接してくれた一番の友。軍人として正しい選択をしているエミリィの言に、自分が生き残るためにはそうしろと言われても感情が納得しない。涙と汗とで、顔をぐしゃぐしゃにして叫ぶ。

 夕映のはあくまでも感情論。だけど、まだ正規の騎士団員ではないエミリィには公私の私を捨てられるほどの胆力は未だ身に付けているはずもない。

 

「分かってる! 分かってるわよ! けどね、どうしようもないでしょ!!」

 

 ただ与えられた命令をこなすだけの召喚魔が、二人が口論しているからといって見逃してくれるはずもなかった。エミリィのバディであるベアトリクス・モンローが二人と気絶したコレットを守るために獅子奮迅の活躍を見せていたが遂に突破された。

 

「お嬢様っ!」 

 

 ベアトリクスが叫んだ時には、防衛線を突破した一体の召喚魔が彼女達の至近距離にまで迫っていた。人に翼を生やした翼人のようなガーゴイル型が鷲よりも遥かに大きく鋭利な爪を二人に向けて伸ばす。

 多数の意思が入り乱れる戦場においてはイレギュラーは常に存在する。イレギュラーを呼び込んでしまうのは常に人であり、血の齎す業なのかもしれない。ただそれだけのことである。

 最も近くにいるベアトリクスは同タイプのガーゴイル型の相手をしている。回避行動や防御魔法を発動させるだけの時間的余裕もない。気絶しているコレットも含めて三人を容易に貫く爪が夕映の視界の殆どを占めた。

 

(死ぬのですか、私は!?)

 

 脳裏を過ぎる記憶の数々は走馬灯と呼ばれるもの。人は死の間際に自分の人生を振り返ると言う。綾瀬夕映は極限状態の中で緩やかに迫ってくる爪に自らの死を直感し、緩い尿管が解放されて小便を漏らして下半身を濡らした。

 大好きだった祖父が死んでしまって生き返らせて欲しいと願って叶えてくれなくて失望した神様に、腕の中で気絶している親友と自分のミスの所為で巻き添えにしてしまう委員長を思って全身全霊で祈った。

 

「――――――!?」

 

 夕映の切なる願いは届いたのか、後少しで一番近くにいた三人を順に貫くかと思われた爪を伸ばしていたガーゴイル型の召喚魔が爆発して消滅した。至近で起きた爆風に否応なく吹き飛ばされながらも、感じる熱風に焼かれる肌の痛みが夕映に生を実感させた。

 恐らくガーゴイル型は、自分の身に何が起こったのか、理解する間もなかったろう。

 

「な、なんですかっ!?」

 

 エミリィの上げた狼狽の声は、その音が広がる前に、突如として凄まじい衝撃が辺りを襲う。

 彼女達を包囲する召喚魔の群れ、その一角から火柱が上がった。彼女たちの後方から飛来した火球が横を通過して前方の召喚魔に着弾して爆発を起こしたのだ。忽ち、十数体の召喚魔が吹き飛ばされる。

 更に第二、第三の火球が包囲網の外から内に向かって連続する。救援が来たと分かった時には、包囲網の召喚魔の群れは半分以下にまで減少していた。

 

「戦場で立ち止まるとは、未熟者め」

 

 背後から火竜に乗って独自の戦闘服に身を包んで接近してきた王子様のような美貌の男が口も悪く言い切った。

 言語道断。彼の口調からはそんな強い意思が感じ取れた。

 

「奴らにばかり、良い思いをさせられないっ! 皆の者、私に続け!」

 

 男は一時も止まることなく、背後に同じような戦闘服に身を包んだ一団が傍らに精霊獣を引き連れて通過して行った。一族を先導するように先頭を突っ走る若者に見覚えがあった。

 僅かに遅れて、別の一団が近づいて来る。

 

「遅れるなっ! 俺達も行くぞ!」

 

 武装や防具はちぐはぐだが、一様に精悍でふてぶてしい面構えの者達だ。彼・彼女らは雄叫びを上げて戦場に向かって突撃する。

 変わった一団が喰い散らかした包囲網を埋めようとした召喚魔達との距離を詰めて躍りかかる。単純な持っている武器による攻撃のみならず、中には魔法を使う者もいた。

 呆然としながら気絶しているコレットを抱えた夕映とエイミィ、近づいてきたベアトリクスが手を出す暇もないという内に、召喚魔どもはあっという間もなく駆逐されていく。

 

「奇跡、ですか?」

「こんな奇跡を起こしてくれる神様がいるなら私は――――――」

 

 呆けたようなエミリィの言葉に、夕映はこのような奇跡を起こしてくれた神様なら小便でも飲んでもいい、と常ならば絶対に考えもしないことを本気で思った。

 

「あ……ああ……」

 

 そんな中でこの連合艦隊旗艦で絶望的な戦況の中でモニターを見ていたオペレーターの一人が掠れた声を上げた。

 

「どうしました、早く報告しなさい!」

 

 絶望に染まった声なら嫌というほど耳に染み付いていたクルトだが、オペレーターの声の中に抑え切れない歓喜を感じ取り、一縷の望みを抱きながらも声を荒げた。

 

「奇跡です! 新オスティアの向こうから多数の熱源反応! メガロメセブリア、ヘラス、アリアドネー他多数、幾つもの所属が入り混じっています!」

 

 答えるオペレーターの頬は、興奮から紅潮していた。

 クルトの前に新オスティアを映したモニターが映し出される。

 

「援軍が、援軍が来てくれた」

 

 新オスティアの向こうに幾つもの鋼の群れがひしめき合っていた。形、大きさ、所属は違えど無数の艦隊が並ぶその光景は壮観そのものだった。

 異なる国旗、異なる種族、異なる指揮大系。それにもかかわらず一丸となった艦隊は旧世界の東洋の曼荼羅のように整然と隊伍を組んでいる。

 

「メガロメセンブリア連合、ヘラス帝国軍、アリアドネー騎士団………他にも小国から一族単位、個人レベルでこの空域に続々と集まってきています!」

 

 ブリッジで各艦の所属を確かめていたオペレーターの一人が素っ頓狂な声を張り上げた。その声にクルトも窓の外を見た。

 それらは一方方向から接近するのではなかった。この宙域を中心として接近している。艦艇だけではなく単身で空を飛ぶものから複数で寄り集まっている者等、軍人ですらない者すら多く見えた。

 今も艦橋の直ぐ側を独自の戦闘服に身を包んだ一団が傍らに魔獣を引き連れて通過して行った。一族を先導するように先頭を突っ走る若者に見覚えがあった。

 

「いや、あれは魔獣ではなく精霊獣か。ということはマクスウェル一族が来たというのか」

 

 ナギ・スプリングフィールド杯の地区予選でアスカが戦った中に彼の一族の次期党首がいたことは調べで分かっている。二十年前の大戦の最中で帝国、連合のどちらにも属さなかったことで没落したマクスウェル一族が、こんな機会を見逃すはずがなく逸早く駆けつけてきたのだろう。

 

『奴らにばかり、良い思いをさせられないのだよっ! 皆の者、我に続け!』

 

 それは、ある種、奇態な光景だったのかもしれない。

 アスカの叫びに心を揺り動かされた彼らは、世界の破滅を前にそれぞれが持てる戦力の全てを投入して終結させた成果がこれである。

 二十年前の大戦時ですら遅れていたメガロメセンブリア連合の正規軍とヘラス帝国の軍隊が到着したのは、言ってしまえば戦いが終わった直後。帝国・連合・アリアドネー混成部隊が最初から戦っていたとしても全精力を傾けた時には遅すぎた。

 二十年前のように裏方として説得に回っていた人員はおらず、集った戦力がアスカの中継映像を見て集まったことには想像に難くない。

 各々の軍勢が陣営など関係なくまるで攪拌されたかのように混在し、その全ての目が召喚魔に向けられている。今までいがみ合ってきた者達がみな一つの目標に向けて力を合わせているのである。

 クルトは唖然とし、また心が沸き立つような思いを抱く。多くの人々が自分達と同じ道を選び、戦おうとしている。それは絶望に身を浸していたクルトにとって心慰められる発見だった。

 ブリッジに弛緩したような空気が漂った。

 戦闘中にも関わらず緊張が途切れる、というのは非常識なことだ。クルトにも、このような劣勢過ぎた状況で救援が現れたので、止むを得ないことだと承知している。

 絶望に垂らされた一筋の光を見れば人の生理というもので、それを責めたいとは思わなかった。

 爆音が轟き、召喚魔達に襲い掛かる。新オスティアにいる者達は浮遊島が揺れていると錯覚するほどの激震だった。

 アスカを中心にして、驚くほど自然に人がつながってゆく。人なら誰でも持っていて、ただ傍にいるだけでは結ばれることのない手が何時の間にかしっかりと誰かの手をとって輪を育ててゆく。そんな小さな不思議が、得難くも尊いものに思えて、ひどく眩しかった。

