数日前、アスカはネギとアーニャに向けて言った。
「■■■との、■■■を破棄する」
突然のアスカの提案にネギとアーニャは目を剥いた。何故、アスカがそんな話をしたのかが分からず、その旨を問いかけるとアスカは自身の胸元を掴みながら苦しげに口を開いた。
「俺とネギは、■■の■■だ。忘れちゃいねぇだろ、六年前になにがあったか」
「忘れてなんかない。忘れてなんかないけど、どうして今になって」
「…………ずっと、考えた。これで良いのかって、このままで良いのかって」
アスカの表情が歪む。言う通り、ずっと考え続けてきたのだろう。その苦労を知らなかったネギとアーニャは沈鬱に目を伏せた。
「今でもこれで正しいのかなんて分からない。でも、間違いじゃないはずだ」
「でも、■■■さんの気持ちはどうなるの? アスカを思って■■■してくれたのに」
ネギの脳裏に思い浮かぶのはエヴァンジェリンとの戦いだった。
あの時、■■■が来てくれなければじり貧だった。もしかしたらいなくてもどうにかなったかもしれないが、結果論にせよ■■■のお蔭で死中に活を求めることが出来た。その恩は大きい。
「ネギ、忘れるな。俺達は何を望み、何を目指しているのか」
「父さん……」
「そうだ。サウザンドマスター、大戦の英雄…………そんな親父の背中を目指しているのに、寄り道をしている余裕があるのか?」
寄り道、とアスカは称した。そのことがアーニャの堪忍袋の緒を切った。
「…………アンタ、■■■のことが寄り道だって言うの!? ふざけんじゃないわよ!! アイツが何の為に強くなろうとしてるのか考えたことがあるの!!」
「あるさ! だから■■■を破棄するって言ってんだ!!」
アーニャの怒声を掻き消すより大きな声で叫びつつ、アスカは痛みに耐えるように拳を強く握った。
そして静かな口調で語り出す。
「俺は親父を追うことを止められない。そして親父の後を追っていれば、修学旅行の時よりももっと大きな戦いをすると思う。■■■は優しいから、きっと付いてくる。そして傷つくだろう。そうなってからじゃ、遅いんだ」
父であるナギは死んでない。六年前のことでアスカとネギは確信していて、姿を現すことが出来ない事情があるのだと推測している。大戦の英雄であり、世界トップクラスの強者であるナギがそのような状況に陥っているのだ。きっとナギを追う中でアスカ達も大きな闘争の渦に巻き込まれる。
二人は自分達だけならば例え戦いの中で死のうとも、そういう道を選んだのだから覚悟は出来ている。自分達だけならば、だ。
「僕は分かるよ。僕も同じ気持ちだから」
「そんなのアンタ達の身勝手じゃない」
「身勝手で良い。それでも■■■が傷つかなくて済むなら」
「はん、男の美学だって言いたいわけ? 下らないわ、下らなさ過ぎて反吐が出る」
男の下らないプライドに女を振り回すなと吐き捨てたアーニャに、アスカが口を開いた。
「なんと言われてもいい。親父のことは俺とネギの問題だ。他の誰も巻き込むわけにはいかない。だから、頼むアーニャ」
「僕からも頼むよ。アーニャとの約束――――村の人達の石化は必ず解く。君まで僕達の事情に付き合わなくていい」
最後通牒であり、アーニャが秘めていた弱さを突く言葉であった。
外から差し込む満月の輝きが三人を優しく照らし出し、彼らの淡い影を作り出していた。まるで影が世界を侵食するように勢力を伸ばす。
月光は兄弟だけを照らしてアーニャにだけ当たらず、影がまるでその姿を隠すように覆い隠した。
「卑怯よ、アンタ達は……」
何時かは言わねばならない言葉を向こうが言ってくれたことに助かったと思ってしまったアーニャもまた卑怯者だった。
その時、影に隠れたアーニャがどのような表情をしていたのか二人も、当人も知らない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
浮き上がるような高揚感が包み、閉じた目蓋の下にも光が溢れる。突き刺さるような光ではなかったので身を任せた。
「あれ? これって雪……」
朝倉和美が鼻先に舞い降りた雪に気付いて眼を開けると、周囲にはネギ達以外には見知らぬ街並みが広がっていた。
「ここは……」
思わずといった感じで桜咲刹那が呟く。
空からは緩やかに雪が舞い降り、積もっていく街並みは誰にとっても美しい物に見えた。自然が広がる田舎の風景は何処か羨ましく思える。
『六年前、僕達の住んでた小さな山間の村です』
どこからかネギの声が頭に鳴り響き、テレパシーのようなもので聞こえてくる。
「ネギ坊主?」
不意に聞こえてきた声に、古菲が空を見上げる。
『ウェールズにある片田舎にある小さな村。一見どこにでもあるような村です。ある一点のみ普通とは異なっている箇所があるとすれば、村の大半の人間が魔法使い、もしくはその関係者であるという事です。ですが、この村は』
「今はもう滅んでいるわ」
ネギに続くように先程と同様の格好をしたアーニャが服を着ていない裸の明日菜の隣りで呟く。
「……………………なんで私達、裸なのよ」
空を見上げる皆と違って一人だけアーニャの方を振り向いた明日菜は必然、みんながいる方向を見ることになった。
それでアーニャとエヴァンジェリン以外の異変に気がついた。何故ならば二人以外の全員が雪が降る寒空の下、街中で誰がいるか分からないにも係わらず、服どころか下着すら着ていなかったのだから。
「きゃ……」
明日菜の発言に自分の状態に気付いた宮崎のどかが小さく悲鳴を上げると、町中で身体を丸めてしゃがみ込んだ。他の少女達も同様に、局部を両手を使って隠したりしていた。桜咲刹那は木乃香を後ろに庇うという忠犬っぷりを披露。
周りに視線を向け、自身もまた全裸と気づいて、思わず胸と股間を手で隠しながら術者たるエヴァンジェリンを睨む。不思議なことに寒さは感じないが、雪の降りしきる何処かの街中で裸で立ち尽くしているなんて状況では無理もない。
「こういう仕様だ。仕方あるまい」
全身が白く輪郭が薄らとぼやけた姿はまるで幽霊のような体だった。頭から煙のようなもの伸びており、それは空高くまで続いている。どうやら意識と体を繋ぐ糸のようなものらしい。
全裸とはいえ、実際には姿がぼんやりと霞んで細部まで確認出来ないと気付いたからか、それぞれが羞恥を感じながらも魔法と目の前の光景からの興味で周囲に視線を向けた。
「せっちゃん~、どうにかならんの?」
「魔法では私にはどうにも…………」
如何に木乃香に聞かれても、アーニャとエヴァンジェリンだけ服を着ているのは魔法によるものなので刹那には如何ともし難かった。
「あ……あれは、ネカネ先生とネギ先生では?」
輪郭しか分からないと判っていてもしゃがみ込んだままののどかを起こそうとしていた綾瀬夕映が目敏く見つけた。 道の向こう側から夕映達と同年代の頃らしきネカネと、彼女と手を繋いで歩く幼いネギがやってくる。
「ネギ先生、可愛い……」
好きな人の幼い姿に目をとろかせたのどかが思わずといった様子で呟いた。
道の真ん中に立っていた夕映達は触れることは出来ないと分かっていても、普段の習性から道を明け渡す。何やら楽しそうに喋っていたネカネが、夕映達の前を通りかかったところで後ろを振り返った。
『アスカ、雪だるまを作るのはいいけど遅れないでね!』
『は~い』
明日菜達が見た先にあった大きな雪の塊が返事をした。小さな子供がすっぽりと隠れるような雪の塊の後ろから声が聞こえて、ひょっこりと金髪の少年が顔を覗かせた。
「うわぁ、アスカ小っさい」
雪の塊から顔を出したアスカが、ネカネの呼びかけに答えて明日菜達の前にやってきた。その身長はネカネと手を繋いでいるネギと大差ない。今と変わらないやんちゃそうな顔に明日菜は眉尻を落とした。
『どうどう? これで雪ダルマ作れる?』
家からここまで雪を転がして大きくしてきたからか、それとも雪ダルマを作れることに興奮しているのか、小さな少年の頬は火照っていた。
『ええ、作れるわよ。続きはご飯を食べてからにしましょう。ほら、髪の毛に雪がついてる』
聞いてくるアスカに柔和に笑ったネカネが手を伸ばして弟分の髪の毛に付いた雪を優しく払う。雪が冷たいのか、ネカネの手だけではなく自身でもブルブルと頭を振るっているアスカにネギが問いかけた。
『どんな雪ダルマを作るの?』
『うんと大っきいの!』
『アスカ、ネギは大きさじゃなくてどんな形とかを聞いてるのよ』
大きさだけを考えていて形を考えていなかったのか、アスカはうんうんと考え始めた。しかし、直ぐに答えを見つけたのか、右手を上げて人差し指を立てた。
『お父さんが僕達を見つけられるぐらいにすっごい大きなやつ!』
形ではなく大きさになっているが、得意満面の笑みを浮かべているアスカに突っ込むのは野暮というものだろう。傍から見ていた明日菜達などは微笑ましげに見守っていた。
『アスカだけ、ずるい』
その中で一人だけ不満そうにしているのがいた。ネギである。
『じゃ、一緒にやろう。二人でやればひゃくにんりきだ!』
『うん!』
不満もなんのその。誰かが言った言葉を意味もなくそのまま口に出しているだけのアスカに嬉しげに頷いた。
今にも戻って雪ダルマ作成を再開しようとしているアスカとネギの手をネカネが掴む。
『大きな雪ダルマを作るのはいいけど、先にご飯を食べないとね』
『『え~』』
『お腹空いたでしょ。雪ダルマは逃げないわよ』
意気揚々と動き始めたところを止められて不満そうな弟分達を嗜めて、二人の手を繋いだネカネが歩き出す。
お腹が空いていたのもあって、二人は雪ダルマは後にしようと目だけで合図を交わしていた。
『ねぇ、ネカネお姉ちゃん。お父さんとお母さんのお話聞かせて』
『僕も聞きたい!』
料理屋まではまだ少し歩く。ネカネは二人の期待の籠った眼差しを受け、視線を少し中空を彷徨わせて口を開いた。
『二人のお母さんに私も会ったことがないの。お父さん達が会っちゃ駄目って言ってね』
記憶を思い返すように、その時に感じたことを振り返ってネカネは言葉を紡ぐ。
『ナギさん…………二人のお父さんは太陽な人だったわ。そこにいるだけでみんなの心を温かくしてくれるような、そんな人だったわ。ナギさんの奥さんだから、きっと二人のお母さんもいい人よ』
何度も聞いているのに、始めて聞いたように嬉しげな様子の二人にネカネの口も快調さを増す。
『ナギさんには、この村には殆ど子供はいなかったから私も可愛がってくれたわ。よく肩に乗せてくれたりしてね』
『いいな~』
『妬かないの。あなた達がまだ生まれる前の話なんだから。二人のこともお願いされたのよ。これから生まれてくる子達と仲良くしてくれって』
羨ましそうに頬を膨らませたアスカに言って、あなた達のことを大事に思っていたのよと伝える。
『それとねあなた達のお父さんは、とっても有名なヒーローなのよ。そうね………スーパーマンみたいな人』
『スーパーマン?』
雪が舞い降りて視界を僅かに遮る中、ネギが聞き覚えのない単語に首を傾げた。
三歳過ぎの子供にはまだスーパーマンは分からないかと苦笑したネカネは、分かりやすい単語を選びながら説明する。
『そう、誰もがピンチになったらどこからともなく現れて、必ず助けてくれるのよ』
『お父さんはスーパーマン?』
『お父さんはヒーロー?』
アスカとネギが顔を見合わせ、テレビで見たヒーロー物の超人とナギの人物像が合致していく。
『今もどこかで誰かを助けてるの?』
『っ…………ええ、きっとね』
アスカの疑問にネカネは詰まった。そして真実を言えなくてぼかした言葉を口にした。
ネカネの返答に手を繋いでない方の手を振り回したアスカが、良いことを思いついたばかりにニッカリと笑った。
『じゃあ、僕もヒーローになる!』
『アスカ、どうしたの急に?』
『ヒーローになってみんなを助けたら、どこかで同じようにみんなを助けてるお父さんと会えるはずだよね。だから僕もヒーローになる!』
