魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第45話 踏み出す者、踏み出せぬ者

 

 タカミチ・T・高畑は霧の中を歩いていた。気がついたらこの場所にいて、辺りは鼻をつままれても分からないほどの濃密な霧に包まれていた。

 思わず辺りを見渡すも誰もいなかった。霧はその濃さを増していく。

 何十分か何時間か経って、状況が変わらないことに不審を覚えても霧の中を彷徨い続けた。

 

「タカミチ……」

 

 幾ばくか進むと懐かしい声が聞こえて頭よりも先に高畑の足が止まった。今の声には聞き覚えがある。今はもういなくなってしまった人、自分に闘う術を教えてくれた師の声。タカミチ・T・高畑がこの声を忘れるはずがない。

 

「師匠?」

 

 だけど、師であるガトウ・カグラ・ヴァンデンヴァーグは自分の目の前で死んだはず。

信じられない思いで声のした方向に駆け出した高畑は、大岩に寄り掛かって胸から大量の血を流しているかつての師の姿を見つけた。声をかけようと口を開きかけた。

その前に息絶えているはずのガトウが顔を上げた。

 死相そのままの顔で、睨み付けるように高畑を見る。

 

「タカミチ、何でだ? 何で嬢ちゃんをこちらに関わらせた。俺の最後の言葉を蔑ろにするのか」

 

 それは確かに死んだはずの高畑の師匠で、息も絶え絶えに喘いでいるのもあの時をそのまま再現したかのよう。

 

「ち、違う! 僕は――」

「ナギの息子なら私を任せても大丈夫だと思ったの?」

「……っ!」

 

 その師が今、自分の最後の言葉を無視して明日菜を関わらせたことを責めている。 

 そんなつもりはないと反論しようとしてしようとして、後ろから聞こえた声に振り返ると、そこにいたのは幼い頃の明日菜の姿―――――神楽坂明日菜ではなく、記憶を失う前のアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアその人であることを直感で悟った。

 

「英雄であるナギなら、あなたには出来ないことをやってのけるナギなら、そのナギの息子なら……………私を守ってくれると、そう思ったのタカミチ?」

 

 高畑の膝が崩れ落ちる。目の前の断罪者を見ることが出来ないように顔を俯けた。

 ああそうだ、と高畑は目の前の摩訶不思議な現象を前にして、心の内側から本心に近い声が答えるのを聞いた。

 幼いタカミチにとって、途中で合流した紅き翼の全員が例外なく憧れの的だった。その中でも誰よりも輝いていたのは千の呪文の男の異名を持つナギ・スプリングフィールド。

 最年少ながらも名実共にグループのリーダーだったナギに、まだ幼かったタカミチ少年が憧れるなというのは無理もない話があった。

 でも、タカミチ少年には魔法使いとして必須のスキルが欠けていた。生まれつき呪文の詠唱ができない体質だったのだ。

 勿論、師であるガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグに不満もなかった。彼がいなかったら紅き翼と関わることもなかったので感謝している。

 それでも幼心に根付いた憧れは消せなかった。魔法使いとして致命的なほどの不適格の称号を押された彼だからこそ、誰よりも魔法使いとして輝き続けたナギ・スプリングフィールドは眩しすぎた。

 ナギは世界を救い、誰にも救わないはずのアリカ・アナルキア・エンテオフュシアすらも救って見せた。どれもタカミチには出来なかったことだ。力を付けた今でもきっと出来ない。

 大人になって、師を失って、守る人が出来て、だからこそ高畑はナギに憧れを抱く。

 大人になることはきっと出来ないことを認めてしまうことだから、何時だって先頭を突っ走って立ち塞がる障害を打ち砕く背中に焦がれてしまう。

 そのナギの、世界の恨みすらも引き受けたアリカの、二人の子供なら自分に出来ないこともやってのけるのではないかと期待する。勝手な思いだと理解していても止められない。

 

「そのあなたの勝手な願いが私を殺す」

 

 ハッと不吉すぎる言葉に反射的に高畑は下がっていた顔を上げた。そこにはもう、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアはいない。見知った十四歳の神楽坂明日菜の制服を着た後ろ姿があった。

 

「明日菜君?」

 

 おかしい。声をかけたのにピクリとも動かない。

 声をかけても反応しないので、動かない背中に手を伸ばした。明日菜の背中が動いて、伸ばした手が止まった。

 こちらに振り向くのかと思ったのだ。でも違った。振り向きはしなかった。ゆっくりと目の前で横に傾いていくのを唖然として見ていることしか出来なかった。

 

「……ぁ」

 

 力を失った明日菜の体が横に倒れる。目の前の現実が理解できなくて支える暇もなかった。

 うつ伏せに倒れた明日菜の体の下から紅い赤い液体がとめどなく流れていた。これは何だろうと目の前の事実を理解できない高畑は、倒れてピクリとも動かない明日菜の体を仰向けにした。

 

「ぁぁぁ……」

 

 仰向けにした明日菜の顔は綺麗なものだった。ただ、生気溢れていた瞳が人形のように伽藍同になっていて、唇の端から活動的な性格とは裏腹の白い肌を染め上げるように流れる血がなければ。

 心臓がある左胸を穿つ穴から今もダラダラと、許容量を超えたコップに水を注ぎ続けるように血が流れ続けていなければ死んでいると解らなかっただろう。

 悪い冗談だと明日菜を抱え上げて、ありえないほどの軽さと冷たさにゾッとした。現在進行形で熱を失って冷たくなっていく明日菜を見下ろした脳がオーバーフローする。

 

「ああああああ…………」

 

 そして見た。明日菜の死に体から顔を上げた先に、彼女を殺した証明をするように右手から血をポタポタと垂らして立ち尽くす下手人を。

 何時も黒衣を身に纏った短い金髪を逆立てた少年アスカ・スプリングフィールドが目の前に立っていた。その顔は明日菜を殺して哂っていた。どうしようもなく哂っていた。

 

「ああああああああああああああああああああっっ!!!!」

 

 腕の中で明日菜を死んだ。目の前にいるアスカに殺されたのだと脳が正しく理解する前に、魔力がオーバードライブして理性を焼き尽くす。何もかもを呑み込んで、手を伸ばせば届きそうな位置にいるアスカ目がけて致死の一撃を振るった。

 ゾムッと肉に手を突っ込んだらこんな音がするだろうかという感触と共に、高畑の手が目の前にいる人物の左胸を正確に貫いた。

 

「ほら、やっぱりタカミチが私を殺した」

 

 腕の中から声が聞こえた。だが、高畑の目は下を向かない。何故ならば彼の目は己が腕で貫いた神楽坂明日菜(・・・・・・)に向いていたから離れようがない。

 

「明日菜、君? 君がどうして――」

 

 そこにいる、という問おうとした言葉は声にならない。

 どう見ても左胸の心臓を正確に背中側まで貫かれた明日菜の口が微かに動く。守ると心に決めた少女の口が声ならぬ声で、「どうして」と動くのを見た時、高畑の精神は完膚無きまでに壊れた。

 

「あああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!」

 

 タカミチ・T・高畑は己が罪に血の涙を流して、声よ嗄れよとばかりに慟哭した。

 

 

 

 

 

 そして悪夢から目を覚ます。

 

「ようやくお目覚めカ、高畑先生」

 

 待っていたのは、現実という名の地獄とも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女性の胸で窒息するという男の夢を成し遂げて気絶したアスカ・スプリングフィールドは担架で運ばれていった。

 去って行くアスカに会場中の男達の野次が飛んだのは言うまでもない。望まずとも全裸になってしまった高音・D・グッドマンは自らが捨てたローブを佐倉愛衣が拾ってきてくれたお蔭で、アスカよりも先に脱兎の如く舞台から去って行った。

 

『え~、グッドマン選手が辞退するとのことでアスカ選手の勝利となりました』

 

 高音の使い魔が放った影の槍によって空いた穴を塞いだ麻帆良大土木建築研のメンバー達が使った道具と材料を手に肩に持ちながら去って行く。穴だらけになっていた舞台が瞬く間に修復されていく様子を見て、観客達が歓声を上げる。

 普通の格闘大会と同じように一試合が終わったインターバルの間にトイレに行ったり水分補給したりと、そうでなくても隣近所と先程の試合の寸評をしていて観客達は思いの外忙しい。

 

『ご覧下さい。麻帆良大土木建築研の手によって空いていた穴も迅速に修復されました』

 

 第一試合を行ったアスカと高音の姿はなく、舞台の修復を行っていた麻帆良大土木建築研も作業を終えていなくなった舞台上に、ただ一人残った和美が大会進行を進める。

 

『Bブロック第二試合が引き分けにて、試合相手不在によって試合相手不在によって高畑.T.タカミチ選手を準々決勝進出とします。暫しの休憩の後、二回戦第三試合を行います』

 

 司会進行を行う和美の姿を観客席から眺めていた長谷川千雨は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「しっかし、あいつは何をやってんのかね。もっと楽に勝てたろうに」

 

 先程のアスカの醜態を思い起こして何故か頬を引き攣らせる自分が不思議だった。

 アスカのことを考えていると試合での気絶する前の様子が思い起こされ、これまた何故か自分の胸元を見下ろして溜息を漏らす。そんな千雨の変わった様子を見せたので、ネギは理解できずに首を傾げ、カモは「ははーん」とでも言いたげな顔をし、のどかは面白いを物を見つけたように瞳を輝かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 担架で運ばれたアスカを見送った明日菜の内側で広がっていくものがった。

 広がっていく何かに名前を付けるとするならば怒気。

 

