魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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お待たせしました。新章の開幕です。


第五章 世界編
第58話 祭りの後


 

 三日間かけて開催された麻帆良祭は終了後に二日間の振り替え休日となる。

 開催期間中を徹夜して過ごす猛者の者もいて、元気が有り余っているとまで言われる麻帆良生にも限界がある。当然ながら準備期間に比例して片づけにも時間がかかるので、振り替え休日は片付け期間でもあり、休息期間でもあった。

 麻帆良祭後に振り替え休日があるのは過去の積み重ねの結果と言い換えてもいい。元より祭り気質の麻帆良生が学祭直後に授業が始まっても集中できるとは思えず、振り替え休日は気持ちを切り替える期間としても有効であった。

 振り替え休日の初日、燃え尽き症候群の如く嵐の跡のように静かな都市内にある麻帆良女子中等部に一部の教師が裏事専用の会議室に集まっていた。

 裏関係者専用の会議室は設計図にも乗っていない区画にあり、その会議室には学園長から緊急会議を開くとの連絡を受けて招集された魔法先生が集合している。

 広さはおよそ教室程度の正方形の室内。柔道場には少し手狭な室内には、真ん中にはやはり正方形になるように並べられた四つの長机。ずらずらとその机に沿って木製の椅子が並んでいて大半の席が埋まっている。

 列席者達が程度の差はあれど一応に顰め面を浮かべているのは、経年劣化して少し力をかけると揺れる机と木製の椅子に難儀しているわけではない。

 会議室を支配していたのは超鈴音陣営に勝利した空気ではない。それどころか、なにも出来なかったという悔恨。勝利を余所から与えられたと理解した空気が、戦って成す術もなく負けただけではなく、もっとなにか出来たのではないかと思いが全員の肩に圧し掛かっていた。その自覚が口を重くし、互いに顔を背けあうような空気を作り出し、会議室全体を包み込んでいるのだった。

 勝利を齎したのは3-Aの生徒や教師であり、魔法先生や魔法先生が出来たことなどたかが知れている。騒動の張本人である超が3-Aの人間であり、協力者達も同様だとしてもだ。

 

「学園長がお見えになりました」

 

 席に座っていなかったシスター・シャークティがそう告げると、広間の喧騒がぴたりと鎮まる。

 静寂の中、開かれたドアを抜けて一人の老人が会議室へと入室する。

 魔法によって隔離された会議室へと入った学園長は無言のまま足を進め、どことなく見る者を安心させる穏やかな笑みを絶えさせたまま、視線が集中する中を無人の野を征くがごとき態度で黙殺して進む。

 麻帆良学園のトップであり、関東魔法協会の理事でもある学園長の席は決まっている。所謂上座とされる席へと案内されずとも座って眉を顰めた。

 

「…………そろそろこの机と椅子も買い替えんといかんな」

 

 あまり長時間座っていたくはない椅子と手を乗せただけで揺れる机に管理者らしく思考を巡らせて、近衛近右衛門は開かれた瞳に強い意志の力を宿して、室内にいる面々の顔を確認するように首を巡らす。

 学園長の右腕であるタカミチ・T・高畑を始めとして、主要な魔法先生と防衛線で多大な貢献をした天ヶ崎千草などの姿を捉えた学園長の眉が僅かに内側に寄った。

 

「明石君の姿がないようじゃが?」

「回収したロボットの解析で少し遅れると」

 

 立場的には学園№2である明石教授の姿が見えないことに気づいた学園長の疑問に答えたのは近い席に座っていた葛葉刀子。

 

「少ない準備時間で無理して急がせたのは儂じゃ。彼が遅れて来ると言うなら先に始めるとしようかの」

 

 信用も信頼もしている相手だからこそ、少々の遅れを問題にしなかった学園長は「では、臨時の会議を始めようと」と開始の宣言をする。

 なんとも軽い宣言ではあったが、ガンドルフィーニや神多羅木といった一部武闘派の面々が放つ固い空気を和らげる効果まではなかった。

 

「本日の議題は、皆も予想しておるだろうが麻帆良祭の件と今後の方針についてじゃ」

 

 固い空気の面々の中で発せられる学園長の言葉だけが寒空しく響き、集中する中で間を置いて本題に入る。

 

「ぶっちゃけるが、儂は今回の超君が起こした今回の一件を公表しないことにしようと考えておる」

 

 開始早々の学園長の発言に幾人かは驚き、幾人かは眉を顰めた。高畑のように眉一つ動かさなかった者は誰一人としていない。

 学園長の言葉が会議室内に染み込むように浸透していき、その意味を理解したガンドルフィーニが口を開く。

 

「それはどのような理由で? まさか保身の為……」

「全くないとは言わんよ」

 

 ガンドルフィーニの問いに対して発せられた学園長の返答には気負いも衒いもないのだった。ただ事実だけを伝える淡々とした声音。

 

「事実が公表されれば未遂に終わったといえ、全世界に魔法が暴露される危険があった。儂の立場どころか関係者は全員、本国に強制送還されて今事件の責任を負うことになっていたじゃろう」

 

 その時の全員の脳裏に浮かんだのが、最低でも三年のオコジョ刑に処された自身が成るかもしれないオコジョの姿であった。

 千草等の関西出身の面子は行ったこともない本国に強制島流しにされることに忌避感を抱き、ようやく一般人の彼氏を捕まえて上手くいきかけている葛葉刀子などは想像しただけで失神しそうになっている。

 

「しかも、映画研が今回の一件を映画にして販売までしておるからの。最低でもオコジョ刑で済めば恩の字というぐらいじゃ」

 

 悪ければ云々と敢えて最後は言葉を濁すと、俗物的な反応を示す刀子に仙人の如き表情を浮かべている学園長は尚も続ける。

 

「皆の身の為とまでは言わんが、超君の出自の説明やその技術力に至るまで説明出来ん部分が多すぎる。表に出すには危険すぎる故、秘匿しておいた方が無難であろうという判断じゃ」

反魔法場(アンチマジックフィールド)発生装置に反魔法場(アンチマジックフィールド)下でも十二分に力を発揮できる魔導機(マジック・デバイス)。公表されれば文字通り、世界がひっくり返りますね」

 

 静かに同意するように頷いたのは学園長から見て斜め前に座っている高畑であった。

 治療の跡も生々しい高畑の姿であったが、古代に自らの民を連れて海を渡った聖人の如くひどく自然に佇んでいる。ただ静かな瞳でこちらを見つめて来る高畑に、その在り方があまりにも静かでこちらの内面までも鏡のように映してしまいそうなぐらいで、対面に座る千草の様子が落ち着かない様子だった。

 

(一皮剥けたのう)

 

 学園祭で心境の変化でもあったのか、人間としての格が広がったかのように存在感に重みが出ている高畑から成長が読み取れて、学園長の目からでは未だに若者の年齢である嘗ての少年が前に進めたことに内心で嬉しさを感じていた。

 

「戦っていて実感したのは反魔法場(アンチマジックフィールド)発生装置だけですけど、時間が経つほどに魔力も気も使えなくなっていきました。僕が最後まで戦えていたのは咸卦法による莫大なパワーがあってこそです。両方の技術が知られたら、魔法公表以上に魔法世界は荒れることになるでしょう。個人としても組織としても、今回の件を公表されてもデメリットが多いと思います」

「俺も同感だ」

 

 持論を展開する高畑に、腕を組んで座っていた神多羅木が同意する。

 

「今回の件での人的被害は軽微。戦っていた者は別として、精々が隔離の際にコけて膝を擦りむいた程度。寧ろ、問題にするべきは戦力として大した役に立たなかった俺を含めた面子の中にある」

「それは同感かな。いや、さっさと三時間後に送られた僕が言っていい台詞じゃないけど」

 

 神多羅木の問題提起に、肘から先を上げて少し恥ずかし気に手を上げた伊集院に「私も同じです」と隣に座るシャークティが殆ど表情をえることなく言った。

 

「想定外の連続ではありましたが、戦いとは本来はそういうもの。防衛システムの再構築や学園を護る我々の意識変革が急務だと思います」

「今回のような純粋な物量で攻められたり、秘匿を無視したりといった事態にも対応していくようにしないと」

「しかし、そう考えると戦いの場に生徒を出すのは問題ではありませんか?」

「そうですね。幾ら魔法世界では未成年でも力があれば戦場に出れるといっても、この世界の常識に照らし合わせて物事を考えていく必要もあるかと」

 

 次々と意見が出て行く中で、一人納得いかなげなガンドルフィーニは自身も防衛システムや守護をする自分達の意識変革は必要だとも考えつつも、組織人としては本国への報告をしなければならないのではと考える。

 

「議論も構わんが話を戻そうぞ」

 

 話し合いの空気を引き戻すように学園長が手を挙げて、一度話を止めてこの会議の本題に立ち戻ろうと手綱を取り戻す。

 

「そもそも、報告にするにしても超君のことをどう説明していいのか、儂にはさっぱり分からん」

 

 学園長一人は肩を竦めるが、ぶっちゃけ振りに出席者の大半は呆れ顔だ。

 

「超君の技術力然り、彼女は自らを時間遡行者と言ったが証明する術はない。魔法界では時間移動は不可能というのが定説で、頭の固い本国の連中が納得するはずもない。余計な混乱を生むだけじゃろう。それに超君の技術力を今は公表すべきではないと言ったが、それだけではない。先の爵位級悪魔の侵入と今回の一件が何らかの関わりがある可能性もあることから、可能な限り極秘裏に超君が残した全てを精査する必要がある」

「超鈴音と爵位級悪魔に関わりがあるとは思えないのですが」

「実はそうでもないんじゃよ」

 

 長い髭を撫でるように触っている学園長が考えの読めぬ表情のまま疑問を隠そうともしないガンドルフィーニを見る。

 