『あっ、アスカだけずるい! 僕だってヒーローになるもん! ずるいアスカは成れないよ!』
『えぇ!? 僕だって成れるもん!!』
『成れないったら成れないもん!!』
『成れるったら成れるもん!!』
ネカネと手を繋ぎつつも間に挟んでネギとアスカが言い合いを始めてしまった。
「可愛ええな……。なんか癒されるわ」
「はは、気持ちは分かります」
雪が降りしきる中で言い合いを続ける少年二人の姿に木乃香はほんわかとした雰囲気を更に増し、その横で主の可愛い物を好きを知っている刹那は苦笑を浮かべつつも幸福な家族の肖像を眩しげに見つめた。
ヒーローに成れる成れないで言い合いを続ける二人に困ったネカネがどう説得しようか悩んでいると、近くの路地から、まるで待っていたかのようなタイミングで一人の少女が現れた。
『あんた達バカね! 死んだ人には会えないのよ。サウザンドマスターの子供なのに、そんなことも分からないのかしら』
現れた少女――――アンナ・ユーリエウナ・ココロウァがふんぞり返って二人を笑った。
「アーニャちゃんも小さいわね」
「ガキの頃なんだから当然でしょ」
「ふん、生意気そうな面は今と変わらんな」
「うっさいわね」
隣にいる少女の幼き頃の姿に顔を向けた明日菜の視線の先で、当の少女は世界全てが気に喰わないとばかりに表情を歪めていた。エヴァンジェリンの揶揄に対する反論も今までのような力はない。
「アーニャ先生、耳真っ赤」
「のどか、ここは触れないのが正しいリアクションですよ」
「なんでアルか?」
「そりゃ、小さな頃をみんなに見られるなんて恥ずかしいじゃない。カメラが使えてたら貴重な一枚が撮れたのに、残念」
「うっさいって言っているでしょこのアンポンタン共!!」
次々にチクチクと言葉とリアクションの針を刺されて爆発したアーニャが大噴火した。どうやら単に恥ずかしがっていただけのようだ。
『死んだって?』
『…………』
もう直ぐ三歳という幼すぎる年齢のネギでは、『死』という概念はまだ理解できていない。身内や家族に不幸があったりしなければ理解しろと言うのも無理な話。普通はこの年頃ではそれでも理解出来ないものではあるが。
ネギの純粋な疑問に、傍目から見ても父に憧れていると分かるので、どう言ったらいいものかと困った顔になったネカネも直ぐには答えられない。
『もう、会えないってことよ』
二人から見つめられても上手い言葉が見つからず、ネカネにはそう答えるしかなかった。他に上手い言葉が浮かばなかった。
『ガキでお子ちゃまな二人には分かんないみたいだけど、ヒーローになったって死んでるお父さんには会えないわよ』
『そんなことない! お父さんは死んでない!』
アスカがアーニャの言葉にムッとして言い返した
『あんた、バカね「死ぬ」のイミわかってないでしょう!!』
『バカはアーニャーだ! ヒーローは死なない!』
『だからアンタは馬鹿なのよ! 物語と現実を混同してんじゃないわよ!!』
ネカネどころかネギも置き去りにして二人はギャーギャー、キーキーと言い争いを始めてしまった。
頑なに自説を曲げないアスカに先に疲れて折れたのはアーニャの方だった。
『まぁ、いいわ。私は大人だもの。そうそう、ハイコレ。あんたにあげるわ。あんたにも』
散々二人で言い合って疲れたのか、納得したのか分からないがアーニャがアスカとネギに、先端に星型がついた子供が魔法使いごっこをするような小さな杖を渡してきた。
『コレは?』
『初心者用の練習杖。私はもういらないからあげるわ。あんた達も来年から学校来るんでしょ。生きてた頃のお父さんみたくなりたかったら、ちょっとは練習しておきなさい』
アーニャは既に魔法学校に入学しており、二人は来年から魔法学校へと行くことになっている。その為に彼女のか、他の誰かが使っていたお古なのかは分からないが、それでも好意で渡してくれたのは間違いない。
「素直じゃないな」
「素直じゃないわね」
「素直ちゃうな」
「素直ではないですね」
「素直じゃないです」
「素直になりましょうよ」
「素直が一番アル」
「素直になれないツンデレよね」
「うっさいわ!!」
全員の意志が統一された瞬間だった。
『プラクテ・ビギ・ナル 火よ灯れってやったら杖の先に小さな火が出るから、魔法学校に行くまでにこれぐらいは出来るようになっておきなさい。じゃあね』
記憶のアーニャはアドバイスを言って、何かを言われる前に素早く踵を返して走って自分の家に帰って行った。
アーニャから受け取った杖を手にしたアスカとネギは物は試しにと構えた。まず先に動いたのはネギ。
『プラクテ・ビギ・ナル 火よ灯れ。えいっ』
ぶんっとネギが杖を振った先から火花が散った。
『わっ、なんか出た』
『最初から出るなんてネギは凄いわね』
『ようし、次は僕の番だ』
一発目に火ではないが何らかの現象が出ることは稀であることを知っているネカネは言葉以上に驚き、その隣に立っているアスカが次は自分の番だと気合を入れた。
『プラクテ・ビギ・ナル!』
大きな声と大きな動作に反応するように、その小さな体から莫大な魔力が溢れ出す。まだ半人前にも成らない未熟者でも分かる異常にネカネが一瞬絶句する。
『まっ』
『なんじゃ、この真昼間に騒々しい』
ネカネがアスカを止めようとしたところで、アーニャが帰って行った通りの角の向こうから、人が想像する典型的な魔法使い(老人+ロープにとんがり帽子)の格好をしたスタンが現れた。
現れたスタンに気を取られ、ネカネの反応が一瞬遅れる。
『火よ灯れ!!』
詠唱が唱えられた途端、アスカが持つ杖の先から豪炎が溢れ出た。スタンの声に反応したのはネカネだけではない。ネギもそっちを向いたし、また詠唱を唱えていたアスカも反応した。
首が動き、体が反応し、杖の先も動いた。動いた杖の先はスタンを向いていた。
『うわっちゃぁああああああああああああ?!!!!!!!!!』
豪炎はスタンの顔に伸び、悲鳴が轟く。魔法使い見習いですらないアスカの魔力は長続きしない。豪炎は一瞬で消え、スタンの顔を舐めるだけで終わった。
とんがり帽子を被っていたことと生えた髭が顔を覆っているので、剥き出しの肌の部分は少ない。豪炎はそれらを焼いて行って残ったものは。
『わ、儂の髭が』
火傷はしなかったが自慢の髭を襲った惨劇にスタンは動揺を隠せなかった。
『スタンさんのお髭さんがチリチリに…………ぷっ』
とんがり帽子はこんがりと焼け、密かなスタンの髭は見事なまえにチリチリパーマと化していた。その姿は普段を良く知るが故にネギは笑いの衝動を堪え切れなかった。ネカネも同様である。
『ナイスパーマ』
『………………人を殺す気か!! この、馬っ鹿ぁ者がぁああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!』
『うぎゃんっ!?』
いらぬ一言を言って人を怒らせるのはこの時から変わっていないのか、怒髪天をついたスタンの拳骨がアスカの脳天に振り下ろされ、ガツンと痛そうな音が響いた。
「明日菜の誕生日プレゼントを買いに行った時に言うとったんは、これやったんやな」
しみじみと木乃香は呟き、アスカの破天荒はこの頃から始まっていたのだと場面が変わるのを眺めながら笑っていた。
今度の場面にネカネはいない。ネカネは地元から離れた学校で寮生活をしており、偶の休みにしか帰って来ないのだ。
どこかの部屋の中でアスカとネギが二人で並んで椅子に座り、グリグリとクレヨンで画用紙に下手糞な子供らしい絵を描いていた。写真ですら見たことのない父の姿を想像だけで書いているようだ。
「おじさんの家の離れを借りて、たった二人で暮らしているアルか」
古菲の声には驚きが込められていた。
ネカネがいるのだから一緒に暮らしているのとだと思っていたが、周りの大人の力があったとしても家の中には二人しかいないのだ。大半が親がいる少女達にはとても寂しい物に見えた。
『どうやったらヒーローに成れるんだろう』
ネギが隣のアスカに言い、可愛らしく首を捻った。聞かれたアスカは空に浮かぶ太陽と辛うじて人と分かる絵か顔を上げて、うんうんと考えた。
『困ってる人を助ける?』
『そんなのでヒーローに成れるのかな』
今度は二人で悩み出した。誰かのポーズの真似なのか、腕を組んで揃って首を傾げている。
先に答えを出したのはアスカの方らしく、見ている少女達にはっきりと分かるぐらい表情が変わった。
『いっぱい、いっぱい、助けてたらヒーローになれる!』
単純に考えるのが面倒になったのか、はたまた一人でだけではなく多く助ければヒーローに成れると結論に至ったのかは不明だが、元気一杯に宣言する姿に微笑ましさを少女達は覚えるのだった。
場面はまた切り替わる。
村の中で人助けを探して奔走する幼き兄弟の姿。
「魔法使いといっても普通ですね」
「同じ人間なのだ。魔法世界ならばまだしも旧世界ならば、生活の場で科学が魔法に代わるだけで大した差が生まれるはずもない。お前は幻想を見過ぎだ」
魔法使いの村なのだからもっと非日常的な生活を予測していた夕映の考えを裏切る様に、寒村そのものの暮らしが繰り広げられていた。
エヴァンジェリンの言う通り、生活の場に魔法が混じっていても期待していたような血沸き肉躍るようなファンタジーはない。火を点けるのに魔法で灯したり、屋根の雪解けをするために梯子を使って昇るのではなく箒に乗って飛んだり、多少の違いはあれども少女達の暮らしと大きな差はなかった。
『うんしょ、うんしょ』
『どう、じっちゃん?』
『気持ちええぞ。良い塩梅んじゃ。おお、ネギよもう少し下を頼む』
とある家でネギとアスカに肩を叩いてもらっているスタンの眉尻は下がりに下がりまくっていた。
他にも犬の散歩、屋根から下ろした雪避け、店員と一緒に店番、お手伝いのetc。どこの家も人も少年達の申し出を邪険にせず、幼い二人でも出来ることを考えて頼んでいた。
「良いところですね。温かみがあって、みんな優しくて」
のどかは見ているだけで心が癒されていくのを感じて微笑んだ。
誰もが笑顔で、誰もが優しくて、誰もが温かい。都会の隣人の顔すらも知らないような冷たさとは違う、地域ぐるみでの交流があると見ていれば分かる。
二人で暮らしている家も直ぐ近くに叔父家族(ネカネ一家)の家があって、叔母が何くれとなく世話を焼いてくれている。
「ネカネ先生ってお母さん似なんやね。そっくりやわ」
「私が聞いた話とは少し違う感じがするけど……」
木乃香の見ている先で、ネカネが成長すればこうなるという見本そのままのネカネの母――――叔母が何くれと双子の世話を焼いていた。少し前にアスカからこの叔母がネカネの百倍パワーアップさせたような人だと聞いていたのに、視線の先にいる人はとても穏やかそうな人でとてもエキセントリックには見えない。
場面がまた変わる。
今度は湖畔というには少し大きい池の畔に二人の少年は空を見上げて立っていた。正確には空ではなく、少年達と空の間にある木の枝の上に乗っているものだ。
「猫、ですね」
「木に登ったはいいが下りられなくなったのだろうよ。くだらん。降りられなくなるなら最初から登らなければいいものを」
「習性なのだからどうしようもありませんよ」
同じものを見ようと見上げれば、少年達の視線の先にいたのは黒猫であった。エヴァンジェリンは猫が嫌いなのか妙に辛辣だ。応対した刹那も困ったように苦笑している。
「あ、アスカ君が動くよ」
和美が指差した先でアスカがおっかなびっくり、木に登り始めた。
大人を呼んでくるなりすればいいのに、出っ張りや取っ掛かりが多いのでアスカが小さい体で齷齪しながらも昇って行く。何時落ちるか分からない危なっかしい行為に下で待っているネギだけではなく、少女達もドキドキハラハラしていた。
この頃から運動神経が良かったのか、アスカは一度もバランスを崩すことなく高い枝の上で蹲っている黒猫のところに辿り着く。問題は別のところにあった。黒猫は人懐っこいのか、近寄って来たアスカに反応して身を起こしたのだ。
