魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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意見や質問などありましたら宜しくお願いします。


第一章 運命編
第1話 ツインズ+1、来たる


 

 イギリスはウェールズのペンブルック州にある、のどかな田舎町にその建物はあった。緑に囲まれた静かで穏やかな街の一画に、一般人には知られずにある教育機関がある。歴史を感じさせる格調高き伝統的な建築物。その中心に聳える講堂の中でローブを着た人達が集まって慌ただしく動いていた。

 

「遂に彼らが卒業ですか」

「感慨深いものがありますね」

 

 作業する人達の中で壇上から遠い場所にいる大人二人が感慨深げに準備が勧められる会場を眺める。慌ただしく彼らと同じローブを纏った人達が急ピッチで設営を行なっているのは、これから行われる卒業式の準備の為であった。

 彼らは自分の担当分の準備が終わったので開始まで少し時間があり、卒業式を間近に控えていることもあって感傷に突き動かされて駄弁っていた。

 

「どうですかそこら辺、一昨年の担任としてなにか一言」

「ようやくという気持ちもありますし、もうという気持ちもあります。苦労させられましたがそれだけの甲斐はありました。特に二年前の各魔法学校対抗戦は盛り上がりましたよね。あの三人が中心になってここ十年は遠ざかっていた優勝トロフィーを手にした時はもう」

 

 ぐっと当時のことを思い出して今年卒業する生徒たちの一昨年の担任は拳をギュッと握った。

 

「特にアメリカのジョンソン魔法学校との激戦は歴史に残るやつでした。あの時からでしたっけ? あの三人に渾名がついたのって」

「間違いなくあの時からです。言い得て妙な渾名って思いましたよ」

 

 駄弁る彼らと同じように自分が担当する作業を終わらせた一人が近づいてきた。

 

「魔法学校対抗戦で優勝したのって、教職員揃って万歳三唱したやつでしょ。ほら、あそこに飾ってある」

 

 と、作業をしながら話を聞いていたのか言いながら指差した先には一つのトロフィーがあった。

 指差した先に飾られたトロフィーは飾ることを決めた人間の気持ちを反映するように目立つ場所に置かれていて、輝かしい功績を称えるようにステンドグラスから入った太陽の光に反射して燦然と輝いている。

 黄金に輝いているトロフィーを見る三人の顔は揃ってにやけていた。

 

「こう見ると誇らしいですけど、私はその後の校長先生が喜びすぎて逝きかけた印象が強すぎて」

「自分もです。みんな優勝を喜びすぎて気づかなくて、ドネットさんが蘇生処置しなかったら危なかったって」

 

 あはははは、と乾いた笑みを漏らした三人は噂をしていた当人が近づいてくるのを見て口を噤んだ。

 

「ちょっとそこの三人。サボらないで下さい」

 

 校長の秘書兼パートナーであるドネット・マクギネスは腰に手を当てて、サボって雑談している三人を視線だけで咎めた。美人なのだが実はアラフォー独身のドネットは高嶺の華扱いされている才女である。普段は優しいのだが怒ると怖いのが偶に傷という女性であった。

 

「ドネットさん、ちゃんと自分の作業は終わらせてます」

「空いた時間に感傷に浸るぐらいは許して下さいよ」

「トラブルメーカーたちの被害を遭わされた被害者の会の最後の会合なんです。見逃して下さい」

「気持ちは分かりますが、他の人の作業はまだ終わっていないんですから端の方でやって下さい。ハッキリ言いますが邪魔です」

 

 ご尤もとドネットの言に頷いた三人は、周りから手伝えコールを送られるのを敢えて無視して会場の端へと行くことにした。

 すると、そこには先客がいた。

 

「おや、先生と司書もサボりですか?」

 

 う~んう~ん、と眉間に皺を寄せて紙とペンを手にした教師と腕を組んでいた司書は乱入者に顔を上げた。

 

「違います。卒業生に贈る言葉を考えてるんですよ」

「儂は付き合いじゃ。向こうの準備を手伝うには老骨に肉体労働はキツイからの」

 

 送辞を考えている教師はともかく、矍鑠としている司書はサボりだなと教師たちは思った。

 

「送辞を今考えてって遅くないですか? そういうのって事前に決めておくものじゃ」

「そうなんですけど、この前起こった山火事の後始末とこの卒業式に向けた準備で時間なんて取れませんでした」

「ああ、卒業試験でやったアレですか」

「あれは凄かったのう。学校の裏庭の森を焼いた火は図書室からもよう見えたわい」

「最後までやってくれましたよ。お蔭で送辞を考える時間も本当に無くて」

「ご苦労様」

 

 最後の犠牲者に全員が慰めの言葉をかけつつ、自分にお鉢が回って来ないことにホッとしていた。

 

「そういえば司書もなにかありますか? 今期の卒業生に対して」

「儂か?」

 

 ズーンと肩を落として沈み込んでいる今年の担任から視線を外した一昨年の担任は司書に話題を向けた。

 

「ほら、ここにいるのって今期の卒業生に振り回された被害者の会じゃないですか。司書にも何かエピソードはないかなって」

 

 司書は思い出すように視線を中空に向けて、次の瞬間には長い長い溜息を漏らした。

 

「あるわい、山ほどにな。あの三人は生徒の入室が禁じられている禁呪書庫侵入の常習者じゃぞ。儂がどれだけ侵入されないように策を弄したことか」

 

 年に似合わない哀愁を漂わせて司書は眉を下げた。

 

「大変でしたね」

「昼夜関係なく侵入してくるから大変なんてものじゃないわい。まあ、最近はあれだけ骨のある子も珍しかったがの。楽しかったのは否定せんわい」

 

 前年度の担任に言いながら満足そうに、そしてどこか寂しげに司書は微笑んだ。

 

「と、司書は言ってますが今年の担任としては彼らのことはどう思っています?」

 

 どれだけ苦労したかを老人らしく延々と前年度の担任に語る司書らを無視して、一昨年の担任と最初から一緒にいた教師が今年度の担任に嘴を向けた。

 

「僕も苦労させられたなんてものじゃありませんよ。彼らが仕出かした悪戯の為にどれだけ校長や他の教師に頭を下げたことか」

「の割には嬉しそうじゃないか、君」

 

 今年度の担任が身振り手振りを交えて強い口調で語りながらも口元が綻んでいるのを一昨年の担任は見逃さなかった。

 

「仕方ないじゃないですか。あの二人が入学してから毎日がお祭りのようでした。色んな騒ぎがありましたけど思い返してみると楽しかったと思えるんです。よく手間のかかる子ほど可愛いって言いますけど、良くも悪くも彼らのお蔭で楽しかったのは事実ですから」

 

 視線を準備が終わりつつある会場に向けた今年度の担任は、卒業生よりも先に会場入りして用意された席についていく在学生を捉えていた。

 

「連日の型破り。規則の違反。挙げれば枚挙に暇がありません。でも、彼らは迷惑をかけることがあっても人を傷つけたり悲しませたりすることは決してやりませんでした。何時だって巻き起こす騒動は皆を笑わせてくれましたし、泣いている人がいたら手を差し伸べ、落ち込んでいる子がいたら励ましています。彼らは僕の誇りです」

「いなくなると思うと寂しくなるな」

「本当に」

 

 たった数年だったが楽しかった時間を思い起こして、その時間が二度と戻って来ないことに郷愁を抱きつつも、教師達と司書の目には喜びがあった。学生達はここで育ち、巣立っていく雛鳥である。雛鳥たちが幼い翼で大きな世界に旅立っていくことを喜びこそすれ、悲しむことなどありえない。今が羽ばたきの時であることは何年も教師をやっていれば分かる。

 

「先生たちもそろそろ準備して下さい。もう直ぐ卒業式が始まりますよ」

 

 大の大人の男達が揃って今日巣立っていく若鳥達を見送る親鳥の気分にいたところへ、現場指揮を執っていたドネットがやってきて告げる。

 

「あ、送辞出来てない」

「ドンマイ」

「アドリブでどうにかなるさ」

「そんなぁ」

 

 ゾロゾロと移動しながら泣き言を漏らす今年度の担任を皆で笑いつつ、司書も含めて全員が所定の位置につく。

 この日の為に来ていた来賓が会場入りし、卒業生の家族達も次々と入って来る。数分かけて全員が所定の位置につき、最初はざわついていた在校生たちも周りの大人達の厳かな空気に触発されたように静かになっていく。

 そして遂に卒業式が始まる。

 腹に響く様な鐘の音の直後、大聖堂を思わせる大広間の入り口がゆっくりと開けられていく。

 外から入る光で扉の向こうにいる人物の姿は影になって見えない。

 先頭にいるのは影になって見間違えない特徴的なシルエットをした、このメルディアナ魔法学校校長。が、今回の主役は彼ではない。その後ろにいる小さな影たちだ。

 

「来たぞ。我らがメルディアナ魔法学校が誇る黄金三人組(ゴールデン・トリオ)人間台風(ヒューマノイドサイクロン)雷小僧(サンダーボーイ)火の玉少女(ファイヤーガール)のご登場だ」

 

 誰かが小さな声で言った。校長の後ろを歩くのは、人間台風(ヒューマノイドサイクロン)と言われた今年度の主席である赤髪に小さな丸眼鏡をした線の細い少年。次いで歩くのは太陽に輝く短い金髪を天に逆立てた、見るからに運動が得意と分かる体格をした雷小僧(サンダーボーイ)。三人目は頭の左右で髪を纏めた生気に溢れた勝ち気な目をした火の玉少女(ファイヤーガール)

 メルディアナ魔法学校のトラブルメーカーこと、黄金三人組(ゴールデン・トリオ)は足音も高く会場へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 一つの儀式が執り行われていた。今日はメルディアナ魔法学校にある大聖堂を思わせる広間で卒業式を行っており、そこには厳粛な空気が張り詰めている。