「悪魔が侵入した際に一時、学園結界が何者かに落とされたことは皆も記憶に残っていよう。超君が残していったデータの中に本件に関わったと思われる者の姿が映った映像があったのじゃ」 

「本当なのですが!?」

「残念ながら何者か、としか分からんかったがの。超君がそうしたのか、元からそうだったのか分からんが。全く関係ないとは限らん故、精査の必要がある」

 

 一度言葉を区切った学園長は小さな溜息を漏らして、各々の反応を確かめるように室内にいる全員の顔を順に見ていき、会議が始まってから全く発言していない千草に視線を留めてから前を向く。

 

「本国が鎖国政策を行っておるのは皆も知っていよう? 今回の一件を本国に伝えれば後押しをする結果になってしまうわい。この世界、魔法世界への影響を鑑みて、今年のイベントは少々派手ではあったが例年より盛り上がったで終わらせておきたいんじゃ。全責任は儂が取る」

 

 そこまで言われてしまったらガンドルフィーニにだって抗弁する言葉はない。彼には小学校に上がったばかりの娘がおり、収容所送りになれば一般人の妻にも迷惑がかかって離婚もありうる。

 望んで波乱を起こしたい性分でもない。結局のところ、ガンドルフィーニ達が口を噤んでさえいれば、世界は何事もなかったように回り続けることが出来るのだから。

 

「…………すまんな、迷惑をかける。何もなければ会議はここまでとしよう。皆、休日にご苦労じゃったな」

 

 出席者全員を見渡し、誰からも発言が出ないことを確認して会議の終了の宣言をした学園長が座ったまま深々と頭を下げる。

 我が身は大事で、公表したところでデメリットが多く、麻帆良学園最高権力者にここまでさせては、会議室に座る誰もが口を紡ぐことを選択する。

 

「では、解散とする。ゆっくり休んでくれ」

 

 頭を上げた学園長の宣言に従って、席から重く立ち上がった会議の参加者達が三々五々に部屋から散って行く。

 最後まで残っていた高畑も会議室から出て行き、一人室内に残った学園長は深々と長い溜息を漏らした。

 

「防衛システムの見直しに超君の裏取り、他にもやることが山ほどあるのう。老骨には響くわい」

 

 麻帆良祭最終日から事件収束を図る為に、徹夜とまではいかないが平均睡眠時間は三時間に満たない。十四歳の孫がいる学園長の齢の肉体では若い頃のような無理は効かないようで頭の奥がズキズキと痛む。

 エヴァンジェリンのように吸血鬼化といった例外を除けば、幾ら身体強化をしても元の肉体の衰えはどうしようも出来ない。これまた超のような例外を除けば時間の流れは不可逆だから、生まれれば老いていくしかない。だが、それでいいと近右衛門はいいと思っている。

 長く生きて木乃香の死に目に会うなど想像するだけで気が遠くなる。

 

「後任に後を譲れればいいんじゃが、明石君にその気がないからのう……」

 

 能力・性格・人望の三種から最適の後任は明石教授なのだが、本人が組織のトップの座る気が全くないのが困りものである。

 後何年待てば後進に任せられるのだろうかと悩んでいると、部屋のドアがコンコンと外から叩かれた。

 学園長が中へ入るように促すと、目元に濃い隈を浮かべた明石教授が何日も着続けて少し薄汚れたワイシャツのまま室内へと入って来る。

 

「遅れてすみません…………おや、会議はもう終わってしまいましたか」

「最初から遅れて来るつもりだったんじゃろ。君がいてくれれば儂もこれほど説得に苦労せんでもよかったんじゃがな」

「そういうわけにもいかない事情があったんですよ。はい、取りあえず判明した事実と残ったロボット達の扱いについて纏めておきました」

 

 軽く文句を受け流した明石教授は抱えていた紙束をガタついている机の上に置くと学園長の斜め前の席に座る。

 疲れているのか、明石教授は一息を漏らして少し落ちていた肩を上げて背筋を伸ばす。

 

「ご苦労じゃったな。その様子では家にも帰っておらんようだが」

 

 風呂にも入っていないのか、髪の毛にはフケがついていて、少し痩せたようにも見えた学園長は目を細めた。

 疲れていても眼だけはギラギラと輝いていて、これだから研究者気質の者は扱いに困ると内心で愚痴を零した学園長の視線の先で、軽く肩を竦めた明石教授は一瞬目を泳がせる。彼は彼なりに自分の状況が決して褒められたものではない自覚はあったようだ。

 

「最低限の睡眠と食事は取っていますよ」

「直ぐには倒れない程度の最低限ではな。儂から頼んだ事とはいえ、君ももう決して無理が効くほど若くはないんじゃから倒れでもしたら娘さんに泣かれるぞい」

「…………肝に銘じておきます。嫌ですね、年を取るのは」

 

 溺愛していると言っても過言ではない一人娘の祐奈のことを引き合いに出すと、流石の明石教授も罰が悪そうにフケが付いている髪の毛を掻き上げて油分のべた付きに顔を顰めた。

 顰めた顔には皺が年輪を刻んでいる。以前よりも肌の張りも無くなって来たし、若い頃ならば身体強化を使えば何日も出来た徹夜も最早出来ない。一分一秒ごとに肉体は衰えていき、嘗ては出来ていたことが出来なくなっていく気持ちは言葉にし辛く、明石教授は愚痴を零すように呟いていた。

 

「儂はそうとは思わんよ」

 

 と、明石教授の倍以上を生きる学園長は苦笑と共に否定する。

 

「まだ君ぐらいの年齢では分からんかもしれんが、年を取ることが楽しいと思えて来ることもあるということじゃ」

「はぁ……」

 

 分かっていなさそうな声を漏らす明石教授に、いずれは理解するだろうがこれも年長者の務めと居住まいを正して口を開く。

 

「明石君、今の君の人生においての楽しみは何かね? 生き甲斐と言い換えても良いぞ」

 

 学園長にとっての今の人生の楽しみは孫娘の木乃香が大きくなることだ。やがては結婚し、生まれた曾孫に名前を付けて皆に看取られながら逝きたい。

 生徒達の元気な姿を見るだけで若返るような気分にもなり、まだまだ死ねないと考えているし、もう十分に高齢で老い先短い生であるからこそ、今を必死に生きようとも思うようになる。

 

「勿論、祐奈です。仕事も好きですけど、これだけは十年間全く変わりません」

 

 一瞬の迷いもなく答えた明石教授に学園長の笑みが深くなる。

 

「疑ってはおらんよ。君一人で子を立派に育てたことは純粋に尊敬に値するぞい」

「僕はただ必死に目の前のことに取り組んできただけ。祐奈が立派に育ったのは、亡き妻のあの子への愛があったからと確信しています」

 

 男手一つで女の子を育てるのは並大抵のことではない。まず第一として性別の違いがあった。男には女の感性が理解できない。例え知識で理解できた気になったとしても体の仕組みの違いによって実感を得ない。男ならば当たり前であることが女ではそうではない。逆もまた然り。

 同姓の親、つまりは母親がいれば苦も無く解決した事柄も男親しかいないとなれば明石教授は方々に恥を偲んで行動に出なければならなかった。その波乱と苦悩に塗れた日々もまた後から思い返せれば宝石のように輝いている。

 

「では、祐奈君が嫁に行ったらどうするかね? ああ、娘は嫁にやらないなどと俗なことは言わんでくれよ」

 

 何時かは訪れる未来予想図を告げられ、一考した明石教授は顎髭を撫でた。

 

「孫が生まれ、育つのを楽しみとしますよ…………成程、年を取るのも悪くはないと思えるものですね」

「じゃろう。だから、さっさと儂の後を継いでくれんか? 儂も随分と年を食った。早々に隠居して縁側でのんびりと茶を啜りたいもんじゃ」

「残念ながら僕にそんな気は、ちっとも全くこれっぽっちもありませんのでお断りさせて頂きます」

 

 下手から出てきた学園長の提案を明石教授は満面の笑みでばっさりと切り捨る。

 

「いざという時に非情な選択は出来ませんからね」

 

 苦笑と共にその理由の一端を明かしたのだった。そう、明石教授は祐奈か学園かの選択を迫られれば確実に娘を選ぶ。多数を見捨てて少数を選んでしまう者には、時に非情な選択を迫られる権力者の椅子に座るべきではないと考えているから固辞する。

 学園長ならば、例え木乃香と学園を天秤にかけられても学園を選べてしまうということ。勿論、学園長には木乃香をただ失わせるほど凡愚ではなく、救う一手を打てる。

 

「出来ると思うんじゃがな……」

「僕には学園を背負うほどの覚悟を持てません。今のこの手は祐奈だけで手一杯ですから」

 

 能力的なものに限れば明石教授も学園長と同じことが出来るかもしれないが、大切な人を理不尽に失ったことがあるからこそまた失うかもしれない選択を前にして怖気づいてしまう。

 

「それに、やはり僕は長ではなく支える側の方が性に合っています」

 

 私生活では娘の祐奈に支えてもらってばかりではあるが、仕事としてはサポート役の方が上手くやりやすい。トップに立って皆を引っ張っていくような役割は端から似合わないのだと明石教授は自らを断ずる。

 

「今回の一件で高畑君も随分と成長しました。十年も経験を積めば、周りの助けは必要ですが学園長の座を渡しても問題ないでしょう」

 

 嘗ての教え子の変化と成長を見て感じ取った明石教授も自分の身代わりではないが学園長の後継となりえる人物を推薦する。

 

「儂、後十年も此処にいないといけないんかの。老骨を酷使過ぎではないか?」

 

 つまりは、高畑がモノになるまでは今の椅子に座り続けなければならないと宣告されたに等しく、学園長はうんざりとした様子で眉を情けなく顰めた。

 

「これから訪れる時代のうねりは僕や高畑君では乗り越えられません。まだまだアナタには学園長でいてもらう必要があります」

 