アスカがその枝に乗っていることもあって、不用心な行動によって物凄く揺れて細い枝なのでポッキリと折れた。しかもよりにもよってアスカが乗っている後ろで。枝が折れれば一人と一匹を支える物は何もなくなり、仲良く落ちて行く。
「あ?!」
思わずといった様子で刹那が声を上げる。
記憶だと分かっていても反応して少女達の視線の先で、黒猫は一緒に落ちていたアスカの頭の上に脚を乗せたと思ったら足場にして飛んだ。
『アスカを踏み台にしたっ!?』
この頃からネギは天然だったのか、言っていることは的を射ているのだが驚くところが変だ。それはともかく、この頃のアスカに空を飛べるはずもなく池に真っ逆さま。いっそ芸というほど見事に頭から入水すると大きな水柱を上げた。
慌てた様子で――――恐らく助けるつもりなのだろうが――――何故かネギも池に飛び込んだのだった。
場面が暗転し、突然切り替わる。
「これは溺れたな」
エヴァンジェリンが語るべくもなく、切り替わった場面でアスカとネギが同じベットで顔を赤くしてしんどそうに寝ていれば大体の予想はつく。
『ネギが溺れたって本当ですか、お父様!?』
二人の住居である離れの小屋に飛び込んできたのは、彼らの年の離れた従姉ネカネだ。
『ああ、ネカネ。大丈夫だよ。40度の熱を出してぶっ倒れるがね』
叔父は叔母が少年達の額の上に乗せていた濡れタオルを交換しているのを横目に見つつ、少し困ったように微笑みながら応えた。
心配性の気があるネカネが急遽呼び戻された事からも、二人の容態がどれほど悪かったかは推して知るべしである。
『すまん、うちのミーヤが木に登ったのを助けようとしたようでな』
『レコルズさん』
『これで許してくれとは言わんが、うちの治療薬を使ってくれ。効果は保証する』
『そんな…………戴けませんよ、こんな高価な治療薬』
『せめてもの詫びだ、頼む』
黒猫――――ミーヤの主である薬屋の主人が頭を下げて治療薬を無理矢理にネカネに渡す。
渡されたネカネは困って両親の顔を仰ぎ見るが、仕方なさそうに頷いたのを見て返さずに貰うことにした。
『冬の湖に飛び込むなんて何を考えておる。フツーの人間なら死んどるぞい。全く、ペットを助ける為とはいえ無茶をするところは父親そっくりじゃ』
暗くなりかけた雰囲気をスタンの軽口が晴らす。軽口を言いつつもスタンの顔は苦々かったりするが。
スタンは熱で苦しそうな二人からネカネの父――――叔父へと視線を移した。
『この二人が最近、ヒーローごっこなるものをしているのは、親の愛を早く受けたいと思う子供の気持ちだと気づいておるじゃろ。この子達に必要なのは親の愛だと分かっておろう』
『何を言いたいのです?』
『一緒に暮らしてやれと今更言わねば分からんか? 出来れば儂が、と言いたいところが婆さんが逝っちまってからは男一人暮らしじゃから、子供達と暮らすのは教育的によろしくないのが無念じゃ』
叔父は口をへの字に曲げて沈黙をもって返答とした。
『分かってはいる。分かってはいるが……』
兄弟の扱いは魔法界の二大国の内の一つ、メガロメセンブリアでは深度Aクラスの情報とされている。村では周知の事実だが、外に漏れないように口外出来ないようにする暗示がかけられている。村の住人が外に出ると認識を阻害する魔法をかけられているぐらい、二人の扱いは慎重かつ厳重になっている。
個人的な感情、家長としての勤め、周りからの目、と様々な要素に叔父は答えを出せないようだった。
『必要ありません。今から私がこの家で暮らしますから、あなたは一人で暮らして下さいね』
その中で答えたのは叔父ではなく、叔母の方だった。しかも、爆弾をいきなり落とす。
全員がギョッとした表情でその言葉の意味を理解して振り返ると、台所で何かをしていた叔母がお盆に乗った鍋を手ににっこりと笑っていた。いっそ、清々しいと感じるほどに。
『ネカネは学校で普段いませんし、大人と子供二人のどちらを優先するかなんて考えなくても分かりますよね?』
にこやかながらも言葉の端々に自分の旦那に対する攻撃的な意思が感じられた。
『幸い、この離れなら私が移っても十分な広さがありますから問題はありませんね。どうせならあなたに出て行ってもらってあの子達を家に移しましょうか』
『お、おい…………いきなり、何を』
『ずっと考えていたことです。あなたのやり方にはもう我慢の限界です。気に入らないというなら離婚します』
『り、離婚!?』
第二の爆弾が投下された。
真冬の湖に落ちて風邪を引いた二人の面会に来ていた村の人達は、突如として始まった修羅場に戦々恐々と部屋の隅に固まっていた。例外はこの事態にもネギとアスカのことを心配してベットから離れないネカネぐらい。
『そんな大袈裟な』
『この子達に最も必要なのは親です。一番懐いているネカネもまだ子供です。親の役目をやれというのは酷でしょう。ナギさん達がいない以上、その役目を曲りなりにも出来るのはずっと一緒だった私達だけです』
私は絶対に譲りません、と絶対の意志を宿した口調で言い切ると、固まっていた表情をゆっくりと和らげた。
『あなたがナギさんにコンプレックスを抱いていることも、私達のことを考えてくれていることも重々承知の上です』
『…………私にそんなつもりは』
『私が愛した人ですもの。あなたの優しさは良く知っています。けれど、大人の都合を子供に押し付けないで下さい』
厳しさと優しさを同居させて、ささくれ立った心を宥めるように叔母は優しく告げる。
叔父にとって年の離れた自分の弟―――――ナギ・スプリングフィールドは色んな意味を持っていた。魔力は強大だったが物覚えが悪く、その癖して自分と違って溢れんばかりの才能に満ちていた。
魔法学校を中退して家を飛び出し、気がつけば魔法世界に渡って「英雄」だなんて呼ばれるようになって、ナギが育った村ということで元々は静かで小さな村だったのに慕った余所者が多く住み着き始めた。
変わってしまった弟、激変した環境、いらぬ醜聞。男としての嫉妬もあったかもしれない。魔法使いとしての憧憬もあったかもしれない。厄介ごとをばかりを持ってくる憎悪もあったかもしれない。
村の者は殆ど知らないが彼はナギの妻が、兄弟二人の母親が誰かを知っている。彼女が魔法世界においてどれだけの意味を持つかも。
彼もまた妻と娘を持つ男として家族を危険に晒すわけにはいかない。だが、今となっては行方の分からぬ世間では死んだことになっている弟の息子達を放り出すことも出来ない。弟の息子である兄弟と一緒に住めず、家の離れを貸すのが彼なりの精一杯の妥協案だった。
『私は幾つになってもあの馬鹿に振り回され続けるのか』
『楽しくなるならいいじゃないですか』
『そこが憎たらしいのだがな』
手で目元を覆った叔父は気持ちを切り替えるように大きく深呼吸をした。
『分かった。この子達と一緒に住もう』
おお、と村人達のどよめきが唱和する。三年近く村人が幾ら言っても翻意しなかったのに奥方の鶴の一言で一発とは、流石はこの村一の「嫁に尻に敷かれている男№1」の称号を受けているだけあった。
『良かった。でも……決断が遅れたお仕置きは必要よね?』
喜んだ奥方だったが、持っていたお盆をネカネに渡すと何故か袖を捲り上げて宣言した。叔父の顔からいっきに色が抜け落ちる。
『ぎゃあああああああああああああああああああああああああっ?!!!!!!!!!!!!』
寒村に叔父の悲鳴が轟き響く。
この時に何があったのかを聞かれても村人達は顔を青くするだけで決して口にすることはなかったが、ネカネが母の所業を感心したように見ていたと後にスタンは魔法学校に上がって暫くしてから兄弟達に語ったそうな。
「確かにネカネ先生の百倍エキセントリックだわ」
明日菜は風邪を引いた時にアスカから聞いた話は真実だったのだと目の前の光景を見て確信した。
また場面が変わる。
雪が降りしきる中、スプリングフィールド一家はバスの停留所に来ていた。ネカネがウェールズの魔法学校へと戻るので、その見送りである。熱が下がったネギとアスカも一緒だった。叔母は過保護なのか、寒空に薄着で出歩いたらまた風邪を引くと買い込んできた厚物の衣類を兄弟に着せている。
『女の子はネカネで十分だから、男の子も育ててみたかったのよね。ずっとネカネが羨ましくて羨ましくて』
『その被害が私の小遣いを直撃してるんだが』
『あなたったら、そんなにこの子達が嫌いなの』
『くっ、また卑怯な言い方を』
夫婦間の力関係が如実に窺える会話であった。多数決の論理を味方につけ、子供達に不安そうに見上げられては叔父も反論が出来ない。一緒に暮らし始めて数日だが、諦めがついたこともあって関わり方を変えると子供達の反応も変わって懐いてくれるようなったことで、親心から嫌われたくないと思うようになっていた。
ネカネは兄弟を中心に置いて手を繋いですっかりと仲良くなった家族に少しの寂しさを感じていたが、母が兄弟の傍にいてくれる安心感の方が強かった。
『暫くしたら直ぐに戻って来るからお母さんの言うことを聞いて元気にしてるのよ、ネギ、アスカ』
『『うん。行ってらっしゃい』』
家族に見送られながらネカネがバスに乗り込む。そして発車したバスの最後部座席から見えなくなるまで何時までも兄弟に向って手を振っていた。勿論、恋人と無理遣り離されたような顔を浮かべていたネカネがいたことはスルーすべきである。
『帰るか』
バスが見えなくなるまで見送った一行は叔父の声が合図となって歩き出した。間に兄弟を挟んで手を繋ぎながら歩く叔父と母の姿は、どこから見ても普通の家族にしか見えない。
少し歩くと叔父と手を繋いでいたアスカが顔を上げた。
『叔父さん、叔父さん、また肩車して』
『あ、うむ、分かった』
トイレに行きたいが熱が下がりきっていなくてまともに歩けなかったアスカを、少しふざけて肩車をしたらいたく気に入ってしまったようだった。周りにいる大人に肩車をしてもらったことがないので、視点が随分と高くなって移動するのは楽しいらしい。
叔父としては甘えられることに慣れていないので提案にどもりつつも、頷いて膝を雪に着けてアスカを肩に乗せた。
『どうだ、アスカ。高いだろう』
アスカの足が首から胸にかけて伸び、その足首を手で固定する。首の後ろにアスカの全体重がかかっているのだが、叔父にはさして苦にもならなかった。
『高い高い!』
キャハハハハ、と大きく笑うアスカの足をしっかりと掴んで転げ落ちたりしないように固定していていると、直ぐ近くから視線を感じた。
羨ましそうな視線の主はネギであった。
『ネギもしてやろう、おいで』
『…………いいの?』
『構わん。アスカ、ちょっと移動するぞ。手は離すな。ほら、ネギはこっちに』
欲しい物は欲しいと言うアスカと比べると引っ込み思案なところがあるネギ。二人の性格は前から分かっているので、苦笑しつつもアスカを片肩に移して手を離さない様に言いつつ、妻に手伝ってもらいつつネギをアスカが乗っているのとは反対の肩に乗せる。
流石に三歳児とはいえ、二人分を両肩にそれぞれ乗せて立ち上がろうとすると、最近とみに年を感じるようになった肉体に堪えた。それでも子供達がワクワクとして期待の目を向けてくるのには答えないわけにはいかない。
『ど、どうだ……っ。高いか?』
『『高い!』』
返って来た返事は十分に満足するほど喜色に満ちていた。気合を入れて立ち上がった甲斐があったというものだ。
『楽しそうね。私も乗せてもらおうかしら』
『お前まで乗せられるわけないだろう…………私の肩が埋まっている意味だからな。変な意味はないぞ』
『念を押されると違う意味があるように聞こえるけど、子供達が楽しそうだから見逃してあげる』
この時ほど子供達の存在を嬉しく思ったことはないと、翌日に兄弟の様子を見に来たスタンに語ったそうな。
夫が実は世話好きなことをしっている叔母は上機嫌になりながら、肩車に大喜びの子供達の姿に嬉しそうに目を細めた。