「…………あぁもぉ! さっきのアレはなんなのよ! 頭くるなぁ――っ!」

 

 怒りが収まらぬと頭を両手でガシガシと掻き毟り、地団太を踏むように床を踏み叩く。

 「怒髪、天を衝く」とは正にこのことで、最初は刹那も口をポカンと開けて唖然とした。地団太を踏むその姿は年頃の乙女としては少し恥ずかしい。刹那は今の明日菜にかける言葉がない。

 

「えぇ……! 男は大きな胸の方が好きって言うけどね。ああ! 苛々する!」

 癇癪を盛大に爆発させる明日菜が言った言葉に、さっきの二回戦第一試合の顛末を思い出して納得した。

 アスカは対戦相手であった高音の裸の胸――――刹那よりも遥かに大きく、明日菜よりもなお大きい――――で窒息するという男の夢を体現して気絶していた。

 明日菜はどうやらその事実が、特に自分よりも大きい高音の胸で気絶したことが許せないようだった。

 額にハッキリと青筋を浮かべ立たせて八重歯を覗かせるように叫ぶ明日菜に、刹那は怒気に圧されかけていたがこのままではいかないと心を定める。

 

「あ、あの明日菜さん。少しお話ししたいことがあるのですが?」

「話?」

 

 クルリと振り返った明日菜は、刹那の提案に怒りも忘れて首を捻った。

 

「はい、お嬢様も交えて」

 

 決心を固めた様子の刹那に、明日菜は気圧されたように頷くのだった。

 

 

 

 

 

 仮契約カードを通して念話して呼んで合流した木乃香も合わせて、人の目が無い所ということでアスカが寝ている臨時救護室にやってきた三人。

 室内にいた保険医は、アスカの気絶の原因が分かりきっているので大した心配もせずに部屋を出て行った。

 

「それで、せっちゃん。話しってなんなん?」

 

 襖が閉まって少しして、中々口を開こうとしない刹那よりも先に木乃香が口火を切った。

 その言葉を切っ掛けとして、刹那の重い口が開く。

 

「…………私の、秘密についてです」

 

 刹那は気持ちを切り替えるように大きく息を吸って、また吐いた。

 そして心を決めると少し前に屈んだ。

 

「ずっと言えなかったことがあります。お嬢様にもずっと秘密にしていたこの姿を。でも、今なら……」

 

 そう言うや否や刹那は、屈んで大切な何かを抱き締めるように腕を交差する。

 一瞬の後、彼女の背中から美しい純白の翼が生え、まるで花が咲くように鮮やかに大きく羽ばたいた。

 一点の曇りもない無垢な純白の翼が羽ばたく度に白い羽が風に舞い、幻想の風景へと作り変えていく。

 

「ええーっ!?」

 

 明日菜が驚きの声を上げた事に、お守りのように箒を握る手に力が入っているのにすら今の刹那には分からなかった。

 

「私は純粋な人間ではありません。烏族とのハーフ。この翼は、普段隠しているものです。そして」

 

 髪の毛を染めていた呪術が解かれ、カラーコンタクトを外す。

 すると、刹那の髪は白く染まり、血のように紅い瞳が現れる。

 

「これが私の正体、烏族にすら疎まれた私の本当の姿です。でもっ、誤解しないでください。私のお嬢様を守りたいという気持ちは本物です!…………今まで秘密にしていたのはこの醜い姿を見られて、お嬢様に嫌われたくなかっただけ……! 私っ……明日菜さんのような勇気も持てない…………情けない女です!!」

「せっちゃん」

 

 更に言い募ろうとした刹那の言葉を、感情を感じさせない平坦な声をした木乃香が遮った。

 刹那は木乃香の視線が自分の顔よりも後ろにあることを感じていたから恐ろしくて顔を上げられなかった。

 顔を上げて、その視線の意味が分かってしまったら、もしも恐怖や嫌悪の色があったら刹那は生きていけない。嫌な想像ばかりが働いて、今にも倒れそうなほどに顔色を蒼くする。

 そんな刹那を見て木乃香はクスリと笑って言った。

 

「――――キレイな羽やね。せっちゃん、天使みたいや」

 

 朗らかで優しい木乃香の声に、刹那は顔を上げた。

 上げた顔の先で、木乃香はにっこりと満面の笑みを浮かべていた。決して恐怖も嫌悪もない。寧ろ、ようやく打ち明けてくれた秘密に喜んですらいた。

 

「ありがとうございます、お嬢様」

 

 その言葉を聞いた刹那も泣き笑いのような表情を浮かべ、自分の心が一気に軽くなるのを感じて一粒の涙を流した。

 全て杞憂で何も悩む必要なんてなかったのだと思う。何年もの間、心が離れていた二人の少女がまた再び心を通わせた、記念すべき瞬間だった。

 

「ふぅ~ん」

「ひゃ!?」

 

 声を詰まらせ、涙を流している刹那がいきなり素っ頓狂な声を上げた。そんな声を上げさせた感触を受けた所を慌てて見ると明日菜がいた。

 

「――――って、あ…………あの、明日菜さん?」

 

 明日菜は刹那の言葉を意に介さずに近寄り、羽に触れた。翼の生え際を指で撫でたり、顔を埋めてみたり、匂いを嗅いでみたり、撫でる、抱きしめる、匂いを嗅ぐ等のとにかくいじくり倒した。

 己が好奇心の赴くままに刹那の翼を堪能した明日菜は自分の行為に納得したのか、不審な行動を止めた明日菜は一歩下がると、戸惑う刹那の後ろに立ち、思いっきり腕を振りかぶり刹那の背中を張っ倒した。

 

「きゃうっ!? な、何をするんですか!?」

 

 いきなり背中を叩かれて気の抜けた声を上げて驚いた刹那は抗議の声を上げるが、明日菜はそれに取り合わずカラカラと笑う。

 

「なーに言ってんのよ! こんなの背中に生えてくるなんてカッコイイじゃん」

「え…………」

 

 きょとん、とした表情を浮かべる刹那に向かって、明日菜は不敵で素敵な笑顔で言い切った。

 

「あんたさぁ……木乃香の幼馴染でその後二年間も陰からずっと見守ってたんでしょ。その間のあいつの何を見てたのよ。木乃香がこの位で刹那さんのことを嫌いになったりすると思う? ね、木乃香」

「うん! 明日菜ばっかりズルいわ。うちもせっちゃんの羽、触る!」

「私も負けないわよ!」

「ひゃっ!?」

 

 飛びついて来た木乃香と、負けじと触る明日菜に撫でまわされ、刹那は変な声を上げてしまう。他人に触られたことがないので敏感で、思わず悲鳴を上げて飛び上がり、そのまま尻餅をついた。

 

「極上の羽毛にも負けへん柔らかい手触りや~」

「あの、私の羽については何も思わないのですか?」

 

 人に限らず、集団と言うものは異物を厭うのだ。

 その無思慮な反応は、しかし異物を含む事のデメリットを考えれば、ある意味健全な反応であり普遍的に起こり得る事なのである。 そんな扱いに晒され続けた刹那だからこそ、自身の正体を明かす事を躊躇う。

 それを知って受け入れてくれたのは、詠春を始めとしたほんの僅かの人だけ。そんな彼をトップに頂く組織としての『西』ですら、けして安息の場にはなり得なかった。

 

「? いい手触りやん。それがどうかしたん?」

 

 返ってきたのは、幸せそうに自身の羽を触る木乃香の姿。

 木乃香は本心を、思ったことをそのまま口にする。それが本当の嘘偽りのない本心だと分かったからこそ、ただ、ただその一言だけで刹那の目に涙が浮かんできた。

 

「うっ………うっ……うっ………うっ…………」

 

 何かが変わったわけじゃない。それでも初めて羽を褒めて貰えて嬉しくて涙が止まらなかった。泣いている顔を見られないように両手を顔に当てて、声を押し殺すように泣いた。

 木乃香と明日菜は大丈夫だよとばかりに羽を撫で続けるのであった。

 

「…………気まずい」

 

 明日菜の怒気に怯えてとっくの昔に目覚めていることを言い出せなかったアスカは、時期を逸して何も出来ずに布団の中で身動ぎしたのであった。

 

「あの羽って隠してたのか…………良かった、言わなくて」

 

 霊体化していた羽を初対面の頃から看破していたことを口にしなくて良かったと、一人で布団の中で何度も頷くのだった。

 

 

 

 

 

 隠し事が向いていないアスカが何時までも寝たふりが出来るはずもない。

 

「なにも叩かなくたっていいだろ」

「全部知ってたんでしょ。なら、教えてくれたっていいじゃない」

「本人が隠していることを教えるのは如何なものかと」

「本音は?」

「まさか隠しているなんて思わなかった」

 

 と、刹那の羽を見ても驚くことすらしなかったアスカは誘導尋問で手持ちの情報を吐かされ、制裁として明日菜から拳骨を頂いていたのだ。

 まだ試合の残っているアスカが選手控え席に戻るのに合わせて臨時救護室を出た四人。

 

「あの、私の羽には何も思わなかったんですか?」

 

 おずおずと、再び羽を隠して髪と瞳を戻した刹那が問いかける。

 

「魔法世界には獣人も普通にいるっていうし、ハーフも珍しくないだろってか小太郎もそうだし。烏族では不吉の象徴とされてたって、初めて聞いた俺にとってはただの白い羽だからな」

 

 だから別に変に思うこともなかった、と真顔で言われた刹那は表情の選択に困った。初対面の頃から分かっていたというのだから、実に四ヶ月もの間もすれ違っていたのだから泣くに泣けない。