 前線に出る者達だけではなく、その熱は後衛の者達にも伝播していた。

 

 

 

 

 

 ヘラス帝国軍旗艦グラムヘイルの操鑑に従事している者達は皆、当然ながらヘラス帝国軍の制服を身に付けている。

 急遽、編成された艦隊の指揮を執るのは、ヘラス帝国軍の高級幕僚の一席を担うナマンダル・オルダート中将である。大きな巨人だ。そうとしか、その姿を表現する言葉がない。

 姿勢の良い長身に、よく鍛えられた固そうな筋肉。まるで鉄の塊が目前に立ちはだかっているような、異様なまでの威圧感。頭部の左右に伸びる角に鋭い両目と肉付きの薄い頬を持ち、口元と顎に鬚に蓄えて年月を経た鋼の色に染まっている。

 

「先頭に立つマクスウェル一族より打電が来ています。内容は『一番槍は貰う。我に続け』と」

「凋落した精霊獣の一族か。ふん、言い様は気に入らぬが気持ちも分かる。戦に猛るのは当然か」

 

 打電内容に自分と同じように二十年間の間に忸怩たる思いを抱えていたであろう一族のことを思い出し、ナマンダル中将はこんな事態にも変わらぬ言葉に苦笑すら浮かべた。

 

「返信せよ。『貴官らの健闘を祈る』とな」

「了解」

 

 オペレーターが命令を復唱しているのを意識の外に追いやり、ナマンダルは視線を未だ激戦が続く戦域に向けた。

 

「間に合わないかと思ったが……」

 

 望遠映像に直接戦場を捉えられるようになって数分が経っている。予想以上の惨状と奮闘をスクリーンに確かめたナマンダルは、致命的な状態に陥る前に間に合ったことに押し殺した安堵の息を漏らした。

 

「試練を重ねて分かり合う。今がその時だと思いたいがな」

 

 他国の軍艦が揃って並ぶ光景は、式典などで何度見ても見慣れるものではない。

 

「…………中将、お訊きしてもよろしいですか?」

 

 中将ともなれば、本来であれば後方で戦局を判断するのが職務であり、このような現場に出てくる人物ではない。

 ブリッジに詰めるオペレーターから先遣隊が戦闘を開始した報告を受けた女副官ナタリア・コンラッドが、おずおずと数多の戦場と権謀術数を潜り抜けてきた瞳を戦場に向ける上官に尋ねた。

 

「なんだ? 言ってみろ」

 

 ナマンダル中将は旧世界で言うならロシア系の美女であるナタリアへと顔を向けながら問いかける。

 

「中将は、何故このような危険な作戦に志願されたのですか?」

 

 男に比べればかなり華奢で理性的なナタリアの声は凛と澄んでいて耳に心地良い。

 

「君を連れてきたことを責めているのかね?」

 

 滅相もない、とナタリアが慌てて首を振る。

 ナタリアは軍内でナマンダル中将の派閥で最近、頭角を現してきた軍人である。だが、軍というのは男所帯であるが故に同じ派閥の者達から有形無形のプレッシャーを受けていた。

 独立学術都市国家アリアドネーの戦乙女旅団のような存在は稀でしかない。これで武官で戦功でもあればまた別であったが彼女は文官である。戦場に赴いて戦うなど出来ようはずがない。このままでは同じ派閥の者に潰されていたかもしれない。

 階級や立場に縛られすぎることなく、素直な見方を変えれば愚直さが権謀術数に明け暮れたナマンダル中将には時に眩しく見える。彼女の価値はその美しさよりも有能さと愚直さにあるとナマンダル中将は思い、数多い側近ではなく彼女を副官に選んだ。

 

「中将の真意が知りたいのです」

 

 敬愛する中将に比べればまだまだ短い軍歴で、これほどの戦いに、それもこの人と参加できることはこれ以上ない程の誉れであった。蓋をしなければ抑えきれない程の昂揚を前にして硬くなる言葉しか選べない自分を少しばかり恥じた。

 

「私は二十年前の大戦に参加できなかった。いや、しなかったと言うべきかな」

 

 偽悪的な笑みを浮かべて部下をからかったナマンダル中将が表情を真面目なものに変え、遠く見つめるような眼差しで言った。出世欲に取り憑かれて軍内の競争に明け暮れてね、とナマンダル中将が短く自嘲的な笑い声を立てる。

 

「あの映像を見るまで私はなんのために軍人になったのかずっと忘れていた。私はな、ずっと実戦経験のない貴族がトップを占める軍内を変えたいと思っていたのだ」

 

 厳めしい顔に深い皺を寄せて、ナマンダルは低い声で唸った。

 軍の問題は、実戦経験のない一部のエリート達が実験を握ることだ。

 士官学校を出て最前線を経験せぬまま幹部と成っていく。彼らはもはや軍人ではなく政治家と結託して権力を手中にし、自らも政治家に成ろうとする官僚に過ぎない。自らも血を流して戦ったことがなければ、時に戦う者達をゲームの駒と考えてしまう。そういう連中が軍の上層部に座ることを彼は良しとしなかった。

 

「何時からだろう。軍の在り方を変える為に権力を手に入れたのに、逆に権力に縛られて嫌悪していたはずの彼らと同類に成り下がってのは」

 

 今の自分を振り返り、ナマンダル中将は自嘲気味に呟く。

 実戦を経験した者には独特の共感がある。

 戦争は人の心を蝕むが、同時に軍人同士の結束を固める面もある。特に同じ作戦に従事して生き残った仲間の事は生涯忘れない。二十年前の大戦に参加しなかったナマンダル中将にはそれがない。

 戦友というのは何にも代え難い。死線を潜り抜け、生き残った者達には時に家族に匹敵するほどの絆が生まれるのだ。追い落とした同期や政敵達に共通した結束があることをどこかで羨ましいと感じていた。

 

「老人の戯言だと思ってくれて構わん。彼のスピーチを聞いた時、年を忘れて心が躍ったものだ」

 

 ナマンダル中将は自らの恥部を副官に晒しながらも、本国にある執務室で見たモニター越しのアスカの姿を思い出していた。

 生きてきた年齢と共に培った経験が人を捻じ曲げてしまうのか、こちらを射抜くような真っ直ぐで鋭い視線はナマンダル中将にはひどく眩しく思えた。

 

「家族、類縁を全て失くした私だ。死ぬまでに一度は自分の心に従って生きてみたいと考えていた。絶好のチャンスだったのだよ」

 

 そして、孫ほどの子供に骨身の隋まで自分達の愚かさを叩き込まれて説教されたと、とも思った。勿論、モニター越しのアスカが遠く離れたヘラス帝国本国にある執務室にいたナマンダル中将のことを指して言ったはずもなし。一重にナマンダル中将自身が抱える負い目が感じさせたものだ。

 

「あんな男なら時代を変えていけるかもしれん、とこんな子供染みたことを思う私を笑うかね?」

 

 ナマンダル中将は言って遠い目をした。スクリーンに向けられた目は、ここではなく失った何か遠いものを見る目。まだ彼に比べれば小娘でしかないナタリアには理解できない眼差し。

 

「いえ、誰が笑おうとも私は絶対に中将を笑いません」

 

 まだ若いながらテキパキとした返答は、ナマンダルが多くの部下達の中で最も彼女を気に入っている理由の一つだ。

 

「ならば、潜在的な敵であるメガロメセンブリアとも共に戦えることに喜びを見出している私を不謹慎だと思うかね?」

 

 しかし、ナマンダルはそうしたことは微塵にも面に出さず、試すように問いかけた。

 これも試練の一つ、と都合の良いことは言うまい。無明な大人として、せめて過去に残してきたことだけの責任は引き受けようと思う。

 

「いいえ、これほどの軍勢が共に行軍しているのを見て私も心が躍っています。中将だけではありません」

 

 副官は頷いて見せた。ロマンチシズムと言われることなのかも知れないが、軍人として上官の心情に共感を覚えたからである。

 副官の表情は、政略にばかり振るわれていた中将の辣腕が戦略に転換したことを頼もしく見ているようだった。

 

「回線をオープンに、この宙域に全ての者に聞こえるように」

「…………よろしいのですか?」

「構わん。一世一代の大舞台を上げるとしよう」

 

 通信オペレーターはナマンダルの命令に確認を返したが絶対の自信の頷きに、震える手で通信回線を切り替える。

 

「私はヘラス帝国軍ナマンダル・オルダート中将である。この宙域にいる全ての者に告げる」

 

 場の空気が提督の一言で変わる。

 その声には人を従わせる力があった。人に命令し慣れた者の声だった。

 