『今日の晩御飯は何にしようかしら。あなた達、何かリクエストはある?』
言われた少年達は叔父の肩の上で頭越しに顔を見合わせた。それだけで意見は一致したようだ。
『『お母さんの料理!!』』
『あらあら、ハンバーグとかじゃなくていいの?』
『ハンバーグよりもお母さんの料理が良い!』
『昨日もその前もそうだったのに飽きない?』
『美味しかったから飽きない!』
風邪を引いた時に食べた見たこともない料理が二人の母から教わったものだと教えてからは、毎日リクエストしてくるのは困ったものだ。
『そんなに好きなら作り方、覚えてみる?』
冗談でもあったが少しは本気の提案でもあった。
娘のネカネは器用だが料理の腕はあまりよろしくない。不味くはならないのだが、上手いとも感じない絶妙な味わいなのだ。同じレシピ、同じ手順で何故こうも味が変わって来るのか不思議である。
『僕、やる!』
ネギは子供らしく刃物が怖いようで逡巡している。逆に向こう見ずなところがあるアスカが真っ先に手を上げた。
『じゃあ、早速今日からやってみましょうか』
『うん!』
これはこれで新しい家族の形なのだろうと、幼い子供二人分の重量に齷齪している夫を見ながら思うのだった。
「これは本当に普通になってきましたね」
夕映が言う通り、場面が変わるが幸せな家庭の日常を覗き見ているようで悪いことをしている気分になってくる。
「本題はこれからよ」
今まで黙っていたずっと黙っていたアーニャが言いつつ、空を見上げる。アーニャの行動に吊られる様に空を見上げた少女達は変化に気づいた。
「あれ、雪……」
上空に浮遊した状態で雪の積もる村を眺める少女達。それはこの記憶の物語がクライマックスに近づいていることを示していた。
「もう春も近いのに雪か。随分長いこと記憶に付き合っているな」
舞い降りた雪に手を伸ばすエヴァンジェリンの言葉に実感するように皆で長い間、ネギの記憶を見続け、春が近いというのに振り続ける雪景色に魅入る。記憶の中の時節は巡り、もうすぐ春というところ。それでも山間の村には雪が降る。
そして、奇しくもネカネが村に戻った丁度その日、事件は起きる。
『おぅ、お二人さん。買い物かい』
『『お遣い!』』
『そうかいそうかい。ご苦労なこった。サービスだ。これも持って来な』
『サンキュー、おっちゃん』
『また来いよ』
頼んだ量よりも多めを渡されてネギは困惑するがアスカの方は貰える物は貰う主義のようで、さっさと渡された品物を鞄に詰めていた。
店員に見送られて住居兼店舗から出て、ネギは買い物のリストと買った物の比較を行う。
『人参とピーマンは買ったから、これで忘れ物はないかな』
『今日のご飯はなんだろう』
『叔母さんは楽しみにしてなさいって言ったけど』
少し口調が荒くなってきたアスカ。一体、誰の真似をしているのかと叔母が気にしていることを考えながら、ネギは渡された紙に書かれている品物に抜けはないことをもう一度確認する。
二人で手を繋いで歩きつつ、買い物を頼まれたリストはネギが持ち、買った物はアスカが持つ役割である。
『家に帰ったら何しようか。魔法の練習でもする?』
『でも、家の中でやっちゃ駄目って言われたぞ』
『それはアスカだけだよ。加減を知らないんだから天井を焦がしちゃったじゃないか』
『あ、そっか。んじゃ、どうしよう。叔母さんの手伝いでもするか?』
『僕は別に禁止されないんだけど』
『ネギだけ抜け駆けするのはずるいから手伝いで決まり』
『え~』
帰宅の途につく少年達とすれ違ったりする村人達の視線は優しい。大人と一緒に住むようになって前よりも元気が上がったし、笑顔を見せることも増えた。ただそれだけで彼らにとっては嬉しいのだ。
『おい、何だアレ!』
突如、近くで聞こえた大声に二人の少年の体がビクリと跳ね上がる。
自分達が何かをしたのかと慌てた少年達だが、近くの大人の視線がこちらではなく別の方向だと気づき、視線の方向である空の彼方を見た。
「始まる」
ポツリと地獄の底を覗いてしまったような低い声でアーニャが呟いたのを聞き届けたのは明日菜だけだった。何を、と問いかけた口は、あまりにも冷たすぎるアーニャの瞳を垣間見て凍り付いた。
『空に黒い点?』
『鳥さんかな?』
空の果てに浮かぶ無数の黒点が見えた。徐々に近づいて黒点が翼をはためかせる鳥に見えて、鳥の大群なんて珍しいこともあるものだと二人は暢気に考えていた。
『あれは…………馬鹿な?! どうして悪魔が!?』
『え?』
だが、そんな暢気な考えは別に、最初に声を上げた村人が近づいてきた黒点の正体を見破って驚きの声を露にするまでだった。そして二人が平常を保っていられたのもここまでだった。
突如、空に閃光が走ったと同時に間近で生じた轟音と衝撃。誰かの悲鳴と崩れ行く家。
『『うわぁあああああああっ?!!!!』』
村に降り立った異形は村を破壊し始め、奇襲によって崩れていた体勢を整えた村人達と戦闘を開始しても、なにがなんだか分からないアスカとネギは混乱して蹲り、悲鳴を上げるだけ。
「なんなのですかこれは!?」
焼け落ちていく家々の向かって投げかけられた夕映の叫びに答えるものはない。脳裏に響くネギの声はなく、知るアーニャもまた黙して語ることなく沈黙していた。
爆音と閃光が連続し、逃げることも出来ずに伏せ続ける少年達は怯えていて動けそうにない。
何時までそうしていただろうが。そんな中で突如として聞こえる地を踏みしめる音。
「な……何よ。何なの、こいつら……」
家を踏みしめ、異形の者達がそこに立っていた。
異変はそれだけに留まらない。何かが地面から這い上がって来た異形が増えて和美が後ずさる。その数、数百か数千にも及ぶかというほどの人間に近い者もいるが大半が異形。醜悪さと恐ろしさが同居した外見は誰もが『悪魔』と呼ぶそれ。その全てが少年達の前に現れ、彼らの視線は全て少年達に集まっていた。
少年達は異形達から向けられる殺気に身動きすら取ることが出来ず、目を見開き、身体が竦み、額から大粒の汗を流して震えている。
「悪魔……」
この世ならざる存在の総称を知る刹那が和美の疑問に対する答えを呟く。
「ど、どうなっているアルか!!」
「あわわちっちゃいネギ先生がやられちゃいます!!」
「アスカ君!」
「逃げてっ逃げるですよッ!」
古菲、のどか、和美、夕映が慌てながらも呼びかけるも答える声はなく、記憶でしかない光景には少女達の叫びは届かない。
目の前を覆い尽くすように広がる炎の壁。懐かしい家々を燃やし、草木を灰にして思い出を焼き尽くす。それは火事とかそういった生易しいものではない。文字通りの悪魔の侵略であった。か弱く戦う力を持たない少年達には逃げる術すらもない。
『子供達を守れ!!』
そこへ空中戦力を迎撃していた大人の一団が現れ、戦列を組んで杖を悪魔達に向けた。
『『『『『魔法の射手・連弾・雷の三矢!』』』』』
前列の五人が詠唱をしなくても放てる魔法の射手を連打する。
その間に後列に控えた一人が中位魔法の詠唱を唱えている。
『この村がそんじょそこらと比べられては困る。私達を斃したければ軍隊の一個大隊でも持って来い』
『止めて下さいよ。そこっ! そう言うと本当になっちゃいますよ』
即席の部隊の隊長になったらしい、さっき兄弟が買い物をしてサービスしてくれた中年の店員は自信を持って言い放った。その横で店員の横の店で働くパン屋のまだ若い主人は、会話の途中で横合いから突撃して来ようとした悪魔を氷の矢で串刺しにしていた。
突然、映画の中の戦争に放り込まれたような中で苛烈に笑っている男達の普段とはあまりに違う姿に、守られている子供達が怯えていた。
『ほら、怖い顔してるから子供達が怯えてますよ』
『なに? ぬぅ……』
日常とはかけ離れた姿に怯えている子供達を目の当たりにした店員は、少し傷つきながら深呼吸をして表情を勤めて柔らかくしようとする。
『すまんな、怖がらせて。もう、大丈夫だ。立てるか?』
『う、うん』
『流石、男の子だ。ネギも頑張れ』
強がって立ち上がったアスカと遅れながらも続いたネギを褒めつつ、店員は周りの状況の確認を怠らない。
『雷の斧!』
前列が張っている弾幕の隙間に中位魔法が放たれた。
雷の斧はその魔法名通りに斧と化して悪魔の群れに突き刺さり、盛大な爆発を上げる。成果は大きいが悪魔の数が多いので、全然減ったような気がしない。
『ちっ、無駄に数だけ揃えているか。ここも危険だ! パン屋、子供達を避難させろ!』
中位魔法の戦果を確認した店員の決断は早かった。この中で最も若く、強いパン屋の主人に子供達を連れて逃げるように叫んだ。
『俺が抜けて大丈夫っすか?』
『舐めるな。若造一人抜けたところで戦力は全く減らん』
『んだ、パン屋の。残る儂らよりもお主が任された仕事の方が重要なのだぞ』
『そうやってしゃっきりせんから、嫁の貰い手もないしな』
『『『『『違いない!』』』』』
『アンタら酷いな?!』
パン屋は独身らしい。しかもイジラれキャラのようだ。
請われた家の壁を防壁として、足元の家の壁だった木の板を踏みしめて現れた下級悪魔を無詠唱の魔法の射手で迎撃しながらも村人達の様子に迷いはない。
そうしている間にスプリングフィールド夫妻がやってきた。
『無事か、お前達!』
『怪我はない?』
『叔父さん!』
『叔母さん』
やってきたスプリングフィールド夫妻は、防衛体制がしっかりとしていることを確認して、飛びついて来て震えている兄弟の様子に確認する。怪我などはしておらず、突然の火事場に恐怖を抱いているが、村人達がわざと馬鹿をやってくれたお蔭で緊張も大分解れていることに安堵した。
叔父は子供の無事を確認して飛びついて来たアスカを妻に任せて、近寄って来ようとした悪魔達を牽制していると店員がやってきた。
『状況はどうなんだ?』
『最悪だ。空からやってきた羽付きに気を取られて他の悪魔の侵入を許した。敵の総数は分からん。各所で迎撃しているが、この数では何時まで持ち堪えられるか』
芳しくない報告に店員は顔を顰めた。
『これだけの数だ。悪魔を召喚した奴はよほどの術者でなければ死んでいるだろう。そしてこんな大規模なことをこの村にやるとしたら』
『最悪の想定が実現したというわけか……っ!』
彼らの目に映る光景は何時もの平穏な村の姿ではない。紅く彩られて燃え盛る村、見えた光景は地獄絵図だった。
温かい熱風が吹いた。アスカの被っていたとんがり帽子が、後方に立っていた明日菜の体をすり抜けていく。
「…………っ!」
ギリッとアーニャの歯を強く噛み締める音が豪炎に掻き消される。
燃え上がる赤い炎が、村を飲みこんでいた。
六年前の時点では十四年前、つまり1983年頃に魔法世界の大戦はナギらの活躍によって終結を迎えたものの、火種は常に燻り続けていた。その火種の火が、魔法使いの世界で英雄とまで評されたナギ・スプリングフィールドの縁者を狙うのは理不尽ではあるが、当然のことと言えた。
普通に考えて、こんな小さな村を襲撃したところでメリットがある者はいないだろう。おそらく、村人の誰か、或いは『千の呪文の男』に恨みを持つ者の仕業に違いない。この村にはナギを慕って移り住んできたクセのある者が多いのでそちらを狙った可能性もある。
その村が焼けている。如いて言うならば――――――――――地獄だった。
今まで何の異常もなく平和に暮らしてきた場所が火の海に包まれる光景を想像してみるといい。これからも続いてく場所が無残にも滅んでいく光景を眼にしてまともでいられる人間の方が少ない。
『!?』
確かな防衛網を築いて陣営を構築していた大人の一人が驚愕の声を上げた。巨神のように巨大で、体中に紋様が付いてあり、巨大な羽と凶悪な牙と角が生えていた悪魔が前に出て来たのだ。
『中位悪魔も動き出したか…………この場は私達に任せて子供達を連れて逃げろ!』
『し、しかし』
『貴様はその子達の親をやっているのだろう! 子供を守らなくて何が親だ!』