 人生の悩みがあっさりと流されていることに、怒ればいいのか悲しめばいいのか、刹那自身にも班別がつかないようだった。

 

「隠しちゃうの? 折角、綺麗だったのに」

「まだ皆さんに言えるだけの度胸がなくて」

「もう、せっちゃんは可愛いんやから」

「お、お嬢様……」

 

 明日菜に問いかけられて、照れたように笑った刹那に突進した木乃香は、それだけ彼女が自分達に心を許してくれていることが嬉しすぎてこの世の春を謳歌していた。

 

「でも、聞いて良かったと思う。刹那さんのことも色々と分かったし」

 

 舞台方向からの熱気に煽られるように吹いた風に亜麻色の髪を揺らめかせながら明日菜は一人頷く。

 

「なんちゅうか、変わっているようで全然変わってなんかなかったみたいな感じ」

 

 木乃香の分かるような分からないような、トンチ染みた言い回しにもアスカと明日菜は頷いた。

 

「刹那は早とちりだってことだな」

「それは違う」

 

 コン、と明日菜に拳で頭を小突かれたアスカは、これが俺だと高音の独特空間に振り回されずに済むことに感無量という風情だった。

 

「意志を言葉にして伝えて、分かり合うことを怠ったったらあかんねん。今回、うちはそのことを強く思ったわ」

 

 それぞれに思うところは大きい。彼女達は自分達が子供であることを認めずにはいられない。

 とても簡単な、意志を言葉にするということを怠っていた。

 明日菜が言葉を重ね、想いを伝えることで頑なに閉ざされていたアスカの心の扉をこじ開けたように、怠慢は時に罪悪になるのだと知った。

 

「共に在る道を選ぶか、それとも拒絶するのか」

 

 このままではいけないと思うのならば受け入れなければならない。受け入れて話して、そして決めればいい。どの道を選んでも後悔だけはしないように。

 

『それでいい』

 

 脳裏に映る残影は選択に笑ったような気がした。明日菜は自らの選択が間違いではないと思った。

 

「?」

 

 満足した表情で一人で頷いていた明日菜の頭上が突然曇った。そうとしか言いようがないほどに影が彼女の姿を覆っていたからだ。

 気になって顔を上げたのは当然の流れだった。誰だって思うはずが無かろう、自分の真上に人が落ちて来るとは。

 顔を上げた明日菜の視界に映ったのは白だった。

 

「白」

 

 大輪の黒い花弁が映える中心の純白が明日菜の視界に真っ先に入って来た。その横にも同じように大輪の黒い花弁と中心の純白が並んでいる。こっちは少し小ぶりで見える茎のような二本の脚は褐色に近い色をしていた。

 隣で明日菜よりも早く上を向いていたアスカの口が開いていた。

 

「見ないの!」

「ほわったぁ!?」

 

 取りあえずアスカの目を潰すことにした明日菜の指が放たれ、完全に完全に油断していたところだったのでアスカは諸に食らって奇声を上げる。

 

「へ?」

「む」

 

 木乃香が同じように呆然とした声を上げ、刹那が手元の箒を警戒するように強く握った。

 アスカが「目が~、目が~」と悶える中で、二つの純白は明日菜達を飛び越えて後ろ数メートル離れたところに見事に着地した。小振りな方は回転までして十点満点を上げたくなるぐらいに鮮やかな着地だった。

 

去れ(アベアット)

 

 明日菜達が見上げただけでも拝殿よりも高い位置から見事に着地したのは花ではなく二人組のシスターだった。

 

「さぁて、どうすっかな。サボって試合見ちゃう?」

 

 気が抜けたように片手にアーティファクトから戻した仮契約カードを手にしているシスターに、彼女の腰辺りの身長しかない小学校低学年ぐらいの褐色系の小さなシスターがスカートを引っ張っていたが気づいていなかった。

 

「…………美空ちゃん?」

 

 「misora」とハッキリと書かれた仮契約カードを見て、大して変わらぬ体格、聞き覚えが満載過ぎる声から、シスターの正体を推測するのに時間はかからなかった。

 

「え……アス」

 

 当のシスターは自分の名前を呼ばれてウッカリと反応してしまった。しかもこれまたウッカリと声をかけて来た級友の名前まで殆ど言いかけてしまっている。

 今更、慌てて口を手で押さえたところで遅い。知り合いの多い麻帆良学園都市で行動するための着けている、顔の鼻下を完全に覆う変装用のマスクの意味がない。

 

「え~と、アス…………明日は晴れるのでしょうか?」

「美空ちゃん!? 美空ちゃんでしょあんた!? 何やってんのよこんな所で!? それにそのカードはぁっ!?」

 

 取りあえず名前を呼んだのではないと強引に話題をすり替えようとしたが、シスターの小さな努力は既に正体を確信してしまった明日菜に通用するはずもなかった。

 これは駄目だと背を向けたところで意味はなく、逃がさないとばかりに肩に手を置かれた。

 

「い、痛っ! 私は美空などというシスターではありませんのことよ! ただの通りすがりの一市民でありんす!」

「クラスの短距離で毎回首位を争っている私の顔を忘れたとは言わさないわよ!? というか変な口調過ぎ、こっち向きさないよコラァっ!!」

 

 ジタバタと暴れたところで万力のような力で拘束されて抜け出せない。

 割と真面目に逃げようと身体強化まで施しているのに、明日菜は咸卦法まで使って逃がさない体勢を作り上げていた。

 こうなれば咸卦法を使って地力で圧倒的に勝る明日菜が勝つのは当然で、抵抗の甲斐もなく振り向かされて顔を覆っていたマスクを引き摺り下ろされた。

 

「ほら、やっぱり美空ちゃんじゃない」

「うう、明日菜の馬鹿力ぁ。絶対に肩のところ痣になってるよ」

 

 ついでとばかりにフードまで捲り上げられて頭部も完全に露出し、春日美空はシクシクと割と本気で泣いていた。

 

「あ、傷はうちが治したる。プラクテ・ビギ・ナル 汝が為にユピテル王の恩寵あれ 治癒」

 

 トコトコと言いながら近づいた木乃香がポケットから取り出した見習い用の小さな杖を軽く振りながら治癒魔法を唱えると、光が美空の身体に吸い込まれて消えていく。

 

「げ、何ちゅう魔力。うわっ、マジで治ってる」

 

 使われた魔力が初級呪文なのに自分の全魔力に匹敵することを未熟ながらも感じ取った美空は、痛みが完全に引いたことも合わさって身震いするほどの衝動を覚えていた。

 しっかりと周りの目に見えないように刹那がさり気なく木乃香の姿を自分の身体を使って隠しているところ辺りにも戦慄を覚えた。

 

「美空ちゃん、うちら仲間やってんな。知らんかったわ」

「いやそのえーと」

 

 無邪気に喜んでいるように見える木乃香の後ろで無言で見つめて来る刹那と、咸卦のオーラを立ち昇らせる明日菜が怖くて美空は口が上手く回らかった。

 もしかして自分はこのまま始末されるのではないかと予感が全身を震わせる。

 

「話してくれるわね」

 

 話さなければ逃がさないと咸卦のオーラを立ち昇らせた明日菜の背後に薄らと浮かぶ鬼神様に言われました、と後に美空はシスター・シャークティに沈痛そうに語ったそうな。

 

「俺も治してくれよ」

「すみません、明日菜さんが怖くて」

 

 目を抑えて悶えているアスカに明日菜の味方をする木乃香は治癒してくれる気配もなく、肩を叩いた刹那が慰めるのであった。

 

 

 

 

 

 何やら込み入った話になりそうなので、場所を境内から誰も使わなさそうな臨時更衣室に場所を移した五人は、途中で合流した高音・D・グッドマンと佐倉愛衣の二人も同席していた。後者の二人は最初から合流予定だったそうで、明日菜達がいることの方が驚かれた。

 高音が近づいた時点でアスカは一人で逃げた。どうやらアスカの中で高音は天敵認定されたようだ。

 それはともかく、観念した美空は全ての事情をゲロっていた。

 

「高畑先生が超に地下に閉じ込められた――――っ!?」

 

 自分が魔法生徒であることや学園側の指示で武道会のことを調べるように命令を受け、しかし入り口で龍宮真名の妨害に遭い、来れなくなった鳴滝姉妹のチケットを譲り受けた美空とココネ・ファティマ・ロザだけが担当の魔法先生であるシスター・シャークティを置き去りにして辿り着いたことも、大会主催者である超鈴音に気づかれぬように会場地下へと潜入して囚われている高畑との連絡を取って可能なら救出することまで、綺麗に一切合財全て話した。

 

「待ってちょっとだけ待って! いきなりそんなこと言われても訳が分からないわよ」

 

 誰も言わなかっただんから当然でしょ、と美空は思いもしたが、今はしていないが脳裏に残っている明日菜の咸卦のオーラと刹那の無言の殺る視線が怖くて口には出さなかった。

 

「美空ちゃんが魔法使いだったのは、まあいいとしても」

 

 いいのかよ、と美空は思わず突っ込みかける自分を制する為に、何故か皆に囲まれて一人だけ固い板張りの床で正座をしているスカート越しに太腿の肉を抓った。

 

「あの、なんで私は正座してるのでせう?」

 

 どうも龍宮神社に来てから口調が変になっている気がしないでもないが、その前に待遇改善を求めてみた。

 

「美空ちゃんが自分でなったんじゃない」

「それもそっか」

 