「初めに言っておこう。私達は戦う前から既に負けている」

 

 その発言に、流石に艦内にも騒めきが起きたがナマンダルは頓着しない。

 ナマンダルはメインスクリーンに映る、茶々丸を通して中継されている墓守人の宮殿を指差す。

 

「見たまえ諸君、あそこにいるのは、戦っているのは子供だ。まだ幼くて、本当は世界なんてどうでもいい、ただ毎日楽しく笑ってることが許されるはずだ。でも、彼らは戦っている。何故だ? それは我ら大人が不甲斐ないからだ!」

 

 命のやりとりに、子供も大人もない。それでも理不尽な怒りに駆られずにはいられない。

 

「子供達に世界の命運を託している。そんな私達は勝っても負けても愚か者にしかなりえん。私も諸君らもそれを自覚しなければならない。決して自惚れるな。私達大人は戦う前から負けてしまっているのだ!」

 

 腹から声を裂帛の怒声だった。男が心の奥底に仕舞い込んだ本音の欠片を世界に向けて叩きつける叫びであった。その叫びには聞く者達の心を揺さぶる力があった。単純明快な、だが異論を差し挟む者は誰もいなかった。

 

「私達は大人だ。大人は子供達に少しでも良い未来を残しためだけに死んで行くべきだ。その私達が安穏として許されるはずがない」

 

 なんとなれば、あの闘争の激戦地にいるべきは、彼ら子供よりも多くの時を経た大人の仕事であったはずだ。大人とはそうした役割でなければならない。

 若者に道を示せない老人などは、ただ生きている死骸候補に過ぎないのだから、これから生きる若者を生かすために礎になる覚悟を固めろとナマンダルは声を大にして叫んだ。

 

「私達は軍人だ。戦うことこそが仕事の軍人だ。だが、軍人は一職業ではない。一般市民の盾となるべき者であるべきだ。戦うために戦うのではない、生かすために戦うのだ」

 

 危機的状況にあって必要なのは示されたリーダーシップに従うことなのだとナマンダル中将は心得ている。握り締めた拳が僅かに震わせながら言葉を紡ぐ。

 

「私は帝国軍人としてではなく、一人の男として彼らの戦いに応えたい! 今だけでも過去の遺恨を捨てて、世界の敵と戦っていただきたい! だが、死ぬなよ、同士諸君! この戦いは国同士の戦いではない。我々魔法世界人の尊厳を守る戦いである。二十年前にここで散った多くの英霊達が無駄死にでなかった証のために。今、若人の熱き血潮を我が血として、大人として軍人としての責務を果たす時が来た。多くが失われよう。それでも残された子供達が未来を作っていってくれると信じたい!」

 

 先行した精霊獣一族を追いかけるようにヘラス帝国軍旗艦グラムヘイルが前進する。ここで負けてしまっては意味がない。彼らにはもはや退路などはないのだから。

 

「南の古き民と北の新しき民は古くから様々な確執を持っている。二十年前も争いあったばかりだ。この声を聞く者の中にも家族を、友を、恋人を失った者もいるだろう。そう簡単に恨みや憎しみを捨てられるとは思わん」

 

 彼らの中には互いに敵として殺し合った者も、ただすれ違っだけの者もいる。

 恨みは胸に押し込み、目は戦いが展開される前だけを向いていた。

 胸に去来するのは遠い過去に忘れ去ったはずの感慨の二文字だ。多くの兵の先鋒に立ち戦場に臨んだ。艱難辛苦に満ちていながらも、なお懐かしきあの日々。

 

「だからといって次の世代に伝えるべきではない。こうして肩を並べられたことが分かり合える切っ掛けとなろう。そうであれ、と切に願う」

 

 兄弟だと、生きるも死ぬも同じだと、役職としての上下こそあれ、世界の為に戦う同志だと。愛国心の為でも、正義の為でもない。戦士として、男として、ただ大切な人に恥じない戦いをしよう。

 

「今度こそ、全ての戦いを終わらせる為のものと成らんことを」

 

 最後にナマンダルは祈るように言った。

 

「同志達よ、我に続け!!」

 

 恥を背負う大人達の声には、焼き入れした鉄のような鈍く静かな覚悟があった。その宣言に沸き立ちながら、グラムヘイルに負けまいと増援艦隊が進撃を開始する。

 全ての悲劇を弾き飛ばせとばかりに、ここは俺達の世界だと押し流すように。

 

 

 

 

 

 精霊砲の一斉射撃で空いた空間を召喚魔達が埋める前に、艦隊の艦艇から装備も国籍も種族すらも様々な戦士達が続々と飛び出していく。

 戦士達が飛び立ってからも砲撃が重ねられ、砲撃の隙間を縫うように激烈な弾幕を支えにして多くの戦士達がいざ戦場へと足を踏み入れる。数百、数千、数万にも達する戦士達が恐怖と絶望と勇気と誇りに満ちた戦場へと旅立っていく。

 爆煙を掻き分けながら召喚魔へと向かっていく。

 

「総員、構え!」

 

 真っ先に爆煙を掻き分けた人族の戦士が後に続く者達に叫ぶ。

 ほんの少し前まで敵対関係にあった国々や人種が参加していた。間断なく迫り来る召喚魔の群れに向けて銃身・砲身・各個人の攻勢の狙いを並べ、迎撃行動に加勢する。そこには親しげな言葉を交わし合うような通信や会話など皆無だった。当然だ。一時的に協力しているとはいえ、彼らは仲間ではないのだから。

 

「放て―――ッ!」

 

 叫んだ人族の戦士の行く手に幾つもの煌めきが生じた。

 稲妻のようにも見える発光体が尾を引きながら放たれた。集まった魔法戦士達が放つ魔法の射手が夥しい数となって、雨のように召喚魔達へと飛来する。

 ミサイルのように先行した魔法の射手が召喚魔の躯へと炸裂して爆発する。

 今の攻撃で決して少なくない召喚魔が消滅し、多くのものが手数を負った。消滅した召喚魔達は総数からみればあまりにも慎ましやか。全体で見れば毛ほどの痛みも感じない。

 成果を確認するまでもなく近接近型の戦士達が突っ込み、命を刈り取っていく。

 

「あそこで子供達が戦っているのに、大人達の俺たちが命を惜しんでどうする!」

 

 誰もが互いをカバーするように動き、叫び、邁進している。

 こんな最悪の状況で、全てが一つに纏まっていく。

 全ての勢力が集結した軍勢は、予想していなかった勢いをもって発火し、爆発した。その熱波は一気に膨れ上がり、見えざる爆風で押し返すように錯覚させたほどである。

 間断なく続く閃光、そして爆発音。空が燃え、激しい爆音が空間を蹂躙し、宙を浮く岩石も、死体も、何もかもがごたまぜに撒き散らす。

 魔法が、気撃が、兵器が、肉体が、空を引き裂いていく。

 一秒ごとに崩壊していく景色。大地を抉るクレーター。たった一日前までは賑やかだった場所が、無残に踏み躙られていく。まるで地獄、文字通りの戦場であった。

 

「奴らから俺達の世界を取り返せ!」

 

 所属の違うものと背中を預けあいながら、別の勢力の亜人もまた人族の戦士に負けんと炎で応じた。

 真っ向からぶつかった召喚魔が爆炎に巻かれ、その炎の中へと自らを飛び込ませた。一瞬、視界が赤く閉ざされるも敵の位置と動きは目に焼き付けてある。どの辺りに敵がいて、どの方向へ進んでいたのか。直前に焼き付けた光景から現在の位置を予測して攻撃を重ねる。

 淡い幻想を抱くことさえ空しいほどの、短い一時のことだと分かっていても、確かに今は、自分達の間に横たわっていた境界線が消えていた。

 

「子供だけに任せるな! 大人なら自分達の未来ぐらい自分達で掴み取れ!」

 

 新たな、そして大きな爆発が生まれた。

 次々と色んな勢力の者達が参戦してきて四方に閃光が煌めく。

 

「喰らえ!」

 

 闘志を叩きつけるように頭に角を生やした亜人の男が吼えて、光の槍とも見える魔法の矢が召喚魔の全身に穴を穿つ。

 絶望の戦いの中にあって、彼らは真の軍人であろうとしている。戦う力を持つ者も民間人を守り抜く戦士であろうとしている。凄まじい争いになった。

 

「飛び込め!」

 

 歴史を紡ぎ上げてきた全てが徒労ではなかったと証明するために、二千六百年の間に積み重ねてきた知識と技術がある。それが挟持だ。失くしてはいけない自分たちの誇りだった。

 世界の裏にどんな真実があるのかは知らない。だけど二千六百年、されど二千六百年。積み重ねられてきた人々の気持ちがある。その意思が連綿と紡ぎあい絡み合いながら今日まで受け継がれてきた。