 頭までローブにスッポリと覆われ、杖を持った大勢の者達が見守る中で、ローブにトンガリ帽子と言う如何にも魔法使いな格好をした少年少女達が数人いる。そんな少年少女の彼らから見て、正面の少し高くなった演台の向こうにいるのは、この場所の責任者である校長。この場で最も多くの視線を集めているその人物は、背後のガラス越しに差し込む光によって、その威厳をより高めているかのようであった。

 魔法を以って人知れず社会に貢献する人物を目指す子供たちが、この地を出立しようとしていた。今年度の卒業生の数は六人、男の子は深い緑色のローブ、女の子は紺色のローブに三角帽と、それぞれ新米魔法使いらしさを匂わす服装で顔に緊張を滲ませて立っている。

 

「卒業証書授与、この七年間よくがんばってきた。だが、これからの修行が本番だ。気を抜くでないぞ」

 

 低く、それでいて良く通る声が反響しながら講堂中に響き渡り、少年少女達に僅かな緊張が走る。胸の下まで伸びた立派な白髭に、年季の入った豪奢なローブという高位の魔法使い然としたメルディアナ魔法学校校長が、壇上の下に並ぶ今年度の卒業生達に祝福の言葉を贈っていた。

 いよいよ明かされる彼らの未来への第一歩。立派な魔法使い(マギステル・マギ)になるべくこれから修行を始める彼らに取って、この時は緊張の一瞬なのだろう。

 これから巣立っていく教え子達へ、人生の先輩としての訓示が述べられる。卒業式開始と同時に続いていた訓辞がようやく終わり、ついに卒業証書の授与に移る。いよいよ始まる卒業証書の授与。講堂に静かな緊張が走る。

 

「これより卒業証書の授与を行う。メルディアナ魔法学校卒業生代表! ネギ・スプリングフィールド! 前へ」

「ハイ!」

 

 電球は使われず、明かりは蝋燭のみで照らされている薄暗いホールの中に、少年少女達の中で真ん中にいた幼い顔つきの如何にも魔法使いチックな白いローブを頭まで被った赤毛の少年ネギ・スプリングフィールドの声が響き渡る。

 ネギ・スプリングフィールドと呼ばれた少年は芯の通る声で返事をしてから、ゆっくりと前に踏み出す。壇上へと進み出て校長から手渡される卒業証書、それを両手でしっかりと受け取り、返礼をして壇上から元の位置に戻る。

 

「次に、アンナ・ユーリエウナ・ココロウァ君」

「はい!」

 

 先ほどの少年と同じ様な赤毛の元気のいい少女が次に呼ばれて前に出る。同様に卒業証書を受け取り一礼してから元の場所へと戻る。

 同様に次々と卒業生の名前が呼ばれ、壇上に上って卒業証書を受け取って戻っていく。

 

「うぅっ…………ネギ、アーニャ、アスカも立派になって」

 

 堂々とした足取りで校長の前まで歩み、「おめでとう」という祝福の言葉とともに卒業証書を渡されるネギとアーニャの姿に、二人の姉貴分であるネカネ・スプリングフィールドが二人の成長を感じ取ったのか感極まって、口元を押さえて泣いていた。

 

「これこれネカネ。あの子達の折角の晴れ舞台に泣くもんじゃないわい」

「ですけど、スタンさん。あの子達が無事に卒業出来るなんて、うぅ」

 

 隣にいた老人スタンは泣き止みそうにないネカネにハンカチを渡しながらも彼もまた晴れやかに孫分達の晴れ姿に目を細めた。

 四人目が終わって残り二人となったところで、ネギはふと隣にいる双子の弟を見た。特に意図した行動があったわけではない。どんな事にも怖気づくということを知らない双子の弟だがこういう厳かな式が心底苦手なのにも関わらず、静かにしていることが気になったのだった。

 視線を向けると当の本人が目を開けて立ったまま器用に寝ていた。分かりにくいが双子の兄であるネギには寝ているのがはっきりと分かった。

 

「……っ!?」

 

 心配は案の定だった。思わず双子の弟に視線を向けたネギは驚きながらもなんとか驚愕の叫びだけは上げるのを抑えることに成功した。

 アスカを挟んで反対側にいる幼馴染のアーニャに背中から手を回して知らせる。すると、迷惑そうにネギを見たアーニャも隣にいるアスカの状態に気づいて驚愕の相を作った。

 

《なんで寝てんのよ、このボケアスカは!》

《知らないよ。どうしよう、アーニャ》

 

 厳かな式が続いているので下手に口に出して喋ることは出来ない。出来るのは念話を使っての会話だけだった。

 

《どうするったって起こすしかないでしょ》

《下手に起こしたら暴れない?》

《卒業証書を受け取らなきゃなんないでしょうが。てか、あんたは自分の双子の弟のことどう思ってのよ》

《えと、その場のノリと勢いで生きるバカ》

《なにげに酷いわね、アンタ。て、もう時間無いじゃない》

 

 アーニャは双子の兄であるネギのアスカへの評価にげんなりとするが、5人目が卒業証書を受け取って戻って来ていたので雑談を止めて策を考えなければならなかった。

 

《どうする?》

《起こすしかないでしょ》

《方法よ方法。この状況で起こす方法なんて限られるじゃない》

《うーん》

 

 結構焦っているので良い手段が思いつかない。考え込む二人を校長や教師たちが凄い目で見ているのだが気づいていなかった。なんの防御策も施されずに焦って繋いだ念話が周りに筒抜けになっていたのだ。

 卒業生や在校生は下を向いてクスクスと笑い、来賓は微笑ましい物を見るように三人を眺めていたりした。

 

「最後に、アスカ・スプリングフィールド君」

 

 長い髭で隠れている唇の端をヒクヒクと震わせた校長は、怒りと情けなさやらがない交ぜになった強い口調で呼んだ。

 遂に呼ばれてしまった双子の弟にネギとアーニャが取れる手段は少なかった。二人は自分が起こさなければと使命感に駆られて、全く同時に肘をアスカの両脇に叩き込む。くはっ、と息を漏らしたアスカは一瞬で目覚め、口を大きく開けた。

 

「はい! 寝てません! ちゃんと授業を聞いてます!」

 

 普段の様子が垣間見える叫びに、会場にいる全員がこけた。

 

「あれ?」

 

 あちゃー、と天を仰いだネギと手で顔を覆ったアーニャの間で一人首を傾げたアスカは壇上にいる校長を見た。笑いを堪えている大半と違って、壇上で一人はっきりと怒りを湛えている校長を見たアスカは決心を固めた目をした。

 

「廊下で立ってた方がいいですか?」

「馬鹿なことを言っとらんとさっさと卒業証書を取りに来んか!」

 

 一人勝手に頷いて動こうとした孫に校長が真っ先にしたことは、持っている杖を大馬鹿者に投げつけることであった。

 杖がアスカの額に命中してカコーンと良い音が講堂に鳴り響いた。直後、講堂を爆笑が覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 卒業式が終わった直後、場所は変わって講堂につながる外廊下に少年少女達がワイワイと騒ぎながら歩いていた。湿っぽく終わらず、笑いのままに終わった卒業式。だが、一人の少年にとっては苦難の始まりであった。

 

「酷いなスタンのじっちゃんも。なにも殴らなくたって」 

「馬鹿もん、一発ですんで有難いと思わんか。もう恥ずかしくて仕方なかったわい。顔から火が出ると思ったぞ。もう一発いっておこうか」

 

 今まさに拳骨を振り下ろされた頭を痛そうに擦るアスカに、スタンは怒りが収まらんとばかりにもう一発いかんとばかりに意気込む。

 

「まあまあ、スタンさんも落ち着いて」

 

 校長に投げつけられた杖が命中した額を赤く腫らし、更にスタンからも愛を注入されて涙目になっている双子の弟を守ろうとするようにネギが間に入って取り成そうとした。だが、矛先はアスカだけにあらず。咎める視線はネギにも向けられた。

 

「お前もじゃ、ネギ。普段から甘いからアスカがつけあがるんじゃ。お前も愛の一発いっておくか?」

「もう、アスカも卒業式に寝たら駄目だよ」

「裏切ったな、ネギめ」

 

 あっさりと手の平を返してスタン側に回ったネギを恨めしげに睨むアスカ。だが、悪いのはアスカなのと直情傾向で口が回らないので言い返す言葉が出て来ない。ふふん、と勝ち誇るネギと言い返せず悔しそうなアスカ。兄弟仲は良好のようであった。

 

「二人ともつまんないことやってないで卒業証書は開けた?」

 

 双子より一歳年上のアーニャは時々二人を自然と見下す。それを二人の前では年上振りたいだけだと知っているネカネは子供達のやり取りを微笑ましげに眺めている。知らぬは本人だけであった。

 

「開けるってなんで? 卒業証書って卒業しましたって書いてあるだけじゃないの?」

 

 敗色濃厚な兄弟喧嘩を避けたアスカが首を捻る。本当に理解できてないアスカにアーニャは聞き間違いかと耳をかっぽじりたくなった。

 

「あんた馬鹿? 卒業した後の修行の場所と内容が書いてあるって授業で言ってたじゃないの」

「寝てて知らなかった。へぇ、そんな書いてあるんだ」

「ん? じゃあアスカは卒業した後はどうするつもりだったのさ」

「武者修行でもしようかなって。親父もしてたらしいしさ。強い相手と戦ってみたかったのに」

 

 ネギの問いに不平不満そうに唇を尖らせたアスカにネカネとスタンは震撼した。

 この子はやると、偶に訪れるタカミチ・T・高畑相手に幾度も戦いを挑むバトルマニアなところがあるアスカなら本気で卒業後は武者修行をするつもりだったのと悟る。

 

「三人で一斉に開けましょう」

「いいよ」

「強い相手と戦える修行でありますように」

「「「せーの」」」

 

 どうかまともな修行内容でありますようにと祈る二人が上から見下ろす中で、三人は向かい合って一斉に卒業証書を縛っている紐を解いて開いた。

 

「……お」

 

 開いた最初は右端に卒業年月日と名前だけが書かれている真っ白な卒業証書だったが、徐々にインクが滲み出るように光る文字が浮かび上がっていく。

 