 アッサリと返され、何故かこの部屋に入ってから正座しなければいけないように思ってしたのだが、誰に強制されたわけでもないので少しホロリとした。自然と自分をヒエラルキーの一番底辺に置いていたことを自覚した悲哀だった。

 

「で、何で超さんが高畑先生を?」

「さっき高畑先生の念話をキャッチした。不安定で直ぐ途切れたケド…………地下に捕らわれている。応援を、ト」

 

 極自然に尋ねられたのが自分ではなくて遥かに年下のココネであることに、美空は本当にホロリしそうになった。普段のクラスでの悪戯などから信頼されているとは思っていなかったが小学生のココネの下に置かれていると思うと泣けてくる。

 

「上の方へ連絡してもっと応援を寄越すことは出来ないのですか?」

 

 自らの強さを過大評価しない高音は、上層部の判断と更なる増援を求めた。

 高音達の元々の大会に参加した目的は主催者である超鈴音の調査だった。

 となれば、彼女達が今回が初めての仕事である美空達を伴って地下に潜ることになる。しかし、高畑を捕まえるほどの相手に魔法生徒だけでは戦力不足が否めない。

 

「連絡は入れたけど、どこもかしこも人手不足だってさ。さっきの念話だけでは確実性が薄いんだって。仮にもこれだけの武道会を開いているスポンサーだから疑いだけじゃ手は入れられないみたい」

 

 ここは直接連絡を入れた自分の出番だと、美空はココネが何かを話す前に口を開いた。

 

「ちなみに私は戦闘系じゃないから。当然、ココネも。自信があるのは逃げ足だけ」

「ということは戦えるのは私と愛衣だけですか」

 

 無謀な賭けは御免蒙るとココネを後ろから抱きしめた美空は早くも戦力外を自ら告白した。ここで自らを過大に申告して危ない場所に進むほど、この仕事に命も誇りも賭けていない。

 母猫が子猫を守るような美空の様子に少し微笑ましさを覚えながら、逃げ足に自信があるなら連れてっても問題ないかと高音は心中で冷静に判断を下す。

 

「しかし、それだけでは戦力的に厳しすぎます」

 

 間違いだと言われればそれまでで、となれば少数精鋭による偵察しかないわけだが、やはり高畑が掴まえられたほどの危険性を考えれば、この場にいる魔法生徒だけでは無謀が過ぎると高音は考えた。

 

「私も行きます」

 

 ここは援軍を待つしかないと年齢的にリーダーシップを自然に発揮しだした高音の判断に待ったをかけたのは、実は気に入っているのか猫耳和装エプロンのままの刹那であった。

 高畑救出、もしくは偵察への参加を表明する。

 

「せっちゃん」

「大丈夫です。敵といってもあの超さんです。酷い事にはならないでしょう」

 

 心配そうに手を握り合う二人の背景に百合の花が乱舞しているような幻視が高音には見えたが錯覚だと思うことにした。隣にいる愛衣が羨ましそうに二人を見つめてから自分を探るように見て来ることも気がついていないことにした。

 

(私はノーマルです!)

 

 と、言いつつこの武道会の間中ずっとアスカの背中に性欲ダダ漏れの視線を向けていたとは思えないことを叫んでいた。

 

「美空、見えない」

「子供が見るもんじゃありません」

 

 子供の教育上は宜しくない空気が充満しつつあるドロドロとした性の在り様を見せたくなくて、美空はココネの目をそっと壊れ物を扱うように優しく閉じた。

 同級生ならはっちゃけられてもココネは大事な妹分。少し遊びはあっても守るのは自分なのだと認識が強くあった。

 

(桜咲さんと木乃香が怪しいのは分かってたけど、こりゃガチだな。先輩の方もなんか色々と面白そうな気配がプンプンと)

 

 ココネと目を閉じようとも美空自身は現状を充分に楽しんでいた。この女、意外と抜け目がない。

 

(さて、想い人が捕まった明日菜の方は)

 

 美空の予想としては慌てて騒ぐと考えていたのだが、拍子抜けするほどに静かだった。 

 

「私は……」

 

 神楽坂明日菜は迷っていた。どちらを選ぶべきか、そもそも選ばなければいけないのかと。

 何を選ぶのか定かにすらなっていないにも関わらず、明日菜は究極の選択を迫られていた。他の誰でもない神楽坂明日菜だからこそ究極になる選択を。

 

「私は……」

 

 考える。考える。考える。時間はそれほど残されていない。考えて、考えて、考え続ける。

 高音が今更刹那の実力を疑うはずもない。刹那という強力な前衛を味方につけた高音が中衛に下がり、純粋魔法使いである愛衣を後裔にすればバランスの取れた戦力で偵察が出来る。そこに攻守に優れた究極技法である咸卦法を使える明日菜がいれば言うことはないだろう。

 こちらを見つめて来る高音の視線が参加の表明を求めているように明日菜には思えた。

 

「私は……」

 

 明日菜は認識していないが、地下か地上に残るかでどちらかを選んでしまう。どうしようもなく、しかし無慈悲に。

 だからこそ、明日菜は選べない。ここで選んだら致命的な失敗をすると動物染みて優れた直感が囁いていた。

 それでも選ばなければならなかった。懊悩出来るだけの時間と余裕も与えられていなかったから、間違っていると分かっていても選ばざるを得なかった。誰かに、何かに導かれるように口が勝手に動く。

 

「私は、行」

「明日菜は残る」

 

 自分ですらどちらを表明するのか分からなかった口の動きを遮ったのは木乃香だった。

 

「超りんがなんや危ないことするんやったら怖いやんか。せっちゃんが行くんやったら明日菜には残ってもらわんとうちが困る」

「木乃香」

「明日菜、せっちゃんの代わりにしっかりと護ってや」

 

 木乃香は明日菜に地上に残る理由をくれたのだ。どちらを選んでも失敗するなら、選ぶ前に別の誰かが選んでしまったら問題を先送りに出来る。少なくとも絶対に失敗する愚だけは冒さなくて済む。

 刹那が彼女の傍を離れるなら変わりの役目を担う誰かが必要になる。木乃香の友人として、その役割を担えるのは同じ立場にいる神楽坂明日菜以外に置いて他にいない。

 他に代わりを担える者はおらず、故にこそ明日菜は自らに言い訳が出来る。これで自分は此処にいなければならない理由が出来たと。

 

「…………ありがとう」

「変な明日菜」

 

 うふふ、と口元を抑えて上品に笑う木乃香に明日菜は頭が下がる思いだった。

 

「木乃香が友達で良かった」

「ちゃうちゃう、うちらは大親友や」

「ふふ、そうね」

 

 二年と少しの絆は傍から見れば短いのかもしれない。それでも二人の絆は隣で見ていた刹那が僅かな嫉妬を覚えるほどに強く見えた。

 木乃香から移された色違いの瞳に、刹那は自分にも同じだけの信頼が向けられていることに気づいた。

 

「刹那さん、私の分までお願い」

 

 強く、そして重いとすら感じる気持ちが籠った言葉だった。迂闊に頷けるほど安いものではない。

 

「分かりました。代わりにお嬢様をお願いします」

 

 それでも桜咲刹那は請け負った。

 信頼を向けられて応えないほど桜咲刹那の友情は安くない。明日菜が選べないほどの重みの一端を請け負い、その代償というわけではないが刹那もまた信頼をする。

 

「うん、任せて」

 

 対等だった。今の明日菜と刹那は対等だった。

 

「せっちゃんと明日菜ばかりズルい」

 

 間に飛びこんできた木乃香に腕を取られた二人の顔が近づく。三人で顔をつき合わせて笑い合う。この関係が幸せだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「方々で面白いことが起こっていそうな予感がしますね」

 

 怪電波を受信したかのように、アルビレオ・イマは舞台上で惜しむように観客でごった返していて視線を遮られている拝殿を見遣った。

 

「後々まで弄れそうなのもありそうなのに実に惜しい、本当に惜しい」

「一体さっきから何を言っているのでござるか」

 

 訳知り顔で腕を組んで一人で頷きを繰り返すアルビレオに、同じ舞台上に立つ対戦相手である長瀬楓は無駄と分かっていても言わずにはいられなかった。

 

「こちらの話です」

 

 ツッコミを入れられてもアルビレオは未練がましく拝殿の方を見ていたが、和美のアナウンスが入って試合が始まるとあってはいい加減に視線を目の前に距離を開けて立つ楓に移した。

 そして足下から頭の上まで楓の体を舐めるように順に見上げていく。

 

「今年は本当に豊作ですね。どうしてどうして、アスカ君といい、犬上小太郎君といい、食指が動いて仕方がありません」

「どういう意味で言っているのか大いに気になるところであるが、答えは聞かないでおくでござる」

 

 今にも舌なめずりしそうな恍惚とした笑みを浮かべるアルビレオに少し引き気味になった楓は、しかしこれから試合を行うのだから逃げるわけにもいかない。

 何故、アスカと小太郎の名前だけを挙げたのかを想像してしまって、同級生の早乙女ハルナのような特殊な趣味を持たない楓は幾分、腰が引けながらも対峙し続けた。

 

「あなたもかなり出来るようです。ふふ、本当に今年は豊作過ぎて困ってしまいます」

「…………クウネル殿、貴殿の目的が何かは知らぬが拙者長瀬楓、本気で当たらせてもらうでござる」

 

 楓は嘗てないほどに戦意を滾らせて愉悦を迸らせるアルビレオを睨んだ。

 アスカと小太郎の貞操的な意味合いで、目の前のローブを纏った人物は危険であると察知したのだ。クウネル・サンダース――――――本名アルビレオ・イマ――――を粛正しなければならないと決意を固めた。