 明石教授は持ってきた紙束を学園長へと渡す。机の上をスライドして目の前に置かれた紙束が学園長には開けてはならないパンドラの箱であるかのように感じられて一瞬手を伸ばすことを躊躇する。

 後回しにしても同じこと、決意して紙束の一番上の資料を手にして目を通す。

 

「………………予想しておったことじゃが、超君の技術が我々でも再現可能とは」

 

 関東魔法協会麻帆良支部の技術部で解析された超が残した技術の数々の大半が現行の科学でも再現可能と結論付けられている。その事実は学園長にとってあまり歓迎したくない結果であった。

 小さく強く握られた紙が僅かに軋むのを見ながら明石教授が口を開く。

 

「大前提として超君が未来人であると仮定して考えると、これらの技術は十分とは言えないとも報告を受けています。恐らくですが、我々が与り知らぬ技術・材料を以て為されているのではないかと」

「現状は不完全品、それでも十分な能力を持っておるが、現行の技術だけで再現可能となると真似しろと言わんばかりじゃな」

「正しくその通りでしょう。ご丁寧にも設計図等が研究室に残っていましたから」

 

 手に持つ資料には技術畑ではない学園長には理解しえない単語が羅列してあるものの、元よりこの資料は技術部に解析させる為に敢えて残されたのだとしたら結論が出るのもまた早いというもの。

 

「例外は一つ、機竜だけは設計図どころかどのように作られたかも分からないとなれば、設計図等が研究室に残っていたことも全て超君の差し金。これは葉加瀬君も認めてくれましたよ」

「全ては超君のシナリオ通り、じゃということか。はたさて、どこからが彼女のシナリオなのじゃろうな」

 

 当初から学園に探りを入れていたことも、エヴァンジェリンと縁を繋いで茶々丸を作ったことも、これらの行動に対してとった学園の行動も、そして学園祭における行動の一切合財からその後始末においてまで、一体どこからシナリオを描いたのかが分からない。

 最初からシナリオを描いたと言われれば、この結果だけを見るならばありえると考えてしまうだけに答えは出ない。超が未来へと還った今となっては答えが出ることはないのだろう。

 

「今考えるべきはこの技術が残された意味ですが、私はこれらの物が誂えたように残されたのには意味があると考えます」

「…………人工的に魔力喪失現象を起こす機械、現象下でも自由に動けるロボットと超常の力を振るえる道具。我々の下にこれらの技術が残されたのは、そう遠くない日に魔法が白日の下に晒される時が来る時に備えての為だと想定されるわけじゃな」

 

 その時が何時なのかは学園長も明石教授にも分からない。二人には未来を見通す眼も能力も持っていないのだから、今ある情報の中から積み上げていくしかない。

 

「葉加瀬君の聴取から超君が描いていたシナリオを読み解くことは叶いませんでした。ただ、彼女のシナリオの中で鍵となる人物(キーパーソン)は判明しています」

「アスカ君じゃな」

「ええ、間違いないと思われます」

 

 二人はそう断言する根拠は超がリスクを背負ってまでアスカを操ったことにある。

 本来、超はアスカを操る必然性がなかった。費用対効果、確実性を期すならば確かにアスカは適任ではあるが確実に勝利を目指すならば学園長や高畑をこそ操るべきだった。超が航時機(カシオペア)を使えば不意を突いて操ることは可能なのだから。

 あくまでアスカは彼らの仲間間の主柱であって、学園の主力戦力には数えられていなかった。学園長や高畑を操った方がより学園側を倒しやすかったはず。特に高畑の場合は一度捕まっているのだ。操るチャンスは幾らでもあった。

 

「超君はアスカ君に拘っていた…………葉加瀬君だけではなく武道大会で超君と話した高畑君の証言も同じものでした」

「そこから導き出される答えはそう多くはないのう」

 

 係累を自称していたことが理由だとしても、超のそれは些か度が過ぎると学園長は思考し、やがて一つの結論へと至る。

 

「一連の騒動はアスカ君を成長させる為の試練であり、我々に彼女の技術を受け継がせる為に仕組まれたものであると」

「遺憾ながら」

「そして今後に魔法が白日の下に晒される時が来て、アスカ君はその一件に何か重大な立場を担う可能性が高いわけじゃ」

 

 推測に憶測を重ねた暴論ではあるが、有り得ないとも言い切れない。麻帆良祭を通しての覚醒とでも言うべきアスカの成長は、物語ではあるまいし最初からそうであったかのように都合が良すぎる。まるで英雄を育て上げるかのようで。

 

「であるならば、超君の目的は過去の改竄などではなく、寧ろ歴史の一部として組み込まれている…………卵か先か、鶏が先か。因果性のジレンマですね」

「今回は親殺しのパラドックスの逆じゃな」

 

 親殺しのパラドックスとは、時間遡行者が血の繋がった父を母に出会う前に殺してしまったら自らが生まれるはずもなく、存在しない者が時間遡行も出来ないからこそ父を殺すことは出来ず母と出会い、やはり時間遡行をして父を殺すという堂々巡りになる論理的パラドックス。

 超が未来人ならば魔法公開という行為は歴史改変に十分なトリガーとなる。しかし、歴史の規定事項として魔法公開が予め決められていたとなると超の行動は別の意味を持ってくる。

 

「超君という時間遡行者の行動によって彼女のいる未来に辿り着くのだとしたら」

「確証はないがの。神ならぬ人の身では考えるだけ無駄じゃよ。なにしろ証拠がない。あるとすれば彼女のいる未来まで生きねば分からぬことじゃ」

 

 特にもう終わりが見えてきている年齢の学園長には今日と子供達が生きる明日を護るだけで手一杯。

 

「どうあれ、激動の時代が訪れるのは間違いないというわけかの」

 

 迫る魔法世界終焉の刻限、完全なる世界の残党の蠢動、封印が緩んできた姫巫女…………と学園長の脳裏でそれらの単語が行き交い、表層に出る前に心の奥底へと押し込めて表情にはは決して出さない。

 この学園の地下にある特級の秘密も知るのは学園長と守り人であるアルビレオ・イマのみ。側近中の側近であろうとも明かせない秘密もある。

 

「外部・内部の両面での学園の襲撃に対するプランの再訂と、魔法が公開された際に我々が行える世間へのアプローチのシュミレート、その他諸々…………学園長には後十年は今の立場で辣腕を振るって頂かないといけないというわけです」

「本当、早々に引退したいわい」

 

 学園長は弱音を漏らしながら、もしかしたらこの二十年の間に停滞していた時代の流れが動き出すのではないかと淡い期待を抱いて、まだまだ隠居は許されないのだと一人静かに嘆息するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園にある世界有数の蔵書数を誇る図書館島の地下、アスカ達が期末試験の為に頭が良くなるという魔法の本を探しに潜り込んだ場所よりも更に下にその場所はあった。

 迂闊にも一般人が決して入り込むことがないように幾重にも施された結界を越えた先には世界樹の根が這う巨大な開けた空間が広がっていた。下を見れば一面に芝生が生い茂り、そこかしこに立ち並ぶ数多の石柱は列を為して、ここが自然に出来たものではなく人工物であることを示していた。

 地下にそのような空間が開けていること自体が摩訶不思議な現象なのに、古代の様式で建造された古びた門が重く存在を主張するかのように佇んでいた。

 石柱の奥に鎮座する、世界樹の根が絡みつくようにして立っている石造りの門が人工物である仮説が真実であると証明している。

 日本には不似合いな古代ギリシャなどにありそうな立派な門は、その年月を物語るようにただ存在するだけで他者に畏敬を抱かせる。だが、今この時をおいて門は些かの存在感も発してはいない。この場においてより大きな存在感を発揮し続ける者が躍動し続けるからに他ならない。

 

「――――なんというか」

 

 強制的に観客にならざるをえない者達の中でアンナ・ユーリエウナ・ココロウァは実につまらなげに一人ごちた。

 観客は彼女だけではない。ネギ・スプリングフィールド、神楽坂明日菜、近衛木乃香、桜咲刹那、犬上小太郎という何時もの面々が共にいた。そんな彼・彼女らも一様に門ではなく中空を見上げている。

 

「まだ二ヶ月程度しか経ってないのに、こうも変わるなんてね」

 

 アーニャが言った直後、空間に衝撃が走った。

 衝撃の発生源は彼女の視線の先、西洋竜であるワイバーンが直上より頭部に打撃を加えられて高度を下げる。空間に走った衝撃はその打撃が強力過ぎるが故に生じた伝播でしかない。

 ただの人が受ければ柘榴のように弾ける衝撃を受けながらも、僅かに怯む程度で堪えた様子を見せないのは流石は最強の幻想種の面目躍如か。

 

「竜種が一人の人間に翻弄されているのを見ると違和感しか抱かないわよ」

 

 ポツリと小さく呟かれた声は、直前に轟いた轟音が余人の耳に届けることなく呑み込まれる。

 今度は真横からの衝撃によって体の横にくの字に折れ曲がらされたワイバーンは、凄い勢いで壁に叩きつけられる直前で巨大な羽を羽ばたかせて急停止する。

 ワイバーンは中空に浮かんで自らを翻弄するちっぽけな人間を忌々し気に見上げた。

 

「オラァッ!」

 

 少年――――アスカ・スプリングフィールドは消えたと錯覚するほど一瞬でワイバーンの間近に出現し、アーニャが内包している以上の魔力を纏った右腕を振るった。

 また当たるかもというところでワイバーンがその長い尾を振るい、横合いから襲撃をかけたが事前に感じ取っていたアスカにあっさりと避けられる。

 

「あれでも大分周りに配慮して手加減してるよ。僕でもあれぐらいは出来るし」

「あー、うん、アンタも化け物の仲間入りしてたのよね、ネギ」

 

 アーニャは隣に杖を手に呑気に観戦しているように見えるネギ・スプリングフィールドの横顔をチラリと見て、殆ど目線が変わらないことに今更ながらに気づいてむべなるかなと納得する。