< 日本で教師をする >

< 日本で教師をする >

< 日本で生徒をする >

 

 上からネギ・アーニャ・アスカの順である。三人と一人は浮かび上がってきた文章が信じられず、疲れているのかなと目元を解してから念のためもう一度読み返すが、やはり文字に変化はない。裏返して、角度を変えて、折り曲げてみたりしたが浮かび上がってきた文字は変わらなかった。

 スタンだけは面白そうに笑っていることに少年少女は気付かなかった。

 

「「「「ええ――――っ!!??」」」」

 

 四人の驚きの声が唱和して放たれて廊下にいた他の卒業生やその家族、在校生たちが思わず肩を驚かせる程度には大きかった。

 

「何事じゃ、騒々しい」

 

 丁度、タイミング良く。まるで計ったかのように校長が現れた。

 

「校長先生! アスカが生徒っていうのはともかく、ネギとアーニャが先生ってどういう事ですか!?」

 

 何時ものお淑やかな姿を脱ぎ捨てて、ネカネは二人から借りた卒業証書を校長に向かって突きつけた。

 

「ほう……「先生」か……」

 

 詰め寄られている校長は怖い形相になっているネカネから努めて顔を逸らしながら、豊かに伸ばした髭を触りつつ手渡されたネギとアーニャの卒業証書を見つめる。

 

「何かの間違いなのではないですか? 十歳で先生など無理です!」

「俺もまた生徒なんてメンドイ。魔法世界で拳闘士とかにしてよ」

「アスカは黙ってなさい! 今は私が話してるのよ!」

「は~い」

 

 詰め寄るネカネの後ろで頭の後ろで腕を組んだアスカが不満を漏らしたがネカネの形相に渋々と引き下がった。

 

「しかし課題に関しては、卒業証書に書いてあるのなら決まった事じゃ。❘立派な魔法使い《マギステル・マギ》になるためにはがんばって修行してくるしかないのう」

「あ、ああ……」

 

 既に決定事項と断言されてネカネは今にも倒れそうな様子で頭を抱えている。彼女にとって、二人は大切な妹弟でまだ十歳だから異国の地で教師など心配で堪らない。

 ましてや一番のトラブルメーカーであるアスカも異国に渡るのだ。魔法学校で一番苦労していた彼女がこの事態に抱える心労は察して然るべき。

 

「ふむ、安心せい。修行先の学園長はワシの友人じゃからの。ま、頑張りなさい。それにネカネ。お前さんにも日本に渡ってもらうぞ」

「え? 私も?」

 

 今にも倒れそうだったネカネは意外な提案に目を瞬かせた。

 教師や生徒なんて面倒だと思ったが、お目付け役がいなくて好き勝手に出来ると思ってハイタッチをしていた三人は思わぬ風向きに動きを止めた。

 

「この三人を修行の為とはいえ、野放しに出来るわけが無かろう。お目付け役は必要じゃよ」

「スタンの言う通りじゃ。というか、手綱を失くした猛獣共ほど手に負えんものはない。任せたぞ、ネカネ」

「ハイ! 三人の子とは私に任せて下さい!」

「「「ぶーぶー」」」

 

 ネカネがぐっと校長の言葉に頷いて元気な声で返事を上げる後ろで、結局は修行といっても環境が変わるだけだと気づいてしまった三人は非難轟々の嵐だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは雑踏と喧騒に支配された建物の内部。多くの人々は重量のありそうなスーツケースや旅行鞄を持ち、軽い外出感覚で居るわけではないと判断できるが独特の騒々しさがある。行き交う人々の会話もあるが、独特のタービン音も聴こえる。まるで広範囲に撒き散らすかのような、独特の騒音。自動四輪や自動二輪のエンジン音では無い。これはもっと大きな機械――――――乗り物の作動音。

 行き交う人々は、そんな騒音を気にも留めていない。まるで聴こえて当然と思っているかのような、そんな態度。

 建物内部に所狭しと人が居るが、皆それぞれ目的を持って歩いている。一つはこの建物内部に入り込んで行く者。もう一つはこの建物内部から出て行こうとする者達の二種類。其々が、全く別のベクトルを持って動いている。

 この建物は接続している。出て行こうとする者と、入って行こうとする者。この二つを接続するためだけの存在。此処は謂わば端末。ターミナルであった。

 大きな旅行鞄を押している観光客やスーツケースを抱えたビジネスマンに混じって、子供に見える、というか子供が三人歩いていた。

 その顔は揃ったように奇妙なほど晴れ晴れしている。

 それには理由があった。

 

「残念だったよね、ネカネ姉さんも」

「変わりの人の都合が悪くて一緒にいけないなんて、タイミングが悪いわよね」

「これで羽目が外せるってもんだ、うんうん」

 

 ニシシ、と三人で顔を近づけて笑い合う。会話は聞こえない距離だが近くにいるこれから旅行に行くらしい老夫婦が微笑ましい物を見るように三人を眺めていた。

 本当ならネカネも一緒に日本に行くはずだったのだが仕事の引継ぎが上手くいかず、代わりの人が見つかるまでメルディアナ魔法学校を離れられない。

 月単位でネカネの渡航が遅れるので好き勝手出来ると三人は喜んでいた。

 

「あ、ネカネ姉さんが戻って来た」

 

 無駄に高性能な感覚器官を持っているアスカが人混みの向こうにいるネカネの姿を感じ取った。

 言った数秒後に搭乗手続きをしていたネカネがチケット片手に戻って来た。

 

「手続きは終わったから…………アーニャが持っててね」

「うん。このボケ双子に持たして失くしたら大変だもんね」

「「えー」」

 

 ネカネがアーニャにチケットを纏めて渡したのを不満に思った双子が唇を尖らせる。

 

「なに? なんか文句あるかしら」

「ありません、サー」

「私は女なんだからマムでしょ。私は男っぽいって言いたいわけ?」

「「ノー、マム!!」」

 

 凄みをかけたアーニャに、最初はやる気のなかった双子は直立不動で敬礼する。

 何時もの通りの調子の三人にネカネは笑みを零しつつも、自分が一緒に行けないことに大きな不安を感じていた。

 

「本当に大丈夫、三人とも? ネギは三食きっちりとってしっかりと寝なさいよ。アスカは誰構わず喧嘩を吹っかけたら駄目なんだからね。アーニャも拳で物事を解決しちゃだめよ」

「信用ないなぁ」

「俺ってそんなに喧嘩吹っかけてる?」

「私はそんなに野蛮じゃないもん」

 

 不安だった。返って来た返答が物凄くネカネを不安にさせた。

 

 << ○○○○○便に御搭乗のお客様はCゲートより搭乗してください >>

 

 搭乗を呼びかけるアナウンスが流れたので、切り替えの早さでは歴代魔法学校一という有難くない称号を冠された三人は、あっさりとネカネの不安を横にやってそれぞれに荷物を抱えた。

 

「ネカネお姉ちゃんもスタンさんやみんなに宜しく言っといて」

「酒を飲み過ぎないようにともね」

「俺達は俺達で上手くやるからさ。心配しないでいいって」

 

 そそくさとネカネの前に並んだ三人は最初から言うべきことを決めていたのだろう、笑顔で言い切った。

 

「分かったわ。くれぐれも、くれぐれも無茶だけは絶対にしないように」

 

 これだけはと強く念を押したネカネは、旅立つ三人を順に抱きしめて言い含める。

 

「じゃ」

「「「行ってきます!」」」

 

 ネギが音頭を取って、三人で声を合わせる。

 事前に何度も言い含めたように搭乗口へといく三人をネカネは何時までも見守っていた。

 

「飛行機に乗るの始めてだから緊張してきた」

「実は僕も」

「情けないわね、アンタ達」

「そういうアーニャだって顔が強張ってる」

「うっ」

 

 大きな荷物を預けて身軽になった三人は喋りながら飛行機を目指して歩く。

 魔法使いの隠れ里で育った三人は海外に出たことはない。なので飛行機に乗るのも初めて。緊張は隠しきれない。

 

「日本に行ったら天麩羅に寿司、刺身を食べてみたいな」

「俺は京都に行って近衛詠春と戦ってみたい。行っちゃ駄目なのか?」

「食べ物はいいけど、京都にはいけないわよ。行くのは麻帆良学園都市なんだから」

「麻帆良に強い奴いるかなぁ」

「タカミチもいるんだから大丈夫だよ。僕は蔵書が山ほどあるっていう図書館島に行ってみたい」

「アンタ達、即物的すぎるわよ」

 

 アスカは純粋に欲に忠実であり、ネギは実現可能な範囲での欲を優先するのアーニャはお姉さん振って「このお子様たちは」と腰に手を当てて言いながらも楽しさを隠しきれていなかった。

 

「浮かれて私達の目的を忘れていないでしょね」

 

 先を歩くアーニャが振り返りながらの発言に、ネギとアスカは顔を見合わせた。

 

「勿論。俺達の目的はなんたって最強になって英雄の親父を見つけることと」

「強くなって村を襲った悪魔を倒して石化を解かせることなんだから」

「忘れてないならいいわ。なんたって」

 

 一度区切ったアーニャは立ち止って拳を握り、腕を真上に突き出した。ネギとアスカもそれに倣う。

 

「私達に」「僕達に」「俺達に」

「「「出来ない事なんてない!!」」」

 

 子供が囚われる幻想と言われようとも、困難な道を選んだ三人は拳を掲げあって六年前からの誓いを新たにした。

 ネカネが見送る中で三人が乗る飛行機は日本へ向けて飛び立って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園都市は、明治中期に創設され、幼等部から大学部までのあらゆる学術機関が集まってできた都市。これらの学術機関を総称して「麻帆良学園」と呼ぶ。一帯には各学校が複数ずつ存在し、大学部の研究所なども同じ敷地内にあるため、敷地面積はとても広い。年度初めには迷子が出るとのこと。元々魔法使い達によって建設されたと考えられており現在も学園長・近衛近右衛門を始めとして多くの魔法使いが教師・生徒として在籍し、修行や学園の治安維持に従事している。