自身も成人したとはいえ、子を持つ店員は吠えて背中を向けた。
『行け。親ならばその勤めを果たせ』
『すまない……っ!』
その場の全員の意志を背中に灯し、凛々しくも促す店員の言葉に叔父は謝りつつ、妻に目配せして走り出した。
『おら、気張れ! ここからは一歩も通すな!!』
喉太い声や甲高い声が唱和する。
爆炎と閃光と轟音は何時までも鳴りやむことはなかった。
叔母にネギと共に抱えられているアスカの耳に、叫び声や怒号が幾重にも折り重なって聞こえていた。
『邪魔を、するな!!』
叔父は村の出口に一直線に向かっている。その途中で現れた悪魔に応戦し、念話で子供達の位置が伝えられた村人達がフォローに現れる。今もまた叔父の無詠唱の魔法の射手で攻撃の取っ掛かりを潰された悪魔に、アスカ達が偶に利用する料理屋の夫婦がお玉と鍋で襲い掛かっていた。
『叔母さん、みんなが……っ!?』
村が燃え落ちる光景は正に地獄絵図。ちらほらと村人が石となっているのが見える。
どこかを指刺したり、何かに向けて杖を掲げている。だけど、この異常事態の中、誰一人として指一本、髪の毛ひとつ動かさない。服の裾ひとつ揺るぎもしない。先程まで動いていた村人達が石像になっていた。その様子を見てしまったネギの表情は絶望に沈んでいた。
嘘だ、嘘だ、嘘だ。何度も心の中で目の前の出来事を否定しようとするのだけど、どんなに火の粉を被ろうとも、何一つ状況は変わらない。
暮らしてきた村は何故か炎上し、知り合いや住人達と『ソックリ』な石像がそこかしこに立ち並ぶ。石像達の表情は険しく、必死になって村を守ろうとして戦ったことがわかる。
「酷い…………どうして、こんな」
このことに気づいた木乃香が口を覆う。
紅蓮の猛火が天を焼き焦がし、猛る咆哮が大地を打ち砕き、触れるもの全てを誘拐する炎に村が染め上げられていく。先程まで動いていた村人が今まさに石化していて、現在進行形で村が燃え落ちていく光景は正に地獄絵図。生まれ故郷が滅んでいく様は当時三才の子供の心にどれだけの傷を与えたのか、十四歳の少女達ですら目を背けたくなるほどのものだった。必死で心を保たなければ精神を保っていられない。
しかし、この程度のことはまだ序の口だった。
『猫?』
『レコルズさんのところのペットね』
『助けないと』
アスカの口から出た言葉と意思は自然に表に現れた。
進行方向に見覚えのある黒い猫が道を横切ろうとしていた。気づいたアスカの声に反応した叔母も気づき、表情を厳しくした。叔父も同様だ。
『残念だが、助けることは出来ん』
『どうして!?』
『私達の手はお前達を守るだけで手一杯だ』
言っている間に、あっという間に黒猫の横を通り過ぎてしまった。
このような状況にあっても他者を思いやれる優しさは天性のものと言えよう。例え優しさが命取りになるとしても。命取りになると分かっているからこそ、大人達は小さな命を見捨てる。だが、その結果は最悪の光景を子供達に見せることになる。
『あ』
レコルズの家の黒猫を見捨てて十歩行ったところで、通り過ぎた通路に火炎が噴き出した。
誰かの魔法か、悪魔の仕業か。届く熱波が肌を焼こうと服を揺らす。熱さに咄嗟に閉じてしまった瞳をゆっくりと開く。
「ひぃ……」
見ないように目を閉じても肌で感じる惨状に引き攣った声を漏らしたのは誰だったか。のどかが消しようのない音だけで強烈な眩暈と嘔吐感に口を抑えた。
視界の先にあるモノを見て熱いなんてこれっぽっちも感じない。そんなことよりも目の前の光景に目が釘付けになった。
一瞬で燃やし尽くされて炭化した小さな身体が横たわっていた。
『……う……あ、あぁ……』
恐怖と混乱、嫌悪に支配されたアスカは、自分でも気付かない内に微かな呻きを発していた。荒い息を吐きながら叔母の肩を握り締め、その目は幻を見ているかのように焼死体を捕らえて離さない。強く握り締められた手は爪を立て、強烈な握力で突き刺されたそこには薄く血が滲んでいた。
『うっ……うぅえっ……ぇぇぇ』
ついに背筋から競り上がるような嘔吐感にアスカは、叔母の腕の中で胃のモノを吐き出した。死んでいたという過去形ではない。目の前で死んだのだ。さっきまで生きていたモノが。
『くっ、遅すぎた…………忘れなさい、私達ではどうにも出来なかったわ』
両手で少年達を抱えている為に動作が遅れ、見せるべきではない物を見てしまったアスカに叔母は言い聞かせるように言った。吐瀉物が服を汚そうが気にしない。
『いかん!?』
叔母は更にアスカに声をかけようとして叔父の焦った声に前を見た。進行方向に異形の悪魔が立ちはだかっている。間に壁となるものはない。二人は足を止めた。
太い足に長い腕。背からはコウモリのような翼が生えており、頭は人間とはかけ離れていて頭から角のようなものが生えている。感じられる力は下位や中位の比ではない。向こうもこちらの存在を認識して近づいてくる。悪魔は四人の方を向いて、にやりと嘲る様に狩られるだけの獲物を見て笑う。
『下位や中位どころではない。よりにもよって上級悪魔がいるなど……っ!?』
大人二人の肌を通して感じる力は下級悪魔どころか中位悪魔の比でもない。出会ったことが無い二人にもはっきりと分かる。近づいてくるのは上級悪魔だ。
悪魔が放つ今まで感じたこともない圧倒的な力に、大人二人の頭の中から逃げるという選択肢が抜け落ちていた。この世に生きとし生ける生物としての直感が自分はここで死ぬのだと、どうしようもなく悟らされる。
この上級悪魔のプレッシャーは、感受性の高い子供達にどんな結果を及ぼすかを直ぐに認識することになる。
『あ……ああ…………』
ネギの口から呆けた声が漏れる。アスカも同様だ。
心が屈しようとも生存本能が頭の中で警鐘を鳴らす。悪魔のプレッシャーによって絶望に満たされた肉体は一歩も動くことが出来ず、生きたいと望む本能が起こす行動は震え。
恐怖で漏らしたのかズボンが濡れているような感じがする。気持ち悪いとは思わなかった。今はただこの恐怖から逃れたい。目の前の存在と対峙しているよりは逃れられるなら死ぬことすらも安らぎのように思えて恐怖を覚えなかった。
『……っ!』
触れている手から子供達の震えを感じ取った叔母は、嬲るように一歩一歩確実に近づいてくる悪魔のプレッシャーに呑み込まれていた自分を取り戻した。
目の前の悪魔から目を離し、懐の子供達に向けると滑稽なほどに震えて涙を流していた。口は半開きで瞳に光はない。怯えている。絶望している。諦めてしまっている。当然だ。自分もさっきから震えが止まらない。相対しているだけで絶望に心が満たされようとしている。
『あなた』
『ああ、分かってる』
気が付いたら自然と夫に呼びかけていた言葉に返って来た力強い返答に、自然とどうするか心が定まった。
許せなかった。目の前にいる悪魔にではない。子供達にこんな顔をさせて諦めようとしてしまった自分達が許せない。
彼らは子供達をゆっくりと下ろす。
『いい、ここからはあなた達二人で逃げなさい。出来るわね?』
言い聞かせるように言えば機械的に頷いてくれた。内容を理解できているとは思えないが言う通りに動いてくれればそれでいい。
『で、でも』
『子供は親の言うことを聞いておきなさい」
ようやく理性が戻りかけてきたアスカが逡巡を見せるが叔父が高圧的に言うことで黙らせる。悪印象を与えたくはないが、子供達をみすみす死なせるわけにはいかない。
これは意地だ。ちっぽけで薄っぺらな大人の意地だ。親としての挟持を守るために。
『ここを出たらあなた達のお爺ちゃん――――メルディアナの校長を頼りなさい。あの人ならあなた達を守ってくれるわ』
『さあ、行きなさい! 走れ!!』
言いながら背中を思いっきり叩いて、悪魔が近づいて来ているのとは別の方向に追いやる。頭の中が一色に染まっていた兄弟は叩かれた手に押されるように背中を見せて走り出した。
『すまない、君まで付き合わせてしまった』
『いいのよ。病める時も健やかなる時も一緒でしょ』
『私の人生最良の出来事は君を妻に持てたことだと今更ながらに思うよ』
『あら、ネカネが生まれたことだと思ってたわ』
決して追わせないと断固たる決意を胸に二人は杖を構えた。
目の前には先程の悪魔の姿。戦力差など比較することも出来ないほど離れている。天と地なんてレベルじゃない。強さの上限すら見えない相手に無謀にも抗うと決める。
『『私達の子供達が逃げる時間を稼がせてもらうぞ化け物!!』』
戦う理由は唯一つ。勝機がないと分かっていても子供達を逃がす時間を稼ぐために、二人は全身に魔力を纏って哀れな愚者に嘲りの笑みを浮かべる悪魔に突進する。
ネギとアスカはどれだけ走っただろうか。体感では何百メートルも走ったような気がするが実際には五十メートル程度しか離れていない。幼き身の体力など大したことはない。この異常による緊張と火災によって頭が酸欠を起こしてフラついた。
『あ!?』
そこでアスカはようやく自分が叱咤に従って離れたことに気がついた。
あの悪魔は存在するだけでアスカの精神を恐怖で侵し尽くし呑み込んだ。あの場にいた誰にもどうにか出来る相手ではない。なのに、叔父と叔母はアスカ達が逃げる時間を稼ぐために足止めをする気だ。代償として絶対に助からない。それが分かった上で行動した。
『戻ろう』
『で、でも逃げろって』
ネギの言う通り、それこそが叔父と叔母の気持ちを無駄にしない最善の行動だ。二人が逃げ切らなければ勇気と決断を無駄にする。簡単に納得出来るような悩みはしない。
『分かってる。分かっているけど!』
『待ってよ!』
アスカの体が動いた。前へではない。後ろへ、来た道を戻るために。無駄にすると分かっていても見捨てられない。一人で置いて行かれては叶わないとネギも付いてくる。
「そんな…………」
見えた光景に、のどかが泣き出しそうな口を振るえる手で覆った。
背中だ。決して行かせないと意思の詰まった誰よりも大きく見える叔父の背中があった。ネギ達を守ると決めた誰よりも優しい叔母の背中があった。だけど、二人の背中はピクリとも動かない。何故ならその体は色を失くして置物となっていたから。ついさっきまで話し、動いてた人が一瞬にして物言わぬ塊と化していた。
『ん? 戻ってきたのか』
叔父と叔母の前に立つ悪魔が変わらぬ様子で喋った。
『差し詰め、見捨てられなくて戻ってきたというところか。だが、少しばかり遅かったな。見ての通り石となっているよ』
チラリと石となった夫妻を見て、次に少年達を見下ろすように見つめて冷静に状況を伝える。その口調が何よりもアスカを刺激しているとも知らず。
『中々に覇気を見せてくれたよ。才も実力も皆無だが輝くような意思だけは目を見張るものがあった。子を守ろうとする親の力を見せてもらった。しかし、君達が戻ってしまったということは彼らは何がしたかったのだろうな。はは、無駄な犠牲だったいうわけだ。哀れだね』
悪魔の侮辱に、特に義理堅い明日菜や刹那が過去であることも忘れてキレかけた瞬間、
『あああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!』
アスカが獣のような叫びを上げ、身体に納まりきらずに溢れ出した感情に呼応するように、全身から白色の魔力を暴風のように振り撒く。
『な、何!?』
アスカから噴出した魔力が近くの家々の残骸を吹き飛ばす。その威圧に怯んだようにネギが叫んだ。
「オーバードライブだ」
突然のアスカの豹変に狼狽を露わにした幼いネギの疑問に答えるように、現実のエヴァンジェリンが現象の説明をする。。
「オ、オーバードラ……!?」
「魔力の暴走。アスカの最大魔力は英雄と呼ばれたナギや極東最大と言われる近衛木乃香を上回る。幼さ故に百分の一も使いこなせんだろうが、一気に解放されれば並みの悪魔程度ならば倒すだろう」
聞き覚えのない単語に問い返しかけた古菲の機先を制するように言い募る。
「それなら大丈夫よね!」