 この数ヶ月で殆ど目線が変わらないぐらいネギの背が伸びているのは、アスカ程ではないが別荘を利用して幾ヶ月の年月を経たことを証明している。

 

「化け物って……」

 

 酷い言われ様にショックを受けているネギだが、竜種のワイバーンを圧倒出来る時点でアーニャから見れば十分に化け物染みている。

 自覚がないのは性質が悪いと更に言い募ろうとアーニャが口を開くよりも反対隣りにいた小太郎が首を突っ込む。

 

「ステゴロでやり合う分には俺や明日菜の姉ちゃんらにも出来るやろ。まあ、あそこまで圧倒出来るんはこの中ではアスカぐらいやろうけどな」

 

 二十㎝近く生じた身長差の関係で屈んで文字通り二人の間に首を突っ込んできての言い様はともかく、別荘の使用で年長者となった小太郎に未だに慣れないので心持ち体を引く。アスカは幼少の頃から知っているだけに違和感も直ぐに慣れたのだが、どうにも小太郎相手にはそうはいかないらしい。時間が解決するものではあるが小太郎自身、皆に同じ対応をされているらしく気にした風は見せない。

 

「私だとあんなに空を飛べないから無理無理。良いところ、近づいた瞬間に斬れるかどうかじゃないかしら」

「勝てる可能性があるだけ十分だと思うけどね」

 

 浮遊術や自前の翼、犬神が使えない明日菜は空を飛ぶというよりも虚空瞬動で空を駆けることしか出来ないので、ワイバーンの機動力に追いつけるかは未知数。明日菜としては地上で迎え撃つとして勝率は半々も見込んでいなかった。

 仮にも竜種に対して勝率がある時点で大概だとアーニャは論ずる。

 

「せっちゃんはどうなん?」

 

 安全を考えて魔法障壁が強いネギの後ろで守られている木乃香が圧倒される戦いに感嘆の息を漏らしながら隣に立つ桜咲刹那に問うた。

 聞かれた刹那は目前の戦いから一瞬木乃香を見て困ったように眉をヘタらせた。

 

「…………西洋龍を見るのは始めてですが、結構強そうですよね。専門の装備で数日あればなんとか」

 

 自己評価が過大に低い刹那らしい謙虚過ぎる発言に木乃香以外の面々の猜疑の眼が向けられる。

 神鳴流の遣い手である刹那の攻撃力はネギ・アスカと並んでこの中では群を抜いている。半妖としての力を使えばワイバーンを仕留めるのにそれほど手間がかかるとは木乃香以外思っていなかった。

 

「刹那って自己評価低すぎない?」

 

 前々から思っていたことなのでアーニャが思わず呟くと、五感が優れている明日菜が聞いて然りと頷いた。

 

「下っ端根性が染みついているっていうか、周りが上で自分が下って認識があるみたい」

「小さい頃はここまでやなかったんやけどなぁ」

「あの、聞こえてるんですが」

 

 明日菜と木乃香がうんうんと頷き合っている横で自分の話なのに除け者にされている刹那の頬にタラリと汗が流れた。

 

「あの鶴子姉ちゃんに教えられてたんやったら誰でも自分の方が下って思うんちゃうか」

 

 と、小太郎は言いつつも同じ半妖故に周りの視線や対応から幼少期から何事かあったのだろうと予想がついたので、それっぽい理由をでっち上げて刹那本人に話題が向かないようにする。

 

「鶴子姉さん、普段は優しいんやけど噂で聞いた分やと剣を教える時はかなり厳しいらしいしな」

「ああ、成程……」

「分かります。マスター(エヴァンジェリン)に教わってると自分が塵屑だと思いますよね。本当に何で生まれて来たんだろうって、毎晩寝る度に考えて……」

「いや、アンタは自虐が過ぎるから」

 

 分かっているのか分かっていないのか、ポワポワとした雰囲気と表情のままで木乃香は頬に手を当てていた。その横で春休みに京都で鶴子を見た明日菜も納得がいったように頷く。

 同じように鶴子のような苛烈さが身近にあるネギは少し遠い目をしていて、突っ込みを入れたアーニャがポケットから飴を取り出して刹那に差し出す。

 

「刹那、飴あるけど食べる?」

「いりません!」

 

 適当な漫才が終わったところでアスカとワイバーンの戦いは終局に近づいていた。

 ワイバーンがアスカに向けて炎のブレスを放つも、まさかブレスを真っ向からぶち抜こうとする相手がいるなんて想定もしなかったのだろう。全身に魔力を纏ってスーパーマンが空を飛ぶポーズで炎の壁を貫いてワイバーンを打ち据えた。

 流石にこれにはワイバーンも堪えたらしく、中空で力を失ったように身を躍らせる。

 

「おっと」

 

 このままで地上に落下するかと思われたワイバーンの腹を下から支えたアスカがゆっくりと降下していく。

 身長の十倍以上の全長を持つワイバーンを支えている姿は一種異様ではあるが、アスカの強さを知っているのでこの場にいる者の中でそのことを声高に叫ぶ者はいない。

 ゆっくりとワイバーンを地上に下ろしたアスカは、その長大な頭を労わるように擦る。

 

「俺の我儘に付き合ってくれてサンキューな。痛かったろ」

 

 一戦行いながらも全く疲れた様子も見せずにワイバーンの顎の横をポンポンと叩く。

 

「グルゥ……」

 

 と、聞きようによっては可愛く聞こえなくもない鳴き声で鳴いたワイバーンは、アスカに気にするなとでも言うように僅かに顔を動かした。まるでもっと撫でろと言わんばかりに態度である。

 ワイバーンが満足するまで思う存分に撫で回したアスカが離れた場所にいるアーニャ達を見る。

 

「木乃香、治癒かけてくれ」

「ほいな」

 

 事前に決められた通り、かなり高かった専用の魔法の杖を手にいそいそとワイバーンへと近づいていく。

 治癒系統は数を熟すことで上達する魔法である。しかし、治癒魔法は他の系統の魔法と違って誰かが怪我をしなければ魔法をかけることは出来ない。怪我をしていないのに治癒魔法をかけると過回復を引き起こして逆に危険になる。なので、非常に有用な魔法ではあるのだが習熟する機会が少ないので熟練の治癒魔法使いは少ない。木乃香は絶好の治癒の機会に急いでワイバーンへと向かう。

 

「お嬢様、少しは警戒して下さい」

 

 戦闘不能になってはいるが強大な力を持つ竜種。飼い慣らされているとはいえ、良く知っているわけではないので木乃香にも少しは注意してほしいのだが性格的に難しい。

 片手に鞘に納めたままの夕凪を手に、直ぐに木乃香を追い抜いて攻撃を加えないか注意して進む。反対に二人とすれ違いで戻るアスカは黒のシャツの首元を引っ張って汗ばんだ体を冷やそうと空気を送り込む。

 

「ふぅ、良い汗かいたぜ」

「竜種相手にそれで済むアンタはネギ達以上の化け物になったのよね」

 

 ちょっと近くを走ってきたというノリで戻って来るアスカに愚痴を垂れつつ、アスカの後ろの方で地に伏せたまま動かないワイバーンを警戒する刹那の後ろで杖を振っている木乃香の姿を視界に収める。

 

「で、満足した?」

「おう、前よりも強くなっているってのは十分に自覚できた。悪いな、わざわざ戦わしてもらって」

 

 拳を握ったり開いたりしてるアスカは本当に満足そうに見えた。

 治癒の光が迸っているのを見て魔法障壁を解いたネギの横を明日菜が一歩前に出た。

 

「怪我してない、よね?」

「してるように見えるか?」

「ううん」

 

 見て分かることだが本人に聞いた安心できた明日菜も首を横に振って笑顔を見せる。どうにも甘酸っぱい空気が漂っているようで小太郎も居心地が悪そうだ。

 こうしてアーニャの視点から向かい合う二人を身長差の関係で見上げると、アスカの身長が良く伸びているのが分かった。アスカの方が小太郎よりも別荘の利用頻度が多く長いのもあるのだろうが、人種の違いからアスカの方が頭半分以上は大きい。160前後の小太郎よりも高く、明日菜よりも高い。

 まだ明日菜も女子中学生なのでヒールなどの踵の高い靴を履かないので、こうやって第三者の視点で二人を見ると以前のようにどこかちぐはぐの関係には見えなかった。目と目を合わせるだけで互いを理解し合えているような、まあアーニャの口からは出したくはない関係に見えても不思議ではないぐらいにお似合いに見える。

 

「結構時間かかったね。もっと早く終わると思ったのに」

 

 空気が読めないことに定評があるネギが、周りを回って本当に怪我がないか確認している明日菜とアスカのストロベリートークを邪魔してしまう。

 これには少し明日菜がムッとした様子を見せたがアスカが苦笑を浮かべたのでそれ以上、態度に表すことはなかった。言葉もいらずに互いの言いたいことを察することが出来る関係は少しアーニャには羨ましい。

 

「力試しでやり過ぎたら駄目だからな、手加減が分かり難くて」

「今のアスカの力やと、下手したらワンパンで柘榴やしな」

 

 アーニャの眼から見ても別人と思えるほどに力を高めたアスカだが、ワイバーンが竜種であるだけに強く頑丈で手加減をし過ぎれば逆に負ける。小太郎が言うように力を出し過ぎれば殺してしまうので、ある程度の力で始めたのでどうしても時間がかかってしまったのだ。

 

「招待状貰ってるんだから、わざわざ戦わなくても良かったんじゃないの?」

 

 今ここにいるのは学祭後に行われることになっていたアルビレオ・イマからお茶会の招待状が届いたから。何故か闘う前提で話が進んでいたので口に出せなかったが、招待状さえ見せれば通してくれた可能性は高いのだからワイバーンと闘う必要は全くない。

 