 

「はむ」

 

 東京から埼玉に麻帆良学園都市に向かっている電車の中で、座席に座るアンナ・ユーリエウナ・ココロウァは欠伸を噛み殺した。

 

「一人だけ座って欠伸を掻かないでよ、アーニャ。僕達まで眠くなってきたじゃないか」

「仕方ないじゃない。欠伸は人間の生理よ。勝手に出るんだから止められるわけないじゃない」

 

 移り欠伸とでもいうべきか。堪えたネギと違って盛大に大口を開けて欠伸を掻くアスカの横で手摺で体を支えるネギの文句に、見るんじゃないわよと口ほどに語る眼光を放ちながら踏ん反り変えるアーニャ。

 アーニャの眼光に負けてあっさりと視線を外したネギの横でアスカが目の端に浮かんでいた涙を拭う。

 

「漫画とかテレビで知ってたけど時差ボケって本当にあったんだ」

「本当だよね。夜になっても全然寝られなかったもん」

 

 目をしょぼつかせるアスカに同意したアーニャも昨夜のことを思い出していた。

 真っ先に思い浮かんだのは食べた物である。三人はまだ十歳が一人と数えで十歳が二人。色気よりも食い気であった。

 

「昨日、食べた天麩羅はおいしかったわよね」

「変わった味だったけどあれは上手かった」

「また食べに行こうよ。今度は寿司がいいな」

「「賛成」」

 

 あれが食べたい、これが食べたいと話していると揺れている電車内で天井から吊り下がる吊り輪や手摺も持たずに二本の足だけで体を支えているアスカが鼻を掻いていた。

 

「どうかした?」

 

 鼻が痒いにしてはずっと掻いているアスカに、座っていて正面にいるアーニャが問いかけた。

 直後、曲がり角にでも差し掛かったのか車内が僅かに傾き、中にいる乗客が傾いた方向に寄っていく。特に手摺や吊り革を持てずに体を支えられない乗客が動く。

 

「あうう~」

 

 あっさりと乗客の流れに巻き込まれたネギが悲鳴を上げる。反対にアスカは車体が傾く寸前に体を前掲させて傾きとは逆の方向、つまりはアーニャに近づくことで難を回避していた。

 

「何? あの子達?」

「外国人?」

 

 そんな会話が周りで起こっていることを完全に意識の外に追いやっているアスカはゆっくりと口を開いた。

 

「ここ、臭い」

 

 アスカが齎した一言に、ピシリと車内の空気が凍った。

 

「え? そう?」

 

 くんくん、と車内の空気を嗅いだアーニャにはアスカが言うほどに臭いとは思えなかったようだった。

 

「うん。これはあれだ。ネカネ姉さんも使った化粧とかの臭い」

「つまり、ケバイと」

 

 匂いの原因を言ったアスカに、ネギがもっと分かりやすく一言で纏めてしまった。

 

「ああ……あんたって犬並みの嗅覚してるもんね。そりゃ、これだけ女が集まってたら盛大に匂うでしょうよ」

 

 この目の前にいる腐れ縁の金髪の少年が匂いといった五感を感じ取る能力が常人を優に超えていることを良く知っているアーニャは、女の身として子供とはいえども「臭い」とは言われたくないので口にはしなかった。

 アスカはネカネが化粧を覚え始めた当初は近づきもしなかったし、ここ二年ぐらいでようやく慣れたのだがこれだけの集団が集まれば我慢の限度を超えるのも仕方ない。だが、それでもアーニャは未だ若輩な子供と言えども一言申さぬぬわけにはいかない。

 

「空気を読みなさい」

「?」

「分かんないって首を捻ってんじゃないわよ。ネギもよ。常から言っているけどアンタ達にはデリカシーってものがないのかしら」

 

 毎度のことながら理解していない馬鹿兄弟にアーニャは深い溜息を漏らした。何度も何度も懇々と言い聞かせた話をこのような周りの目があるところでする気にもなれない。

 アーニャにはこの電車に乗っているのは中学生から高校生ぐらいの年代に見えた。それぐらいの年代になれば化粧の一つや二つはするだろうし、学校の校則で禁止されていようともナチュラルメイクの一つや二つはしているだろう。この車両だけでも二十人以上の学生が乗っていれば犬並みの嗅覚を持っているアスカなら、一人一人は程度が低くても集団となれば匂いも大きくもなって耐えられなくても仕方ない。

 

「周りに謝んなさい。アスカだけじゃないわよ、ネギも」

 

 二人の「臭い」「ケバイ」発言を気にしている人数が座っているアーニャの視界から見える大半の人間であることから、面倒事と乙女心の両面から判断して二人に指示を出す。

 

「なんで?」

「いいから謝れつってんでしょうが」

 

 筋の通らないことには意地でも頭を下げることを良しとしない兄弟を代表して、アスカが少しきつい目で問いかけたが返ってきたのは問答無用の座った目であった。

 

(どうする?)

(謝っといた方が無難なんじゃないか。ご機嫌を損ねられるのは困る)

 

 念話ではなく視線でアイコンタクトを交わした兄弟は、揃って後ろを振り返った。

 

「「ごめんなさい?」」

 

 謝る理由を当人が分かっていないので謝罪は何故か疑問形であった。

 車内にいる女学生達は兄弟と顔を合せられない。というか、三人がいる場所を中心としてエアポケットのように空間が開いていた。狭い車内なのにギュウギュウ詰めになりながら距離を開けようとする女性達を見て顔を見合わせて首を捻り合う兄弟に溜息を吐くアーニャ。

 

『次は――――麻帆良学園中央駅―――――』

 

 特定の人間だけが気まずい空間を打ち破ったのは車内アナウンスだった。体感で緩やかに速度が落ちていき完全に止まる。駅についたようだ。

 アーニャ達がいる場所とは反対側の扉が開いて女生徒達が沈黙のまま我先にと飛び出して行き、数秒で瞬く間に誰もいなくなった車両に取り残される三人。

 

「なにをあんなに焦ってたんだろ?」

「時間がやばくて遅刻しそうだとか」

「馬っ鹿みたい。行くわよ、アンタ達」

 

 女生徒達が足早に社内から出て行った理由を理解できていない兄弟に悪態をつきつつ、膝に抱えていたリュックサックを背負ったアーニャが動く。遅れて兄弟も付いて歩き、三人は自動改札機を通って麻帆良の街へと足を踏み出した。

 

「ここが、麻帆良か……」

「本当にここは日本なのかしら? 街並みが明らかに異国情緒に溢れすぎなんですけど」

 

 はぁ~、と息を吐き出して目の前に広がる麻帆良学園都市の光景に少し圧倒されているアスカに次いで、アーニャが誰に聞かせるでもなく呟く。二人の麻帆良での第一声だった。

 

「木造建築じゃないんだ」

「あんたは何時の時代の街並みを想像してんのよ。まさか侍が刀を以て蔓延してるとか想像してんじゃないでしょうね」

 

 ふと漏らしたネギの言葉を聞き咎めたアーニャの問い詰めに、ネギは汗を垂らして顔を逸らした。誤魔化すのが苦手な少年である。

 

「まさか図星だったなんて」

「ほら、ネギって変なとこで夢見がちだから」

「いいじゃないか、別に」

 

 絶句したアーニャにフォローになっていないフォローをするアスカ。不貞腐れたネギはふんと強く鼻息を出して一人で歩き出した。

 

「そういえば誰が迎えに来るんだっけ?」

 

 大きなリュックを背負っているネギの背中で目立つ杖を見つつ、少女の分の荷物も持っているアスカが隣を歩くアーニャに聞いた。

 

「高畑さんよ。あんた、話聞いてないんじゃないの」

「忘れてただけだって。でも、タカミチか」

「会って即戦いたいってナシだからね」

「え~」

「駄目ッたら駄目。馬鹿の一つ覚えみたいに戦いのことばっか考えてんじゃないわよ。これだからバトルジャンキーって奴は」

 

 無精髭に眼鏡をかけた三十代後半ぐらいの年齢のスーツを着た男性の姿を探しつつ、迎えが来ることなんて忘れて一人で歩いているネギの後ろを二人で歩く。

 一分ほど歩いて誰の姿も見えないことに流石にネギとアーニャの二人は焦りを覚え始めていた。

 

『学園生徒のみなさん、こちらは生活指導委員会です。今週は遅刻者0週間、始業ベルまで十分を切りました。急ぎましょう。今週遅刻した人には当委員会よりイエローカードが進呈されます。余裕を持った登校を…………』

「遅刻!?」

 

 突如として鳴り響いたアナウンスに破天荒な行動が多いながらも優等生気質なところがあるアーニャが体をビクリと震わせた。逆にマイペースを地で行くスプリングフィールド兄弟はやるべきことやしたいことがあれば授業を平気でサボるので焦るどころか眉一つ動かしていない。

 

「行くわよ! 遅刻なんて許されないわ!」

「メンドイ」

「いいよ、もう。ゆっくり行こ」

「あぁっ!」

「ごめんなさい。俺達が間違ってました」

「遅刻は駄目だよね」

 

 本音がダダ漏れな二人をメンチで負かしたアーニャの主導で三人は走り出した。

 三人とも見習いといえども魔法使いの端くれ。運動神経が切れているネギを頭の中身が切れているアスカが背負いつつ、ただ前だけを目指す。魔力で身体強化なんてことが出来るので、見た目以上の能力を発揮できる三人は瞬く間に先を行く最後尾へと追いついた。

 

「イェイ!」

「やっほう!」

 

 体を動かしているだけで楽しいタイプのアスカの気持ちを、逆に机上でこそ喜びを発揮できるタイプなのでネギは永遠に理解できそうになかった。とはいえ、アスカに背負われていても風を切って突き進む感触が嫌いなわけじゃない。アスカが叫びを上げるのに便乗して声を出してしまうのはもはや癖みたいなものだ。