「そんな力押しが通用するのは雑魚だけだ。奴は違う」
安心しようとした明日菜を否定して、獣のように叫んで悪魔に飛び掛かっているアスカをエヴァンジェリンは哀れなものを見るように見つめた。
『凄まじい魔力だ。しかし、動きが直線的すぎる』
悪魔にとってみれば鴨がネギを背負って来たようなもの。激情に支配されて真っ直ぐに跳びかかってくる哀れな少年に向かって、カウンターを決めるように強烈なパンチを放った。
「危ない!」
明日菜が気づいて叫びを上げたが夢の光景に届くはずも無い。避けようのないタイミングで少年を木っ端微塵するほどの威力が籠もった上級悪魔の拳が放たれているのだから。
「きゃあ!」
待ち受ける悲劇に反射的に眼を覆った少女達に耳に不思議な音が響いた。
『ほぅ』
上級悪魔は僅かに目を見張った。アスカは悪魔の一撃を弾いたのだ。振りかぶった腕とは反対の手で防御する。たかだか三歳と少しの子供がかなり手を抜いたとはいえ、上級の悪魔の一撃を弾くなどありえない。莫大な魔力があったとしてもだ。
怒りに狂っているようでも、悪魔の一撃を弾くだけの戦闘センスは生まれ持っての物か。
『ぐおっ……』
未熟なれど膨大な魔力を頼りにした
「やった!」
少女達の歓喜が重なる。その間にも石像の間を通ってアスカが追撃の拳を振り上げながら飛ぶ。
「奇跡は続かん」
『良い一撃だが、力があっても闇雲に突っ込んでは返り討ちに合うだけだぞ!』
『!?』
追撃の拳が当たるかと思われたが着地した悪魔の拳が雷の雷光のように動く。
横から一撃を受けたアスカの体が一瞬にして宙へ舞い上がる。受け身を取ることも出来ず、未だ崩れていなかった家の壁にまともに叩きつけられた。叩き付けられた壁は衝撃で崩れて突き抜け、勢い余って破片と共に幼きアスカの体は地面に落ちる。
『がはっ……はっ……!』
アスカの口から血が漏れる。ぶつかった衝撃で上手く呼吸が出来ないのか呻き声が漏れている。直ぐに動くことが出来ないのか瓦礫をどけようとする気配がない。
「
『アスカ!?』
エヴァンジェリンの解説の合間を縫うように、幼いネギがアスカに駆け寄った。魔力で身体能力を強化できない今のネギではアスカの体の上に乗っている小さな瓦礫を除けることしか出来ない。
『この年齢で、手を抜いたとはいえ私の一撃を弾いた戦闘センス。何よりも計り知れぬポテンシャルと潜在能力――――――本当に残念だ。後二十年、いや十年もあれば一角の戦士にも、或いはあのサウザンドマスターをも超えるほどの戦士に成れたろうに』
その上級悪魔の言葉は、幼きアスカ達の確実な死を意味していた。
死刑宣告に涙で顔をぐちゃぐちゃにしたネギがアスカを守ろうと両腕を横に広げてその前に立った。
『アスカに手を出すな!』
『ふふ、この私の前に立ち塞がってまで兄弟を守ろうとするか、少年』
金髪の少年だけではない。この赤髪の少年の勇気はどうだ。垣間見せたのは片鱗に過ぎなくても実に悪魔の食指を刺激する。実に面白い。思いがけず標的に最大級の好意を感じているらしい自分に気づいて彼は笑った。
『本当に依頼人は酷なことをする。私の楽しみを奪うとは、今ほど自身が契約を履行することしか出来ない悪魔であることを厭うたことはない』
実に惜しい。ただ殺してしまうには惜しいと感じている。出来る事なら少年達が一人前になるところをこの眼で確かめたい。そうしたら、きっと心行くまで殺し合えるだろうにと、どこまでも悪魔らしく自分の楽しみだけを求める。
『こんな依頼でなければ将来を見てみたかったが、本当に残念だがここで私に出会った不運を恨みたまえ』
なんと実に呆気なく死刑を宣告することか。
『若輩なれど戦士達が無残に散るのは見たくない。我が最強の一撃で跡形もなく消してやろう。私が君達に送るせめてもの手向けだ』
悪魔は少年達に近づき、おもむろにその大きな腕を振り被った。キィィィィィン、と悪魔の振り被った拳が発行して音を立てる。先ほどのアスカの
「奴らは死なない。何だ、どのような奇蹟が起こる」
現代のアスカ達が無事であることを考えるならここで何らかのファクターが介入する、とエヴァンジェリンは考える。彼女の考えは正しかった。
本来ならここで幼い子供の命は終わったことだろう。この絶望的状況を打破するにはそれこそ奇跡が必要なほど。でも、起こりえないはずの奇跡は起こった。
「「「「「っ!?」」」」」
少女達が声を張り上げた次の瞬間、耳を刺すような音がその場に響き、しかし無惨な光景は繰り広げられなかった。ぶつかったのは悪魔の拳と抗う術を持たず、ただ震えることしか出来ないネギの前に守るように立ち塞がった背中の人物の掌。
ネギ達を木っ端微塵に打ち砕く悪魔の拳が一人の男の手によって止められた。どこからともなく現れたその男性はフードの付いた白いローブを着込み、手には現在のネギが何時も持っているものと同じ長尺の杖。
『テメェ……』
白いローブを身にまとった一人の華奢な男性と掌の間で何かが弾ける様な音と、ギシッと力を込めた悪魔の肉が軋む音が響く。男性の足元が人間離れした悪魔の膂力を示すように地面に沈む。
「な、ギ……」
エヴァンジェリンはそのシーンの絵を食い入るように見た。これが、ネギが父親が生きていると言っている根拠なのだろう。この記憶が本当なら探し人が生きている可能性が出てくる。エヴァンジェリンはそう思ってさらにネギの過去に集中する。
『人の息子達に何やってんだオラァアアアアアアアアッッッ!!!!』
悪魔の左拳を右手の魔法障壁で受け止めた男性の腕の先で「バチィッ」と雷が弾けた。雷系の魔法、それも無詠唱で発動した『魔法の射手』だ。しかし、悪魔は弾かれただけだ。致命傷どころか怪我もしていない。が、多少なりとも動きが停止する、それが例え悪魔でも。そこへ更に追撃の一撃。
『来たれ、虚空の雷、薙ぎ払え!―――――雷の斧!! ぶっ飛びやがれ!!!!』
そしてその青年は距離の開いた悪魔を前にして呪文を詠唱して雷の斧を発動。この魔法の効果範囲は、さほど大きくないが、詠唱が短く、雷撃の発生が俊敏。故に、近距離から中距離の対象を殲滅するのには、極めて有効である。
『ぬおっ!?』
振り下ろされるは文字通り稲妻の斧。否、成したことは斧というよりギロチン染みていた。一撃で悪魔が雷撃の斧で縦に真っ二つにされた。
一瞬にしてネギを殺そうとした巨体の悪魔を雷の斧が叩き切った。極簡単にあっさりと、二撃で敗れて消えていく悪魔。当然であろう、上位古代語魔法を、防御も出来ずに直撃したのだから。
「す、凄い……」
恐ろしげに夕映は白ローブの男が放った魔法の結果を目撃する。男性の方は無傷、息など乱れてはいない。代わりに羽織っている純白のコートが雷の斧が発生した衝撃波によって乱れる様に靡く。
当時のネギの頭はこの急激な展開に付いていけていない。腰が抜け、意識が朦朧としているアスカの体を抱えて男性の後姿を見ている。
半ば放心気味のネギを置いて、戦場は最終局面を迎える。
瓦礫を踏みしめる音が連鎖し、絶望に絶望が重なる。現れたのは、恐らく僅かに召喚されたであろう爵位級の上位悪魔の一体。その後に続くのは、村を襲った大小、形も様々な異形の者達。
アスカの行動によってか、青年の行為にか、気が付けば辺りには悪魔が集結していて、これは村の反抗が既に収束に向かっていることを示していた。涙と鼻水と煤で顔面をぐちゃぐちゃにしたネギだけでなく、意識が朦朧としているアスカにも希望はなかった。
『大丈夫だ』
多勢に無勢。人の身では抗しきれない悪魔の集団を前にして、男は子供達の前に君臨する。
『お前らに指一本触れさせやしねぇ。安心して待ってな』
『あ……』
ただ背中だけを見せて、喰われるだけの戦場に似つかわしくない穏やかな声はネギの心の琴線を刺激する。
ネギがその心の衝動の意味を問う暇はなかった。爵位級の上位悪魔が片手を上げたのだ。
上位悪魔の合図に呼応するように、視界に映る殆どの悪魔が男性に向かって一斉に襲い掛かる。その数、十や二十ではきかない。百や二百、もしかしたら千に達しているかもしれない。
恐らく立っているだけの男性の恐るべき実力を察知したのだろう。質では勝てぬならば、量で責めようと考えるのは戦術として正しい。
前方を埋め尽くすような数の悪魔。例え一体一体が雑魚だとしても数が揃えば恐るべき力となる。凡百の魔法使いならば抵抗する間もなく、一流の魔法使いでも僅かな抵抗の後に数の暴力を前に押し切られるだろう。
『あっ、危な――っ』
ネギが危惧の叫びを上げかけるが意味はない。ここにいるのは世界的に見ても数少ない例外。
『オラァァァアアアアアア!! 俺の息子達に手は出させねぇぞ!』
我先にと先走って来た悪魔一体の腹部をアッパーのように突き上げて殴る。無造作に上げられたアッパーに突き上げられた悪魔に追い討ちをかけるように蹴り飛ばした。
単純に見えるが、身体強化を施されたその威力は凄まじいの一言で、蹴られた悪魔は有り得ないほど「く」の字に吹き飛び、後から来た群れに激突して前方180度全てに衝撃が広がり、一時的に侵攻を阻む。
涙が流れる続ける幼いネギの後ろで、青年の圧倒的な強さに少女達が唖然とした顔を晒す。
『来たれ雷精、風の精! 雷を纏いて吹けよ南洋の嵐!』
詠唱と同時に高まる魔力と男性の右腕に迸る雷。男性は攻撃の手を緩めない。先程の雷の斧を用いた連携攻撃が対個人用。大群に向けてこれから放つのは、即ち大技でなければならない。ネスカの最大の切り札であり、強力な旋風と稲妻を発生させ、敵を殲滅する攻撃魔法。かのローマの神々の王、ユピテルの武器とされる稲妻。
『――――雷の暴風!!!』
だが、威力は文字通りネスカとは桁が違った。本当にネスカが以前に使ったものと同じ魔法なのかと疑ってしまう威力の雷の暴風が、黒い軍勢を喰らい尽くした。雷を纏った竜巻が魔族の群を一瞬で呑み込み、既に廃墟同然となっていた村を縦断して、射線の向こうにあった森を薙ぎ払って向こうの山に着弾して大穴を開けてしまった。
「「「「「「「きゃあああっ!?」」」」」」」
何kmも離れた場所に着弾しながらの衝撃波が、男性の後ろにいて守られていたネギとアスカや少女達をも吹き飛ばしそうなほどに吹き荒れる。そこから始まる一方的な戦い。雷の暴風で粗方の敵を排除した後の掃討戦。
数の暴力という量だけが持つ力を失った悪魔達を、常軌を逸した力で殴り蹴り飛ばしてゆく青年。放たれた拳で数体の悪魔が吹き飛び、蹴り一発で空を舞う。圧倒的という言葉すら生温いと感じさせる魔力の奔流が敵を薙ぎ払う。腕を振るうと十の悪魔が宙を舞い。蹴りを放つと二十の悪魔が吹き飛ぶ光景はまさしく独壇場、圧倒的。数の論理も戦略、戦術、悪魔の知恵でも彼一人にまったく無意味だったのだ。まさに虐殺と言っていいほどの力の差を見せつけながら男は戦い続ける。
そして数分後、無数の悪魔達の屍の上で男性は最後に残った一体の悪魔の首を掴んで持ち上げていた。
『ソウカ…………貴様…………アノ…………』
この周囲で残す悪魔はこの一体のみ。それも男性に首を締め上げられて風前の灯だった。 己が首に込められる力を前に最早、戦う力どころか振り払う力すらない悪魔に死は避けられない。
『フ……コノ力の差…………ドチラガ化ケ物カワカランナ…………』
男性の正体に気付いた悪魔は、絶対の真理ですら物量すらも正攻法で捻じ伏せる程の力の差に、瀕死に近いはずの口元が大きく釣りあがった。男性に向けてニィィと皮肉るように邪気まみれの笑みを零す。
これが気に障ったのか、それともこれ以上付き合う気はないのか、男性が締め上げた悪魔の首の骨をそのまま握り潰した。
骨が砕ける音が幼いネギの耳にも聞こえる。幼いネギの体が震える。あの絶対的に感じた悪魔の軍勢を一瞬で蹴散らした相手だ。恐怖を感じてしまうのは無理もない話しだ。のどか等こちらの世界に踏み入って時間の短い人間たちもヒッと息を詰め悲鳴を殺している。違うと言えば、エヴァンジェリン、刹那ぐらいだろうか。