「さあ、どうだろうな。あの性悪野郎のことだから確実とは言えねぇぜ」

「そうやろうな。普通やったら通してくれるやろうけど、アイツやとその普通な対応はないな」

 

 実際に招待者であるアルビレオと接した二人からは否定されてしまった。直接、姿を見てもいないアーニャはそこまでの相手なのかと内心の人物像に修正を入れる。

 

「いえいえ、流石の私でもそこまであこぎな真似はしませんよ?」

「いいや、絶対するね。そうだな、最初は通させておいて後ろから襲わせるぐらいはしそうだ」

 

 何時の間にかそこにいてするっと話に入ってきたアルビレオに驚く様子もないアスカが言葉を続ける。

 

「おおっ!? 何時の間に……」

「アスカ君は油断がなくて何よりです。皆さんはもう少し修練が必要ですね」

 

 一拍遅れて小太郎と明日菜、次いでネギ、大分遅れてアーニャも気づいて散開した面々の視線の矢に晒されながらもアルビレオはにこやかな笑みを崩さない。

 

「俺の場合は戦闘で神経が過敏になってたからだろ」

「そうではないでしょ。図書館島に入る前から彼女と戦っている間も私のことを警戒していた。心と体を緩めながらも、どこかで神経を広げているのは戦士として良い心掛けです」

「彼女って…………あのワイバーン、メスだったのか」

 

 別の方向に驚いているアスカを見て何が楽しいのかニコニコと笑んでいるアルビレオの後ろから、ワイバーンの治療を終えた木乃香が首を出した。

 

「治療終わったえ」

「サンキューな。じゃあ、主催者もいるしさっさと中に入ろうぜ」

 

 アスカは木乃香の斜め後ろで何時の間にか現れたアルビレオに刹那が目を見開いてるのを見ながら、どうにもアルビレオと話をしていると話が進まなくなるので中に入るように促すのだった。

 アルビレオを知っている分だけ真面目にやる分だけ馬鹿を見ると考えるアスカと違って初見のアーニャにとっては第一印象が大切なのである。

 

「ちょっと待ちなさい、アスカ。あ、アルビレオさん。これ、つまらないものですが」

 

 親しき中にも礼儀あり。初見ならば第一印象が大切であるので。図書館島に入る前に買ってきたものをこれでいいのかと不安げに思いながら渡す。

 

「これはこれはアーニャさん、ご丁寧にどうも」

「でも、本当にケンタッキーで良かったんですか?」

「はい。お茶会には合いませんが個人的に好きな物ですので、あまり出歩ける身分ではないので嬉しい限りです。おお、オリジナルチキンセットですか。食べたかったんですよ、これ」

 

 ケンタッキーで買ってきたチキンでまさかここまで喜ばれるとは思っていなかったアーニャは目をパチクリとする。

 アルビレオと直接面識のあるアスカと小太郎にお礼の品が何がいいかと聞いて、返ってきた返答がケンタッキーだったので思わず頭沸いてるのかと殴ってしまった。うんうんと形式に悩むアーニャにアスカがケンタッキーで買ったチキンで済ませると言い出した時は脛を思いっ切り蹴って悶えさせたものである。

 

「遅れましたけど、本日はお招き頂きましておおきにー」

 

 お嬢様らしく茶会に招かれることに慣れている木乃香が礼と共に軽く頭を下げる。遅れて他の面々も続く。

 頭を上げたネギは武道会ではアルビレオと顔を合わせたことはない。アスカから話を聞き、アルビレオに聞きたいことがあったので一歩前に出た。

 

「あの、アルビレオさん」

「ネギ君!!!」

「は、はひ!?」

 

 ナギの仲間であった彼から父の話を聞きたかったネギだったが、アルビレオに大声で遮られて思わず身を竦めてしまう。

 

「私のことはクウネル・サンダースと呼んで下さい。気に入ってますので」

「ハ、ハァ……クウネルさん?」

「はい」

 

 なぜか彼の背後に某有名チキン店のマスコットなオッサン的なオーラが見えた。お土産の品がケンタッキーという時点で大概だが、名前まで改名するほど気に入っているようだ。

 

「では、改めまして。皆さん、ようこそお越しくださいました。歓迎致しますよ」

 

 土産の品がよほど嬉しいのか、笑顔三割増しになったアルビレオが背後を促すと同時に重厚な扉がゆっくりと開いていく。

 扉の向こう側から光が差し込み、アスカとアーニャを先頭として進む皆の視界を一瞬だけ晦ませる。

 直ぐに視界を取り戻した皆は扉の向こうへと足を踏み入れると、その先には広大な空間が広がっていた。とても地下とは思えない、如何にもな魔法使いの住み処といった感じにほぼ全員が感嘆の息を漏らす。

 巨大な世界樹の根を縫うように地下なのに太陽の下にいるかのように光が降り注ぎ、住み処を覆うように広がっている滝から舞い上げる水滴を照らす風景はメルヘンの世界に迷い込んだかのような幻想的な光景だった。

 

「何よこれー。ホントに学園の地下?」

「如何にも魔法使いの住み処といった感じですね」

「住んでいるのは私だけですからね。魔法使いの住み処という表現は合っていますよ。お茶会の場所はあの塔の先です」

 

 唖然とした様子の明日菜、妙な納得をする刹那にアルビレオが苦笑しつつ、このドーム状の中心にある島に立つ唯一の塔の頂上に伸びる三対の島のような場所をユラリと上げた腕で指し示す。

 

「魔法で完全調整された空間だね。マスターの別荘と同じだよ」

「正しく魔法使いの住み処、やな」

 

 杖を強く握るネギと鼻を鳴らした小太郎は警戒を解かずに前を進む一行に付いていく。

 不思議と声は滝の音に負けず聞こえ、島の周りには滝による水煙が立ち昇っているが不思議と湿気っぽいこともない。ネギが感じた通り、アルビレオの魔法か、或いは魔法具によるものか、または何らかの方法によって調整された空間は地下であることを感じさせない。

 塔の中に入ると、いきなり本の山がアスカ達を迎えた。流石に図書館島には叶わないが、一階部分に当たるスペース全てが巨大な書棚と本で埋め尽くされている。

 

「うえー、中は本ばっか……」

「こんな本に囲まれた場所で暮らすなんてゾッとせんわ」

 

 勉強が苦手な明日菜と小太郎は入るのも嫌そうに入り口から書棚を見るだけで中に入ろうとしない。

 

「うわぁ、絶版になってて入手不可能な貴重本ばかり!?」

 

 本の虫でコレクターでもあるネギがソワソワとした様子で書棚の前に行って見上げると、そこには今となっては実在が危ぶまれている貴重本にテンションが一気に上がる。

 

「うう、読みたいのに読めへんよぉ」

 

 ネギと同じように本が好きな木乃香も喜び勇んで書棚に向かうが、生憎とパッとタイトルを見るだけでも彼女が読めそうな言語の物は見当たらない。

 

「ラテン語に古代ギリシャ語、これは多分ヘブライ語かしら? 手に持つだけでも恐ろし気なタイトルがあるわね」

 

 あまりにも貴重本過ぎて、下手に触って汚しでもしたら人類の遺産に傷つけてしまうことが怖い。そこまで貴重本に造詣が深いわけでもないアーニャも明らかに歴史が違うと分かるランクなので書棚から一定距離を取って近づかない。

 その横を通ったアスカは近くにあった本をぞんざいに手に取ってパラパラとページを捲る。

 

「エヴァンジェリンの別荘の書庫のと合わせて売れば人生百回生まれ直しても遊んで暮らせるな。これだけでも売れば五年は遊べる」

「え!?」

「明日菜さん、目を輝かしても持って帰れませんよ」

「分かってるわよ、ええ。分かってるから」

 

 アスカの所見に目の色を変えた明日菜に当然の突っ込みを入れる刹那。しかし、明日菜の眼は諌められても泳いでいる。

 

「あれ、アスカの持ってるやつってヘブライ語のじゃないの? え、読めんの?」

 

 そこでアーニャはアスカが一冊の本を持って、ふむふむと頷いているのを見て首を傾げた。何故ならそれはヘブライ語で書かれた魔導書で、アーニャも読めないものだったから聞かずにはいられなかった。

 

「読めるぞ。エヴァに散々叩き込まれたからな」

「あの二年は体だけやなくて頭も苛めらたからな。俺もアスカも中学卒業までの学力と、魔法と気に纏わるもんは大体叩き込まれたで」

「今となっちゃ有難味が分かるけど、あの時は二人して血涙流しながら覚えたな。出されたテストに合格しないとマジで死にかねない面に合うし」

「「よくぞ、乗り越えた俺達!!」」

 

 エヴァンジェリンならばそれぐらいするかと納得してしまったアーニャも、地獄を乗り越えて中である二人が肩を組んで白目で遠い彼方を見つめて感涙に咽ぶ姿に引いた。

 

「お楽しみのところで申し訳ありませんが、先客を待たせているので先を急ぎませんか?」

 

 先客という単語にある人物を連想して、幾らでも徹夜して貴重本を読みたいネギも心持ち顔を青くして促されるままにアルビレオの後を追う。

 螺旋階段を上がって塔の頂上に上がり、この空間から見て左側の離れ小島に向かうと先客の一人がアスカ達を待ち構えていた。

 

「遅い!」 

 

 学園祭時の魔力が残留している世界樹の根の近くにいるだけあって大分魔力が回復しているエヴァンジェリンが、プカプカと浮かぶ球形のクッションに乗ってカップを持ったまま機嫌悪げに叫ぶ。

 エヴァンジェリンが不機嫌なのは良くあること。気にしないことにしたアーニャは彼女の後ろの方で茶々丸が茶会の準備をしているのを認めた。ただ待たされただけでなく、従者である茶々丸がアルビレオの手伝いをしているのが不機嫌の一端を担っているらしい。茶々丸の性格を考えれば主と同じくただ待っているなどありえないと分かるだろうに。