 目の前にいる人物が恐らく表裏を問わず世界全てにおいて最強クラスの術者で、修行中の身である楓には勝つことはまず不可能であると推測は簡単についた。

 

「いい闘気です。お相手致しますよ」

 

 ゆらりと組んでいた腕を解いたアルビレオは微笑を深める。

 

「直ぐに終わっては観客も興ざめします。何よりも私も」

 

 未来を見据えた瞳で、舞台役者達を手の平で踊らせて嘲笑いながら悪い魔法使いは舞台の上に立ち続ける。

 

「精々、私を楽しませて下さい」

 

 アルビレオ・イマという男は、気持ち良いほどに我が身を中心に人を巻き込む。彼はどこまでもお伽噺の悪い魔法使いそのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どことも知れぬ暗い一室の中で、超胞子のネームが記された服を着た超鈴音は眼前に映る巨大スクーリンの映像を見ていた。

 

「うむ♪ いいネ、クウネル・サンダースさん。派手にやてくれる程、やり易くなる」

 

 画面にはアルビレオ・イマが試合開始直後に対戦相手の長瀬楓を何らかの方法で舞台にめり込ませていたところだった。

 真ん中にいる楓を中心として半径五メートルも隕石が落ちたかのようにへこんでいる。中心にいくほどへこみが深くなっていることから、楓に上から超重量の重さがかかって周辺に影響が出ていると考えた方が自然だろう。

 

「魔力反応を感知。周囲の影響度が低いことから風ではないナ?」

 

 手元の宙に浮かんだ薄透明なキーボードを操作して、スクリーンの映像に余人には理解できない数値やグラフが映り込む。

 映像に映らないことから四大精霊である火・水・土の可能性はない。残るとすれば風のみ。しかし、風ならば舞台脇の水面に衝撃波以外の波が立っていないのはおかしい。

 

「舞台の木材は普通のものより固くしてある。にも関わらずあれだけの結果を成し遂げ、かつ周辺への影響を最小限に抑えるは重力を操っている証拠」

 

 映像では、呆気なくやられたと思われた楓が四つに分身してアルビレオの傍に気配もなく現れ、張られた障壁を結界破壊の術で破壊して攻撃を加えているところであった。

 その映像が流れているスクリーンの横に数秒前の映像が流れ、機械的に魔法を解析でもしているのか、様々な角度から映された映像が現れては消えていく。

 

「流石はアルビレオ・イマと言うべきかナ。希少属性をここまで苦もなく操るとハ」

 

 超の明晰な頭脳は既存の魔法形態を網羅している。可視化されず、されど同じ条件を引き起こせるのは使い手が魔法世界にも極僅かにしかいない重力魔法であることに辿り着く。

 

「違うかナ? 高畑先生」

 

 中空に浮かぶキーボードを腕を横薙ぎに振るうことで消し去り、超は後ろを振り返りながら言った。

 超と真名の二人掛かりと多くの運に救われて打倒した嘗ての担任タカミチ・T・高畑が円形のカプセルの中に入れられて、四肢を雷のような物で拘束されて身動きが取れない状態で拘束されていた。

 電気で身体の筋肉を適度に麻痺させ、同時に魔力を封じる。僅かな身動きすら出来ずに封じられている現状に、逆に大したものだと感心させられる。勿論、褒めてなどいないが。

 

「…………」

 

 問いかけではなく確認の言葉を向けて来る超に高畑は言葉を返さない。

 超の目的が分からない以上、暫定であっても嘗ての仲間の情報を迂闊に漏らすような愚は冒さなかった。例え沈黙を貫き通したとしても大した意味がないと分かっていても、超の天才性を学園の教師の中で誰よりも知っている身としては下手な会話が命取りになることを知っている。

 

「手荒な真似をしたのは謝るネ。何しろ時間がなくてネ。それで急遽、この大会を開いた…………本来なら一年かけて準備する予定だたガ、結果としてはこれで良かっタ。一年後では彼はきっと麻帆良にいない。それでは全てが水の泡になっていたから、異常気象で世界樹発光が早まったのは幸運だたネ」

 

 らしくもなく饒舌で情報を聞く者に無造作に与えて来る超に高畑は一瞬ミスリードを誘う罠かと思ったが、再び振り返って楓の一撃によってアルビレオが舞台に叩きつけられている映像を見る背中からは意図を推し量れない。

 

(彼?)

 

 せめて言葉の中から意図を推し量ろうとして、まず第一に引っ掛かったのは「一年後では彼がいなくなってしまう」の中にあった「彼」とは誰の事を指しているかだ。

 彼女と言わなかったのだから、超が指し示している相手が同級生である3-Aの面々や女性である可能性は無いと判断していいだろう。それこそミスリードするための罠だったらおしまいだが、語った言葉の中に確かな熱を感じたことから直感的にその可能性はないと判断する。

 

(彼、つまりは男であることは間違いない) 

 

 超が全寮制である女子中等部に在籍していることからターゲットはかなり絞り込まれる。

 日常的に男性に触れる機会は部活の時をおいて他にない。お料理研究会、中国武術研究会、ロボット工学研究会、東洋医学研究会、生物工学研究会、量子力学研究会に所属していることから、その中で関係が深い者と推測した。

 そして一年後と考えれば卒業して麻帆良を去る可能性のある高校か大学の一部の生徒に絞られる。

 

(ありえない。超君は本来ならば一年後に行動を起こそうとしている。それが早まったのは異常気象で世界樹発光が早まったからだ。卒業などといった理由ではない)

 

 卒業とはもっと別の理由で麻帆良学園都市を去る者。他に可能性が高いとすれば大学の研究に協力している企業の研究者や事情によって転校しなければならない者が挙げられる。

 そしてそのいずれでもないと高畑は自らに囁く。

 

(彼以外に誰がいる)

 

 最初から超が誰の事を言っているのか高畑には分かっていた。

 今は麻帆良にいて、武道会がなければ一年後には確実にいなくなっていたであろう人物。卒業でも転校などといった理由ではなく麻帆良を出て行くであろう人物をタカミチ・T・高畑は良く良く知っていた。

 情報は既に与えられている。可能性に過ぎなくても、これだけの情報があって高畑が気づかぬはずがない。だが、同時に分からなくもあった。どうして超がそこまで彼の事を気にするのかが。

 

(肝心要の情報が足りない)

 

 全てはそこへ帰結する。情報の核に値する部分、それが判らなければ関連性を推測することも出来ない。

 スクリーンに映される舞台を離れてのハイスピードバトルを繰り広げている試合を、観客の一人であるかのように見ている超がこれ以上の情報を自分から話すとは思えない。ならば、高畑の側から引き出すしかなかった。

 

「超君、君の目的は何だ。返答によってはいくら元教え子と言えども、みすみす見過ごすことは出来ないぞ?」

「世界を救う、と言ったネ」

 

 背中に向けて放たれた問いに足しての返答は拍子抜けするほど速かった。同時に地下道での繰り返しに眉間に皺が寄るのを抑えることが出来なかった。

 試合よりも高畑との会話を重視したのか、振り返った超の顔には張り付いたような笑み。その笑みがスクリーンに映っているアルビレオに似ていることに気づいた。

 

「世界に散らばる魔法使いの人数は私の調べた所によると、東京圏の人口の約二倍、全世界の華僑の人口よりも多い。これはかなりの人数ネ」

 

 試合の音声は最初からカットしている為か、密閉された互いの声以外に音のない一室に不思議と超が歩み寄ってくる足音が響く。

 

「それにこの時代、彼らは我々の世界とは僅かに位相を異なる異界と呼ばれる場所に、いくつかの国まで持っている」

「それで、君は何が言いたい?」

 

 語らずとも魔法世界の存在を暗示している超に、高畑の脳裏に嫌な警鐘鳴り響いている。

 

(……ま、さか……)

 

 ある直感が、脳裏を過ぎった。

 推測とも呼べない、証拠も何もない思いつきだったが、高畑にとってそれは確信にも近い想像だった。

 

「心配しなくても大丈夫ヨ、高畑先生。一般人に迷惑をかけるようなことはしない。私の目的は総人口12億に及ぶ魔法世界の存在をこの世界全てに公表する。それだけネ」

 

 高畑の焦燥を、誰かと被る挑むような目つきが射指すように見つめて来る。

 

「魔法世界の存在を全世界に公表する?」

 

 推測が当たったにも関わらず、高畑の頭は一瞬真っ白になった。当たってはほしくない推測だった。

 

「…………そんなことをして君に何の利益が?」

「秘密ネ♪」

 

 問いに悪戯っぽく笑った超は、そう言って表情を改めた。

 

「世界は今でも紛争と貧困に苦しむ人たちで溢れ返っている。貴方達はそういった人達を救うべく日夜努力しているガ、制約は多く活動は限定せざるを得ない。でも、魔法世界の存在が、魔法使いの実在が世界に公表されれば存分に動けるのではないカ?」

「…………」

 

 高畑は返って来た言葉に、沈黙以外を返せなかった。口を開いてしまったら肯定してしまうから閉じているしかない。

 

「貴方のような仕事をしている人間には分かるハズ。この世界の不正と歪みと不均衡を正すには、私のようなやり方しかないと」

 

 麻帆良学園都市で当たり前のように誰もが浮かべている笑顔を見ていると忘れてしまいそうになる現実。力を存分に奮えていたなら救えたと思える人々がいた。力を制限なく使えていたら回避できた悲劇がある。

 魅力であった。例えようもない魅力が超の目指す先にある。現実を現実として受け入れて大人になった高畑だからこそ、揺らがずにはいられない。

 

(ナギならどうしただろうか?)