 秘密と謎の闇を晴らさんとする子供達が先陣を切ってくれている。どんな真実があろうとも、きっと魂は穢れはしない。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 一度人のついた勢いは、なかなか止められるものではない。

 

「グギャアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 対して、連合軍の猛攻を受ける召喚魔達も、簡単に崩れはしなかった。

 例え士気や勢いで劣ろうとも、彼らは数を揃えている。そして、主の意志によって攻撃本能を全開にしている。連合軍を上回る物量を最大限に活かし、がっしりと構えて一歩たりとも退かなかった。

 近接戦闘と遠距離戦闘が渾然となり、世界を血で染めていく。心身から発散する熱気が空気に溶けて、熱が戦友へと受け継がれる。

 後の事など考えない。いま、この時に命を燃やす。

 戦意は過剰なまでに魔法世界人側が上、数は圧倒的なまでに召喚魔が上、個々の戦闘能力は召喚魔が上、連携は魔法世界人が上、という、幾つかの要素が複雑に絡み合い、戦場の状態は膠着状態に突入していた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗がりの中でただ一人、ネギ・スプリングフィールドは顔を伏せて座っていた。

 岩の上に座り、見るともなしに地面を眺めていた。だが目は虚ろで、そこには何も映ってはない。魂でも抜け落ちたかのように、心は驚くほどに空虚だ。ネギは何も考えられなくなっていた。

 遥か頭上で、一際強い閃光を放つ流星が空を引き裂いていく。次いで大地が鳴動した。揺れは立っているのが困難なほどの激しさで、岩に座っているネギも揺り動かした。それでもなお、ネギの心には波一つ立っていない。

 赤黒く染まる空を見つめるように顔を上げて、夢見るような表情を浮かべるだけだ。

 

「父さん………」

 

 ネギの口から、抑揚のない淡々とした声が零れ落ちた。彼の瞳は中空を彷徨う。だがどんなに恋い焦がれ、思いの丈をぶつけようとも想像のナギが振り向くことはない。

 ナギを追い求め、彼に近づくために人であることすら捨てかけたネギである。ショックは計り知れない。もはや自分自身に価値すら見い出せない有様だった。

 分かっている。立ち上がって行動するべきだ。まだ何も終わったわけじゃない。だけど、自分はアスカのように強くはない。強くはなれない。

 みんなが自分のことをどう評価しているかは知らないけど、何時だってふとした時に弱い自分が顔を出す。

 何も出来ないのか、また失ってしまうのか。怖い、嫌だ、耐えられない。自責と鼓舞が、今だけ自分の心を打撃する。急かされ、焦らされ、それは自己嫌悪につながって吐き気までする。

 いま顔を上げたら、光の眩しさで目がつぶれる。馬鹿馬鹿しくて、情けなくて自分が日陰を這いずってようやく生を繋ぐ虫けら以下だと思い知らされた気分だ。

 

(このまま消えてなくなればいい)

 

 その間にも大地は裂け、空は粉塵と火花で塗り潰されていく。吹き荒ぶ風は熱を孕み、草木が焼ける臭いが鼻をついた。

 気がつけば辺りは火の海だ。野焼きでもしているかのように、四方から迫る炎で退路は断たれ、じわじわと範囲は狭まっている。行動を起こさなければ、やがて火はネギにまで到達して全身を焼き尽くすであろう。

 

(もう終わりにしよう…………)

 

 そんな覚悟と共に、ネギはそっと目を伏せた。後は最期の時を静かに待つだけだ。

 唸り声にも似た業火の音が徐々に迫ってくる。

 

「こんな所でなにやってんだよ、兄貴」

 

 不意に、目を閉じた闇の底にいたネギに聞き覚えのある声がかけられた。

 

「相変わらず普段は上にクソが付く位の真面目なのに、一端崩れると際限ないな兄貴は」

 

 だけど、ネギは顔を上げられない。この声の主はネギの未熟が、傲慢が引き起こした行動によって犠牲になったはずだ。

 誰よりもネギを理解してくれた一番の親友。ネギが修得した闇の魔法で暴走したのは現状への恨みだけではない。他でもなく、一番の友を失った自分自身への無力と絶望こそが引き金となった。

 

「また泣いてるんですかい?」

 

 伏せた頬に柔らかい毛で覆われた指先が触れた。

 懐かしい温もりに幻か、とも思う。

 安易な願望が夢を見せてくれていたとしても構わない。幻でも傍にいてくれるなら構わない。

 もう随分と昔に感じられるほど懐かしい。失ってしまった友と再び出会えた奇跡に我知らず流していた涙を拭われた。

 温かなその感触が夢ではないと実感させる。けれど、立ち上がる力を失くして無力感に支配されたネギは、そんな幸せを直視できない。疑ってしまう。目を開くのが怖い。ここで目を開けて、傍に友がいなかったらネギは壊れてしまう。

 

「カモ君?」

 

 悲しみでも、哀悼でも、悔恨でも、憎しみでもなく、顔を歪めて噛みしめて、恐れるようにいなくなったはずの友の名を呼んだ。

 

「そうだぜ。俺っちのこと忘れちまったか」

 

 ネギの自分の分も知らない愚かな行動の所為で死んでしまったというのに、柔らかくて軽快な口調で声も変わらない。

 

「嘘だ」

 

 自分なんて庇わなければ良かったと恨んでいるはずだ。何で死ななければいけないのだと憎んでいるはずだ。何であんな馬鹿なことをしたんだと罵られるはずだ。

 

「兄貴が心配で、うっかり死んでもいられなくてよ。ちょっとだけ戻って来たぜ。なあ、目を開けてくれよ」

 

 なのに、声は変わらず優しい。

 

「嫌だ」

 

 友の優しさを信じれなくて首を横に振った。まだ出会った頃のように惨めで弱く甘えたことしか言えない頃にまで退化して駄々を捏ねた。

 ネギが目を開けない限り、友の全ては幻なのだ。幻でも傍にいてくれるなら自分が立ち上がらなくても良いとすら思っていた。

 

「カモ君は死んじゃったんだ。僕を置いて死んじゃったんだ! 勝手に死んじゃった奴の言うことなんか聞けないよ!」

 

 ずっと先を見つめすぎて手元にある光を零してしまった。光がどれだけ自分を照らしてくれていたか、失って初めて気づく始末。

 

「傍にいてくれるだけで良いんだ。一人じゃ無理なんだ。独りじゃ無理なんだよぉ…………」

 

 馬鹿みたいだ。なんて弱い愚かな生き物。力を手に入れて強くなったはずなのに、傷を自分で穿り返して当り散らした馬鹿な男。

 心を強くする方法を知りたかった。痛みも苦しみも何もかも捨て去って、強い生き物になりたかった。けれど、自分は弱いまま。友を目の前で失って強くなると誓ったのに、心はずっとあの時から進むことを止めていた。

 どうして自分は、こんな痛くて苦しい思いをして身体を醜い異形に変貌させてまで強くなろうとしたのか。嫌なことがあって独りぼっちになってまで生きているのだろう。何かを考えるのがひどく億劫だった。

 

「独りはしんどいよな、兄貴」

 

 友は自虐に沈むこちらを眺めて、ぽつりと独白した。 

 

「どこで間違えちまったんだろうな。どこで道を踏み外しちみまったのか」

 

 きっと友がネギの目の前で死んでしまった時だ。他に理由があったとしてもネギは自分自身に原因があると考える。

 

「もしかしたら、ずっとここにいるのが兄貴とって良いことなのかもしれねぇけど」

 

 ここには何もない。強者も弱者も、勝者も敗者もいない、ネギにとって優しい世界。現実は苦しくて残酷で地獄のような世界だ。

 

「兄貴には行かなきゃいけない場所があるだろ。待っていてくれる人たちがいる。何時までこんな所で蹲っているわけにはいかないぜ」

 

 言いたいことは分かる。だが、ネギは二度と力を持ちたくない。

 戦うのが怖いのではない。人を傷つけるのは嫌だが、それだけが理由ではない。力を持つこと自体が恐ろしいのだ。未だ自分は、何のためにどう戦えばいいかを知らない。そんな自分が力を手にすれば、闇に呑まれた時のように再び誤って誰かを傷つけるのではないかと、それが恐ろしい。

 立ち上がろうとも同じことになると、ネギは確信を込めた言葉を吐いた。

 

「僕じゃアスカみたいには成れない! アスカみたいに強くないんだ!」

 

 今のネギがあるのは、己の対極であるアスカがいたからだ。アスカを超えるべき壁として精進してきた。

 アスカがいなければ、ネギは今の自分ではなかっただろう。失敗があった。苦しみがあった。挫折があった。吐き気のするような敗北感と、無力感を与えて己を鍛えてくれたのはアスカだった。