「………………」
男性が捕まえた悪魔の首を躊躇なく圧し折ったのを見てエヴァンジェリンは誰にも聞こえない声で誰かの名を呟いた。自分は放っておきながら、息子の危機に颯爽と現れた姿は間違うことなくエヴァンジェリンの捜し求めている男だった。
「せっちゃん…………」
木乃香は刹那の手を強く握って顔を青くしながらもジッと見ていた。
「こりゃ凄いねぇ」
和美は魔法使いの戦いというものを初めて見た。今まで見たのは精々補助的なものが殆どで、幸か不幸か本格的な攻撃魔法を一度も見ていなかった。
圧倒的とすら生温い力の差。悪魔が言ったようにどちらが化け物なのか分からなかった。それまでの穏やかさが嘘の様なバイオレンスな状況に、怯え慌てていたのどかも、急激に展開される光景に一言も無い。悪魔の首が圧し折られるシーンで気絶しなかったことが不思議だった。
「こんな…………こんなことが…………」
夕映の顔にも怯えが貼り付いている。
正面を埋め尽くしていた異形の怪物たちが、圧し折られ、砕かれ、焼かれ、瞬く間にただ地に横たわる骸と化して行く。彼女が望んだたった一人で大群を圧倒する『ファンタジー』な光景そのままだ。だが、『ファンタジー』は『ファンタジー』の中でこそ面白さがある。現実に出てきてしまえば血が飛び散る狂気の出来事でしかないのだから。彼女の中で魔法に対する幻想は既に半ばから砕けていた。
「強い、強すぎる」
裏の世界を生きてきた刹那ですら木乃香の手を握りながらその圧倒的な強さには呆然と眺めているしかなかった。
『ネギ! アスカ!』
悪魔を殲滅した男の背中を見つめていたネギは、自分達を呼ぶ聞き覚えのある声にそちらを向くと、通路の向こうからスタンとネカネが走って向かってくるところだった。
ネカネはネギとアスカの下へと駆け寄って屈み、その身体を抱きしめた。
『フゥ……無事ね、ネギ』
『お、お姉ちゃん……』
『アスカは怪我をしてるのね。リシ・トル・キ・ラトレ 汝が為にユピテル王の力をここに 大治癒』
ネカネの中位治癒魔法によって、半ば失われていたアスカの顔色がみるみる血色を取り戻す。だからといって、一気に回復するわけではないが、十分な助けになったのは間違いない。そしてスタンはこちらに向かってくる、フードを目深に被った悪魔よりも恐ろしい魔法使いの男を睨み付けていた。
『何故じゃ、何故今更になって現れた!? 答えろ――』
風が吹いて魔法使いの男のフードが頭から離れる。
露わになった魔法使いの男の髪は村を燃やす火の色によるものではなくネギと同じ紅。戦闘によって負傷を負ったのか、頭部から左眼を通って顎まで流れる血を流しながらも確かに此処にいる。
『答えろ、ナギ!!』
災厄の日、ネギとアスカの父ナギ・スプリングフィールドは生まれ故郷へと帰還したのである。
燃え盛る炎の中、現れたナギはその場にいる全員を村から連れ出した。
雪の舞う草原、男性によって村を一望できる場所に四人は連れてこられた。アスカの意識は失われており、目覚める気配はない。
『すまない、来るのが遅すぎた……』
村から離れた丘に移動したナギは燃え盛る村を見つめて、未だに炎に飲み込まれているその在り様に僅かに頭を垂れる。謝罪の言葉は静かで、深い悔恨が感じられた。
『帰ってきたのは良い。この子達を助けたのはお前だ。だが、タイミングが良すぎる。ナギ、お前は何を知った? いや、それはいい。今まで何をやっていた』
『…………すまねぇ、スタンのおっさん。詳しくは言えねぇんだ。ただ、俺は――』
燃えゆく村を見下ろしたその横顔は、悪魔の群れを一掃した男とは思えないほど弱々しく見えた。
『――――――勝てなかった。失敗したんだ』
振り返って言ったナギに、スタンはそれ以上の言葉を口にすることが出来なかった。傲岸不遜、自信が服を着ているとまで言われた男がそこまで言ったのだ。それ以上の言葉が直ぐには出て来ない。
『お父さん、なの?』
ネギにはそんなこと関係ない。父の名を持つ男に近づいて声をかけていた。
「本当にお二人のお父さんなんですか?」
のどかの言葉は正鵠を射ていた。
ネギが先程見た強さやフードから垣間見える髪の色である人物が父であるナギ・スプリングフィールドを連想するのは必然だった。
『…………お前。そうか、お前がネギか』
ナギは近寄って来たネギに一瞬驚いたようだが、その様子に何か感じることがあったみたいで、自分と同じ髪の色の少年が何者なのかに気がついたように自らに言い聞かせるように小さく言葉を呟く。
そう言ってゆっくりと、まるでネギを刺激しないように優しく一歩ずつ距離を縮める。一歩、また一歩と近付くナギ。足を止めない。ネギは目の前にいる人間が本当に父なのか信じられなくて、ぎゅっと目を瞑った。
『怪我、ないか?』
『う、うん』
『そうか。すまねぇな、来るのが遅れちまって』
そっと壊れ物を扱うように優しく頭の上に手を置いて、くしゃっと大きな手が彼の頭を撫でたのだ。手つきは無骨で、けれどしっかりと温かくて。
『あっちの金髪はアスカか。今、三歳ぐらいか。二人とも大きくなったな……』
泣きそうに震えた声で、明らかに親愛の情が込められた言葉にネギは父の顔を始めて間近で見た。
自分が父に生き写しだというぐらいに似ていると顔は、喜びに溢れてネギを見下ろしている。この人が自分の父なんて実感は全然ないけれど、ネカネ母子を見れば分かるように成程親子とは似るものなのだろうと考える。
『悪いな、怖い目に合わせちまって』
グリグリと力加減を知らないのか、頭を撫でる手が少し痛い。悪魔を苦も無く屠った手ではあるけれど、その手はとても温かった。
『何も残せなかった俺達を許してくれとは言わねぇ。憎んで、嫌って当然だ。俺達は親としての務めを果たせなかったんだからな』
痛みよりも何よりも、その手の温かさはネギにとって何物にも耐えがたく失い難い。
『お前達にこの杖と、このペンダントを形見として渡す。これでも魔法発動媒体としては最高級品だ。本当ならもっとマシな物が何かあったら良かったんだがな。こんなものしかなくて勘弁してくれよ』
『あうっ』
如何にも名案を思いついたとばかりに、男は持っていた杖をネギに手渡した。
差し出されたナギの長尺の杖を受け取るネギ。だが、三歳の子供が持つにはあまりに大きすぎるその杖を受け取ってよろけてしまう。
『ははは、少し大きすぎたか…………くっ、もう時間がない』
『え』
ネギが精一杯杖を持つ様子にナギはやや苦笑して見ていたが、苦しげに表情を歪めると立ち上がった。
『この馬鹿者が! またこの子らを置いていく気か!?』
『悪い、スタンのおっさん。ここに来るのにもアイツらにかなりの無理をさしてんだ。俺にはどうしようも出来ねぇ』
スタンが駆け寄ろうとするが、顔を向けたナギの苦しそうな表情に足を止めた。
『この子達のことを、頼む』
『っ、……大人になっても馬鹿なところは変わっておらんのか。ああ、任せておけ! お前とは違ってまともな大人にしてみせるわい!』
『なら、安心だ』
言葉通り、苦痛を堪える中でも安心したように微笑み、そして傍にいるとネギの頭を軽く撫で、ネカネに抱えられているアスカの傍へとやってきた。
『まったく、無茶しやがって。もう危ないことはすんじゃねぇぞ、アスカ』
俺が言えたことじゃねぇか、と苦笑して息子の金髪を撫でたナギは、アスカを抱えているネカネへと顔を向けた。
『ネカネも迷惑じゃなければ二人の面倒を見てやってくれ。アイツの面影があるアスカにはネギよりも多くの苦労があるかもしれねぇが』
『は、はい。でも……』
『すまねぇが、何も教えてやれねぇんだ。悪いな』
ネカネに答えつつ、意識を失って瞼を閉じているアスカの口から垂れる血を拭い取って、首にペンダントをかける。
名残惜しげに立ち上がったナギは、ネギとアスカを同時に視界に収めて名残惜しそうに目を細めた。
『大きくなれよ。俺よりも、アイツよりも。ずっとずっと大きな男に』
『お父さん?』
ネギの声に答えずにナギは空に浮かい、どんどんその姿が遠ざかっていく。
宙に浮いたナギはネギから徐々に遠ざかっていく。幼い思考でも別れだと分かったのだろう、ネギは遠ざかっていく父を必死になって追いかける。けれどナギも速度が出てきたのか追いつくことは出来そうにない。
『こんな事言えた義理じゃねぇが、二人で喧嘩せずに元気に育て。幸せにな!』
ネギは遠ざかっていく父の姿を必死に追った。だが、いくら走っても追いつけず、ついには転んでしまう。言葉だけを残して男性は雪の降る空に消えていった。一瞬空から視線を逸らしたそこにはもう父の姿はどこにもなかった。
『お父さぁ――っん!!』
ネギは雪降る空に叫んだ。後に残されたネギは、ただひたすらに泣き声を空に上げていた。おそらくは声が嗄れるまで。どれだけ叫んでも彼の姿はどこにも存在せず、残されたのは数えきれない悲しみに打ちひしがれる本当に幼い少年がただ一人だった。
『あああん! ああ……!』
草原に膝をつき天を仰ぎ大きな声で、燃える村の光に照らされる夜の帳が落ち始めた雪雲が覆う空に溶け消えた父を呼ぶネギ。慰める者もなく、ただネギの泣き声だけが響いている。
「この三日後にネギ達は救助されたわ。他に生存者はなし。私が合流したのもこの時ね」
幼いネギの泣き声が響く中で、今まで黙って見ていたアーニャが言葉を紡ぐ。
「村を失った私達はメルディアナ魔法学校の近くの魔法使いの街に移り住むことになったわ。元々、ネギもアスカもメルディアナに入学が決まってたし、それが少し早まっただけ」
その言葉とともに、景色は別の山間の街へと移り変わった。
「そして二人は魔法学校に入学した。入学した後、ネギは分かりやすく言えば本の虫ね。図書館に籠って来る日も来る日も勉強勉強」
男子寮の管理人になったスタンや卒業してメルディアナに就職したネカネに心配されながら、あの日以前の無邪気さを何処かに閉じ込めてしまったネギが、年相応に遊ぶ事も無く、ただひたすらに魔法の勉強に打ち込んでいた。
「アスカはどうしたの? 姿が見えないけど」
明日菜の疑問は最もで、ネギの記憶の中にはアーニャはよく登場するものの反対にアスカの姿は少ない。
「ああ、それは……」
『けっ…………生意気な餓鬼だ。身の程を知れってんだ』
場面が何時の間にか変わっていた。
「なんていうか、手の付けられない暴れん坊? 誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けては負けてたわね。まあ、相手は何歳も上の上級生で、自分よりも弱いのには絶対に手は出さなかったけど」
周りの建物が死角となって人目につきにくい場所で、人が来ないような裏庭でアスカが体中に痣を作って地に伏していた。
『弱いくせに粋がるからだ。今度からは相手を見て喧嘩を売れよ』
アスカは野良犬が野垂れ死んだような格好で地面に倒れていた。その様子を、彼よりも幾分年上で体格のいい数人の子供が見下ろしていたが彼らも傷だらけだった。
場面はまた切り替わる。
図書館に籠って勉強をしているのは変わらないが、時間が少し経過しているようでネギの服装が少し変わっている。
しかし、今回の異変はこれだけではなかった。
図書館の扉が外から勢いよく開けられ、蹴り開けたらしいアスカが注意してくる司書の言葉を無視してずんずんと進む。そしてネギを見つけるとにんまりと笑った。
『ネギ! 何時までこんな暗いとこにいるんだ。ほら、出て来いよ』
『えっ、ちょっと待』
『待たない!!』
アスカは嫌がったネギの動作も声も気にせずに、力任せに引っ張っていく。
薄暗い図書館から引っ張り出されたネギは外の眩しさに目を細めた。すると、そこに見知らぬ少女が立っているのに気が付いた。
『彼女は?』
『ダチになったばっかのナナリーだ』
『ナナリー・ミルケインです』
『あ、どうも。ネギ・スプリングフィールドです』
自己紹介されてネギも条件反射で返してしまう。