 ふとした疑問が思考の端で思い浮かび、細かいことに拘らない彼ならば超を手伝おうとしたのではないかと簡単に想像がついた。

 しかし、高畑はナギではない。彼が行方不明になった十年前の時点での年齢を今はもう追い抜かしている。より多くの悲劇を超えて今ここにいる。

 

「世界はそう単純には出来ていない。一度世界に魔法の存在が知れれば、相応の混乱が世界を覆うことになる。それは分かっているのか?」

 

 タカミチ・T・高畑はもう二十年前の大戦時のような子供ではない。ナギのような無鉄砲にも似た決断を真似ることは出来ないと知っている。

 物事にはリスクがあって、危険を勘定に入れて考えて行動するようになっている。それが大人に成るということ、社会に関わって生きていくということの証。

 超の計画の果てには、何もしないでいるよりも多くの人達を救える可能性があると理解していても、その過程で犠牲になるかもしれない人達のことを思えば危険な行動は取れない。

 

「分かっている。全てを分かった上で、私は行動しているヨ」

 

 高畑の問いに、しかし超は僅かでも揺るぎはしなかった。

 その在り様は刀を思い起こさせた。「折れず、曲がらず、良く斬れる」の3要素を非常に高い次元で実現させ、他人の言葉程度で微動だにしない芸術的とすら言っていい在り様。

 使い方次第で人を傷つけてしまう諸刃の釼を高畑に連想させた。

 

「例え余人に天才と言われても私は全知全能ではなイ。きと政治的軍事的に起こる致命的な不測の事態は起こるだろウ。抑える為に用意した技術と財力を以てしても犠牲者は必ず出ル。認めるヨ、私の計画には必ず泣く者が現れるト」

 

 高畑を拘束している円形のガラスに近づいた超は烈火の如く猛る視線を向ける。

 

「それでも、私はヤル」

 

 ゆっくりと、しかしハッキリと言いきった。

 声色に脅しやハッタリの色は無い。単純な事実だけを告げる言葉であった。

 

「この計画によて生まれる全ての犠牲者には誠心誠意謝ろウ。だが、命だけは捧げられなイ。この計画を成し遂げ、世界を続けさせるために捧げるのだかラ。きと死した後には地獄に堕ちるだろうから、それで我慢してもらうネ」

 

 ふわふわと、あどけなく超鈴音は笑う。己の行く末を悟った者だけが浮かべられるひどく透明な笑みだった。

 

「どんな世界でも滅んでしまうよりかイイ」

 

 ポツリと最後に付け足された言葉は、まるで縋るような声で放たれた。

 超がそんな声を出すところを、高畑は始めて見た。迷い子が親を捜すのにも似て、しかしそれが滑稽だなどとは口が裂けても言えないほどの想いが籠っていた。

 

「どうカナ、高畑先生。私の仲間にならないカ?」

「……!」

 

 問いに対して何を言って良いのか、何を訴えればよいのか、彼にも分からなかった。追い詰められて即断に逸らなかったのは、若くして多くの戦場を渡り歩いてきた賢明さだっただろう。

 ぐ、と奥歯を噛む。血の味が滲んだ。その鉄錆びた味こそが、高畑の意識を現実へと回復させる。

 タカミチ・T・高畑にとって、青春時代の最も価値ある記憶は紅き翼と共にある。隣り合わせの死と青春、毎日のように誰かと何かと戦って、多くの仲間を失いながらも高畑にとって青春はあの時期をおいて他にない。一日を、一時間を、一秒を、高畑は精密に覚えている。掛け替えのない宝物のように、大切に抱き抱えている。

 その日々を超えて今を生きる高畑は、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「出来ない。僕は君の仲間にはなれない」

 

 躊躇いはあった。戸惑いがあった。それでもタカミチ・T・高畑は選択する。嘗ての友であるクルト・ゲーデルのように、高畑もまた過去の紅き翼とは違う道を歩いているのだから。

 救えるかもしれない可能性よりも、確実に生まれる犠牲を出さない道を選び取った。現在を守る為に戦い、未来の為に挑戦できない自分には英雄になれないことを、誰よりも強く俗物である自分自身こそが知っていた。

 

(ああ……)

 

 選択に嘆きを覚えずにはいられない。

 英雄に憧れたのに、成れるのは幼き頃には心底嫌悪していた俗物しかないと思い知らされたからだ。それでもこの選択に後悔だけはしなかった。英雄に成れない俗物でしかない高畑の誇りだった。

 

「残念ネ、本当に」

 

 言葉通り、肩を落とした超は振り返ってスクリーンを見た。

 

「一つだけ聞かせてくれ。君はアスカ君をどう思っている? 彼に何をするつもりだ」

 

 背中を向けている超に問わずにはいられなかった。

 地下道で見たアスカが持っているのと同一の物としか思えない、されど十年は経過しているような水晶を持っている異常。超が自らの計画に組み込んでいるであろうファクターに対して、如何なる考えを持っているのか問わずにはいられなかった。

 

「私は嘘つきだかラ、本当のことは答えられないネ。ただ」

 

 背を向けている超の顔は、高畑からはどうやっても見えない。だから、その時の超がどのような表情を浮かべていたのかは判らない。

 

「アスカさんは血の繋がった大切な大切な人ヨ」

 

 哀切にも似た声は、喜びとも哀しみとも怒りともつかない、或いはその全てがない交ぜとなった感情。その対象に捧げた積み重ねてきた心の重さを感じさせた。

 

「こちも見過ごしてしまたネ。ちょと残念ヨ」

 

 もう試合は終わっており、傷だらけの楓が薄煙を上げる舞台から一人で去っているところだった。

 

「食事はウチの美味しいのを届けさせるネ。不自由な思いをさせてすまないが、学園祭終了まで此処にいてもらうヨ。願わくば次に会うのは計画が成功した後になていることを願うネ」

 

 そして超鈴音は去って行った。

 部屋に高畑だけが残される。誰もいなくなった部屋は静かだった。

 

「機械式の拘束具は破れないか。非常手段も全部外されている」

 

 口を動かして奥歯に仕込んでいた仕掛けや、こういう事態を想定して仕込んでいるあらゆる仕掛けが外されていた。この様子ではどこまでも念入りに探られたものか。

 あまりの念の入れように、ただ一人で暗い室内に残されて苦笑が浮かんだ。

 静かなのに、超が残した空気の圧力だけがゆっくりと高畑へと浸透していった。先の戦いのような闘気と違い、その闇は抵抗もなく、ずぶずぶとこちらを蝕んでいくようだった。

 闇の正体は無力感であった。

 今の高畑には、例え拘束から解放されようも超と戦うだけの気力は湧かなかった。戦うべきだとは思っているのに、その気力だけが抜け落ちていく。

 

「師匠…………僕はどうしたらいいんですか?」

 

 師であるガトウを失って以来、自分で出し続けて来た答えを問うた。死者に問うた問いに答える者は当然いない。

 しかし、まるで高畑の問いに応えるように、超が出て行った入り口から誰かが入って来た。

 

「君は!?」

 

 在り得ない人物の登場に高畑は驚愕を抑えることが出来なかった。

 運命はまだ高畑に戦うことを求めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下は暗く、広く、もう夏も間近だというのに寒気を覚えるほどに底冷えしていた。

 長い通路の途中らしい。基本的にはコンクリートの打ち出しで、ところどころ地肌が剥き出しになっていた。

 

「ねぇ、やっぱ戻んない?」

 

 前を行く高音・D・グッドマと佐倉愛衣に聞こえないぐらい小さな声で、シスター服を着ている春日美空は隣を歩いている桜咲刹那に言った。

 

「またですか、いい加減に諦めて下さい」

 

 これで何度目かと、頭の中で数えようとして面倒くさくなって少しばかりの溜息と共に吐き出す。

 

「超さんの目的は分かりませんが大会が終わったら雲隠れしてしまうかもしれません。何かあってからでは遅いんです」

「高畑先生は学園長を抜かせば学園最強の魔法先生なんだしさ、きっと一人でも大丈夫に決まってんじゃん」

「駄目と言ったら駄目です」

 

 ぶーぶー、と同性で同級生な気安さを以て抗議するも高畑救出作戦に従事してこんな地下道にまで来た刹那が受け入れるはずもない。文句を垂れながらも高音らには聞こえないように小さな声で続ける美空に逆に感心していた。

 

「それにホラ、ココネの聞き違いかもしれないし…………いや、きっとそう。うん、危ないしねー」

「ム……」

 

 間違い扱いされたココネ・ファティマ・ロザが見えている目元だけでも分かるほど不機嫌なオーラを醸し出す。

 どう聞いても後者の方が本音っぽいな、と右手に箒を逆手に持って歩き、腕を揺らすごとに箒の先が視界の隅に映るのを眺めながら刹那は思った。

 

(やはり夕凪を持ってきた方が良かっただろうか)

 

 善は急げ、と主導する高音に従って殆ど着の身着の儘で地下に来たので獲物を変える暇がなかった。自分よりも明らかに格上の高畑を捕まえた超を相手にする可能性がある以上は愛用している夕凪を使いたかった。神鳴流が武器を選ばずと言っても、使い慣れて少しでも手に馴染む武器の方を好むのは当然であった。