 憧れたのだ。男として、戦う者として、あのよう在りたいと。でも、アスカのように強くなれない。同じ種から別れたはずなのにアスカのようには成れないのだと悟ってしまった絶望は大きい。

 

「はぁ~、ハッキリ言うぜ? 兄貴はアスカの兄貴のようには絶対に成れない」

 

 カモは呆れたように頭を振って深い溜息を吐いた。

 

「当然だ。二人は違う人間なんだからな」

 

 カモの眼差しは痛いほどの力が籠っていた。それは迷っていたネギの心を大きく動かす力だった。

 持たざる者は持てる者を妬み、自らと違うものを人は容易に貶める。何が正しくて何が間違っているのか、何が重要で何が不要か。誰が敵で誰が味方か――――それらは、時代や状況、立場によって縛られた限られたものにすぎない。

 同じであること、違うこと。人はつい、それにばかり目を止めてしまう。だが、誰もが同じでいる必要があるだろうか。少しばかり頭が良くて、人より強くても、そんなことで一人一人の価値を極めて優劣をつけること自体がおかしい。

 人の価値は、その人自身が大切に持っていればいいだけのもの。ましてや他人が決めるものではない。人の存在に、価値なんてつけようがないではないか。誰が死んでも悲しむ人はいる。それはその人の頭がいいからでも、腕っ節が強いからでもない。その人がその人自身だからなのだ。

 人はその表面だけを見て、理解した気になってはいけない。

 

「弱くても醜くてもいい」

 

 言葉が一つ一つ染み込んできて癒されていく。

 

「アスカの兄貴みたいに強くなれないことに負い目を感じて一人で背負い込み過ぎなんだよ。のどか嬢ちゃんに相談してみな。きっと二人でなら答えを出せる」

 

 ネギはさっきの勢いを失い、子供のように項垂れる。思い返すと、自分は一人でこの世の悪を背負い込んだような気持ちで、冷静さを失って空回りしていた。それは何をしてもただの自己満足だ。個人的な思い入れで動かされている場合ではななかったのに。

 

「そうさせちまったのは、俺っちが死んだ所為もあるんだろうけどよ」

 

 沈みかけたネギの気持ちを引き上げるように、カモは心からの笑みを浮かべる。

 

「だからな、何時までもそんなものに振り回さちまったらいけねぇぜ。アスカの兄貴は兄貴で、ネギの兄貴は兄貴なんだからよ」

 

 それは、これまでネギが思いつきもしなかった考え方だった。彼は思わず目を見開いて相手の言葉に聞き入る。

 

「兄貴は自分が成りたい自分に成ればいいんだ」

 

 真っ直ぐな言葉というのは、スッと胸を突く。理屈はなくても、理由はなくても、心の底に染み渡る。

 ネギがネギであるように。またアスカがアスカであるように。

 不思議とその言葉は、ネギの心の隅々まで染み渡った。その通り、アスカはアスカ、自分は自分だ。ネギはアスカと違った道を選んだのだ。頭では分かっていたはずのこと。だが自分はきっと、誰かにそう言ってもらいたかったのだ。

 ネギは、今は素直に相手の言葉に耳を傾けていた。カモは優しい笑みを浮かべて言う。

 

「カモ君は僕を恨んでいるんじゃないの?」

 

 聞かなければならなかった。聞かなければ、ネギはどこへもいけない。

 

「恨むなんてとんでもねぇ。死ぬのは怖かった。でもな、兄貴が死ぬ方がもっと怖かった。その為には怖いとか言ってられない。体が勝手に動いちまった。それだけだったのさ」

 

 そうだ、みんな怖いのだ。怖くても、いいのかもしれない。まだ言葉にならなかったが、ネギはそう思い、瞼を閉じた。

 

「誰の所為でもない、そいつに起こったことは、そいつ自身が引き受けるしかない。自分に起こったことも。俺ッちは兄貴を守れたんだ。この結末に後悔なんてしちゃあいねぇ」

 

 分かっていた。最初から全部分かっていた。ネギは現実を認めてくなかったのだ。

 受け入れたネギの心が憎悪が消え、悔恨の雫が滲み出す。

 

「どうも兄貴は後ろを振り返ってばかりだ。それ自体は悪くはない。過去を振り返って失敗から学ぶことは必要けどよ、人間は前を向かないと困難に打ち勝てない。未来は常に前にある」

 

 何一つ、上手く進まない――――――そんな焦りと虚脱が、またもネギを襲ってくる。

 

「その原動力は誰かの為、何かの為、みんなそうなんじゃねぇかな」

 

 カモの言葉がネギの心にするりと入ってきて今まで欠けていた部分にピタリと当てはまった。

 

「思い出せ。兄貴は一体、何のために強くなろうと思ったんだ?」

 

 その声には、ネギに対する信頼が籠っている。ネギの中で何が大きく揺すぶられ、動き始めていた。

 不思議だった。ネギは自分でも不思議なほど落ち着き払っていた。何を思い悩む必要があろう。すべきことは一つではないか。

 一つ一つ確かめていこう。一つ一つ迎え入れよう。弱くて馬鹿な自分をこれまで支えてくれた、みんなを気持ちを。父の為、夢の為って題目で大切なものを見失いそうになっていた。随分と遠回りをしてしまった。

 もう怖がらない。前へ進む。

 

「強くなろうとした理由か…………そんなの分かっていたのにな」

 

 ネギは悔やんだ。悔やんだが、生きていると思えば、まだやれる気がした。まだ心は完全には折れていなかった。

 ネギの瞼に映ったのは、自分の遥か先を歩む双子の弟の背中だった。

 アスカ・スプリングフィールド。自分は、ああは成れない。あのような芯から誇らしい他人に認められる生き方は出来ない。何度も転んで、何も蹴躓いて、みっともないことこの上ないやり方しかできない。

 だけど、それでも譲れないものが胸の裡にある。

 ナギ・スプリングフィールド杯決勝での戦いを思い出す。

 肌を震わす空気の振動、圧し合う裂帛の気合。拙い、どこまで行っても不毛な相手を否定するだけの惨めな八つ当たりを続けた自分、己が意思を相手に伝えるために叩きのめそうとしただけだ。

 勝利したところで得るものなどない。そんなものは初めから、病的なまでに張り付いて離れない。

 ネギはネギのまま、アスカはアスカのままで結局、何一つとして変わっていない。それも仕方のないことだろう。ネギもアスカも、あんな戦いで何かが変わると信じていたわけではない。まったく、割りに合わない事この上ない。

 一時間にも満たない戦い。それだけの時間が、今はこんなにも懐かしい。もう随分昔の事のようだ。それでも、目を閉じれば思い返せる。考えてみれば何も知らなかった。アスカの決意も、アスカの苦しみも、この恐怖の味さえも何一つ知ろうとしなかった。

 

「何をやっているんだ、僕は。一人で、こんなところで。情けない。本当に情けない」

 

 落ち着いて周りを見渡せば世界はこんなにも広かったのだ。こんなにも沢山の人が響きあっている。

 人間の人格は、脳内ではなく環境によって構築されている言われている。誰かと語らった、誰かと笑った、誰かに怒った、誰かのために泣いた。そういう幾多の関係が、人間を作っているのだと。

 それは、たった一人では、人は人足りえないということ。如何なる英雄であろうが、如何なる天才であろうが、一人で完成された人格など幻想にすぎないということ。

 

「兄貴は頭は良くても考え込み過ぎちまって突拍子もないことを仕出かしちうまうからな」

「その通りだけど笑えないよ」

 

 強い力で身を守ることで他人を傷つけることしか出来ない過去の自分。未熟で、拙劣で、短慮で、増長していた頃のアスカと同じくらい弱い。あの頃のアスカと、今の自分と、アスカと自分と。

 何が違うのか、それは分からない。或いはアスカが自然と今の自分になったように、その違いはいずれ曖昧になって、どうでもよくなってしまうのかもしれない。

 そのことにネギが気づけば自然とアスカやナギ、ラカンたちがいる領域に届くだろう。ネギの力は既に片足を踏み込んでいる。後は精神的な問題に過ぎないのだから。

 

「無理にでも笑っときゃいいのさ。笑う門には福来るものんだぜ」

 

 今も完全に屈託が失せたわけではないが、もうネギは躊躇うことはない。

 自信満々に主張しよう。これが自分の名前、これが自分の人生だと。今の自分を築き上げた全ての時間を凝縮し、名前に込めて発しよう。

 

「僕は進むよ、カモ君」

 

 止まるわけにはいかない。時には振り返っても、足を止めて蹲っていては何も変わらない。ただそれだけの想いで立ち上がる。

 どれだけ道を踏み外そうが、最後の最後には少年の心は光を求めてしまう。結局のところ、それがネギの見出した真実だった。

 