 

「どこへ行くの?」

「この街で一番偉い人の所! 話をつけられるでしょ!」

 

 二人が目的もなしに走っていると思ったネギだが、何も考えていないのは走りながら笑っているアスカだけで並走しているアーニャはしっかりと考えていたようだった。バイクの二人乗りをしながら肉まんを売る者やインラインスケートなどを履いて路面電車につかまっている者等を瞬く間に追い越す。

 

「当の一番偉い人はどこにいるのさ」

「あ」

「その辺の人に聞いたら分かるって。誰か知ってるだろ」

 

 考えているようでどこか抜けているのがアーニャである。意外にその穴を埋めるのが直感で動いているアスカなのだから人生とは分からないものである。

 

「じゃあ、あの人に聞いてみよう」

 

 自分の荷物とネギ+荷物を背負いながらも余裕綽々のアスカはすぐ先を走っている二人の少女に目を付けた。

 目をつけられた少女―――――神楽坂明日菜は少し焦っていた。

 

「やばい、寝過ごしたー!!」

「あははは、にしても明日菜足速いよねー。私コレやのに」

 

 他の生徒を次々に追い抜く速度で疾走しながら息を乱す事無く叫ぶ明日菜に、並走する近衛木乃香は笑って地面を滑るローラスケートを指差す。彼女達は息を乱すことなくそのハイスピードの走りの中で会話していた。

 

「悪かったわね、体力バカで。ん?」

 

 運動神経しか取り得がないと馬鹿にされた気がするので、幾ら事実とはいえ不貞腐れて返事をする明日菜だったが巻いているマフラーがふわっと浮き、自身の左横に風の流れを感じた。

 自然の風ではなかったので何かと首を左横に向けると、何時の間にか見るからにここにいるべきではない年齢の少年少女がいた。正確には明日菜の視界は視線の高さにいる少年の顔が入り、次いで下げた視界に前に自身の荷物を抱え背中に少年を背負っている金髪の青い目をした子供に驚いた。

 自分も体力馬鹿の自覚はあるのだが、金髪の少年のように線が細そうとはいえ同年代の人間を荷物付きで背負うことは出来るかは試してみなければならない。

 明日菜の下げた視線と少年――――アスカの上げた視線が交わる。

 

(懐かしい……?)

 

 視線を合わせた瞬間、『懐かしい』と脈絡もなく感じた。これらが見詰め合った時間は二、三秒にも満たなかったが二人の初対面に抱いた相手への感想だった。

 

「あの――――あなた失恋の相が出てますよ」

 

 オッドアイとブルーの瞳から発せられる視線が混じり合い、不思議な郷愁を覚えた明日菜を現実に引き戻したのは背負われている少年――――ネギの失言だった。

 

「え"……」

 

 空気が凍った。明日菜の隣にいる木乃香とアスカの隣にいるアーニャは感じ取った。

 

「な……し……しつ……って」

 

 言葉を飲み込み、足を止めた明日菜に吊られて全員が止まる。

 そして明日菜が爆発する前にアーニャが飛んだ。

 

「アスカ!」

「ん?」

 

 アーニャの叫びに疑問形ながらも反応したアスカは背負っているネギを如何なる動きによってか真上に放り投げた。

 事態を飲み込めないネギは投げられるままに空中を漂い、重力に従って落下する。

 頭を下にして落下していくネギの真下に潜り込んだアーニャは、顔を寄せて肩にネギの首を乗せて両手を真上に伸ばして両腿を掴んだ。

 

「あれはまさか筋肉バスター!?」

 

 往年の漫画で披露した伝説の技に、近くを通りかかったプロレス研究会の大学生が驚愕した。

 

「アーニャバスター!」

 

 逃れようのないままアーニャはネギを背負ったまま地面に激突。ボキボキ、と何かが砕ける音が聞こえた。

 両腿を掴んでいた手を離したことでネギがゆっくりと仰向けに倒れる。

 

「何時も言ってるでしょ。乙女心を読めって。これはその報いよ」

「……ぼ、僕…………男なんだから、乙女心なんて……分から」

「死ね」

 

 ポンポンとお尻についた砂を払ったアーニャは、痛みで動けずに虫の息で弱々と反論したネギの鳩尾に踵を落してフィニッシュを下す。捕らえられた獲物が首を絞められて上げる断末魔の叫びのようなものを上げて、上がっていた手がパタリと落ちた。

 獲物を仕留めたアーニャは腐った汚物を見るようにネギを見た後、一瞬で表情を申し訳なさそうに変えて明日菜を見た。

 

「ごめんなさいね。この馬鹿はこっちでシメといたから」

「死んでないの?」

「大丈夫、ああ見えてもネギは頑丈だから。少ししたら目を覚ますわ」

 

 そこらで落ちていた木の枝でつんつんとネギが死んだかを確認しているかのように動作をしているアスカと、ピクリとも動かないネギに明日菜は怒りの向けどころを失っていた。

 上げた手を所在なさげに下ろしながら、この三人はやばいと明日菜の本能が警鐘を鳴らしている。動物的直感に優れている明日菜は『触らぬ神に祟りなし』という言葉を理解していなくても実践して突っ込まなかった。

 そんな明日菜の横でアーニャは人柄で接しやすいと判断した木乃香に向き直っている。

 

「ちょっと聞きたいんだけどいい?」

「ええよ。なんでも聞いて」

「ここってどこなの? 駅から当てもなく走ったから場所が分からなくなっちゃって」

「ここは女子校エリアやよ。三人とも初等部の子やろ? 初等部があるんは前の駅やで」

「私達は生徒じゃないわよ。アスカは別だけど」

 

 なにやら仲良さげに話している木乃香とアーニャの話に割り込み辛いものを感じた明日菜は、とりあえずアスカにネギの無事を確かめることにした。

 

「大丈夫なの、その子?」

「平気平気。アーニャの鉄拳制裁は慣れてるから直ぐに目を覚ますはず」

 

 枝でつつくのにも飽きたのか、明日菜の方を振り向いたアスカの瞳にまた明日菜は不思議な郷愁を覚えた。

 眼の前の少年と会ったことはない。だが、彼に似た誰かに会ったことがあるような既視感。我知らずに注視していた明日菜は立ち上がったアスカの胸元から零れた細いながらも頑丈そうな鎖に繋がれた水晶のアクセサリーに目を奪われた。

 

『アスナ』

「痛っ」

 

 バックに夕焼けがある誰かのシルエットが脳裏を過った明日菜だったが、突然走った頭痛に一度は湧き上がったイメージが薄闇と消えていった。

 

「?」

 

 なにか大事なことを思い出しかけたことに明日菜は首を捻った。数秒後には思い出しかけたことすらも手の平か零れ落ちる砂のように抜け落ちていったことも忘れてしまう。一度零れ落ちた何かは元に戻らない。

 首を捻っている明日菜に木乃香が顔を向ける。

 

「明日菜ぁ、高畑先生がどこにいるか知っている?」

「え? 高畑先生がどうしたの?」

「この子達って高畑先生と待ち合わせしてたみたいやねん。今どこにいるか知ってる?」

「今日は出勤するって聞いたから多分職員室にいると思うけど」

 

 この珍妙なコントをした三人の子供が高畑にどのような用があるのかと内心で首を捻りながら、聞かれたことにそのまま答える。

 

「おーい」

 

 直後、頭上から少年の高い声と違う喉太い大人の男性の声が掛かった。五人以外の声の主は女子中等部校舎の二階の窓から五人を見下ろしていて、その声にびっくりした明日菜は上を見上げた。

 そこにはスーツ姿に眼鏡と短い白髪と顎には無精ヒゲを生やして、左手中指に指輪をした三十代後半ぐらいの男性がいる。

 

「高畑先生!? お、おはよーございま……!」

「おはよーございまーす」

 

 自分達の担任の姿を見つけて明日菜はしおらしく、木乃香は普段通りに挨拶する。この明日菜の反応を見れば大抵の人はどういう感情を持っているのか理解できるだろう。

 

「ははん、もしかして明日菜って」

「アーニャちゃんの考えてる通りや。初対面の人もバレるなんてほんまに明日菜は分かりやすいな」

 

 案の定、アーニャにも悟られていた。何時の間にか明日菜の名前を教えている辺り木乃香は確信犯的な要素が多分にある。当然、二人がなんのことを言っているのかとアスカは首を捻っていたが。

 

「おー、久しぶりタカミチーッ」

 

 彼女達の朝の挨拶に続いてアスカも当然のように、しかも一回り以上年上なのに敬語もなしに彼女達の担任に声を掛けた。

 

「!?……っし、知り合い…………!?」

 

 誰でも明らかな年の差があるのにフランクに交わされた事に明日菜は酷く驚いて思い切り下がった。

 明日菜の大好きな男性を下の名前で呼ぶなど単なる知り合いではないし、久しぶりということは知り合いなのか、と思考がこんがらがった末に更に爆弾発言が思い人より投下された。

 

「ようこそ麻帆良学園へ。歓迎するよ」

 

 明日菜の驚きなど知らぬ高畑は葉巻が似合うニヒルな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下りて来た高畑が先導して向かった先は学園長室。成り行きで三人に付いて行った明日菜は道中で伝えられた情報に知ることとなった。

 

「学園長先生、こんな子供達が先生って一体どういうことなんですか? しかも私達のクラスを担当するって」

 

 責任者である学園長と対面した開口一番、明日菜が机まで詰め寄って静かに問うた。

 

「まあまあ明日菜ちゃんや。なるほどのぉ、修行のために日本に…………そりゃ大変な課題をもろうたのぉ」

 

 見事に明日菜の言葉を聞いていなかったのかの如くスルーして話し始める学園長。激情ではないといっても瞳の奥に棘を隠した明日菜をスルーするとは学園長は良い根性している、と気絶したネギを引き摺ってきたアスカに変な方向に感心を覚えさせるものだった。

 取りあえず、いい加減にネギを起こさないとネギの背中に回って両肩を持ち、ぐっと力を入れる。

 