 前にいる二人と不機嫌になったココネの機嫌を取ろうとしている美空を見比べ、集団の真ん中で気づかれないように長めの息を吐いた。

 後ろにいる二人は逃げ足だけが取り柄で戦闘など以ての外とぶちまけた美空と、アスカのような常識の埒外でなければ戦闘は無理な年齢のココネ。

 反対に前にいる二人は十分な戦力になれるだけの力があるかもしれないと、胸中で呟く。

 愛衣はハッキリ言ってよく分からない。武道大会に参加していたものの一回戦で小太郎に瞬殺されてしまったので実力が全然分からない。箒を持っていることから純粋な魔法使いタイプ。

 高音は前衛としては少し心許ないが中衛から後衛にかけては魔法生徒と呼ばれるレベルを明らかに超えている。愛衣と行動を共にしていることを考えればペアであると考えるのが妥当。

 恐らくこの二人に近接戦闘特化の魔法教師でチームを作り行動していたのではないかと考える。そしてそこへ代役として自らがいるということも。

 

「静かに、何か来ます」

 

 責任を背中に抱え直したところで、高音の静止の声よりも先に立ち止まって箒の先の部分を後ろにして構えを取る。夕凪と同じように振るうには箒の先の部分が邪魔をする為である。

 

「私が前に出ます」

「任せます。愛衣」

「はい、お姉さま」

 

 始めから決まっている役割分担に沿って、神鳴流の遣い手である刹那が前衛を務め、箒を構えた愛衣が美空とココネの前に立つ。高音は二人の間に立ち、愛衣が頭上に浮かべていた魔法の光によって生まれる高音の足元の影が蠢く。

 

「?」

 

 ズシャズシャと人が立てるには異様な足音が通路の奥から聞こえてきて、実戦など殆どない愛衣は箒を持つ手に汗を滲ませながらも心中で首を捻った。

 定期的に規則正しく聞こえる音は間違いなく足音。しかし、愛衣の記憶にはこのような足音を立てる生き物はなかった。

 三人が油断なく構えている間にも足音は少しずつ大きくなり、やがて暗がりからその姿を露わにした。

 最前列にいた刹那が複数の影の名を叫ぶ。

 

「た……田中さん!?」

 

 三人を遥かに上回る身長に、全周囲に伸びているライオンへアーとグラサン。黒のハイネックに皮のジャケットを纏った姿は、紛れもなく予選会でアスカに倒された麻帆良大学工学部で実験中の新型ロボット兵器T-ANK-α3(愛称:田中さん)に間違いない。

 ここまで奇抜で奇怪な人物は他にいない。というか他にいたら嫌だと刹那は思った。

 

「こここんなにいたんですか?!」

「ふふふ、あらお爺様。え、こっちに来いって。待って下さいませ、今ここを渡りますから」

「あれ!? お姉さまがトラウマが蘇って鬱モードに?! そっちに行っちゃダメ――っ!」

 

 高音が予選会と本選の二度も衆人環視の中で局部を曝させられた過去を思い出して、ここではないどこかに手を伸ばしてフラフラと前に進みかけるのを愛衣が後ろから腰に抱き付いて止める。

 

(これは駄目かもしれない)

 

 一瞬にして戦えるのが自分一人だけになってしまって刹那は絶望した。諦めたと言ってもいい。

 何しろ目の前で五体はいる田中さんが全員口を開けて高音の服を消した時と同じ動作をしていたのだから。

 

「キャ――――ッ!!」

 

 五体の田中さんから『脱げレーザービーム』が放たれ、愛衣の悲鳴が地下道に木霊する。

 レーザーが衝突したことによって立った煙が僅かな間だけ視界を覆い隠す。高音の腰に抱き付いてた愛衣も同様だった。

 しかし、愛衣は不思議な感触を味わっていた。頬や腕にさっきまであった布地の感触が感じられなかったのだ。変わりに人肌のような温もりと柔らかさ。

 その答えがなんであるかを知りながらも現実を認めたくなくて、恐る恐る開いた愛衣の視界を埋めたのは圧倒的な肌色だった。

 

「お、お姉さま……」

 

 視界を埋めていたのは肌色の正体を知って、愛衣は声が震えるのを抑えることが出来なかった。

 

「高音さん……」

 

 ちゃっかりと反対側の通路に移動して難を逃れた刹那も愛衣が見たのとまったく同じのを見て、つい避けてしまったこともあって罪悪感から目を逸らした。

 

「………………」

 

 高音・D・グッドマンは何も語ることなく凛然と立つのみ。

 コッソリと逃げようとしている美空に肩車されているココネがゆっくりと口を開いた。

 

「裸」

 

 どんな言葉よりも的確に、そして正確にココネが言った一文字の言葉は今の高音の状況を端的に説明していた。

 脱げビームを全身に食らって服が見事に消え去っている。田中さんの良心か、神が与えたもうた奇跡か、本当に隠すべきところだけは小さな布が残っていた。

 高音は裸だった。辛うじて靴とソックスとどんな偶然か局部を隠す一部だけを残して見事なほどに真っ裸だった。もう全裸と言い換えていいほどに全裸だった。言い訳の余地すらもないほどに裸身だった。

 

「しっ! 見ちゃいけません。ここは静かに目を逸らしてあげるのがマナーてもんよ」

「がふっ」 

 

 公序良俗に反すると暗に示され、よりにもよってこの場で一番軽い美空に気を使われた高音の体が崩れ落ちる。いくら男性がいない場所であっても全裸にされたショックで気を失ってしまったようだ。

 

「お姉さま、今気を失うと……!?」

 

 今の高音はアスカとの戦いで着用していた、防御力を上げる影の】を身に纏っていた。

 下着を着用しない方が防御力が数倍跳ね上がる。だが、この影の鎧には術者が気を失うと消滅してしまう欠点があった。折しも高音はもう気絶することもないだろうと過信して下着を身に着けていなかった。

 

「わぉ、見事な全裸」

 

 美空が言ったように、完璧に言い訳の出来ない全裸だった。

 地面に叩きつけられる前に高音を抱きとめた愛衣の静止も遅く、残っていた靴やソックスや局部を隠していた小さな布地すらも消え去って、覆う物のない正真正銘の裸身が魔法の光に照らされる。

 

「グッドマン先輩ってウルスラ女学院だったよね、ココネ」

「前にあそこの制服を着ているのを見た」

 

 何かを確かめるように肩車している頭上のココネを振り仰ぎ、返ってきた答えに一人で頷く。

 

「じゃあ、ウルスラの脱げ女ってわけだ」

 

 美空の発言に地下道の空気が凍った。

 刹那と介抱をしていた愛衣は予選会や武道大会でのことを思い出して、これで通算四度目であることを確認して否定しきれなかった。

 

「すみません、私が避けたばかりに。仇は取ります」

「お姉さまはまだ死んでませんよっ!?」

 

 取りあえず美空の発言は聞かなかったことにした刹那は、間違った方向に覚悟完了して愛衣が叫ぶ前に田中さん達に向かって跳んだ。

 律儀に空気を読んだのか、それとも困惑していたのかは分からないが動かなかった田中さん達が空中にいる刹那に対して迎撃の行動に出る。

 再び口を開いてのレーザー口を露出して発射。五体分ともなれば生半可な抜け道は無い。

 

「温い!」

 

 田中さん達は自分達のライオンヘアーで射線が狭い。必然、当たらないように角度を調節すると刹那からすればスカスカの射線網だった。

 羽を出すとレーザーが当たって毛が無くなる可能性があるので、虚空瞬動で繰り返して隙間を縫うように飛びこむ。

 

「神鳴流奥義――」

 

 神鳴流の担い手が扱うのであれば箒であろうと関係ない。手摺に体重を感じさせない動きで身を沈めたまま片足だけで着地した刹那は、気を込めた箒を振りかぶっていた。

 近くにいた田中さんが同じように拳を振りかぶっているのが見えた。

 

「斬鉄閃!!」

 

 柵の球形になっている部分の上で腰を捻って勢いをつけて拳を避けながら、鉄をも切り裂く剛剣を以て田中さん達三体の胴体部分を輪切りにする。

 

「下がって下さい!」

 

 上半身と下半身で輪切りにされて崩れ落ちる田中さんを見届けることなく愛衣の言葉に従って、柵を蹴って離脱する。

 

「紅き焔!」

 

 詠唱を重ねていた愛衣が放った中級炎熱魔法である紅き焔が四体目の田中さんに直撃し、

 

「むっ」

 

 爆炎の中から迸ったレーザービームを危なげなく躱す刹那。レーザーが発射される前に爆炎が一瞬晴れたので避けるのは簡単だった。

 最初の脱げレーザービームでやられたのか、スカートの一部が破れている愛衣の隣に着地した刹那は、爆炎が晴れた後に少し焦げているだけで殆ど損傷の見られない田中さんを見た。

 焦げているということは効いていないわけではないのだろう。刹那が倒した田中さん達が上半身と下半身に別れて倒れ伏している様を見れば愛衣の攻撃では単純に攻撃力不足。

 炎による熱で攻撃する魔法では機械の田中さんには効果が薄いようだ。

 

「火力が足りないようですが、もっと上げることは出来ますか?」

「これが私の最強の魔法なんです。他の属性では魔法の射手が良いところです」

 

 残った二体の田中さんの挙動から目を離さずに問いかけて返って来た愛衣の返事は芳しいものではなかった。自信を喪失したように声を揺らされては刹那としても困ってしまう。

 こうなると高音の戦線離脱が大きく響く。しかし、尊い犠牲はどうにも出来ない。刹那もこんな場所で全裸にはなりたくない。それは愛衣も同様だった。

 