 

「さあ、どうぞこちらへ」

 

 要は不機嫌というより放っておかれて不貞腐れているエヴァンジェリンを余所にアルビレオがアスカ達をテーブルへと招く。

 

「おい待て、アル! 私の話は終わっていないぞ! 聞いているのか、アルビレオ・イマ!」

 

 放っておかれた形になったエヴァンジェリンは更に機嫌を悪くして、そうしようとしているアルビレオに突っかかるが名前を呼んでも何故か彼は反応しようとしない。

 流石に可哀想になったアスカが肩を軽く叩いてアルビレオが持っているケンタッキーの箱を指し示す。まるで聞かずにスタスタ歩くアルビレオがどう呼ばれたいか、武道会でのことからケンタッキーの箱が何を指し示しているかを察して眉間に皺を寄せた。

 

「…………クウネル」

「何でしょう、キティ?」

 

 エヴァンジェリンが苦々しくケンタッキー創始者の名前で呼ぶと、振り返ったアルビレオは普段の五割増しぐらいの爽やかな笑顔でエヴァンジェリンの真名で返す。

 エヴァンジェリン・A・K(アタナシア・キティ)・マクダウェル――――キティとは子猫を意味する――――悪の大魔法使いがそのような可愛らしい名で呼ばれるのを彼女は大変嫌がる。

 

「その名で呼ぶなと!!」

「可愛らしい名前じゃないですか」

 

 ミドルネームで呼ばれたエヴァンジェリンはアルビレオの胸倉を掴んで揺さ振るが、ガクンガクンと頭を振り回されながらも笑っているだけで気にしている様子はない。

 

「キティ」

「キティ」

 

 師匠の弱みを見つけたアスカと小太郎の二人が目を輝かせる。

 

「キティ! キティ!」

「キティ! キティ!」

「五月蠅いわ、このボケアホ共! その口を閉じろ!!」

 

 わざわざエヴァンジェリンの周りを回って腕を上げながら囃し立てる馬鹿二人に向けて叫びながら氷瀑を放って島から叩き落とす。

 滝壺に落ちて行く二人を忌々しく見送るも、直ぐに視線をずらすと落ちたはずの二人が塔の外壁をよじ登っているところだった。この程度のことは慣れているので二人の復活は早い。

 眼を光らせて指を開いた右手を上に掲げたエヴァンジェリンの動作に合わせて、外壁を昇ろうとしていた二人が超能力で浮かされたように空を浮く。光に照らされた細い糸が薄らと見えるので人形使いとしての能力を行使しているのだろう。

 糸で拘束されたままエヴァンジェリンの前にまで連れて来られた二人はタラタラと冷や汗を流していた。

 

「次、同じことを言ったら…………分かってるな?」

「「Yes, sir!!」」

「私は女だ」

「「Yes, ma'am!!」」

「よろしい」

 

 ギチギチと尖った犬歯を光らせて凄むエヴァンジェリンに二人は飼い慣らさた畜生のように畏まっている。魂の底にまで刻み付けられているような上下関係が出来上がっており、二年の別荘での生活が伺いしれるというものだ。

 ポテリと糸の拘束が解かれて落ちた二人が崩れ落ちるのを見ながら、アーニャは「馬鹿ばっかり」と口の中で呟いて茶々丸に勧められるがままに八人がけの下座の席に座る。既にその頃には二人も回復して、それぞれが勧められるがままに席に座っていく。

 エヴァンジェリンは席に座らず、座席にもなる欄干に座ってわざわざ持ってきたのかクッションに凭れかかりながら紅茶を楽しんでいる。

 机の上には上品並べられた皿とティーカップ、盛り付けられたフルーツの色合いだけでも目を楽しませる。並べられた食器といい、一見しただけで高価なヨーロッパ風のものと分かるものがテーブルの上に所狭しと並べられていた。

 茶々丸は給仕に徹するのか、それぞれの席に置かれたティーカップに紅茶を注いでいく。普段からエヴァンジェリン相手に淹れ慣れているのか、動作に全く澱みはなく見ていて惚れ惚れするほどであった。

 ネギは紅茶が入ったティーカップを手に取って口に近づけるも直ぐには飲もうとせずに、まずは香りを楽しんでから味わうように一口飲んだ。紅茶を口に含み、喉の奥へと呑み込むと表情を輝かせた。

 

「美味しい! これは龍井紅……九曲紅梅ですか。ホントに梅の香りのように甘くて爽やかな……素晴らしいです!」

「他にも色々ありますよ。後で葉をお分けしましょう」

「ホント、美味しいわねー」

「スイーツもおいふぃな」

 

 女性陣と違ってネギ以外の少年二人の食べっぷりに遠慮という二文字は一切無い。用意はアルビレオがしているのだから食べ過ぎてもいいぐらいに早く、しかし礼儀作法に以外に五月蠅いエヴァンジェリンに根性焼きを入れられたこともあって下品にならない程度の早食いをしていた。

 とはいえ、お茶会なのだから大した量があるわけでもなく、自分の分を食べ終わりかけたところで茶々丸が追加を持って来るとなると懐具合はともかく茶々丸に手間をかけさせるので二人も味を楽しむことにしてゆっくりと食べる。

 暫くは和気藹々とお茶会を楽しむ一行を見て、フッと笑ったエヴァンジェリンは立ち上がって歩いてアスカの座席の背に肘を置いて凭れかかる。

 

「それで、アスカ。今回の事件はどうだった?」

 

 紅茶を口に含んだところで問いかけられたアスカは顎を上げて視界の端にエヴァンジェリンの顔を視界に収める。間を置くように口の中の紅茶をゴクリと呑み込み、ティーカップを音を立てないようにソーサーへと戻す。

 腕を組んで背凭れに凭れ、中空を見上げて目を細めて麻帆良祭のことを思い出すアスカに言えることは少ない。

 

「色々あった」

「それだけか……?」

「あり過ぎて言葉に出来ねぇからそれぐらいしか言えねぇよ。明日菜とか小太郎には面倒かけたし、色んな人に迷惑をかけた。素直に悪いと思ってるし、反省もしてる。サンキューな、みんな」

 

 座ったままではあるが頭を下げて真摯に感謝を告げるアスカに、名前が出た小太郎は聞こえていない振りを貫き、明日菜は少しばかりの苦笑を浮かべる。

 頭を上げたアスカは全員の顔を見渡して、最後に明日菜と視線を合わせて苦笑を交わし合う。

 

「俺は今まではずっと親父の背中だけを見て走り続けてきた。その所為か、現在も過去も大事にしないようになっていた。でも、本当は未来を見ることであの日に蹲ったままの自分から逃げていたんだ」

 

 闇の魔法の後遺症で心を乱されていたとはいえ、明日菜を振り払ったことは今でもアスカの記憶にしっかりと残っている。何度も謝ったし、明日菜は許してくれたがしたことを決して忘れてはならないと自分に戒めている。

 

「それで?」

「自分にキツイ一発を入れられたよ。僕を捨てるな、忘れるな、逃げるなってな。痛感したよ、自分すら見捨ててきた奴が何やってたんだって。正直、小太郎と明日菜の喝がなかったらやばかった」

 

 拳を頬に当てて、聞いてきたエヴァンジェリンに答える。

 

「人は綺麗なまではいられない。善も悪も、強さも弱さも、過去も末来も、全てを認めて受け入れ、糧としなければ一歩前に進むことすら出来ない。そのことを今回は強く痛感した」

 

 握っていた拳を開いた手を見下ろしたアスカが何を想うのか、それはエヴァンジェリンにも分からないことだが今まで一方向にしか向かっていなかった意識が広がったこと感じ取って満足そうな笑みを浮かべた。

 

「超鈴音も上出来だったな。お前のような決めた道だけを盲目に邁進する者に世界を広げさせるのは最も難しい。諌めようとしてもなまじ才能が有り過ぎるものだからそこの覚悟がなかった時の馬鹿のように蹴散らされて終わりだ」

 

 それを言われてしまうと蹴散らした側のアスカも蹴散らされた側の明日菜も立つ瀬がない。微妙な表情を浮かべた二人を揶揄するように鼻を鳴らしたエヴァンジェリンは凭れかかっていたアスカの背凭れから離れ、空いていた上座へと腰を下ろす。

 

「自分はこうとしか生きられないなど、ただの思い込みに過ぎん。事、戦いの道を進むならば頑迷な生き方では長生きは出来んよ」

 

 上座に座ったエヴァンジェリンは足を組み、十歳前後の姿ではありえないほどの妖艶な笑みを浮かべてアスカを見る。

 

「透徹した目で見れば善悪は表裏一体、どちらかだけを切り離すことなど絶対に出来ん。愚物共は善だけを見ようとするが、寧ろ私は悪こそがこの世の真理だと考えている。窮地にこそ、人の本性が現れるというが大抵の場合、善であることは少ない。そう、悪を為す時こそ人の本質は見える」

 

 楽し気に笑いながら自説を披露するエヴァンジェリンの悪の魔法使い全開な姿に、武道会で心の傷を切開された時のことを思い出した刹那がブルリと体を震わせた。 

 悪人モード全開のエヴァンジェリンに慣れているスプリングフィールド兄弟・小太郎と明日菜はともかく木乃香はホワホワとしたままである。神経の太さは祖父譲りかとアーニャが考えていたかどうかは定かではない。

 

「流石はエヴァンジェリン。やはり師は悪人(バッドガイ)に限ります。善人では闇の魔法を受け入れるほどに柔軟な器を作り上げることは出来ません。英雄の息子も、ゆくゆくは悪の大魔法使い闇の福音の後継者、そんなところですか?」

「阿呆か。アスカがそんな玉に見えるのか」

「いいえ、どちらかといえば……」

 

 その場にいた全員の視線がネギに集中する。

 

「あれ、なんでみんな僕を見るんですか?」

 