『ちょっと、アスカ!』
そこへ更に聞き慣れた声がネギの耳に入った。最近ずっとネギと一緒にいたアーニャである。
機嫌が悪そうな様子で、ズンズンと肩を怒らせながら図書館の前で屯しているネギ達の下へとやってくる。
『ナナリーになんか変なことしてんじゃないわよね。最近、一緒にいるそうじゃない』
『変なことなんてしてねぇって。ダチになったんだから別に一緒にいたっていいじゃねぇか』
『大有りよ。不良と喧嘩ばっかりしてるから口が汚くなって。移ったらどうするのよ。後、ナナリーはアンタよりも一歳上なのよ。さんを付けなさい、さんを』
『あ、あのアーニャちゃん、私は気にしてないから』
『つうわけで問題なしだ』
『アンタはもう少し気にしなさい!』
ドガンと振り上げられた拳が無暗に偉そうなアスカの脳天を飛び上がって打ち据える。
おおぅ、と打たれた頭にタンコブを作りながら呻いているアスカを、ネギは信じられないような物を見る目をしていた。この数ヶ月、ネギは閉鎖的であったが、アスカも方向性は違うが似たような物だった。心に抱える焦燥が内向きか外向きかの違いでしかない。それが以前とは違う、だけど負の感じではなくなっている。
ネギに縋るように同行していたアーニャも同じだ。アスカを殴ってはいるが、負の感情は感じられない。
『一体、何があったの?』
色んな意味を込めて問うと、蹲ってたん瘤を擦っていたアスカがシュタッと立ち上がり、ニンマリと笑った。
『いい加減にウジウジと悩むのを止めたんだ。男なら後ろじゃなくて前を向かないとな』
『…………全部、ナナリーの受け売りのくせして、よくもまあいけしゃあしゃあと』
『問題ねぇ!』
胸の前で腕を組んで、闊達と笑うアスカは本当に別人のようだった。
取りあえず、アスカが変わったのは始めて会ったナナリーのお蔭らしい。しかし、いくら見ても少し気の小さい少女に見えない。
『よし、行くぞ』
変遷の過程を知らないので、首を捻りまくっているネギを前にアスカが宣言した。
『行くってどこへ?』
『村のみんなの所だ。ナナリーが知ってた』
『え? ほ、本当なの? スタンのお爺ちゃんもネカネ姉さんも教えてくれなかったのに』
真っ先に石化のことを調べて分かったことがある。石は燃えない。村は焼き尽くされてしまったが、石となった叔父や叔母は言い方は変だが無事に残っているはずである。なのに、未だに姿を現さないということは魔法が解けていないということ。ならば、どこかに安置されているはずだが、ネギが聞いても誰も教えてくれなかった。
明日菜たちのように、14歳と世間では子供と見られても大人だと反発できる年齢ではない。このネギの年齢は誰が見ても小さな子供だ。真実が何処にあれ、聞かせられる様な状況ではないのだろうと、彼女たちは皆気が付いた。
『う、うん。大分前にお父さん達が近くの空き家に何かを運んでいるのを見たの。多分、アスカ君達が言っているのじゃないかと思って』
『つうわけで、善は急げだ。急いで向かうぞ』
そういう話ならネギも否はない。
場面がまた変わる。
今度はどこか暗い一室のようだった。地下に向かっているのか、階段を下りている。ナナリーの姿はない。会話から表で見張りをしているようだ。単に暗い地下室に降りるのを怖がったのかもしれない。
螺旋階段を下りた先に扉があった。その扉には鍵がかけられていないのか、アスカが押すと簡単に開いた。
『あった』
開かれた扉の向こうには幾つもの石像があった。叔父夫婦だけではなく、多くの村人が石像と化していた。アーニャの両親もいたし、村全体が家族のような物だったから知っている姿は幾らでもある。
『ママ! パパ!』
アーニャが両親の石像を見つけて飛び出した。呼びかけるが、当然返ってくる声はない。彼らは石となっているから。
『みんな』
あの日、あの場所で別れたままの状態である叔父夫婦や村人達の石像を前に、アスカは暫しの間、思いを凝らすように瞑目した。
アスカと同じようにしようとして、ネギは石像の数が少ないと気付いた。逃がしてくれた店員やパン屋の石像が無い。他にも利用していた料理屋の夫妻、レコルズ家の男の姿も見当たらない。
『アスカ……』
『あれだけの規模だ。みんながみんな、石像にされたわけじゃない。あそこで死んだ人もいるはずだ』
アスカは予想していたようにネギの疑問に答えた。或いは、アスカは一人で先に此処に来たのかもしれない。この事実に突き当たり、一人で悩んで答えを出したからこそ変わらざるをえなかったのかしれない。
『俺達の命はみんなに生かされた』
『……うん』
『正直、俺は自分にそんな価値があるとは思えない。でも』
その先は言葉にはならなかった。ならなくてもネギには十分に良く解った。ネギもまた村人達に生かされたのだから、それだけの価値があったのだと示さなけれならない。
ネギは浮かんだ涙を振り払い、石像を見据える。
『僕達がやらないといけないのはこの石化を解くことだ。まだ解けていないってことは、多分永久石化だと思う』
『永久石化?』
『土系統の魔法で、石化が半永久的なもので神格の力を以ってしなければ解除できないから禁術指定されてるぐらい危険なやつ』
『じゃあ、どうやっても解けないのか……』
『そう、なるね』
石化のことは真っ先に調べた。ネギの知識が間違っているならいいのだが、神格の力なんてどうやって使えるのか分からない。だからこそ、未だに石化を解かれていないのだろう。
諦めがネギを支配しかけていたところで、アスカは胸元のペンダントを視界に入れて決然として顔を上げた。
『いいや、出来る。信じるんだ、出来ない事なんてないって!』
余人が聞けば、子供の戯言だと言うだろう。それでも、とアスカは吠える。
『そうだ……出来ない事なんてないんだ』
ネギがアスカの言葉を反芻するように呟く。少しでも心を守ろうとする逃避が生み出した想いかもしれない。
寝る度に見る、ついさっきのことのように感じる故郷が滅びる夢。何時も魘されて飛び起きる。その度に思う。例えどうにも出来なかったとしても、何か出来たのではないのかと。だが、そう考えなければ心が持たなかった。何かに感情をむけなければ生き場のない感情は心に留まるだけだ。そうなれば何時かはあっさりと砕け散る。耐え切れず溢れ出て壊れる。
『ああ、きっと石化だって解ける。俺に出来ない事なんてない!』
『僕にだって出来ない事なんてない!』
諦めを振り飛ばす様に、今後待ち受ける困難を笑い飛ばす様に、少年達は宣言する。
『私だって出来るわよ! ママとパパを元に戻すんだから!』
アーニャも合流して「出来る出来る」と唱和する。
『ここに誓おう。必ずみんなの石化を解くって! 俺達に出来ない事なんてないんだから!!』
アスカが拳を握り、腕を真上に突き出した。ネギとアーニャもそれに倣い、拳をぶつける。子供が囚われる幻想と言われようとも、困難な道を選んだ三人は拳を掲げあって誓いかけた。
ここが三人の苦難の始まり。その始まりは決意に満ちていた。
起点であるネギの意志に従って、皆の意識が浮上していく。
現実に戻ると繋いでいた手を解いた。長い夢を見ていたようで明日菜の頭はフラついたので抑える。他のみんなも同じで、平気そうなのは起点となったネギと術者のエヴァンジェリンを除き、魔法使いのエヴァンジェリンぐらいだ。
「終わったか」
円を組んで座っていた少女達とは違って夢の魔法に入っていなかったアスカが、終了を確認して膝に手を当てて立ち上がった。
「ううっ……三人にそんな過去があるなんて知らなかったよ……」
「ネギ先生……」
もうみんな涙目になっている。のどかは言うに及ばず、夕映、明日菜、古菲、和美、木乃香も。刹那でさえ涙こそ流さないものの悲しい表情をしている。例外はエヴァンジェリンのように自制している者か、厳しい表情をしているアーニャとネギぐらいなものだ。
「なあ、なんで俺達の故郷は襲われたんだと思う?」
そこへ水に石を落として波紋を生み出すようにアスカが言葉を投げかけた。
「それは……スタンさんが言ってましたけど、村の誰かに恨みがある者の仕業じゃないんですか」
「ああ、俺達も最初はそう思った。でも、違った」
夕映の返答をアスカは否定する。その後をネギが引き継ぐ。
「召喚された大量の下位悪魔。中には中位悪魔や数少ないですが、並の術者では呼び出すことすら出来ない上級悪魔がいました。つまり、村を襲った犯人にはかなりの組織力があることになります」
先程見た記憶を思い返せば、成程魔法使いでもあれだけの悪魔を召喚するのは難しいのだろう。どれだけ難しいのかは分からないが、魔法使いの二人がそう言うのならば、そうなのだろうと納得する。
これだけの推測が出されればエヴァンジェリンには答えを簡単に導き出せる。
「それだけの組織力があるのならば、こんなまどろっこしい手を使わない。暗殺者を雇った方が遥かに簡単だ」
「確かに……」
「どっちにしても物騒な話やな」
エヴァンジェリンの推測に刹那が頷き、明るくない話に木乃香が眉を顰める。
物騒な話であることを認めつつ、ネギは自分達で組み立てた推論を詳らかにする。
「なのに、そうしなかったのは、集まれば軍隊の一個大隊にも負けない村から標的が出ないから。厳重に守られ、そして村の外に出たことが無い人間。更に狙われる理由があるのは」
「――――英雄の息子である俺達だけだ」
腕を組んだアスカが無表情に言った。
それはどんな責め苦だろうか。村人達はアスカ達を守る為に戦い、幾人ものが帰らぬ人となって、死ななくても石像と化して今も暗い地下にいる。元々の村が襲われた原因が自分達であると疑いながら生きていく辛さは想像すらも出来ない。
「村を襲った犯人は捕まってない。組織も特定されていない。なら、またあんなことがあるかもしれない」
「何が言いたいのですか?」
「魔法が危険なんて言わない。関わることを否定はしない。但し、俺達に関することは別だ」
夕映が問うが、アスカは答えずに組んでいた腕を解いて雰囲気を、表情を変えて厳かに口を開いた
「フェアリー・テイル・マイ・マジック・スキル・マギステル」
始動キーと分かる文言に全員の身体に悪寒が走る。
今までアスカは明日菜達の前で始動キーを口にしたことが無い。実戦で使える魔法は無詠唱で行使できるほど習熟しており、始動キーを唱えなければならない魔法は実戦では使用できないからだ。
つまり、アスカが始動キーを唱えるということは、この別荘での修業で、その欠点を克服したことに他ならない。
「戦いの歌」
魔法名が唱えられると同時にアスカの体を魔力が覆う。以前のようなバケツの中身をぶちまけた様な統制のないものではなく、制御された魔力は清流の如き穏やかさを以て留まる。
アスカの中で何かが切り変わった事を頭が理解しなくても身体が、本能が理解していた。本能に突き動かされるように全員が立ち上がって距離を取る。
「何を……っ!?」
刹那は詰問しながら夕凪を抜き放った。古菲は武術の構えを取り、明日菜は困惑したように立ち尽くす。反対にアスカの背後には、ネギとアーニャが付いた。
「今は偶々同じ場所にいるが、俺達は違う世界の人間だ。だから各々が自分の世界に戻ろうって話だ。この中にいるだろう、関わっているのにその必然性のない奴が」
「それは私の仮契約カード!?」
言いつつ、アスカはポケットから一枚のカードを取り出した。そのカードには大剣を持った明日菜が描かれていた。コピーカードを持っている明日菜が己の姿が描かれたマスターカードに気づかないはずがない。
アスカは明日菜との仮契約カードを掲げ、重苦しく口を開いた。
「仮契約を、解除する。自分の世界へ戻れ、神楽坂明日菜」
まるで許されざる罪を神に懺悔するようにアスカは言ったのだった。
・第16話 バースデー・トラブルにて『「俺は…………確か貰ったばかりの杖を適当に振ったら凄い火が出来たな。出会い頭に知り合いの爺さんを燃やしちまって、殺す気かってえらい怒られた」』
伏線回収。