「機械なら雷属性が効くはずです。他の属性でも構いませんから私が踏み込みますので魔法の射手で牽制を」

「わ、分かりました」

 

 動揺の見られる愛衣の言葉に、本当に大丈夫かなと刹那が一抹の不安を覚えたその時だった。

 

「ダメダメ! 挟まれてる! 後ろからも大量にゾロゾロと団体さんがご到着――ッ!!」

「「げ」」

 

 存在を忘れかけていた美空達の言葉がどうしても無視できなくて振り返って見れば、言ったように魔法の灯りに照らされた範囲に見える限りでは通路にビッシリと田中さん達が揃って行進していた。

 

「桜咲先輩、前からも!?」

 

 高音が気絶してしまってはこのチームのリーダーを務められるのは技量と年齢的に刹那しかない。美空は戦力にならないと自分で公言しているし、愛衣は年下。ココネは問題外。

 前と後ろを挟まれて、こういう事態で考えることに慣れていない頭を働かせていた刹那の目が愛衣の言葉に急速に前を向く。

 

「田中さんの他にも別のタイプのロボット!?」

 

 残った二体の田中さんのみならず、その後ろから続々と無傷の田中さんが現れている。更に水路に浮かぶ多脚型の四本足の蜘蛛のような外見のロボットもいた。蜘蛛型ロボットの上にはご丁寧に田中さんが乗っていた。数の差は圧倒的だった。

 

「こうなったら私達だけでも…………って、壁や天井にまでいる?! 逃げ場ないじゃん!」

 

 アーティファクトを使って自分とココネだけで逃げようとした美空は、壁や天井にも張り付いて登場した多脚型ロボットに向かって叫んだ。これで前後左右に逃げ場が塞がれた。

 

「ど、どうすれば……」

 

 恐れるように身を寄せて来た愛衣に、刹那は打開策を伝えたり希望を示すことは出来なかった。

 慣れていないのだ。こういう事態に頭を働かせることが致命的に。目の前に現れた敵を斃すだけで良かった頃が懐かしい。

 

「もう――」

「いい案が浮かんだんですね!」

 

 重く口を開いた刹那に愛衣は希望を持った。美空やココネも同じである。

 ガシャンガシャンウィーンウィーンと機械の音が鳴り響く地下道で、期待の籠った目がこの場の最大戦力である刹那に集中する。

 

「みんなで脱がされましょう。ええ、きっと脱がされるだけですから」

「もう駄目だ――ッ!」

 

 箒を下ろして、プシューと頭から煙を噴き出して悟った表情と遠くを見つめる刹那に、ココネを肩車したまま器用に頭を抱える美空。

 

「お姉さま、みんな一緒です」

「こっちもかい!」

 

 刹那と同じくあまりの敵の数の多さに、全裸のまま気絶している高音を抱き起した愛衣はさめざめと涙を流した。

 

「ナイスツッコミ」

 

 律儀にツッコミを入れる美空の頭上で振り回されているココネがぼそりと呟いた。幸運にも狼狽している美空の耳には入らなかった。

 

「いや、脱がされたくない――ッ!!」

 

 周り全員が諦めムードに入り、ロボット達が順調に距離を縮めるのを見遣って、高音に不名誉な仇名をつけたことに対するお仕置きとばかりに全てのレーザーの砲口が美空に向けられた。

 何故か全ての砲口を向けられた美空は、真剣な貞操の危機を感じ取った。単純に一番騒ぐ美空を第一ターゲットにしただけなのだが本人に分かるはずもない。

 

「誰か、高畑先生!!」

 

 美空の甲高い声が地下道に何重にもエコーをかけて鳴り響く。

 美空が思わず助けを呼んだのは元担任の高畑だった。助けに来た立場なのにも関わらず、口に出たのが高畑の名前だったのは彼女が知る中で最も強い男だったからに他ならない。

 本当に助けが来るなどとは思っていない。そんな三文ヒーロー劇のような物を信じられる年齢ではない。本当に諦めきれずに、つい口から出ただけだった。

 しかし、美空の言葉が届いたのか、ヒーローは現れる。

 愛衣が頭上に掲げている魔法の灯りよりも、ロボット達がレーザーを発射しようと準備光のようなものが上回った瞬間だった。

 

「屈みなさい」

 

 絶対遵守の命令のように、口を利かないロボット群以外の人間四人とも違う声が降り注ぐ。

 高音を抱き上げていた愛衣が彼女に覆い被さり、刹那が跳ぶように身を沈める。誰よりも強く反応した美空は抱えていたココネを下ろして胸に抱き抱えながら地面に身を投げ出そうとした。

 その瞬間に何があったのかを正しく認識した者はいない。

 ロボット群から脱げレーザービームが放たれようとした刹那、刹那達の進行方向に閃光が走って全てを呑み込んだ。

 

「キャ……」

 

 頭上や横を轟音と轟風が通過し、刹那ほどには素早く行動できず地面に身をつけられなかった美空とココネが空を浮かぶ。

 

「わっ」

 

 脳が事態を理解する前に全身に走る軽い衝撃。

 懐かしく、そして温かい感触が美空の全身を支配する。それは遠い昔、小さい頃に父親に抱き抱えられた時の感触に似ていた。

 親が望むような魔法使いにはなりたいと思わないが、それでも嫌いではない人達。思春期になってからは接触を遠ざけていた父と同じような温もりはとても優しかった。

 確かな温もりに安心を覚えた。

 

「春日君?」

「え……」

 

 父ならば自分を美空と呼ぶ。断じて同じ苗字である「春日」とは呼ばない。しかもどう考えても声が違う。

 

「あ……? あ……ぁ……」

 

 美空は目を開いて阿呆のように口を馬鹿みたいに開けて固まった。意味ある言葉が喉の奥から出てこない。

 

「た……高畑先生!!」

 

 目の前に、少し顔色が悪いように見える父とは違う人の顔があった。良くも悪くも冴えない顔をしている父とは似ても似つかない、煙草を吸っていると映画に出てきそうなダンディーな俳優にも見えると評判のタカミチ・T・高畑の顔があった。

 

「大丈夫かい?」

「あわあわわっ、大丈夫です?!」

 

 表情に陰のある顔が心配そうに近づいてくると美空の心臓がハイビートを叩いて鼓動する。

 自分でもおかしいと分かる慌てようで抱き上げてくれている高畑の手から飛び降りる。あまりにも慌てていたため、ココネを抱きしめていたことも忘れてしまい、彼女を地面に落としてしまった。

 

「痛い」

 

 お尻から固いコンクリートに落ちたココネがよほど痛かったのか目の端に涙を浮かべていた。

 

「あっ、ココネごめんね! ほら、これで痛くなーい! ほらほら!」

 

 美空はココネの脇に手を入れて高い高いをしながら振り回す。その顔は真っ赤なままで、振り回されて痛がるココネに気がついた様子もないのは混乱が続いている証拠だった。

 高畑は美空を止めるべきかと思ったが、内面に積み重なっている感情の重さに押されるように一度は上げかけた手を下ろした。

 今は少し他人と関わり合いになる気持ちではない。気持ちが沈み切っていて、下手なことを言いそうなぐらいだから黙っている方が無難だった。

 

「無事かい、みんな」

 

 声をかけながら周りを見渡せばロボット達の残骸と、身を起こした刹那と愛衣達の姿があった。少なくとも高畑が放った豪殺・居合い拳に巻き込まれて怪我とかをしていなくて安心した。

 見渡した視界に、自分が来た道を映った。

 その道の先に自分を助けてくれた少女――――四葉五月――――がいるだろう方角に顔を向ける。

 彼女から聞いた超の計画を思い出して、限界を超えて沈み込んでしまう感情を持ち直して刹那達に向き直る。

 

「これを」

「あ、ありがとうございます」

 

 どうして高音が裸なのか分からないが、成人の男の前で女子高校生が服を着ていないのは色々と不味いと考えて着ていたスーツの背広を脱いで愛衣に渡す。

 投げ渡した後はハッキリと背中を向ける。

 無性に煙草を吸いたい気分だったが、刹那が並んで生徒の隣で吸うわけにはいかなかった。そもそも煙草とライターは高音に渡した背広に入っていたので、つい癖で煙草を取り出そうとして背広の内ポケットがある場所に伸ばして空を切った手が所在無げに揺れる。

 

「高畑先生、捕まっていたのでは?」

「情けないけど、ある人に助けられてね」

「そうですか」

 

 口の奥で苦味が走ったような顔で答える高畑に、誰に助けられたのかと刹那は問うことが出来なかった。

 全身に疲れを滲ませている高畑を直視することが出来なくて、今まさに背広の上をかけられている高音を見る。

 続いて「私にオジコン趣味は無い! 無いはずなのにこのトキメキは何っ!?」と、今度はココネを抱きしめながら地面をゴロゴロしだした美空を見るが、ロボットの破片らしきネジやらが散乱しているから地味に痛いだろうと考えた。

 遂には胸元から迸ったココネの顎直撃のアッパーに美空がK0されたのを見て、アレはアレで何時も通りなのだろうと思って再び高畑に視線を戻す。

 

「超君ならもういないよ。もう調べた」

 

 刹那の疑問を先取りするように高畑が答え、肉体よりも心が疲れたように間を開けた。

 

「彼女がいない以上、何時までもここに居ても仕方ない。外に戻ろう」

 

 高畑の悲しみも苦しみもなにもかもを一緒に混ぜ込んだようなひどく複雑な顔に、それ以上の詮索を出来るものなどいなかった。

 


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