「それでいいさ、兄貴」

 

 無様でいい。誰にも褒められなくても、馬鹿なことをしていると罵られても行動する。蹲って目を逸らせば傷つかないかもしれないけど、何も変わらないのだから。

 進み続けることが出来るのは生者の特権。既に死した者に出来ることはその背を押すことだけだとカモは悲し気に理解していた。

 

「あ……」

 

 立ち上がったネギの世界は一変していた。

 周りはどこまでも続く草原が広がり、空の果てに光がある。無限にも近い世界の果てに、針穴ほどの小さな光がポツンと浮かんでいた。光にしては儚く、しかしながらそれは確実に存在している。

 その光に暖かさはない。しかしその光には切なくなるほどの眩しさで無数の命の灯が確認できる。

 求めて止まなかった一筋の煌めきの道に向かって歩みだすと、世界が光のベールに包まれ始める。幾筋もの光の帯がネギの体に絡みつき、その中心へと誘っていく。

 

「きっと辛い道になる。止めるなら今の内だぜ」

「かもしれないね。でも、今更だよ。僕は最初から覚悟してこの道を進むと決めていた」

 

 ナギを目指すというのはそういうこと(・・・・・・)であると六年前の時点で想像できていたことだ。覚悟していたつもりでも甘さはあったが、もう足を止めることはない。

 この道を進んで行けば、ありとあらゆる艱難辛苦がネギを襲うだろう。それでもネギは敢然と顔を上げた。恐怖を感じぬ者は戦士ではない。恐怖を感じて、それを克服する者が戦士足りうる。ネギは今この時より戦士となる。

 

「そっか。もう覚悟は決めたんだな」

 

 深呼吸してから、ネギの決意にカモは少し寂し気に笑った。

 子の巣立ちを前にした親鳥のような気持ちで、語る言葉はこれで最後と決める。

 

「最後に言っておきたいことがある。遺言と思ってくれていい」

 

 光を見つめるネギが顔を上げると、カモは目だけで微笑んでいた。

 ギチギチとネギの内側で闇が暴れだす。両腕に浮かび上がる、塒を巻いた翼の紋様。それが禍々しい光を伴い肥大化していく。

 ネギは怒りと憎しみが与えてくれる闇の力を感じた。しかし、巻物のエヴァンジェリンから闇の魔法を習得する前に制御方法を既に教わっている。どうして今まで忘れていたのか。教えられた戦うための心の置き方を思い出し、それらを心の奥深くに沈めた。

 戦いを恐れ、敵に対して臆病になり、用心する。自分の戦う理由を忘れないことが肝要だった。怒りと憎しみの力に呑み込まれてはいけない。歯を食い縛り、呑み込む。善も悪も、強きも弱きも、全てを呑み込むのが『闇の魔法』なのだから。全ては心の持ち様。闇を受け入れても呑まれず、光を求めて突き進む。

 ネギの心の在り様の変化に従い、闇に包まれた世界が音を立てて崩れてゆく。

 

「どんな絶望に支配されても、前を見て進め。兄貴には蹲っているよりも前へ向いて走っている方が似合っているぜ」

 

 地は深緑の草原、空は紺碧の海。清々しい風が頬を撫でた。夜空を照らす星の光が逆光になってカモの姿が判別できない。

 

「頑張れ、兄貴!」

 

 それでもきっとカモが微笑んで送り出してくれていることだけは間違えようもなかった。 

 

「行ってきます」

 

 身体を突き抜けていく穏やかな光に身を委ねる。世界は白一色に染まり始め、やがてネギは白き世界に身を溶かしていった。

 死者は止まり、生者は進む。ただその理に従って。

 

 

 

 

 

 戦端が開かれて数時間が経った新オスティアは連合軍の奮戦によって市街地に主だった被害は出ていない。

 動かせる全ての船を使って民間人の避難は順次進められているが、祭りの開催期間中で多くの観光客がいることもあって避難は遅々として進んでいない。

 まずは港に押しかけた希望者から避難が始まっているが、中には自力では動けない者もいる。そして宮崎のどかもまた逃げる場所などないからナギ・スプリングフィールド杯決勝後から眠り続けるネギ・スプリングフィールドの傍を離れなかった。

 このまま死ぬのかと思い、それでもいいかと諦めていた中で突如としてネギは目覚めた。

 

「ネギ先生!」

 

 重度の魔素中毒に似た症状に侵され、何時目覚めるか分からないと言われていたネギがあっさりと瞼を開いたことに驚きながらも駆け寄る。

 

「のどかさん……」

 

 体を起こしたネギは胸元に抱き付いてきたのどかを受け止めながら一粒の涙を流した。

 縋りつくのどかの背を撫でながら細くなった体に彼女が感じていた心労を思い、ネギは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

「迷惑をかけてしまいましたね。ごめんなさい」

「そんな、私の方こそネギ先生に何も出来なくて」

 

 ちょっとした気持ちのズレが積み重なり、お互いの間に溝を作っていた。求め合う気持ちが強ければ強いほど、そうなってしまうのも人と人の関係なのだろう。溝が二人を引き離すように働く。

 ベットから上半身を起こしたネギは光を放つ外を見る。

 

「…………みんな、戦ってるんですね」

 

 医務室の窓から見える外はとても夜とは思えぬほど明るく、魔力の川が空全体に広がっている。川の根元を辿ってみれば、大戦時に堕落したはずの墓守り人の宮殿がある方角に繋がっている。

 ネギの鋭敏な感覚にはその場所で数多の魔力がぶつかり合っているのが感じられた。

 

「駄目です!」

 

 ネギが騒乱の場所に行こうとしているのを感じ取り、のどかは全力で止めた。

 

「ネギ先生はまだ動いてはいけません」

 

 魔法世界でずっとネギと共にいたのどかはどれだけ苦しい目に遭って来たかを良く知っている。

 のどかの所為で奴隷に落とされ、望まぬ戦いを強いられ続けた。親の所為で襲われて腕を切り落とされたこともあった。ネギにとって魔法世界の日々は苦しいものだったはずだ。

 

「戦いはあるかもしれないですけど、私達には関係の無い世界じゃないですか。もう十分でしょう」

「関係なくはありませんよ」

 

 この一ヶ月を過ごした世界だ。もう関係ないなんて言えない。何よりもこの世界はネギの父が戦って世界を救い英雄と呼ばれており、母の生まれ育った世界をとても無関係と言えない。

 

「それにアスカ達も戦ってるんでしょ。僕だけ大人しくしていることなんて出来ません」

 

 これだけの異常事態と多数の魔力が衝突している中であのアスカが黙って傍観しているはずがないと、散々首を突っ込んできた今までの経験から直ぐに分かる。そしてその場合、ネギが待っていることも同じようにありえない。

 

「大人しくしていることのなにが悪いんですか。戦えることが偉いとでも」

「悪いということじゃありません。すみません、言い方が悪かったですね」

 

 ネギにそのような意図はなかったが、戦うことを選ばなかったのどかには酷な言葉だったのだろう。

 言い募ろうとした言葉を遮り、言葉が足りなかったことを謝罪する。

 

「決めたんです、前に進むと。その為には皆で麻帆良に帰らないといけません。もう夏休みも終わりですから」

 

 自分を見つめ直す為にもこんな戦いは一刻も早く終わらせて新学期の準備をしなければならない。

 

「これでも僕は先生ですからね」

 

 そうあれと望み、そうしようと尽くせば、誰でも願うことを叶える可能性が与えられるのだ。無論それが叶わないことも多いが、歩くことを止めなければ前に進むことは出来る。

 人は変われる。望む何かを手に入れられる自分に変わることが出来る。ネギはそう信じたい。

 

「待っていてくれますか、のどかさん」

「…………一緒に来てくれとは言ってくれないんですね」

「言えませんよ」

 

 言えるはずがない。しかし、それはのどかに問題があるのではなく、ネギの方に問題があった。

 

「そんなに私が信用できませんか。私が女だから、弱いから」

「そういう問題じゃないんです。仮にのどかさんに付いてきてもらっても僕は戦えません。例えのどかさんに戦える力があったとしても、好きな人と共に戦場に立てるほど僕は強くはありません」

 

 力の問題ではない。強さの問題ではない。心の問題だ。

 

「待っていてもらえませんか? そうすれば僕はどんな場所からでも必ず帰って来ます」

 

 酷い言葉だと自分で言っていてネギは思った。

 

「何を言っているのか、本気で分かっていますか」

 

 足元に近づいて来る蟻を追い払うような淡々としたのどかの口調に、冷水でも浴びせられたかのような悪寒がネギの全身を駆け抜けて行く。足元からせり上がる本能的な恐怖が、自然と体を震わせた。