 心底不思議そうに首を傾げるネギに誰も何も言わない。

 

「まあ、ともかく。その認識を得たアスカ君はこれからどうするのです?」

 

 全員がネギと目を合わせられない中で話題を逸らすようにアルビレオがアスカに問う。

 

「親父に会いたいって気持ちは今も変わらない。それだけじゃなくて、親父達が何を見て何を感じて来たのか、俺が、俺達が生まれてきたルーツっていうのかな、それを知りたいって気持ちが日に日に大きくなっていってる」

 

 アスカはここ数日で考えていたことを話そうと口を開く。

 

「夏休みになったら魔法世界(ムンドゥス・マギクス)に行こうと思う」

 

 アスカの言葉にネギとアーニャが目を剥いた。

 

魔法世界(ムンドゥス・マギクス)……?」

「分かり易く言うなら魔法使いの世界ですよ。亜人や幻想種が普通に暮らすこの世界とは違う世界――――それが魔法世界(ムンドゥス・マギクス)です」

 

 知らない単語が出てきて首を捻る明日菜の疑問に、彼女の斜め後ろに立っていたアルビレオが説明する。

 

「俺のルーツ、親父達がいない理由、その全ては魔法世界(ムンドゥス・マギクス)にある」

「…………何故、そう思うのですか?」

「親父、生きてんだろ?」

 

 アルビレオの問いに対してアスカは全く関係のないようなことを聞いた。

 

「ええ、彼は今も生きています。私が保証しましょう」

 

 一瞬、ほんの一瞬だがアルビレオの言葉の直後に時が止まったかのように滝の音が良く聞き取れるぐらいの静寂が広がった。

 

「証拠はこの仮契約カードです」

 

 ゴソゴソと右手の裾の手を入れて取り出したのは、言うようにアルビレオの仮契約カード。一冊の本を持ったアルビレオ本人と彼を螺旋状に取り囲む幾重にも連なる本が描かれたカードは武道大会でこの場にいる面々全員が見ている。

 

「親父とのカードか」

「間違いなくナギと仮契約したものですよ」

 

 カードを見た瞬間に木乃香が何かに気づいた様子でアルビレオの顔とネギの顔を見比べ、「なあ、くーねるはんは二人のお父さんとキスして仮契約したん?」と少し恥ずかし気に爆弾を落としたのだった。

 瞬間、物理的に空間が凍結したかのような衝撃が全員に走り、アルビレオに視線が集中する。父親が男とキスをしたのか瀬戸際なネギとアスカの視線が特に強い。

 

「秘密です♪」

 

 何故かブリッ子風に答えたアルビレオに全身の脳裏に二人の仮契約シーンが思い浮かんでしまい、ネギはブルブルと首を振って妄想を振り払う。

 

「そ、それで父さんは今ドコに……」

「申し訳ありません。私にはそれ以上は分からないのです」

 

 話題転換も兼ねての問いだったがナギの居る場所が分かるかと思ったネギだったが、そう簡単にいかないことは予測していたので大きく落胆はしないが少し肩を落とす。

 

「生きているのは間違いありません。このカードが彼の生存の証拠です。これは別の人達との仮契約カードですが、契約者――――つまりは主が死ぬとカードはこのようになります」

 

 そう言ってクウネルは他の仮契約カード数枚を取り出して見せる。それらは最初に見せたものと若干絵柄が違っていた。アルビレオの姿は描かれているが、螺旋状に取り囲む無数の本が無くなり、地味になっている。

 

「そうですか。でも、とにかく父さんは生きてるんですね。後はアスカと一緒に魔法世界で手掛かりを探してみます。ただ、これだけは教えてほしいんですが」

 

 ネギも全ての手掛かりは魔法世界にあると考えていた。過去を知ると共に調べなければならないこともある。その前にそのことを知っていそうな人物に聞くのも手だと考え、ネギはアルビレオを見ながら口を開いた。

 

「二十年前の僕達の母の真実を」

 

 心の底に泥のようにこびり付いて引き剥がせなかった疑問を、ようやく言葉に出来た。

 

「…………私の口から全てを語るのは逆に先入観を抱かせてしまうでしょうから、少しだけ」

 

 アルビレオは直ぐには答えず、老人が通り過ぎた過去を思い出すように、ひどく遠い目をしていた。

 年老いた者だけがする、遥か遠い輝いていた過去を懐かしみ、まるで眼の前の光景のように捉えるそんな眼差しだ。それが逃避なのか、それとも過去に対する洞察なのか、ネギには分からなかった。

 

「強い人でしたよ。誰よりも勇ましく気丈で、世間に流布しているような大悪人では決してない。それは断言します」

 

 余韻を残して消えていく言葉は痛切に心に届くほどの重みを持ってネギの中に染み込んで行った。が、続く言葉はなく、教えられる範囲はここまでらしい。

 

「お袋のことも知りたきゃ、魔法世界に行けってか」

 

 ニヤリと笑いつつ、アスカが揶揄するような言い方で話しているのを見ながらエヴァンジェリンは紅茶を口に含む。

 

「論より証拠。二十年経ちましたが、まだ戦禍の跡が著しく残っていると聞きます。私の言葉よりも君達自身で足跡を追い知ることが大切です。ただまあ、魔法世界はこの世界よりも遥かに危険です。どうですお二方、私の弟子になってみませんか?」

「ブゥハッ――!!」

 

 突然のアルビレオの爆弾発言に、エヴァンジェリンは思いっ切り口に含んでいた紅茶を噴き出した。幸いにも直接上にあるのは机だけで人はおらず、茶々丸が黙々と片づけていく。

 

「はぁ?」

「で、弟子ですか?」

 

 突然の話にスプリングフィールド兄弟も困惑している。

 先に困惑から回復したエヴァンジェリンが椅子を蹴り立てて机を叩きながら立ち上がった。

 

「ちょっと待てぃ! アルビレオ・イマ!!」

「ココだけの話ですが、エヴァンジェリン…………あれはイケマセン。あんなのに師事しては、人生を棒に振ってしまいますよ?」

「何だとアル、貴様――」

「例えばアスカ君、私の弟子になればイノチノシヘンで多くの強者と戦闘経験が積めます」

「なに?」

「こら、アスカ。なにを目を輝かせてる!」

「例えばネギ君、空き時間ならばここにある魔導書は好きに読んでも構いませんよ」

「え?」

「物で吊るとは何事か、アルビレオ・イマ! おい、アル!!」

 

 少し興味が引かれている様子のアスカとネギから弟子を奪還すべく、下手人の名を本名で読むが反応せず、心変わりに危機感を覚えたエヴァンジェリンは肩を震わせて大きく口を開いた

 

「クウネル!!」

「何でしょうか、キティ?」

 

 本名では全く反応しなかったアルビレオが輝かしいまでに清々しい笑顔で、まるで始めて呼ばれたかのように振り返り今更気づいたように頷いた。

 

「おやおや、二人とも相手がいるのですから横恋慕はよくありませんよ。まさかナギの時といい、そういう性癖が……」

「性癖とか何の話をしているっ、アホか! エロナスビ! ええいっ、貴様何を企んでいる!? 二人を弟子に取るなどと何が目的だ!!」

 

 風評被害も甚だしい言い様にアルビレオの胸元に飛びついたエヴァンジェリンは少し涙目になっていた。アルビレオは笑みを深めて首を傾げる。

 

「何が目的って……アナタがムキになって慌てふためく姿を見たいからに決まってるじゃないですか」

「死ねえい!!」

 

 鬼畜過ぎる企みに魔力を滾らせたエヴァンジェリンが鋭いパンチのツッコミを入れるが、アルビレオの身体を透り抜けた。その身体も武道大会の時と同じで霊体に近い存在のようで、好きに実体化が出来るようだ。

 

「いやいや、アナタの嫉妬する姿というのもなかなかの見物です」

「私がいつ嫉妬した――!?」

 

 顔を真っ赤にしたエヴァンジェリンがに連打を加えているが、今のアルビレオは無敵状態といってもいい。まともに相手をするだけ無駄なのだが頭に血が上ったエヴァンジェリンは愚行を繰り返す。明日菜達はその様子を苦笑いを浮かべて見ていた。

 

「いいように遊ばれてるわねー、エヴァちゃん」

「ホントに天敵なんやねですね……」

「好きな娘を苛める小学生みたいな対応だけどね」

「あははははは」

 

 やがてエヴァンジェリンが疲れ果てて胸元から手を離すと、アルビレオがアスカを見る。

 

「さて、アスカ君。少し内密な話があるので場所を変えて話がしたいのですが構いませんか?」

「俺に? まあ、いいけど」

「では、こちらへ」

 

 エヴァンジェリンが紅茶を噴いたことでフルーツは食べれたものではないので茶々丸が片づけている。紅茶も随分と飲んだから席に居続ける理由もなかったアスカは促されるがままに席を立ってアルビレオの後を追っていく。

 中央部に戻って別の島先へと渡ったアルビレオは端に辿り着くと振り返った。

 

「申し訳ありませんが学園祭最後に見せた闘法をここで再現することは出来ますか?」

 

 アルビレオは咸卦法と闇の魔法を同時に発動させた闘法を、アスカが自分の意志でもう一度行えるかを確かめねばならない。神殺しの刃がただ一度の奇跡かどうかでアルビレオの目論見は変わって来る。

 

「多分な、俺もやってみたいし。うし、やってみっか」

 

 どうして見せなければならないのか疑問ではあるが、アスカとしても何時かは行わないといけないと考えていた。世界樹の根のこの場所ならば魔力が濃く、自爆しても治癒術士の木乃香もいる状況は願ってもない。

 気合を入れたアスカはあの時の感覚を覚えるように目を閉じて深呼吸し、器の扉を開いていく。

 紋様が浮かんだ両手を開いて胸の前で正対するように掲げ、なんとなく思い浮かんだ白と黒の光が螺旋を描くイメージが強く印象に残った。

 