「はぅ」

 

 気絶していたネギは口の奥から息を吐き出し、ゆっくりと目を開けた。

 

「あれ、ここどこ? なんか体が痛い」

 

 立ち上がって節々が痛む体を擦りながら首を捻るネギ。

 

「急に倒れてびっくりしたわよ。体が痛いのは倒れた時に打ったのじゃない。ねぇ、アスカ」

「…………時差ボケで疲れてたんだろ。来る日を間違えたぐらいだし」

「一日早かったんだって、急いで損しちゃった」

「うーん、そうなのかな」

 

 思いきり話を逸らしたアーニャに強い視線で同意を求められたアスカは渋々と追従する。イマイチ納得がいってなさそうなネギだったが二人がそういうならそうなのだろうと納得せざるをえなかった。

 こいつら誤魔化しやがったと明日菜が震撼し、木乃香がポヤポヤと逆に他人に考えを読ませない笑みで二人を見る。

 

「しかし、ネギ君とアーニャ君は教育実習と言う事になるかのう。今日から三月までじゃ………」

「俺は?」

「アスカ君は明日菜ちゃんたちと同じクラスじゃ。話は良く聞いておる。ちゃんと勉学に励むのじゃぞ」

 

 げぇ、と学園長から顔を背けて今にも吐きそうなアスカに勉強嫌いの同類を見つけた明日菜は少し受け入れる方に心が傾いたりもした。

 

「ところで、ネギ君とアスカ君には彼女はおるのか? どうじゃな、うちの孫娘なぞ?」

「ややわ、じいちゃん。うちにはまだ早いえ」

 

 木乃香がどこからか出した金槌でガスッと学園長の頭に突っ込みを入れる。ダクダクと学園長の頭から血が流れてるのだけど誰も気にしない。過剰ツッコミはウェールズ組は何時もの事なのでそれが彼らの芸風なのだと理解し、当たり前の風景として認識した。

 

「ちょっと待ってくださいってば! いきなり高畑先生と変わって担任だなんて!!」

「いや、そこまでは言っておらんよ。ネギ君とアーニャ君はあくまで高畑君の補佐。高畑君は出張が多いからの。名義上の担任はあくまで前のままじゃ」

「あ、それなら……」

 

 明日菜としては高畑が担任から降りる事を気にしていたわけだが、別に今までと変わりないのならそれでいいかと天秤が急速に傾いてしまった。

 

「フォフォフォ。この修行は恐らく大変じゃぞ。駄目だったら故郷に帰らねばならん。二度とチャンスはないがその覚悟があるのじゃな?」

 

 頭から血をダクダク流しながらも、結局最後まで明日菜をスルーして話を纏めようとする学園長。

 視線を向けられた三人は顔を見合わせ、直ぐに満面の笑みを浮かべた。

 

「「「やります!」」」

「いい返事じゃ。若者はこれぐらい元気がなくてはの」

 

 ふぉふぉふぉと笑った学園長は長い髭を擦りながら、少年少女の元気な姿に好々爺の如く目を細める。

 

「うむ、本来ならば明日からじゃが、顔見せだけはやっておこうかの。指導教員のしずな先生を紹介しよう。しずな君」

「はい」

 

 学園長の言葉にその声と共に扉が開き、入り口から1人の女性が入ってきた。

 その人はメガネをかけ、パッと見ただけで母性溢れるといえそうな女性でネギがそっちを向くとその大きな胸に顔を埋めた。

 

「む"」

「あら、ごめんなさい」

 

 タイミング良くしずなの胸に振り向いたネギの顔が挟まれた。グッドなタイミングに実は狙ってやったんじゃないかと思われるほどだった。狙ってやったとしたらタイミングを合わせて振り向いたネギか、振り向いただけで胸に顔が埋まるような近距離まで近づいたしずなか。

 少なくともネギと同じ事を大人がやればビンタは間違いないだろう。狙ってやっていたらそれはそれで問題だが。

 

「分からない事があったら彼女に聞くといい」

「源しずなよ。よろしくね」

「あ、ハイ……」

 

 ウィンクしながら笑顔でそう言うしずなにネギは惚けていた。大人の魅力に誑かされたらしい。そんなネギを見てペッと唾を吐き捨てるアーニャと少し羨ましそうなアスカ。学園長もネギが羨ましかったのだが孫娘の手前上は意地でも顔には出さなかった。

 そんなこんなで、学園長との話も終わり教室へ向かうことに。

 

「そうそうもう一つ、このかとアスナちゃん。出会ったのも何かの縁じゃ。しばらく三人をお前達の部屋に泊めてもらえんかの。まだ住むとこが決まっとらんのじゃよ」

「え……」

「ん~、うちは別にええよ」

 

 学園長から告げられた言葉に予想もしていなかった明日菜がふと声を漏らした。木乃香は少し考える素振りを見せてから了承した。彼女にとっては近所の年下の子を預かる感覚に似ていた。

 

「もうっ! そんな何から何まで学園長っ!?」

 

 明日菜は自分の預かり知らないところで勝手に決められるのは恩があるといっても不快だった。何でもかんでも勝手に決められれば世話になっているといっても不機嫌にもなろう。

 

「本当は彼らの保護者も一緒に来るはずじゃったんだが都合が悪くなって月単位で遅れることになっての。何分、それが分かったのが数日までは手の施しようがないのじゃ。住居はあっても子供達だけで住まわせるわけにはいかんし、急すぎて他に頼むことも出来ん。なんとか引き受けてもらえんか?」

「う……」

 

 険を明らかにして詰め寄って抗議する明日菜を学園長はやんわりと説得する。

 ただでさえ子育ては大人でも難しいのに多感な女子中学生に任せるのは如何なものか、との意見も当然ある。学園長が強権を発揮すれば多少の無理は聞く。孫娘である木乃香の部屋なら子供三人ぐらいは入るだろうと楽観し、明日菜らには悪いとは思うが強権を発動して軋轢を作ることもない。

 

「俺達は野宿でも構わないけどな。慣れてるし」

「タカミチと一緒にキャンプとかやったよね。三人で眺めた夜空は綺麗だった」

「私は嫌よ。一日二日はともかく一ヶ月も野宿なんて」

 

 聞きわけが良いというか無駄にバイタリティに溢れている前者二人はともかく、嫌がっていて女の子のアーニャを野宿させることは明日菜も気が咎める。同室の木乃香が許可を出しており、保護者である学園長の頼みはやはり断り難い。結論として、明日菜は肩を落として受け入れざるをえなかった。

 

「分かりました。でも、うちの部屋に三人も入るかしら?」

「そうやな。二人なら大丈夫やけど、三人はちょっと微妙やね」

 

 明日菜達の部屋は普通の二人部屋に比べれば大きい方だが一番広いクラス委員長である雪広あやかの部屋に比べれば狭い。そもそもあやかの部屋は三人部屋で二人部屋の明日菜達の部屋と比べるのは間違いかもしれないが、子供とはいえども三人も足して五人で寝食を共に出来るかは微妙だった。

 

「なら、私は別で入れてくれる部屋を探すわ。この二人を別々の部屋にしたらどんなことになるか分かったものじゃないし」

 

 三人は無理でも二人なら何とかなるだろうと、アーニャの案でスプリングフィールド兄弟が明日菜達の部屋に居候することが決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホームルームの時間が迫っているので先に教室に向かった明日菜達が退出した学園長室に入室者が一人。

 一度部屋を出て麻帆良女子中等部を男用に変えた制服を見に纏ったアスカ・スプリングフィールドの姿に、アンナ・ユーリエウナ・ココロウァは珍しいことに幼馴染を見て驚いたように目を丸くした。

 

「へぇ、ネギもそうだけどネクタイ姿が意外と似合ってるじゃない」

「意外とってなんだよ」

「馬子に衣装ってことよ。意味は後で辞書でも引いて調べなさい」

 

 隣にいる特注したスーツ姿に身を包んでいるネギ・スプリングフィールドは忌憚がなさすぎるアーニャに文句を言うが、おしゃまな女の子に口で勝つのは天才少年でも難しい。1言えば10の文句が返って来ることは今までの経験から分かっているので、それ以上の追及はせずに大人しく引き下がる。ネギ少年は大人なのだ。

 

「どうかのう? 下をスカートからズボンに変えただけで基本は女子用の制服をそのまま使っておるのじゃが、なにか不具合とかはあるかの?」

 

 学園長席に座ったままの学園長が頷きつつ問いかける。

 

「ん、むぅ。首が鬱陶しい」

「ネクタイに慣れてないんでしょうね。最初は違和感を感じるでしょうけど直に慣れるわ」

 

 注目の的であるアスカは首周りをしきりに気にしているが、源しずなは言いつつ袖や裾を気にする。

 上半身は女子の物と変わらないブレザーに、下はチェックのスカートがズボンに代わっただけの特別に作られた男子用の制服全体の状態を確認する。変なところがないことを確認して学園長に問題ないことを示す。

 当のアスカは直に慣れると言われてもネクタイが気に入らないのか外しだした。

 

「苦しいからネクタイ入らない」

「あっ、こら」

 

 アーニャが注意する間もなくあっさりとネクタイを外したアスカは次いでボタンも上二つを開けて鎖骨が見えるぐらいに開く。

 

「ふぅ、さっぱり」

「じゃないわよ」

「あてっ」

 

 ぽいっとネクタイを放り捨てて満足げに頷いたアスカの頭をどつくアーニャ。

 部屋の隅に投げ捨てられたネクタイをネギが律儀にも取りに行く。

 

「悪いが校則でネクタイはしてもらわんとならん。外すのはなしじゃ」

「え~」

「ほら、アスカ」

 

 露骨に嫌そうな顔をするアスカに拾ったネクタイを渡したネギは双子の弟の性格上、このようなきっちりとした体裁を取る必要がある物を身に着けるのを嫌がることを知っているので笑顔であった。

 人が苦しんでいるのを喜んでいるネギに後で仕返ししてやると心に決めたアスカは受け取ったネクタイを手の中で弄ぶ。

 