 数秒か、数分か、空間が凍結したかの如く、世界から音が消え失せていた。

 目の前にいるのどかの姿がしっかり見えているのに、脳がそれを正しく認識しない。

 

「分かっていて言っています」

「…………酷い人です。私が断ることを微塵も疑ってない」

 

 のどかの胸中に怒りや悲しみなど、ありとあらゆる感情が胸中に去来する。激情が理性を押し流す。烈火の如く燃え盛る瞳には、つい先ほどまであった揺らぎはない。代わりにそこに浮かんでいるのは、ネギには分からない感情の色。

 

「そんな勝手なネギ先生なんか嫌いです」

 

 その言葉に、肉を剥ぎ取られたような痛みがネギの胸の中に宿る。どくどくと血が流れている。ここまで思われていたのか、疎まれていたのか。

 言葉が胸に刺さる、というのはこういうことだと思った。絶望が言葉という形を借りると、こんなにも人の胸を抉る力を発揮する。言われた者の心境を容易には想像できぬほどに。

 これほどの想いを負わせるほどに自分の存在は、のどかを追い込んでしまったのか。

 原因がなんであれ、一つのボタンを掛け違えれば永遠にすれ違い続ける脆さが人の関係にはある。自分の愚かさに腹を立てながらも、どうしようもなく悲しかった。

 

「って言えたら良かったんですけど」

「え?」

「冗談です」

 

 仕方のないことを言った自覚があったネギは何を言われたのか分からなくて、知らずに下げていた顔を上げるとのどかは舌を出して笑みを浮かべている。

 舌を収めたのどかは少し気恥ずかし気に頬を赤く染めながら、ポカンとしているネギを真摯に見つめる。

 

「私が好きになったのがネギ先生の前を向いて進んでいく姿ですから」

 

 のどかが好きになったのはネギのそうやって前へと進んでいく姿なのだから、好きになった方の負けということなのだろう。

 

「待っていますからちゃんと帰ってきてください。じゃないと迎えに行っちゃいますからね」

「肝に銘じておきます」

 

 お互いに苦笑を浮かべ、同時にネギの足下から起こった風が着衣の袖口や裾をはためかせて髪の毛をフワリと持ち上げた。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル」

 

 窓を開けて始動キーを唱えると、背中にのどかが抱き付いてきた。

 

「契約により我に従え高殿の王、来れ巨神を滅ぼす燃え立つ雷霆、百重千重と重なりて走れよ稲妻」

「行かないで」

 

 詠唱に掻き消えるほど小さな声で引き止められる。それはきっとのどかが押し隠した本音。

 絞り出した声が嗚咽に呑み込まれ、吐き出しきれない感情が雫になって目から吹き零れた。小刻みに震える肩に触れ、ネギは振り返って泣くのどかをそっと抱きしめた。全身を包む重みと温もりがネギの存在を伝える。

 

「千の雷」

 

 ネギが魔法名を口にした途端、彼を取り巻く風が轟と音を立てて渦巻いた。

 そっと二、三歩離れたのどかは引き止めた言葉は聞き間違いであったと勘違いさせるほど柔らかい笑みを浮かべている。

 

「掌握、術式兵装『雷天大壮』」

 

 ネギの肉体は千の雷を霊体と融合させ、荷電粒子の塊と化した。

 その身を精霊に近づけたネギがのどかを見ると、彼女は仕事に行く夫を見送るように手を振っている。

 

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

 言ったネギは雷光と化し、のどかの目の前から消えた。

 

「…………バカ」

 

 医務室に残されたのどかは閃光となって一人で戦場に向かったネギに、聞こえない言葉を贈ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 魔力の渦を突破したネギの耳に女性の悲鳴が聞こえた。更に速度を上げ、声の聞こえた方向―――――墓守り人の宮殿の都市部の抉られた地点へ向かう。

 そこには、小太郎が、古菲が、楓が、茶々丸が、アスカが、木乃香がいた。誰も彼もが一目で見て重傷と見て取れるほどの傷を負っており、茶々丸に至っては上半身と下半身が分断されていた。

 小太郎は氷柱に閉じ込められ、傷ついたまま動かない古菲、傷は少ないが動かない楓、木乃香に抱えられたままのアスカは意識がないのかピクリとも動かない。

 その中で木乃香はフェイトに似た制服で似たような容姿をしているが髪型が違う奴に魔法で出来た雷の槍を突きつけられている。彼女の服は袖を残して剥がされており、上半身はほぼ裸に近い状態だった。

 ネギは飛行の勢いのままに、雷の槍を放とうとしているフェイトに似た青年――――――2(セクンドゥム)の顔に蹴りを入れる。

 

「るるぺらあん!!」

 

 ジャック・ラカンの全力の一撃に比べれば劣るといっても雷速の勢いを乗せた蹴りが、完全無防備だった2(セクンドゥム)の顔にめり込み、変な叫びと共に軽々と吹っ飛ぶ。

 不意を突かれたといってもそこは造物主の使徒。何度か地面を跳ね回りながらも最後は手を付いて足から着地して見せた。

 

「くっ……き、貴様は!」 

「大丈夫ですか、木乃香さん」

 

 誰何してくる2(セクンドゥム)を無視し、危険なため一時的に雷化を抑えてから涙で顔をクシャクシャにした木乃香の体を引き起こして、目線を合わせるように片膝をついた。

 

「遅くなりました」

 

 目は泣き腫らして赤くなり、手入れされている髪は血と埃で汚れている。露出した白い肌には、幾つも青痣も見受けられる。自分の服を脱ぎ、上から被せる。身長の問題で全ては隠せないが、ないよりはマシだった。

 いまだ茫然自失でいる木乃香の肩を揺さぶり、声をかける。二、三回、体を揺すり、軽く掌で頬を叩くと、ようやく彼女の目に生気が戻り始めた。木乃香の目が、ネギへと向けられる。

 

「ネギ君!」

「これから、あいつらを倒します。もう大丈夫です」

 

 ネギは木乃香に頷いてみせると、立ち上がって振り向いた。

 自分が蹴り飛ばした相手、その近くにいる似たような格好と容姿をした者や同類らしき者達、一番奥でネギが願い求めていた(ナギ)を睨みつける。

 

「よくもみんなを…………許さないぞ、お前達!」

 

 今の感情を表すように全身から多量の紫電を迸らせ、闇の底から復活したネギ・スプリングフィールドの怒りの叫びが響き渡った。全身が弾けるように輝きを増すと空気が裂け、数条の雷光が放たれた。

 周囲の地面に幾本もの雷撃が突き刺さる。

 

「英雄の息子のもう一人の方か。とんだどんでん返しもあったものだが」

 

 悪意と狂気に満ちた強烈な殺気をネギへと放っていた。

 

「今の一撃から推察するに我らに並ぶ力を持っているようだが。たった一人でやってきて何が出来るというのだ」

 

 敵は巨大で強大で、ネギと同格と思われる相手が三人以上もいる。

 単純な戦力比較をするならば、こちらの陣営で戦えるのはネギ一人だけでは勝ち目はないように見える。

 

(だから、どうした)

 

 そんな簡単なことは分かりきっている。ネギは心の中で吠えた。

 正直に告白するならば恐ろしいし、出来るならば尻尾を巻いて逃げ出したい。だが、後ろに護るべき人達がいて、自分が此処に辿り着くまでに小太郎達が激戦を潜り抜けて来たことを思えば一人で逃げられるはずがない。

 

「不利? だから何って話だよ」

 

 戦うと決めた。どれだけ不利な戦況であろうとも逃げることだけは決してない。

 恐怖を感じぬ者は戦士ではない。恐怖を感じて、それを克服する者が戦士足りうる。

 

「勝つさ。勝つのは、僕だ」

 

 イメージするのは双子の弟であるアスカの背中。何時か追いつき、追い越そうと決めていた背中だ。

 何時もみんなの最前線に立っていたアスカはこんな気持ちだったのだろうか。後ろに護るべき人がいて、前には倒すべき敵がいる。逃げ出したいような気持ちの中で浮かべ上がって来るのは興奮にも似た感情で。

 

「嫌な目だ。貴様も英雄の端くれというわけか」

 

 自分を見据えて来る目がナギやアスカと同質の物である看過した2(セクンドゥム)は油断の捨てた目をしている。こういう手合いがそれこそ土壇場で事態をひっくり返すことをやりかねないと経験で知っていたから。

 

「貴様も父や母がいる幸せな世界に送ってやる。案ずるな、直ぐに貴様の兄弟も送ってやろう」

 

 油断もなく、全身に紫電を走らせた2(セクンドゥム)に呼応するように、4(クゥァルトゥム)6(セクストゥム)も身構える。

 

「油断はせん。数で押し潰させてもら――」

 