「右手に気を、左手に魔力を」

 

 白の光は気の中に込め、黒の光は魔力の中に込める。

 

「――合成」

 

 相反する気と魔力、白と黒の光が螺旋と共に混じり合い、開かれた器を通って喜怒哀楽の感情と色んなものが押し寄せて来るが流れに逆らわず、受け入れていく。

 一瞬無風になり、凄まじい閃光と共にアスカの全身を凄まじいまでに強大なオーラが覆う。台風の中心のように世界樹の根から魔力が溢れ出てアスカの下へ集い、吸い込まれていく。

 増大し続けるあまりに巨大なパワーに地下空間が耐えきれぬとばかりに震える。

 

「素晴らしい……!」

 

 地震のように揺れる塔の先で何一つあの時と遜色ない力の波動にアルビレオは彼らしくもなく本音を漏らした。間近にいたアスカはエネルギーの調整に苦心しているらしく聞こえていなかったが、アルビレオの歓喜に満ちた言葉を聞いていれば目を開けて狂気に片足を踏み込んだ笑みを見たことだろう。

 目を閉じて集中しているアスカは、数十秒ほどして闘法を解いた。

 

「…………ふぅ、こんなもんでいいか?」

「ええ、十分ですよ本当に。どうやら制御に難があるようですね」

 

 身動き一つしていないが既に汗だくなのは、それほどにエネルギーが莫大過ぎて制御に苦心していたからだろう。その頃には元の胡散臭い笑みを取り戻していたアルビレオが言った。

 

「体の中で古龍が暴れるようなもんだった。少しでも動こうとすればボンだ」

「あれほどのパワーですから無理もありません。今までよりも、より高次元な領域で力を制御する必要がありますね」

「また針山の上で指立ちかぁ」

 

 嘗ての修行を思い出して溜息を吐いているアスカを見下ろしたアルビレオは制御できなくても仕方ないと考えていた。

 咸卦法と闇の魔法の亜種を同時に発動しながら、同時に火星の白と金星の黒の制御もしなければならないとなれば、高位魔法使いでの制御力でも直ぐに暴走して内側から破裂するレベルだ。動かないとはいえ、一分以上制御し続けたアスカを褒めるべき領域にある。

 

「真にその闘法を会得した時、君はナギを超えるかもしれませんね」

「その前に超えてみせるさ。どんなことでも続けていけば何時かはゴールに辿り着くもんだろ」

「――――ひょっとしたら、ナギもそうだったかもしれませんね」

 

 急にアルビレオが妙な事を言った。

 

「は?」

「成り行きでも出任せでも、そういう風に成ってしまった。だから続けた。それだけのことだったのかもしれません。いえ、すみません戯言ですね」

 

 アスカはアルビレオが何を言っているのかよく分からなくて首を捻る。その意味は自分一人が知っていればいいので、アルビレオは苦笑を浮かべるだけで説明しようとはしなかった。

 

「折角見せてもらいましたので報酬代わりに一つだけ過去のことを教えましょう」

 

 変わりに苦笑を止めてまた胡散臭い笑みに戻る。

 

「フェイト・アーウェンルンクスはご存知ですね」

「ああ? 修学旅行じゃ戦ったし、ヘルマンを送り込んだのもアイツらしいから忘れられねぇよ」

「それだけではありませんよ」

 

 と、一度そこで言葉を止めたアルビレオはアスカが驚くことを知っているかのように次の言葉を口にした。

 

「彼の者は紅き翼が大戦期に戦った完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)の残党にして、十年前にナギがいなくなった戦いに立ち会った者です」

「な、に……!?」

 

 アスカは息を止めた。繋がりを感じたからだ。

 二十年も前からの宿命染みた繋がり。関係ないと思っていた事柄同士が結びつき、自分達を巻き込んでいく。いや、既に巻き込まれているのだ。まるで蜘蛛の糸のような、因縁の絡み合いこそが、アスカを戦慄させたのである。

 それでもこんな偶然があるのだろうか。まるで因縁。目には見えない、魔法ですら完全には推し量れない何かをアスカは感じていた。

 アルビレオがフェイトのことを知っていた時点で何らからの関わりがあるだろうと予想はしていた。だが、実際に因縁が繋がり、突然といっていい展開で内情を曝け出された時、アスカは戦慄した。自分が何も知らなかった頃から、静かに積み重ねられていた運命の輪に、足元が崩れるような不安を感じた。

 あたかも遠い昔から定められていた宿命に遂に追いつかれてしまったように、アスカは指一本動かせぬまま立ち尽くしていたのだった。

 アスカは、この事実に関わった者に、目の前のアルビレオに真実を問いただす気力も湧かなかった。知れば救いのない奈落に突き落とされるようで、怯えたのだ。今まで固い大地だと信じていた足元が実は凍った底なし沼にすぎないと思ってしまった時のような、薄ら寒い気分になった。

 何か大きなものが動いていた。裏が全く見えないことが恐ろしかった。

 それもまた自分だと受け入れようと、抗おうとアスカは思った。醜いだけの自分にはならないように抗うことを決意する。何時訪れるともしれない運命に怯え続ける時期は、もう終わっている。まだ子供のつもりだったアスカが、大きなものを背負わねばならない時が来ていたのだ。

 

「…………なんか納得した。妙に親父のことに拘っている様子もあったしな」

 

 身に収まる莫大な力とは正反対の小さな声で呟いた少年は今、幸福だけが詰め込まれた巣から落ちて森の巣を知った雛鳥だった。大きすぎる世界で、居場所を確かめるように首を巡らし、俯き、そして真正面からアルビレオへと向き直る。

 

「フェイト・アーウェンルンクスは俺が戦わなければいけない敵だと、何故かそう思う」

 

 両眼を閉じて、アスカが言う。その表情に淡い影が揺れていた。

 アスカにとって、フェイト・アーウェンルンクスは妙に胸のざわつく相手であった。始めて会った時から気に入らず、何度もヘルマンを送り込んでくるなどその姿を見せずともアスカの前に常に壁として立ち塞がってきた。

 ただ不思議と運命や宿命以前に、感じるものがある相手であることは間違いなかった。

 

(…………似ている?)

 

 フェイトと戦ったことがあり、より深く二人の関係性を理解していたアルビレオは今更ながらに向かい合うアスカの姿に何故かフェイトを幻視した。

 見た目等の外見的なものではなく、もっと本質的なところで二人は似通っている。敢えて言うならば印象であろう。光と闇、太陽と月、一枚のコインの裏表のような不思議な親和性。けして交わらぬからこそ二人が出会った時は対立すると、アルビレオは不思議な直感と共に確信を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良の最深部、世界樹の根が幾つも張り巡らされた中に根に覆い尽くされるように大きなクリスタルがあった。人の身の丈を超えるこれだけの大きなクリスタルがあるだけでも驚嘆に値するが、問題はクリスタルが透き通っていてあろうことか中に人がいることだ。

 人影は全身を黒い布を覆い隠したフードを被った人影らしきもの。だが、それだけではない。まるで人影を抱き締めるかのように、金髪の女性の姿もあった。

 誰が分かろう、金髪の女性こそが魔法世界で「災厄の女王」との忌み名で呼ばれ、世間には秘しているが英雄ナギ・スプリングフィールドと結ばれて双子を生んだアリカ・アナルキア・エンテオフュシアその人であると。

 

「ナギ、アリカ様……」

 

 クリスタルの前にアルビレオ・イマが佇み、疲れた老人のように呟いていた。

 お茶会終了後にこの場所に降りてきたアルビレオは先程とは全く違う倦み疲れた目でクリスタルを見上げる。

 

「ようやくです。ようやく、あなた達を救う為の一歩を進められた」

 

 クリスタルの内側にいる二人を見ていると、まるで囚われているような錯覚を覚えるのは何故か。否、閉じ込められているというべきか。事実、フードを被った人影とアリカはクリスタルに囚われて、この場所で十年もの長い間封印されていた。

 

「奇跡のような過程を経て生まれた神殺しの刃は始まりの地へと自ら向かいます。誘導の必要もありませんでしたよ。本当に彼はあなたによく似ている。自らの為すべきことを直感で理解してしまえるところが特に」

 

 アルビレオは先程アスカ達にした話を想起して、ただでさえ冴えない表情を惨めなほどに崩す。

 彼を知る者がその表情を見れば別人かと疑うほどであったが、眼だけが爛々と輝いてクリスタルの中で時を止めたままの二人を見ている。

 

「きっと、あなた達は私のしていることを知れば怒るでしょう。なにしろ、この下衆な企みにあなた達の息子を利用としているのですから」

 

 罪を懺悔するように顔を伏せ、地に膝を付いたアルビレオが全身を震わせる。

 

「解放された時、幾らでも罵って下さい。幾らでも恨んで下さい。幾らでも憎んで下さい。その全てを私は喜んで受けます。ですから、どうか」

 

 その先の言葉は彼のみにしか聞こえず、虚空へと消えていき、アルビレオは決意したように顔を上げた。

 

「ナギ、我が主よ。あの苦難と絶望に満ちた中でも、笑いが途絶えることのなかった日々をもう一度……」

 

 歌うように、謳うように、謡うように、唄うように、詠うように――――伏したアルビレオは懇願するのであった。

 そこにいるのは優れた魔法使いでも、英雄と謳われる者でも、底の知れない男でもない。主を失って、ただ一人で落ち延びてしまったことを嘆く哀れな従者の姿でしかない。

 虚ろな空間に響くのはアルビレオの懇願と懺悔だけで、クリスタルの中の二人は静かに眠り続ける。

 




次回は少し時間が飛び、海の日。つまりは夏休みでの出来事になります。

咸卦法、闇の魔法・太陽道を合わせた技の良い名前が思い浮かばないものです。第一案は【咸卦・太陽道】ですが、良いネーミングがあれば活動報告までお願いします。

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