「別にいいじゃん。校則なんて破る為にあるんだからさ」

「そういうわけにもいかないのよ。それに校則は守る為にあるのよ」

 

 心底面倒そうに呟いたアスカに注意するしずなを見て学園長はウェールズにいる旧友の校長の教育方針を疑いたくなった。この三人の悪評というか異名は十分に理解したつもりだったが甘かったことを自覚する。

 

「今度は自分でネクタイ結べる?」

「やるよ。やるから大丈夫だって」

 

 元から世話焼きの気質があるしずなは着替えも手伝っていた。今までネクタイを結んだことのないアスカが仕方なくつけ出したのを見て手を出したそうだった。

 しずながいい加減に手を出すかと動き出す前にアーニャが足を踏み出した。

 

「しっかり結びなさいよ。こら、そんな巻き方したら」

「初めてなんだから仕方ないだろ」

「私がやってあげるから貸しなさい。もう、ネギといいアンタ達兄弟は私がいないと駄目なんだから」

 

 ネクタイを結び慣れてない誰もが通る道を順当に進み出していたアスカをアーニャが止める。

 ネクタイの結び方の正しい手順なんて一回で覚えられないアスカは文句を言いつつ悪戦苦闘していることは誰の目にも明らか。直ぐに見ていられなくなったアーニャがネクタイを奪い取り、グチグチと言いながらも慣れた仕草でちゃっちゃと結んでいく。

 

(慣れておるの)

(きっとこの時の為に練習したんですよ。あの楽しそうな笑顔を見たら一目瞭然じゃないですか)

 

 念話や言葉を使わなくても目だけで会話をした学園長としずなは目を細めた。

 ネギと同じく特注のスーツ姿のアーニャはネクタイではなく細いリボンである。アーニャの家族がどうなったかを知っている学園長は彼女の周りにネクタイを習慣的に結ぶ男がいないことを知っているので、スプリングフィールド兄弟の為に練習したのだと分かった。

 しずなはアーニャの環境を知らないが女心は学園長の何百倍も理解している。このような雑事に疎い兄弟の為に何度も練習したことは直ぐに察しがついた。

 

「はい、これでいいわ。うん、我ながら完璧」

 

 瞬く間にネクタイを結び終えたアーニャは一歩下がって出来栄えに満足する。

 だが、当のアスカはやはりネクタイで首が絞めつけられるのが気に食わないのか不満そうだった。その様子を見ていたネギはふと思いついたように口を開いた。

 

「苦しいなら緩めたら?」

「あ、この馬鹿っ」

 

 アーニャが咎める視線をネギに送るがもう遅い。成程、と頷いたアスカはアーニャの気持ちなどあっさりと振り解いてネクタイを緩める。

 

「外さなきゃいいんだろ」

 

 先程と同じように第二ボタンまで開けてその下までネクタイを下ろす。もはやネクタイは付けているだけの風情になってしまった。

 

「そういうもんじゃないでしょうが! ネギも余計なことを言わない!」

「そうは言っても堅苦しいのが嫌いなアスカだよ? あのままじゃ、直に暴走してたって」

「う!? そうだけどさ……」

 

 ネギの言い分も尤もな部分があったのでアーニャは途端に勢いを失くした。

 色んな面でフリーダムなアスカに変に強制しても、溜め込んだエネルギーを盛大に暴走させることは過去の経験からアーニャも良く知っている。

 バトルマニアなのと天然以外は至って普通なアスカも、こと拘りに対しては異様なほどの執着を見せる。怒りや憤りといった感情がないようなこういう手合いが意外に暴走したら惨事を引き起こすのだ。

 主に火消しを自分とネギでやってきたアーニャは両者を天秤にかけて急速に受容に傾いていた。

 窺うようにこの街の最高意思決定を司る学園長を見る。

 

「まあ、いいじゃろ。おいおい慣れていけばよい」

 

 アスカは勝手に自己解釈しているが校則では着用を義務付けられているだけではない。首元まできっちりと締めろとまでは言わないが見苦しくない程度が望ましい。学園長の目から見てもアスカが本気で嫌がっているのは良く解ったので、慣れていないからこその行動であると考えて寛容的に受け入れることを決めた。

 後々に改めていけばいいと教育者としての面を面に出した学園長は頷いた。

 

「それじゃ、準備が出来たところで教室に行きましょうか」

 

 そうしてしずなに連れられて学園長室を出て行く三人を見送った学園長は顎髭を擦った。

 

「うむ、成人女性にスーツ姿の少年少女と制服を着崩した少年。見事なほど意味不明な集団じゃな」

 

 自分で決めたことながら三人を牽引しているしずなとも相まって摩訶不思議な一行にひっそりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始業の時間まで後数分というところで教室の扉が開けられて、友人と喋っていてまだ席についていなかった何人かが入り口に目を向けた。

 

「なんだ、明日菜か」

「なんだってなによ、失礼ね。て、何してんのよ、アンタ達」

 

 教卓付近で本当に中学生かと疑いたくなる鳴滝姉妹となにかの作業をしていた春日美空は来訪者に固まらせていた緊張を糸を解す。なんだ扱いをされた明日菜は後ろに木乃香を控えさせたまま、何故か水の入ったバケツを持っている美空に訝し気な視線を向けた。

 

「朝倉から明日来るっていう新任教師がもう来てるって聞いて悪戯の準備」

「なのだ」

「今回は自信作なんだよ」

 

 ニヒヒ、と美空は一緒に準備をしている鳴滝姉妹と笑い合って作業を続ける。

 

「怪我のない程度にしときなさいよ」

「了~解」

 

 本当にこいつは解ってるのだろうかと思いつつ、明日菜は悪戯に巻き込まれないように足下を気にしつつ教室に入った。後ろの木乃香に同じ場所を通るように言いながら横を通り過ぎる。

 明日菜達の席は教卓の前の列の真ん中辺り。一つの机を二人で使うので廊下側の木乃香と同じ通路を使うと通行が面倒になる。少し距離がかかるが教卓の前を通って窓際の列の朝倉和美と教卓前の列の雪広あやかの席の間を通るのが何時もの明日菜の行動だった。

 この日は明日菜は何時もの行動をした自分の間違いを悔やむことになる。

 

「ちょっと、明日菜。新任の先生と会ったんだって?」

 

 通りかかったところでデジタルカメラが普及し始めているにも関わらず、一眼レフを持っている朝倉和美に声をかけられて足を止める。

 

「情報早いわね。会ったけど」

「噂では美形だって話だったけど本当?」

「美形…………ではあったわね、確かに。この後、来るって話だから好きに聞いたら」

「マジ? ようし、やる気出て来た。最初に会ったアンタらの話も貴重だから後で聞かせてね」

 

 食いついてくる距離分だけ和美から引きつつ、「子供だけど」とは心の中で呟いた明日菜は適当に頷いて隣を通って自分の席を目指す。

 鞄を机に置いて席に座り、入っている教科書らを適当に机の中に入れる。その行動の乱雑さから通路を挟んで席にいる柿崎美沙は後ろの席の早乙女ハルナとのお喋りを中断した。

 

「どうしたの明日菜? なんかご機嫌斜めじゃん」

「ちょっとね」

「もしかして今日はアレの日かな?」

「違うわよ!」

 

 手の届かないところで色んなところが決まってしまったフラストレーションを抱えていて、もしかしたら高畑と接する機会が減るのではないかとアンニュイな気分でいたところではハルナのデリカシーのない発言を適当にあしらうことも出来ずに叫んだ。

 明日菜の後ろの席で読書をしていた綾瀬夕映が顔を上げる程度には大きな声だった。

 

「明日菜な、朝から色んなことがあったからちょっとナーバスなってんねん」

「ナーバスってもしかして高畑先生関連? また出張とか」

「高畑先生関連は当たらずとも遠からずやな。全くの無関係ではないんやけど、今日はちょっと違うねん」

「まき絵と並んで能天気な明日菜がナーバスって珍し。しかも高畑先生関連じゃないなんて」

 

 うんうんと訳知り顔で口を出しながら重く頷く木乃香の近くで「私って何時も高畑先生で悩んでるのかしら?」と明日菜が落ち込んでいたりいなかったり。最初から話す気の少なかった気持ちが皆無に落ち込んだ明日菜はホームルームが始まるまで不貞寝を決め込むことにした。

 明日菜が不貞寝を決め込んだ頃、ナーバスにさせている当の子供三人組は2-Aの教室の近くまで来ていた。

 

「はい、これクラス名簿」

 

 しずなからクラス名簿を受け取っているネギをアーニャが不満に睨む。

 

「未だに納得いかないわ。ネギの方が立場が上なんて」

「成績順で決まったんだから仕方ないじゃん」

「僕にはどうしてアーニャがそこまで上に立ちたがるのが理解できないよ」

「納得がいかないのよ。ボケネギのクセに私の上に立とうなんて一億飛んで二千万年早いわ」

 

 腕を組んで鼻息をボヒューと漏らし、どこまでも唯我独尊なアーニャにスプリングフィールド兄弟は諦めたように息をついた。

 アーニャが上に立ちたがるのは今に始まったことでもなし、年上の挟持を保ちたいだけだと一方的に納得して兄弟が矛を収めるのが常である。もう慣れの領域であった。

 

「仲いいわね、あなた達」

 

 微笑ましさすら覚える三人のやり取りにしずなはおっとりと笑った。

 

「伊達にこのボケ兄弟が生まれた時から付き合ってませんから」

「そんなに昔からだっけ?」

「叔父さんの話だと、アーニャがあまりに元気すぎてアーニャのおばさんが育児疲れした時に叔母さんが代わりに面倒見てた頃からの付き合いらしいから間違ってないと思う」

 

 鼻をピクピクさせて「私がこの二人の面倒見て上げてんのよ」と自慢げだったアーニャの鼻っ柱は、首を傾げたアスカの問いに答えたネギにぽっきりと折られた。

 

「このボケネギが!」

「本当のことじゃないか!」

 