 雷のアーウェンルンクスである2(セクンドゥム)が文字通り雷光と化してネギに襲い掛かろうとした正にその時、一歩目を踏み出したところで足元の影が歪んでそこから何かが飛び出した。

 影からロケットの如く飛び出した小さな何かが強かに2(セクンドゥム)の顎をかち上げる。

 

「あぶろぉ?!」

 

 想定すらしていなかった予想外の場所からの攻撃に反応はすれども避けることは出来ず、大砲の如き勢いで放たれた何かの攻撃によって視界がぐるりと一回転する。

 

「な、何奴!?」

 

 完全な意識外からの強打に一瞬意識が飛んだが、そこは造物主の使徒。体勢を立て直し追撃を避けて、未だに消えない影から離れた場所に着地しながら誰何する。

 

「――――――なに、しがない吸血鬼さ」

 

 答えたのは2(セクンドゥム)の顎を強襲した小さな何かではなく、影から新たに浮かび上がって来た金髪の少女だった。その頭の上に2(セクンドゥム)の顎を打った人形――――チャチャゼロが下りて来て捕まる。

 

「き、貴様は…………闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)!?」

「私の名を知っているとは、中々見所があるガキ共ではないか…………と、言いたいところだが、よくもまあ好き勝手にやってくれたものだ」

 

 金髪の髪を靡かせて、孤高なまでに潔く少女はその瞳を凍らせていた。そうしているだけで世界の何もかもが少女に屈してしまいそうな、そんな威厳さえも感じられた。

 チャチャゼロを頭の上に乗せながら、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは不遜な面持ちを隠すこともせず、全てを睥睨して見下しながら2(セクンドゥム)からあっさりと視線を切って歩き出す。

 エヴァンジェリンは先程までいた2(セクンドゥム)がいた場所から真っ直ぐにネギ達がいる方に歩き出す。街中を歩くかのように背を向けたエヴァンジェリンに、2(セクンドゥム)らは警戒して動向を観察する。

 

闇の魔法(マギア・エレベア)か。くだらぬものに手を染めたものだ。若い頃の日記を勝手に覗かれたようなむず痒さだよ」

 

 2(セクンドゥム)らに背中を見せても警戒した様子もないのは絶対な力の自信か。進行方向にいたネギの姿を見て面映ゆげに苦笑いする。

 

「だがまあ、悪くない面構えだ。旅に出た甲斐はあったかな、弟子よ」

師匠(マスター)……」

 

 敵を前にして警戒もしないのは弟子を信頼してくれているのだと、ネギは少しだけ表情を崩しかけたが直ぐに立て直す。

 その姿勢にますます笑みを深くしたエヴァンジェリンは通り過ぎる寸前に肩に手を乗せ、「よく強くなった」とねぎらいの言葉をかけた。

 

「証明してみせます」

「期待している」

 

 戦意も露わに気合を充足させるネギに頷きを返し、歩みを進めたエヴァンジェリンは木乃香の頭にも触れ、チラリと未だ眠るアスカから視線を切って更に進む。目的は木乃香がいる場所よりも更に奥にいる茶々丸。

 

「茶々丸」

「申し、訳、あり、ません、マスター。約束、を、守れま、せん、でした」

「気にするな。その姿を見ればお前がどれだけ尽力してくれたか十分に分かるとも」

 

 半身と腕を焼き切られ、胴体にも穴が開いている茶々丸が途切れ途切れに言葉を重ねる。

 傍目にも分かるほどスクラップ寸前になって、言語機能にも障害が出ている茶々丸を責めるほどエヴァンジェリンは理解の無い主ではなかった。

 

「先に麻帆良に戻っているといい。葉加瀬に直してもらえ」

「いえ、マスター。私は、ここで、最後、まで、見届け、ます」

「しかし……」

「お願い、しま、す。マス、ター」

「…………分かった。チャチャゼロ、茶々丸を頼んだぞ」

「ヘイヘイ」

 

 頑なな従者に折れた主はもう一人の従者に後事を託す。

 

「貴様がその機械人形の主とは思いもしなかったぞ、吸血鬼」

 

 顎を打たれたことで脳震盪を引き起こしていたのか、行動するまでに時間のかかった2(セクンドゥム)はそう言ってエヴァンジェリンを揶揄する。

 チャチャゼロにかち上げられた顎が痛いのか、擦りながら隙を見て動こうとしてもネギが機先を潰している。

 

「情報ではナギ・スプリングフィールドに負けて間抜けにも麻帆良学園に封じられていたとある。人外の貴様が英雄の側に付くのは予想外ではあるが、最強種である力が噂通りだったとしても、援軍が一人では何も変わりは」

「黙れ」

 

 2(セクンドゥム)の言葉を遮ったのは極大の殺気だった。

 造物主の使徒として莫大な戦闘力と魔力を与えられた絶対なる強者である2(セクンドゥム)ですら思わず口を噤むほどに。

 

「今宵は良い夜だ。久方振りに魔王と呼ばれた頃に戻ってみるのも一興だろう。貴様らの末路は既に決まっている」

 

 彼女が浮かべる表所は喜悦。人間というより、美しい獣を思わせる笑みだった。獰猛さと残酷さが同居して、どんな化粧よりも女を引き立たせていた。

 

「これはこれは、私も始めて見るブチ切れたキティですね」

 

 音もなく気配もなく、その男は忽然と現れた。

 

「アルビレオ・イマ…………生きていたか」

「しぶとさだけが取り柄でしてね。封印の間で消し飛ばされましたが何事も備えあれば憂いなしです。麻帆良と魔法世界を繋いでくれたお蔭で来るのも簡単でしたしね」

 

 木乃香の直ぐ傍に現れたアルビレオ・イマを憎々し気に見る2(セクンドゥム)。造物主によって消し飛ばされたはずだがホームとも呼ぶべき場所だけあって対策は取っていたようで、今は傷一つない万全の状態で立っている。

 アルビレオは屈み、木乃香の肩に手を当てて治療を施す。

 

「木乃香さん、よく頑張りましたね」

「アルビレオさん……」

「アスカ君は――――成程、計らずとも望んだようにはなっているようですね」

 

 刻々と好転していく状況についていけない木乃香が見上げている中で、アスカの頭にも軽く触れたアルビレオは意味の分からないことを言う。

 

「なに、こちらの話です」

 

 聞こうとした木乃香の機先を制し、口元の笑みを消したアルビレオは姿勢を戻して敵を見る。

 

「懐かしい顔と似た顔が幾つかありますね」

「かび臭い骨董品風情が今更現れたところで何が出来る」

 

 見定める視線のアルビレオに2(セクンドゥム)は機嫌悪げに言った。

 三人と三人で、数の上ではこれで対等となった。アルビレオの力が侮れないことは良く知っており、ネギもエヴァンジェリンもこの場に立つに相応しいだけの実力がある。

 油断できない状況ではあるが2(セクンドゥム)に焦りはない。英雄という人種は天が味方しているかの如く状況をひっくり返してくる。この展開もまだ驚くことはない。なかったのだが。

 

「この中で一番年寄りなことは認めましょう」

 

 六百年を生きるエヴァンジェリンよりも生まれたのは先であることを告白しつつ、策士であるアルビレオ・イマがこの場にいる以上は策を疑うべきであった。

 

「では、こちらも若手を召喚いたしましょうか」

「ほざけっ!」

 

 先手必勝。自身を鼓舞するように威勢よく吠える。相手に何もさせずに倒すと、両側に魔法陣を出したアルビレオを強襲する。

 雷光と化して先手を取ろうとした2(セクンドゥム)の機先を更に制するように動くもアルビレオの両側に現れた魔法陣から二つの閃光が放たれた。

 

「もろぷれろっ?!」

 

 斬撃と拳撃を諸に受けた2(セクンドゥム)がまたもや吹っ飛ばされる。

 遅れて二つの魔法陣から召喚された二人の人間が現れる。共にスーツを纏った男であった。

 神鳴流の斬撃を放った野太刀を持ったクルト・ゲーデルと、無音拳で拳撃を飛ばしたポケットに手を入れたタカミチ・T・高畑の二人がふわりと地面に着地する。

 

「数で負けてしまったな。親分に泣きつくな今の内だぞ」

 

 現れた二人と、そして遠くの宙域の戦況の変化を感じ取ったエヴァンジェリンは楽し気に告げた。

 どんでん返しが次々と起こり、事態は明確に入れ替わった。それは破壊の中に生まれたささやかな希望の萌芽だった。最高の舞台と最高の役者は揃った。後は奇跡の瞬間を待つだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式発動まで残り二時間。

 

 

 

 

 




 連合軍に救援が来て、カモとのどかに背中を押されたネギは一皮剥けて戦場へ。
 エヴァンジェリンとアルビレオも現れ、救援が来たのでクルトと高畑も参戦。



次回『第89話 反逆の咆哮』

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