 知らない人の前で見栄を張りたい年頃であったアーニャは見事に鼻っ柱を叩き折ってくれたネギを強襲する。ネギも何時もやられてばかりではない。掴みかかって来たアーニャに負けじと頭の両端に伸びる髪を掴んだ。頬と髪を引っ張り合う二人の横でアスカが、ふわぁっと欠伸を漏らした。じゃれ合いをしながらも足は止めないことにしずなは楽しそうな子達だと笑わずにはいられなかった。 

 

「さあ、ついたわよ」

 

 しずなが目的地である教室の前で足を止めながら言うと、ピタリと掴み合いをしていたネギとアーニャが動きを止めた。そして二人してギクシャクとした動きで教室に向かい合う。

 

「ほら、ここがあなた達のクラスよ」

 

 じゃれ合いをしていたのは緊張を解す為だったのかと得心したしずなは、二人の様子を微笑ましく感じながら窓の向こうを指し示す。

 

「げっ……い、いっぱい……」

 

 学校なのだから一杯いるのは仕方ないが現実を直視して気後れしてしまったようで、ネギはやっていく自信が薄れたのか俯いてしまった。アーニャも同様である。全員自分より年上の人の顔と名前を見たら気後れするのが普通の反応だろう。魔法学校では一学年十人にも満たないから余計に多く感じるのかもしれない。

 

「早くみんなの顔と名前を覚えられるといいわね」

「はうっ……」

 

 追い打ちをかけられて実はこう見えてプレッシャーに弱いアーニャがよろけた。

 

「あ……う…………ちょ、ちょっとキンチョーしてきた」

「わ、私も。緊張を解すには手の平に人って漢字を書いて呑み込めばいいのよね」

「人、人と」

「呑み込む…………って、これでどうやって緊張が解れるのかしら?」

「さあ?」

 

 手の平に人を書いては呑み込んでいたが些細な疑問にぶち当たってしまい、緊張していたはずなのにネギとアーニャは二人で顔を見合わせて首を捻り合う。

 

「馬鹿じゃん。いいから、さっさと行こうぜ」

 

 転入生として心配なんて欠片もしていない超ウルトラマイペースのアスカが二人の状況を端的に表現しながら、しずなが止める間もなく教室へと入って行く。

 ノックすらせず、中にいるのが女生徒で自分が男であることなんて欠片もない気にしない堂々たる仕草で扉を全開に開いた。

 

「あ」

 

 後ろにいたネギやアーニャにはアスカが扉を開いた直後、上から黒板消しが落ちて来るのが見えた。スパーンと開かれた扉に生徒たちが驚きの目を向ける中で、黒板消しは重力に従って真下にいるアスカの頭に向かって落ちていく。この悪戯を仕掛けた美空達が会心の笑みを浮かべるぐらいに避けようのないタイミング。

 

「なんだこれ?」

 

 後少しで頭に落ちる前にアスカの右腕が霞み、気が付いた時には黒板消しは掴まれていた。

 頭の上から黒板消しが降ってきたことに首を捻るアスカが更に一歩踏み出すと、足元の縄が引っ掛かった。足元でなにかが引っ掛かった感触にアスカが下を見下ろした瞬間に、ミスリードさせたこの瞬間を待っていたとばかりに水の入っているバケツが落ちて来た。

 

「あん?」

 

 下を見たままアスカは左手を上に上げてバケツを受け止め、追い打ちをかけるように教室入り口の天井に仕掛けられた先が吸盤になった矢が次々と飛来する。

 左手はバケツを持っているので塞がれており、アスカは仕方なく黒板消しを持っている右手で矢を掴んでいく。合計三本飛来する矢を、親指と人差し指で黒板消しで掴みながら人差し指から小指の間に一本ずつ掴むという妙技で。その間、一度も足を止めることなく。

 

「あらあら」

 

 遂に教壇に辿り着いたアスカに罠が全部発動したことを感じ取ったしずなは感心しながら後ろの二人を連れて進む。

 黒板消しを置き、教壇にバケツと吸盤付き矢三本を乗せたアスカの後から壇に上ったしずなは、披露された妙技に口を開けて唖然としている大半の生徒たちを前にして嫣然と微笑んだ。

 

「新しい先生とお友達に手荒い歓迎ね。自分から名乗り出るなら罪は軽いわよ?」

 

 男を魅了せずにはいられない笑みなのに威圧すら感じさせるしずなに、美空と鳴滝姉妹は十三階段を上げる死刑囚の面持ちで立ち上がるのだった。

 しずなより放課後の裏庭の雑草抜きを命じられ、しくしくと涙を流しながら座って悪戯三人組を誰も気にすることなく、生徒たちの全意識は壇上に向けられていた。

 

「ええとあ………あの……。ボク………ボク………今日から、いや正確には明日からですけど、この学校で教師をやることになりましたネギ・スプリングフィールドです。3学期の間だけですけど、よろしくお願いします」

「同じくアンナ・ユーリエウナ・ココロウァです。私達は主に出張などで不在になる高畑先生の補佐をすることになります。何分、若輩者ですがどうかよろしくお願いします」

「アスカ・スプリングフィールド。生徒なんで適当によろしく」

 

 緊張しながらも言うべきことはしっかりと伝えたネギ、外面用に仮面をしっかりと被って猫被りモードなアーニャ。前者二人に比べて言う通り適当な自己紹介をするアスカであった。挨拶一つとっても性格が滲み出る物である。

 

「なによ、その挨拶は」

「僕も流石にどうかと思う」

「いいじゃん。俺の挨拶なんだから勝手にさせろ」

 

 アスカの挨拶の適当さに小声で二人が注意するが当の本人は全く気にしない。こういう性格なことは思い知らされているが、この風雲児の学生生活が心配になった保護者の二人だった。

 保護者二人がマイペース過ぎる被保護者に溜息をついた瞬間、最初は呆然と壇上に視線を向ける生徒達の時間が動き出した。

 

「「「「「「「「「「「キャアアアッ! か、かわいいいーーーーーっ!」」」」」」」」」」」

 

 学校を揺らすかのような大歓声と共に生徒達は立ち上がって一斉に立ち上がりあっという間に三人を殺到して囲み、もみくちゃにしはじめる。完全に愛玩動物扱いだった。

 

「何歳なの~~?」「えうっ!? 僕達は数えで十歳でアーニャが十歳です」「どっから来たの!?何人!?」「ウェールズの山奥よ」「ウェールズってどこ?」「イギリスの片田舎って言ったら分かるかしら」「今どこに住んでるの!?」「ええい! 鬱陶しい!」

 

 生徒達から矢継ぎ早に告げられる質問にネギは困りながらも、次の質問を上げられてもアーニャは余裕を以て答えていく。纏わりつく生徒たちに特にもみくちゃにされているアスカも流石に生徒に怪我をさせるわけにはいかないので無理矢理に振り解くことも出来ず、言葉では逆らないながらも下手な動きが出来ず翻弄されていた。

 

「ねえ、君ってば頭いいの!?」

「い、一応大学卒業程度の語学力は」

「スゴ――イ!!」

「わわ―――」

「変なところ触らないでったら!」

 

 ネギは今もハルナの中学生らしからぬ胸に抱きしめられ、可愛いもの好きの何人かに捕まったアーニャは全身をかい繰り回されていた。

 

「こんなかわいい子もらっちゃっていいの!?」

「こらこら上げたんじゃないのよ。食べちゃダメ」

 

 美沙・円・桜子他数名に集られたアスカは悲鳴すら上げることもなくあちこちから手を伸ばされてしっちゃかめっちゃかに弄繰り回され、遂に我慢の限界が訪れた。

 

「…………い……い……加減に離れろ!」

 

 ドンと床を強く踏み切って地震が襲ったのかと勘違いするほどの揺れを引き起こし、纏わりつく生徒たちを引き剥がす。どんなに運動神経が切れていようとも踏鞴を踏む程度の揺れに生徒は目をパチクリとさせて動きを止めた。

 

「はいはい、みんな。時間も押してるし、授業しますよ」

 

 その間隙を見逃さずに手を叩いて注目を集めたしずなは、次いで新任教師と乱れた制服を直しているアスカを見た。

 

「ネギ先生とアーニャ先生、お願いします。アスカ君の席は廊下側の席の一番後ろ、エヴァンジェリンさんの隣だから」

「エヴァンジェリン?」

 

 ぞろぞろと自分の席へと動き出した生徒の中で取り残されていたアスカは、しずなに示された席にいる一人の少女に目を向けた。

 記憶に引っ掛かるものがあるのか首を捻りながら指定された席へと向かって歩き出す。件の少女―――――エヴァンジェリンは、先程までのくだらない騒ぎに興味がなかったのか机に伏せて寝ていたがアスカが近づいていくと顔を上げた。

 交わる視線。徐々に近づいていく距離。

 四番目の古菲の席の横を通り過ぎると前の席にいる絡繰茶々丸が腰を浮かしかけたのをエヴァンジェリンは静止した。

 相手の出方が分からず、これだけの衆人環視の中で取れる行動の少なさがあったからだ。スプリングフィールドの血族という相手が相手であるだけにエヴァンジェリンは慎重策を取った。つまりは様子を見ようとしたのである。

 

「今日の授業は高畑先生よりプリントを預かっています」

「これでアンタ達の今の実力を見せてもらうわよ」

 

 アスカはそのまま五番目の不平を漏らす明石祐奈の席を通り過ぎ、六番目の席の廊下側に座っているエヴァンジェリンとなんの障害物のない二メートルもない距離で向かい合う。

 ジロジロとした遠慮のない視線でエヴァンジェリンを見たアスカは途端に気の抜けた顔で口を開いた。

 

「ダークエヴァンジェルかと思ったらただのガキか」

「お前もガキだろうが!」

 

 期待外れとばかりに小声で呟かれた言葉に反応して、思わず机の上に置かれていた筆箱を掴んでアスカの顔面に投げつけたエヴァンジェリンは悪くないはずだった。

 


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